言葉は便利である。自身の利害損得に添わせるべく、如何ようにも駆使できる。だが、その駆使次第で様々に人間が現れる。
昨日の参院予算委員会質疑で世間一般が退陣すると受け止めた時期として菅仮免が言及した「一定のメド」とはいつのことかと野党は追及に躍起となり、菅仮免は「退陣」という言葉を一切使わずに鳩山首相と取り交わした確認書に書いてあることと民主党代議士会で発言したことに尽きると答弁に終始、決して言質を与えまいとした。
昨6月3日の閣議の発言。《首相 代議士会の発言がすべて》(NHK/2011年6月3日 19時21分)
菅仮免「鳩山前総理大臣との間で交わした確認文書と党の代議士会での発言がすべてで、それに尽きる」
野党としては菅・鳩山確認書に書いてあり、鳩山前(前首相のことだが、首相の文字をつけるのは勿体無いから、「前(ぜん)」とだけした)が代議士会で確認の経緯と内容を説明した、二次補正予算案成立前の編成のメドのついた段階――いわば6月一杯の辞任が退陣時期だとした。
確かに確認書が二次補正予算案成立前の編成のメドのついた段階での辞任を記したものであるなら、そのとおりとしなければならないが、「辞任」なる文字はどこにも書いてなことからも分かるように、少なくとも直接的にその時期での辞任を謳っているわけではない。
この曖昧さを利用したのだろう、先ず最初に岡田幹事長が代議士会閉会後のインタビューでその段階での辞任ではないと否定し、菅仮免が3日の参院予算委員会で「私の認識は岡田幹事長と同じだ」(ロイター)と言って、否定の同調で以て否定している。
《岡田幹事長 合意は条件でない》(NHK/2011年6月2日 19時53分)
岡田幹事長「(退陣時期は)復興にめどがついたらだ。菅総理大臣と鳩山前総理大臣との合意文書は、そのことが大事だと書いてあるだけで、それが終わったら辞めるという条件ではない」
要するに確認書に書いてあった「第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」は退陣時期ではなく、「そのことが大事だ」と、確認という言葉が意味するとおりの“確認”の取り交わしに過ぎない、「復興にめどがついたら」が退陣時期だとしている。
だが、ここに矛盾がある。代議士会終了後の夜の首相官邸での記者会見で菅仮免は次のように発言している。
菅仮免「工程表で言いますとステップ2が完了して、放射性物質が、放出がほぼなくなり、冷温停止という状態になる。そのことが私はこの原子力事故のまさに一定のメドだとこのように思っております」
「ステップ2」の完了は来年の1月を目標としている。その完了を退陣時期だとした。
とすると、「第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」で終わらずに、成立及び効果的な執行までをスケジュールとしなければならない。すべてが「大事」となる。それを「第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」のみの記載で終わらせていることに矛盾が生じる。
一定の区切りとする意味から、「大震災の復興並びに被災者の救済に責任を持つこと」の中に「〈1〉復興基本法案の成立」と「〈2〉第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」を重点項目として確認書で取上げたはずだ。
いわば常識的な解釈としてはそこまでですよを「一定の区切り」とした「第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」となるが、喫緊の課題として取上げた初期的な「一定の区切り」であって、その先に国会成立と執行は勿論視野に入れていたと逃げることはできる。
菅仮免の代議士会の進退に言及した発言を二つの記事から引用してみる。
《首相発言要旨―民主代議士会》(asahi.com2011年6月2日12時46分)
菅仮免「震災への取り組みに一定のメドがついた段階で、私がやるべき一定の役割が果たせた段階で、若い世代に責任を引き継いでもらいたい。一定のメドがつくまで責任を果たさせてもらいたい。そのためにも、不信任案を一致団結して否決し、自民党に政権が移ることのない道筋を歩み、一定のメドがついた段階で若い世代への引き継ぎも果たしてほしい。国民が政権交代で期待したこと、被災地のみなさんの望んでいることにつながると思う」
《民主党代議士会:菅首相と鳩山前首相の発言要旨》(毎日jp/2011年6月2日 20時30分)
菅仮免「私には地位にしがみつくために発言、行動しているとの厳しい批判もあるが、首相という極めて重い立場の責任を、議員や内閣メンバーと一緒にどこまで果たせるかを考えてきたつもりだ。
震災復旧・復興、原発事故の収束に一定のめどがつき、やるべき役割を果たせた段階で、若い世代にいろいろな責任を引き継ぎたい。私には(四国八十八カ所巡礼の)五十三番札所から八十八番札所までお遍路を続ける約束も残っている。
責任を持った民主党として若い世代が国民の理解を築き上げることが、政権交代の時に国民が期待し、被災地の皆さんが望むことにつながる。しかし、一定のめどがつくまで私にその責任を果たさせてほしい。不信任案を一致団結して否決するようお願いする」――
言葉は違えても、両記事とも同じ発言を扱ったのだから、趣旨は「一定の役割が果たせた段階」で「若い世代に責任を引き継ぐ」。その段階とは、「第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」を飛び越えて、「震災復旧・復興、原発事故の収束に一定のめどがついた段階」だとしている。
これだと本人の主観が大きく影響する段階ということになり、首相官邸で具体的な退陣時期として発言した「ステップ2」完了時よりも後退している感があるが、岡田幹事長が「(退陣時期は)復興にめどがついたらだ。菅総理大臣と鳩山前総理大臣との合意文書は、そのことが大事だと書いてあるだけで、それが終わったら辞めるという条件ではない」と言っているように時期についての解釈に齟齬はあるものの、確認書が菅仮免の退陣に触れた取り交わしであることに違いはない。
