菅首相は合理的認識能力を欠いているだけあって、何がトゲとなっているか理解できていない

2010-12-21 08:17:20 | Weblog


 菅首相が小沢元代表に衆院政治倫理審査会(政倫審)への自発的出席を求めたところ、例え議決をしても応じない意向を示したため、国会招致を実現するために強制力のある証人喚問の検討に入ったと、今朝の「asahi.com」記事――《首相、小沢氏喚問を検討 政倫審出席拒まれ》(2010年12月21日5時1分)が伝えている。

 小沢元代表(地方選の連敗や内閣支持率の低迷に触れて)「(国会招致で)国会がうまくいくのか」

 菅首相「トゲの一つは減ります」――

 首相周辺「落としどころは政倫審だったが、小沢氏が拒否した以上、首相は証人喚問は不可避というスタンスだ」――

 菅首相は合理的認識能力を欠いているだけあって、何が問題となっているか、いわば何が内閣運営の“トゲ”となっているか、厳格に理解できていない。

 確かに小沢元代表に関して世論は「政治とカネ」の問題と把えて、70~80%の国民が国会で説明すべきだと世論調査で示している。だが、小沢元代表が最近指摘し、菅首相との会談でも触れた地方選の連敗や内閣支持率の低迷は多少の影響はあったとしても、本質的には小沢氏と結びつけた「政治とカネ」の問題ではなく、菅首相自身の政治的資質、政治的能力が主原因となっている事態であって、小沢氏の問題を「トゲの一つ」として、それを例え抜いたとしても事態は殆んど変わらないにも関わらず、そこに問題点を見て、自身の資質に問題点を見ないのは地方選連敗及び支持率低迷の責任を「政治とカネ」、あるいは小沢元代表に転嫁する狡い遣り方と言わざるを得ない。

 問題点がどこにあるか、世論調査を見ている。菅首相はこれまでは「国民の皆さんに伝える発信力が足りなかった。今後は色々な機会に国民の皆さんに積極的に私の考え方を伝えていきたい」と発言、発信力不足が支持率低迷の原因であるかのように言っていた。このことは5月7日(2010年)の当ブログ《首相が言う「発信力が足りなかった」は偉大にして愚かな勘違い》にも書いたが、菅首相は指導力や人事、政策運営、国会答弁、その他の発言、そして人柄・人格等々、自身の諸々の姿を常に発信してきたのであり、国民は国会中継や記者会見中継も含めて各種マスメディアを通してその発信を受け止め、その評価を世論調査等を通じて逆に発信し返していたのだが、政治家と国民との関係をそうと把えることができず、「発信力が足りなかった」などと認識を欠いたことを平気で言う。

 特に尖閣諸島沖中国漁船衝突事件に於ける菅内閣の対中対応は首相を陣頭に仙谷官房長官、前原外相、馬淵国交相党の内閣の主だった連中が連日のマスメディアの報道で不足どころか有り余る発信を行ってきた。

 言ってみれば世論調査や選挙に於ける投票行動は首相自身の国の政治に関わる諸々の発信に対して国民が突きつけた通信簿でもある。それを「発進力が足りなかった」と言うのは自身の政治能力を誤魔化すだけではなく国民をも欺く誤魔化しに過ぎない。

 ここに菅首相の狡さがある。

 12月11、12両日実施の朝日新聞世論調査。(問題点としていない箇所は省略)――
 

 《菅内閣支持21% 比例投票先自・民逆転 朝日新聞調査》asahi.com/2010年12月13日16時55分)

内閣支持率21%(前回11月27%)
◆  不支持率60%(前回52%)

◆できるだけ早く衆議院を解散して総選挙を実施すべきだと思いますか。急ぐ必要はないと思いますか。

 総選挙を実施すべきだ34(31)

 急ぐ必要はない53(60)

◆仮にいま、衆院選の投票をするとしたら、比例区ではどの政党に投票したいと思いますか。

▽民主党23(28)
▽自民党27(27)
▽公明党4(4)

菅首相のこれまでの仕事ぶりをどの程度評価しますか。(択一)

 大いに評価する1(1)

 ある程度評価する25(28)

 あまり評価しない51(51)

 まったく評価しない22(18)

菅首相に今後、どの程度、期待しますか。(択一)

 大いに期待する6(8)

 ある程度期待する28(33)

 あまり期待しない43(39)

 まったく期待しない22(19)

菅さんに今後、どれくらいの間、首相を続けてほしいと思いますか。(択一)

 長く続けてほしい8

 しばらく続けてほしい49

 早くやめてほしい39

◆いまの自民党は政権を任せてもよい政党だと思いますか。そうは思いませんか。

 政権を任せてもよい26

 そうは思わない57

政権交代で政治はよくなったと思いますか。悪くなったと思いますか。変わらないと思いますか。

 よくなった8

 悪くなった22

 変わらない66

◆小沢さんは強制起訴されることになりましたが、政治資金の問題について、国会で説明するべきだと思いますか。裁判の場で説明すれば十分だと思いますか。

 国会で説明するべきだ68(65)  
 裁判の場で説明すれば十分だ24(27)

◆小沢さんの政治資金問題をめぐる民主党のこれまでの対応を評価しますか。評価しませんか。

 評価する8

 評価しない83

 この世論調査ではすぐに辞めろとは言っていないが、「長く続けてほしい」はたったの8%に過ぎない。「しばらく続けてほしい」の49%は菅直人を首相に推した主たる基準が指導力に期待を置いたからではなく、「首相がコロコロ変わるのは良くない」に置いた手前の早急な基準変更の拒否感が混じっていると見るべきだろう。

 基準変更は自身の価値観の変更をも迫ることにもなるからだ。「しばらく続けてほしい」の49%のうち指導力や期待度から判断して3分の1が基準変更にためらっていると低めに見ても、16%+「早くやめてほしい」39%=55%以上の半数を超える国民が辞任を求めていると見ることができる。

 この辞任期待度57%との菅首相の政治能力に対する否定的期待度73%、否定的評価度63%共に小沢元代表のいわゆる「政治とカネ」の問題とは何ら関わりのない菅首相自身の政治的資質の問題である。

 いわば国民はこの点を菅内閣の“トゲ”と見ている。

 次に10月10日から3日間行った「NHK」の世論調査(問題点としていない箇所は省略)――

 《NHK調査 内閣支持率25%》NHK/2010年12月13日 19時15分)

菅内閣を「支持する」  ――25%
     「支持しない」――58%

菅内閣を支持する理由

▽「他の内閣より良さそうだから」――41%
▽「支持する政党の内閣だから」 ――22%

支持しない理由

▽「実行力がないから」    ――46%
▽「政策に期待が持てないから」――33%

菅内閣に最も期待すること

▽「年金や医療などの社会保障政策」――23%
▽「景気・雇用対策」       ――17%
▽「税金の無駄遣いの根絶」    ――17%

発足から半年たった菅内閣の実績への評価

▽「大いに評価する」  ――1%
▽「ある程度評価する」 ――20%
▽「あまり評価しない」 ――49%
▽「まったく評価しない」――26%

 (4人に3人が「評価しない」)

菅総理大臣が政権運営で指導力を発揮してきたと思うか

▽「大いに発揮してきた」    ―― 1%
▽「ある程度発揮してきた」   ――15%
▽「あまり発揮してこなかった」 ――51%
▽「まったく発揮してこなかった」――29%

民主党の小沢元代表が政治資金を巡る事件について国会で説明する必要があると思うか

▽「必要がある」    ――76%
▽「必要はない」    ――11%
▽「どちらともいえない」――10%

 最後を除いた質問項目はどれを見ても菅首相個人の政治的資質を問う項目となっていて、「政治とカネ」に関係しない事柄となっている。

 実績に対する評価度に関しては否定的評価度が75%。肯定的評価度が21%。指導力に関しては否定的評価度が80%、肯定的評価度が16%。これらは小沢氏に対する対応も含まれているだろうが、殆んどは菅首相個人の政治能力を直接問い、それに答えた通信簿であろう。

 国民のこの菅首相に対する評価は菅首相が「トゲの一つは減ります」と言っているようにその“トゲ”を抜くことに成功したとしても、本質的な問題――菅首相の極めて個人的な政治指導力、言葉の軽さ、ご都合主義な発言――の解決にはならないことを情け容赦なく教えている。

 にも関わらず支持率の低迷、地方選挙の無残な連敗の「トゲの一つ」としている。

 どう見ても、大騒ぎをして小沢元代表に責任転嫁する狡猾な政局行動にしか見えない。
 
 このズルさ、狡猾さが菅首相のすべてを物語っているのではないだろうか。

 最後に参考までに12月4、5日行った普天間に関わる朝日全国世論調査を掲載しておく。

 《普天間日米合意「見直しを」6割 朝日新聞世論調査》asahi.com/2010年12月15日23時0分)

日米合意に関して。

「見直して米国と再交渉する」――59%
「そのまま進める」     ――30%

「見直し」

民主支持層――61%
無党派層 ――62%
自民支持層――47%

「そのまま進める」

自民支持層――41%

「日米合意を見直しの移設先」(三つの選択肢)

「国外に移設する」  ――51%
「沖縄県以外の国内」 ――32%
「沖縄県内の別の場所」――12%

沖縄に米軍の基地や施設が集中している現状について「沖縄に犠牲を強いていることになり、おかしいと思うか。それとも地理的、歴史的にみてやむを得ないと思うか」

「おかしい」  ――48%
「やむを得ない」――45%

「おかしい」――

「日米合意を見直して米国と再交渉する」――76%

「やむを得ない」――

「そのまま進める」――45%
「見直し」    ――46%

沖縄の米軍基地などを整理縮小するため、一部を国内の他の地域に移すことについて

「賛成」――57%が
「反対」――28%


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沖縄、歴代政府の基地問題に関わる不作為な“甘受”を記憶すべし

2010-12-20 08:36:55 | Weblog


 沖縄の歴史について詳しいわけではない。まるきり詳しくない部類に入る。新聞やインターネット情報から知ったコマ切れの知識しか持ち合わせていないが、多くの日本人が記憶しておかなければならない沖縄の歴史だと信じている。当ブログ記事で取り上げたものの含めて、改めて振り返って記憶を新たにしたいと思う。

 〈廃藩置県に伴って明治政府は1879(明治12)年、軍隊と警察を派遣して琉球王国を廃止、日本に組入れる「琉球処分」を行って沖縄とするが、明治政府の皇民化圧力を自ら応えようとする沖縄側からの過剰な〝ヤマト〟への同化意識は内地の人間の元々は〝ヤマト〟に属していなかった遠い新参者(しんざんもの)である沖縄人に対する差別をなくそうとする努力でもあったという。

 その手段としての皇民意識の共有、沖縄風から日本風への改姓改名運動、沖縄方言の撲滅と標準語奨励運動等のヤマト化があった。

 本土の人間の沖縄人に対する象徴的な差別を1999年5月16日の「朝日」夕刊(≪邊境論 これで、あんたたちと同じ≫)は次のように伝えている。

 沖縄出身の女性の戦争中の内地での体験記である。(内地の)〈奥さんはどこで情報を集めたのか、サイパン島の、住民を巻き込んだ悲惨な戦闘の模様を、こと細かに話した。

 最後に何気なく言った。

 「玉砕したのは、殆ど沖縄の人だったんですって。内地人の犠牲が少なかったのは、せめてもの救いだったんですって」

 そう、差別とは命の差別まで含む。命に軽重を生じせしめる。「これで、あんたちと同じ」記事題名の由来は、帰郷したその沖縄女性が沖縄風の名前をヤマト風に改姓改名して、<「これで、あんたたち(本土)とおなじでしょ・・・・」>と内地の日本人と同等の立場に立てたとしたときの述懐である。

 しかし、沖縄人がいくらヤマト風を装っても、沖縄の人間の命を自分たちの命よりも一段低く見る本土の人間の意識はそのまま残る。

 内地の〈奥さん〉の「沖縄の人だったんですって」の「人」は丁寧語であろう。「どこそこの方(かた)」と同じく、よその国やよその土地の人間を指すときの日本人得意の丁寧語となっている。「中国の人」、「中国の方」、「韓国の人」、「韓国の方」――というふうに。だが、「沖縄の人だったんですって」の場合は言葉は丁寧語を当てていても、込められている意識は本人は気づいていなくても、〝丁寧〟の意図とは反する差別意識を含んでいる。政治家がよく使う「国民の皆様」と同様に、丁寧語・敬語等が額面どおりの丁寧さを表していないことの証明であろう。

 沖縄上げてのそういった(皇民化・内地化の)努力にも関わらず、戦争では本土防衛のための捨石(結果的に)とされた上に敗戦と同時に1972年までアメリカの統治下に置かれる内地が味わわない辛酸を舐めされられた。

 【捨石】――「囲碁で、より以上の利益を得るために作戦としてわざと相手に取らせる石」(『大辞林』三省堂)

