前日の菅首相インターネット動画出演記事で迂闊にも出演タイトルを書き忘れてしまったが、「第508回 菅首相生出演 総理の言葉はネット届くのかに」であった。
果して届いたのかどうなのか。届いたとしても、マイナスイメージで届気、マイナスイメージでがっちりと受け止められる場合もある。その割合が問題となる。発言した内容の殆んどが今まで言ってきたことの繰返しで、目新しいこと、いわば視聴している者の目を見張らしめるようなことは何も言っていないことからすると、世論調査支持率に応じた反応といったところかもしれない。
前日記事で取り上げた応答の続きになるが、「プレスクラブ - ビデオニュース・ドットコム」の神保哲生代表が菅首相出演に対して視聴者から前以て要望の声が届いていた言って手書きした画帳を示した。
神保代表「インターネットテレビはある意味双方向で、番組が進行しながら、ツイッターなどで色んなことが言われていると思うが、番組の前にこういうことを聞いてくれ、これはおかしいじゃないかという声が来た。大きく言うと、二つが徹底的に不満、怒りに似たような声としてあったように思う」
そう言ってマジックで手書きした画帳を目の前に差し出した。
怒りの中身
1 何がやりたいのか分からない 理念・哲学
2 ちゃんと説明しない 説明責任・哲学 |
神保代表は菅政権が全体としてどのようなビジョン・哲学に基づいて政治を行おうとしているのかいま一つ見えてこない、後者の例としてはマニフェストについての説明不足、さらに小沢問題の「政治とカネ」の本質的な問題は何なのかの説明不足等を挙げた。
神保代表が「今日は小沢さんの問題は政局的にはやりたくない、なぜ政倫審の説明が必要なのか、『政治とカネの』の本質的な問題についてまだ菅さんから十分な説明がないのではないのかという声がかなり多かった」と言ったところで何となく親小沢の匂いを嗅ぎ取ったが。
ここで宮台社会学者が「ちょっと補足するとね」と話を引き取った。
宮台社会学者「僕が出ているラジオ番組の正月の放送でリスナーが決めるニュースランキング、3ガ日以降のベスト4以内に政治のことが一個も入っていない。
これは年頭としては非常に珍しいことで、政治、あるいは菅政権からの発信に対する無関心化がある程度進んでいると思われるんですね。おとといの『報道ステーション』の視聴率が6%台だった。これは歴代首相が出る日としては低い。
菅政権からの発信に国民として関心を持たなくなってしまったのかという背景に、ある程度の諦め、怒りだったらまだしも、怒りのあとにある種の退却状態が起こっている可能性さえ、データーから見る限りありそうなんですね。
なんで、何とか巻き返していただかないと、それこそ国民の声によって政治をするという、菅さんが総理になる遥か前からおっしゃっていたことが実現しなくなってしまいますので、危惧しておりますね」
宮台氏はここで大いなる勘違いをしている。「国民の声によって政治をする」という菅理念は最初から破綻していることに気づいていない。私自身は菅直人なる人間が市民派を名乗る手前、単に掲げていた薄っぺらな看板に過ぎなかったと思っている。理念・思想・哲学として菅直人の血肉となっていなかった。だから野党時代に、何度も同じ例を持ち出して恐縮だが、沖縄に米海兵隊は要らない、米本土に帰ってもらうと言っていながら、首相になると簡単に反故にすることができた。このこと自体が「国民の声によって政治をする」とする理念の破綻を既に証拠立てている。
菅首相「私が何をやりたいのかということをよく質問受けるんですね。そのときに私が個人的にやりたいこと、例えば植物系のバイオマスエネルギーのをつくるとか、ま、こういうことはやりたいし、実は森のこともかなりやっているんです。それは総理になる前から、ある種の自分のテーマとして、えー…やってきたし、やりたいこともあります。
ただ、今、私は総理大臣という立場でして、2011年1月7日というこの時点にいて、何がやりたいと言うよりも、何がやらなければならないのかということを考えているんです。
つまり、その、先程言った臨時国会のときもそうなんですが、つまり、年が明けて2011年の段階で、今の日本がどうなっているのか、この間の『報道ステーション』でも、例えば、社会保障にかかる費用がですね、えー、高齢者の分だけでも、消費税の国の分約7兆に対して17兆かかっていると。差額は結果として、えー、何らかの赤字国債で埋めている。
そういう状況が現実にあるわけです。それは私が総理であろうが、他の人が総理であろうが、現実にあるわけです。じゃあこの問題を放置して、もう1年、もう2年、もう3年、同じように借金で維持していって、大丈夫なのか。そういう課題がいくつかあります。
それで今年の4日のですね、年初の記者会見で、その基本的な考え方を3点、理念として申し上げたんです。その一つが平成の開国元年、もう一つが最小不幸社会の実現――」
