菅首相はロシア北方四島見解「第2次大戦の結果認めよ」を乗り超える否定論理構築の責任を負う

2011-02-16 09:24:24 | Weblog



 「北方四島は我が国固有の領土」と言うだけの常套句化した公式見解だけでは北方四島ロシア領土化の企みは阻止できない

 記事が冒頭で書いているように、北方四島に関してこれまでもロシア側は機会あるごとに第2次大戦の結果が決めた領有だとの立場を取ってきたが、ラブロフ露外相が15日、このことを直接的に言及したと、《ロシア外相、日本を牽制 「第2次大戦の結果認めよ」》asahi.com/2011年2月15日23時37分)が報じている。

 ラブロフ外相が〈日本が第2次世界大戦の結果を認めない限り、平和条約交渉をするのは無意味だと述べた。〉とした上で、

 ラブロフ外相「第2次世界大戦の結果を認めるという他の国がしていることを、日本がする以外に方法はない」

 と言うことなら、日本側はこのロシア側の論理を否定する論理を構築する必要に迫られる。ただ単に「認めるわけにはいかない」と言うだけでは現実に進んでいる北方四島の着実なロシア領土化進展を止めることはできない。

 ラブロフ外相のこの発言は、菅首相が2月10日の夕方、首相官邸でのぶら下がりで、2月10日から12日までの(13日午前帰国)前原外相の北方四島問題を話し合うロシア訪問に関して、「北方四島は我が国の固有の領土であるというこの基本的考え方は全く変わりません。その上で強い気持ちを持ってですね、いい会談をしてもらいたいと、そう期待しています」(asahi.com)と述べたものの、その訪問が殆んど意味を成さなかった、効果がなかったことを証明することになる。

 いわば「北方四島は我が国の固有の領土である」とする日本側の発言は最早ロシアには通じない、日本国内向けの公式見解となりつつあることの証明ともなっていると言うこともできる。

 2月12日午前の首相公邸前のぶら下がりでは次のように発言している。

 菅首相「昨日ロシアで前原大臣とロシア外相との会談が行われました。なかなか厳しい雰囲気の中ではあったようですが、非常に、前原大臣頑張って、しっかりした議論をしてくれたと、こう思っております。

 帰ってきてまた報告を受けることにしておりますが、いずれにしても北方四島は、歴史的に見て我が国の固有の領土であるという、この基本はいささかも揺るがない、揺るがなかったと、このように考えております。私からは以上です」 (asahi.com

 「この基本はいささかも揺るがない」と言っているのは菅首相、あるいは前原等の菅内閣の閣僚のみで、北方四島の現実からしたら既に揺らいでいる。

 夫が他の女性を愛し、妻から心も身体も離れているのに妻が私は夫を信じている、その気持に揺らぎはないと言っているようなものである。

 ロシアによる北方四島ロシア領土化が着々と進んでいるにも関わらず、日本側は既に手垢のついた公式見解に過ぎない「北方四島は我が国の固有の領土である」を繰返すだけとなっている。空文化ならぬ空言化しているとまで言うことができるというのに。

 日本側は北方四島の開発に向けた日本の投資をロシア側の管轄権を認めることになるとして制約してきたが、ロシア側が日本に代る中国や韓国企業に対する開発誘致へと姿勢転換、2月9日、メドベージェフ大統領が次ぎの方針を公表している。

 メドベージェフ大統領「協力を侮辱的とは考えない近隣諸国と協力する用意がある」(asahi.com

 「近隣諸国」とは日本を除いた中国や韓国を指す。この2月9日のメドベージェフ発言は2日前の2月7日の菅首相の「昨年11月のメドベージェフ露大統領の北方領土、国後島訪問は許し難い暴挙」とした発言への対抗措置なのは誰の目にも明らかである。

 メドベージェフの発言から1週間も経たない2月15日の「NHK」の報道――《北方領土 中国企業が経済活動》(2011年2月15日 1時11分)

 〈日本政府が北方領土での第三国の経済活動を容認できないとするなか、中国の企業が、国後島で水産物を養殖するプロジェクトをロシア側と共同で始めることで合意したことが分かりました。
 合意したのは、北方領土の国後島の有力者が代表を務めるロシアの水産会社「ボズロジジェーニエ」社と中国・大連の水産会社です。このロシアの水産会社によりますと、両者は今月初め、地元の行政府の立ち会いの下、国後島で水産物を養殖するプロジェクトを始めることで合意し、覚え書きに署名しました。〉

 サハリン州政府の公表によると、北方領土で第三国と合弁会社を設立するなどして共同事業を運営するケースは初めてだという。

 ナマコやホタテ貝などを養殖する施設の共同建設だそうで、輸出先は主として中国ということだが、中国迂回で日本に入ってこない保証はない。

 ロシア側企業代表「中国企業の豊富な資金力を生かしてビジネスを発展させたい」

 記事は最後に次のように解説している。〈北方領土での第三国の経済活動を巡っては、先の日ロ外相会談後の記者会見で、ラブロフ外相が「中国や韓国からの投資を歓迎する」と述べたのに対し、前原外務大臣は、ロシアによる実効支配を正当化しかねないとして、容認できないとの立場を重ねて示し、神経をとがらせています。〉――

 記事が書いている状況から窺うことができる光景は日ロ外相会談に於ける前原外相の努力が何ら効果がなかったことの一部始終である。

 そして中国企業に遅れてはならないと続いたのか、韓国企業。韓国企業がロシアの水産会社と国後島で共同事業に乗り出す合意文書に署名する段階まで進んでいる様子を《韓国企業、国後島で事業展開へ ロシアの水産会社と共同》asahi.com/2011年2月16日3時1分)が伝えている。

 2月11日の日ロ外相会談で前原外相が、〈日本の主権を侵害しない形でとの条件をつけて〉、〈北方領土の経済協力についてハイレベル協議を進める意向を示し〉ていた中での中国企業と韓国企業との共同事業の公表となっている。

 前原外相が示した条件はこれまでも日本が取っていたロシア側の管轄権を認めない範囲内と同じで、ロシア側にとっては別に目新しいものではなく、ハイレベル協議が一定の成果を上げたとしても小規模、且つ限定的となることは見通すことができることから、日本を除外することは外相会談前からの決定路線だったに違いない。

 いや、却って日本との協議は障害と見ている可能性もある。日本を除いた国の企業の中にはロシアの水産会社と共同事業を行うことになった中国企業や韓国企業のように利益が認められることなら、日本の「北方四島は我が国の固有の領土である」は問題外と看做す企業がいくらでも存在すると見ることができるからだ。

 記事は書いている。〈北方領土の返還を求める日本政府は、第三国からの投資はロシアの管轄権を認めることにつながるとして容認できないとの立場だ。韓国企業の進出が現実になれば、ロシアの実効支配がいっそう固められ、領土交渉は困難になる。 〉と上記「NHK」と同様のことを解説している。

 ロシアは北方四島に於けるロシアの管轄権を認めさせる手段としても日本を除いた「近隣諸国」の企業誘致に打って出たのかもしれない。

 だとしたら、日本はロシアの管轄権を認めることにつながりかねない第三国からの投資を阻止する手を打たなければならないことになる。打つことができなければ、ロシアの北方四島領土化は修復できないところまで進み、実効支配を確定的とすることになる。

 2月15日夜の菅首相の首相官邸でのぶら下がり。《「予算関連法案、予算と並行して成立を」15日の菅首相》asahi.com/2011年2月15日20時55分)

 ――北方領土の国後島で中国企業がロシアと共同で水産物の養殖プロジェクトを行うことが一部報道で明らかになりました。北方領土における第三国の経済活動については初めてとなりますが、日本政府としてどのように受け止めますか。また、日本とロシアの4島における経済協力を今後、どのように進めていく考えでしょうか。

 「報道が確認されたものではないと認識しています。いずれにしても、そういうことがあるとすればですね。それは、我が国の姿勢とは相いれないと、こう思っています」 ――

 「我が国の姿勢」とは「北方四島は我が国の固有の領土である」ということであり、ロシア側の管轄権を認めることになる日本を含めた外国からの投資は認められないとする姿勢なのは断るまでもないが、現実的にロシアによる北方四島の開発が進展し、尚且つ中国や韓国からの投資を進めようとしている状況下で、これらの進行を「我が国の姿勢」と言っているだけで果して阻止することができるのだろうか。

 菅首相が「我が国の姿勢」と言っている間にも北方四島ではロシア領土化の様々な進展が進んでいるのである。進めば進むほど「北方四島は我が国の固有の領土である」は手垢がついた空言化の度合いを高めていく。

 「北方四島は我が国の固有の領土である」と言っているだけでは、あるいは「我が国の姿勢」と言っているだけでは何の問題解決にもならないところまで突き進んでいるということである。

 菅首相はこのことを認識して、「北方四島は我が国の固有の領土である」とか、「我が国の姿勢」と言っているのだろうか。いや、認識していないからこそ、常套句化の公式見解とすることができているのだろう。どうも緊張感も切迫感も感じることができない菅首相の態度に見える。
 
 北方四島のロシア領土化は抜き差しならないところまできているのである。菅首相は「北方四島は我が国の固有の領土である」の空言化を払拭して有効な言葉とするためにロシア側の「第2次大戦の結果認めよ」を打ち砕く新しい言葉を構築する責任を負う。


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世論調査の国民評価が必ずしも正しくないのは菅首相に対する評価一変が証明している

2011-02-15 08:09:00 | Weblog



 最初に昨日のブログ《米軍普天間飛行場辺野古移設が官僚主導による決定なら、菅首相は政治主導による決定に修復する責任を有する - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》について少し加筆したい。鳩山前首相が普天間に代る基地移設に関して「国外、最低でも県外」を断念、県内の辺野古に決めた理由付けに「抑止力」を持ち出したのは「方便」と新聞社のインタビューに答えた。菅首相は鳩山前首相が沖縄駐留の海兵隊の抑止力に関して言ったのだが、「直接聞いたわけではありませんので。いずれにしても私は沖縄の海兵隊を含む在日米軍全体として、やはり我が国の安全、あるいはアジア地域の、アジア太平洋地域の安定に大変重要な役割があると、このように認識しています」 (asahi.com)と「在日米軍全体」で捉えた場合の「抑止力」にすり替えるゴマカシを行っている。

 例え沖縄米海兵隊が実態的にそれ相応の抑止力を備えているとしたとしても、九州や四国、あるいは中国地方に移動しても「抑止力」の程度はそう変わらないだろうから、それを「国外、最低でも県外」の最初の約束に反して沖縄としたことの正当性として「抑止力」を理由付けとしたということなら、「方便」であることに変わりはない。

 また、「抑止力」云々の問題を抜きにしても、官僚主導で辺野古移設の日米合意がなされた事実に変化はないから、沖縄の基地問題の決定に関しても政治主導を公約としていた以上、政治主導での決定に戻すべきである。

 菅内閣の支持率がまた下がった。1月14日に第2次改造内閣発足後の世論調査では4ポイント前後上がったが、どうせご祝儀相場、早晩下がるに違いないと多くが見ていただろうが、案の定と言うか、予定事実と言うか、下降線を辿ることとなった。

 先ずは2月11、12両日(2011年)実施の「共同通信社」全国電話世論調査を見てみる。《内閣支持、最低の19%に 79%が与野党協議支持》47NEWS/2011/02/12 20:34 【共同通信】)

 菅内閣支持率――19・9%(前回1月中旬調査-12.3ポイント)
   不支持率――63.4%(前回+9.5ポイント)

不支持理由
 「首相に指導力がない」   ――30・5%
 「経済政策に期待が持てない」――27・4%

社会保障と税の一体改革に関する与野党協議
 野党も応じるべきだ   ――79.8% 
     応じなくてもよい――13・3%

一体改革に伴う消費税率引き上げについて
 賛成――55・9%(「どちらといえば」を含めて)
 反対――41.9%

適当と思う税率
 「8%程度」 ――47・3%
 「10%程度」――33・5%
 「15%程度」―― 4・7%
 
 15%と答えたのは余程の余裕所得層であろう。

政治資金規正法違反の罪で強制起訴の小沢一郎民主党元代表の対応について
 「議員辞職すべきだ」――52・8%

 次は2月11日12.13日(2011年)実施の電話世論調査。《NHK調査 内閣支持率21%》NHK/2011年2月14日 19時29分)

菅内閣を「支持する」  ――21%(前回先月調査-8ポイント)――去年6月菅内閣発足後最低。
     「支持しない」――64%(前回+5ポイント)

菅内閣を支持する理由
▽「他の内閣より良さそうだから」――47%
▽「人柄が信頼できるから」    ――21%

菅内閣支持しない理由
▽「政策に期待が持てないから」――40%
▽「実行力がないから」    ――40%

菅総理大臣が6月までに社会保障改革の全体像と消費税を含む税制の抜本改革の基本方針を示すとした姿勢についての評価
▽「大いに評価する」 ――6%
▽「ある程度評価する」――39%
          全体――45%
▽「あまり評価しない」 ――31%
▽「まったく評価しない」――18%
          全体――49%

消費税の税率引き上げについての賛否
▽「賛成」       ――33%
▽「反対」       ――31%
▽「どちらともいえない」――31%

小沢元民主党代表の進退

▽「民主党を離党すべきだ」   ――21%
▽「議員辞職すべきだ」      ――54%
▽「離党も議員辞職も必要はない」 ――17%

「ねじれ国会」をどう打開すべきだと思うか
▽「衆議院の解散・総選挙で改めて民意を問うべきだ」――45%
▽「与党と野党が政策ごとに連携すべきだ」     ――32%
▽「与党と野党の一部が連立政権を組むべきだ」   ――8%
▽「与党と自民党が大連立政権を組むべきだ」     ――5%

衆議院の解散・総選挙の時期をどう考えるか尋ねたところ、

▽「平成23年度予算案が成立した後、今年の春ごろに行うべきだ」――25%
▽「通常国会が終わる今年の夏ごろに行うべきだ」        ――22%
▽「今年の年末までには行うべきだ」              ――17%
▽「再来年の任期満了まで総選挙を行う必要はない」       ――24%  (以上)

 菅内閣が発足したのは2010年6月8日。民主党代表選を経て菅第1次改造内閣は2010年9月17日から2011年1月14日まで。柳田法務大臣更迭や仙谷、馬淵問責決議を受けた菅第2次改造内閣発足が2011年1月14日から1ヶ月経過しているが、通算して約8ヶ月しか経っていない。生まれたてのホヤホヤと言ってもいい新鮮さを保っていてもいいはずの内閣だが、「NHK」世論調査では「再来年の任期満了まで総選挙を行う必要はない」24%を除いて88%の国民が今年中の解散・総選挙を求めている。

 鳩山内閣退陣時の内閣支持率は20%を切っていたが、6月8日の菅内閣発足後の各マスコミの世論調査内閣支持率は軒並み60%前後を記録、V字回復と言われた。そして菅内閣発足から3カ月後の民主党代表選2010年9月14日投開票前の菅内閣支持率は50%から60%を記録していて、ほぼ国民の支持を維持していた。

 だが、一国のリーダーとして必須の資質としなければならない「政策」と「実行力」という肝心な点での支持・不支持を朝日新聞の世論調査で見ると、他の新聞の世論調査でもほぼ似た傾向を示していたが、

「政策の面」での支持――20%
「実行力」での支持 ――13%

「政策の面」での不支持――27%
「実行力」での不支持 ――51%

 となっていて、「政策」と「実行力」の資質に関しては否定的判断が上回っている。特に「実行力」に関しては4倍近い否定評価を示している。

 一国のリーダーとしての必須の能力に関しては否定的だが、内閣支持に関しては60%前後の国民が肯定的態度を示した。

 この逆説は既に知られているように国民の多くが首相がコロコロ代ることに拒絶反応を示していたことによる帰結であった。

 いわば首相が長く務めることに価値観を置いた。

 また民主党代表選での対抗馬である小沢元民主党代表との間の「次の首相に誰がふさわしいか」では、菅首相――65%、小沢元代表――17%と圧倒的に菅首相に軍配を上げている。

 このことは首相はコロコロ代えるべきではないとする首相選択の判断基準とした価値観に添った選択であると同時に小沢民主党元代表に対するアレルギーが影響した選択でもあるはずである。

