安倍晋三が2017年5月8日の衆院予算委で2017年2017年5月3日都内開催の「公開憲法フォーラム」に送ったビデオメッセージが伝えている自身の憲法改正に関わる具体的な考え方について民進党議員の長妻昭が問い質していく過程で、「自民党総裁としての憲法の考え方は読売新聞に書いてあるから、是非それを熟読して欲しい」と述べたと報道していたから、どういうことかと質疑の動画をダウンロードして文字に起こしてみた。
安倍晋三は「憲法の議論は憲法審査会で行うべきだ」を持論としている。この質疑でもこの持論を展開、長妻昭の質問に答えない姿勢を維持した結果、読売新聞のインタビューで話した自身の憲法改正に関わる一文を熟読しろという展開になった。
ご存知だと思うが、憲法審査会は総理大臣は出席しない。ネットで調べたのだが、衆議院の憲法審査会は50人の委員で組織、参議院の憲法審査会は45人の委員で組織されて運営されている。
質疑の要点だけを記載してみる。先ず長妻昭は安倍晋三が「公開憲法フォーラム」に送った、日本国憲法第9条の1項2項は現状のままに第3項に自衛隊を明記し、東京オリンピック・パラリンピックの開催年の2020年までを改正時期とするとの趣旨のビデオメッセージについて取り上げる。
長妻昭「次に自衛隊についての問題ですが、私は唐突感があったわけですけれども、2020年までに新憲法施行と、いうふうに仰ったわけですけれども、これの真偽を教えて頂ければと」
安倍晋三「私はあの、この場には内閣総理大臣として立っているわけでございまして、えー、予算委委員会はですね、政府に対する質疑という形で議論が行われる場であろうと、こう思うわけでありますが、各党が憲法について議論する場が設けられているのは、これは憲法審査会であろうと、このように考えているわけでありまして、ま、そこでご議論頂きたいと、こう思う次第であります。
で、一方で私が今回第19回の「公開憲法フォーラム」に於けるビデオメッセージ等を通じて自民党総裁としてのですね、憲法改正についての考えを公にしたしたもので、国会に於ける政党間の議論を活性化するもので、ま、ございます。
えー、御党の細野議員も建設的な提案をされているところでありますが、大いに国会両院の憲法審査会に於いて各党間でですね、是非議論を頂きたい、こう考えるところでございます」
この手の答弁は憲法の改正問題が起きるたびに安倍晋三が繰返してきた同じ文言である。2013年4月22日の参院予算委を例に挙げてみる。
安倍晋三「繰り返しになりますが、私はここに内閣総理大臣として立っているわけでありまして、自民党のまだ改正されていない憲法についてここで解釈をする立場ではないということははっきりと申し上げておきたいと、このように思います」
長妻昭は衆議院議員で参議院議員ではないが、安倍晋三のこのような答弁は共同体験しなければならない立場にあるばかりか、長妻自身が似たような経験をしているはずである。
長妻昭は2016年10月3日の衆院予算委員会で安倍晋三に対して自民党憲法改正草案の基本的人権に関わる新しい規定が人権をより制約する内容になっていないか問い質した。
安倍晋三「私は総理大臣として内閣として提出をする法案については責任を持ってお答えしなければならない立場でございます。その場所場所でですね、しっかりと議論することが求められているわけでございます」
要するに自民党憲法改正案が閣議決定されて法案として国会に提出されたなら、内閣総理大臣として個々の質問に答弁しなければならないが、現状はそこまで行っていないから、質問されても答える立場にはない、自民党案にとどまっているのだから、憲法審査会で議論してくれと要求して、長妻昭がいくら自民党憲法改正草案の条項について質問しようと、憲法審査会で議論してくれの一点張りで答弁回避の姿勢に終始した。
このような経験を生かすことができずに長妻昭は「何で国会でおっしゃらないのか」とか、記憶違いなのか、「予算委員会で自民党憲法改正素案について相当こみいった議論を総理も答えられていた」とか言って食い下がるが、その甲斐もなく同じ答弁しか返ってこなかった。