神保代表がパネルを前に出した。
菅政権三つの柱
平成の開国
最小不幸社会
不条理を正す |
菅首相「そしてもう一つが不条理を正す政治の実現で、この三つの中にですね、私が今、総理大臣として、やらなければならない、その優先度を、この中に盛り込んだつもりです」
なぜ質問に対してもっと直截、的確に、いわば打てば響くように答を発信できないのだろうか。政権を担った首相としてどのような政治を行うのか、その理念・哲学を聞いたのである。それを野党時代にテーマにしていたという、個別的政策でしかないバイオマスエネルギーを例に挙げるところから答に入る。何か自己宣伝しないではいられない自己顕示欲旺盛型の人間に出来上がっているとしたら、その分合理的判断能力を欠いていることの証明となって、人の上に立つ資格から遠ざかることになる。
「平成の開国」、あるいは「平成の開国元年」と体裁のいいキャッチフレーズを用いているが、貿易自由化問題は常に古くて新しい問題であって、今始まったわけではない。EPA(経済連携協定)やFTA(自由貿易協定)といった貿易自由化協定が既に存在し、日本は国内農業保護がネックとなって多くの国との締結が立ち往生するか、農業分野の自由化は例外規定を設けて真の自由化とはなっていない協定で終わっているものもある。WTO農業交渉で日本のコメの関税率が778%となっているのはその好例であろう。
因みに財務省のHPにEPAとFTAについて次のように書いてある。
〈経済連携協定(EPA:Economic Partnership Agreement)とは、2以上の国(又は地域)の間で、自由貿易協定(FTA:Free Trade Agreement)の要素(物品及びサービス貿易の自由化)に加え、貿易以外の分野、例えば人の移動や投資、政府調達、二国間協力等を含めて締結される包括的な協定。〉
菅首相が「平成の開国」と名付けて、その主柱としているTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)は2006年5月にシンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイの4カ国間で2006年5月発効に始まった新しい部類に入る自由貿易協定で、次いでTPP加盟交渉国が米国、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアの5ヵ国、コロンビア、カナダなどが参加の意向ということから、太平洋に位置する日本としても参加に遅れるわけにはいかない、仲間外れは困るということからの参加意向ということだろうが、どのような枠組みの貿易自由化であっても、その参加には農業が伝統的にネックとなっていたのである。
当然、民主党としても政権獲得を目指し、「民主党政策集INDEX2009」に、「自由で多角的な貿易体制を目指す世界貿易機関(WTO)の多角的通商交渉(ドーハ・ラウンド)の早期妥結を目指します」、「食の安全・安定供給、食料自給率の向上なども念頭に置きながら、積極的に推進します」とEPA、FTA参加を掲げていたのだから、野党時代から農業が自由化のネックとなることは自明の理としてチームをつくって対策を練っていたはずだが、昨年11月に主要貿易国との間で貿易の自由化などを行う経済連携を積極的に進めるとした基本方針を閣議決定し、その対策として国内農業の体質強化に向けた「食と農林漁業の再生実現会議」を設置したはいいが、今年の6月を目途に必要な対策を基本方針として纏める予定だというから、遅過ぎる動きとなっている。(この問題に関してはいずれ改めてブログ記事にしたいと思う。)
野党時代というのは政権交代に備えて各政策を練り、構築する助走期間であるはずだ。車で言えば慣らし運転の期間だったはずである。なぜなら、与党の政策よりも優越的でなければ、政権交代する資格を有することにならないからだ。勿論、与党以上に優越的であると自分たちだけで思っていては意味はない。国民に納得させる説明を行わなければならない。その結果の政権交代であったはずである。
マニフェストに掲げた貿易自由化に関しては自民党に優る貿易自由化案、それを可能とするための農業政策をこれまでの自民党政策を参考とし、あるいは反面教師として構築していなければならなかった。そして民主党政権発足と同時に野党時代に助走させてきた自民党政策よりも優越させた各政策を本格スタートさせたはずだ。
まさか政策を掲げただけ、政策に関する言葉を並べただけ、それ以外は何も準備してこなかったというわけではあるまい。野党時代が政権交代に備えて各政策を練り、構築する助走期間であるはずであり、そうでなければならいなら、「政権が発足してからの半年間は、仮免許の期間」とした菅首相の発言は、既にブログに書いたが、薄汚い自己免罪に過ぎない。