 この世論に於ける価値観は民主党代表選で地方議員や党員・サポーターに大きな影響を与えただけではなく、世論の動向に従った議員も現れ、代表決着の大きな要因となったはずである。

 だが、民主党代表選当時から5ヶ月しか経過していない短い期間に菅内閣支持率は20%前後まで下げている。変わらない点は指導力と政策に対する一貫した否定的評価のみである。

 いわばここにきて内閣支持率と首相として必須としなければならない政策能力、指導力に対する評価がやっと一致した。あるいは整合性ある姿を取ることになった。

 この当然としなければならない帰趨は5ヶ月前に国民が首相選択の判断基準とした「首相はコロコロと変えるべきではない」の価値判断が間違っていたことをそのまま証明することになる。

 あくまでも「コロコロ」を判断基準とするのではなく、常に政策、あるいは指導力を判断基準として首相を選択すべきだったということである。

 ということなら、同時にその判断基準に基づいて小沢氏を選択できるかどうか判断すべきであったことになるが、当時と変わらずに現在もそうなっていない。

 このことは昨年(2010年)9月7日エントリーの当ブログ民主代表選、国民世論は指導力なら小沢と言っている》に書いた。

 最初に示した共同世論調査で菅内閣支持19・9%、不支持63.4%でありながら、社会保障と税の一体改革に関する与野党協議に関しては、野党は応じるべきだが79.8%、応じなくてもよいが13.3%の逆説を描いているのは、与野党協議は国民は必要と判断としているが、菅首相に関しては必要としていないという意思表示がそのまま表れた結果値であるはずである。

 いわば与野党協議に於ける菅主導の排除を意味していると見るべきだろう。

 一度は国民が首相選択の価値観とした「首相はコロコロ変えるべきではない」は少なくとも現在のところ国民自らが葬り去って、88%の国民が、民主党の勝利を予想する見方が少ないことから、結果的に首相をコロコロ変えることになることが予測される年内の解散・総選挙を望んでいる。

 だが、依然として指導力あると見ている小沢氏に対するアレルギーは強く残っている。


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米軍普天間飛行場辺野古移設が官僚主導による決定なら、菅首相は政治主導による決定に修復する責任を有する

2011-02-14 07:43:31 | Weblog

 

 鳩山前首相が2月2日(2011年)に都内の日本外国特派員協会で講演した際、米軍普天間飛行場の名護市辺野古崎移設の経緯に触れた発言があったという。《普天間日米合意 反対続けば見直しを》琉球新報/2011年2月3日)

 記事題名は日米合意推進一本槍の菅内閣に対するいらぬ横槍となる。迷惑至極な口出しと映るに違いない

 鳩山前首相は日米合意への理解を沖縄県民に求めたいとする一方で、沖縄の反対が続く場合は合意見直しの必要性にも言及したという。

 日米合意を纏めた張本人が今さら何を言うかの感じだが、辺野古移設の日米合意決定は「国外・県外移設」の政府側の動きに対する官僚の消極姿勢と自身のリーダーシップの欠如が原因だと述べたという。

 当初は「一国の領土に他国の軍隊が存在して安全が守られているのは世界史的に当然とは思っていない」とする持論の「常時駐留なき安保」に従って「国外・県外移設」を目指す考えだった。

 鳩山前首相「米国の圧力よりも、日本の役所の中の論理にも(国外県外は)なかった。それを押し切るだけの意思を強く主張できなかった」

 記事は、(鳩山前首相は)〈官僚側は辺野古ありきだったと説明した。〉と発言を補足している。いわば官僚主導によって「国外・県外」どころか、足許の辺野古移設に持っていかれた。官僚の抵抗に阻まれて政治主導を発揮するどころでなかった。

 マニフェストに、〈政府に大臣、副大臣、政務官(以上、政務三役)、大臣補佐官などの国会議員約100人を配置し、政務三役を中心に政治主導で政策を立案、調整、決定する。〉と政治主導を謳っている。

 あるいは、〈政と官の関係を抜本的に見直す

○政治主導を確立することで、真の民主主義を回復する。
○与党議員が100 人以上、大臣・副大臣・政務官等として政府の中に入り、中央省庁の政策立案・決定を実質的に担う。
○政治家と官僚の接触に係わる情報公開などで透明性を確保する。〉と明記したことが、民主党政権発足後日は浅いとは言え、書いた言葉どおりには機能させることができなかった。それも偏に鳩山首相のリーダーシップ欠如に起因した。

 一旦は「国外、最低でも県外」と決めた自身の意志を最後まで貫き通すことができず、途中で投げ出してしまった。

 県内移設回帰への県民の怒りに対して――

 鳩山前首相「非常につらい思い」

 合意見直しの必要性への言及――

 鳩山前首相「これはのめないという状況なら他の方法も必要になる」

 記事は最後にこう書いている。〈普天間の県外移設ができなかった理由に、米側がヘリ部隊と地上部隊の一体運用を強く主張したことを挙げた。その上で両方をまとめて県外に移設する方策について「海兵隊全体の海外移設が可能ならば模索もできたが、時間的にも不可能だった」と述べた。〉――

 米軍普天間飛行場の辺野古回帰は鳩山政権による政治主導によってではなく、最初から辺野古ありきだった官僚主導によって推し進められた。官僚のリーダーシップのもと、着々と自民党政権が纏めた辺野古へと舵を戻して、辺野古へ到着の日米合意を形成した。

 この官僚主導決定は2月12日までの沖縄タイムス社の鳩山前総理インタビューによって決定的に証明されることになる。

 鳩山前首相はインタビューで米軍普天間飛行場の移設をめぐる政権時の取り組みや対米交渉の全容を語ったという。《鳩山氏「抑止力は方便」本紙インタビュー 辺野古回帰 理屈付け 普天間移設 戦略の欠如 陳謝》沖縄タイムズ/2011年2月13日 09時15分)

 鳩山前首相「辺野古に戻らざるを得ない苦しい中で理屈付けしなければならず、考えあぐねて『抑止力』という言葉を使った。方便と言われれば方便だった。海兵隊自身に抑止力があるわけではない。(陸海空を含めた)四軍がそろって抑止力を持つ。そういう広い意味では(辺野古移設の理由に)使えるなと思った」

 沖縄県内移設の理由付けとした「抑止力」が辺野古移設を正当付けるための便宜的方便に過ぎなかった。

 誤魔化しを働いてまで官僚主導の計画案に添い寝する行動に出た。政治主導の意志・覚悟を一切失っていた。 

 09年の衆院選で「最低でも県外」と掲げたことについて――

 鳩山前首相「民主党の沖縄ビジョンに書かれていることを言った。順序立てた見通しがあったというより『しなければならない』という使命感だった。・・・詰めの甘さがあった。申し訳なく思っている」

 記事は鳩山前首相自身の戦略性の欠如を認めた発言だとしているが、自身が見通しを立てることができなかったということは鳩山前首相自身の戦略性の欠如にととまらず、「沖縄ビジョン」自体が戦略性を欠いていた、見通しのないまま纏め上げたビジョンだったということになって、民主党全体の責任問題となる。

 もし「沖縄ビジョン」自体に順序立てた見通しが備わっていて、国外、もしくは県外移設への戦略が描かれていたということなら、その戦略を用いて、不足分は補ったり修正したりすれば目的の実現は可能となったはずである。

 「沖縄ビジョン」には国外、もしくは県外移設に関して次の記述がある。
 
 〈1.在沖縄米軍基地の大幅な縮小を目指して

日本復帰後36 年たった今なお、在日駐留米軍専用施設面積の約75%が沖縄に集中し、過重な負担を県民に強いている事態を私たちは重く受け止め、一刻も早くその負担の軽減を図らなくてはならない。民主党は、日米安保条約を日本の安全保障政策の基軸としつつ、日米の役割分担の見地から米軍再編の中で在沖海兵隊基地の県外への機能分散をまず模索し、戦略環境の変化を踏まえて、国外への移転を目指す。〉――

 〈普天間米軍基地返還アクション・プログラムの策定

普天間基地の辺野古移設は、環境影響評価が始まったものの、こう着状態にある。米軍再編を契機として、普天間基地の移転についても、県外移転の道を引き続き模索すべきである。言うまでもなく、戦略環境の変化を踏まえて、国外移転を目指す。

普天間基地は、2004 年8 月の米海兵隊ヘリコプター墜落事故から4 年を経た今日でも、F18 戦闘機の度重なる飛来や深夜まで続くヘリの住宅上空での旋回飛行訓練が行われている。また、米国本土の飛行場運用基準(AICUZ)においてクリアゾーン(利用禁止区域)とされている位置に小学校・児童センター・ガソリンスタンド・住宅地が位置しており、人身事故の危険と背中合わせの状態が続いている。

現状の具体的な危険を除去しながら、普天間基地の速やかな閉鎖を実現するため、負担を一つ一つ軽減する努力を継続していくことが重要である。民主党は、2004 年9 月の「普天間米軍基地の返還問題と在日米軍基地問題に対する考え」において、普天間基地の即時使用停止等を掲げた「普天間米軍基地返還アクション・プログラム」策定を提唱した。地元の住民・自治体の意思を十分に尊重し、過重な基地負担を軽減するため、徹底的な話合いを尽くしていく。〉――

 具体的な移転先も具体的な移転手順も書いてあるわけではない。特に移転先があって初めて移転可能となるはずだが、候補地すら挙げていない。

 県外移設先として鹿児島県徳之島が候補として挙がったが、09年の年内決着を先送りせざるを得なくなかった行き詰まった状況で、多分何とかしなければならないという思い余った心境からだろう、何らかの成算があって候補としたのではなく、距離的理由でのみ浮上させた徳之島だと言う。

 それを以って、いわゆる「腹案」とした。

 鳩山首相「地上部隊を沖縄に残してヘリ部隊だけを移すとなると距離的にギリギリと考えた」

 ここから見える光景は行き当たりばったりの姿のみである。

 いずれにしても、民主党は政権交代前から「官僚主導から政治主導の政治」を国民に約束してきた。国民も自公政権の官僚主導政治に対する拒絶反応から、民主党が盛んに宣伝する「官僚主導から政治主導の政治へ」のキャッチフレーズに期待して政権交代を託したはずである。

 それ程にまで国民が期待する約束となっていた。だが、普天間飛行場の辺野古移設に向けた日米合意が全くの官僚主導による決定事項であり、鳩山前首相が政治主導のリーダーシップを何ら発動させることができなかった結末であった。

 そしてここが一番肝心なことだが、菅首相は官僚主導で辺野古移設を決めた日米合意を鳩山前首相と同様に自らは何ら政治主導を発揮せずにそのまま受け継いだ。

 政権与党が代ったわけではない、鳩山内閣を同じ民主党の菅内閣が引き継いでいる以上、今からでも遅くはない、菅首相は自身も「政治主導」を掲げているのである、自らのリーダーシップを最大限に働かせて辺野古の官僚主導の決定事項から政治主導の決定事項へと修復する責任を有するはずである。

 勿論、辺野古が官僚主導による決定であるなら、政治主導は辺野古以外の決定としなければならない。同じであるなら、政治主導でも何でもなくなる。官僚主導の上書きで終わる

 その責任を果たすことが同時に「官僚主導から政治主導の政治」と謳った国民との約束も果たすことになる。


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小沢元民主党代表出演の自由報道協会(仮)主催記者会見から、その発言の「日本人の自立」について考える

2011-02-13 10:58:36 | Weblog


 
 小沢一郎元民主党代表がインターネット動画で記者会見を行うと言うので、多分放送しているだろうと思って、《プレスクラブ - ビデオニュース・ドットコム インターネット放送局》にアクセス、動画のアイコンをクリックしたら《videonews.com on USTREAM.》のページが開いて、そこで視聴した。小沢氏が自発的離党要請を受けた菅首相との会談直後の記者会見であった。

 フリーランスジャーナリストの岩上安身氏のツイッター《iwakamiyasumi》がその動画を文字化した《テキスト版》を紹介していたので、動画で小沢氏が発言していた「日本人の自立」という問題は小沢一郎政治塾での発言として新聞記事が以前触れていたことを思い出し、ブログにすることを思い立った。

 菅・小沢会談で小沢氏は当然のこととして予想していたことだが、離党要請を断っている。テキスト版で次のように述べている。

 小沢氏「(笑)私は総理にも申し上げましたが、私一個人の問題ではないと、やはりいま言ったように、日本の民主主義というのが、よりよい形で我々の社会の中に定着させるということが、一番の私の政治家としての使命であり希望でありますから、そういう意味において、いまの自分のさっきから言っている検察審査会の仕組みの中での、いま法廷で争うということになりましたけれども、そのことで私が党を離れるとか、あるいは党が何らかの形で処分をするというような、仮にそれが多数の皆様のご意見であるとすればしかたないですけれども、これは健全な政党政治と民主主義の発展にとって、私は妥当ではない、よろしくないというふうに思っておりまして、その意味で私は現状のままで活動しようという結論に達しているということです」

 菅首相にしても拒絶は、それが穏やかな態度で行われたとしても、当然のこととして予想していたことだと思うが、わざわざ会談して断られると分かっていることを求めたということは党の決定という形で強制的に離党を求めるための手続きを踏むことを目的とした一種の儀式だったのだろう。

 だが、離党強制は小沢氏一人の問題ではない。小沢氏を支えようとしている小沢グループが存在している。どこでどういった形の造反が起こらない保証は一切ない。ほんのちょっとした造反が菅首相の足をすくったり、最悪、窮地に追い込まない保証もない。

 ブログやツイッターに書いてきたことだが、検察の強制捜査を受けて不起訴となった、例え検察審査会による強制起訴を受けたとしても、判決を見るまでは推定無罪であること、無罪であることを信じていることとして野党の政倫審出席要求であろうと証人喚問出席要求であろうと突っぱねたなら、政権運営も小沢グループの協力を得ることができ、その分求心力を維持できたはずだが、その逆を行ったために小沢グループの協力を失い政権運営に困難を来たしたばかりか、小沢氏追及の野党攻勢を却って執拗に招き入れることになり、そのことも政権運営の障害となって立ちはだかることになっている。

 確かに突っぱねることによって支持率は多少は失うかもしれないが、小沢排除によっても結果的には支持率を失い、昨日報道の共同通信社の菅内閣支持率は内閣改造で少しは回復したご祝儀相場もその効果を失って20%を切り、菅内閣発足後最低の19・9%を記録することとなっている。小沢排除で政権運営に何か恩恵を受けていることがあるかと言うと、何も見当たらない。

 要するに菅首相には元々合理的判断能力を欠いていることに関連して政権運営の満足な戦略を身につけていなかった。参院選前の不用意な上、与党としての主体性を放棄した自民党10%増税案相乗りの消費税発言も参議院選挙の勝利が政権運営に如何に重要であるかを前提とすることができなかった戦略の稚拙さが招いたものであろう。

 与党としての主体性を放棄した自民党10%増税案相乗りの具体的証拠を鳩山前首相が証言している。

《鳩山氏「首相は反省示して」 内幕暴露しつつ代表選支持》asahi.com/2010年7月23日4時0分)

 鳩山由紀夫前首相は22日のBS11の番組収録で、参院選で敗北した菅直人首相について、「消費税の議論を生煮えで出した反省を示し、党内をまとめるべきだ」などと批判した。ただ、9月の代表選では首相を支持するとした。
 鳩山氏は菅首相が財務相当時から「消費税で自民党と一緒の主張をすれば争点から消えるから大丈夫」と主張していたことを暴露。小沢一郎前幹事長らとこぞって反対した経緯を明かした。

 首相が打ち出した鳩山氏肝いりの国家戦略局構想の縮小方針にも「(首相は)私に『法案がなかなか通らないから』と説明したが、最初からあきらめてもらいたくない」と不快感をあらわにした。

 また、菅政権の人事には「幅広く取り込む人事をしたら良かった」と述べ、「脱小沢」路線を進めた首相の姿勢を批判。一方で、9月の民主党代表選の話題になると「代わったばかりで(首相を)降ろすという話にはならない」と述べた。
 
 結果は参院選惨敗、菅首相を指示するとした鳩山前首相も代表選では菅支持から転向、小沢支持に回っている。支持するに値しないと見たからだろう。

 菅首相の「消費税で自民党と一緒の主張をすれば争点から消えるから大丈夫」は政権担当の与党としてすべての政策をリードすべき使命・責任を忘れた主体性喪失の発言以外の何ものでもない。

