「テロ等準備罪」とは組織的犯罪集団の構成員がテロその他の特定の犯罪の実行に関する計画を立て、その計画に基づいて実行の合意がなされ、合意に基づきテロその他の犯罪実行の準備行為がなされた段階で取締り・逮捕を可能とし、処罰することができる。
警察側は犯罪実行の合意から犯罪実行の準備行為までのすべての段階を一貫して把握していなければならない。最悪、犯罪実行の準備行為の段階に至っていたとしても、武器や爆弾等の準備を把握することができなければ、テロその他の犯罪実行前に逮捕できない。
これらを可能とするのは監視である。警察が疑わしい人物と接触して行う一般的な捜査ではないはずだ。殺人事件が起きてから、警察は第一段階として殺害された人物の関係者と接触して聞き取りや聞き込み等の捜査を行って疑わしい人物を特定し、その人物と接触して任意の事情聴取等の捜査をする。殺人犯は疑われたからと言って、逮捕を逃れるために殺人を元に戻すことはできない。
例え取調べの段階か裁判の段階で巧妙に言い逃れて容疑事実を晴らしたとしても、殺人という事実そのものは元に戻すことはできない。その事実を巧妙に隠して容疑事実を晴らすこと自体は殺人事件の検挙率は95%程度、裁判での有罪率は99%程度だそうだから、一旦警察の取調べを受けたなら、至難の業ということになる。
逃れるためにできることは逃亡か自殺くらいとなるが、殺意事件の時効が撤廃されている現在、逃亡完遂も至難の業となる。
組織的犯罪集団が犯罪を計画し、合意を経た段階で犯罪集団の一員の誰であっても、警察の事情聴取等の接触を受ける形で捜査された場合、計画書や合意書が存在していたなら、先ずは証拠隠滅を謀って、計画と合意を元に戻すことも可能である。
いわばなかったことにすることができる。
武器や爆弾等を集めて犯罪実行の準備行為の段階に達していたとしても、犯罪集団の誰か一人でも警察の事情聴取等の接触を受ける形で捜査された場合、武器や爆弾等を集めてある現場を押さられなければ、それらを別の場所に隠すことで犯罪の計画そのものを元に戻すことも可能である。
当然、警察は組織的犯罪集団がテロ等の犯罪を計画し、集団のメンバー全員がその計画に合意し、合意後に準備行為に移行する、それら各段階の各事実を把握するための疑わしい人物と接触して行う聞き込み等の一般的な捜査は犯罪事実を元に戻されてしまう危険性が生じるためにできないことになる。
非接触型の盗聴、盗撮、張り込み、尾行等の監視こそが組織的犯罪集団に気づかれず、知られず、犯罪実行の計画や合意、準備行為を掴む有力な捜査方法となる。
ことが可能となる。
但し当然の勢いとして、警察が組織的犯罪集団と疑ったメンバーと交渉のあるメンバー以外の人物も盗聴、盗撮、張り込み等の監視の対象となる。メンバー以外の人物が果たして単なる一般人かどうかを判定するためにも監視は必要となるし、例え一般人と判定できたとしても、一般人が本人の知らないままに連絡役にされることなどザラにあることだから、一般人と判定後も犯罪集団の活動と無関係かどうかを識別するためには監視を続けなければならない。
最初は尾行という監視から入って家族構成、勤務先、職業、思想傾向、過去の活動等々の身辺調査を知らない間に受けることになる。
だが、政府側の国会答弁は一般人は捜査の対象外が決まり文句となっている。以下の新聞記事は政府側答弁に組みした内容となっているだけではなく、「一般人も捜査」だと野党が追及していることを「言葉遊び」だと一刀両断している。果たして矛盾はないだろうか。
《【テロ等準備罪を考える】「一般人も捜査」は野党の「言葉遊び」》(産経ニュース/2017.5.15 21:34) 一般人は捜査対象に100%ならないのか-。「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法の改正案をめぐり、野党が国会でこんな質問を繰り返している。テロ組織や暴力団など組織的犯罪集団に対象を限定しているものの、一般人に対する刑事告発の場合、「捜査しなければ、嫌疑があるかないか分からないのではないか」(民進党・逢坂誠二衆院議員)というのだ。 これに対し、検察幹部の一人は「言葉遊びだ」と、ため息交じりで話す。告訴・告発が捜査機関に持ち込まれ受理されると、嫌疑の有無を確認することになる。嫌疑が不十分であったり、嫌疑が全くなかったりすれば、さまざまな事情を考慮して検察官が不起訴にし、具体的な嫌疑があれば、本格的な捜査に着手するという流れだ。 検察幹部は「嫌疑があるかどうか確認するのも捜査と言うことがあるが、それは嫌疑を前提としないから実質的な捜査ではない」と指摘する。もし一般人がテロ等準備罪で告発されれば、一時的には被告発人として嫌疑の有無を確認することになる。