天皇政治利用批判に対する鳩山首相・小沢幹事長・平野官房長官三者三様態度

2009-12-15 12:23:52 | Weblog

 鳩山首相、14日朝。

 「杓子定規に考えるよりも、本当に大事な方であれば、天皇陛下の、ォー、お身体が一番大事ですけどね、その中で許す限り、お会いになっていただくと。今回の場合、日中関係をさらに未来的に発展させるために、大変大きな意味があると思っていますから、私は判断は間違っていなかったと、そう思います」

 要するに習近平国家副主席は「本当に大事な方で」、天皇との会見が「日中関係をさらに未来的に発展させるために、大変大きな意味がある」から、“一カ月ルール”を「杓子定規」に適用するのではなく、柔軟に解釈していただいたと言うことなのだろう。

 鳩山首相は11日夕方に同じ趣旨のことを言っている。

 「諸外国と日本との関係を好転させるためで政治利用という言葉はあたらない」

 この発言に関して先のブログで次のように書いた。

 「諸外国と日本との関係」の好転は〈極めて政治の役目であって、それを天皇に負わせるのは政治的利用以外の何ものでもない。政治的側面を持たせない親善が役目ということなら理解できる。大体が「諸外国と日本との関係を好転させる」ために天皇にお出ましを願うということなら、内閣に於ける外交に関わる分野は必要なくなる。〉――

 諸外国と友好促進、友好関係構築に於ける天皇の役目はあくまでも象徴的な意味合いでの志向であって、実質的な関係促進、あるいは実質的な友好関係の構築はやはり政治の役目であって、そういった側面に関して天皇は儀礼的・形式的に担っているに過ぎない。

 儀礼的・形式的である以上、敢えて“一カ月ルール”を曲げる必要はなかったはずである。「国家主席になって訪日の機会があれば、そのときはいつでもお会いできますから」で納得させることもできたはずである。

 曲げた理由が中国からの再度の申し入れからであり、それを宮内庁に認めさせた会見の正当化の口実に「諸外国と日本との関係を好転させるため」だ、「日中関係をさらに未来的に発展させるために、大変大きな意味がある」からだと一見政治的側面を持たせない友好親善のように装わせているが、本来は政治の役目として完結させなければならない外交問題を“一カ月ルール”を敢えて曲げさせたことでその役目を結果的に天皇にまで広げている。

 要するに鳩山首相とその周辺は政治の役目として完結させる能力を発揮することができずに天皇にまでその役目を振った。政治利用そのものであろう。

 14日の夕方からのTBS「総力報道!THE NEWS」で小沢幹事長の記者会見を流していた。時には口許にうっすらと笑みを漂わせたが、ほぼ一貫して強い調子で責める詰問口調を見せていた。

 途中別の場面を入れる編集がしてあるため、その箇所は「・・・・・」で記した。

 小沢「君、日本憲法読んでいるかね?(相手の返事を待つ間(ま)。「君」と呼びかけられた記者の声は聞こえない。)

 うん?

 どういうふうに書いてある、憲法?

 天皇の行為は何て書いてある?

 何て言うか、どういうふうに書いてある、憲法に?

   ・・・・・・・

 “30日ルール”って、誰が言ったの?(睨みつけるようにする。)

 知らないだろ、君は?

 法律で決まっているわけでもないんでしょ?そんなもん。

 天皇陛下の行為は国民が選んだ、内閣の助言と承認ですべて行われるんだ、すべて。

 それが日本憲法の理念であり、えー、主旨なんだ、ね。

 何かと言うと、宮内庁の、役人が、あー、どうだこうだ、どうだこうだと言ったそうだけれども、全く日本憲法、民主主義というものを理解していない人間の、発言としか私は思えない。ちょっともう、私には信じられない。

 しかし内閣の一部局じゃないですか、政府の。もしどうしても反対なら、辞表を提出したのちに言うべきだ。当たり前でしょう?役人だもん。

   ・・・・・・・

 だから、“一カ月ルール”って、誰がつくったんですかって言うんですよ。宮内庁の役人がつくったからって、金科玉条で絶対だなんて、そんなバカな話、あるかっていうんですよ。

 天皇陛下は内閣の助言と承認で、それが憲法にちゃんと書いてあるでしょうが。それを政治利用だと言ったら、天皇陛下は何もできないじゃない?