 議席、あるいは頭数は政策の優位性を訴えて獲得する政権獲得のための重要要素であり、政権を獲得した場合、それを維持し運営を良好な状態に置く肝要な要素であるはずだが、そのことの意識を欠いていた。

 記者会見では今回名古屋市長選で当選した河村たかし氏と愛知県知事選に当選した大村秀章氏が小沢氏を訪れ、当選の挨拶等の話をしたことに触れているが、この訪問は民主党が推した候補が敗れていることと併せて菅内閣に対する見事な一大皮肉を示す光景であろう。

 上杉隆司会者「あとですね、これ一昨日になると思うんですが、名古屋の愛知県知事選で共に当選したさん、そして河村たかし市長が、小沢さんの方に表敬訪問というか挨拶に来たということなんですが、ずっと長い間、地方からの改革というか、地方に権限を委譲するというような形での政策を持たれている小沢さんと河村さんたちが会ったということは、何らかの政策的な、そういう話し合いがあったんではないかと思うんですが、その辺りの話というのはされたんでしょうか」

 小沢氏「河村君、河村市長は、ずっと前からよく知ってる仲です。大村新知事は直接は存じ上げなかったですけども、二人とも面白いキャラの持ち主でして、なんかとにかく挨拶に、話に来たいということで、これはもう、県と名古屋市を代表する方が挨拶に来るというのですから、それを断る理由もありませんし、また年来の面白い友人でもありますから、お会いして、なんかもう、ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ1時間ぐらい喋ってましたね」

 上杉氏「半ば、尾張の乱のような感じも受けたんですが、ただ、民主党は、愛知県連含めて、両者共に推薦ということで、選挙で応援はしなかったんですが、その辺り、選挙上の観点からどうなんでしょうか、その民主党の対応というのは」

 小沢氏「民主党の対応云々よりもね、メインは河村君だったんだと思うけれども、彼は一つはね、非常に日常活動を、まさに一般の皆さんの中に入って一所懸命やってます。ですから、一般市民との会話、意思疎通が、相当できてるんじゃないかというふうに思います。

 それから、もう一つは政策面ですけれども、やっぱり自分の、減税という話で一口には言ってますが、自分の主張を頑ななまでに曲げずに推し進めてるということが非常に県民、市民の共感を得たんじゃないでしょうかね。そういう意味で、彼と、あの二人の県民、市民との認識、理解の度合いが、はるかに政党云々よりも強かったということでしょうね」

 「政治は結果責任」である。結果がどう出るかは現在のところ不明である。だが、「政治は結果責任」を出すためには自らが決めた信念を曲げたのでは結果がは限りなく覚束なくなる。勿論信念を曲げないとは小沢氏が言っていた「自分の主張を頑ななまでに曲げずに推し進め」るの発言に相当する。

 自己の主張・信念を頑なまでに曲げずに推し進めて結果を得ることができなかった場合は「政治は結果責任」の鉄則を守って責任を取ればいい。潔い態度と言うのは主張・信念を曲げないことと結果に対する責任を取ることと両方を併せた態度を言うはずである。

 また、国民も、あるいは市県民も、政治家の結果に対して選挙を機会に審判を下す。政治家の結果の責任に対する頬被りは許さないはずである。

 マニフェストに対する態度から見ても、参院選敗北の責任の取り方から見ても、菅首相には両方とも欠けた態度となっている。

 さて、「日本人の自立」についての遣り取りを見てみる。

 伊田「週刊金曜日編集部の伊田と申します。よろしくお願いいたします。前回、グランドキャニオンの話をうかがいました。

 小沢さんが、実は、相当政策通であることは、記者会見でいわゆる『政治とカネ』の問題しか聞かれないので知られていないと思うんですけど、今の日本を立て直す為に、どのような政策が一番大事と思われているのか、漠然とした質問ですけれどもそこをお聞かせください。マニフェストの見直しの話が出なかったというのが冒頭にありましたけども、どういう政策を取っていくのが、いまの大変な世界状況の中で日本の為になるのか。大きな質問ですけどよろしくお願いします」

 小沢氏「個別政策うんぬんというよりも、更にその背景にある、どうしたら良いかということだと思いますが、基本的にはやっぱり自立した日本人、日本人自身がやはり自ら自立した個人にならないと、この問題は解決しないだろうと思っております。

 国家や社会は、自立した個人のその意思によっていろいろ活動する、それが出来る限り自由に、出来る限り個人の活動をエンカレッジする、サポートする、そういう仕組みを基本的に作ってやるというのが、社会や国家の仕事だろうと思っております。

 ただ、あくまでも自立した個人というのが前提にないと、それは成り立たない。そして民主主義が成熟しない、という結果になってしまう」 

 テキスト版は「エンカレッジ」といった言葉に対して注釈をつけている。(*(英:encourage):発達などを促進すること。助成すること、後押しすること。)

 先ず以前触れていた記事を取上げてみる。《【小沢氏講演要旨】「日本のあらゆる分野で精神の荒廃、劣化が急速に進む」》MSN産経/2010.8.25 12:11)

 小沢氏「政治塾」は、下世話な政局話をする場ではない。

 今後のことを考えると、外需に頼りきりの日本経済は大きな打撃を受ける。中国は経済的崩壊が政治的動乱につながる恐れがある。政治経済は不安定な状況になりつつある。本来の日本人の精神力と知恵と力さえ持っていれば、このくらいの困難を克服するのは容易に可能だ。しかし、今日の日本社会を見るとあらゆる分野で、政界、官界、財界、一般社会においても、精神の荒廃、劣化が急速に進んでいる。規律、モラルという美徳がかけらもみられなくなった。

 絶対にあり得ないと思っていたアメリカ社会で、黒人大統領が誕生した。危機にあって変革を訴えた(オバマ)大統領を選択した。私は決してアメリカ人を利口だと思っていないが、自分の意志による選択を実行していることを高く評価している。

 政治経済ともに困難な時にあたって、日本人自身が自立した人間(になって)、自分で判断し、行動し、責任を持ち、きちんとしたモラルを身につけることが大事だ。今こそ急がば回れ、教育に思いを馳せなければならない」――

 「私は決してアメリカ人を利口だと思っていないが」の発言は問題発言となったが、「自分の意志による選択を実行」する能力、アメリカ人の自立心を「高く評価している」。

 自立的行動とは他の支配を受けずに、小沢氏が「自分で判断し、行動し、責任を持ち、きちんとしたモラルを身につける」と言っているように自分自身の意志・判断・責任を持って行動することを言う。

 この自立的行動は「自分の意志・判断によって自ら責任を持って行動する態度」(『大辞林』)を指す「主体性」と同義語を成す。いわば小沢氏が「自分の意志による選択を実行」と言っていることからも理解できるように自立的行動であっても主体的行動であっても、他者の支配を受けない自らの選択による行動であるのか、他者の支配を受けた行動であるかが分岐点となる。

 他者の支配を受けた場合、“支配と被支配”の関係に縛られることになり、自身の判断の機会を失う。

 しかし小沢氏は日本人は自立した国民とはなっていないと言っている。このことを証明する象徴的現象が国の姿となる中央集権体制であろう。小沢氏も常々日本の国が中央集権国家となっているということを言っている。

 中央集権体制とは断るまでもなく中央が地方を支配し、地方が中央に支配される、“支配と被支配”を力学とした上下関係を言う。

 勿論対等の動機付けによるものではない、こういった“支配と被支配”に動機付けられた中央と地方の上下関係は国民性に根づいている“支配と被支配”の性状の相互反映としてある行動性としてある。

 いわば“支配と被支配”の関係は中央と地方の関係ばかりではなく、個人間にも存在する関係性であり、だから小沢氏は上記記者会見では、日本を建て直すためには基本的には「日本人自身がやはり自ら自立した個人にならない」と言い、「自立した個人というのが前提にないと」国家・社会は「成り立たない」と言わなければならない。

 「MSN産経」記事が伝える小沢一郎政治塾の発言で言うと、政治・経済の困難の克服には「日本人自身が自立した人間(になって)、自分で判断し、行動し、責任を持ち、きちんとしたモラルを身につけることが大事だ」と言わなければならない。

 では自立心を養うにはどうしたらいいか、小沢氏は両発言とも「教育」の必要性を説いている。

 小沢氏「一つはやはり広い意味での教育でしょうね。これは、家庭教育、社会教育、学校教育と、分ければありますけれども、やはり一番大きいのは僕は家庭教育だと思いますけどね。それはやっぱり親自身がきちっと自立してないとね、子供も育てられんないですから。そういう意味で、どっちが先かという話になっちゃいますが、私はそういう考えを前提にして社会や国家の仕組みを、それぞれの人たちが活動しやすい、能力を発揮しやすい仕組みを作っていくと。

 同時に自由な行動でありますけれども、大勢の人が集まった社会ですから、当然、社会全体のセーフティーネットという物を考えるということも、自立社会と同時にそれがないと、まったくのイコール競争社会万能という話になっちゃいますんで、大きな、多くの社会で、多くの人をセーフティーネットで支えながら、個人の努力と能力によって自立した個人の活動が営まれていくということを、非常に抽象的ですがそう思います。それはやっぱり、どっちが先ということがあるけど、煎じ詰めればやっぱり教育なんですかね。人づくりというのか、教育というのか、そこから、まあ一歩から始めるということでしょうかね」――

 「家庭教育、社会教育、学校教育」とある中で、一番重要なのは家庭教育だと挙げているが、但し、「親自身がきちっと自立してないとね、子供も育てられんないですから。そういう意味で、どっちが先かという話になっちゃいますが」と家庭教育を割り引いて評価している。

 私自身は家庭教育説に立たない。学校教育説に立っている。学校社会が保育園・幼稚園に始まって小中高大学と自立心を養うことができないままに子供・生徒を社会に送り、結婚して子どもを生み親となって子育て(=家庭教育)を行う循環の中で自立心なき日本人の姿が延々と続いているのである。その循環を断ち切るためには、小沢氏が言っているように「親自身がきちっと自立してないとね、子供も育てられんないですから」、すべての教育機関が意識的にその役目を担って子供・生徒たちを自立した人間として社会に送る出すことをしないことには自立しないまま親となり子どもを持つ悪循環は止めることはできないはずである。

 例えばこれは確か5、6年前に実見したことだが、私立の保育園で園児たちが外に遊びに出ていたのか、何かの校外実習に出ていたのか分からないが、保母に連れられてぞろぞろと戻ってきた。50代と思しき園長が子供たちを迎えるべく庭に続く縁側に立っていた。子供たちが全員集まるには保母の言うことを聞かなかったり歩くのが遅かったりで時間がかかる。

 その間、最初に戻ってきた子供たちに園長は言葉をかけるでもなくただ廊下に突っ立っている。子供たちも園長に声を掛けるでもなく手持ち無沙汰げに近くで待っていた。全員が揃ったところで、まだ若い保母が、記憶にないが、多分、「では、園長先生にお帰りの挨拶をします」と言ってからのことだろう、子供たちを誘導する一声大きくした声で、「園長先生、ただ今ー」と言うと、子供たちが習って一斉に、「園長先生、ただ今ー」と挨拶した。

 そこで初めて園長はにっこりした顔で、「お帰りなさい」と応じ、挨拶を終えたので保母は、「じゃあ、手を洗ってから入りましょう」と指示すると、子供たちはその指示に従ってすぐ背後の水呑み場に行って手を洗ってから、建物に入っていった。

 この場面にあった関係性はすべて保母の指示に従って動く子供たちの姿である。挨拶するのも手を洗うのも建物に入るのも、すべて上に位置する保母の指示に従って行う。

 上の指示に忠実に従う関係とは明らかに子供たちは保母の意志の支配下にあり、保母は子供たちを支配下に置いた“支配と被支配”を力学とした上下関係が確立していることを物語っている。

 勿論、保母の背後には保母と子どもたちにそういう態度を暗黙の指示で取らせている園長の存在がある。

 子供たちが園に戻ってきた順に自分の判断で手を洗って建物に入り、そこでたまたま園長に会ったなら、自分の判断で「ただ今」を言い、教室で全員が戻るのを待たなければならないとしたら、自分の判断で絵本を見たり、おもちゃで遊んだりをするといった自分で自分の行動を判断させる訓練を積み重ねていくといったことをせず、逆に上の指示で行動させる“支配と被支配”の関係性を一生懸命刷り込んでいるのである。

 家庭でも、自立心を養われる機会を持たなかった親がああしなさい、こうしなさいと子供の行動を指示することを通して“支配と被支配”の上下の関係性を刷り込んで子供たちを学校社会に送り込む。この循環が続いているのである。

そしてその結果が小沢氏の言う日本人の自立の必要であろう

 やはり学校社会が“支配と被支配”の循環を意識的に断ち切る役目を担わないことには、あるいは家庭教育に期待するだけでは「日本人の自立」はなかなか実現しないではないだろうか。

 最近の記事で日本人の自立心に言及した記事がある。《「大学生は主体性が足りない」 経団連、企業アンケート》asahi.com/2011年2月7日3時2分)

 既に触れたように「主体性」は自立心の同義語を成す。主体性なき自立心という行動性は存在しない。逆もまた真なり、自立心なき主体性という行動姿勢は存在しない。

 記事は書いている。〈最近の大学生には主体性や創造力が足りない――産業界にこんな不満があることが、日本経団連のアンケートでわかった。最近の新卒採用で企業側は、募集人数に達しなくても求める人材がいなければ採用しない「厳選採用」を続ける。内定率の向上には、大学教育の内容を巡る企業と大学のミスマッチを解消する努力が求められている実情が改めて浮き彫りになった。〉

 アンケートは昨年9~11月、経団連会員企業1283社と非会員の地方中堅企業に尋ね、596社から回答を得た結果値だという。

 企業が大学生採用で重視する行動要素を企業に尋ねたところ――

「主体性」        平均4.6ポイント
「コミュニケーション能力」  4.5ポイント
「実行力」          4.5ポイント

 最近の大学生の不足素質トップ――

「主体性」 89.1%

 能力・知識面での不足資質トップ――

「創造力」(既存の価値観に囚われない発想) 69.3%

 いずれの資質も上に位置する者の指示で行動し、判断する“支配と被支配”の関係性に縛られていたなら、育たない資質である。「創造力」は特に自身による独自の判断を必要とする。

 小沢氏が言っている「自分で判断し、行動し、責任を持ち、きちんとしたモラルを身につける」自立した行動への、あるいは主体性を備えた行動への期待は不可能となる。

 記事はこの状況を「最近の大学生」のこととしているが、決してそうではない。時代の影響を受けて強弱・濃淡の差は出るが、本質的な血となっている日本人の行動性としてある、“支配と被支配”の上下関係性から発した主体性の欠如であり、自立心の欠如である。

 もしそうでなければ、中央と地方との中央集権体制は封建時代から引きずったままの状態にはなく、とっくの昔に解消し、昔物語となっている中央集権制ということになる。

 だが、そうはなっていない。 

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菅首相の頭にしっかりと入っていなかった消費税逆進性緩和対策

2011-02-12 08:34:37 | Weblog



 今日の記事は前々日(2011年2月10日)エントリーの当ブログ《党首討論 菅首相は問題意識を欠いている - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》と少々重なるが、そこに大体次のようなことを書いた。

 菅首相は党首討論で(他の機会にもだが)、「社会保障のあるべき姿」を言うが、大まかな骨子が見えない、「社会保障のあるべき姿」とは消費税増税を一体としている以上、5%やそこらの増税でも生活に不安を抱えない安心所得層はさておいて、5%でも生活に不安を来たす、中には果たしてやっていけるだろうかと絶望的になる生活者もいるかもしれないから、不安心所得層を対象とした増税による生活圧迫を解消するセーフティネットこそが安心社会の構築に必要不可欠となるはずであり、そのセーフティネットとして、《民主党政策集INDEX2009》に〈逆進性対策のため、将来的には「給付付き消費税額控除」を導入します。これは、家計調査などの客観的な統計に基づき、年間の基礎的な消費支出にかかる消費税相当額を一律に税額控除し、控除しきれない部分については給付をするものです。これにより消費税の公平性を維持し、かつ税率をできるだけ低く抑えながら、最低限の生活にかかる消費税については実質的に免除することができるようになります。〉と提言している以上、「社会保障のあるべき姿」を云々する前に不安心所得層に対するこういった情報発信が必要ではないかと。

