安倍晋三提唱日本版NIH設立の実現能力を日本の政治全体の国民の生命(いのち)に関する創造性から見る

2013-06-13 08:59:14 | Weblog

 安倍晋三は最先端の医療技術開発の司令塔機能の付与を目的とした米国国立衛生研究所(NIH)の日本版創設を目論んでいる。

 そのキッカケは第1次安倍内閣を投げ出す原因となった持病の潰瘍性大腸炎だと本人は言っている。

 日本記者クラブ講演「成長戦略スピーチ」(2013年4月19日)

 安倍晋三「私は、潰瘍性大腸炎という難病で、前回、総理の職を辞することとなりました。

 5年前に、画期的な新薬ができて回復し、再び、総理大臣に就任することができました。しかし、この新薬は、日本では、承認が25年も遅れました。

 承認審査にかかる期間は、どんどん短くなってきています。むしろ、問題は、開発から申請までに時間がかかってしまうことです。国内の臨床データの収集や治験を進める体制が不十分であることが、その最も大きな理由です。

 どこかの大学病院で治験をやろうとしても、一か所だけでは病床数が少ないので、数が集まらない。別の病院の病床を活用しようとしても、データの取り方もバラバラで、横の連携がとりにくい。結果として、開発などに相当な時間を要してしまいます。

 再生医療のような未踏の技術開発は、成果につながらないリスクも高く、民間企業は二の足を踏みがちです。そのため、新たな分野へのチャレンジほど、進歩は遅れがちです。

 こうした課題に19世紀に直面した国がありました。アメリカです。

 19世紀後半、多くの移民が集まり、コレラの流行が懸念されました。民間に対応をゆだねる余裕もなく、国が主体となって研究所をつくってコレラ対策を進めました。ここから、時代を経て、『アメリカ国立衛生研究所/NIH』が生まれました。

 国家プロジェクトとして、自ら研究するだけでなく、民間も含めて国内外の臨床研究や治験のデータを統合・集約する。そして、薬でも、医療でも、機器でも、すべての技術を総動員して、ターゲットとなる病気への対策を一番の近道で研究しよう、という仕組みです。

 その結果、NIHは、心臓病を半世紀で60%減少するなど、国内の疾病対策に大きな成果をあげています。さらに、現在、ガンの研究所やアレルギーの研究所など、全部で27の研究機関・施設を抱え、2万人のスタッフを擁して、世界における医療の進歩をリードしています。

 日本でも、再生医療をはじめ、『健康長寿社会』に向けて、最先端の医療技術を開発していくためには、アメリカのNIHのような国家プロジェクトを推進する仕組みが必要です。いわば『日本版NIH』とも呼ぶべき体制をつくりあげます」――

 世界経済フォーラム JAPAN Meeting オープニング・セッション(2013年6月11日)

 安倍晋三「前回私は、潰瘍性大腸炎という持病のせいで、総理を辞めざるを得ませんでした。2007年のことです。

 2009年になると、アサコールという、画期的な新薬が手に入るようになりました。

 このアサコールというクスリは、ヨーロッパなどでは、もっと早くから出回っていました。

 日本では、新薬の認証に、とても長い時間がかかります。外国でできた画期的な新薬を使えば、症状を改善できるかもしれないと思っても、日本のお医者さんはなかなか使えません。

 これを、ドラッグ・ラグといいます。

 これも、強いドリルで打ち破らなければいけない岩盤の一つです。

 いま私は、日本版NIHをこしらえ、それぞれの役所の下で個別に研究するのでなく、新しいクスリを、一点集中的に国家資源を投入していく、研究機関で開発させようとしています」――

 両発言を見て、色々な疑問点が浮かぶ。調べたところ、アメリカ国立衛生研究所(NIH)の設立は1887年である。遅れること127年かかって、やっと研究開発拠点施設の設立を思いつく。安倍晋三が素晴らしいと言うよりも、日本の政治全体の国民の生命(いのち)に対する創造性の問題であるはずだ。

