野田首相「社会保障と税の一体改革」で「政治生命をかけ、命をかけて」等々の大袈裟な言葉はいらない

2012-03-25 09:01:12 | Weblog

 昨3月24日(2012年)、野田首相が「日本アカデメイア」(事務局・日本生産性本部)の第1回交流会で講演を行った。

 どちらかと言うと、政治家でありながら、実行の人であるよりも演説の人、言葉の人だから、講演となると独壇場とばかりに高揚感を持って臨んだ荷違いない。

 「日本アカデメイア」とは、《リーダー育成へ提言 「日本アカデメイア」発足》日経電子版/2012/2/19 19:23)によると、2月19日(2012年)発足、〈尾治朗ウシオ電機会長、緒方貞子国際協力機構理事長、古賀伸明連合会長、佐々木毅学習院大教授らが呼びかけ、企業経営者や学者ら約70人が参加。今後3年間で集中的に活動し、次世代のリーダー育成などの成果を目指す。日本の課題解決への提言のほか、国会議員や官僚、各界との交流の場を設ける。〉と紹介している。

 〈次世代のリーダー育成などの成果を目指す〉とする使命を裏返すと、リーダーらしきリーダーが目につかないから、学習塾的にリーダーを育てようと思い立ったということであろう。

 政治や経営の場、その他で自ら学び闘い、優れたリーダーとしての素養と能力を自ら獲ち取っていく者が次々と輩出する日本の人材環境であったなら、何も学者連中や各界識者が次世代のリーダーを育成しますなどとお節介を焼かなくても済むはずだ。

 要するに現世代に於いて優れたリーダーの輩出に困らなければ、そのような優れた人材が育つ環境を日本は有していることになり、次世代のリーダーを心配する必要は生じない。

 だが、次世代のリーダーを心配しなければならない現世代のお粗末なリーダー状況にある。

 これは日本アカデメイアだけの感想ではあるまい。その一人でもあるはずの野田首相が19日発足懇親会で挨拶に立った。

 野田首相「3年と言わずやりましょう。緊張感と危機感と大きな志をもってことにあたりたい」

 日本のお粗末なリーダー状況に反して張り切った挨拶となっている。

 日本アカデメイアが今後3年間を集中的活動期間と定めているのに対して野田首相は3年を超える活動の必要性を訴えている。

 それだけ現世代に於いて優れたリーダーが払底している、荒涼とした状況にあるということであり、野田首相は意図せずにそのことを示唆したことになる。

 もし自身を優れたリーダーの一人と目していたなら、それが例外中の例外だと認識していない限り、日本は優れたリーダーが育つ環境を欠いていないことになり、「3年と言わずやりましょう」といった危機感を持つことはなかったろう。

 日本アカデメイアでの野田首相の講演内容をより詳しく知りたいと思って、そのHPの存在を調べたが、検索に引っかからなかった。事務局が日本生産性本部に置いてあるということだから、日本生産性本部のHPにアクセス、「日本アカデメイア」と打ち込んで検索したが、「該当データがありません」の反応。

 2月19日発足で、1カ月以上置いて3月24日が第1回交流会。だが、自らの情報伝達の場を未だ用意していない。

 今後共用意する予定がないとしたら、活動情報はマスコミ任せなのだろうか。だとしたら、自ら社会に広く知らしめる情報活動の放棄に当たり、その役目を欠いた者たちの次世代リーダーの育成は口では情報伝達の重要性を訴えたとしても、中途半端にならざるを得ないはずだ。

 「アカデメイア」という単語が何を意味するのか、「Wikipedia」で調べてみた。〈アカデメイアは、紀元前387年古代ギリシアのアテナイにプラトンが創設し、古代世界最大の名声を誇った学校(ギムナシウム)の一つである。〉

 〈アカデメイアの名は、学校の場所であるアテナイ郊外のアカデモスの聖林にちなむ。アカデメイアとは「快楽」の意味である。〉

 学問とは快楽であるいうことか。だが、簡単に手に入る即席の快楽は長続きも蓄積も効かない。獲得に苦痛と苦悶を経た学問こそ、その知は快楽となり得る。

 残念ながら、私自身はその辺りの境地にまで至っていない。即席の学問、底の浅い即席の快楽で終わっている。

 どういった野田首相の講演内容であっのたか、《首相“今国会成立に政治生命を”》NHK NEWS WEB/2012年3月24日 19時34分)から見てみる。

 当然取り上げることになる消費税増税法案について。

 野田首相「今年度内にこの法案を提出しなければ、国会の審議で与野党で向き合い『決勝』を行う前に、『準決勝敗退』であり、あってはならない。万万が一にも、ちゃぶ台返しをして後退させる議論はないと思う。

 ここで決断し、政治を前進させることができなければ、野田内閣の存在意義はない。不退転の決意で、政治生命をかけ、命をかけて、この国会中に成立させる意気込みで頑張っていく」