 次の日の2月11日(2011年)、「NHK」のサイトに、《低所得者への軽減策 検討急ぐ》(2011年2月11日 4時10分)なる記事が載っているのに気づいた。「4時10分」の発信となっているから、前の晩(10日)の報道かもしれないが、党首討論はその前日の9日午後4時からで、菅首相が「社会保障のあるべき姿」を盛んに発信していたものの、「逆進性」については一言も触れていないばかりか、安心、あるいは不安心の解消についての言葉は、「この団塊世代の前後にとって、社会保障の将来は、不安感を持ってみておられます。同時に私たちの、ちょうど子供の世代の若い皆さんは、果たして自分たちのときに、今のような社会保障の給付が受けられるのかという、不信感を多く持っておられます」、だから、「我々世代がやらなければならないのは、この問題を、ある意味では一刻も早くですね、しっかりとした案を作って、そして実行に移すことじゃないでしょうか」と「社会保障のあるべき姿」の推進を言っているのみで、他に一言も発信していない。

 《民主党政策集INDEX2009》に既に逆進性対策を約束し、政権を担って国民との契約に格上げしておきながら、党首討論では一切触れずに、こに来て「低所得者への軽減策」の検討を急ぐとするのは、遅過ぎる準備と言わざるを得ない。

 このことは関係閣僚もそうだが、「社会保障のあるべき姿」を散々に発信していながら、肝心要の菅首相の頭に逆進性に関してしっかりと頭に入っていなかったことによる今更ながらの“検討”であり、これまでの失念であろう。

 尤も菅首相は昨年の参院選前に不用意且つ与党としての主体性を持たずに消費税発言をして支持率を下げると、それを挽回するために躍起となって参院選の遊説地の先々で「消費税分全額還付」等の逆進性対策を打ち出しているが、このこと自体が消費税増税のしっかりとした全体像が菅首相の頭にしっかりとは入ってはいなかった、はっきりとした全体像を描いていたわけではないことの暴露となっていた。

 いわば「社会保障のあるべき姿」を盛んに情報発信しているが、具体像の構築は他人任せの丸投げで、菅首相自身は具体的中身のない情報発信を専ら行っていたということではなかったか。

 先ず上記「NHK」記事を見てみる。

 〈政府は、消費税を含む税制の抜本改革に関連して、消費税率の引き上げにあたっては、所得が低い人ほど負担が重くなる「逆進性」の解消が課題となっていることから、低所得者に対する負担軽減策の検討を急ぐことにしています。〉

 今になって気づきましたと言っているようなものである。菅首相は党首討論で自公政権成立の平成21年度の税制改正法附則104条に従って〈社会保障に充てるために消費税率を引き上げるとした税制改正の法案を来年3月末までに国会に提出する考えを示した〉が、〈消費税を巡っては、所得が低い人ほど負担が重くなる「逆進性」が指摘されており、これをどう解消するかが課題となっています。社会保障と税の一体改革を担当する与謝野経済財政担当大臣は、内閣府の担当者らに対し、この具体策の検討を急ぐよう指示しており、所得の低い人に現金を払い戻す「給付付き税額控除」や、食料品などの生活必需品の税率を低くする「軽減税率」の導入について、議論が進められる見通しです。〉と記事は続けて書いている。

 まさに順序は逆である。低所得の生活不安心所得層に対して逆進性緩和のセーフティネットを講ずるのか、最初の消費税導入時と比較して所得格差が進行、国民の多くが所得を下げている状況を無視して従来の導入形式と同様に無差別に網を掛けるのか、そのことを提示してから、その提示をベースに「社会保障のあるべき姿」と「税制改革」の構築に進むべきを、「社会保障のあるべき姿」と「税制改革」を最初に持ってきている。

 また、記事は〈社会保障と税の一体改革を担当する与謝野経済財政担当大臣は、内閣府の担当者らに対し、この具体策の検討を急ぐよう指示しており〉と解説しているが、元自民党、自民党を離党し、新党どっこいしょたちあがれ日本をたちあげ、共同代表となった、現在菅内閣に参画しているものの、反民主であった与謝野が逆進性の検討指示を行う。

 いわば少なくとも逆進性の検討に関しては《民主党政策集INDEX2009》で触れてはいるものの、民主党の主体性が見えない。この逆説は何を意味するのかと言うと、やはりリーダーである菅首相の頭には入っていなかった消費税逆進性対策と言うことであろう。

 記事はまた、政府の税制調査会がこの件についての検討を始めると10日の懇談会で決めたことに触れているが、要するにこれからの検討だということである。このことを裏返すと、まだ検討していなかったということを示すことになる。

 〈政府の税制調査会も、10日、有識者を交えた懇談会で、この論点について議論を始めることを決めました。政府は、「給付付き税額控除」や「軽減税率」の利点や問題点を整理したうえで、社会保障と税の一体改革の議論に合わせ、ことし6月に向けて、低所得者に対する負担軽減策の検討を急ぐことにしています。〉

 低所得の生活不安心所得層程、日々生活設計に負われているというというのに、そういった状況を考慮できずに何とまあ、スローモーションなことである。

 菅首相は消費税発言で劣勢を強いられることとなった参院選の戦況を覆すべく、遊説の先々で逆進性対策を打ち出した。殆んどが知っているようにそれは発言のブレとなって現れた。このこと自体が菅首相の頭の中に消費税逆進性対策がしっかりと入っていなかった証拠そのものと言える。

 このことはブログ《菅首相と野党の消費税提示の違い――その稚拙さに書いた。

 年収別に応じて消費した金額にかかる消費税分を全額還付するという逆進性緩和対策を打ち出したのである。

 秋田市内での税還付発言――

 菅首相「年収が300万円とか350万円以下の人は、かかった消費税分は全額還付をするというやり方もある。あるいは食料品などの税率は低いままにしておくというやり方もある」――

 だが、青森市での遊説では「年収200万円とか300万円」、山形市では「年収300万~400万円以下の人」

 テレビも新聞も、400万円以下だと46.5%の世帯が該当することになり、消費税を増税する意味を失うと伝えていた。少なくとも税収を半減させることになる。

 菅首相の頭にあったのは生活不安心所得層に対するセーフティネットとなる自らが思い描いていた逆進性緩和対策の「あるべき姿」ではなく、参院選の劣勢挽回のみであったからだろう。いわば消費税発言が生み出したマイナスの影響を打ち消して劣勢を挽回するため逆進性緩和対策としての「税還付」方式を持ち出したに過ぎなかったと言うことである。

 だから遊説先によって還付すべき年収にバラつきが生じた。

 「社会保障のあるべき姿」と言いながら、あるいは「消費税を含む税の一体改革」と立派そうに言いながら、単に言葉を費やしているだけのことで、実質的には具体的な姿を思い描かないままの情報発信だったのである。

 だから上記「NHK」記事が伝えるように今更ながらに低所得者への軽減策の検討を急ぐことになる。

 尤も「給付付き税額控除」であろうと、食料品などの生活必需品の税率を低くする「軽減税率」であろうと、消費税を増税した場合の生活不安心所得層に対するセーフティネットをしっかりと構築した上での消費税増税であったとしても、衆議院任期4年間の増税は自らのマニフェストに違反することに変わりはない。

 さらにこのマニフェスト違反に加えて、《高橋洋一の民主党ウォッチ いよいよ民主党の内乱起こりそう 菅・与謝野の「詭弁」に反発》J-CAST/2011/2/10 17:01)が触れている記載が障害となって立ちはだかることになる。
 
 〈与謝野大臣は、09年度の税制改正法付則104条に、「遅滞なく、かつ、抜本的に消費税を含む税の抜本的改革を段階的に行うため、11年度までに必要な法制上の措置を講ずる」と書かれていることを強調している。

 しかし、よく法律を読んでみよう。その付則には「平成二十年度を含む三年以内の景気回復に向けた集中的な取組により経済状況を好転させることを前提として」と書かれている。「平成二十年度を含む三年以内」とは、2008年4月から2011年3月までだ。この間にまともに景気回復の取り組みはなされておらず、デフレから脱却できず、経済状況も好転しているとはいえない。ということは、付則の前提条件が崩れている。〉――

 これは多くの政治家、識者が「先ずは景気回復が先だ、消費税増税はそれからだ」に合致する。

 勿論、このような考え方が正しいかどうかは別問題である。だが、税制改正法付則104条に則って消費税を含めて「11年度までに必要な法制上の措置を講ずる」とするなら、その前提条件たる「経済状況の好転」をも制約とする義務を負うはずである。

 菅首相が菅内閣発足早々、参院選前から消費税増税を先に持ってきたということはこういったことも菅首相の頭には入っていなかったことを示す。すべてに亘ってノー天気だったとも言うことができる。



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党首討論 菅首相は問題意識を欠いている

2011-02-10 11:53:52 | Weblog



 昨2月9日午後、菅首相に対する谷垣自民党総裁と公明党山口代表の党首討論が「国家基本政策委員会合同審査会」で行われた。NHKの中継を聞きいて感じた印象は、菅首相が落ち着いた声で発言する箇所もあったが、全体的にいきり立った様子が目立った。総理大臣である立場上、野党党首に対して受けて立つといった余裕を見せるべきを、見せずじまいで終わった。

 余裕のなさは政権運営面の余裕のなさの反映としてある状況であろう。だが、この余裕のなさは菅首相自身の指導力が導き出した政権運営に於ける停滞によってもたらされたものと言える。

 党首討論の発言は「MSN産経」記事に頼った。「衆議院インターネット審議中継」のHPからダウンロードした動画から文字に起さなければならないのかなと億劫に思いつつ、機会あるごとに首相の所信表明や主だった記者会見の発言を記事化して「詳報」として伝えている「MSN産経」に今朝アクセスしてみると、記事となっている。面倒が省けたと感謝、感謝である。

 「詳報」の最初の記事にだけリンクをつけておくが、菅首相と山口公明党代表の党首討論の詳報も記事となっているから、まだご存知がなくて、興味のある方は順次アクセスしてみてください。

 《党首討論詳報】 (1)菅首相「国造りの理念を谷垣氏からも聞きたい」(9日午後)》MSN産経/2011.2.9 16:33) 
 
 両者の発言の要所要所を取上げて、自分が感じた感想を述べてみたいと思う。谷垣自民党総裁が取上げたテーマは菅首相が4月に纏めるとしている「社会保障の改革案」、6月に纏めるとしている「税制の抜本改革案」、この二つを纏めた「社会保障と税の一体改革」についてが1点、そして衆議院任期の折り返し点である9月に行うとしている「マニフェストの見直し」1点。さらに「解散」と小沢氏の「政治とカネの問題」の併せた4点であった。

 谷垣総裁は4月の「社会保障の改革案」と6月の「税制の抜本改革案」の「社会保障と税の一体改革」、それに続く9月の「マニフェストの見直し」の菅首相のこのスケジュールに対して、「順序が逆ではないか」と批判している。

 谷垣総裁「私ね、順序が逆なんじゃないかと思うんです。なぜかと言いますと、これは後ほどもう少し詳しく申し上げますが、マニフェストが破綻している。このことがね、いろんなことの背後にある問題です。ですから、この処理を後回しにしようというのはね、私は順序が違うんだと思います」

 マニフェストの全面的見直しということになったら、解散・総選挙して新しいマニフェストを基準に国民に信を問い直さなければならない。そこを狙っての谷垣発言なのは後で分かってくる。

 勿論、菅首相は否定する。一刻も早く「社会保障と税の一体改革」を進めるべきだと主張して止まない。

 菅首相「順序が逆というのは、私にはまったく理解できません」

 菅首相「団塊世代の前後にとって、社会保障の将来は、不安感を持っておられます。・・・子供の世代の若い皆さんは、果たして自分たちのときに、今のような社会保障の給付が受けられるのかという、不信感を多く持っておられます」
  
 そして、「我々がやらなければならないことは、しっかりとした案を作って、そして実行に移すこと」だと。

 菅首相は何度も「社会保障のあるべき姿」と言っている。それを4月までに纏めると。だが、何を以て「あるべき姿」と言っているのか全然見えてこない。単に「あるべき姿」、「あるべき姿」と言っているに過ぎないように見えるのみである。

 勿論、菅首相は4月に纏めた時点で「あるべき姿」は見える、そのときそれが実行可能性を備えたものかどうか、社会に定着して国民生活に寄与する実効性ある内容となっているかどうか議論して貰いたいと言うだろう。事実次のように発言している。

 菅首相「4月までに社会保障のあるべき姿についてしっかりと議論をして、その姿をお示しします。税については、その社会保障のあるべき姿について、そのことを実行していくためには、どれだけの財源が必要で、そして、それにはどのような形を取ることが可能か、そういうことについて併せた案をお示しをいたしますから。お示しを、6月にお示しをいたしますから。それが出たときには、協議に乗られるのかどうかについても、ぜひお答えをいただきたいと思います」

 だとしても、「あるべき姿」の模型図となるものが頭に入っているはずである。基本的な骨子といったものがなければ、その上にどのような具体像も描くことができないはずだが、その基本的な骨子さえ示さずに「あるべき姿」、「あるべき姿」と盛んに言う。

 どういった骨組みで「社会保障のあるべき姿」を構築するのかの具体的な説明があって初めて国民は信頼感を持ってその構築過程と結末を注意深く見守ることができるはずであるが、その説明がない上に世論調査が示しているように指導力を備えていると思えない首相と多くの国民は把えているから、信頼が持てず、雲を掴むような気持にさせられるだけなのではないだろうか。

 当然、「社会保障のあるべき姿」の具体的な骨子に問題意識を置かなければならないことになる。

 菅首相はここで「子ども手当そのものは、これは無駄の削減による財源で行うというのがマニフェストでありますけれども、子育てという問題については、この、広い意味の福祉にも入っております」と発言しているが、これはマニフェストでは子供手当の財源はムダの削減から充当ということになっているが、消費税増税分を財源とするとの宣言であろう。

 国民が、特に生活困窮者が最も不安視しているのは消費増税であろう。社会保障改革が消費税増税と一体となるのは誰もが知っているはずである。それをマニフェストに違反してまで当初予定していなかった子ども手当の財源に消費税を充てようとしている。

 しかし菅首相にはマニフェスト違反だとの認識はないようである。谷垣総裁はが、参院選前に菅首相が自民党の消費税増税案の10%という税率を参考にすると言いながら、参院選で敗北すると「コロッと引っ込められてしまった」、「本気でこれをおやりになる気があるのかどうか」と本気度が疑われる例としてあげると、菅首相は例の如くの発言で答えている。

 菅首相「私が申し上げたのは、消費税について、それを参考にして与野党で協議をしようということを申し上げたつもりでしたが、私の言い方が、やや唐突であったために、すぐにでも消費税を引き上げるという風に誤解を招いたことを、これは私の責任も含めて、そのことを感じましたので、参議院選挙で厳しい結果をいただいた中で、もう一度、党として、党として、この問題についてしっかりと協議をしてもらいたい。こういう風に申し上げて、そして、この間のいろいろな党内の議論も踏み固めたうえで、改めて今回、今回、この社会保障のですね、考え方を、昨年の暮れには一つの5原則の社会保障の考え方をまとめ、そして、この4月にそうしたものを踏まえて、多くの党や団体の意見もきちっとお聞きしたうえで、あるべき姿を提示しようと。このことを申し上げ、併せて6月には、税との一体改革案をお示しします」――

 「すぐにでも消費税を引き上げるという風に誤解を招いた」とマスコミ報道を批判しているが、党内議論を経ない消費税発言であった不用意さ、与党でありながら、主体的にリードする姿勢を取るのとは正反対の野党の増税率を参考とした他力本願的な姿勢、例え自民党の10%を参考にするとしても、なぜ10%なのか、なぜ民主党も自民党と同じ10%なのかの具体的な説明責任を何ら果たさなかった安易な態度も批判の対象となったはずだが、冷静に自省心を働かせて自身の問題でもあると反省せずにマスコミのみの責任に帰し、自分は間違っていない、自分は正しいとする身勝手さは相変わらずである。

