菅仮免の6月29日夜の3軒の飲食店はしごは避難所の被災者に対する無節操

2011-06-30 11:49:28 | Weblog



 一紙は6月29日深夜付で、残る4紙は6月30日早朝付で、菅仮免が一晩で3軒の料理店、もしくは飲食店を次々と飲み、食べ歩いたことを「はしご」と形容して伝えている。そのうち一紙はご丁寧にも昼間の外食まで付け加えて、4軒だとしている。

 《すし→焼き肉→イタリアン 首相、一夜で3軒はしご》asahi.com/2011年6月30日2時7分)

 記事は、〈この日の昼食は中華料理店。〉と伝えているが、合計して4軒とはしていない。

 最初に秘書官らと東京・赤坂のすし屋。次に国家戦略室スタッフらと六本木の焼き肉店。3軒目がイタリアンレストランで伸子夫人らと合流。

 これだけ書いたのでは記事の体裁が不足すると考えたのか、〈震災後、「外食」は5月3日まで自粛していたが、6月2日の辞任表明後は目立って増えている。〉として、国会の会期延長が決まった6月22日夜の2軒のはしご、6月28日の細野豪志原発担当相らとの会食まで伝えている。

 《首相、ホッと一息? 3軒「はしご酒」》MSN産経/2011.6.30 00:59)

 記事は、〈民主党両院議員総会を乗り切った安堵感もあり、飲食店3軒を「はしご酒」した。〉と、安堵感も手伝った「はしご酒」だとしている。

 そして「asahi.com」記事同様に会食先を伝えている。但し、2番目の焼き肉店では、〈焼き肉に舌鼓を打った。〉と、さも見てきたような講釈師並みの想像力をまわしたのか、会食相手の国家戦略室スタッフの誰かに直接インタビューして確かめたのか分からないが、うまそうに焼肉を頬張り、堪能したかのように描写している。

 尤も菅仮免が満面を崩して得意笑いしていただろうことは誰もが想像つく。

 《菅首相:飲食店3軒はしご》毎日jp/2011年6月30日 0時3分)

 上記2記事が最後のイタリアンレストランの会食相手を「伸子夫人ら」としていたが、この記事では意外な人物が会食に加わっていたことが分かる。桜井勝延・福島県南相馬市長。

 記事は単に名前だけ挙げているのみで、何の論評も付け加えていないが、政府が行った福島原発事故放射能からの避難方法の手際の悪さを散々批判し、米タイム誌の2011年「世界で最も影響力のある100人」に選ばれのちの東京・日本外国特派員協会での講演で、「まったくメッセージ力がなく、世界に何も発信できていない」(日刊スポーツ)と菅仮免を、その存在意義を徹底的に打ちのめさんばかりに批判していた桜井勝延福島県南相馬市長だったとは驚きも驚きである。

 イタリア料理とワインか何かのアルコールと調子のいいヨイショの二つや三つで、「ファイト、一発!!」篭絡されたのだろうか。

 普通の常識なら、こうまで批判した相手に食事を誘われても、結構毛だらけネコ灰だらけで断るものだが、政治家の常識は普通の常識から外れているのかもしれない。

 何か要望があるなら、首相官邸に直接乗り込んで伝えれば済むことである。首相官邸には各マスコミの総理番記者が朝早くから張り込んでいて、今日の訪問客は誰かと待ち構え、見つけ次第どんな用事で来たのか取っ捕まえにかかって、帰るときもどんなことを話したのかタダでは帰さないそうだから、自分から進んで総理番の網に引っかかって、どんな用事で来た、何を要望した、首相はよく分かりましたと言っていたから、早急に対応して貰えると思うと喋って記事にでもなれば、それが担保となっていやでも相手は対応せざるを得なくなる。

 もし不満足な対応なら、また記者の前で批判すればいい。

 記事は最後に解説している。〈首相は28日夜も側近の荒井聡前国家戦略担当相らと会食しており、冷ややかな空気に包まれた28日の民主党両院議員総会を乗り切った解放感を、会食で共有したかったようだ。〉――

 《菅首相、すし→焼き肉→イタ飯と3軒はしご》YOMIURI ONLINE/2011年6月30日01時11分)

 この記事はいきなり解説から入っている。〈一晩に3軒も訪れたのは昨年12月以来で、閣僚人事や民主党両院議員総会といった難しい局面を乗り切った安堵感を漂わせた。〉

 最初のすし店での会食相手に寺田学民主党衆院議員の名前が出てくる。2番目の“はしご”先の六本木の焼き肉店は阿久津幸彦内閣府政務官の会合で、そこに出席したとなっている。

 そして3軒目の“はしご”先のイタリア料理店は「毎日jp」同様に伸子夫人と桜井勝延南相馬市長。〈1時間余り過ごした。〉と書いてある。

 記事は最後に、〈帰りがけに、記者団から質問された首相は「昔からの知り合いだ」と上機嫌で語った。〉と締め括っているが、勿論この「昔からの知り合い」は桜井南相馬市長のことだろう。

 「昔からの知り合い」に「メッセージ力がない」だ、「世界に何も発信できていない」だと、事実も事実の事実をぐっさっと胸に突き刺されて、尤も本人は鈍感だから事実ではないと思っているのだろうが、桜井市長がそう発信した事実は事実として既に記録に刻まれていることに対してカエルの面にショウベンの如くに何とも思わないのだろうか。
 