このことはプロ野球の2軍選手を例に取ると理解できる。2軍選手はいつ1軍に呼び出されてもいいように体力づくりと技術向上に励む。また1軍で通用する体力と技術を備えなければ、1軍に呼び出されることはない。1軍に呼び出されたなら、直ちに1軍選手に遜色ないプレーを示さなければ、2軍に戻される。2軍に上がったばかりだからといって猶予も甘えも許してはくれない。厳しい勝負の世界であり、各選手はそのことを深く認識しているはずだ。
厳しい認識を持たない人間だけが、「政権が発足してからの半年間は、仮免許の期間」だったと自己免罪の誤魔化しを働く。
菅首相はいずれにしても農業をどう保護するか、農業の自立をどう図るかその道筋を示す前にTPP参加を表明した。「政権が発足してからの半年間は、仮免許の期間」だったと半年の無策を許し、さらに政策構築の助走期間だったはずの野党時代までも空白化させて、道筋はこれからだとしている。このことは国民側からしたら、不条理そのものであろう。野党の民主党時代を幹部議員として過ごした菅直人という政治家の怠慢・不作為と言われても仕方がない。
勿論野党時代、自身が直接農業政策に関わらなくても(実際には「民主党農林漁業再生運動本部」本部長として関わっていた。)、首相就任と同時に貿易自由化と農業政策に関わったチームを指揮して本格稼動させなければならなかったはずだ。
「不条理を正す政治の実現」と言いながら、菅首相自身が不条理を備えた存在となっている。野党時代の沖縄米軍海兵隊不要論を首相になると米軍撤退ではなく自身の発言を完全撤退させたことも不条理な政治行為と言える。
菅首相のこのような姿も日本はどうあるべきかの単なる解説者に過ぎず、改革者足り得ていないことを示している。
宮台「日本のGDPは世界で個人位当たり23位ぐらい。幸福度調査では日本のランクは75位から90位の間なんですね。日本の国よりも貧しい国は遥かあるのに、その国々の大半はむしろ日本よりも上なんですよ。と言うことはよき社会、あるいは社会にとって、よきことって言うのは単なる経済の問題でもなければ、犯罪の問題でもなくって、人間がリスペクト(尊敬)されるような生き方ができるかどうかということだと思うんです。
その辺についての価値を先ず発信していただいた上で、その価値から見たときに先ず僕たちの社会がどういう問題を抱えているかということははっきりとさせ、次にそういった問題を抱えてしまった経緯がどういうものであるかっていうことをはっきりさせて、その上で、じゃあ、それを巻き直すためにはね、処方箋はこういうものであるに違いないというふうにプレゼンテーションする中でね、その三つの柱、平成の開国、不条理の廃止、云々かんぬんというのにね、入っていくのであれば、非常に、えー、最小不幸社会って僕も使っていた言葉で、ちょっと言いにくい言葉なんだけどね、リチャード・ロウっていう、残酷の回避と言われているものと同じでね、何が良きことかについては色々な人の色々な価値観があるけれども、病気は厭だ、犯罪は厭だ、孤独は厭だ、寂しいのは厭だ、苦しいのは厭だっていうのは大体同じだろうっていうことからきた概念ですけどね、この辺の全体の最終目標の中に(三つの柱を)位置づけておくと――」
神保代表が宮台社会学者の言葉がいつまで経っても止まらないと見たのだろう、遮って、三つの柱にどんなものが入るのかと菅首相に聞く。
菅首相「私は昭和21年生まれですけど、ま、ある意味、この64年間ですね、割と前向きに生きることができる時代を、ま、団塊の世代としては走ってきたように思うんです。
ただ、最近ですね、やはり自殺が少し減りましたが3万人を超えている。あるいは孤独死が増えている。さらには家族とか地域のつながりがなくて、あの、結婚しない人が増えている。
つまり、居場所と出番がない人というのがですね、非常に増えてきている。これはやはり人間は人と人との関係の中で基本的には生きているわけですから、その関係性が断たれてですね、えー、孤独死しているというのは、私は非常に大きな不幸の要素だと思うんです。
ですから、ここの三つのことを掲げましたけども、一つの社会のあり方として、それぞれの人がですね、若者も、お年寄りもですね、自分の居場所があると、自分の出番があると、実は私は89歳の母親と住んでるんですが、あの、家で何もしていないとですね、何となく機嫌が悪いんです。
で、この暮れにですね、あの、国会の近くに私の家内が散歩に連れて行ったらですね、あの、銀杏の実が落ちていたんですね。それ以来毎日ですね、散歩に出て、銀杏の実を取ってきてですね、そして、こう洗ってですね、ま、これでお正月はこれで食べられるね、と。
ですから、それぞれの人にとっての居場所と出番ということが、このつくられている、その存在している社会というのは、私は非所に重要じゃないかと思っているんです」