 昨年の暮れに纏めたと言っている「5原則の社会保障の考え方」とは次のような内容のものである。

 安心と活力への社会保障ビジョン

 社会保障改革の3つの理念と5つの原則

 参加保障 国民の社会参加を保障し、社会的な包摂を強めることを目指す

 普遍主義 すべての国民を対象  国、自治体、NPO等の多様な主体が協力

 安心に基づく活力 社会保障と経済成長の好循環を目指す
  雇用と消費の拡大
  国民の能力開発
  相互信頼の増大など

 5原則

①切れ目なく全世代を対象とした社会保障・・・主に高齢世代を給付対象とする社会保障から全世代対応型の保障への転換
②未来への投資としての社会保障・・・子ども・子育て支援等を中心に、未来への投資としての性格を強める
③地方自治体が担う支援型のサービス給付とその分権的・多元的な供給体制(現物給付)
・社会的包摂のため、支援型サービス給付の役割を重視。自治体がNPO等とも連携しつつ、住民の声に耳を傾けてサービスを提供
④縦割りの制度を越えた、国民一人ひとりの事情に即しての包括的な支援
・縦割りの制度を越えて、ワンストップサービス、パーソナルサポートを提供
⑤次世代に負担を先送りしない、安定的財源に基づく社会保障
・現在の世代が享受する給付費の多くを後代負担につけ回ししている現状を直視し、給付に必要な費用を安定的に確保

 これは理念・方針を述べたもので、「社会保障のあるべき姿」の具体的姿を述べたものではない。

 谷垣総裁は消費税について自公政権が成立させた平成21年度の税制改正法の附則104条が「平成23年度中に消費税を含む税制抜本改革案を国会に出さなければならないと義務付けている」ことから、6月に税制の抜本改革案をまとめて平成23年度中に国会を通した場合、24年度からの実施となることから、任期中は消費税は増税しないと規定したマニフェスト違反に当たる、「マニフェスト違反をですね、私ね、野党も一緒に協議して片棒を担げと、菅さんが仰っていることはこういうことなんですね。私はね、そういう八百長相撲、一緒にカド番だから立ってくれみたいな話はね、これは私は乗れません。国民との約束違反を手伝えというのは筋違いだと思います」と、マニフェスト違反の片棒は担げないから、協議には応じることができないと拒否した上で、「まずは、消費税率を引き上げるという新しいマニフェストをお作りになって、そして国民の声をお聞きになることが必要じゃないかと思いますよ」と最初からそう仕向けるべく目論んでいた解散を求め、選挙に勝った方が負けた方の協力を得て消費税を含めた一体改革を進めるべきではないかと提案する。

 菅首相の方は今解散して総選挙を行えば勝てる自信がないことが第一番の理由なのだろうが、勝てる自信があったら、これが民意だを示すためにも早々に解散・総選挙に打って出ていたろう、あるべき社会保障の姿の提示が先だ、あるべき社会保障の実現にどういった税制改革が必要か、「そういう議論もしないまま、『まず解散だ』というのは、国民の利益よりも党の利益を優先されている提案だとしか思えませんが、いかがですか」と解散・総選挙を否定している。

 谷垣総裁ははここでも与野党の「議論」を拒絶する。「マニフェスト違反の共犯にアンタなってくれ。冗談じゃありません。私のお答えはそういうことであります」

 菅首相は対して消費税増税は決してマニフェスト違反ではないと反論に出る。

 菅首相「実はですね。2009年のマニフェストに。2009年のマニフェストに加えて、2010年の参院の時にもこのマニフェストを提案を致しました。2010年のマニフェストにおいては、ここにちゃんと書いてあります。つまり、早期に結論を得ることを目指して、消費税を含む税制の抜本改革に関する協議を超党派で開始しますということを書いて、それで皆さんにも提案を致したわけであります。現在のスタンスは消費税に関しては、まずは消費税から始めるのではなくて、社会保障のあるべき姿を皆さんにお示しし、それに必要な財源の中には当然消費税のことも含まれますので、そういうものを含めて協議を致しましょうというのは、すでに参議院の選挙の時の私のマニフェストにきちんと申し上げていることでありまして、そのことが国民に対する何かごまかしだということは、全く当たりませんので、そこだけは明確に申し上げておきます」

 確かに2010年参院選マニフェストには「早期に結論を得ることをめざして、消費税を含む税制の抜本改革に関する協議を超党派で開始します」と書いてある。だが、菅首相が「2009年のマニフェストに加えて、2010年の参院の時にもこのマニフェストを提案を致しました」言っているように2009年衆院選マニフェストには「消費税」なる言葉は――

 「税、自動車取得税の暫定税率は廃止して、2.5 兆円の減税を実施する。

 将来的には、ガソリン税、軽油引取税は「地球温暖化対策税(仮称)」として一本化、自動車重量税は自動車税と一本化、自動車取得税は消費税との二重課税回避の観点から廃止する。」のみが文中に含まれているだけである。

 但し、《民主党政策集INDEX2009》には消費税に関する次のような記述がある。
  
 消費税改革の推進

 消費税に対する国民の信頼を得るために、その税収を決して財政赤字の穴埋めには使わないということを約束した上で、国民に確実に還元することになる社会保障以外に充てないことを法律上も会計上も明確にします。
 具体的には、現行の税率5%を維持し、税収全額相当分を年金財源に充当します。将来的には、すべての国民に対して一定程度の年金を保障する「最低保障年金」や国民皆保険を担保する「医療費」など、最低限のセーフティネットを確実に提供するための財源とします。

 税率については、社会保障目的税化やその使途である基礎的社会保障制度の抜本的な改革が検討の前提となります。その上で、引き上げ幅や使途を明らかにして国民の審判を受け、具体化します。

 インボイス制度(仕入税額控除の際に税額を明示した請求書等の保存を求める制度)を早急に導入することにより、消費者の負担した消費税が適正に国庫に納税されるようにします。

 逆進性対策のため、将来的には「給付付き消費税額控除」を導入します。これは、家計調査などの客観的な統計に基づき、年間の基礎的な消費支出にかかる消費税相当額を一律に税額控除し、控除しきれない部分については給付をするものです。これにより消費税の公平性を維持し、かつ税率をできるだけ低く抑えながら、最低限の生活にかかる消費税については実質的に免除することができるようになります。

 いわば、2010年参院選マニフェスト自体が2009年衆院選マニフェストの違反となっている。

 2009年衆院選マニフェストは消費税に関してはあくまでも「現行の税率5%を維持」を前提としている。だが、将来の増税必要性を見据えて、「税率については、社会保障目的税化やその使途である基礎的社会保障制度の抜本的な改革が検討の前提」として許すとしていて、「その上で、引き上げ幅や使途を明らかにして国民の審判を受け、具体化します」という手続きを踏むとしている。

 当然、平成21年度の税制改正法の附則104条に縛られて平成23年度中に消費税を含む税制抜本改革案を国会に出して国会を通過、成立した場合、平成25年衆議院任期に至らないうちの平成24年から消費税を増税することとなって、「現行の税率5%を維持」を破ることになる。

 勿論、平成21年度の税制改正法の附則104条を改正すればクリアできるが、参院がねじれている点からして、衆院3分の2確保が保証されなければクリアはできない。

 逆に2009年衆院選マニフェストを厳格に守るなら、平成25年度に法案を提出、4年の任期切れ後の平成26年からの施行に持っていかなければならないことになる。

 菅首相は「社会保障のあるべき姿」を言うのみで、基本的な骨子さえ示していないと批判した。だが、《民主党政策集INDEX2009》 「消費税改革の推進」の最後の文言、〈逆進性対策のため、将来的には「給付付き消費税額控除」を導入します。これは、家計調査などの客観的な統計に基づき、年間の基礎的な消費支出にかかる消費税相当額を一律に税額控除し、控除しきれない部分については給付をするものです。これにより消費税の公平性を維持し、かつ税率をできるだけ低く抑えながら、最低限の生活にかかる消費税については実質的に免除することができるようになります。〉は社会保障改革が消費税増税と一体となっている以上、あるいは税制改革が消費税増税を避けて通ることができない以上、重要な骨子となる提案であろう。

 これをより具体化して、提示することによって低所得層程強く抱いているはずの、菅首相が言っている「不信感・不安感」の払拭に役に立ち、逆に信頼感・安心感の与える助けとなるはずである。

 消費税増税に対する世論調査で賛否が40%半ば前後でほぼ割れるのは、増税賛成は現在言われている5%の増税でも生活を十分にやっていけると踏んでいる安心所得層と看做すことができるし、増税反対は5%増税では生活に不安が生じるか、あるいはやっていけないのではないかという恐れを抱える不安所得層の生活者と見ることができるから、不安所得層を対象とした増税による生活圧迫を解消するセーフティネットこそが安心社会の構築に必要不可欠となるはずである。

 だが、「社会保障のあるべき姿」を言うのみで、このような配慮を示した情報発信が全然ない。

 谷垣総裁「明らかに衆院の時のマニフェストはですね、消費税はやらないというのが大前提だった」こと、ムダ削減で公約の財源を浮かすとしていたことが「無駄排除でできたのはこの2年間で2・6兆円。2年間で12・6兆(の必要財源としていたことから比べて)、大きな乖(かい)離(り)があるじゃないですか。とても行き着けませんよ。それから2番目。そうやって無駄を探して、財源を見つけても結局バラマキのために使ってしまうから、ぜんぜん財政体質の改善につながらない。だから国債の格付けも落ちるんですよ。それからもう一つの最大の問題点。毎年社会保障1兆増えますね。マニフェストをひっくり返してみても、どうやってこの1兆円増に対応していくかっていうのは何も書いていないですよ。だから、財政がこのままにしておけばですよ、この菅さんたちのマニフェストは『財政破壊のマニフェスト』ですよ。だからこれから見直せと言っておるんですよね」
 
 マニフェスト違反を楯に間接的に解散を求めている。

 菅首相は「バラマキではないんです。このマニフェストは従来の政権でできなかった新たな政策を掲げた」と、これまでも同じことを言っている、マニフェストの中には進んでいる政策もあると言って、進んでいるとする政策をいくつか挙げ、政策の選択の違いに過ぎないのだから、「もっといい政策が何かということをお示しされるべきであって、12月の皆さんの基本方針には、自分たちとしての予算案をお示しすると書いてありますが、残念ながらその後、お示し頂いたという記憶はありません」と、かつて与党の自公が野党の民主党に言っていたようなことを言っている。

 最後に「政治とカネの問題」を取上げるが、「企業と団体献金についても法案をまとめている」とか、「小沢元代表に私も『もう一度話をしたい』ということを申し入れいる」、「近々、こういった問題についてもきちっと話し合って、方向性を定めていきたいと、このように考えていることをしっかりとこの場で申し上げておきます」とその指導力から言ったら当てにもならないことを言って、時間切れとなる。

 いきり立つばかりで、「最小不幸社会」と言う割には、あるいは「不条理を正す政治」と言う割には消費税増税に不安を抱える生活者層(私もその一人だが)に対する思いやりも何もない、問題意識をどこに置くべきかを欠いた、情報発信力不足の菅首相の発言の数々であった。

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菅首相のマニフェスト変更の正当性を問う

2011-02-09 08:57:46 | Weblog



 昨2月8日の衆院予算委員会は民主党マニフェスト(政権公約)の財源問題や税と社会保障の一体改革等をテーマに集中審議が行われた。野党が取上げた議題は主としてマニフェストの破綻、公約の破綻で、そこに追及の焦点を絞っていた。

 自民党の棚橋泰文議員が同じ姿勢で09年民主党マニフェストの末尾に纏めた主要公約の「民主党の5つの約束」を取上げ、菅内閣のマニフェストを「詐欺フェスト」だと言って、その違反を問い、「無能な首相がそこに座っていることが問題だ」と解散を迫った。勿論、菅首相は支持率が1%になっても辞任しないのしがみつきを基本的姿勢としているから、解散を拒否。

 理由としては「マニフェストは4年間で実現することが基本原則」だからと、4年まで猶予期間があることを挙げていたが、果してその理由に正当性があるのか考えてみた。

 最初に「民主党の5つの約束」を記載しておく。

 《民主党の5つの約束》

ムダづかい

国の総予算207兆円を全面組み替え。
税金のムダづかいと天下りを根絶します。
議員の世襲と企業団体献金は禁止し、衆院定数を80削減します。

子育て・教育

中学卒業まで、1人当たり年31万2000円の「子ども手当」を支給します。
高校は実質無償化し、大学は奨学金を大幅に拡充します。

年金・医療

「年金通帳」で消えない年金。 
年金制度を一元化し、月額7万円の最低保障年金を実現します。
後期高齢者医療制度は廃止し、医師の数を1.5倍にします。

地域主権

「地域主権」を確立し、第一歩として、地方の自主財源を大幅に増やします。
農業の戸別所得補償制度を創設。
高速道路の無料化、郵政事業の抜本見直しで地域を元気にします。

雇用・経済

中小企業の法人税率を11%に引き下げます。
月額10万円の手当つき職業訓練制度により、求職者を支援します。
地球温暖化対策を強力に推進し、新産業を育てます。

 棚橋議員は約40分間の持ち時間だったが、棚橋議員が解散を迫り、菅首相が4年間の有用期間を理由に解散を拒否した場面の質疑のみを取上げてみる。

 棚橋議員が、「無能な首相がそこに座っていること自体が問題、なぜあなたはそこに座っているのか」と挑発、その理由を問い質すと、菅首相は衆議院で指名を受けたからだと答える。

 正確に言うと頭数で優勢の民主党衆議院議員に指名を受けたに過ぎない。そのことを棚橋議員が、「民主党議員に選ばれたからでしょう」と指摘。そしてマニフェスト違反を理由に解散を迫った。 

 棚橋議員「(民主党の09年総選挙マニフェストを手で掲げて)今申し上げたように5つの約束は全部、ウソだったんですよ。2年前の衆議院選挙は、あなた方詐欺フェストで、国民を騙して、議席がこの衆議院にある。それで、あなたがそこに座っている。

 しかしながら、騙したことがバレたんですから、あなたはその席を一回退いて、選挙をやり直して、国民に選んでもらうべきだと思いませんか。それが常識じゃないですか。騙していたんだから、そうすべきです。お答えください」

 中井洽予算委員長「えー、申し上げますが、インチキだとか、あるいは、あー、ウソだとか、断定するのはおやめください」

 棚橋議員「委員長――」

 中井予算委員長「ちょっと待ってください。ヤジも含めて、聞き苦しいところがときどきありますから、十分お言葉にはそれぞれお気をつけください」
 
 棚橋議員「委員長、委員長、委員長」

 中井委員長「菅総理大臣――。(棚橋議員に)お座りください。指名しておりません。座ってください」

 菅首相「先ず、うー、マニフェストについては基本的に、4年間で、えー、実現するという、基本原則で、えー、いま、あー、進めているところであります。

 ま、その上でですね、私は、あ、これは政権交代というものが、あのー、完全な形であったかどうかは別にして、93年とか、何回かありました。私も他の国の政権交代、おー、などを見ていると、やはり一旦政権交代した場合は、あ、新たに政権を担当した、あ、政権が、ま、少なくとも、ま、イギリスで言えば、5年、大統領の国であれば4年は、やって、その結果、ですね、国民が改めて、えー、ちゃんとできたか、やあ、やっぱりできなかったか、それを判断して、えー、いただくのが、次ぎの、おー、総選挙あとだと思っております。

 えー、そういった意味で、えー、現在の段階で、え、道半ばで、さらに大きな課題もありますので、今、解散をするといった発想は、(一段と声を強めて)全く私にはありません」

 相当に身勝手な論理展開となっている。

 ここは日本の国であり、日本の議院内閣制を政治形態としている。イギリスでもなけれが、大統領制を採っている国でもない。イギリスや大統領制の国の例を上げて、4年務めさせろと言うのは指導力を欠く菅首相らしい言い分だが、指導力を欠いていて、それが政権運営に於ける自らの力とならないからこそ、衆議院議員任期の4年という期間に縋るしかないのだろう。

 日本の首相は総選挙後に改めて首班指名を受ける規定となっているが、逆に衆議院の4年の任期内に政権運営が行き詰まって内閣総辞職して他者に後継を託す場合と解散して信を問い直し、信を得たなら改めで首班指名を受ける場合、あるいは党代表としての任期が来た場合、引退、後継者に首相職を譲るといった交代劇が存在していて、これまでも選挙の洗礼を受けずに首相の座に座ったケースもあり、常に4年の任期を務めているわけでもないし、選挙の洗礼を条件としているわけでもない。