 沖縄の辛酸に対して、それ相応の代償で報いるならまだしも、米軍基地の集中と失業率全国一の名誉が戦後経済大国日本の富の配分として与えられた報奨であった。〉(《集団自決「軍強制」を修正検定 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

 その戦後――


戦後の沖縄「Wikipedia」 アメリカの統治による琉球政府

「アメリカ合衆国による沖縄統治」を参照

戦争終結後、アメリカ政府は沖縄県は独自の国で、日本に同化された異民族としてアメリカ軍政下に置いた。しかし、朝鮮戦争の勃発によってアメリカ政府の琉球に対する見方は「東アジアの要石」へと次第に変化し最前線の基地とされると、アメリカ本土からの駐留アメリカ軍が飛躍的に増加した。旧日本軍の施設以外に、米軍は軍事力に物を言わせ、住民の土地を強制的に接収した。いわゆる「銃剣とブルドーザーによる土地接収」である。(土地を接取され、住む場所を失った住民はテント式の収容所に強制移住させられる。)

1952年(昭和27年)4月28日発効の日本国との平和条約で、潜在的な日本の主権は認めながら、正式にアメリカ軍の管理下に置かれるようになった。アメリカは琉球政府を創設して軍政下に置き、各地にアメリカ軍基地・施設を建設した。アメリカ兵による事故・事件が頻発し、住民の死亡者も相次いだ。この状況に対し、県民有志は「島ぐるみ闘争」と呼ぶ抵抗運動を起こし、また、このころから県民は日本復帰を目指して活発な祖国復帰運動を行い、1960年(昭和35)に沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)を結成した。なお、このころの米大統領アイゼンハワーは、返還する気は全く無かったようである。

1960年代のベトナム戦争によって沖縄が最前線基地とされると、駐留米軍が飛躍的に増加し、これに伴って事件・事故も増加した。また爆撃機が沖縄から直接戦地へ向かうことに対し、復帰運動は反米・反戦色を強めた。一方、米軍による需要がある土木建築業、飲食業、風俗業などに携わる勢力は、復帰反対や米軍駐留賛成の運動を展開し、彼等の支援された議員が復帰賛成派の議員と衝突した。

 戦後本土にも米軍基地は設置されたが、日本の1951(昭和26)年サンフランシスコ講和条約締結後も米軍軍政下に置かれた敗戦国の国民としての地位を沖縄県民が“甘受”させられていたその沖縄の構造を歴代の日本政府は米国を上に置き、日本を下に置いた同じ構造で“甘受”し、1972年の本土復帰以後もその構造を既成事実として、過重な基地負担を沖縄に過重なまま押し付けるのみで見るべき基地環境の改善も行わない不作為に終始し、現在に至っている日米同盟に於ける沖縄の米軍基地の現状――過重なままの基地負担ということではないだろうか。

 歴代日本政府はアメリカに対して基地負担に限らず、外交政策に於いても内政問題に於いても主体的・自律(自立)的な行動を取ることができなかった。

 このことを記憶しなければならない。

 だが、沖縄及び沖縄県民は今、既成事実に乗っかり、不作為を常としている日本政府に対して現在の基地を含めた沖縄の既成事実を変えるべく主体的・自律(自立)的行動を取ろうとしている。

 このことも記憶しておかなければならない。

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菅首相の初めに辺野古あり、沖縄ありの自己都合な沖縄記者会見

2010-12-19 07:20:17 | Weblog


 菅首相が17、18の両日沖縄を訪問。仲井真知事に普天間の辺野古移設を求めたが、逆に県外への移転を求められて話し合いは平行線を辿った。そして18日午後記者会見。その発言から色々と知ることができる。

 先ずは「asahi.com」記事から全文参考引用――
 

 《「辺野古案は危険除去や負担軽減になる」18日の菅首相》asahi.com/2010年12月18日19時32分)
  
 菅直人首相が18日午後、視察先の沖縄県嘉手納町で記者団の質問に答えた内容は、以下の通り。

 【沖縄訪問総括】

 「昨日、沖縄知事選が終わって、初めて沖縄に訪問いたしました。今回の訪問は二つのことを目的として、あるいは目標としてやってまいりました。一つは沖縄について、総理として、私がどんな風に考えているのか、そのことを知事はもとよりでありますけれども、特に沖縄の県民の皆さんに私の考え方を伝えたいというのが一つの大きな目的であります。そしてもう一つは、沖縄の現状を改めて、基地の問題、また沖縄振興の観点から、しっかりとこの目でみたいと。ま、この二つの目的でお邪魔をさせていただきました」

 「幸い昨日の知事との会見の席で、県民の皆さんに向かっても私の考えを申し上げる機会をいただきました。また、今日は天候にも恵まれまして、沖縄本島全域をヘリコプターで視察をし、また昨日今日といくつかの施設等をみることができまして、二つ目の目的も、大変、実現することができたと、このように考えております。そう言った意味で、後ほどいろいろとご質問をいただけると思いますけれど、まだまだいろいろな意見の違いや、いろいろな見方の違いはありますけれども、丁寧に、しっかりと議論をつみ重ね、あるいは議論を進めていくことができる、そういう訪問になったと、そういうことができたとこのような感想を持っております。私から以上冒頭申し上げました」

 【基地負担軽減】

 ――昨日知事との会談で基地負担を日本全体で考えるべき問題だと発言。具体的にどのように進めていくのか。

 「私が申し上げたのは、知事の方が、米軍基地の存在が日本の安全保障上必要であるとする、あるとする方、私を含めて多いわけですが、そのときは『日本全体で受け止めて考えて頂くことが必要だ』との趣旨を言われましたので、そのこと全体について、知事がおっしゃることは、正論だと思うということを申し上げました。このことは従来から、本当に昨日のお話でも申し上げたように、沖縄が本土に復帰してから以降においても、本土の米軍基地がかなり減る中で、沖縄の基地があまり削減されなかったというこの間の経緯を見ても、昨日も私も申し上げましたが、私も政治に携わる者として大変忸怩(じくじ)たる思い、あるいは慚愧(ざんき)の念に堪えないところであります」

 「私は、日本全体の皆さん、この日本の安全保障のために日米安保条約が必要であり、米軍基地の日本国内の存在が必要であると、そういう風に思っておられる方も私含めて多いと思いますので、そういう中でこの問題を全国民の課題として、しっかり受け止めていかなければならないと、こう思っておりますし、こういう形で申し上げることも、いわばそういうことを全国民に、あるいは全47都道府県の、沖縄以外の46都道府県の皆さんにも考えて頂きたいという思いで申し上げさしていただいたところであります」

 【県民との直接対話】

 ――県民に総理自身の考えを伝えたいというが、しかし市町村長や市民には会わなかった。総理の思いは県民に理解されると思うか。今後直接対話の機会を設けるか。

 「私はこの間も沖縄の皆さんのいろいろな声は、知事ご自身からもですね、自ら公約をされた県外というご意見も含めお聞きいたしておりますし、いろいろな機会にお聞きをいたしております。その中で今回は私自身の考え方をまずきちっとお伝えすることが、この段階で私としてやらなければいけない第1弾目の、やるべきことだと考えたわけであります。今後、あるいはこれからも、これまでもそうですが、いろんなご意見を聞く機会はあると思いますけれども、まずは、なぜこのような判断を私がしたかということを、昨日は、私なりの知識ではありますけれども、この沖縄の歴史をさかのぼる中で、私の見方、考え方に触れて申し上げたところです。なかなかこういう形で、自分の考えをきちんと伝える機会がこれまで十分になかったものですから、そういう意味では、コミュニケーションをする上ではいろいろなご意見をこれまでも聞いてきました中で、総理大臣という立場できちんと伝えるというのは今後のコミュニケーションを深めていく、大きな一歩になると、あるいはなったと、このように思っております」

 【沖縄振興と基地負担軽減】

 ――沖縄県向け別枠の一括交付金に言及。基地問題に理解求めるのと、振興策を同時に提示するやり方で基地問題の解決はかられると思うか。

 「この一括交付金交付金、あるいは沖縄振興の新法をぜひ新たにつくるようにというそういう要請は、昨日のその場でもそうでしたし、それ以前から、知事から強く要請を頂いてきたことであります。基本的には今おっしゃったように、基地負担の軽減は軽減として、そして沖縄の振興は振興として、それぞれ政府として取り組まなければならない課題でありますし。中には基地跡の活用などはダブる部分もあります。ですから昨日、パーティーにおいても、私の沖縄全体に関する考え方を申し上げた上で、知事からのいろいろ要請があった問題について、いま、政府としてそれをしっかり受け止め、やろうとしていることについては、それもふまえて説明をいたしました。それは二つのことをそれぞれしっかり政府としても取り組むという、そういう姿勢で申し上げたつもりであります」  

 【普天間問題の日米関係への影響】

 ――来年春に訪米を予定されるが、普天間問題に期限を設けないで取り組むとの姿勢だが、総理が同盟関係を強調するなかで、日米同盟関係の最重要課題に何の成果も出ず、解決の状態が見えないことが日米同盟にどのような影響があると思うか。

 「私は、日米関係、あるいは日米同盟というものの重要性は、ある意味、近年、特にこの1年、より強まったというふうに考えております。そういう中で日米同盟の真価については、先のオバマ大統領との首脳会談の中でも、私のほうから三つのカテゴリーで進めたいということを申し上げ、そうだという理解をいただいております。第1は安全保障の問題。第2は経済の問題。そして第3は文化や人の交流の問題。この三つのカテゴリーで進めていこうということで、来年、半ばまでに訪米して、そう言う考え方を踏まえながら、できれば何らかの共同声明といった形を、実現したいと考えております。そういう幅広い中で、もちろん安全保障の課題の中のひとつとして、この普天間の問題が存在することはその通りでありますけれども、私は全体の日米同盟深化ということの方向性が、より進むことが重要であると思っておりまして、その中における、普天間に関してのいろいろな今後の努力は、当然しっかりやってまいりますけれども、そこにだけ何かこう、焦点が集まるということではなくて、もっと幅広い日米関係の深化の大きな一歩にしたいとこのように思っております」

 (「全体の日米同盟深化ということの方向性」を重要視するなら、その「全体」の中に日米双方の地域的全体性も含めるべきであろう。その地域全体性の中に「安全保障の問題」、「経済の問題」、「文化や人の交流の問題」も含まれることになる。)

 「それから冒頭ひとつ、ちょっと、いい忘れたので付け加えさせていただきますが、私は今回最初には那覇の飛行場に新設された、貨物の、カーゴの国際流通の基地、あるいはITの津梁パーク等を見てまいりました。本当にですね私は、日本全国47都道府県の中で最も人口も増大し、そして観光を追い越す形でITが活発な企業活動が進展し、さらには沖縄というこの地理的条件を積極的に生かした、アジアの窓口としてのいろいろな貨物輸送などの基地化というものが進んでいる、最も日本で元気のいい地域が沖縄だということを実感をいたしました。そういう意味で、基地経済からの脱却は既に大きく進んでおりますけれども、沖縄は、これから日本のなかでも最も活力のある地域として発展するであろうと思いますし、知事も、もう10年、後押しをする新たな法律をぜひやって欲しいと、そうすればそうしたことも十分にカネになるという自信をも含めておっしゃっておりましたので、私たちとしてもですね、ぜひ沖縄が日本で最も発展する地域に、今なりかけている、なろうとしているという認識の中で、政府としても取り組んでいきたい。このことをすこし付け加えさせていただいておきます」

 【「ベター」発言】

 ――総理、総理…。

 「じゃあ1問だけ」

 ――仲井真知事との会談で辺野古はベターと発言したことに県民から反発。この発言の真意を。ベター発言の撤回するつもりはあるか。

 「昨日の夕方のぶら下がりでもお聞きになりましたんで、その場でも申し上げたけど、これは知事ご本人もそうですが、沖縄の多くの皆さんは、県外あるいは国外が最も望ましいというか、そう思っておられることは私もよく認識をしております。一方で、この普天間の危険性の除去ということは、これは本当に避けては通れない、重要な課題だと、そう認識しております。ま、そういうなかで私が申し上げたのは、沖縄の皆さんにとっては、県外国外ということを望まれていることはわかるけれども、現在における国際情勢や実現性を考えたときに、今の辺野古の案は、多くの点で、普天間の危険性を大きく除去することにもなるし、あわせて40%の海兵隊員がグアムに移転する、あるいは嘉手納以南のいくつかの米軍施設を返還するなど、そういう意味での基地負担の軽減につながることもあるので、そういう意味でですね、ぜひ皆さんにも考えて頂きたい、という、そういう趣旨で申し上げたところであります」

 菅首相は二つの目的をもって沖縄を訪問した。一つは沖縄について総理としてどのように考えているか、知事を始め沖縄県民に伝えること。

 もう一つの目的は基地の問題や沖縄の振興の問題等の沖縄の現状を改めて自分の目で見ること。

 最初の目的に関しては仲井真県知事との会見を通して仲井真知事に伝えると同時に、「県民の皆さんに向かっても私の考えを申し上げる機会をいただきました」としている。いわばマスコミ報道等の間接的伝聞を以ってして自分の考えを伝えたと。