 内閣の何も助言も承認も求めないで、天皇陛下、個人で勝手にやんの?そうじゃないでしょ」――

 小沢一郎は言っている。

 「天皇陛下の行為は国民が選んだ、内閣の助言と承認ですべて行われるんだ、すべて」

 改めて持ち出すまでもないが、日本国憲法は天皇の行為に関して「第1章 天皇」の第3条と第4条(1)で次のように謳っている。

 第3条 天皇の国事行為に対する責任

  天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

 第4条 天皇の機能

(1)天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
 
 「天皇の国事に関するすべての行為」についてのみ、小沢が言う「内閣の助言と承認」を必要とするのであって、憲法で権能を有していないと規定している「国政」に関してまで「内閣の助言と承認」が有効となるわけではない。

 いわば「内閣の助言と承認」があったからといって、「国政」に天皇を関与させることは憲法では天皇の禁止行為となっている。

 小沢は「天皇陛下の行為は国民が選んだ、内閣の助言と承認ですべて行われるんだ、すべて」、だから政治利用ではないと、国事行為も国政行為もごちゃ混ぜにして詭弁を弄しているに過ぎない。

 小沢がなすべきことは「内閣の助言と承認」の元に天皇の了承を得た天皇と習近平国家副主席の会見は決して天皇の政治利用には当たらないことの直接的な証明であって、憲法上の天皇の役割の解釈ではない。

 宮内庁の態度を「全く日本憲法、民主主義というものを理解していない人間の、発言としか私は思えない。ちょっともう、私には信じられない。」と言っているが、「日本憲法、民主主義というものを理解していない人間」とは小沢自身のこととなる。

 また “30日ルール”に関して「法律で決まっているわけでもないんでしょ?そんなもん」と言っているが、国政上、もしくは社会上の行為のすべてが法律で決められていて、その規制を受けるわけではない。法律による規定を受けなくても、慣習や慣例、伝統に従った、あるいは文書で取り交わした様々な契約に従った規制も存在するのだから、「法律で決まっているわけで」なくても、頭から無効な“ルール”だと決め付けるわけにはいかない。

 だが、小沢一郎は「そんなもん」と頭から無効だと言っている。不当でないにも関わらず、不当だと決め付けるのは下を上に無条件に従わせようとする権威主義的態度を自身が抱えているからに他ならない。

 「法律で決まっているわけでもないんでしょ?そんなもん」の次に「“一カ月ルール”って、誰がつくったんですか」と自己主張を正当化するために強弁の補強を図っているが、宮内庁が勝手に決めたのではなく、外務省と相談して決め、1995年に文書化したものだと新聞記事が伝えていた記者会見での羽毛田宮内庁長官自身の発言を先のブログに書いた。

 このことは天皇自身も了承している“一カ月ルール”でなければならない。もし了承していない、一切関知外のルールだとしたら、宮内庁と外務省が勝手に契約して勝手に天皇の行為を規制する最たる政治利用となる。

 いわば天皇自身も関与している“一カ月ルール”であって、宮内庁が勝手に「金科玉条」にしているわけではあるまい。しかし小沢はそれを宮内庁のみの関与として、天皇の関与を認めていない。天皇の健康維持のためにつくった“ルール”なのだと向ける目を持たない。

 記者に向けた睨みつけるような詰問口調に既に現れていたが、「何かと言うと、宮内庁の、役人が、あー、どうだこうだ、どうだこうだと言ったそうだけれども」の発言にしても、「内閣の一部局じゃないですか、政府の」にしても、内閣の最終責任者でないにも関わらず、さもそうであるかのような宮内庁を下に見ている態度、眼中に置かない態度であって、権威主義的態度が現れた発言としか言いようがない。

 「もしどうしても反対なら、辞表を提出したのちに言うべきだ。当たり前でしょう?役人だもん」とさも相手に非があり、自己に正当性あるかのように言っているが、任命権者たる内閣総理大臣が宮内庁長官の態度に異議があるなら、内閣でその進退を諮って更迭するなり、戒告するなりすればいいのであって、小沢一郎が党幹事長の立場から内閣にそのことを進言する資格はあっても、内閣に所属していない立場から内閣の方針を批判したからと言って一々辞表を出せと言うのは独断と僭越に当たり、一種の威しに当たる批判の封殺を狙う権威主義的態度と言わざるを得ない。

 小沢一郎の最も権威主義性が現れた言葉を「内閣の何も助言も承認も求めないで、天皇陛下、個人で勝手にやんの?」に見ることができる。「個人で勝手にやる」わけがないことは常識として分かることを、その常識を無視した上、「個人で勝手にやんの?」と天皇に対しても差配者であるかのように自分を上に置いた敬意とは正反対の軽んじた言い方となっているからである。

