野田記者会見「政治が試されている」ことに気づかない「国民性が再び試されている」の妄言

2012-03-12 08:29:20 | Weblog

 昨3月12日(2012年)、我が日本の野田首相が震災から1年を迎えて午後5時から記者会見を開いた。目立った進捗を図ることができていない瓦礫処理について次のように発言している。

 野田首相がれき広域処理は、国は一歩も二歩も前に出ていかなければなりません。震災時に助け合った日本人の気高い精神を世界が称賛をいたしました。日本人の国民性が再び試されていると思います。がれき広域処理は、その象徴的な課題であります。

 既に表明済みの受入れ自治体への支援策、すなわち処分場での放射能の測定、処分場の建設、拡充費用の支援に加えまして、新たに3つの取組みを進めたいと思います」

 続けてその具体策として3方策を挙げている。

 野田首相「まず、第1は、法律に基づき都道府県に被災地のがれき受入れを文書で正式に要請するとともに、受入れ基準や処理方法を定めることであります。

 2つ目は、がれきを焼却したり、原材料として活用できる民間企業、例えばセメントや製紙などでありますが、こうした企業に対して協力拡大を要請してまいります。

 第3に、今週、関係閣僚会議を設置し、政府一丸となって取り組む体制を整備したいと考えております」

 この「法律に基づき」の「法律」とは「フジテレビ」の記者から、「新たな法律の整備を伴うのか、それとも従来の特措法の下でやるのか」と問われて、「昨年の8月に作られた、これは与野党で合意をしました災害廃棄物処理特別措置法。これに基づいてということでございます」と説明している。

 だったら、冒頭発言で最初に言えよと言いたくなるが、「災害廃棄物処理特別措置法」の正式名は「東日本大震災により生じた災害廃棄物の処理に関する特別措置法」である。昨年の8月18日(2012年)に成立、即日公布・施行された。

 野田首相は「震災時に助け合った日本人の気高い精神」、その「日本人の国民性」は世界から称賛を受けたと日本国家のリーダーとしても讃えた上で、瓦礫処理を協力して滞りなく処理できるかの点で、「日本人の国民性が再び試されている」と警告を発している。

 いわば瓦礫処理が復興加速の障害となっていて、復興がその除去にかかってもいるのだから、「日本人の気高い精神」を再び遺憾なく発揮して、世界から再度の称賛を受けるような瓦礫処理の実績を見せて欲しいと要請した。

 当然、「がれき広域処理」「日本人の国民性」を試す「象徴的な課題」だと位置づけることになる。

 野田首相は天秤にかけるような具合で、「日本人の国民性」持ち出したのだから、如何に瓦礫処理に重点を置いた姿勢でいるかが分かる。

 だが、「がれき広域処理は、国は一歩も二歩も前に出ていかなければなりません」と言っている以上、「日本人の国民性が再び試されている」にしても、国が前に出ることにかかっていることになる。

 その「一歩も二歩も前に」の一つが「法律に基づき都道府県に被災地のがれき受入れを文書で正式に要請する」ことということになる。

 既に触れたように、「東日本大震災により生じた災害廃棄物の処理に関する特別措置法」が成立し、即日公布・施行されたのは昨年の8月18日。それから約7カ月も経過してから、「国は一歩も二歩も前に出ていかなければなりません」と今後の取り掛かり・着手としている。

 放射能汚染に関しては除染の停滞如何が、瓦礫に関してはその処理の停滞如何が復興の障害となること、なっていることは早い段階から既に分かっていたことである。当然震災から1年も経過した現時点に於いては国は除染に関しても瓦礫処理に関しても三歩も四歩も前に出ていなければならなかったはずだ。

 だが、そういった状況にはなっていない、「一歩も二歩も前に出てい」ない停滞した状況であることを野田首相は意図せずに語るに落ちる形で暴露した。

 野田首相のもと、日本の政治が満足に機能していなかったことを示す。

 野田首相自身は「日本人の国民性が再び試されている」と警告はしているが、実質的には日本の政治が試されていることになる。

 2009年9月の政権交代以降、民主党による日本の政治は内外から試されてきた。2011年3月11日に東日本大震災が起き、東電福島第1原発が事故を起こしてからは、双方処理・収束に関しても日本の政治は内外から試されることとなった。