 「沖縄の県民の皆さんに私の考え方を伝えたい」と意思表示したのは首相自身である。果して仲井真県知事に伝えたことを以って県民に対する考えの伝達だとすることができるのだろうか。この意思伝達は間接的であるばかりか、一方向、一方通行の伝達でしかない。知事との会談では知事は直接的な批判も反論も否定も可能な両方向の意思伝達の機会を持ち得るが、県民は自らの直接的な意思表示としての批判も反論も否定も無視された。そのような扱いを受けた。

 会談に対する評価が、「いろいろな見方の違いはありますけれども、丁寧に、しっかりと議論をつみ重ね、あるいは議論を進めていくことができる、そういう訪問になったと、そういうことができたとこのような感想を持っております」と無邪気に自己正当化できる合理的認識能力を欠いた楽観論は素晴らしい。

 殆んどの報道が会談は平行線を辿ったと書いているが、仲井真知事が会談で「日米合意の見直しをぜひお願いしたい。県内ではなく、県外をぜひ求めていきたい」と主張している以上、辺野古への移設、あるいは日米合意に関しては実質的には「議論を進めていく」ことを拒否したのであり、沖縄県民の大多数も県知事と立場を同じくしている。

 県外移設を公約に掲げて当選を果たした仲井真知事が変節しない限り、議論を進めることの拒否は続く。

 日米合意の撤回と県外への移設、そして沖縄振興問題に関してみ、「議論を進めていく」余地を残した。「そういう訪問になった」。

 仲井真知事が基地問題は「日本全体で受け止めて考えて頂くことが必要だ」と主張したのに対して、菅首相は「全国民の課題として、しっかり受け止めていかなければならない」、「全国民に、あるいは全47都道府県の、沖縄以外の46都道府県の皆さんにも考えて頂きたいという思いで」、「基地負担を日本全体で考えるべき問題だ」と仲井真知事と考えを同じくしたと言っている。

 では、「全国民の課題」とすべく、あるいは「基地負担を日本全体で考えるべき問題」とすべく、どのような努力を払ったのだろうか。訓練の分散は図ったかもしれない。だが、訓練の部分的分散のみでは全国土0・6%の沖縄県に日本全国駐留米軍基地のうち75%も集中負担している現状の根本的解決にはならないはずだ。

 基地そのものの撤去に関しては初めに辺野古ありき、日米合意ありきで「全国民の課題」とすべく行動した様子は少なくとも菅内閣になってからは窺うことはできない。

 行動していないのに、「全国民の課題として、しっかり受け止めていかなければならない」と言い、「全国民に、あるいは全47都道府県の、沖縄以外の46都道府県の皆さんにも考えて頂きたいという思いで」、「基地負担を日本全体で考えるべき問題だ」と言う。

 これは有言不実行の典型で、単に言葉を走らせているに過ぎない。2001年7月の参院選時に沖縄で野党民主党幹事長として発言した「海兵隊は即座に米国内に戻ってもらっていい。民主党が政権を取れば、しっかりと米国に提示することを約束する」にしても言葉を走らせただけのことだから、政権を取っても野党から与党への立場の変化、代表から国と国民に責任を持たなければならない総理大臣への立場の変化、北東アジアの安全保障の環境変化等を口実に実行に移すことはなかった。

 上記約束を自身のブログで、「その場の思いつきでもリップサービスでもなく、民主党の基本政策と矛盾してはいない」と補強証明していながらの背信である。

 菅首相の発言は状況次第、立場次第の変数に過ぎず、どうとでも変わる発言となっている以上、その発言は常に責任を伴わない発言となる。

 記者との質疑に入って、「今後直接対話の機会を設けるか」と聞かれると、沖縄県民の声は知事を通して聞いたとし、自分自身の考え方を伝えることが「第1弾目の、やるべきこと」だと、県民の声よりも自身の声を優先させている。

 このことからも初めに日米合意ありき、辺野古移設ありきを窺うことができる。仙谷官房長官が「甘受していただく」と言ったと同様に国を上に置いて下に置いた沖縄に対して無条件的に受け入れされようとする権威主義的な意志を忍ばせた態度となっている。

 このことは次の、「これまでもそうですが、いろんなご意見を聞く機会はあると思いますけれども、まずは、なぜこのような判断を私がしたかということを、昨日は、私なりの知識ではありますけれども、この沖縄の歴史をさかのぼる中で、私の見方、考え方に触れて申し上げたところです」と首相自身の「見方、考え方」を伝えることを優先させていることにも現れている。

 言葉を替えて言うと、沖縄県民よりも私の優先となっている。

 「コミュニケーションをする上ではいろいろなご意見をこれまでも聞いてきました中で」とは言っているが、沖縄県民の意見、主張、あるいは民意を一切取り入れない「コミュニケーション」はコミュニケーションの体裁を為しているとは言えず、首相の聞いた行為自体が馬の耳に念仏同様、無効な作用しか働かせていない。

 沖縄県民の考え、意見を役立たせていない上に自分を優先させているから、沖縄県民と直接的なコミュニケーションの場を設けないにも関わらず、「総理大臣という立場できちんと伝えるというのは今後のコミュニケーションを深めていく、大きな一歩になると、あるいはなった」と、自身の考えを伝える一方通行を以ってして「コミュニケーションを深めていく」方法だとすることができる自己都合な解釈も可能となる。

 この自己都合な解釈も自身の発言を状況次第、立場次第の変数としていることと相互対応させたものであろう。

 一括交付金の問題は菅首相としたらこれを手土産として辺野古容認へと向けて仲井真知事の反対姿勢を軟化させたいだろうが、今のところ仲井真知事は基地移設と沖縄振興を別個の問題として扱っている。あとは仲井真知事がこの態度を厳しく守るか、変節するかにかかっている。
 
 日米関係への影響について、日米同盟を「安全保障の問題・経済の問題・文化や人の交流の問題」の「三つのカテゴリーで進めたい」とした上で、日米同盟は普天間の問題だけのことではなく、「全体の日米同盟深化ということの方向性」により重点を置いていると言っている。

 「全体の日米同盟深化ということの方向性」を重要視するなら、その「全体」は日米双方の地域的全体性をも意味しなければならないはずだ。沖縄だけの特定の一部地域のみの「日米同盟深化」であったなら、「全体の日米同盟深化ということの方向性」へは進まない。

 いわばこの地域全体性の中に「安全保障の問題」、「経済の問題」、「文化や人の交流の問題」を含むことによって、本土、沖縄「全体の日米同盟深化ということの方向性」という体裁を取ることができる。

 そのような体裁を取って初めて仲井真知事が基地問題は「日本全体で受け止めて考えて頂くことが必要だ」とした発言に合致する「全体の日米同盟深化ということの方向性」となり、合致させなければならない「全体の日米同盟深化ということの方向性」であろう。

 菅首相は日本の首相としてこの地域全体性に則った「全体の日米同盟深化ということの方向性」を推進する責任を負っていることになる。

 だが、既に指摘したように「全国民の課題として、しっかり受け止めていかなければならない」と口で言うのみで、何ら努力の跡を窺うことができない不実行のみが露となっている。

 「ベター」発言については昨日のブログに書いた。

 自己都合のみしか見て取ることができない記者会見としか言いようがない。

 沖縄県民の大多数は「国外・県外」の意思を示している。辺野古への移転が実現しなければ、普天間基地は存続することになり、普天間の危険は残るとする発想自体が間違っている。政府の意志で普天間の基地を閉鎖し、駐留米軍の自衛隊と連携させた効率的運用を計画立てて本土へ分散を図ることは決して不可能ではないはずだ。

 このことを遮っている要因は初めに辺野古あり、沖縄ありの政府の態度であろう。


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菅首相の沖縄の“ベスト”を考えない、内閣に“ベター”は仙谷官房長官の「甘受せよ」と同列・同質の発想

2010-12-18 07:37:25 | Weblog

 
 昨17日(2010年12月)午後、菅首相が沖縄を訪問した。

 《菅首相来県 安保の矛盾と“差別”直視を》琉球新報/2010年12月17日)

 〈菅直人首相が今日、来県する。〉の出だしで、沖縄来県を控えた記事。

 〈これほど来県を歓迎されない首相も珍しい。おそらく、前任の鳩山由紀夫首相より不評度は高い。

 答えは、はっきりしている。県民の総意、民意に背く施策を押し付けるための来県だからである。〉
――

 どういった会談内容だったか、《普天間問題は平行線 菅首相が沖縄訪問、知事と会談》asahi.com/2010年12月18日3時9分)から見てみる。

 記事題名は「平行線」となっているが、「琉球新報」が、〈これほど来県を歓迎されない首相も珍しい。〉と言っているとおりなら、腐った生卵を20個、30個投げつけられて沖縄県庁にも入れない悪待遇を受けると思いきや、例え平行線でも、話し合いを持てただけで菅首相は有り難いと思わなければならない。

 菅首相「普天間の危険性除去を考えた時、辺野古はベストの選択ではないかもしれないが、実現可能性を含めてベターの選択ではないか」

 辺野古移設に伴う「プラス」面として在沖縄海兵隊員約8千人のグアム移転や県南部の基地返還計画を挙げて――

 菅首相「国際情勢を考えた中で、ベターな選択として辺野古移転をもう一度皆さんにも考えていただけないか」

 仲井真氏「日米合意の見直しをぜひお願いしたい。『県外へ』というのが私の公約であり、政府も真正面から受けていただいて、県民の思いを実現できるようお力添えをお願いしたい」

 そして夜になって、菅首相は滞在先の那覇市内のホテルで仲井真氏と会食。

 菅首相「250億円を下回らない範囲で用意したい」

 これは来年度予算から導入する国から地方へのヒモ付き補助金の一括交付金化の一環で、沖縄分を「別枠」として優遇し、「250億円」ということだから、基地容認と引き換えなのは明白である。

 そのほかに〈来年度末で期限切れとなる沖縄振興特措法に代わる新法制定や、駐留軍用地の跡地利用促進に関する法整備も約束した。〉と大盤振舞い。

 この大盤振舞いがどうなるか、昨17日(金)の「MY Twitter」――〈「一括交付金、沖縄優遇策は維持方針 首相が知事に伝達へ菅首相が今日沖縄を訪問し維持を表明」 日本の政治十八番のカネ釣りの裏技を手土産に沖縄に勇んで乗り込んだとしても、エサだけ取られて、肝心の辺野古容認の獲物は釣れずじまいで終わることだろう。posted at 10:42:10〉――

 大体がそういった結果で終るだろうと予想している。

 「普天間の危険性除去を考えた時、辺野古はベストの選択ではないかもしれないが、実現可能性を含めてベターの選択ではないか」の発言は「普天間の危険性除」と辺野古容認を交換条件として、「ベスト」ではないが、「ベター」ではないかと迫る内容となっている。

 いわば、「普天間の危険性除」の点で沖縄県民を思い遣っていると言えるが、沖縄県民の民意が県内移設を反対している状況を踏まえた場合、辺野古移設に関しての「ベター」は沖縄県民に配慮した発言ではなく、日米合意を推進し、完遂するために菅内閣にとって都合のいい、自分たちを配慮した「ベター」でしかない。

 この自己都合な姿勢は政府は沖縄全体のことを考えていると言うだろうが、実質的には沖縄の基地問題を普天間の移設と辺野古移設に矮小化しているからだろう。だから交換条件とすれば解決できるとする考えに立つことができる。
 
 12月3日(2010年)の当ブログ《菅首相、仲井真沖縄県知事と怪談、民意・公約への裏切りを要求する怪談が飛び出した - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に次のように書いた。

 〈少なくとも戦前の沖縄戦から今日まで、沖縄には戦争、基地で過重に強いてきた歴史的な負担のト-タルと全国土0・6%の沖縄県に米軍基地が75%も占めている今日の加重なまま続いている基地負担を併せて和らげる政治的創造性を求められているはずである。

 菅首相が言う「基地負担の軽減」は沖縄の歴史的な負担のトータルをも含めた「軽減」ではなく、それを置き去りにした、単に基地を受け入れさせるための交換条件として掲げた機械的なプラスマイナスの軽減でしかない。

 最初に県内移設ありきだから、沖縄の負担の歴史を考えることもできず日本の安全保障のみを理由に基地負担の押付けができる。

 野党時代は沖縄に弁軍基地は要らないと言っていながらの、シラッーとした顔でできる「公約とは違うかもしれないが」の基地押し付けである。〉

 この菅首相の発言は仲井真知事が沖縄県知事選の再選を11月28日に決めて4日後の12月2日に上京、菅首相と首相官邸で会談したときのものである。

 仲井真知事「日米共同発表をぜひ見直して、県外移設の実現をお願いしたい。これが私の公約の大きな部分を占めている」(NHK

 菅首相「知事の公約はよく拝見してきた。公約とは違うかもしれないが、政府としては、5月28日の日米合意の中で基地負担の軽減に努力し、しっかりと意見交換して、何とか方向性を見いだしたい」(同NHK