 小泉内閣が2005年9月11日の郵政選挙で勝利し、再び首班指名を受けて首相の座に座ったが、自民党総裁としての任期切れを機に首相を辞任、後継を安倍晋三に託して、安倍晋三は選挙の洗礼を受けずに2006年9月26日、衆参両院で首班指名を受けて安倍内閣を成立させている。

 だが、2007年7月29日の参院選挙で自民党は大敗してねじれを生じさせ、政権運営を行き詰まらせて1年そここそで辞任、次ぎの福田康夫は安倍と同じく選挙の洗礼を受けずに自民多数を占める優先する衆議院の首班指名のみでの福田内閣を発足させ、これも参議院与野党逆転状況に苦しめられて政権運営を行き詰まらせ、1年そこらで政権を投げ出し、次ぎの麻生太郎に譲るが、麻生太郎も選挙の洗礼を受けずに麻生政権を発足させている。

 麻生政権は9月半ばの衆議院任期切れ近くまで政権を持たせたが、2009年8月30日の総選挙で民主党に大敗、政権を手放すことになり、麻生首相も最後まで選挙の洗礼を受けない首相で終わることとなった。

 自民党政権末期のこういった状況に菅直人にしても民主党は選挙の洗礼を受けていないことを理由に安倍政権に対しても福田政権に対しても麻生政権に対しても解散・総選挙を迫る戦いを展開している。新たに政権を担当した政権が衆議院議員の任期通りの総選挙から総選挙までの4年をやって、そこでちゃんとできたか、やっぱりできなかったか国民が選挙で判断するといった、菅首相自身が言っているみたいなことを決して保証したわけではない。

 菅首相は自分自身がやってこなかったことを自分一人に求める身勝手を演じているに過ぎない。散々ウソをついて人を騙してきた人間が自分にはウソをついて騙さないでくれと頼み込むのとさして変わらない身勝手と言えるが、菅首相自身は余程ご都合主義者にできているらしく、そのことに気づいていない。

 確かに菅首相が言うようにマニフェストは基本的に4年間で実現が基本原則となっている。但し子ども手当のようにマニフェストで「子ども手当は、子ども1人当たり年31万2000円(月額2万6000円)を中学卒業まで支給します」と謳っているものの、平成22年度は月額1万6千円の半額実施、平成23年度以降は月額2万6000円の満額実施と言った具合に年度別の実施を謳っていて、必ずしも4年間の実現を原則としているわけではない。

 だが、この年度別実施の中身自体を変更させて、来年度は3歳未満の子どもを持つ世帯に限って7000円上積みの2万円と決め、当初の来年度以降2万6千円を6千円切り、3歳以上から中学卒業までの子供は1万3千円のまま、1万3千円不足させる計画倒れとなっている。

 例え年度別実現であっても4年間実現であっても、マニフェストは国民にこういった政策を行います、政権を担当させてくださいと国民に示す約束書である。国民の側はそのように約束の提示を受けてその約束を信じて選挙で政権担当させる党選択の基準とする。

 いわば双方共にマニフェストに書いてある約束を基準に行動を起す。国民の信任を受けた党は組織した政権をマニフェストに従って運営し、国民はマニフェストに従って政権が運営されるか見守る、その約束事が選挙によって国民と交わされることになったのである。

 マニフェストに掲げた各政策は言ってみれば国や社会を創り上げる設計図である。どういった国を創るのか、どういった社会を創り上げるのか、その設計図であり、マニフェストに掲げた個々の政策は国家や社会の個別的骨格を創り上げていく設計図であって、その個別性が有機的全体性を取ることで国家や社会という全体像が形作られる。

 目や鼻や手や、その他の各器官が相互に有機的につながって人間の全体的生命活動を構成することと同じ関係を持つはずである。

 各政策がその約束した個別性を失い、後退、もしくは矮小化されたとき、国家や社会という全体的な有機性も損なわれることになる。もし損なわれないとしたら、元々の各政策は国家や社会という全体の構成に有機的に機能しない、そこまで計算していなかった役に立たない政策だったということになるから、国民に各政策を提示する段階で、各政策を総合してどういった国を創り上げることになるのか、どういった社会を創り上げることになるのかは既に計算に入れていたはずだから、各政策の後退や矮小化は逆に当初計算していた国や社会の造形に狂いを生じさせることになって許されないはずだ。

 また、マニフェストの各政策はそうまでして万全を期さなければならないことになる。

 いわば子ども手当一つ取っても、社会全体、国全体の造形に有機的につながって役に立つ政策でなければならないということである。

 そのように国や社会の全体的活動に有機的に寄与する関係を持たせているはずのマニフェストの政策が名前は同じでも当初の設計図の姿を変えて、別の設計図となっている。

 少なくともどうあるべきかと当初予定していた国や社会の全体的な造形にマイナスに働いていることになり、手抜きの形を取り、棚橋議員の言葉を借りると、「詐欺フェスト」と言うことになる。

 このことは家の土台を当初の建築基準に適合した資材から建築基準以下の資材に変えるようなものだろう。もしこの逆で、より丈夫な土台に変えるとしたら、建築主との約束である当初の設計図に欠陥があったことになって、決して許されない事態となる。

 土台は家全体を支える重要な役目を担っていて、家全体の機能性や居心地や快適さ、強固さ等々と有機的につながっている。当然、土台を建築基準以下に落とすことは手抜きを意味する。

 以上、このように見てくると、菅首相は「これは政権交代というものが、あのー、完全な形であったかどうかは別にして」と言って不完全さを許しているが、マニフェストが各政策によって個別的にだけではなく、どういった国を創り上げるのか、どういった社会を創り上げるのか、その全体性に有機的につなげていく機能をも担わせた個別の各政策でなければならない以上、不完全さを許すのは自己に甘い、政権担当の厳しさを欠いた身勝手な議論となる。

 要は例え年度別の実現を約束した政策であろうと、4年間の期限を区切って実現を約束した政策であろうと、元々の設計図を基準とした約束の実現でなければならないということである。元々の設計図を基準に国民が信任した以上、また、政権担当側も元々の設計図を基に国をどう創り上げるか、社会をどう創り上げるかを計算した以上、当初の設計図であるマニフェストを変更も、そこから離れることも許されないということである。

 逆説するなら、マニフェストの各政策を構築することによって計画立てた国や社会の造形が計画立てたどおりに実現させることができるのかどうかが政権交代によって試されているということである。だが、菅内閣は国や社会造形の設計図であるマニフェストを早々に変更、マニフェスト変更が当たり前の姿となりつつある。

 どう見ても国民との契約を一方的に破る身勝手な姿勢とやはり看做さざるを得ない。

 菅内閣はマニフェストを変更する場合は国民によく説明すると言っているが、国民に政権選択させた基準を曲げさせることを意味すると同時に国や社会の造形の変更を迫ることになるのだから、説明ではなく、棚橋議員が要求していたように解散して民意を問うのが正当性を得る唯一の方法であるはずだ。

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菅首相のロ大統領国後訪問「許し難い暴挙」非難は薄汚い自己正当化に彩られた犬の遠吠え

2011-02-08 09:56:03 | Weblog



 菅首相が昨2月7日(2011年)午後、東京都千代田区で開かれた北方領土返還要求全国大会で挨拶として述べた、昨2010年11月1日のメドベージェフ大統領の国後島訪問を「許し難い暴挙」と非難、メドベージェフ国後島訪問12日後の11月13日の菅・メドベージェフ日ロ首脳会談で、「強く抗議した」と言っているのをニュースでテレビで聞いていて思わず感じた印象は、「ウソつけ」だった。

 菅首相の挨拶をニュースで知って誰もウソつけとは思わなかったのだろうか。幸いにも「47NEWS」記事――《首相、ロ大統領の国後訪問を非難 「許し難い暴挙」》(2011/02/07 13:30 【共同通信】)に《動画》が貼り付けてあった。

 菅首相「北方四島問題は、日本外交にとって、極めて、重要な、課題であります。昨年、11月、メドベージェフ、ロシア大統領の、・・・・・北方領土、国後島、訪問は、許し難い暴挙であり、その直後の、APEC首脳会談の際に行われた、私と、メドベージェフロシア大統領との、会談に於いても、強く抗議をいたしました。

 私としては、これまで、両国の、間の、諸合意、諸文章を起訴に、北方四島の、帰属の問題を、最終的に解決して、平和条約を締結するという、基本方針に従い、引き続き、強い意志を持って、ロシアとの交渉を、粘り強く進めていく考えであります」

 時折顔を上げるのみで殆んど下を向いて原稿を読む挨拶でありながら、なぜか分からないが、「メドベージェフ、ロシア大統領の」と言ってから、「北方領土、国後島、訪問は」につなげるまでに原稿に目を落としたまま4秒程時間がかかった。北方四島問題ではメドベージェフ大統領と国後島訪問は既に一対の関連事項となっているはずである。しかも原稿を読んでいたにも関わらず、4秒程の途切れがあった。

 考え得ることはテーブルに置いた原稿を立った姿勢で読み上げていたために原稿までの距離があり、目で文字を追っていたものの、一瞬次に読むべき文字を見失ってしまったための4秒程の途切れということではないか。

 そうとしか考えようのない沈黙であったが、メドベージェフ大統領と国後島訪問を一対の関連事項として頭に記憶しているはずだし、また記憶していなければならないはずだから、次に読むべき文字を見失っても自然と口について出るはずだが、それが出てこなかったということは頭の中にあることとしてではなく、あるいは気持の中にあることとしてではなく、力強い声を出して訴えてはいたが、北方四島の返還を痛切に願って出席していた元四島住民に対して原稿を読み上げることで国後島訪問の事実を伝えようとしていたからだろう。

 いわば元島民の切実な思いを共有していなかったということである。

 勿論このことを知ったのは動画を見てからの印象である。「ウソつけ」と思ったのは記事が、(「許し難い暴挙」と激しく批判した)〈首相発言は、ロシア政府高官の相次ぐ領土訪問に対する日本政府の不快感を表明するとともに、野党からの「外交面の失策」との批判をかわす狙いがあるとみられる。ただ、これまで以上に厳しい非難に対しロシア側が反発する可能性もある。〉と解説しているが、ロシアの反発を考えた場合、そういった発言はできようはずがないと否定したからでもない。日本側が四島返還を求めれば何らかの反発は当然の予定事項としなければならないのだから、菅首相が「許し難い暴挙」だと言おうと言わなかろうと本人の自由である。

 問題は実際に「許し難い暴挙」だとの非難感情に駆られたなら、それはすぐに冷めてしまう突発的・一時的な感情に収めてしまうわけにはいかず、認識化することによって四島返還が実現するまで菅首相の中で維持されなければならない。あるいは一国の指導者として返還に立ち向かっている以上、「許し難い暴挙」だとする非難感情、あるいは非難認識は終始一貫維持されなければならない使命と責任を負う。

 そしてそのような非難感情、あるいは非難認識に則って国後島訪問から12日後の11月13日菅・メドベージェフ大統領日ロ首脳会談に臨み、メドベージェフ大統領に「強く抗議をいたしました」と言っている。

 当然、その“強い抗議”はメドベージェフ大統領の国後島訪問によって駆られることとなった「許し難い暴挙」だと受け止めた激しい非難感情・非難認識を忠実に表現する抗議でなければならないはずであり、さらに「政治は結果責任」である以上、菅首相が示した“強い抗議”は抗議どおりの結果を見て初めて、菅首相自身の抗議能力は優れていることになり、抗議にかかわる使命と責任を果たしたと言える。

 だが、北方領土は日本固有の領土であると取り上げ、「大統領の北方領土訪問は、国民感情からも受け入れられない」と抗議したと多くのマスコミが伝えていた菅・メドベージェフ日ロ首脳会談終了後の当日にメドベージェフ大統領自身によってツイッターに「日本の首相に会い、解決できない論争より経済協力の方が有益だと伝えた」(47NEWS)と書き込まれていて、首脳会談での菅首相の「許し難い暴挙」だとする非難感情、あるいは非難認識に則った“強い抗議”が何ら生きていない無残な結末を見せている。

 このことは首脳会談後のロシア高官や閣僚の北方四島訪問やロシア当局の時折発する四島ロシア領土視発言からも証明できる効果のない“強い抗議”であった。

 特に今月2月4日のセルジュコフロシア国防相の択捉島と国後島訪問は北方領土返還要求全国大会の開催と前原外相の訪ロを控えた出来事であり、意味を成さない“強い抗議”となっていたばかりか、「許し難い暴挙」の放任状態となっていることを示している。

 実際に「許し難い暴挙」だとする文脈からの“強い抗議”を行った結果の何ら効果のないロシア側の対応だったのか、そういった“強い抗議”を行わなかった結果としてある現在の四島状況なのかである。

 前者なら、菅首相の抗議能力の無能を示す事例となり、後者なら菅首相はウソをついたことになる。そのウソも「47NEWS」記事が解説していた「〈野党からの「外交面の失策」との批判をかわす狙い〉からのウソとなる。

 福山内閣官房副長官が会談の内容を伝えている記事がある。《ロシア大統領、菅首相に領土めぐり感情的な表現回避を要請》ロイター/2010年11月13日 20:58)

 記事題名はロシアのラブロフ外相が明らかにした会談時の「大統領は、感情的な表現は役に立たないため、これをやめるよう要請したうえで、経済を優先するよう提案した」とする発言から取ったものである。

 片や日本側は福山官房副長官が明らかにしている。〈福山官房副長官によると、菅首相は首脳会談で、大統領の国後島訪問は日本の立場や日本国民の感情から受け入れられないと抗議。大統領は、領土問題はロシアにとっても極めて神経質な問題だと述べるにとどめた。

 そのうえで菅首相は、北方四島の帰属問題を解決して平和条約を締結したいと発言。それに対して大統領は、あらゆる分野で協力し、特に経済分野での関係を発展させることで、両国の雰囲気を改善していくべきだと応じた。〉――

 この福山官房副長官が発信した情報は明らかにラブロフ外相が発信した情報と違っているばかりか、菅首相が北方領土返還要求全国大会の挨拶で述べた「メドベージェフ、ロシア大統領の、・・・・・北方領土、国後島、訪問は、許し難い暴挙であり、その直後の、APEC首脳会談の際に行われた、私と、メドベージェフロシア大統領との、会談に於いても、強く抗議をいたしました」とする経緯を一切見て取ることはできない情報となっている。いわば“強い抗議”を行ったと窺うことはできない。

 この疑問を《【APEC】菅外交総括、成果なく隠蔽ばかり 鳩山以下との声まで… 》MSN産経//2010.11.15 23:19)が明らかにしてくれる。

 記事は冒頭、次のように書いている。〈政権浮揚の期待を込め、菅直人首相が議長として臨んだアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議はどんな成果を残したか。自由貿易の推進を確認し、政府は「非常に成果があった」(仙谷由人官房長官)と自画自賛するが、日本を取り巻く厳しい国際情勢は何ら改善していない。それどころか、頼み込むようにして実現させた中国、ロシアとの首脳会談をめぐっては、民主党政権の隠蔽(いんぺい)体質ばかりが際立った。〉――

 日中会談に関しての情報隠蔽について記事は、〈首相は8日(11月)、日中首脳会談では「必ず尖閣諸島がわが国固有の領土であり、領土問題は存在しないと言う」と明言していた。それなのに福山氏は13日の記者説明で、首相が「日本の確固たる立場」を伝えたと述べただけ。「外交上のやりとりはすぐに全面公開するものではない」と事実関係を秘した。〉と書いている。

 日ロ首脳会談については、〈隠蔽体質は対ロシアでも表れた。首相は8日、「北方四島がわが国固有の領土であるという主張は明確に伝える」と強調した。だが、大統領との会談では北方領土訪問には抗議したものの、「わが国固有の領土」という表現は避けた。〉