安倍晋三「いよいよですね、いよいよ、これは、えー、憲法審査会に於いて議論が、おー、佳境に入っていくときを迎えているわけでございます。えー、まさに憲法について議論する場は本来憲法審査会の場であろうと、こう思います。
先程申し上げましたビデオメッセージはまさに総裁と断っている。自由民主党総裁としてお話をして頂いているところでございますが、この場に立っているのは、先程長妻委員がご承知のように自民党総裁として立っているのではなくて、えー、私が質問にお答えする義務を負っているのは内閣総理大臣であるところを以ってですね、答弁を、お答えをするといったところからもですね、この場に於きましては内閣総理大臣としての責任に於ける答弁に限定させて頂いているところであります。
他方です、どうぞ憲法審査会に於いて活発な議論をして頂いたら如何でしょうかということを申し上げたいわけでございます」
長妻昭は納得せず、総理が国会で説明するのが筋ではないかといったことを言ったあと、ビデオメッセージが頭ごなしな急なことで、憲法審査会の与党の幹事も首を傾げていると言った後、肝心な疑問を述べている。
長妻昭「かつて総理がですね、96条について改正すると、バーンとぶち上げて、ご存知だったと思いますが、そのとき憲法審査会が折角与野党で積み上げてきたのに、そこで非常に混乱しを来して、議論が遅れたという、これ悪い前例もあるわけでございまして、一切ここでおっしゃらずに、そして報道やビデオではどんどん発言をされるということでは、非常に違和感を感じる」
日本国憲法96条は、「この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2項 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する」と規定している。
安倍晋三は第1次安倍内閣の2007年5月14日に国民投票法(正式名=「日本国憲法の改正手続に関する法律」)を成立させて、96条の投票の「過半数の賛成」を国民投票法で「有効投票の過半数の賛成」に変えて、より通しやすくしている。
もしより通しやすくするために憲法審査会の議論に影響を与えるために、いわばを遠隔操作による心理的なリードを意図して96条改正をぶち上げたとすると、今回のビデオメッセージも柳の下の同じ効果を狙った心理作戦の疑いも出てくる。
その疑いを安倍晋三にぶっつけて、安倍晋三が否定しようが、あるいは答えまいが、その狙いを印象づける作戦の方が効果があったはずだ。
ところが参考人として呼んでいる内閣法制局長官横畠裕介に「違憲」と答えるはずはないのに「自衛隊は違憲か」とバカな質問をしたのに対して横畠から自衛隊の成り立ちから新安保法制による新3要件付与まで説明されて、「合憲」という当たり前の答弁をされたにも関わらず、憲法の条文に自衛隊を明記したら、「今と全く変わらないということでいいんですね」とバカな質問の続きをした。
安倍晋三たち保守派の政治家が勝手に解釈して自衛隊合憲説を打ち立てているに過ぎない。対して憲法学者の殆どが違憲説を打ち出しているのだが、安倍晋三たちの合憲説を可能としているのは自衛隊が国民の間で市民権を得ているからだろう。
憲法に自衛隊を明記に成功したら、自衛隊は違憲だと憲法学者にしても誰にしても言うことはできなくなる上に既に憲法9条は主権国家に与えられている自衛権まで禁止してはいないとする説を流布させているのだから、「今と全く変わらない」ということはない。
横畠裕介「憲法の改正を巡るご議論だと思いますが、憲法改正につきましては、まあ、国民、特に国会に於けるご議論に待ちたいと思います」
長妻昭はなおも食い下がる。
長妻昭「そうすると我々は何も判断できないですよね。どういうことを考えられて、そうなっているのか、一体。憲法審査会も何も話がないと。
じゃあ、一般論で聞きましよう。憲法9条に自衛隊を1項、2項を維持したまま、自衛隊をきちっと位置づけると言うよな考え方を条文に仮に入れると、どういうふうに変わるのか、変わらないのか、あるいは条文の書き方によって変化するのか、その辺はどうでございますか」
安倍晋三に問い質して答えさせるべき質問を関係のない横畠裕介に尋ねている。
横畠裕介「まさに国会でご議論すべきことではないかと思います」