 沖縄県民が戦前から今日まで抱えてきた戦争や基地に関わる歴史に対する配慮は一切窺うことができない。首相となっていくら立場を変えることになったからと言っても、元市民派だとは思えない態度となっている。だから、エセ元市民派と名付けている。

 昨日、仲井真知事が会談終了後、記者団に語った発言。

 仲井真知事「ベストでなくてベターだというのは勘違い。県内(移設)は全てバッドの系列にしかなっていない」

 沖縄県民、及びその民意と何ら関わらない場所に立っているから可能とすることができる、菅内閣にとっての「「ベター」であり、沖縄県民、及びその民意に深く関わった場合、「バッドの系列」だということである。

 180度、価値観を正反対としている。そのことを無視して、「国際情勢」を錦の御旗に本質的には国家主義的立場から県内移設を容認させようとしている。

 菅首相のこの姿勢は仙谷官房長官の13日の「沖縄の皆さん方にはしわ寄せをずっと押しつけてきた格好になっている」と言いながら、「国民に安心を与えるような安全保障政策」を錦の御旗に「沖縄の方々には、そういう(安全保障の)観点から、誠に申し訳ないが、こういうのことについては甘受していただくというか、お願いしたい」の発言と同列・同質の発想によって成り立っていると言える。

 12月15日の当ブログ《仙谷官房長官の辺野古移設「甘受」発言には問答無用の権力的な強制意志が働いている - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いたが、〈【甘受】なる言葉は上が無条件的に下を従わせ、下が無条件的に上に従う権威主義のメカニズムを基本的骨組みとしている。〉

 自分たち国家を上に位置づけ、権威主義的に、あるいは中央集権的に沖縄を国家の下に位置づけて上から下への強制意志を働かせている点が菅首相にしても同じように働らかせているからだ。
 
 今回の沖縄知事選に立候補して仲井真知事に惜しくも敗れた《伊波洋一氏のTwitte》〈昨日は、県民広場で仙谷官房長官の「沖縄は米軍基地を甘受していただきたい」との暴言への抗議と菅首相来沖に反対する集会があった。「甘受」を辞書で引けば、甘んじて受けること、快く受けること、だ。県知事選挙で、現知事も「県外移設」を主張して当選した事実を、国は決して軽く見るなと言いたい。 12:18 AM Dec 17th webから 〉に返信したMY Twitte――

〈HTeshirogi「甘受」とは上に位置する者から下に位置する者に向かって発せられる権威主義の関係を持たせた語であって、逆の使用はあり得ない。無条件的に受入れよの意志を含んだ言葉。戦前は「お国のために」で甘受させた。@ihayoichi 「『甘受』を辞書で引けば甘んじて受けること、快く受けること」 posted at 04:26:06〉――

 少し言い直したい。〈「甘受」とは両者の関係を上下の権威主義的関係性で把えて、上に位置づけた者から下に位置づけた者に対して無条件的に受け入れさせる強制的意志を含んでいる〉――

 沖縄及び沖縄県民は自らを国家よりも上に立たせて、「菅内閣は日米合意を“甘受”せよ」と命令したらいい。


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視野狭窄な菅首相の視野狭窄な事例

2010-12-17 09:26:34 | Weblog

 これから書く内容はすべてブログに既に取り上げているが、菅首相が如何に視野狭窄に出来上がっているかという側面から再度取り上げてみる。

 菅首相と福島社民党党首が6日(2010年12月)昼に会談、そこで福島党首は武器輸出三原則の見直しに対する再考を求め、菅首相は翌7日に防衛大綱への武器輸出三原則見直しの明記を見送った。

 菅首相は内閣の政策を売ることまでしたのだから、当然それ相応の見返りを計算していたはずである。大方のマスコミが衆院3分の2確保の数合わせだと報じたが、それ以外に社民党に求めるものはなかったはずだ。

 その会談で安全保障政策で水と油の社民党と普天間基地移設問題で密約が交わされたのではないかと疑った。交わなければ、武器輸出三原則の見直し撤回のみで民主党と社民党間の政策上の障害を取り除いたとは言えないからだ。普天間移設に関してはそれぞれが個別的政策として扱い、民主党は日米合意を推進、社民党は反対というそれぞれに異なる態度を取るとする密約である。

 密約の社民党に於ける見返りは一般的な政策での擬似与党的な位置の確保による自党政策の推進にあるのだろう。

 こういった密約を交わしていたなら、民主党は個別的な政策協議に加えることはあっても、社民党側から言うと、社民党は個別的な政策協議に加わることはあっても、全体的な政策協議に加えることも加わることも条件としてあり得なかったはずである。

 だが、菅内閣は社民党を公に報道されることになる全体的な予算編成協議に加えた。数合わせの見返りとして連立与党扱いとしているのは頷けるが、個別を破った場合、安全保障政策のタブーに触れる危険性を地雷として抱えることを菅首相は福島党首との党首会談で見通すことができなかったために密約を交わさなかったことになる。

 このことは以後の経緯が証明している。社民党は国民新党を加えた民主党との政策責任者による3党予算編成協議で米軍普天間飛行場の辺野古への移設に関する予算計上と法人税減税に反対、民主党は結局3党合意を見送っている。福島党首は来年度予算案について「提出前に合意しない」とまで発言。

 この協議で露になったことはやはり民主党と社民党の安全保障政策の水と油の違いであった。水と油の違いを世間に改めて曝け出すために菅首相は福島党首と会談して社民党の数を手に入れるために武器輸出3原則の見直し撤回を行ったわけではあるまい。

 考え得る答を12月11日(2010年)のブログ《菅首相と福島社民党党首の武器輸出三原則見直し撤回の会談は何のためだったのか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に、〈最悪の疑いは菅首相が社民党の6名の数を引き入れることだけに目が行っていて、予定していた武器輸出三原則見直しの撤回をカードとして成功すれば、後は障害なく内閣を運営することができると思い込んでいたのではないかという疑いである。〉と書いた。

 菅首相の場合、一つのことに目が行くと、他の事が目に入らず、物事を全体的に把えることができない視野狭窄状態になる場面を他にも例として挙げることができる。12月10日の拉致被害者家族会と面会したときの発言もその一つであろう。


 菅首相「北朝鮮による砲撃があり、アメリカ軍も含めた一触即発の状況も生まれてきている。万一のときに、北朝鮮にいる拉致被害者をどうすれば救出できるか、準備や心構えなどいろいろなことを考えておかなければならない」

 菅首相「救出に自衛隊が出て行って、韓国を通って行動できるかどうかというルールはきちんと決まっていない」

 朝鮮半島有事を想定することは間違っていない。だが、救出に自衛隊機が出て行って、韓国を通って北朝鮮にいる拉致被害者を救出するという発言は拉致被害者家族を前にして拉致被害者を救出することにのみ目が行っていたからこそできる視野狭窄な発言としか言いようがない。

 この救出方法には北朝鮮の攻撃を受ける可能性への言及が何一つないからだ。攻撃を受けても尚且つ救出作戦を続行するにはその攻撃に対して攻撃を上回る反撃を行わなければ、救出は不可能となる。当然、武力の不行使を規定している憲法9条にも触れることになる。

 いわば北朝鮮による攻撃の可能性、憲法9条抵触の可能性まで頭に入れて行わなければならない発言でありながら、救出と言う一つのことにのみ目が行って、ほかの事に向ける目が疎かとなり、物事を全体的に把えることができない視野狭窄に侵されていたとしか言いようがない発言となっている。

 当然この発言は野党や一般から激しい批判を受けている。すると翌11日になって、「拉致被害者のみなさんはもちろんですが」と言いつつ、韓国滞在の邦人救出のことを言ったのだと話を摩り替える誤魔化しを行い、韓国との間に協議を進める方針だと発言を変えているが、これも視野狭窄からの発言だと分かることになる。

 かつて日本の植民地とされ、日本の軍隊に国土と人権、あるいは人間性や文化・習慣までも蹂躙された韓国の戦後も残る日本の軍隊である自衛隊に抱いている忌避感・抵抗感まで物事を全体的に把え、考えることができずに、韓国との間に前以ての話し合いも準備もなく視野狭窄にも言葉だけ先行させた。

 《自衛隊派遣「現実性ない」 韓国大統領府関係者、半島有事の邦人救出で》MSN産経/2010.12.12 23:57)

 大統領府関係者(菅首相の発言がどのような脈絡で語られたか分からないとした上で)「現実性のある話ではない。深く考えて述べたものではないだろう」

 一国の首相の公の場での発言が「深く考えて述べたものではないだろう」と看做される、その首相の視野狭窄な認識能力はどのような逆説で成り立っているのだろうか。

 諫早湾訴訟2審の堤防の排水門を5年間開けるよう国に命じた判決に菅首相自身の判断で上告断念を決めたことも支持率アップの人気取りにのみ目が行き、結果的に他の事に向ける目が疎かとなった、物事を全体的に見ない視野狭窄な決定となっている。

 この件に関する全体的な把握となると、先ず開門に反対する長崎県に上告断念を伝える手続きを欠かしてはならないはずだが、人気取りにのみ目が行っていたからだろう、視野狭窄から為すべき手続きを欠いて上告断念の表明を先にした。

 そのため長崎県は猛反発して、国との話し合いを拒否、長崎県知事は法的問題の検討を行う方針まで示している。裁判に訴えるということなのだろう。

 そもそもからして今年6月の参院選のマニフェスト発表時の消費税増税発言からして、自身の政策の実現にだけ目を向けた、そのほかの事柄として消費税増税によって生活に打撃を受ける所得層等にどういう影響があるか、どういった配慮が必要かまで物事を全的に見る目を欠き、どういった増税内容とするのかの検討も議論もつけ加えないまま、何の準備もなく不用意に発言したものだった。 

 そのツケが参院選大惨敗というお返しだったが、視野狭窄が性質から来ているから何ら訂正を利かすことができずに一つのことに目を奪われて全体に向けるべき目を疎かにしてしまう場面を演じ続けることとなっている。

 物事を全体的に見る目を欠いた視野狭窄に立った発言だから、当然発言が軽くなり、あとで訂正することになる。 

 民主党代表選に関係した今年9月1日の共同記者会見でも物事を全体的に見ることはできない視野狭窄な発言を行っている。

 1998年の金融国会で民主党、自由党、公明党の野党3党が金融再生法を与党自民党に丸呑みさせた例を挙げ、「ねじれという状況は野党が合意をしなければ物事が進まない。難しい問題も合意すれば超えていける」と、いわば熟議をねじれ国会乗り切りの方法として提示し、参院選大敗によるねじれ状況を与野党話し合いの機会を与えた「ある意味では天の配剤」だとまで言っているが、この発言には野党のときは丸呑みさせることができても、与党となるとねじれによって丸呑みさせられる立場に立つことになる違いに向けて然るべき目を持たなかった。

 丸呑みさせられるということは与党の政策を捨てるということで、これ程屈辱的で重大なことはないはずだが、視野狭窄に出来上がっていることに救われて、野党時代の丸呑みさせたことを例に挙げて「天の配剤」だとすることができた。

 事実ご覧の通り臨時国会はねじれによって散々に苦しめられ、衆議院では法務大臣の辞任を余儀なくされ、参議院では野党多数を利用されて仙谷官房長官と馬淵国交相の問責決議案を採決されられている。この問責決議案採決は来年の通常国会にまで尾を引く状況となっている。

 参院選敗北とその結果のねじれ現象を「天の配剤」とした発言そのものが視野狭窄を象徴して有り余る言葉だと言える。

 物事を全体的に把えることができない視野狭窄な認識能力・判断能力は当然指導力、リーダーシップと深く関係していく。視野狭窄な政治家の指導力、リーダーシップなるものは考えることができないはずだ。

 仙谷官房長官が15日の記者会見で記者が諫早湾干拓事業訴訟判決に対する上告断念などと同様の首相主導の事例を尋ねたところ、即答できず、「明日までに思い出しておく」(47NEWS)と答え、次の16日の記者会見で15分かけて30項目の首相主導事例を紹介したという。

 その中には中国から会談のうちに入れて貰えなかったブリュッセルと横浜で開催の日中首脳会談も入れていたということだから、主導事例全体の程度が最初から知れるというものだが、両会談とも中国側が受けて立つ形で開催した会談だったはずで、ギリギリまで決まらずに日本側がヤキモキした経緯から見ても菅首相主導とは言えない。それを菅首相の主導事例の内に入れる。

 大体が指導力、リーダーシップはそれが有効な形で発揮されていたなら、自然と国民の目に映るものだが、政府側がこれこれがそうですよと説明して表に現さなければ納得を得ることができない主導事例とは何を意味するのだろうか。

 裏返して言うと、如何に菅首相が指導力、リーダーシップを欠いているかの事例としかならないことの証明にしかならないということであろう。兎に角参院選大敗北とねじれ国会を「天の配剤」と意義づけた菅首相なのである。その「天の配剤」に苦しめられている皮肉な状況からも指導力、リーダーシップを窺うことはできず、当然菅首相が主導したとしている政策にしても視野狭窄だけが露となる、指導力のための指導力へと自己目的化した事例に過ぎないことは以上見てきたとおりである。