改革者ではなく、解説者としての面目躍如の発言となっている。菅首相がここで言った「居場所と出番」とは各個人のそれぞれの人生のそれぞれの途上に於ける社会と関わった立ち位置のことで、それを母親が銀杏の実を拾いにいくといったごく個人的な時間潰しを例に挙げて説明する判断能力は一国の首相にふさわしくなく素晴らしい。
例えば男女とも結婚を保証可能としてくれる職業と収入を確保して、20歳から30歳、遅くても40歳までに結婚して社会と関わっていく立ち位置を得て初めて、社会の生きものとしての「居場所と出番」に恵まれたと言える。だが、そういった社会となっていない。
だから自殺や孤独死、未婚者の例を挙げたのだろうが、こういったことと一切関係のない母親の例を挙げて説明する判断能力からすると、社会現象を単に表面的に把えて表面的に解説しているに過ぎない。いわば解説者の役目を演じているに過ぎないということになる。
大体が年間自殺者3万人超は13年連続である。野党時代、民主党は自殺対策を練り上げていただろうし、練り上げていなければならなかった。「民主党政策集2009」には民主党主導で2006年に自殺対策基本法を成立させた、「今後も国と自治体一体で自殺予防対策推進を取り組んでいきます」などと書いてある。
だが、昨年9月に「自殺対策タスクフォース」を設置、自殺者数の減少を目指して啓発活動などを強化したものの、9月と10月は減少したが、11月には再び増加に転じ、年明け早々に新たに「自殺対策プロジェクトチーム(PT)」を民主党内に設置、明後日の1月12日に初会合の予定、3月頃を目途に対策強化の提言をまとめて政府に働きかけると今後の課題としていることからすると、政策構築の助走期間だった野党時代は何をして過ごしたていたのだろうか。単に対策ばかり立てる対策の屋上屋を架しているようにさえ見える。
自民党政権最後の首相麻生太郎が学生主催イベント「ちょっと聞いていい会」に出席、学生の「結婚資金が確保できない若者が多く、結婚の遅れが少子化につながっているのではないか」の質問に、 「金がないのに結婚はしない方がいい。オレは金がない方ではなかったが、43で結婚した。稼ぎが全然なくて(結婚相手として)尊敬の対象になるかというと、なかなか難しい感じがする」と答えて物議を醸したのは2009年8月23日自民党歴史的大敗の総選挙約1週間前である。民主党も政権交代につなげるために散々に批判した。
その当時派遣で食いつなぐのがやっとで、結婚資金を蓄えることができずに結婚を諦める者の存在が話題となっていた。以前ブログに取り上げ、この記事の最後にそのブログ題名を記しておくが、年収と結婚率の関係は以下の通りとなっている。
年収を加えた結婚率は、20歳~24歳男性年収150~199万円が7%に対して年収900万~999万は62%。
25歳~29歳男性年収150~199万円が17.47%に対して年収900万~999万は42.3%。
30~34歳になると年収150~199万円でも約倍近い34.0%となるが、対して30~34歳・年収900万~999万は65.1%。(以上)「しんぶん赤旗」から) |
如何に収入と結婚が関係しているかが分かる。当然、菅首相が言う、自殺や孤独死、未婚等を決定づける社会的な立ち位置としての「居場所と出番」の不在は全部が全部でないにしても、それでも深く収入の問題が関与していると言える。
宮台氏は日本の幸福度が低いのは、「経済の問題でもなければ、犯罪の問題でもなくって、人間がリスペクト(尊敬)されるような生き方ができるかどうか」だと言っているが、日本人の幸福度が低いのは国としては経済大国だとしても、その経済が多くの国民の個人的経済につながっていない、個人の経済の問題=収入が決定している幸福度の低さであり、不幸度の高さであろう。
「人間がリスペクト(尊敬)される」にしても、それなりの職業・収入(=経済)と結婚の二つを通して社会的に「居場所と出番」を確保する、即ち社会的立ち位置の獲得がなければ困難な姿となる。
となれば、自殺も孤独死も未婚も、それらの問題は経済大国を形成している企業や富裕層の経済・利潤が国民一人ひとりの経済(=収入)に配分される社会の形成、あるいはそういった社会の形成につながる景気回復策に帰結させるべきであって、それらを単に並べ立てて、「居場所と出番」が必要だと言うだけでは、単なる解説で終わるだけのことで、何ら解決策となる改革に向かわない。
勿論経済の問題ではない自殺や孤独死、未婚は存在するが、それらの問題は個々に扱うしかないだろう。
以上、菅首相の発言が改革者としての発言ではなく、解説者の発言に如何に終始していたかを取り上げた。
参考までに――
《麻生の「カネがねえなら、結婚しない方がいい」発言に見る“若者理解度” - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》
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