 TPP=環太平洋パートナーシップ協定について。

 野田首相「TPPはビートルズにたとえると、日本はポール・マッカートニーだ。ポールのいないビートルズはありえない。アメリカはジョン・レノンで、2人がきちっとハーモニーをしなければならない」

 演説の人となりとなっているから、驚きはしないが、TPPを説明するのにビートルズを持ち出し、日本をポール・マッカートニーに譬えて、アメリカををジョン・レノンに譬えて関心を引くところは流石である。アメリカと日本の2カ国による調和を持った連携・連帯の必要性を訴えたのだろう。

 ジョン・レノンとポール・マッカートニーのどちらがビートルズのリーダーだったのかインターネットを調べてみた。絶対的リーダーは存在しなかったが、ジョン・レノンがリーダー的存在だったとか、ジョン・レノンがリーダーだったといった記載が目立つ。

 野田首相は少なくともアメリカを上に位置づけ、日本をその下に置いた。いわば上下の関係の中で相互を不可欠の存在とし、上下の関係を保つ形でハーモニーある連携・連帯を必要とした。

 他の協定と同じようにTPPに於いても上下の関係を維持した結論を結果とすることになる。

 アメリカとの関係でハーモニーある連携・連帯を築き、ハーモニーある結論を得たとしても、日本のあるべきハーモニー(=あるべき国益)を侵害されたなら意味はない。

 そこにはどちらのハーモニーを優先させるべきかの判断を欠いている。

 要するにアメリカとのハーモニーに目を向けるよりも、日本社会のハーモニー、国益にこそ目を向けるべきであって、目の向けどころが間違っていると言わざるを得ない。

 ビートルズを持ち出すよりも、アメリカから日本のコメの関税完全撤廃を求められたとしても、日本のコメを救う方法があるとか、関税ゼロは受入れることはできないが、関税を半分に下げるところまでは日本のコメを救う方策があり、受入れることができるとかを講演内容lとすべきだったろう。

 国民もコメ農家もそういった言葉、そういった情報を求めていたはずだ。求めている言葉・情報が何かに気づかずに演説の人らしくビートルズを持ち出し、アメリカをジョン・レノンに擬え、日本をポール・マッカートニーに擬えて、とうしようもなく既成事実として存在するアメリカと日本との上下関係に敬意を評した。

 各界の識者が次世代リーダー育成を目的とした日本アカデメイア発足の衝動に駆られて、第1回交流会に漕ぎつけたのは無理はない。野田首相みたいな真のリーダーとは言えないリーダーが国のトップに居座っているからこその経緯であろう。

 但し第1回交流会で見当違いな発言しかできないことによって日本のトップリーダーではないことを図らずも曝してしまった野田首相を講演に招いたのは、単に日本の首相だから仕方なく設定したとしなければ理解ができないことになる。

 消費税増税法案に関して言うと、「『決勝』を行う前に、『準決勝敗退』」だとか、「ここで決断し、政治を前進させることができなければ、野田内閣の存在意義はない」とか、あるいは「政治生命をかけ、命をかけて」とか言う前に、消費税増税と社会保障制度改革を一体としている以上、社会保障制度改革が具体的にどういった内容の政策なのか、どのような成果を見込み、国民の生活向上にどのように役立つか、言葉を尽くすべきだろう。

 「ここで決断し、政治を前進させる」と言っているが、「決断」とは「決心して断行する」ことを言う。

 だが、決心するについては、断行する政策内容を前以てきっちりと固めて、説明可能としておかなければならない。

 政策内容を固めないままの断行というのはあり得ない。当然、「政治を前進させる」ことにはならないし、「政治生命をかけ、命をかけて」といった大上段の決意表明は思わせぶりとなる。

 野田内閣の「社会保障・税一体改革大綱」が完成していないのは社会保障と税の一体改革担当相である岡田福総理自身が「詳細な制度設計はこれからでございます」(3月6日(2012年)衆議院予算委員会)と国会答弁していることも裏付けていることであるし、大綱には検討や見直しの対象となっている項目が何十カ所もあることも証明している不完全体である。

 いわば野田首相は自身は安全運転を心がけると言いながら、欠陥のある新車を快適なドライブを約束しますと消費者に売りつけるようなことをしていることになり、そういった違反行為に「政治生命をかけ、命をかけて」と言っている。

 「政治生命をかけ、命をかけて」といった言葉はいらない。「『決勝』を行う前に、『準決勝敗退』」だとか、「ここで決断し、政治を前進させることができなければ、野田内閣の存在意義はない」いった言葉もいらない。

 野田内閣の「社会保障・税一体改革」がその具体像を固めないうちに先行して決めてしまった消費税増税の負担に見合う生活の質の向上と生活の安心を与え得る改革なのかどうかの理解できる言葉による説明の言葉こそ必要としている。

 だが、「若者からお年寄りまで安心出来る、『全世代対応型』の社会保障への転換」等々、口で「安心」を唱えるだけで、具体的にどう安心なのか言葉を尽くした説明は未だ行なっていない。

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