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諫早湾訴訟、国上告断念から見る菅首相、農業従事者、漁業従事者三者三様の利害

2010-12-16 09:10:40 | Weblog

 長崎県の諫早湾の干拓事業を巡る裁判の2審は堤防の排水門を5年間開けるよう国に命じる判決となった。閉門による赤潮の発生とアサリ、 カキ、ノリの漁獲高が減少する被害が出ているということだから、試しに5年間の開門を命じたということなのだろう。

 対して国代表たる菅首相が15日(2010年12月)午前、上告断念を表明。

 昨夜のNHKニュースで漁業者の判決を歓迎する姿を伝えていた。当然の歓迎であろう。人間は利害の生き物であり、その最大の利害が自身の生活なのだから。生活にはそれを成り立たせる自らの仕事、職業も入る。開門は漁業者の利害に合致すると言うわけである。

 だが、一方でゲート内の干拓地で農業を営む農業従事者の困惑の声を伝えていた。潮受堤防内側の淡水化された調整池が開門によって塩水化し、農業用水として使えなくなること、潮風による農作物への塩害などを心配していた。20億円近い資金をかけてビニールハウスを何棟も建てた農業従事者や5、6千万円を投資して農地その他の施設を整備し、利益を上げるのはこれからだと言っていた農業従事者は開門を自らの利害に反することとし、塩害対策等を立ててから開門の決定を行うならいいがと言い、立てないうちの決定に不満を述べていた。

 当初から農業従事者と漁業従事者の利害が相反し、対立していた。2審判決は漁業従事者の利害に添う形を取り、このことが農業従事者の利害・生活にどう影響するか。心配している通りの利害に反する結果を招くのかどうか。

 諫早湾は有明海のほんの一部を形成しているにも関わらず、堤防で閉じたことによって有明海全体の海水の環境が変化したと言う。「Wikipedia」によると諫早湾に注ぐ〈主な流入河川は延長21kmの本明川が湾奥部に注ぐ他、田古里川、船津川、境川、深海川、二反田川、有明川、西郷川、神代川、土黒川などがある。有明海では大規模な河川が少ない地域である。〉と説明しているが、例え有明海では小規模な流出水量の河水であっても、その積み重ねが他の要因と共に加わって何百年、あるいは千年近いスパンで有明海、及び有明海口近辺の環境は形成されているのだろうから、小規模の流出河水であっても、一旦滞留すると環境変化の影響を受けるのかもしれない。

 また諫早湾内から湾外に吹く風と有明海側から湾内に向けて吹くそれぞれの風が堤防に遮られて、風の流ればかりか上昇気流にも変化が生じて、そのことが潮流に微妙に二次影響を与え、潮流に悪影響を与えているということもあるのかもしれない。

 だとしたら、堤防を閉じたままでも、何百年、あるいは千年近いスパンで有明海の環境は堤防を閉じた状態に合致する良好な環境へと変化していく可能性も考えることができる。

 何百年、あるいは千年も待てないと言うだろうが、長崎や広島への原爆投下後、放射能の汚染が最も重症な地域には70年間は草木一本も生えないのではないのかと言われたそうだが、その夏のうちに焼け野原から草木が生え始めたという事実からすると、もっと早い期間内に堤防が閉じた状態に適合した環境が自然の力によって整えられていく可能性も否定できない。

 いずれにしても人間が環境の生き物であるように自然もそれぞれの環境の変化に従って、変化に適合した新たな自然を形成していく可能性を常に秘めているはずである。

 だが、この可能性は今生きている生活者の切実な利害の切実な損得に応えてはくれない。

 干拓地の農業従事者の利害を代弁する立場から開門に反対姿勢の中村長崎県知事が菅首相の上告断念を説明するために面会を求めていた鹿野農水相の面会要請を拒否した。《長崎県知事 農相との面談拒否》NHK/2010年12月15日 18時42分)

 中村知事「まずは地元に十分な説明があってしかるべきだと思うが、これまで一切、相談や報告がなく、テレビの報道で初めてその方針を知った。大変遺憾で残念だ。一方的に結論を出し、結論に至った経緯を説明するというのは手順が違うのではないか。これまでも地元の思いは十分にお伝えしてきたが、伝わっていなかった。われわれとしてはお会いすることはできないとお伝えした」――

 長崎県に何の連絡もなかった菅首相の上告断念は一方的独断だとし、利害の大きな隔絶を突きつけている。対して菅首相は同じ昨15日の記者会見で発言している。記事題名は小沢元代表の政倫審招致問題となっているが、諫早湾訴訟に関連した箇所を抜粋引用。

 《政倫審「最終的に場面がくれば判断する」15日の菅首相》asahi.com/2010年12月15日20時17分)

 ――諫早湾の開門訴訟で、総理の上告見送りの表明を受け、佐賀県知事が評価する一方で、長崎県の中村知事が「地元に前もって一切話がない」と強く批判しています。地元の対応が分かれている中、難しい判断を迫られていたと思うが、どのように理解を求めていくつもりでしょうか。今後の開門に対する補償を検討する考えはありますか。

 菅首相「私、1997年のギロチン以来ですね、現地に何度も足を運び、いろんなみなさんから状況を聞いていましたし。また、構造もたぶん、国会議員の中でもよく知っている中の1人だと思っています。そういう意味で、今回の高裁判決に対して、上告はしないという判断をしました。今日午前中にもみなさんの前でそのことは伝えました。同時に、現在、営農している人に悪影響がないように、きちんとするよう指示をしました」

 ――諫早湾干拓は当時大型公共工事として問題になりましたが、無駄な大型公共工事に対して反対していくという姿勢が、上告しないとの総理の決定要因になっていますか。

 菅首相「この諫早干拓事業というのは、いろんな意味で象徴的な事業です。農水省にとっては確か、最後の国営干拓事業ではなかったでしょうか。そういう意味で当時からですね、いろいろ議論があった中で今日まで、事実上の工事は終わっているわけですね。そういうなかで私は歴史的には反省があってもいいんじゃないかと、こう思っています」

 菅首相の上告断念は漁業従事者の利害に応え、農業従事者の利害に違背する措置であった。当然、農業従事者の利害違背に対して救済措置が必要となる。いわば農業従事者と漁業従事者の可能な限りの利害一致に向けた政策措置である。

 それが「現在、営農している人に悪影響がないように、きちんとするよう指示をしました」の発言に現れている。だが、「現地に何度も足を運び、いろんなみなさんから状況を聞」き、「構造もたぶん、国会議員の中でもよく知っている中の1人」と自負するからには農業従事者の利害に悪影響を与えない方法を自分の頭で何らか考えていなければならないことになる。

 何らかを考えていて、農業従事者の利害違背の救済に何らかの成算があったからこそ、上告断念を決めることができたはずだ。

 何も考えず、何の成算もなく上告断念を決めて、「営農している人に悪影響がないように、きちんとするよう指示をしました」では解決方法の無責任な丸投げとなるばかりか、利害救済の何らかの成算もなく上告断念を決めたことになる。

 このことの証明を上告断念の理由を「私は歴史的には反省があってもいいんじゃないか」と“歴史的な反省”に置いていることと、「この諫早干拓事業というのは、いろんな意味で象徴的な事業です」と“象徴的な事業”としていることから示すことができる。

 菅首相はムダなハコモノの象徴と位置づけたかもしれないが、諫早湾干拓事業、潮受堤防の設置は現地の生活者にとっては利害を異にするとは言え、双方にとって共に「象徴的な事業」でも何でもなく、生活の一部に切実に直属した環境そのものであり、生活の利害に決定的な影響を与える環境――生活環境となっているはずである。

 もしそう受け止めずに政治的な意味合いでのみ把握していたとしたら、国民目線に立たない解釈、国民の生活感覚を何ら理解しない解釈となる。

 事実国民目線に立たない、国民の生活感覚を何ら理解しない認識で把握していたから、「象徴的な事業」と価値づけ、農業従事者の利害を失念させて、漁業従事者側の利害にのみに立った“歴史的な反省”に上告断念の理由を置くことができたのだろう。「営農している人に悪影響」を与えない「指示」が自身では何の考えもない丸投げなのが明白となる。

 上告断念が漁業従事者と農業従事者の相反する利害を逆転させる措置となる以上、上告断念による農業従事者の利害違背をどう調整するかが今後の課題でありながら、その課題を丸投げということなら、上告断念決定に於ける菅首相自身の利害は支持率上昇、政権浮揚の利害しか残されていないことになる。

 2001年5月、ハンセン病国家賠償訴訟で熊本地裁は国のハンセン病政策の誤りと判決、当時の小泉首相は控訴断念の決定を下した。この断念によって小泉内閣支持率は朝日新聞の2001年5月26.27日の世論調査でご祝儀相場が一般的の内閣発足直後の前回調査の78%から下がらずに、一挙に84%に急上昇している。

 この2匹目のドジョウを狙った上告断念の疑いは次の発言がより証明してくれる。《首相、諫早湾訴訟の上告断念を表明 「高裁判断重い」》asahi.com//2010年12月15日11時17分)

 菅首相「私に最終判断してほしいという話があった。私自身もギロチンと呼ばれた(閉門)工事の時以来、現地に何度も足を運んだ」

 農業従事者、漁業従事者の利害・生活が切実に絡んでいる問題である。開門を死活問題と考えている農業従事者も存在するに違いない。それを「私に最終判断してほしいという話があった」、「何度も足を運んだ」と自分を売る言葉を並べている。しかも「ギロチン」なる言葉は漁業従事者側の利害が言わせた言葉であって、「何度も足を運んだ」は漁業従事者側の利害に立った訪問であり、その当時のままの認識から離れられないでいることを証明する発言と言える。

 いわば双方の利害に中立的な立場からの決定でもなく、そうであることからすると、「営農している人に悪影響」を与えない「指示」も丸投げと言うだけではなく、誠意から出たものではない義務的な指示の疑いさえ出てくる。

 所詮、支持率上昇、政権浮揚を狙って自分を売ることを自らの利害とした上告断念だったからだろう。昨12月15日に書いたツイッター。

《菅首相、諫早湾訴訟の上告断念を表明 「高裁判断重い」》 「私に最終判断してほしいという話があった」とか、「私自身もギロチンと呼ばれた(閉門)工事の時以来、現地に何度も足を運んだ」等の自分を売り込む発言を聞くと、人気取りの決定に見えてくる。〉


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仙谷官房長官の辺野古移設「甘受」発言には問答無用の権力的な強制意志が働いている

2010-12-15 08:32:59 | Weblog

 仙谷官房長官が13日(2010年12月)の会見で17日からの首相の沖縄訪問の意図を説明、その際に在沖縄米軍基地の負担問題に関して不穏当な発言をやらかした。《仙谷氏「沖縄は基地を甘受して」 地元反発、翌日に撤回》asahi.com/2010年12月14日21時11分)

 沖縄側から反発を受けると、次の日には撤回したと記事は書いている。但し、〈17日の菅直人首相の沖縄訪問を前に収拾を急いだが、県議会などには「撤回で済む問題ではない」との声も出ている。 〉状況だとしている。――

 事実、「撤回で済む問題ではない」はずだ。内閣官房長官がそのような認識で基地移設問題に当たっていたということだから、単なる言葉の問題ではない。

 記事は以下のように発言し、次のように謝罪したと仙谷官房長官の記者会見での発言を取り上げている。

 【13日の会見】

――菅直人首相の沖縄訪問はなぜこのタイミング(17~18日)なのか。

 仙谷官房長官「沖縄の皆さん方にはしわ寄せをずっと押しつけてきた格好になっている。政府としてはこれを克服しながら、より国民に安心を与えるような安全保障政策を実施しなければならない。沖縄の方々には、そういう観点から、誠に申し訳ないが、こういうことについては甘受していただくというか、お願いしたいと。一朝一夕ですべての基地を国内の他の地に移すというわけにはいかない。私の(地元の)徳島県を含めて、なかなか『自分のところで引き受けよう』という議論が国民的に出てきていない。沖縄の皆さん方には誠に申し訳ない部分があるが、日米政府の合意を誠実に履行させてもらいたいということを、膝を八重に折ってでもお願いしなければいけない」

【14日の会見】

――13日の(上記)発言を仲井真弘多・沖縄県知事が「遺憾」とした。「甘受」の表現を撤回する考えは

 仙谷官房長官「基地を全面的に直ちに撤廃するわけにはいかないので、その部分については沖縄の皆さん方にお願いしなければならないという趣旨で申し上げた。仲井真さんが、沖縄の方々が総反発するようなお受け止めをされているとすれば、いつでも撤回する。いま、この場で撤回することもやぶさかではない。沖縄に米軍の基地が存在する意義は大きい。心苦しいことだが、沖縄の方々に理解をお願いせざるを得ないという意味で「甘受」という表現を使った」