このことは確認文書の作成に関与したことを明らかにした北沢防衛相の訪問先のシンガポールでの発言が真っ向から証明している。《北沢防衛相:菅首相と鳩山氏の確認文書は「辞任前提」》(毎日jp/2011年6月3日 22時43分)
北沢「首相の辞任を前提に作り上げた。首相が鳩山氏と再会談し、真意を確認すべきだ」
だが、この証明は岡田幹事長が言っている、確認書に記載された「第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」が「終わったら辞めるという条件ではない」としていることを必ずしも否定するものではない。退陣時期の条件をどこに置いたかの解釈次第となるからだ。
だとしても、確認書の「大震災の復興並びに被災者の救済に責任を持つこと」の項目(=責任事項)の中に「〈1〉復興基本法案の成立」と「〈2〉第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」の二項のみの記載があるのみで、このことを超えた責任事項は一切記載されていない。
いわばこのニ項のみこそが菅仮免が言う「一定のメド」でなければならないはずだが、この二項にとどめずに「一定のメド」をさらに先に置いている。
昨6月3日の参院予算委員会での小野みんなの党議員と菅仮免の質疑応答を取上げてみる。
小野議員「あなたが昨日条件をつけて退陣の意向を言ったのは、その約束自体が無効じゃないんですか。出世払い、僕偉くなったらお金返すと言っているのと同じなんですよ。そう思いませんか」
要するに当てにならない約束をしているということだろ。
菅仮免「あの、そんなに特別なことを言っているわけではなくて、えー、例えば衆議院の、オ、任期はまだ2年あります。えー、代表の任期も(「オイオイ」のヤジ)、いやいや、衆議院の任期は一般的に言って、2年あります。また、民主党の代表、おー、選は、昨年の9月に行われましたので、一般的に言えば、来年の9月まではあります。
えー、私が申し上げたのは、あー、そういったことを申し上げたのでは勿論なくて、その大震災に於いてですね、今一生懸命、えー、復旧から、復興に向けて頑張ってる。あるいはこれに、えー、原発事故についても、収束に向かって、工程表に添って、えー、頑張ってる。
えー、そういうものが一定の、おー、ま、メドがついた段階で、えー、若い世代に、エ、責任を、おー、移って貰いたいと申し上げたわけでありまして、決してですね、何か、こう、おー、全くこの、おー、何て言いましょうか、あー、判断、あ、基準がなく申し上げたのではなくて、えー、私は政治家として、公のみなさんの、オ、前で言ったことについては、まさに、国民としてと言うか、言いましょうか、一政治家として、きちんと、その自分が言ったことに対して、責任を持って行動したいと思います」
退陣の「一定のメド」とは2年後の衆議院任期のことを言っているわけでも、来年9月の民主党代表の任期を言っているわけではない、それ以前の震災の復旧・復興と原発事故収束の一定のメドがついた段階で、それが判断基準だと言っている。
首相官邸記者会見で「ステップ2」完了後としていたことから明らかに後退しているばかりか、確認書が触れている責任事項を超えて、「震災からの復旧・復興」と「原発事故の収束」の二項を加えている。
例え解釈の違いは百歩譲って認めるとしても、確認書は他に立会人がいたとしても、最終的な判断は鳩山前との取り決めによって成立した契約であり、一方の当事者を省いた場合の新たな取り決めは有効な契約事項となり得ないはずだが、「震災からの復旧・復興」と「原発事故の収束」の二項は菅仮免の判断のみで取り決め、加えた契約事項となっている。
このことは確認書のどこにも記載されていないことが証明している。
これを以て有効な確認事項とすることができるだろうか。
だが、菅仮免は「震災からの復旧・復興」と「原発事故の収束」の二項を一方の確認の当事者のいないところで個人的に勝手に加えて、それを「一定のメド」と決め、「一政治家として、きちんと、その自分が言ったことに対して、責任を持って行動したいと思います」と言っている。
譬えるなら、既存の契約書を書き換える偽造をして、自分はこう言ったのだ、「その自分が言ったことに対して、責任を持って行動したいと思います」と言っているのと同じで、ウソを真(まこと)とする盗人猛々しさがここにある。
浮気していながら、「僕は決して浮気はしない。君を一生大事にする。自分が言ったことには責任を持つ」と言うのと同じ盗人猛々しさであろう。
鳩山前と確認書で取り交わしたあるべき解釈を勝手に違えて、それを自らの責任だとする誤魔化しに菅仮免の人間が真性如実に現れている。
上記挙げた《首相 代議士会の発言がすべて》(NHK/2011年6月3日 19時21分)が菅仮免の退陣時期についての与謝野肇の発言を取上げている。
与謝野「総理大臣という権力の座にある方が、自分の職責を果たすために職にとどまろうと努力することは当たり前のことだ。菅内閣がずっと続くことを前提に仕事をしたい」
権力にしがみつくのは当たり前だと言っている。大いに結構なことだが、ではエジプトの独裁者だったムバラク前大統領についても同じことが言えるだろうか。
ムバラクは権力にしがみつこうとしたが果たし得ず、エジプト民衆によって権力の座から追われた。その政治性、指導性、統治能力等々を問題とすべきだが、一切考慮せずに、ただ単に職にとどまろうとする意志のみを以って、それが権力者だとあまりにも単純な権力者像を是としている。
与謝野の人間が現れている、節度も矜持も責任感もなく自身の発言を変え、一貫性のない身の処し方をしている与謝野らしい菅仮免擁護論であり、単純な権力者像論としか言いようがない。 |