安倍晋三がアメリカ留学以来「30年来の腹心の友」としている加計(かけ)孝太郎が経営する学校法人加計学園(岡山市)が愛媛県今治市に現在建設工事を急ピッチで進めている岡山理科大学獣医学部の開学(2018年4月予定)が安倍晋三の国家戦略特区を利用した便宜供与、政治的関与、口利きではないかと現在進行形でその疑惑がマスコミによって報じられ、世間に取り沙汰されている理由は2017年3月13日付「しんぶん赤旗」記事が詳しく伝えているが、簡単に取り上げてみる。
文科省と農水省は獣医師への社会的需要と獣医数のバランスを図るために大学獣医学部の新設を抑制する方針を取っていた。このことは日本獣医師会の意向にも添っているはずだ。
要するに獣医師の需要に対して獣医師の供給過多になっていることからの抑制方針ということになる。
この状況は今治市と愛媛県が小泉内閣が進めた構造改革特区に2007年から2014年にかけて獣医師養成系大学設置を15回に亘り提案したものの、いずれも採用されなかった事案にも現れている。
今治市と愛媛県は2015年6月4日、第2次安倍政権が進めたアベノミクスの成長戦略の柱「国家戦略特区」に「国際水準の獣医学教育特区」を提案した。
26日後の2015年6月30日、安倍内閣は「日本再興戦略」改定2015を閣議決定、「獣医師養成系大学・学部の新設検討」を盛り込む。
半年後の2015年12月15日、国家戦略特区諮問会議で全国10番目の国家戦略特区に「広島県と愛媛県今治市」を決定。
翌年、2016年11月9日、国家戦略特区諮問会議は「獣医学部の新設を可能とするための関係制度を直ちに行う」とした。
ネットで調べてみると、「広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とするための関係制度の改正を直ちに行う」ことの決定ということらしい。
この決定に日本獣医師会会長藏内勇夫は「獣医学部新設の検証なき矛盾だらけの決定に怒り」と反対している。
日本獣医師会の反対姿勢は全国的に獣医師の需要に対して獣医師の供給過多という状況は変わっていないことを示しているはずだから、「広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域」が「広域的に獣医師が存在しない地域」とイコールしないことになって、決定の理由付けには無理があることになる。
この点を取り上げただけでも、無理を押し通したということになる。
この獣医学部は岡山市の加計学園経営岡山理科大学の学部として愛媛県今治市に新設される。今治市が獣医学部建設地として評価額約36億7500万円の市有地を加計学園に無償譲渡し、尚且つ大学建設の事業費約192億円の半分の96億円を負担するという大盤振舞いが分かって、安倍晋三と30年来の腹心の友だという加計学園理事長加計孝太郎との関係から、安倍晋三の国家戦略特区を利用した便宜供与、利益供与、口利きではないかとの疑惑が浮上し、安倍晋三は国会で追及を受けることになり、「加計学園から私に相談があったことや圧力が働いたということは一切ない」と答弁、「私はもし、働きかけて決めているんであれば、やっぱりそれは私、責任取りますよ、当たり前じゃないですか」と、責任を取るとまで言い切っている。
ところが、朝日新聞が文科省が作成したとする安倍晋三の意向で首相官邸が主導した獣医学部の新設だとする文書を入手、2017年5月17日の朝刊で報じた。
当然、その文書の真偽が問題となる。野党は国会で追及し、文科相の松野博一は調査を約束し、松野は5月19日、「該当する文書は確認できなかった」と調査結果を公表している。
安倍晋三の国家戦略特区が獣医学部新設を認めるのも早ければ、新聞報道から三日目と調査も早かった。
文科省の調査までが安倍晋三の指示を受けたものなのか、あるいは指示は受けなくても、安倍晋三の意向を忖度したものなのか、あるいは事実存在しなかったのかは文書の内容が事実かどうかにかかってくる。
内容が事実なら、文書は存在し、調査は存在しないという答を出すために行われたことになる。
朝日新聞が文書入手を公表した翌日の2017年5月18日の衆議院農林水産委員会で民進党議員宮崎岳志が文書の真偽を確認するために行った追及に対する文科副大臣義家弘介と安倍晋三の腰巾着官房副長官萩生田光一の答弁から、文書がホンモノかニセモノかを占ってみる。
文書はA4判で8枚あるということだが、宮崎岳志が質問ごとに取り上げているその内容をマスコミ記事から取り上げることができる範囲で最初に纏めてみる。但しマスコミは切れ切れの紹介が多く、画像から文字起こししなければならない個所もあって、順序に間違いがあるかもしれないが、内容そのものに間違いはないと思う。【】内は文書の題名。