 沖縄県側の反発。まず11月末の県知事選で「県外移設」を掲げて「日本全体で米軍基地の負担を分かち合うべきだ」と訴えた仲井真県知事の14日の県議会答弁。

 仲井真県知事「『甘受』は自分がやむを得ずという時に使う言葉で、他人に言われる筋合いはない。誠に遺憾だ」

 自民党県議(仲井真氏支援)、「沖縄を愚弄(ぐろう)している」
 
 社民党県議「屈辱的な発言。このような中で首相に会う必要があるのか」

 稲嶺名護市長「本土のために沖縄は我慢せよ、という考えなのか。それは沖縄差別以外の何物でもない」――

 記事は、〈仙谷氏の非難決議を検討する動きも出始めた。〉とも書いている。

 仙谷官房長官が「甘受」発言を撤回したとしているが、「仲井真さんが、沖縄の方々が総反発するようなお受け止めをされているとすれば、いつでも撤回する。いま、この場で撤回することもやぶさかではない」と言っているのみで、実際にはまだ撤回していない。当然、撤回していない以上、謝罪もない。これ以上反発が広まって、交渉に支障が生じるようなら撤回する程度のご都合主義の撤回となるのだろう。

 先ず言葉の意味。

 【甘受】「甘んじて受けること。文句を言わず従うこと。」(『大辞林』三省堂) 

 【甘じる】「与えられたもので満足する。また、不満でもよしとする。」(同『大辞林』三省堂)

 言葉の意味から、「甘受」なる言葉は上が無条件的に下を従わせ、下が無条件的に上に従う権威主義のメカニズムの働きを纏わせることになる表現だと推察することができる。

 いわば問答無用の権力的な強制意志を基本的骨組みとしている。

 最初に断っておくが、日本の軍事面での安全保障は米軍と自衛隊双方の基地の所在と部隊の規模及び配置の組み立て・構成によって機動性を確立しさえすれば、少なくとも普天間を国外、あるいは県外に移設しても、成り立ち可能の政策とし得るはずである。いわば日本政府が県外もしくは国外の意志さえ持てば、普天間の国外、あるいは県外移設は可能であろう。事実その可能性を唱えている新旧のアメリカ政府関係者やアメリカ軍関係者が存在する。

 仙谷官房長官は「膝を八重に折ってでもお願いしなければいけない」と丁寧にお願いする姿勢、誠意を尽くした話し合いの姿勢を口にしているが、「国民に安心を与えるような安全保障政策」と「一朝一夕ですべての基地を国内の他の地に移すというわけにはいかない」の県外移設の不可能性の両者を絶対としての「膝を八重に」なのだから、口先で言ったに過ぎない「膝を八重に」なのは誰にも見て取ることができる。

 日本の安全保障と県外移設の不可能性を絶対条件とした沖縄との交渉――いわば日米合意に基づいた基地移設を絶対前提としているからこそ、国の決定に沖縄県に無条件的に従わせようとする権威主義的意志=問答無用の権力的な強制意志が否応もなしに纏わせた「甘受」という言葉が飛び出すことになったのだろう。

 仙谷官房長官が14日の記者会見で言っているように「心苦しいことだが、沖縄の方々に理解をお願いせざるを得ないという意味で『甘受』という表現を使った」わけでは決してない。

 いわば沖縄県と交渉する前から菅内閣は日米合意どおりの辺野古移設を結論づけていて、その結論を携えて結論どおりの結果を獲得すべく交渉の席に臨む姿勢を取っていた。

 このことは最初から分かっていたことだが、この最初から分かっていた姿勢が仙谷官房長官の13日の記者会見の発言となって現れた。

 仙谷官房長官が「沖縄の皆さん方にはしわ寄せをずっと押しつけてきた格好になっている」と言うなら、最初に日本の安全保障ありきを絶対とするのではなく、また県外移設の不可能性を譲れない決定とするのではなく、県外移設を模索するのが政治が為すべき務めであり、沖縄に対する責任であるはずである。

 沖縄が戦前の沖縄戦を含めて今日まで負ってきた戦争被害の負担、基地負担の総体・総量の「しわ寄せ」と、沖縄県民の7、8割が県内移設反対の世論にあり、県知事が県外移設を唱えて当選の民意を受けた今の沖縄の状況を考えたなら、その状況に対抗して県内移設の無理やりなや容認に向けて困難なエネルギーを費やすよりも県外移設で「しわ寄せ」を克服する方法の選択にエネルギーを費やすことの方こそ、沖縄の負担の総体・総量の「しわ寄せ」を原因療法的に克服することが可能となり、沖縄県民の期待、民意に応える最善の政治となるはずである。

 だが、沖縄県民が負ってきた負担の総体・総量の「しわ寄せ」を口では「ずっと押しつけてきた格好になっている」と言いながら、基地そのものを県外、もしくは国外移設で以って取り除くことはせず、「一朝一夕ですべての基地を国内の他の地に移すというわけにはいかない」の一言で、その「しわ寄せ」を対症療法的な克服に任せ、今後とも「押しつけ」る「格好」を取る構えでいる。

 そのように仕向けているそもそもの理由は菅内閣が表面上は無条件的に問答無用の権力的な強制意志で認めさせたいとしている本心は隠してはいるものの、上が下を無条件的に従わせる権威主義性を最初から自分たちの姿勢とし、「国民に安心を与えるような安全保障政策」と「一朝一夕ですべての基地を国内の他の地に移すというわけにはいかない」の県外移設の不可能性の両者を譲るつもりのない絶対的条件と掲げて、県内移設、辺野古移設を「甘受」させることを基本的交渉態度としているからだろう。

 当然、現在のところ「甘受」発言を撤回せずにしぶとく上が下を無条件的に従わせる権威主義性を維持しているが、例え今後撤回することになったとしても、言葉のみの撤回、口先だけの撤回にとどまり、上が下を無条件的に従わせる権威主義性までの撤回は望みようがないに違いない。

 当然、最初に言ったように言葉の撤回だけで済まない問題となる。もし撤回すると言ったなら、「撤回しないで貰いたい、我々は甘受するつもりは一切ないから」と、上が下に無条件的に従わせようとする権威主義性――問答無用の権力的な強制意志そのものを拒否すべきだろう。

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菅首相の「仮免許」発言は甘えと言い訳の自己免罪意識と責任回避意識

2010-12-14 07:54:58 | Weblog

 菅総首相が一昨日の12日夜(2010年12月)、東京都内開催の支援者の会合で多くの国民の心を打つに違いない名言(迷言?)を吐いたという。《首相 “本免許へ”と政権意欲》NHK/10年12月13日 4時45分)

 この「支援者の会合」には約500人集まったと書いてあるが、別の報道によると後援会の忘年会だとかで、なかなかの盛況とは言え、言ってみれば身内の集まりだから、世論調査に於ける支持率の大不況を反映しない盛況を呈することになったといったところなのだろう。

 菅首相は単細胞に出来上がっているから、約500人の盛況を前にして、その背後の支持率の大不況をきっとのこと忘却の大彼方に打ち捨てて上機嫌この上なく舞い上がってしまったのかもしれない。

 菅首相「政権が発足してからの半年間は、仮免許の期間で、いろいろなことに配慮しなければならず、自分のカラーを出せなかった。これからは本免許を取得し、自分らしさをもっと出し、やりたいことをやっていきたい」

 記事は次のように締め括っている。〈菅総理大臣は、久々に気心の知れた支援者を前にして、上機嫌だったということですが、12日夜は統一地方選挙の前哨戦として注目された茨城県議会議員選挙で、有権者から厳しい結果を突きつけられるなど政権安定に向けた見通しは立っていません。〉――

 一方の民主党の最高責任者であり、日本の政治運営の最高責任者たる菅首相は上機嫌。例の締まりのない笑みを顔を崩さんばかりにして満面に浮かべていたに違いない。もう一方の茨城県議選の民主党候補者24人はすべてではないにしても、菅内閣の低支持率と菅首相自身の外交を含めた政治姿勢、軽い発言等が招き猫となった選挙中の逆風と開票による票の伸びの悪さに最悪の予感でイライラしなければならない両極端の感情表現が演じられていたことは容易に想像し得る。

 そして最終結果が民主党候補24人中当選6人。4分の3が落選という大惨敗。当選6人を除いた18人は落選の要因の多くが自分自身の力ではどうしようもない外因から生じていることの悔しさ・怒りから、その夜は酒を強かに喰らったとしても満足に寝付くことはできなかっただろうし、悪夢は次の朝まで続いたに違いない。

 一方の大惨敗の原因を作った菅首相は上機嫌で支持者の会合を打ち上げ、上機嫌で首相公邸に引き上げて、アルコールの酔いも手伝って内閣支持率の大不況も何のその、茨城県議選の結果など上の空で心地よい深い眠りについたのだろう。

 もしそうでなければ、「政権が発足してからの半年間は、仮免許の期間で」、「これからは本免許」などといったことは言えなかったろう。「仮免許」であろうと、「本免許」であろうと、政権運営のスタートラインに立って政権運営に直接当たることとなった以上、その運営の成果次第によって政治情勢や社会の状況、さらに国民生活にまで日々刻々と待ったなしでプラスマイナス、善悪、利益・不利益等々の影響を与えることになるからだ。

 いわば政権を担い、総理大臣としての責任を国民に対して、あるいは国益に対して負った以上、「仮免許」だ、「本免許」だといったふうに準備段階と正式段階に分けることは決して許されないということである。

 それを2010年6月8日の菅内閣発足から6ヶ月の今日までを「仮免許」の準備段階とし、これからを「本免許」の正式段階だと自分で分けている。

 では、尖閣沖中国漁船衝突事件での中国人船長逮捕と釈放の経緯に於ける対中外交も、ロシアのメドベージェフ大統領の国後島訪問以降の対ロ外交も「仮免許で」行った外交だと言うのだろうか。

 決して許されない「仮免許」の外交であり、内政であるはずである。

 大体が一般的には総理大臣に選出された以上、満を持して内閣運営に取り組むはずだ。厭々総理大臣になったわけではあるまい。自ら手を挙げて立候補し、民主党員によって民主党代表に選出され、そのまま総理大臣に横滑りしたのである。満を持して政治改革に、日本の社会の改善に、国民生活の向上、国益拡大に取り組むべく心引き締めたはずである。総理大臣に選出された時点で内閣運営の「本免許」を取得したのである。

 菅首相は菅内閣発足3日後の総理大臣所信表明演説(2010年6月11日)で、「前総理の勇断を受け、政権を引き継ぐ私に課された最大の責務、それは、歴史的な政権交代の原点に立ち返って、この(鳩山前政権の)挫折を乗り越え、国民の皆さまの信頼を回復することです」と言い、「90年代初頭のバブル崩壊から約20年、日本経済が低迷を続けた結果、国民はかつての自信を失い、将来への漠然とした不安に萎縮しています。国民の皆さまの閉塞状況を打ち破って欲しいという期待に応えるのが、新内閣の任務です」と宣言もしている。

 いわば内閣総理大臣として果たすべき責任は待ったなしの状況にあった。

 にも関わらず、これまでの内閣運営、これまでの政治を「仮免許」の準備段階だとしている。この発言にはこれまでは「本免許」の正式段階ではなく、それ以前の「仮免許」の段階、準備段階だから、至らなさや未熟の点、失敗があったとしても許される、少なくとも大目に見ることができるとする責任の回避が否応もなしに存在する。

 いわば「仮免許」の準備段階と「本免許」の本格段階に分けることで責任をも分けた。「仮免許」の準備段階での責任は許される。だが、今後の「本免許」の本格段階での責任は許されないとした。

 だが、内閣運営、政治の遂行を「仮免許」の準備段階と「本免許」の本格段階とに分けて、前者の責任は許されるとする無責任な政治家が後者の責任を果たして厳格に負うと期待できるだろうか。

 内閣の運営、政治遂行に取り組むと同時に「政治は結果責任」の結果を出す責任を国民に対して負っているのだから、「仮免許」時の責任は許されるとすること自体が甘えの意識なくして成り立たない「仮免許」と「本免許」の区別、準備段階と本格段階の責任の区別であろう。

 責任回避は自己免罪と同義語だから、共通した意識によって成り立つ。 

 問題は何よりも如何ともし難く自分から責任評価を決めている点にある。これまでは「仮免許」の準備段階だから、結果に対する責任は許されますよ、あるいは大目に見ることができますよと自分から自分を免罪した。この責任回避意識は如何ともし難い。

 対中外交も対ロ外交も、マニフェストに反する政策も、自身の発言の軽さも、内閣人事の不手際も、自己免罪の責任回避に付していることになる。

 これは「政治は結果責任である」とする国民の責任要求と常に対峙させられている菅首相が置かれている状況の厳しさからしたら、甘えそのものの自己免罪発言、自己免罪意識であり、責任回避意識の発現以外の何ものでもない。