 だが、メドベージェフ大統領自身が日ロ首脳会談当日にツイッターで主たる会談内容を垂れ流していることがら、隠し切れないと観念したのだろう。

 福山官房副長官の日ロ首脳会談11月13日から2日後の11月15日のNHK番組での発言を伝えている。

 福山官房副長官「大統領は『自分が北方領土に行くのが悪いことなのか。当然のことだ』という言い方をした」

 福山官房副長官が情報発信した日ロ首脳会談に於けるメドベージェフ大統領の対応を「ロイター」記事が伝える、〈大統領は、領土問題はロシアにとっても極めて神経質な問題だと述べるにとどめた。〉から「MSN産経」記事が伝える「大統領は『自分が北方領土に行くのが悪いことなのか。当然のことだ』という言い方をした」に変わった。

 菅首相自身は11月14日(2010年)のAPEC首脳会議終了間際の議長記者会見で次のように発言している。

 菅首相「米国とは、日米同盟関係を更に深化していこうという点で合意し、中国とは戦略的互恵関係の発展について合意し、ロシアとは領土問題の解決と経済協力について、2つのフィールドで話し合おうということで合意をし、それぞれ前進することができたと、このように思っております」(首相官邸HP

 「それぞれ前進することができた」という言葉で会談の成功を謳い上げる情報発信となっている。

 とても「許し難い暴挙」だとする激しい非難感情・非難認識に則った“強い抗議”の情報発信はどこからも窺うことはできない。この手の怒りの感情に従って「強く抗議をいたしました」はウソをついたのである。

 元々指導力のない人間が抗議能力にしても備えているはずはないから、「強く抗議」できるはずはないと思っていた上に、当時から大統領の国後島訪問を「許し難い暴挙」だとする、菅首相のどのような意思表示も情報発信も記憶にないから、「ウソつけ」の咄嗟の第一印象を持ったのだったが、では何のためのウソなのだろうか。

 当時尖閣沖中国漁船衝突事件以降の対中外交やメドベージェフ大統領国後島訪問に対する対ロ外交で菅首相は外交能力を疑われていた。世論調査に於ける内閣支持率の低下も主たる理由が外交能力に対する信頼のなさが影響していた。上記「MSN産経」記事題名も《鳩山以下との声まで》と、その外交能力を低く評価しているし、最初に取上げた「47NEWS」記事も「外交面の失策」の存在を指摘している。

 このような評価を払拭するためにロシア大統領の国後訪問を激しい非難感情・非難認識をまぶせた「許し難い暴挙」だとすることで自己の一連の外交無能力を埋め合わせて自己正当化を図ろうとしたのだろう。それが「強く抗議をいたしました」事実がないにも関わらず「強く抗議をいたしました」の事実に反するウソの事実となって現れた。

 「強く抗議をいたしました」が虚偽の事実である以上、「強く抗議」は「許し難い暴挙」に反応した具体的行動としてあるのだから、「許し難い暴挙」自体も虚偽の非難感情・虚偽の非難認識となる。

 すべてが虚偽であるなら、例えどのように自己正当化を図ろうと、それが自己正当化を目的としている以上、どのような非難も抗議も最初から犬の遠吠えを性格としていることになる。

 実際にも「許し難い暴挙」発言に対して早速ロシア・ラブロフ外相が「日本は第2次大戦の結果を無条件に受け入れるべき」(日テレNEWS24)と反論、菅首相の発言が何ら効果のない犬の遠吠えで終わっていることを証明している。

 情けない男が一国の首相を務めている。

 参考までに上記「47NEWS」記事の動画が前原外相の挨拶も取上げていたため、記載しておく。原稿を一切読まずに出席者の方を向いて話していたが、「外相、交渉として」とわざわざ断っている文言が引っかかった。首脳同士の話ではない、外相同士の話だから、決定的な進展を見るところまで進まない、そこまで話を持ち出す権限はないと前以て責任問題に手を打っているように聞こえたのだが、単なる勘繰りに過ぎないかもしれない。

 前原外相「今週、ロシアに行ってまいります。外相、交渉として、領土問題、しっかり日本の立場を述べて、そして、首脳会談につなげ、1日も早く、日本の立場をしっかりと踏まえた、解決策を見い出すために、みなさん方の思いを受け止めて、全身全霊の交渉を努力してまいります」


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菅首相発言「疎い」のは菅首相夫人も同じ

2011-02-06 10:30:06 | Weblog



 菅首相夫人が昨日、公の場でご亭主の「疎い」発言を再度取上げた。

 先ずは広く知られている菅首相の「疎い」発言が飛び出した経緯を。1月27日にアメリカの格付け会社「スタンダード・アンド・プアーズ」が日本国債の長期格付け引き下げを発表した。その夜の首相官邸で記者団から「どう受け止めているか」の質問を受ける。 

 菅首相「今、初めて聞きまして。本会議から出てきたばかりなのでちょっと、そういうことに疎いんでちょっと、改めて」(asahi.com

 当然マスコミだけではなく、野党もその発言を問題視しした。「疎い」はその方面の知識に欠けるという意味だからだ。一国の首相を務め、首相に就く前は財務大臣を例え短い期間であっても経験している。立場上、決して「疎い」知識であってはならないはずだが、「疎い」と自ら告白した。

 マスコミや野党が「疎い」発言を問題視し出すと、菅首相は「本会議から出た直後で、格付けの変更を聞いていなかった。『疎い』というのは情報が入っていなかったということだ」(asahi.com)と、「疎い」発言の正当化に打って出た。

 この正当化は無理があり過ぎ、こじつけ、牽強付会だとの情報提供となって、却って新たな騒ぎをつくり出すことには役立った。

 警察は犯罪捜査で容疑者が浮かんだ時点でその容疑者の犯罪歴を調査し、前科のあるなしを参考に現在の人物像を浮かび上がらせる参考とする。マスコミは社会的に地位ある者が何か問題発言をしたとき、同じ件に関して過去にどのように発言していたかを調べ、現在の発言との整合性や所以を問うといったことをする。

 菅首相は自身の《オフィシャルサイト》に小泉自民党首相時代の2002年5月31日、国債の格下げに関して次のような文章を残している。 

 〈日本の国債に対するムーディーズの格付けが二段階下がった。景気回復が見込めず財政悪化に歯止めがかからないと見られた結果。日本の国債はほとんどが日本国内で消化されその多くは銀行が買っている。通常なら格付けが下がれば国債も下がるのだが銀行は資金運用先が国債以外に無いため、国債の価格が下がらないという奇妙なことになっている。外国に資金が流出し始めれば一挙に国債は暴落する恐れがある。能天気な総理や財務大臣には分かっているのだろうか。 〉――

 当然、公の場で機会あるごとにこのような発言でもって自民党政権の攻撃に使ったはずだ。

 「能天気」という批判の言葉まで使ったのだから、自身はどのような場合でも能天気であってはならない。能天気であった場合、過去の言葉の正当性を失う。

 マスコミはこの過去の発言を捉えて、それとの関連でも菅首相の今回の発言を問題とした。

 発言の形を取る場合も含めて言葉は広い意味でのその人の思想を表す。当然、言葉についてあれこれ言うのはその人間の人格、あるいは専門の才能としている場合のその資質や資格を問うことにつながっている。政治を才能とし、政権運営を才能としている人間が国債の格下げに関して「疎い」としたことは政治的人格の面でも政治的資質の面でも果たして適切だろうかと。

 勿論、「疎い」発言に限ったことではなく、首相の才能としてはふさわしくない参院選前の不用意な消費税発言、それ以後の終始一貫しない消費税の形式に関する発言、内閣発足後半年間は「仮免許の期間」とした発言、党内で議論もせず、韓国と話を通じさせていない状態で朝鮮半島有事の際の拉致被害者救出に自衛隊機を韓国に派遣して北朝鮮に入るとぶち上げ、党からは議論していない、韓国からは拒否反応を示されことも首相としての資質にクエスチョンマークをつけさせたたはずだ。

 「疎い」発言にしても、この政治的人格や政治的資質に対するクエスチョンマークの文脈で把えられていたということである。

 しかし菅首相夫人は身贔屓からか、「疎い」発言をこの文脈で把えず、この文脈の外に置く“疎さ”を否応もなしに発揮している。

 1月29日の京都外国語大学での講演での取り上げが最初だった。最初の注文を出した。《菅首相夫人「疎いじゃない、知らなかったと言うの!」》asahi.com/2011年1月30日9時33分)

 記事は書いている。首相夫人は〈茶道藪内流の師範で、演題は「茶の湯と私」。だが、首相に「家庭内野党」と呼ばれる血が騒いだのか、話題は政治に脱線。首相の発言を「批判」した。〉――

 首相夫人「『疎い』なんて言うんじゃない、『知らなかった』と言うんですよ、と(首相に)言いました」

 首相夫人「あの人はおっちょこちょいなんです。トップになったら、おっちょこちょいじゃすまないの」

 同じ内容を扱った、《「おっちょこちょいでは済まぬ」=首相夫人も「疎い」に苦言》時事ドットコム/2011/01/29-23:55)

 首相夫人「あの人、おっちょこちょい。でも、トップに就いたらおっちょこちょいでは済まない」

 首相夫人「疎いと言うんじゃなくて(格下げ情報を)知らなかったと言うんですよ。借金の方が収入より多い予算をずっと組んでいたら(格下げは)当たり前なんです。だからこそ、社会保障を考えるのに与野党を超えて一緒に協議しないと無理なんです」

 首相夫人「(疎い発言ではなく)何とかそういう話に持っていけなかったのか。私が秘書官に付いているわけではないので」

 最後の発言は記事はもどかしさを訴えたものだとしているが、実際には気の利いた第三者が手取り足取りしないと菅首相は首相としての態度を維持できないと、その欠格性の間接的訴えとなっている。小賢しく出来上がっているからか、そのことに気づかない「疎さ」を示している。

 「おっちょこちょい」も欠格性の訴えそのものだが、「トップに就いたらおっちょこちょいでは済まない」と言いつつ、「おっちょこちょい」だからと、そのことを以って免罪を求める意識が否応もなしに働いている。

 このことは「社会保障を考えるのに与野党を超えて一緒に協議しないと無理なんです」の発言にも現れている。「疎い」発言を与野党協議で差し引きゼロの免罪としようとしているが、問われているのは菅首相の政治的才能であり、政治的資質である。双方を欠いている首相が与野党協議を差配しても、指導力の発揮は期待不可能で、満足な結末を取らない可能性が立ちはだかる。

 菅首相の指導力のなさ、与野党協議が満足な結末を取らない可能性は協議に入る前から野党に対して自分たちの方から野党案を取り入れて政府案を変える用意があることを発信している無節操な妥協からも窺うことができる。

 いわば、「疎い」発言は政治的人格性や政治的才能の象徴的な一つの表れであって、発言のみにとどまらないということである。

 だが、首相夫人はこう言うべきだったと注意したとすることで修正が効くかのような「疎い」発言を繰返している。

 そして昨日の再度の取上げ、横浜市内で開かれた公開討論会出の発言。

 《菅首相夫人、マスコミに注文》時事ドットコム/2011年2月5日(土)22:03)

 首相夫人「『疎い』(という表現)は何なのという感じで引っ掛かるが、格下げで日本が一体どういう状況になっているのかが大事。そのことにはマスメディアが触れない」

 首相夫人「本当に菅直人が首相をやれるのかなと半分思いながら付き合っている。だけど、誰がこの時期にやれるんですか。今までずっと何人も(長期には)やれていない」

 《菅首相:「疎い」発言で伸子夫人が忠告…会合で明かす》毎日jp/2011年2月6日 1時20分)

 首相夫人「疎いという言葉を使ったのはまずい。そのニュースを知らない、と言えばいい」

 首相夫人「ボンボン(首相に)なっては降ろし、なっては降ろし、誰がこの時期に(首相を)やれるんですか。マスコミが持ち上げたりたたいたりにずっと付き合っていたら日本人は滅ぶ」

 首相夫人「20年かかってこうなった日本が1、2年で変わると思わないでほしい」

《「疎い」はまずかったと伸子首相夫人》MSN産経/2011.2.5 21:14)

 首相夫人「疎いを使ったのはまずい。『知らない』と言えばいいと(首相に)言った」

 首相夫人「このマスメディアに付き合っている日本人は滅びる。何度首相の交代を繰り返すのか」

 首相夫人「20年かかってこうなった日本が、1、2年で変わると思わないでほしい」

 《「事業仕分けなど実績も評価して」、菅首相夫人が支持訴える/横浜》カナコロ/2011年2月5日)

 首相夫人「政権交代からまだ2年弱で、長年変えられなかった日本の政治を変えるには時間と相当な力が必要。事業仕分けの実績や一括交付金導入なども評価してほしい」

 首相夫人「『そのニュースは知らない』と言うべきで疎いと言ったのはまずかった。その部分だけを取り上げ、首相を持ち上げては辞めさせる風潮は日本を滅ぼす」

 どの記事も菅首相がどう応じたかの言及はない。「MSN産経」記事が、〈首相の返答には言及しなかった。〉と書いているから、言及のしようがなかったわけである。

 やはり身贔屓からだろう、今回も免罪意識を働かせている。首相夫人がいくらくどいくらい、例え百万遍も「疎いという言葉を使ったのはまずい。そのニュースを知らない、と言えばいい」と訂正を図ったとしても、菅首相の発言は記録され、多くの国民の頭に既に記憶されて事実として残ってしまっていて、言葉自体だけではなく、政治的人格性や政治的資質に対する疑問符も共に最早訂正不可能となっている。

 だが、首相夫人本人は自分の発言によって訂正が効き、そのことが免罪として作用すると思っているからだろう、再度の擁護発言となった。「疎い」ばかりの状況判断となっている。

 夫人は「事業仕分けの実績や一括交付金導入なども評価してほしい」とそれらを菅首相の功績としているが、「事業仕分け」にしても省庁の反撃にあって中途半端に終わっている点、「一括交付金導入」の場合は自由に使えると言いながら国の規制が残っている点に指導力を満足に発揮できていない状況を残していて、首相夫人の方から評価を求めるまでにいっていない。

 免罪意識は「20年かかってこうなった日本が1、2年で変わると思わないでほしい」、あるいは「政権交代からまだ2年弱で、長年変えられなかった日本の政治を変えるには時間と相当な力が必要」の発言に最も現れている。「1、2年で変わ」りはしないのに、あるいは「時間と相当な力が必要」なのに早々と世論調査で何回も問い、支持率が低いだ高いだと大騒ぎすると暗に批判している。

 「1、2年で変わ」りはしない、「時間と相当な力が必要」なのは事実言っているとおりで、誰もが承知していることだが、だからこそ、1、2年であってもムダにできない、無駄にしたのでは回復できるものもできなくなって勿体無いということになる。例え1、2年の短い間でも確固とした指導力を保持した強い覚悟を持った指導者に強力に改革を進めることが求められることになる。

 首相夫人も「相当な力が必要」と言っている。
 
 果して菅首相がその人にふさわしい「相当な力」、いわば指導力、広く言うと、政治的人格性や政治的才能、政治的資質を持っているかを問わなければならないことになる。問わないままに指導力、その他の資質を欠く政治家をリーダーに据えていたのでは1、2年をあっという間にムダに消費してしまうことになる。

 問われるべきは「20年かかってこうなった日本が1、2年で変わ」りはしないといったことではなく、あくまでもリーダーの資質・才能である。「20年かかってこうなった日本が1、2年で変わ」りはしないからこそ、凡庸な指導者、先見性も計画性もない指導者、「政治は結果責任」意識を欠いた指導者とは正反対の指導者、あるいは「マスコミが持ち上げたりたたいたり」の安易な評価を下すのは畏れ多いとするような政治家こそがリーダーとしての全うな資格を得るのではないだろうか。

 何が問われているのかも見通すことができずに、首相の「疎い」発言をさも免罪が効くかのように擁護し、「格下げで日本が一体どういう状況になっているのかが大事。そのことにはマスメディアが触れない」とマスコミまで批判している。

 実際にはマスコミが取り上げていないわけではない。ほんの2例を挙げるが、《8年ぶりに日本国債を格下げ、「政府債務比率がさらに悪化」と予測 - S&P》マイコミジャーナル/2011/01/28)、《歳出・歳入両面から改革進める、国債格下げで野田財務相》ロイター/2011年 01月 28日 10:35)、その他特に経済紙は取上げているはずである。

 「そのことにはマスメディアが触れない」は夫人が疎いだけのことだろう。

 これまでブログに散々書いてきたが、「首相がコロコロ変わるのはよくない」という基準で選ぶのではなく、あくまでも指導力を基準に選ぶべきだった。だが、民主党内の多くの議員もマスコミも国民の多くも“疎いことに”「コロコロ」否定を基準とした。