【大臣ご確認事項に対する内閣府の回答】
「(今治市獣医学部設置する時期)「最短距離で規制改革を前提としたプロセスを踏んでいる状況で、これは総理のご意向だと聞いている」
【■■内閣府審議官との打合せ概要(獣医学部新設)】
1.日時:平成28年9月26日(月)18:30~18:55
2.対応者(内閣府)■■審議官、■■参事官(文科省)、■■課長、■■補佐
3.概要*
○平成30年4月開学を大前提に、逆算して最短のスケジュールを作成し、共有いただきたい。これは官邸の最高レベルが言っていること。
○成田市ほど時間を掛けられない。これは官邸レベルが言っていること。(むしろもっと厳しいことを言っている)
○成田市の医学部新設の際には3省方針を作成したが、これは東北新設時に復興庁と方針を作成していたため、同じ形でやることになったもの。内閣府としては方針作成が必
要だと考えていないが、文科省として審査する際の留意点を出す必要が有ることは理解
【大臣ご確認事項に対する内閣府の回答】
〇設置の時期については、今治氏の区域指定時より「最短距離で規制改革」を前提としたプロセスを踏んでいる状況であり、これは総理のご意向だと聞いている。
〇規制緩和処置と大学設置審査は、独立の手続きであり、内閣規制緩和部分は担当しているが、大学設置審査は文部科学省。設置審査の所で不足の事態(平成30年開学が間に合
わない場合はあり得る話。関係者が納得するのであれば内閣府は困らない
〇「国家戦略特区諮問会議決定」という形にすれば、総理が議長なので総理からの指示に見えるのでは無いか。平成30年4月は11月上中旬には本件を諮問会議にかける必要が
あり、以前に官邸から「内閣」としてやろうとしていることを党の部会で議論するなと怒られたので、内閣府は質疑対応はするが、党内手続きについては文科省が政調(党
政務調査会)と相談してやってほしい
【10/4義家副大臣レク概要】
○義家大臣が『私が萩生田長官のところにちゃんと調整してくれと言いにいく、アポ取りして正式に行こう。シナリオを書いてくれ」
○(農林水産省が管轄すべき獣医学部定員の基礎となる獣医師の需給バランスについて)斎藤健農水副大臣「農水省が需給部分、ちゃんと責任を持ってくれないと困るよ、話し
た際には何も聞いていない。やばい話じゃないか」
【10/7萩生田副長官ご発言概要(取扱注意)】
(文科省に対する発言)
○「平成30年4月は早い。無理だと思う」
○「学校ありきでやっているという誤解を招くので、無理をしない方がいい」
○「要するに加計学園が誰も文句が言えないような提案ができるかどうかだ」
○「獣医師会の農水省関係議員と協力が必要だ。私の方で整理しよう」
○「構想をブラッシュアップしないといけない」 (以上)
どうも読んでも、安倍晋三の意向・指示で動き出した便宜供与、利益供与、口利きが功を奏した加計学園獣医学部国家戦略特区新設としか見えない。
安倍晋三の腰巾着萩生田光一は最初は無理押しと見ていたようだが、積極姿勢に転じている。そこは安倍晋三の指導力・ご意向ということなのだろう、
上記「■■」の部分は隠し文字となっている。また、「成田市ほど時間を掛けられない」との記述は国際医療福祉大学が成田市と共同で提案した「国際医療学園都市構想」を構成する国家戦略特区事業の一つとして2017年4月に成田キャンパスに新設した医学部のように時間をかけることができない、急いで欲しいという意味なのだろう。
同じく上記「東北新設時に復興庁と方針を作成していたため」とあるのは東北薬科大学が2016年4月に宮城県仙台市に医学部を新設を指し、新設と同じに大学名を東北医科薬科大学に改称している。
宮崎岳志は文書の内容が身に覚えのある事実か否かの観点から単刀直入に問い質すことよりも文書がホンモノかニセモノかを確かめることを最初に置いた質問から入ったために義家弘介と萩生田光一にのらりくらりと逃げられることになった。
もし身に覚えのある事実なら、明確に「事実ではない、何もかもデタラメだ、身に覚えがない」といった発言は後で事実が証明される無きにしもあらずの危険性に備えて難しいことになる。もし事実でないなら、明確に否定し、清廉潔白だと胸を張ることができる。
答弁に於けるこのような態度の違いを読み取ることで文書の真偽を確かめ、なお追及していくという質疑に徹底すべきだったが、そうしなかった。
宮崎岳志「平成28年9月26日に内閣府と文科省で討議を行ったということは事実ですか」
文書題名【■■内閣府審議官との打合せ概要(獣医学部新設)】のことを聞いた。
義家弘介「お答えさせて頂きます。先ず昨日と今日とで新聞に報道されている資料についてですが、現在時点で事実関係を確認しているところであります。また一連の議論の中で様々な調整、様々な議論が行われてきたというふうに思います」
