――野田首相が言う国家公務員新規採用削は「東日本大震災の痛みを国民皆で分かち合う」ことと関連するのだろうか――
若者の雇用状況を現在以上に困難とすることが「東日本大震災の痛みを国民皆で分かち合う」ことになるはずはない。鈍感な男だ。
野田首相が民主党主催の学生インターンシップに参加した大学生ら約30人と首相官邸で懇談。野田首相は学生の国家公務員新規採用削減に示した懸念に発言している。
その発言に取り掛かる前に先ず最初にこれまでの経緯を振り返ってみる。
当初、岡田福総理は「YOMIURI ONLINE」記事では2013年度国家公務員新規採用を2009年度上限(8511人)比で各府省全体で7割以上削減するよう指示を出したとなっている。
だが、各府省から猛反対に遭って5割超の削減ということになったと、《公務員採用削減「5割超」で決着へ 国交省など猛反発で方針転換》(MSN産経/2012.3.22 11:05)が伝えている。
〈政府は(3月)21日、平成25年度の国家公務員の新規採用を21年度比で各省庁への5~8割の削減要求を撤回し、平均5割超の削減を求める方針を固めた。〉
〈岡田克也副総理兼行革担当相は週明けから各閣僚と折衝し、月内に採用数を確定させる構えだが、省庁はなお抵抗しており難航が予想される。〉
記事はそもそもの発端を次のように解説している。
〈政府の行政改革実行本部(本部長・野田佳彦首相)は(3月)6日、25年度の新規採用数を21年度(8511人)比で37%減だった23年度(5333人)、26%減だった24年度(6336人)を「大幅に上回る削減」を決定。岡田氏は削減目標の大幅な上積みを指示し、総務省が各省庁に5~8割の削減を割り当てた。〉――
対して各府省の反応。
国土交通相等「業務に支障が出る」
小川法相「仕事の緊急度、人員の必要度を勘案した対応をしてほしい」
数値目標ありきでは困ると言っている。
労働関係からは。
南雲弘行連合事務局長「国家公務員制度がどうあるべきかの議論が先だ」
ただ数だけ減らせばいいってものではないとの反発。
国家公務員新規採用削減を思い立った動機については次のように解説している。
〈(平成)21年の衆院選マニフェスト(政権公約)に掲げた「国家公務員総人件費2割削減」に道筋を付けたい首相にとって23、24年度以上の削減は譲れない。消費税増税に向け、国民に「身を切る改革」の姿勢を示す上でも「5割超」の削減は確保することにした。〉――
議員定数削減や議員歳費削減の「身を切る改革」を成し遂げないままの国家公務員新規採用削減は就職を目指す若者を改革の生贄にする他力本願の“身の切り方”に過ぎない。
また、新規採用削減はマニフェストに掲げた「国家公務員総人件費2割削減」に道筋を付けるためだとするなら、いわば若者がこれだけ犠牲になっているのだから、現職の君たちも給与の2割を犠牲にして貰いたいとする理由づけにするということなら、やはり若者を改革の生贄にする他力本願としか言いようがない。
岡田福総理は3月21日の参院本会議で中高年の国家公務員削減にも踏み込む考えを示したと記事は書いている。
岡田副総理「希望退職制度の導入や自発的再就職の支援について検討する」
要するに国家公務員新規採用削減の評判が悪いことから、例え人数を減らしても是が非でも実現させるために後付けで打ち出した政策といったところなのだろう。
若者の新規雇用創出に与える影響への視点や感慨を何一つ持たない岡田副総理の発言であり、数々の方針となっている。
先ず「国家公務員総人件費2割削減」を厳格に実現させて財源の捻出を図ることから始めて、新規採用削減で若者の雇用を脅かすのではなく、現在国家公務員として採用されていて職業と生計を保証され、雇用が脅かされる立場にない国家公務員宿舎入居者からその家賃を民間マンション並みに値上げしてなおのこと財源の捻出に努めるべきだろう。
国家公務員よりも給与が少ない民間企業社員が民間マンションを借りて職業と生計を維持していることからして、国家公務員賃料の値上が彼らの職業と生計を損なうことにはならないのだから、若者の雇用を脅かす新規採用削減よりも次善の策であるはずである。
では、学生インターンシップに参加した大学生らに発した野田首相の発言を見てみる。
《首相が公務員採用削減に理解求める 学生インターンと懇談》(MSN産経/2012.3.22 21:07)
野田首相「東日本大震災の痛みを国民皆で分かち合うため理解してもらいたい」
短い記事で、単に野田首相のこの発言のみを伝えている。
《野田首相:インターンシップ学生らと面談》(毎日jp/2012年3月22日 18時47分)も同じ体裁の記事だが、少々ニュアンスを違えている。
野田首相「東日本大震災の痛みを国民皆で分かち合おうという話の中で理解してほしい」
上の記事は新規採用削減は「痛みを国民皆で分かち合」う行為そのものであって、新規採用削減と「痛みを国民皆で分かち合」う行為をイコールと見做して、そのことを直接的な目的として要望しているのに対して、下の記事は「痛みを国民皆で分かち合」うことと関連付けて、同レベルの行為としての解釈を要望している。
いわば前者と後者では「痛みを国民皆で分かち合う」という点に於いて後者の方がより精神的な感覚を求めている。
これから就職を目指す学生にしたら、新規採用削減と「痛みを国民皆で分かち合う」行為をイコールとすることはできない。首相と学生の立場は異なる。就職を“痛みの分かち合い”に代えるわけにはいかない。学生の一生がかかっているのである。
もし国家公務員を絶対的な職業として目指していながら、その夢を果たすことができなかった若者が生涯、その痛みに付き纏われない保証は皆無とは言い切れない。
要するに被災地や被災者に自身にできる範囲の「痛みを国民皆で分かち合」う犠牲的精神を働かすことはできても、就職対象職種の選択や就職活動に犠牲的精神を働かすことはできない。
自身の一生がかかっているのだから、当然の気持の持ち方と言える。
以上のことからして、多分後者の物言いをしたのだろう。
だとしても、例え新規採用削減で財源が捻出でき、それが震災復興に振り向けられることで「痛みを国民皆で分かち合」うことになったとしても、被災地や被災者に対する自身ができる犠牲とは別次元の雇用に於ける犠牲であるという同じ理由から、学生の立場からしたら容認できない“痛みの分かち合い”であり、犠牲的精神であるということに変わりはない。
そもそもからして「東日本大震災の痛みを国民皆で分かち合」うとは、気持や支援の点で自身に可能な範囲で少しずつ持ち寄って「分かち合」うということであって、不況下の雇用困難な状況をより困難とし、若者をそのような状況に曝すことが「分かち合」うということではない。
だが、野田首相は優れた政治家だからなのだろう、学生の気持の持ち方や新規採用削減によって置かれることになる雇用状況に対して理解する視点を向け得ずにドジョウのツラにショウベンの風情でいられる。
要するに“痛みの分かち合い”の対象を混同させての「東日本大震災の痛みを国民皆で分かち合おうという話の中で理解してほしい」という要望である以上、大震災をダシにして国家公務員新規採用削減を納得させようとした薄汚い自己正当化といったところなのは間違いない。