 それともすっかり和解して、その理由の一つが「昔からの知り合い」だったということなのだろうか。

 仲違いはその気になれば修復して和解は可能だが、「メッセージ力がない」は1980年の衆院選初当選以来30年も政治家していてのことなのだから、その気になったとしても、修復不可能に近いはずだ。

 いわば何杯か飲んで「昔からの知り合いだ」と仲直りできたとしても、上機嫌になどなっていられない。それでよしとするのは、その程度と言ってしまえばそれまでだが、一国の首相でありながら、狭い世界に満足することになる。

 《首相、深夜まで3軒はしご 昼とあわせ4軒》日経新聞電子版/2011/6/29 23:45)

 昼間の中国料理店の会食相手に枝野幸男官房長官と蓮舫首相補佐官の名前を挙げている。

 そして締め括り。〈1日で4軒の外食は首相就任後初めて。自らの発言や人事を引き金に国会が空転するなか、周辺も「完全にふっきれている」と半ばあきれている。〉――

 国会が空転状況下にあるというのに完全に吹っ切れるというのはどういうことなのだろう。自身の無能・無力を心底から悟って、政治を投げ出したという心境にならなければ、吹っ切れることはできない。

 首相周辺がそう把え、事実そのとおりなら、とっとと辞めるべきだろう。

 このような“はしご”はただ飲み歩いている、ただ食べ歩いているのではなく、仕事を兼ねている、政治家が好きな口実で言うと、情報交換しているということになるのだろうが、しかし被災地では菅内閣の対応遅れから、未だ多くの被災者が避難所で不自由で困難な生活を強いられているのである。

 中には冷房も効かず、窓を開けるとハエや蚊が入ってくるからと、早急に網戸の取り付けを準備中だとか、窓を閉め切った状態で扇風機で暑さを凌いでいるとかのニュースが未だ跡を絶たない。

 体育館等は一般家庭の窓の大きさと違って、既製品では間に合わないのだろう。特注品で新たに拵えなければならない上に何箇所もある避難所の窓をすべて網戸を設置することを考えるから、時間がかかる。網戸の網そのものを窓の外に貼り付けて応急処置とすれば、短時間で処理することができる。

 網だけなら、いくらでも好きなサイズに切り分けることができるし、窓が大き過ぎて規定のサイズでは足りない場合は、2枚合わせにして、張り合わせ部分を糊付けすれば、ほぼ完璧な1枚とすることができる。

 また、扇風機では猛暑を満足のいく状態で凌ぐことは不可能に近い。特に高齢者にとって辛い夏になることは間違いないだろう。不自由の上に不自由を強いていることになっている。

 このような不自由な生活の多くが菅政治が加害した被害としてある不自由として強いられているはずだ。

 財源は国持ちで、仮設住宅建設と避難所の生活保護は自治体の責任ではあっても、大枠のところで国民の生命・財産を守るのは国の政治の務めである。多くの被災自治体が人手不足に陥っていることも考慮して国が進んで乗り込んで、被災者が可能な限り快適に過ごせるように生活保護に務めるべきを、現状は不自由を超えて苦しめている。

 また仮設住宅建設の遅れそのものも国の責任が大分関わっているはずである。

 昨29日のNHKニュースで、東北大学病院が震災直後の1か月間に受け入れた心不全患者は30人近くに上り、震災直前の1か月の3倍以上に上っていること、震災後の3日月間では合計で40人近くになるとか伝えていた。

 東北大学病院だけでこれだけの人数である。他の病院を含めたならら、相当な人数に上るに違いない。

 まさに菅政治が加害者となった被害があちこちに及んでいる。すべてが政治の責任を満足に果たしていないことから起きている加害であり、被害のはずである。

 一時期、社会現象となった買い控え、愉しみ控えの“自粛”は多くの国民が被災者の生半可ではない生活上の困窮や精神的な心痛を思い遣って、その苦労を少しでも我が身に振り替えて理解するために愉しみ事を慎む感情共有行為であったはずだが、過度の自粛は経済に影響して却って被災県の復興の足を引っ張ることになるとする首相の呼びかけもあって、そのような自粛は徐々に控えるようになってきている。

 だとしても、菅首相はいくら仕事を兼ねた飲み食いではあっても、満足に政治の責任を果たしていないことが原因となって被災者に不自由の被害を強いている加害者として、政治の最大の責任者でもあるのだから、少なくとも被災者が一人残らず仮設住宅に移って人並みの生活ができるようになるまで、外で飲んだり食ったりの堪能は自粛する思い遣りを被災者に示し、少しでも被災者と同じ立場に立とうとすべきではないだろうか。

 首相公邸でもデリバリーで料理を注文、仕事を兼ねた飲み食いはできだろうし、それなりの堪能を得ることはできる。

 責任意識を十二分に備えた一国のリーダーなら、自身の責任遂行能力の至らなさを考えてそうするに違いない。

 だが、実行動はそうはなっていない。避難所の被災者に対する無節操としか言いようがない飲み食いの“はしご”にしか見えない。
 
 参考までに――

 《菅内閣が言う自粛云々よりも肝心なこと、仮設住宅の充足 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》




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