 安倍晋三にしても、本人が言っているとおりなら、自身が経験して思いついたのだから、経験しなければ思いつかないということになり、政治家としての創造性が問題となる。

 外国で一般的に使用可能な薬が日本で認証が遅れて使用可能となるまでの時間のズレを言う「ドラッグ・ラグ」に触れているが、そういった現状を許してきた、あるいは野放しにしてきたのはあくまでも政治の責任であって、“政治ラグ”とも言うべき不作為が障害の役割を演じていた「ドラッグ・ラグ」であって、安倍晋三も政治家の一人として関わってきたはずだから、今更素晴らしいとは言えない。

 安倍晋三が「5年前に、画期的な新薬ができて回復し、再び、総理大臣に就任することができました。しかし、この新薬は、日本では、承認が25年も遅れました」と言っていることは、30年前に外国で承認された薬が、あるいは外国の製薬会社によって日本に30年前に承認申請した薬が日本で5年前に承認されたということを意味するはずだ。

 いわば日本に於いて「ドラッグ・ラグ」問題は30年も前から存在していたことになる。この遅れは如何ともし難い。

 但しこの5年間で「承認審査にかかる期間は、どんどん短くなってきてい」るが、「国内の臨床データの収集や治験を進める体制が不十分であることが」原因となって、「開発から申請までに時間がかかってしまう」と言って、政治の責任よりもむしろ製薬会社から治験の委託を受けている大学等の医療機関の問題だとしている。 

 そして臨床データの収集や治験を進める体制の具体的な欠陥例として、「どこかの大学病院で治験をやろうとしても、一か所だけでは病床数が少ないので、数が集まらない。別の病院の病床を活用しようとしても、データの取り方もバラバラで、横の連携がとりにくい。結果として、開発などに相当な時間を要」することを挙げている。

 だとしても、医療機関の体制の問題だけで片付けることはできない。そういった体制を長年日本の医療体制の一つの姿としてきたことは、そのことによって国民の生命(いのち)に関わる利益を奪ってきたことは政治の責任であるはずだ。

 外国で使うことのできる薬が日本で使うことができない。あるいは使うことができても、保険が効かず、多額の医療費を必要として、生活を圧迫しているといった話をよく聞く。そういった国民の不利益を長年放置してきた。そして今なお放置して、現在に至っている。

 12年前の2001年3月4日の「朝日新聞」朝刊に次のような記事が載っている。

 50代半ばにリウマチになった60代後半の女性が杖を突かなければ歩けない程に全身の関節が痛むリュウマチに悩まされ、その痛みを和らげるために2000年に米国で承認された薬を個人輸入して使うことにしたが、薬が成田に到着すると、輸入報告書や医師の証明書を厚労省に届けて通称「薬監証明」を貰い、それを税関に持っていって通関手続きを済ませて、やっと手に入る。それをかかりつけの病院に持って行って、医師に注射して貰って、やっと関節の痛みを和らげることができ、人間らしい生命(いのち)を回復する。

 以前は夫に起こして貰わなければ朝のベッドから起き上がることができなかったが、現在では一人で起き上がることができ、杖なしで買い物にも出かけることができる。

 保険も効かないから、年間200万円もかかかる。だが、こういった福音はある程度裕福な家庭ではないと手に入れることはできない。福音を手に入れるも入れないも、カネ次第の格差が生じることになる。

 要するに国民の生命(いのち)の維持に政治は無策であり続け、今なお無策な状態にある。新薬承認の問題だけではない、その他生命(いのち)の障害となっている様々な医療問題を含めて、日本の政治全体の創造性が関わり、長年に亘って培養してきた貧弱な医療事情であるはずだ。

 安倍晋三一人、蚊帳の外にいたわけではない。

 そしてここに来て安倍晋三が日本版NIE設立の構想を打ち上げた。安倍晋三自身も関わってきたこのような日本の政治全体の国民の生命(いのち)に関する貧しい創造性から見た場合、アメリカ国立衛生研究所に似た組織をつくる実行能力は発揮ことができたとしても、組織を十全且つ効率的に機能させるソフト面の仕組みをつくる実行能力は100%確信することはできない。

 省庁のタテ割りの弊害を長年言い続けていながら、今以てタテ割りを排除できず、官僚組織の至る場所で巣食わせているのと同じようにである。

 このことも日本の政治全体の創造性が関わってきたタテ割りの延命であるはずである。

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