軽くいなされて終わりである。長妻昭は安倍晋三にこそ答弁させる手を考えるべきだったが、考えないままに横畠が取り憑く島がなかったものだから、仕方なく再び同じような質問を安倍晋三に問うことになり、同じ答弁をされるという同じ結果を招くことになった。
安倍晋三「あの、繰返しを言うんですが、私はここは内閣総理大臣として立っており、いわば私は答弁する義務はなく、内閣総理大臣として義務を負っているわけでございます。自民党総裁としての考え方は相当詳しく読売新聞に書いてありますから、是非それを熟読して頂いて(激しいヤジ)、いいと(思います)、自民党・・・・・・、ちょっと静かに、静かに、静かにして頂かないとですね」
暫くヤジに邪魔されて、短い言葉を続けていたが、再び前と同じ答弁を続ける。
安倍晋三「それはそこ(読売新聞)に、いわば党総裁としての考え方はそこで知って頂きたい。ここ(国会)で党総裁としての考え方は縷々述べるべきではないというのが私の考え方でありますから、そこは是非、そこで、いわば自民党総裁としては知って頂きたいと。あるいはまたビデオで、これはビデオで述べているわけでございます」
安倍晋三は憲法改正の自身の考え方をビデオや読売新聞のインタビューで述べたのは自民党総裁としてであって、内閣総理大臣としてではない。だから、国会の場で議員の質問に答える責任はないという態度を取っている。
確かに同じ人間が司っていたとしても、一政党の長と言う立場、あるいは役職と、一国の長という立場、あるいは役職は異なる。人格も異なるだろう。
家庭では父親で、一般人としては会社の経営者の場合、父親という人格と経営者としての人格は自ずと違ってくるようにである。家庭で妻や子どもたちに会社経営者としての人格を発揮されたら、息が苦しくなるに違いない
だからと言って、自民党総裁として発言した政策を内閣総理大臣として説明しなくてもいいという論理は成り立たない。なぜなら、憲法観そのものは立場や役職を違えても、同じ人間が務めている以上、立場や役職に影響を受けて違ってくるということはないからである。
あるいは立場や役職に応じて違ってくる人格に応じて憲法観も違ってくるということはないからである。
自民党総裁として発信した憲法改正の考え方を内閣総理大臣として議論する義務を負っていないとすることが正しいとし、しかも憲法審査会に出席して質問を受けるわけではないから、国民に対する説明責任は誰が負うのだろうか。安倍晋三の論理からすると、国民に対してもビデを見ろ、読売新聞を読めということになる。
ビデオにしろ、新聞のインタビューにしろ、言っていることに疑問を持てば、当然説明を求める。だが、自民党総裁として発信した考え方に関しては内閣総理大臣は答弁する義務を負わないと疑問を解く説明の機会を設けないのだから、このことの絶対的な正当化は言っていることに疑問を持つな、言っているなりに受け入れろいうことになって、安倍晋三は自らを独裁者の立場に立たせていることになる。
安倍晋三は自分では気づかない内に傲慢な人間と化している。思い上がりも甚だしい。
憲法とは国家権力を含めた国家の基本的な存在法であると同時に国民の基本的な存在法だと私自身は考えている。内閣や国会の規定、三権分立等は国家の基本的な存在のあり方を決めていて、思想・信教の自由、表現の自由、報道の自由も国民一人ひとりの基本的な存在のあり方の規定そのものである。
いわば憲法の改正が国家及び国民の基本的な存在に関わる事柄でありながら、自民党総裁と総理大臣を使い分けて、長妻昭や予算委員会の委員たちに言葉を発信しているだけではなく、国民にも同時にその発言を発信をしているにも関わらず、国民に対する説明責任まで放棄しているのだから、その傲慢さは計り知れない。
あくまでも自民党総裁として発信した考え方は内閣総理大臣として答える義務を有しないを通すとしたら、その場合に生じることになる傲慢さ、独裁根性を免れるためには自民党総裁として記者会見を開くなりして、ビデオでや新聞のインタビューで発信した自身の憲法についての考え方を説明し、その説明を以って国民に対する説明責任に代えるべきだろう。
そうする考えもない。傲慢さ、独裁者根性はとどまるところを知らない。