 小沢一郎幹事長が抱えているこういった権威主義性からすると、今回の韓国訪問での12日の講演で、東京大学考古歴史学者だった江上波夫教授から直接聞いたこととして「騎馬民族日本征服説」を紹介、「韓半島南部の地域権力者が海を渡って来て今の奈良県に政権を樹立したという。・・・・この話をもっと強調すれば日本に帰れないから、これ以上強く話すことはできない」と聴衆を笑わせた発言からも、「天皇も、8世紀の桓武天皇の生母は百済(ペクチェ)の武寧(ムリョン)王の子孫だと言われた」(《【小沢氏来韓】「在日韓国人ら外国人地方参政権を現実化させる」》中央日報/2009.12.13 12:04:53)との発言からも窺うことができる日本を他のアジアの国よりも優越的位置に置く日本的な権威主義性の否定は国益のためにはどのような手段も許されるとするマキャベリズムだと疑えないこともない。

 何しろ1990年に韓国の盧泰愚大統領が来日、天皇との宮中晩餐会で天皇が述べる日本の戦争がアジアに与えた被害に関わる発言を踏み込んだ謝罪とすべきかどうかで自民党政府内で揉めていたとき、天皇の言葉を内閣が決めること自体が既に天皇の政治利用だが、一歩踏み込んだ謝罪とすることに決定すると、当時自民党に在籍していた小沢一郎が「反省しているし、(韓国に)協力している。これ以上地べたにはいつくばったり、土下座する必要があるのか」と天皇の一歩踏み込んだ謝罪に反対、その発言が韓国で問題となって政府・自民党首脳会議の場で迷惑をかけたと謝罪する羽目に陥った前科を抱えている。当然、韓国世論の反撥を苦い経験として学習しているはずである。

 謝罪が前科に反しているものの、苦い経験の学習に立った韓国世論の受けを狙った講演での発言だとしたら、まさしくマキャベリズムだと勘繰れないこともない。

 社民党の福島瑞穂は小沢幹事長が韓国訪問で日本の植民地支配に対し謝罪の意を示したことについて、「『村山談話』は植民地支配について謝罪する中身だった。小沢幹事長が同じような気持ちでおっしゃったのであれば、『村山談話』を踏襲するものであり、適切だ」(NHK)と評価したということだが、安倍にしても麻生にしても、自身は踏襲していないにも関わらず、中韓との関係維持のために「内閣として」という限定付きで「踏襲していく」と常に二重基準の村山談話の踏襲だったことを考えると、福島瑞穂のようには簡単には評価できない小沢一郎の「村山談話」の踏襲と言えないこともない。

 平野官房長官は昨14日午前の記者会見で今月9日に外務省が中国側に再度会見を拒否していたという一部報道について記者に問われて、「承知していない」(msn産経)と否定している。

 外務省を通しての中国側の要請が宮内庁の断りにあって、そのことを外務省は中国側への返事としたが、中国側の再度の申し入れを受けて官房長官が自ら宮内庁に電話を入れたのだから、「承知していない」はずはない。ウソつき官房長官の面目躍如のウソ八百であろう。

 事実「承知していな」かったとしたら、官房長官の立場として職務怠慢に当たる。事実無根だと否定した場合の後付の露見を恐れて、「承知していない」とした誤魔化しに過ぎと断定できる。

 今回の天皇の政治利用で自民党からもあれこれと批判が出ているが、昭和天皇や平成天皇の日本の戦争に関わったアジア等の国々への訪問の際に行う天皇の謝罪を踏み込んだ言葉にするかどうか散々に政治利用してきた歴史を抱えているのだから、批判する資格はない。

 大和政権成立時から天皇は政治利用体でしかなく、その歴史を今日まで担っているのではないだろうか。そう解釈しないと、日本の政治権力の歴史的な二重性を解くことができない。

 現在の日本はロシアのメドベージェフ大統領とプーチン首相の権力の二重構造程ではないにしても、天皇制と政府との非常にソフトな二重権力を描いているが、鳩山内閣は鳩山首相と小沢幹事長の権力の二重性が言われている。真正な民主主義国家ではあり得ない権力構造ではないだろうか。

 国事行為の範囲内ですべてに於いて天皇自身が自らの言葉を持ったとき、政治利用体であることから解放され、日本は真の象徴天皇制の元、権力の二重構造から逃れ出ることができるのではないだろうか。


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