 常に責任が厳しく問われる立場にありながら、自己免罪を働かす責任回避は言い訳そのものである。

 この甘えと言い訳の自己免罪意識、責任回避意識は菅首相の指導力欠如と対応し合った資質なのは説明を待つまでまでもない。強力な指導力は自己免罪や責任回避を必要としない。例え失敗や挫折を経ても、指導力ある政治家は再挑戦や挽回に賭けるだろう。

 最後に「NHK」が12月10日~12日にかけて行った世論調査。(発足から今日までの半年間の菅内閣実績評価のみ抜粋。)
 

 《NHK調査 内閣支持率25%》(2010年12月13日 19時15分)

 不支持率は支持率25%の欲張って2倍取り以上の58%。
   
◇発足から半年たった菅内閣の実績評価

▽「大いに評価する」  ――1%
▽「ある程度評価する」 ――20%
▽「あまり評価しない」 ――49%
▽「まったく評価しない」――26%

 (4人に3人が「評価しない」と回答)

◇菅総理大臣が政権運営で指導力を発揮してきたと思うか

▽「大いに発揮してきた」    ――1%
▽「ある程度発揮してきた」   ――15%
▽「あまり発揮してこなかった」 ――51%
▽「まったく発揮してこなかった」――29%

 因みに菅内閣を支持しない理由。

▽「実行力がないから」    ――46%
▽「政策に期待が持てないから」――33%

 菅首相は低支持率の理由を「国民の皆さんに伝える発信力が足りなかった」と言っているが、これも甘えと言い訳に立った自己免罪と責任回避の発言に過ぎない。総理大臣の一挙手一投足、発言の一つ一つがテレビや新聞を通じて常に直接的・間接的に発信され、国民はそれを受け止めて判断と評価を加えている。そのような判断と評価の最たるものが世論調査に現われる。

 例えそれが間違った判断と評価であっても、直近の様々な状況に連鎖反応の形を取って様々な影響を与えていく。となれば、国民の評価と判断を間違えさせないのも総理大臣たる菅首相の責任となる。

 菅首相の就任後6ヶ月間に亘る発信とその発信に対する国民の判断と評価の総体が有形無形の形で茨城県議選に影響を与えた。

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菅首相の何も変わらない消費税増税発言から拉致救出発言

2010-12-12 07:45:12 | Weblog

菅首相が10日(2010年12月)、拉致被害者家族会と面会。記事によっては懇談となっている。

 《首相 拉致被害者救出方法検討》NHK/10年12月11日 0時3分)

 記事は菅首相の発言を三つに分けている。

 菅首相「北朝鮮による砲撃があり、アメリカ軍も含めた一触即発の状況も生まれてきている。万一のときに、北朝鮮にいる拉致被害者をどうすれば救出できるか、準備や心構えなどいろいろなことを考えておかなければならない」

 菅首相「救出に自衛隊が出て行って、韓国を通って行動できるかどうかというルールはきちんと決まっていない」

 菅首相「いざというときに、きちっと救出活動にも携われるように、日本と韓国の間でしっかり決めていきたい。今、いくつかの議論を進めているところだ」

 記事はこの発言を、〈北朝鮮が混乱した場合などの拉致被害者の具体的な救出方法について検討を進める考えを示し〉た発言としている。

 拉致被害者の家族会代表で、田口八重子さんの兄。

 飯塚繁雄氏「北朝鮮がひどい状態のなか、どうやって本気になって被害者を助けるかについて、具体的な方策を検討してもらいたい」

 菅首相の発言に期待したようだ。

 最初の発言は国民の生命・財産を守る日本国家に於ける危機管理の最高責任者として当然の想定であろう。最後の発言も、朝鮮半島に危機が生じた場合の韓国との間の救出活動に関わる確固とした取り決めの必要性とその必要性を満たす話し合いを行っているとしているのだから、当然の措置・備えとすることができる。

 問題は二番目の発言である。

 「救出に自衛隊が出て行って、韓国を通って行動できるかどうかというルールはきちんと決まっていない」――

 拉致被害者の救出活動に関して日本と韓国の間でいくつかの議論を進めている。大いに結構である。結構毛だらけ、ネコ灰だらけ。その主たる一つとして「救出に自衛隊が出て行って、韓国を通って行動できるかどうかというルール」を議論しているが、まだ「きちんと決まっていない」段階である。

 二つの問題点を見い出すことができる。最初に現在の日本国憲法と自衛隊法の制約下で果して「救出に自衛隊が出て行って、韓国を通って行動できるかどうか」である。行動できるなら、韓国との議論は可能となる。できないなら、韓国との話し合い以前に行動できる国内的ルール確立のための国内的議論を最初に持ってこなければならない。

 だが、菅首相の発言は行動できるを前提としている。いわば行動できる国内的ルールが既に確立しているとしている前提に立っている。

 その前提に立った上にさらに「万一のときに」と韓国と北朝鮮の軍事的衝突を前提としている以上、最悪の場合戦争状態に発展する場合も想定しなければならない状況下で、機体に日の丸のマークを付けた「自衛隊が出て行って、韓国を通って行動」したとしても、北朝鮮が目的地まで何ら攻撃せずに無事通過させてくれる保証を要件とした発言となっている。

 日本国憲法は「第2章 戦争放棄 第9条」で、「戦争放棄、軍備及び交戦権否認」を謳っているからである。攻撃を受けないを前提としない場合、交戦を条件としなければ北朝鮮に入ることも出ることも不可能となる。当然、憲法に9条に抵触する。
 

 第2章 戦争放棄

 第9条 戦争放棄、軍備及び交戦権否認

 (1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇叉は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 

 (2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 果たして北朝鮮は日の丸のマークを付けた自衛隊機が北朝鮮領空に入っても何らミサイル攻撃も対空砲撃もなく迎え入れてくれて、拉致被害者の生存場所まで案内してくれて、どうぞと搭乗まで手伝ってくれて、韓国までの帰路の無事を保証してくれるのだろうか。

 何ら国を表すマークがついていない場合、国籍不明機として直ちに撃墜攻撃を受けるだろう。

 もし北朝鮮が何ら攻撃しなかったなら、何も「韓国を通って行動」しなくても、直接日本から北朝鮮に向けて飛べばいい。

 攻撃を受けないことを前提としている点、その前提であるなら、「韓国を通って行動できるかどうかというルール」の議論は必要でなくなるにも関わらず、韓国との間で「今、いくつかの議論を進めている」としている前提を裏切る矛盾は実際に想定される事態と遠くかけ離れていることも含めて合理的判断を欠いた発言と言わざるを得ない。

 国民の生命・財産を預かる危機管理の最高責任者である首相に必須の的確な合理的判断能力をその必要性に反して欠いているという逆説は何を物語るのだろうか。

 海外で危機が発生した場合の邦人救出は現在は武力不行使の憲法9条に抵触する危険性が生じる場合を除いて民間機派遣による救出に限定されているが、武力行使の場合でも自衛隊機が派遣できる自衛隊法改正の検討・議論が前々から行われている。この点については特に自民党の石破茂が熱心であった。

 2010年5月17日の当ブログでも取り上げている。2010年5月10日記事――《福島瑞穂の在沖縄米海兵隊抑止力の視野狭窄な矮小化》に寄せられたコメントに対する回答である。短い文章ゆえ、全文再録してみが、上記記事を併せて参考にしていただきたい。
 
 《5月10日記事に対するコメント「疑問」に答える》

 2010-05-15 23:39:54

 素朴な疑問を持ちました。

じゃ 在外日本人が政変に巻き込まれて、生命の危険にさらされた時、誰が救出に行くのでしょうか?
民間機を使うのは難しい状況もあるでしょう。

エンデベ作戦は無理としても、航空自衛隊の輸送機や政府専用機(パイロット・スタッフは自衛官)を飛ばして、自国民を救うのが、国の役目では?

 以下回答

 イラク特措法は武力行使を禁止し、活動地域を非戦闘地域に限定しています。憲法9条に抵触しないための措置のはずです。

イラクに人道復興支援目的で自衛隊を派遣したとき、色々と議論がありました。武力不行使としていながら、自動拳銃、機関拳銃、小銃、機関銃、少し破壊力があるものとして、手動、単発の無反動砲等を携行させています。その矛盾をクリアするために小規模な武器携行だとし、“非戦闘地域”という名目で派遣していますが、地域の治安をイギリス軍やオランダ軍等の多国籍軍が担った、言ってみれば彼らが非戦闘地域としてくれている状況下での派遣です。

憲法9条によって、それが限界ということなのでしょう。戦争状態の外国への自衛隊派遣や海外の邦人救出等に限って言えば、例え自民党の石破が「日本の自衛隊が、今の憲法の範囲内で出来ることがたくさんあるんじゃないんですか」と言っていたとしてもです。

海外の邦人救出に小規模の武器を携行させたとしても、その使用に関しては使用を想定せずに済み、いわば戦闘行為を想定せずに済んで、憲法9条の枠内の武力不行使で自衛隊機を派遣して救出可能なら、民間機でも救出可能のはずです。

 戦闘行為に巻き込まれる危険があるからと民間機の派遣は無謀だと見送られて、自衛隊機を送った場合、既にそこは“非戦闘地域”とは言えなくなり、“非戦闘地域”への派遣だと認めさせるために武器携行を小規模にとどめたとしても、多国籍軍が治安を担っていたイラクのサマーワと違ってそれで戦闘行為に巻き込まれないことが保証されるわけではなく、当然、武力不行使の保証も失う。

救出自衛隊機が攻撃を受けないようにするためには、当該国の軍隊展開地域への前以ての爆撃も必要になる場合も生じます。あるいは敵国戦闘機の直接の攻撃を防御するために救出機掩護の戦闘機を同行させる必要も生じるかもしれません。

自衛隊法をどういじったとしても、憲法9条をクリアできるのですか。

自衛隊オタクの石破は単に自衛隊機を出したいだけでしょう。一旦自衛隊機を出すことができれば、それを突破口として救援機への攻撃阻止を謳って援護の戦闘機をつける。国民の生命・財産を守るためだという口実を設ければ、国民は憲法9条はそのままだ、例外だと認める可能性も期待できる。

要するに憲法9条をクリアするために今までのように自衛隊法でゴマカシゴマカシやっていくということです。但し、憲法9条に手をつけずに、どこまで誤魔化せるかです。

海外邦人の救出に戦闘行為に巻き込まれる危険を冒して、戦闘地域に自衛隊機派遣を可能とする憲法9条のゴマカシが間に合わず、邦人救出ができない事態が生じたとしたら、それは政治がこれまで誤魔化してきたツケでしかないと思います。

私自身は憲法9条を改正し、集団的自衛権も認めるべきだという改憲派です。先進民主国家として世界の平和維持のために戦争地域・紛争地域に自衛隊を派遣し、他の先進国と共に戦い、先進民主国家としての責務を果たすべきだと考えています。

そうしなければいつまで経っても欧米先進国と肩を並べることはできないと思っています。

先進国家としての責務をゴマカシゴマカシ凌いでいくから、欧米から信用されない。日本国民の大多数が9条を守るとするなら、それはそれでいいと思います。但しあの手この手で9条を誤魔化すべきではないと思います。先進国家としての責任を果たせませんとバンザイし、例えどのように蔑まれようと、経済的利益の追求のみに走る。

政治が誤魔化してくれているから、国民は憲法9条に安住していられる。朝鮮戦争にしても、ベトナム戦争にしても、イラク戦争にしても憲法9条下で、実際には日本は参戦しているのです。攻撃基地として、兵站補給基地として、兵士と兵器の輸送基地として。

その上、日本は朝鮮戦争特需の恩恵を受けて戦前の鉱工業生産水準にまで一挙に復活して高度経済成長へのスタートを切り、ベトナム戦争特需で成長を確かなものとしていった。

特需は“準参戦”のご褒美だったのです。

それを象徴するのが世界のトヨタです。当時トヨタは倒産しかかっていて、朝鮮戦争で故障したアメリカ軍のジープや軍用トラックの修理、のちにはライセンス生産等で息を吹き返して世界のトヨタへと発展していった。

靖国の国のために尊い命を犠牲にした英霊たちが日本の戦後復興の礎となったというのは真っ赤なウソ

 この内容の正当性を完璧には程遠いが、ほぼ保証してくれるWEB記事がある。《北朝鮮・拉致問題:被害者救出に自衛隊派遣 菅首相発言、憲法9条抵触の可能性》毎日jp/2010年12月11日)

 〈菅直人首相は10日、北朝鮮による拉致被害者家族との会合で、朝鮮半島有事の際に拉致被害者を含む邦人救出に自衛隊を出動させることを検討していると受け取れる発言をした。現行の自衛隊法84条の3には、自衛隊機や自衛艦による邦人輸送が規定されているが、海外での武力行使を禁じた憲法9条に抵触しないよう「輸送の安全が確保されている」時に限っており、戦闘地域での邦人輸送は想定していない。〉

 菅首相「北朝鮮が韓国領に砲撃する事件が勃発し、即発の状況も生まれてきた。万一のときには北にいる拉致被害者をいかにして救出できるか、いろいろな事を考えておかねばならない」