宮崎岳志「9月28日に内閣府と文科省で会議を持った持ったことがありますかという質問ですが、あればあったで、なしはなしで、このペーパーの真実は無関係にお答え頂ければ、いいのかなと思います」
もし会議を持ったと答弁したなら、書いてあることが事実だと関連付けられる恐れから、まともに答えるはずはないことを予想しなければならないはずだが、予想できなかったようだ。
義家弘介「あの、日程を確認しないと分かりません」
宮崎岳志「日時は分からないけれども、ここ(新聞)に載っているようなメンバーで会議をこの限度で行っていたということはございますか」
義家弘介「あの、正式な会議という形ではなくて、この期間で様々な調整、様々な話をしていたことは事実でございます」
こういった調子の質疑応答が続く。
宮崎岳志は文書に隠し文字となっている■■内閣府審議官が内閣府地方創生推進室次長藤原豊であるとどう突き止めたのか、参考人として出席を求めていて、質問の矛先を藤原豊に変える。
宮崎岳志「藤原審議官には今日おいで頂いております。9月28日、この文書の真偽は兎も角としてですね、9月28日にこのような会議を持たれたんですか」
藤原豊「お答え申し上げます。先ず報道で取り上げられていますこれらの文書につきましては文科省にも確認をしておりますが、定かでないということでございまして、内閣府としてお答えする立場にございません。
ただ報道にあるような発言は昨年秋頃ということで、第1回目分科会、今治市分科会が開催されたということがありまして、関係各省とその進め方などにつきまして議論を行っておりました。ただその日程内容につきましては確認が取れておりません。
内閣府として官邸の最高レベルとか、総理のご意向などと聞いていることは一切ございません。総理からそういった指示は一切ございません」
一見、文書に書いてある事実を真正面から否定しているように見えるが、事実であるか事実でないかの文脈で話している以上、「先ず報道で取り上げられていますこれらの文書につきましては文科省にも確認をしておりますが、定かでないということでございまして」と、「定かでない」という言葉は出てこない。
文書の存在を「定かでない」としながら、文書に書いてある事実を否定する矛盾を見せることになるからだ。
また、文書に書いてある9月26日の会議を今治市分科会のことではないかと言い、その分科会を安倍晋三の意向伝達も指示も一切なかったことの関連付けに使っているが、公式の会議で便宜供与や政治的関与、口利きとなるような言葉を吐くはずはないのだから、役人らしい狡猾なゴマカシに過ぎない。
「そのような文書は存在しません、書いてある内容は全て事実ではありません」と言い切って、初めて完璧な否定となる。だが、言い切っていない。
宮崎岳志は藤原豊と二度遣り取りしてから、自分が狙い所としている芳しい答弁を得ることができないために文書題名(【10/7萩生田副長官ご発言概要(取扱注意)】)に登場している萩生田光一に質問を変えた。
宮崎岳志「萩生田副長官、10月7日、文科相側のスタッフと会ったことがありますか、ありませんか」
萩生田光一「昨日の文書の中で(自分の名前の)メモがあったことは確認しましたけれども、この文書につきましては内容が精査されている最中でありますので、現時点ではコメントする立場にはないと思っています。内閣官房副長官として日々様々な省庁の担当者と頻繁に連絡を取り合っておりまして、この日に文科省の皆さんと会ったか会わなかったか確認をしてみないとよく分かりません」
宮崎岳志が会ったか会わなかったかと聞くから、「確認してみないとわからない」という答弁が可能となる。書いてあることは事実かと聞いたなら、事実か事実でないかで答えなければならない。
勿論、覚えていない、記憶にないと答えることはできるが、事実の否定ではない。事実だと判明した場合の立場を確保しておくための記憶の曖昧化はよく使われる手である。
宮崎岳志「10月7日に会ったか会わなかったかと明確に通告文(質問通告)の中にも明記してあります。お調べ頂いていると思います。会ったか会わなかったか、お答えください」
萩生田光一「私のですね、公式日程につきましては法令に則って一定期間の保存したのちは処分をしておりまして、実はこの委員会に出席するまでの間に確認はできておりません」
宮崎岳志「今のは処分したという意味ですか、調べなかったという意味ですか」
萩生田光一「昨日の報道があった時点でですね、あの日はどんな日だったのかと言うことは自分なりに手帳などを確認してみたのですが、確認は取れません」
宮崎岳志はあくまでも会ったか、会わなかったに拘り、萩生田光一は最初からののらりくらりで質問の凌いでいく遣り取りが続いたが、宮崎岳志はやっとのことで気づいた。