だが、一般人である以上、それは容疑者としての捜査ではない。 逮捕や家宅捜索などの強制捜査も捜査なら、嫌疑の有無を確認するだけでも捜査。同じ用語ではあるが、内容は全く別物だ。にもかかわらず、「一般人は捜査の対象外」とする政府見解に対し野党は、告発された場合は「捜査対象になるではないか」と主張して「言葉遊び」をしているのだ。 テロ等準備罪は「組織的犯罪集団であることの立証ハードルは高く、指揮命令系統や任務分担の立証をしなければならない」(法務省幹部)ほど構成要件が厳格化されている。一般的な社会生活を送る国民の中に、そのような集団に所属し、かつ任務を分担されている人がいたとして、「何らかの嫌疑がある段階で、一般の人ではないと考える」(盛山正仁法務副大臣)のはごく自然のことである。(大竹直樹) |
ここで言っている「被告発人」とは警察に対して告発を受けた容疑者ということになる。
検察幹部「嫌疑があるかどうか確認するのも捜査と言うことがあるが、それは嫌疑を前提としないから実質的な捜査ではない」
「嫌疑」とは「犯罪の事実があるのではないかという疑い」を言う。一般の人から、「あの人は何人かの人と集まって何か悪巧みを働いているのではないのか」と警察に訴えがあったとする。
検察幹部が言っていることは、訴えを受けた警察は犯罪の事実を前提とした、いわば特定の犯罪を行った、あるいは行おうとしている容疑者(警察に犯罪の疑いをかけられた者)としての捜査ではなく、犯罪の事実の有無を確認する、いわば特定の犯罪を行った、あるいは行おうとしている容疑者とし得るかどうかの取調べだから、「実質的な捜査」ではなく、過去形・未来刑の犯罪の有無を確認できた段階以降、「実質的な捜査」となると言っていることになる。
このような経緯を以って「一般人である以上、それは容疑者としての捜査ではない」と言っているのだろう。
但しこの経緯は一般人に限らないはずだ。ある集団を構成しているからと言って、そのメンバーを最初から特定の犯罪を計画し、メンバーが相互に合意している、あるいは準備行為を行っていると決めつけて容疑者の境遇に置き、最初から「実質的な捜査」を開始できるものではないはずだ。
計画と合意、準備行為の確認から入らなければならない。
だが、上記記事が「テロ等準備罪」の文脈での内容となっている以上、一般人であろうと組織的犯罪集団であろうと、テロ等の特定の犯罪を行おうとしている容疑者か否かを確認するだけであっても、接触型の聞き込み等の事情聴取といった一般的な捜査は証拠隠滅の危険性が生じるために用いることができず、非接触型の盗聴、盗撮、張り込み、尾行等の監視の対象としなければならないことになる。
となると、〈逮捕や家宅捜索などの強制捜査も捜査なら、嫌疑の有無を確認するだけでも捜査。同じ用語ではあるが、内容は全く別物〉であろうとなかろうと、非接触型の監視が容疑者か否かを分けることになるという一点に於いては何ら変わらないことになる。
当然、〈一般人は捜査の対象外」とする政府見解に対し野党は、告発された場合は「捜査対象になるではないか」と主張して「言葉遊び」をしている〉という非難は当たらない。
記事が法務省幹部の声を伝えて、「指揮命令系統や任務分担の立証をしなければならない」ゆえにテロ等準備罪は「組織的犯罪集団であることの立証ハードルは高く」と言っていることは、立証が非接触型の監視に依拠することになるから、当然中の当然だが、だからと言って、繰返しになるが、織的犯罪集団と疑ったメンバーと交渉のあるメンバー以外の人物が一般人だと分かったとしても、織的犯罪集団から知らない間にどこでどのような役目を担わされるか、あるいは担わされているか分からないゆえに犯罪集団と無縁の純粋な一般人だと明確に判明するまでの間は非接触型の監視を免除できない点は同じであるはずだ。
となると、〈一般的な社会生活を送る国民の中に、そのような集団に所属し、かつ任務を分担されている人がいたとして、「何らかの嫌疑がある段階で、一般の人ではないと考える」(盛山正仁法務副大臣)〉、いわば一般人か犯罪集団のメンバーかの区別がついたとしても、区別がつくまでは盗聴、盗撮、張り込み、尾行等の非接触型の監視から入って家族構成、勤務先、職業、思想傾向、過去の活動等々の身辺調査を知らない間に受けることになる点についても変わりはないことになる。
検察官部にしてもこの記事にしても、テロ等準備罪立証の重要要件である監視を抜きに野党の国会追及を捜査の違いを論って「言葉遊び」だと非難する。どちらが「言葉遊び」なのだろうか。
立証のハードルが高いこととテロ等の重大犯罪を実行前に取り締まることができずに発生させてしまった場合の非難を恐れて、警察は“疑わしきは罰せず”ならぬ、無闇矢鱈と“疑わしきは監視”へと走りかねない。監視社会出現の予感がする。