不満足ながら、カダフィ大佐の日本批判に答える

2009-12-18 09:58:40 | Weblog

 リビアの最高指導者カダフィ大佐と明治大などの学生が15日、衛星回線を通じて対話集会を行ったと「asahi.com」記事――《カダフィ大佐、衛星通じ学生に持論 明大で対話集会》(2009年12月15日22時8分)が伝えていた。明治大軍縮平和研究所の主催、学生ら約730人が参加。

 カダフィ大佐の発言箇所を拾ってみた。
 
 「これまで日本人を困らせたくないので、話すことを避けてきた」

 「原爆を落とした米国に日本人がなぜ好意を持てるのか理解できない」

 「欧米諸国と違い、日本はアフリカ大陸で植民地政策や侵略行為をしなかった」

 「国連で日本は米国に追随してばかり。もっと自由な意思を持たないといけない」――

 「47NEWS」では〈欧米諸国や中国を、資源目的でアフリカの国々に介入しているとして批判した。〉と伝えてもいる。

 明大生がどう答えたのか、答えなかったのかは「asahi.com」にも「47NEWS」にも書いてなかった。

 最初に「原爆を落とした米国に日本人がなぜ好意を持てるのか理解できない」について。

 原爆投下がアメリカがもたらした事態と受け止めているよりも、日本の戦争がもたらしたと受け止める考え方が支配的となっているからではないのか。勿論アメリカへの批判もあるが、それが目立って突出するのは日本の戦争が如何に残虐であったか声高に批判が起きたときにそれを擁護する側からその残虐さを相対化させる目的でアメリカの原爆や東京大空襲を持ち出すときに主として限られる批判で終わっているということではないだろうか。

 次に被害当事者について言うと、原爆投下は被害を受けた日本人にとっては原爆そのものの呪わしさだけではなく、被爆時の苦痛を実体験として記憶に張り付かせ、さらに後遺症によってもたらされる苦痛を常時経験していかなければならないが、被害に無関係な絶対多数の国民にとっては原爆投下時に受けた苦痛や被害、さらに後遺症の苦痛を事実あったこと(=情報)として受け止めることはできても、実際の感覚として味わうことができないから、アメリカが投下したことによって生じるすべての利害に無関係でいられることを受けた全体として見た場合のアメリカに対する憎悪の希薄性といったところなのだろう。

 さらにアメリカは日本が起こして国民をどん底に投げ込んだ侵略戦争を打ち負かして軍国主義から日本国民を救い、民主主義をもたらした解放者・恩人と見ていることもあるからだろう。

 終戦の日から半月経った8月30日に厚木飛行場に降り立ったダグラス・マッカーサーが朝鮮戦争の最中に解任にあい日本を去る約6年間に性別も年齢も職業も問わない多くの日本国民からマッカーサー宛の手紙が約50万通も届いたということだが、その内容が贈り物の申し出や日本の政治の矛盾を訴えるといった文言で占められていたということは日本国民がアメリカを日本の軍国主義と戦争からの解放者と見ていたことの証明になる。

 世の中には厭がらせの贈り物というものもあるが、一般的には感謝の気持ちから発している。敗戦直後から「原爆を落とした米国」に日本人は好意を持っていたということであろう
 
 アメリカが日本国民にかつて経験したことのない民主主義をもたらしたのである。「天皇陛下のため」、「お国のため」と天皇と国家に国民こぞって身を投げ打つ姿勢を示していたが、それが国家権力に強制された姿勢であり、そのような姿勢でいることに如何に我慢してきたかがアメリカを敗戦を境に敵国変じて解放者だと看做した日本国民の豹変から窺い知ることができる。

 また日本国民の多くが戦争の直接的な苦痛、あるいは間接的に受けた生活の苦しさを味わっていたとしても、その苦痛をつくり出したのは戦前の日本政府と特に軍部で、敗戦時は食糧危機に見舞われたが、将来に希望を与えてくれたのはやはり独裁政治を葬って民主主義をもたらしたのはアメリカだと見ていたからだろう。アメリカこそ、当時の日本が目指した将来像だった。

 「欧米諸国と違い、日本はアフリカ大陸で植民地政策や侵略行為をしなかった」――

 日本にとっては地政学的にその機会がなかっただけのことに違いない。せいぜいアジアに足場を築く機会と国力しかなかった。アフリカ大陸に植民地政策の足場を築くことができる地政学に恵まれていたなら、無計画・無謀にアメリカに戦争を仕掛けたようにイギリス・フランス・ドイツの向こうを張ってアフリカ大陸に「植民地政策や侵略行為」を推し進めていたに違いない。

 「国連で日本は米国に追随してばかり。もっと自由な意思を持たないといけない」――

 モノづくりの発想に見るべき才能はあっても、その殆んどが既にある見本をなぞり、そのなぞりを発展させる能力によって完結させることができるモノづくりだから、モノづくりに投資できる資金さえ保証されれば、訓練と経験と歴史を積めば誰でも手に入れることができる。

 このことは日本より遥かに後発ながら、同じなぞりとなぞりを発展させて国自体を発展させ、日本のすぐ後ろまでつけてきた韓国、既に日本を追い越した中国の躍進が何よりも証明している才能の質であろう。

 日本自体は歴史的に中国・朝鮮・オランダ・ポルトガル・フランス・イギリス・ドイツ、そしてアメリカの先進技術をなぞり、それを発展させることでモノづくりの才能を伸ばしてきたが、なぞり、それを発展させる能力では解決できない政治・外交といった創造性を必要とする才能を伝統的に欠いているから、アメリカといった政治大国に追随することで劣る創造性を埋め合わせることになる。

 そう遠くない将来、日本はアメリカだけではなく、中国にも追随する国になるに違いない。

 なぜ日本人は見本をなぞって発展させることで解決するモノづくりの能力には長け、なぞりでは解決しない、駆引きやその時々の状況と共に変化していく、あるいは対応次第で異なる道筋や利害の姿を取る、見本が見本とはならない、それゆえに無から有を生じせしめるか、あるいはそれに近い臨機応変の創造性を必要とする政治や外交の能力に欠けるのだろうか。

 日本は大和政権成立時から朝鮮半島や特に中国の文物・制度をなぞり、それを日本の封建制度に合うように発展させることで歴史的・伝統的に誰に邪魔されることなく国を成り立たせてきた。

 そういった国の発展に慣れ、満足してしまった。

 結果的に歴史的・伝統的なその刷り込みが自らの体質となった。戦後アメリカに占領されても、いち早くアメリカの文物・制度に追随し、歴史的・伝統的に培ってきたモノづくりの才能に助けられて日本風に発展させ、モノづくりの才能では解決できないゆえに政治大国となれなかったものの、ついには世界第2位の経済大国にまでのし上がった。

 そういったことではないだろうか。


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