宮崎岳志「先程義家大臣も仰っておりますが、この文書が『ホンモノとも言えない、ニセモノとも言えない』、否定もしていないんですよ。まあ、義家大臣の方はお調べになって、そういうことだと思います。
ニセモノだともホンモノだとも大臣には言えない、そういうことだと思います。何だか新しい文書が出てくる可能性がありますから、軽々にニセモノだと言ってしまって、ホンモノだということだと、ま、これは困ると言うことだと思います」
そして10月7日の文部省側に対しての発言は事実かどうかをやっとのことで聞いた。萩生田光一は今までののらりくらりの態度を一変、より丁寧な答弁に変わった。
宮崎岳志の方は文書が事実であった場合は相手は「新しい文書が出てくる可能性」との関係で「軽々にはニセモノだとは言えない」態度を取らざるを得ない立場にあることを睨んで、事実かどうかで押していき、その答弁から文書の真偽を読み取っていかなければならない。
萩生田光一「日々各役所の皆さんと懸案事項について様々な意見交換をしておりますけれども、ま、本件についてですね、ここまで詳しい遣り取りをしたという記憶は私にはございません。
(ふっと笑って)ひと通り見てみましたけども、あの、福岡6区の補選云々とかですね、あるいはその獣医師会の農水省関係議員と協力が必要だ、私の方で整理しようというような発言が記述にありましたけども、あの、大体我々のところへ、官邸にですね、最初に上がってくるのっていうのは各省の調整がついたものでありまして、それを途中でですね、私が引き取って私が調整しようという遣り取りは文部科学省に限らず通常はございませんので、おかしな話だと思って、昨日は読ませて頂いとところでございます」
会見については「確認は取れていません」で逃げていた萩生田が会見で話したと文書に書いてある発言について具体的に答弁を始める変わりようを見せた。
但し「ここまで詳しい遣り取りをしたという記憶は私にはございません」と言っているが、それなりに遣り取りをした記憶はあるということの証言に他ならない。
そして「大体我々のところへ、官邸にですね、最初に上がってくるのっていうのは各省の調整がついたものでありまして、それを途中でですね、私が引き取って私が調整しようという遣り取りは文部科学省に限らず通常はございません」との答弁は特別の場合はあり得るということを意味していて、皆無ではないということを言っていることになる。
文書を事実と認めれば、安倍晋三の便宜供与や政治的関与、口利きそのものを認めることになるために認めるわけにはいかないが、完全に否定した場合、宮崎岳志の指摘を受けて、後で事実だと証明された場合の無きにしもあらずの危険性に気づいて発言を変えることになった記憶の曖昧さという釈明であり、通常はないとした官房副長官の調整という釈明であろう。
この釈明こそが文書が事実であることを物語っている。だが、宮崎岳志はこの物語っている事実を読み取ることができなかった。
宮崎岳志「これ通常の扱いじゃないから、総理が関与しているんじゃないかという疑惑がずうっと言われてきたんだと、ま、こういうことだと思うんですが、萩生田長官の今の話によると、このペーパーを見ても、自分がこのような発言をした記憶は何もないし、自分とは関係ないと、この文書がホンモノかニセモノかまだ分からないとされていますが、もしホンモノだと確認されていても、自分としては記憶にない、そういう意味でしょうか」
萩生田光一「文書の信憑性について疑問を持っているということがありまして、例えば本件については最高戦略で2年前からずうっと継続的にやってきたことでありますから、10月頃にですね、突然何か私が説明するということではありませんので、基本的には例えば前段の部分についてはですね、理解できる部分もあるんですけども、こういった一連の話を渡したしたかと聞かれれば、そういう記憶はないということでございます」
「文書の信憑性について疑問を持っている」という発言こそが、文書が事実であることを物語って余りある。
なぜなら、今まで繰返してきたように文書が事実であったなら、その事実に応えて安倍晋三の便宜供与や政治的関与、口利きをも事実としなければならない関係にあることから、完全否定で一刀両断しなければならないにも関わらず、完全否定した後で事実だと証明された場合の無きにしもあらずの危険性を想定して完全否定もできない代わりに一歩も二歩も下がった信憑性(信用の度合い)の問題としているからである。
その上、もし文科省と農水省が獣医師がその需要に対して供給過多となっている状況にあることから獣医師の養成を抑制する方針を長年の間取っていたことに対して加計学園獣医学部新設がこの方針に反する政策だということを押さえていたなら、「10月頃にですね、突然何か私が説明するということではありません」という発言は意味を持たないことになるはずだが、萩生田自身は文書否定の意味を持たせている。