 そのしっぺ返しが今始まろうとしている。


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菅首相が中国との関係修復の意見交換会をいくら開催しようとも自身の覚悟が問題

2011-02-05 11:05:07 | Weblog



 菅首相が冷え込んでいる日中関係改善検討を目的に明日の2月6日(2011年)、中国問題をテーマに有識者との意見交換会の開催を決めたと、昨日の《中国問題 意見交換会を開催へ》NHK/2011年2月4日 16時3分)が伝えていた。

 その中国問題とは、〈去年9月の尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件以来、冷え込んでいる日中関係を改善に向かわせたいねらいがあるものとみられ〉ると解説している。

 記事はさらに、〈総理大臣が特定の国をテーマとする意見交換会を設置するのは、異例のこと〉と書いている。

 異例であろうと一般例であろうと、何らかの異常な突発事態が発生して良好な関係が壊れたときにどう対処するかは、直接的にはそもそもの出発点に於ける首相自身の覚悟、あるいはどう解釈し、どう行動するかの毅然とした危機管理にかかっているのだから、そのような覚悟の問題とせずに意見交換会を開いて関係改善方法を教えられ、その教えが役に立ったとしても、あくまでも一旦壊れた場合の関係修復方法に過ぎないのだから、両国関係を壊すような予想外の再度の突発事態の対処方法とはならないことになる。

 要するに毅然とした態度を持って常に事に臨む覚悟がリーダーには必要不可欠の資質であり、そのような資質を持って事に当たって関係が壊れたとしても、計算の内に入っている覚悟の事態とすることができ、自ずから何らかの関係修復の道を見い出す覚悟にしても前以て備えていて、その覚悟に従って関係修復の次の段階を予定行動として自ら進んで行動していくというプロセスを取るはずであり、そうすることが政治家が取るべき覚悟という精神性の全体像とすることもできるはずである。

 関係を壊さないことが自身が決めた覚悟の行動であるなら、自ずから主体的行動(自分の意志・判断によって自ら責任を持って行動する態度)の形を取るから、例えそこに妥協が絡んだとしても主体性を伴った、その範囲内の行動として自己を卑屈にすることもなく、どのような結果に対しても計算に入れた覚悟の行動として対処できる。

 だが、関係が壊れることを恐れて突発事態に対応した場合、一国のリーダーとしてのどのような覚悟も発動されることはなく、尖閣問題で菅内閣が中国に対して見せてきたように覚悟という精神性とは正反対の相手国の意を迎える従属性、あるいは自らを下の位置に立たせる下位性を伴わせた妥協の形を取り、いたずらに自身の態度を相手の態度に応じさせることとなって、相手国の国益に貢献しこそすれ、自国国益の損失を絡めない保証はなくなる。

 いわば問題は毅然とした態度を持って常に事に臨む覚悟を備えたリーダーであるかどうかであろう。そうでなければ、突発的且つ深刻な軋轢が生じた場合の外国との関係交渉に於いてリーダーに主体的な覚悟を持って対処することが期待できず、従属的妥協を強いられるか関係を壊すかして関係修復のための意見交換会を次ぎの段階として常に用意しなければならないプロセスを踏まなければならないことになる。

 記事は詭弁家の枝野官房長官の発言を伝えている。

 枝野「日中関係をどう認識し、どういう方向に進めていくのかということを、日本の内閣として、民間の方も含めて、幅広い知見に基づいてしっかり考えていこうということだ」

 問題の本質を抜きに何をどう進めようとも、子供が借金しては親がその後始末にまわるような同じ後付けを繰返すことになるだろう。

 意見交換会のメンバーは、〈前の日本経団連会長の御手洗冨士夫キャノン会長や、成田豊電通名誉相談役、それに作家の石川好氏ら7人が参加する予定〉だとしているが、民間の有識者を加えることはあっても、本来なら首相を筆頭に関係閣僚や関係省庁の幹部クラスが主体となって処理しなければならない問題であるはずだが、そうせずにわざわざ民間の有識者を主体とした意見交換会を開催するということは、そもそもの出発点としなければならないリーダーの覚悟という本質的な問題を抜きにしていることからも、菅首相がこういうことをしていますと情報発信することが目的に見えてくる。

 こういった意見交換会をいくら重ねたとしても、重ねることでどのようなアドバイスを受けたとしても、本人の本質的な資質としなければならないリーダーの覚悟はそれが本質的な資質であるゆえにどう変えようもないためにどのようなアドバイスも突発事態発生時には何の役に立たないだろう。

 最近菅首相の一国のリーダーとしての覚悟のなさを今回が初めてではない、改めて伝えていた記事にお目にかかった。《菅首相「尖閣」主張せず 衝突事件後初の日中首脳会談で》MSN産経/2011.2.2 01:30)

 記事は伝えている。〈菅直人首相が昨年10月、ブリュッセルでのアジア欧州会議(ASEM)の際に行った温家宝首相の「廊下懇談」で、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件について「温首相は日本の立場をご存じでしょうから今日は言いません」と語り、一切言及しなかったことが分かった。1日までに複数の政府筋が明らかにした。〉

 懇談後の菅首相の同行記者団に向けた発言。

 菅首相「温首相から原則的な話があり、私も尖閣諸島はわが国固有の領土であり、領土の問題は存在しないという原則的なことを申し上げた」

 外務省のホームページも菅首相の記者団に対する発言に対応させたのだろう、〈「温家宝首相は尖閣諸島についての原則的な立場を述べた。菅首相は尖閣諸島はわが国固有の領土であり、領土問題は存在しないとの原則的立場を述べた」と、首相の説明に沿った内容を掲載している。〉と書いている。

 記事はこの発言を、〈虚偽の説明をしていた。〉と断定している。また当時も虚偽の疑いをかけられて、菅首相が記者団に話したように恩首相に伝えたのかどうか問題となり、国会でも激しい追及を受けた。
 
 さらに中国人船長逮捕の報復としてフジタ社員4人逮捕のうち3人釈放、1人拘束の状況下にありながら、会談で菅首相が温家宝首相に釈放を求めたかどうかが問題とされた。

 記事は、〈当時、中国河北省で準大手ゼネコン「フジタ」の日本人社員1人が拘束されていたが、首相は懇談でこの問題にも触れず、社員の早期解放を求めなかったという。〉と、国民の生命・財産を守る立場にある首相が求めなかった説に立っている。

 このことに関しての記事解説は、〈9月20日に中国河北省で拘束されたフジタの現地法人社員4人のうち、懇談が行われた時点で1人が解放されていなかった。首相周辺が懇談直前、早期解放を温首相に求めるよう首相に伝えたが、首相は「それはできない」と断り、話題にしなかったという。〉と、意図的沈黙だったこととしている。

 また、菅首相が尖閣諸島問題に言及しない意向を示したのに対し温首相も同調、「中国固有の領土」とする立場を主張しなかったと記事は解説しているが、にも関わらず中国国営新華社通信が〈温首相は釣魚島(尖閣諸島の中国名)は中国固有の領土であると主張したと報じた〉のは、〈「日中双方が会談内容の公表範囲をすりあわせた結果だ」〉とする日本政府関係者の発言を伝えて、双方の国民向けの取り繕いだとしている。

 この記事から窺うことができる菅首相の外交姿勢は逃げの姿勢であり、いかなる種類の覚悟も見ることはできない。

 この記事が早速次ぎの日の予算委員会で追及の対象となった。《首相「固有の領土と言った」日中首脳懇談の尖閣虚偽説明で強調》MSN産経/2011.2.3 14:30)

 2月3日午前の衆院予算委員会質疑。

 〈首相は昨年10月にブリュッセルで行われた中国の温家宝首相との「廊下懇談」の際、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件に一切言及しなかったと報じた2日付産経新聞の記事に関し、「懇談では尖閣諸島はわが国固有の領土であり、領土問題は存在しないと申し上げた」と強調した。自民党の斎藤健氏の質問に答えた。〉

 具体的にどんな遣り取りがあったのか《衆議院TV》にアクセスして2月3日の動画を開いてみた。

 斎藤自民党議員「これは新聞による報道であるんですけれども、昨日の朝、え、もし事実であるなら、看過できない大変重大な記事が目に飛び込んでまいりました。日本外交の信頼性に関わる大変重大な話でありますので、事実でないことを祈りながら、先ずこの件について、国会の役割として、チェックだけさせていただければと思います。

 こういう記事であります。産経新聞であります。昨年10月のブリュッセルで、アジア欧州会議が開かれました折に、え、みなさんご案内のように、イー、菅直人総理と、中国の温家宝首相が、廊下会談をされました。えー、そしてその際、菅首相が、えー、沖縄尖閣諸島沖の中国船衝突事件につきまして、えー、『温首相は日本の立場をご存じでしょうから今日は言いません』と語って、日本の立場を一切言及しなかったと、そういうことが政府筋の、複数の政府筋によって明らかにされたという記事で、あります。

 菅総理はこの首脳会談の後に、えー、同行記者団に対しまして、こういう発言をされています。『私も尖閣諸島は我が国固有の領土であり、領土問題は存在しないという原則的なことを申し上げた』と、いうふうに説明していた、と。

 これが虚偽だったことになると、報道で、そう書いてあると言うことであります。で、一方でですね、あのー、このときまたゼネコンフジタの、日本人社員一人が釈放されていない状態で、えー、ありました。エ、この問題にも触れずに社員の早期釈放を求めることもなかったと、こういう報道であります。

 私はこの報道の真偽を確認したく、ご質問させていただいておりますが、えー、この懇談につきまして、立ち話につきまして、外務省のホームページにもやはり菅首相は、尖閣諸島は我が国固有の領土であり、領土問題は存在しないとの原則的立場を述べたと、書いてあるわけであります。

 え、外務省のホームページにも記載されている話でもありますので、先ずお忙しいところをおいでくださいました、外務省の杉山局長にもお伺いしたいと思いますが、えー、このオン、温家宝首相に対して、えー、菅首相は、この会議の際、尖閣諸島は我が国固有の領土であり、領土問題は存在しないと述べたのは事実でしょうか」

 杉山外務省局長「え、お答えいたします。あの、ただ今委員ご指摘のその温家宝総理との懇談に於いて、えー、菅総理が尖閣諸島は我が国固有の領土であり、領土問題は存在しないとの原則的な立場を述べて、述べた上で、えー、詳しくは申し上げませんが、あの、既にその報道発表している通りの3点を確認した、というふうに承知しております」

 斎藤自民党議員「と言うことは、えー、温家宝首相に対して、領土問題について『今日は言いません』と、菅総理が発言したという記事は全くのウソだと、いうことでよろしゅうございますか」

 杉山外務省局長「えー、再びのお尋ねでございますのでお答えいたします。あの、恐らく私共の、おー、事務の、おー、担当者の場として、え、報道機関の、報道の一々について、これがいいとか悪いとか、あ、いう、コメントをする、ことはしない方がいいと思います。

 ただ、今申し上げました通り、の発表をしている、ということでございます」

 斎藤自民党議員「それでは総理のお伺いしますが、温家宝首相に対して、え、この尖閣の領土問題について、『今日は言いません』と、菅総理が発言したという記事は、ウソであるというご認識でしょうか」

 菅首相「先程、ご指摘をいただきましたように私が温家宝総理との懇談で、申し上げた、あー、おー、ことは、尖閣、ウ、諸島は我が国固有の領土であって、えー、領土問題は、存在しない。えー、この、お、ことを申し上げました」

 斎藤自民党議員「ということは、『今日は言いません』と、総理が発言したという記事は、全くウソだということですね」

 菅首相「私が申し上げた、ことは、私は、はっきりと、今この場で申し上げました、それ以上でも以下でもありません」

 斎藤自民党議員「一つ確認ですが、温家宝に対して、領土問題について、『今日は言いません』と菅総理は言っていないわけですね」

 菅首相「何回も申し上げていますように私が言ったことは、今この場で申し上げた、あ、ことに、イー、尽きております」

 斎藤自民党議員「今の遣り取りで、私の理解は、『今日は言いません』と発言をしていないと、いうふうに素直に受け止めさせていただきます。

 もしこの新聞記事が事実だといたしますと、私は大変な日本の外務省の信頼性を損なうような、大きな問題だと、私は考えております。従いまして、当然のことながら、産経新聞に対して、抗議をされますね」

 菅首相が答弁に立たずに枝野官房長官が代りに立ったためにヤジや抗議の声が飛ぶ。

 枝野「あの、新聞を含め、様々な報道、あの、それぞれの言論の自由がある中で色んな報道がされております。えー、その中には、おー、個別の問題は申しませんが、あの、当事者として、私が、例えば、知見した事実(よく聞き取れなかったが、確かに「知見」と言っている。ここは「経験した事実」と言うべきでは?)と異なっている、おー、というような内容が含まれていることございますが、それに対して政治家の立場として、えー、一つ一つ、えー、すべてについて、対応していく、ということよりも、あの、今お尋ねいただいた、こともありますが、あー、内閣として、えー、の立場、あー、見解・知見を、こうした場を含めて、お示しをしていくことが大事だと、いうふうに思っております」

 斎藤自民党議員「私は産経新聞という、日本の大きなメディアが、総理が発言していないと、いうことをですね、発言していないことを、発言したというふうにですね、えー、間違えて、外務省が報道しているというですね、外務省の報道に対する信頼性が揺らぐような記事であるから、もしそれがですね、事実でないなら、抗議するのは私はトーゼンのことだと思いますけれども、見解の相違ということで次に進みたいと思います」――

 既に菅首相の「あー、おー、えー」のつっかえつっかえの発言が証明している新聞記事の事実の証明であるが、斎藤議員は新聞報道は事実かどうか尋ねた。だが、菅首相は記事は事実であると肯定することも、事実ではないと否定することもせずに既に公表していた発言を繰返して答弁とした。

 枝野は詭弁家らしく新聞が当事者の言動と異なる報道を行ったとしても、いわば国会等の場で見解・知見を示していくことが大事だとわけの分からないことを言って誤魔化している。

 間違った報道に対して国会等の場で提示していく「見解・知見」にはデマ等の虚偽報道に対する修正、あるいは否定も入っているだろうし、修正や否定を入れる必要が生じる場合もあるだろうから、枝野の言っていることは詭弁以外の何ものでもない。

 例え枝野の詭弁発言を無視するとしても、事は菅首相の外交に対する覚悟と能力、その姿勢と信頼性に関わる問題であり、産経記事はそれを真っ向から否定していて、当然、菅首相の外交無能力を曝け出す報道ともなり、このことは菅首相の政治的人格を損ない、政治家として備えていなければならない名誉を傷つける報道ともなり得る。勿論、支持率にも影響していくはずである。

 もし事実でないなら、一国の首相としての自身の名誉を守るためにも、「事実ではありません。間違った報道です」の簡単にして明快な短い言葉で済んだはずだ。また、自身の名誉を簡潔な言葉で守ることができた。虚偽報道であると否定しなかったところを見ると、否定できなかったための否定も肯定もしない態度だったと断定せざるを得ない。

 斎藤議員はフジタの問題にも触れているが、昨年(2010年)の事件発生後の10月6日の衆議院本会議代表質問で自民党の稲田朋美議員の、温家宝首相との会談時に社員の釈放を求めたのかの質問に対して今回と同じく直接の答弁を避けている。
 
 菅首相「また、アー・・・、フジタ、アー、の社員の、問題については、併行して私と温家宝総理との話と併行して、えー、我が国の、オー、として、その、1名の身柄の、安全の確保等、早急な釈放を、オー、求めて、現在も、オー、交渉を進めて、いるところで、あることを申し上げておきます」――

 「勿論、求めました」という明快な回答とは決してなっていない。「求めました」と答えたなら、次は温家宝首相はどう答えたか聞かれることになる。事実でないことを言ったら、次も事実でないことを重ねていかなければならなくなる。

 この程度の覚悟しか示すことができなかった菅首相である。中国との関係修復の知恵を検討し、その知恵を出す意見交換会を何度開いたとしても、どのような覚悟も期待できないリーダーであることに何ら変わらない以上、意味もない意見交換会となるのは目に見えていると、やはり何度でも言わなければならない。


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