 菅首相「救出に直接、自衛隊が出て、向こうの国(韓国)の中を通って行動できるルールはきちんと決まっていない。今、議論を進めている」

 〈首相の発言は朝鮮半島で戦闘が行われている状況で、韓国を経由して北朝鮮に自衛隊を派遣することを検討しているとも受け取れ、従来の政府の憲法解釈を大きく逸脱しかねない。防衛省幹部は「自衛隊が北朝鮮に行くなんてあり得ない」と検討の可能性を否定した。【坂口裕彦、倉田陶子】〉――

 菅首相は10日の拉致被害者家族会で発言した件に関して翌11日、首相官邸の記者会見で次のように発言している。《北朝鮮・拉致問題:被害者救出に自衛隊派遣 菅首相発言、憲法9条抵触の可能性》 asahi.com/2010年12月11日14時21分)

 記事は「ジョブサポーター」の件をより重視した取扱いとなっている。
 
 【有事の自衛隊の朝鮮半島派遣】

 ――昨日拉致被害者家族との懇談を総理はされましたけれども、その中で総理が朝鮮半島有事の際、自衛隊を派遣して拉致被害者の救出をするための、日本と韓国の間でルール作りが必要ではないかということについて言及されましたが、例えばすでに韓国側との協議を行うなど、具体的な検討に入られているのでしょうか。

 「これはですね、拉致被害者のみなさんはもちろんですが、一般の邦人がいろんな韓国の中、たとえばソウルとかにたくさん現在滞在したり住んでおられるわけです。で、いざ有事の時にですね、そういう皆さんに日本に帰ってもらおうと思ったときに、飛行機を出そうと思って、例えば民間機で帰れる間はいいんですが、じゃあ民間機が危なくなった時にですね、例えば自衛隊機で救出に向かおうと思った時に、まだ、日韓の間ではそういうルール作りができていないんですね。ですからそういう有事の時に拉致被害者を含めて、一般の邦人の、救出というか帰国を含めて、どういう場合にどういうことができるか。その場合に例えば自衛隊の輸送機などがですね、受け入れてもらえるか、そういうことについて、考えなければいけないという、そういうことを申し上げたんです。これから韓国との間でもですね、今少しずつこの日韓の間でのそういった安全保障に絡む協力関係も進んでいますので、そういう中で、少しずつそういう相談を始められればと。これからの問題です」

 ――自衛隊法の改正についてもじゃぁ、検討にはいるということでよろしいですか。

 「まだ、今すぐにどの法律をどうするということまで、申し上げたわけではなくて、今申し上げたように、従来から邦人救出についてのいろんな整備。これは二国間だけではなくて今言われたような法整備のことも話題に出ていることはよく知っています。ですからそういうことを念頭に置いて、考えなければならないと思っていますから。今すぐ、どの法律をどうするということを指示している段階ではありません」

 拉致被害者を特定とした自衛隊機使用の救出から、韓国在住の邦人まで含める巧妙な微修正を行って、自身の発言の正当性を図っているが、韓国との間で「少しずつそういう相談を始められればと。これからの問題です」、「今すぐ、どの法律をどうするということを指示している段階ではありません」と、家族会で行った「今、いくつかの議論を進めているところだ」の発言を完全撤回、将来的課題だと完全修正している。

 将来的課題で以って拉致被害者家族に自衛隊機使用の救出が何ら成算あってのことではないにも関わらず、さも成算ある方策であるかのように約束した。現時点に於いてはウソを以って実現できるかのように約束したのと変わらない。

 2010年参院選マニフェストの発表時(2010年6月17日)、自身の発言が及ぼす影響を前以て考慮も判断もできず、党内議論の詰めも行わずに消費税増税の話を持ち出し、自民党が掲げている10%を参考にすると増税率まで掲げて参院選大敗という大失敗をしておきながら、その失敗に懲りずに、あるいは何ら学習もできず、再び前以て自身の発言の合理性や発言の影響、さらに前以て議論を行っているわけでもない事柄を持ち出して発言する同じ繰返しを犯す愚かしさは何も変わっていない。

 このように発言のいい加減さ、責任を持って発言できない姿勢。首相としての発言が如何に重いかを認識していない不適格な判断能力。どれ一つをとっても、日本の総理大臣としての資格を失う。民主党執行部は小沢元代表の国会喚問で騒いでいるが、総理大臣としての資格を全く欠く菅首相を交代させることを先ず行うべき問題とすべきであろう。


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菅首相と福島社民党党首の武器輸出三原則見直し撤回の会談は何のためだったのか

2010-12-11 07:32:55 | Weblog

 菅首相と福島社民党党首と6日(2010年12月)昼に会談、そこで福島党首は武器輸出三原則の見直しに対する再考を求めた。対して菅首相は「社民党、すでに連立している国民新党との関係をより緊密、かつ戦略的にとらえて共闘していきたい」(IBTimes)と応じ、翌7日には早速と言うか、防衛大綱への武器輸出三原則見直しの明記を見送っている。

 さらにその次の日の8日には首相官邸で開催の11年度予算編成に関する協議に社民党は民主党、国民新党の連立与党に加わっている。連立を改めて組んだわけではない社民党は連立の一員待遇を受けた。

 昨日(12月10日)の当ブログ記事――《武器輸出三原則見直し撤回から見る政権維持が自己目的化した菅内閣 》で、〈例え武器輸出三原則をクリアできたとしても、社民党が普天間問題では県外、もしくは国外移設を党の「一丁目一番地」としている以上、早晩、そう遠くないうちに菅内閣の日米合意推進と衝突することは予定スケジュールとしなければならない〉ことを前提とすると、〈菅首相は武器輸出三原則見直しの政策を引っ込めることで社民党協力という実を取った。社民党は表向きは普天間の辺野古移設反対の政策は掲げながらも、菅内閣に直接向けた反対はしないことによって自らの政策を実質的には引っ込めることで与党に擬似的に加わる実を取ったといったところが実態なのでないだろうか。〉といったさも密約紛いのことがあったのではないかといった穿った見方を施した。

 だが、8日に引き続いて昨10日午前と午後、2回行われた民主・国民新・社民の予算編成協議で、社民党は民主党の日米合意推進に反して米軍普天間飛行場の同県名護市辺野古への移設に伴う環境アセスメントに関連する経費などの予算案計上を見送るよう要求したため、合意は見送られて14日に再協議の段取りとなったという。

 《社民 移設関連経費計上に反対》NHK/10年12月10日 23時2分)

 又市社民党副党首「沖縄県の仲井真知事も普天間基地の県外移設を求めて再選されており、基地の県外移設が県民の民意だ」

 亀井亜紀子国民新党政務調査会長「地元が反対している中で、辺野古への移設は厳しいのではないか」

 連立を組んでいる国民新党まで日米合意の実現に疑義を提示しているが、「厳しいのではないか」と言っているのみで反対はしていない。社民党の移設関連予算の計上反対は菅首相が何のために福島社民党党首と会談して、相手の要求を呑んで武器輸出三原則見直し撤回を行ったのか意味を失う。

 菅首相は例え社民党と連立を組まなくても、政策ごとに協力し合う協力関係を取るのではなく、予算協議に参加させる以上、普天間問題で取引が成立していなければならなかったはずである。何ら取引もせずに予算協議に参加させることは閣内に爆弾を抱え込むことに等しい。

 もし民主党側が移設関連予算の計上反対は受け入れられないとして社民党を予算協議から外すことにでもなったなら、何のための菅・福島会談だったか意味を失うし、武器輸出三原則見直し撤回だけが残ることになる。社民党の数は諦めました、再度武器輸出三原則の見直しを行いますでは数のために政策を弄んだことがより露骨化し、世間の笑いものとなる。

 尤も既に笑い者となっている菅首相なのだから、現在以上に笑い者になったとしてもどうってことはないかもしれいない。

 社民党としても沖縄基地問題を党の「一丁目一番地」としている以上、基地関連の予算計上の見送りを求めて受け入れられなければ、自分たちの方から予算協議から外れる以外に道はあるまい。計上見送りを求めるまでが予定のシナリオで、最終的に民主党側の説明・説得に納得して止むを得ず見送り要求を撤回するといった次なるシナリオを用意しているわけではあるまい。

 妥協、変節、転向、密約、隠蔽、情報操作、何でもありの日本の政界だから、ついつい疑ってかかることになる。

 最悪の疑いは菅首相が社民党の6名の数を引き入れることだけに目が行っていて、予定していた武器輸出三原則見直しの撤回をカードとして成功すれば、後は障害なく内閣を運営することができると思い込んでいたのではないかという疑いである。

 菅首相の合理的判断能力を全く欠いた、甘い考えしかできないノー天気な頭からしたら、あり得る思い込みかもしれない。

 そうとでも考えなければ、あまりにも早過ぎる障害の説明がつかない。

 菅内閣が最終的に社民党の基地関連予算計上見送り要求に屈した場合、アメリカとの関係がギクシャクする。数を重視するのか、アメリカとの関係を重視するのか。あり得ないと思うが、アメリカとの関係を無視して社民党の数をより重視することとなったら、菅首相の政権維持に向けた亡者ぶりはここに極まれりとなる。

 【亡者】「金銭や権力などに対する執念に取り憑かれている者」(『大辞林』三省堂)

 「亡者」という言葉に出会ったなら、菅首相の顔を思い出せば、その意味がすぐ理解できる。

 菅首相のノー天気振りが露骨に現れている例を示すことができる。昨10日夜の首相官邸でのぶら下がり記者会見。
 

 《【菅ぶらさがり】首相とは…「修行の身という意識でやる仕事」(10日夜)》MSN産経/2010.12.10 20:09)

 【今年の漢字】

 --きょう、今年の漢字が発表された。首相にとって今年の漢字とは

 「考えて、書いてきました(筆字で『行』と書いた色紙を示す)。「ぎょう」。修行の行でもあり、実行の行でもあり、行うという、すべては行う。一番実感があるのは修行の身という、その感覚ですかね

 --特に何に対しての修行と考えたのか

 「この総理という仕事は修行している身だという意識でやらなきゃいけない、そういう仕事だと、そういう実感を持っています」

 「行」が「修行の行でもあり、実行の行でもあり」と修行と実行の両方を兼ねた「行」だとしているが、「一番実感があるのは修行の身という、その感覚ですかね」と、「修行の身」「一番実感」を置いている以上、「修行の行」により重点的に意識を置いた「行」であろう。

 この意識は次の「この総理という仕事は修行している身だという意識でやらなきゃいけない、そういう仕事だと、そういう実感を持っています」の言葉に引き継がれている。

 菅首相は実行の意識よりも、より重点的に「修行している身だという意識」「総理という仕事」を務めていると自ら価値づけている。

 「修行」とは悟りを開くための行(ぎょう・行い)を修める(身につける)ことを言う。いわば自らの身につける行為だから、本質的には自己利益のために存在する。あるいは修行とは自己に対する働きかけであるゆえに自己利益行為と言える。

 悟りを開いたとしても、その悟りの境地を第三者が伝え聞いたとしても、同じ悟りの境地を得ることができるわけではない。第三者自体が自らの方法で悟りを開くための行を修めなければならない。悟りによって価値ある言葉を見い出して、それを第三者に伝え広め、第三者が何らかの利益を得たとしても、社会全体に向けた何らかの実利を約束する利益ではなく、より精神的な個人的利益の範囲にとどまるはずだ。

 修行が主として自己に働きかける自己利益行為であるゆえに、あくまでも第三者利益(=国民の利益)を目的として何かを伝えたり、広めたりする実践行為とは程遠いと言える。菅首相は「総理という仕事」を自己利益行為である修行だと価値づけ、第三者利益(=国民の利益)を目的とした実践行為に置かずに首相を務めていることになる。

 一国の首相は自らの政策を伝え広める実践の使命を負うはずだ。いわば首相官邸とは第三者利益(=国民の利益)を目的とした内政・外交の実践を陣頭指揮する場であり、首相とは伝え広める実践の陣頭指揮者そのものであろう。陣頭指揮の過程で色々と修行することはあっても、その修行はあくまでも派生的な出来事であって、首相官邸を主として修行の場とし、首相を重点的に修行の身に置いた場合、内政・外交の実践を疎かにすることになる。

 自己利益にのみ重点を置き、第三者利益(=国民の利益)は二の次だと言っていることと同じことを言ったことになる。あくまでも自らの政策を伝え広める実践者だという意識が薄い。

 合理的判断を全く欠いたノー天気人間な上、指導力が全然ないからこそ言える「この総理という仕事は修行している身だという意識でやらなきゃいけない、そういう仕事だと、そういう実感を持っています」であろう。

 もし強力な指導力を備えていたなら、第三者利益(=国民の利益)を策す実践あるのみで、「修行」などという言葉は一言も口を突いて出ないはずだ。

 尤も「首相がコロコロ変わるのは良くない」からと選んだ首相である。実行力・指導力を基準に選んだ首相ではない。

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