萩生田光一官房副長官辺りが安倍晋三の意向を受けて、それを官邸の意向だとして動かなければならない立場にあったはずだ。
宮崎岳志は質疑最初に義家弘介を問い質していたが、文書題名【10/4義家副大臣レク概要】について再度質問を振り向けた。
宮崎岳志「この文書の中に10月4日というものがございます。【10/4義家副大臣レク概要】、ここで義家大臣が『私が萩生田長官のところにちゃんと調整してくれと言いにいく、アポ取りして正式に行こう。シナリオを書いてくれ』
2個目が『斎藤副大臣に農水省が需給部分、ちゃんと責任を持ってくれないと困るよ、話した際には何も聞いていない。やばい話じゃないか』という反応があったとき、こういう文章です、10月4日にこの問題について役所の方々から義家大臣はレクを受けたでしょうか」
「レクを受けたでしょうか」ではなく、「レクを受けたというのは事実ですか事実ではないですか」と問わなければならないはずだ。言葉自体の強さが違ってくる。言葉の強さは追及しようとする態度の強さに関係してくる。
義家弘介「レクは随時受けておりますし、指示は随時出しております」
「レクを受けたというのは事実ですか事実ではないですか」と問わないから、こういった答弁を許すことになる。
宮崎岳志「10月4日にレクを受けたということで宜しいですね」
義家弘介「あの10月4日のレクはあったかどうかは確認できておりませんが、私自身は担当部署からレクを受け、指示を出しているということであります」
宮崎岳志「『確認できておりません』、確認してくださいという質問通告なんですから。確認したら、分からなかったという意味でなんしょうか。確認していないという意味なんでしょうか。どっちなんでしょうか」
事実かどうかに絞った質問でないから、こういった堂々巡りに陥る。但し偶然が幸いして、事実かどうかを確認する金鉱脈にぶち当たるが、それが金鉱脈だとは気づかなかった。
義家弘介「そもそもこの文書が事実の文書であるかどうか、分からないわけでありまして、事実であるかどうか分からない文書で仮に、じゃあ、私がこれを指示をしたとしましょう。
しかし私自身、こういう指示をしました、これはこの文書で宜しいですねという決済さえしていないわけですね。つまり何月何日何時に何を言ったかということ、これ正式な、そもそも私が副大臣レクで私の発言だったとしても、正式な文書でも何でもないわけですね。
仮に私がこう言ったとしても、様々な指示は、特にこういうときは連日のようにお話をして、連日のように指示を出しているところでございまして、この文書、あるいはこの指示に基づいてこのときレクがあったかどうかは、連日のようにほぼ連日のように話はしていたんで、あったかもしれないし、しかし一方なかったかもしれないし、この文書は正式な文書ではないということであります」
支離滅裂な釈明となっている。
義家からしたら、文書が事実ではないガセネタに過ぎない場合は完全否定しなければない立場にあるはずだが、完全否定ではなく、「そもそもこの文書が事実の文書であるかどうか、分からない」という言葉で事実は不明としていることは萩生田光一が「文書の信憑性について疑問を持っている」と言っていることと意味は同じで、完全否定できない状況に置かれている、いわば逆に文書が事実だからに他ならない。
また、「正式な文書でも何でもない」からと言って、文書が事実ではないという証明とはならない。逆に正式な文書であったとしても、事実ではない、虚偽の文章というものもいくらでもある。
「決済さえしていないわけですね」と言っているが、決済がないからと言って、文章が事実でない証明ともならない。
卑しくも副大臣でありながら、答弁に合理性を持たせることができずに支離滅裂となっている点が文章が事実であることを証明することになる。
ところが宮崎岳志の方も支離滅裂な質問をすることになった。
宮崎岳志「文書の信憑性について確認したいから、質問しているんじゃないですか、私の方はね。
ですから、10月4日はそういうことがあったんですかということを聞いていて、この文書の内容は本当ですかということは聞いていないですよ」
宮崎岳志のこの発言に文書に書いてあることは事実か事実ではないかで押していく強い姿勢の不在を象徴的に表している。その結果として義家弘介も萩生田光一も本人が気づかなままに暗黙の内に文書がホンモノだと言っていることに気づかないことになった。
当然のことだが、「該当する文書は確認できなかった」としている文科省の調査結果はまともに調査を行わずに出したインチキな答えとなる。