 いわば、「日本人の国民性」が試される以上に日本の政治が試されていたのである。

 被災地の住民の不屈の精神、精神の強靭さ、向上心は確かに国際的に称賛を受けた。だが、日本の政治が一度でも称賛を受けただろうか。

 野田首相の記者会見冒頭発言にはその自覚も認識もない。自覚も認識もないから、復旧・復興に関して様々な停滞や不手際を演じることになり、その尾を今も引きずることになっている。

 2011年11月14日当ブログ記事――《細野環境相が言う「贖罪」とはパフォーマンスでしかない除染ボランティアをすることではない - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた一文を再度掲載してみる。

 細野環境相が昨年の11月13日午前(2011年)、福島県伊達市でボランティア約60人と一緒になって民家の庭先表土削除の除染ボランティアを行った。

 細野環境相「地区のみなさんに迷惑、心配かけているので贖罪の意識も込めて作業した」

 〈東日本大震災の復旧・復興に関わっている政府の「贖罪」は除染ボランティアすることではあるまい。

 政府が復旧・復興対策に遅れを見せていた以上、政府が贖罪とすべきことは1日でも早い実効性を伴った復旧・復興の推進であり、その完了であるはずである。

 環境省の関わりについて言うと、解決を必要とする懸案は先ず第一に震災によって生じた瓦礫の一刻も早いスムーズな処理であり、除染で生じる汚染土の処理であるはずである。〉

 各マスコミが既に被災地以外の自治体の瓦礫処理受入れが難航していることを伝えていた。

 〈細野環境相が瓦礫の広域処理受け入れ先難航の記事から読み取るべき決定事項は既に触れたようにやはり除染ボランティアなどではなく、環境省の広報任せ・通達任せにするのではなく、また自治体の住民の反発を恐れた及び腰任せにするのではなく、環境相自らが前面に立つ形で全国の自治体を回り、頭を下げて住民に前以て国の責任で放射能除染を確実に行うゆえに放射能をばらまくようなことないと説明してまわる全国行脚であろう。

 今何が必要されているかの意味に於いて細野環境相の一時の除染ボランティアはパフォーマンスに過ぎない。〉

 最近になって細野環境相は自治体を回って瓦礫処理受入れを要請するようになった。だが、具体的姿を満足に伴わずにいる。そこで野田首相の「がれき広域処理は、国は一歩も二歩も前に出ていかなければなりません」の発言になったのだろう。

 以上の経緯にしても、日本の政治が試されていたのである。だが、十分に応えることができないままに時間だけを費やしてきた。被災地の苛立ちは尤もである。

 日本の政治が常に試されていることに気づかずに「日本人の国民性が再び試されている」などと言うのは野田首相のピント外れの愚かしい妄言に過ぎないということである。

 このピント外れの愚かしい妄言は次の冒頭発言についても言うことができる。

 野田首相「日本は災害多発列島です。大震災で得た知見と教訓を踏まえ、全国的な災害対策の見直し強化を早急に進めていきたいと考えております

 各自治体の復旧・復興の経験から得た「知見と教訓」、東電の原発事故安定化の経験から得た「知見と教訓」は確かに今後の「災害対策の見直し強化」に役立つだろう。

 政府にしても少しは役に立つ「知見と教訓」を得たことは否定できないかもしれない。

 だが、政府の「原子力災害対策本部」議事録が未作成で、今回公表された議事概要では政府の初期対応に関わる意思決定のプロセスは正確には検証不可能で、検証不可能である以上、政府トップの関与をどのように「知見と教訓を踏まえ」ることができるというのだろうか。

 民間事故調、その他の調査によって反面教師にしかならないのは分かっているものの、具体的にどの点がどのように反面教師となるのかは詳細な議事録がないために汲み取ることすらできないだろう。

 「知見と教訓」とするためには詳細に議事録を作成すべきだった。

 かくこのように常に日本の政治は試されていたのだが、その試練に応えることができなかった。野田首相に日本の政治こそが試されているのだという確たる自覚・認識を持ち得なかったなら、復興を日本再生の歴史的な使命だといくら位置づけようとも、今後の復旧・復興の政府に対する期待は今まで通りに大して持ちようがないのではないだろうか。

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