菅内閣の現状のすべての出発点は小沢派排除の愚かさから始まっている

2011-02-21 08:48:24 | Weblog


 
 菅首相は小沢氏の、いわゆる「政治とカネ」の問題についての野党の追及に対して、「検察の1年以上に亘る強制捜査受け、2度も不起訴になっていることが何よりの説明となっている」と突っぱねるべきだった。昨年9月に検察審査会の起訴議決が決定、10月4日に公表となったが、その際も推定無罪を掲げ、「強制裁判の判決がすべての証明となる。国会の説明では決まりのつかない最終決着を果たしてくれる」と強制裁判に任せるべきだとする姿勢を示し、その姿勢をぶれることなく一貫して示すべきだった。

 例えそのことで次女能力がないとする批判を受けて内閣支持率を少し失うことになったとしても、小沢氏の尽力等で公明党の協力を取り付ける可能性が生じ、参院選挙で失った数(=議席)を十分に補うことができたはずだ。

 だが、菅首相のしたことは正反対のことだった。2010年6月8日の菅内閣発足に当たって、挙党一致と言いつつ内閣・党人事からの小沢派の排除に出た。2010年9月の民主党代表選では、初出馬はロッキード選挙と言われた選挙であったこと、カネと数を重視する政治は古い政治だと暗に対抗馬の小沢氏が汚れたカネに関わっているような印象を与える断罪を演じ、その反対給付としてさも自身がクリーンな政治家であるかのような売込みを行って、仲間を貶め自身の浮上に利用した。

 そして代表に再選出されると、一層の小沢排除に動き、同時に小沢氏自身に対する国会での説明の実現を目指したが、小沢氏が主張する司法の場での決着姿勢と対立、膠着状態に陥ると、野党は実現させることができないのは首相に指導力がないからだと首相の姿勢追及の強力なカードの一つとさせる失態を招き、そのことが菅内閣支持率低下の一因となったはずである。

 このことが菅首相に一層の小沢排除に走らせた。今年に入って1月31日に小沢氏が指定弁護士による強制起訴を受けると、政倫審出席を強力に求め、実現しないと証人喚問をちらつかせたが、党内外からの反対を受けて小沢氏自身に対して離党勧告、拒否されると党員資格停止へと小沢氏排除をシフト、2月22日に決定する方針を決めたが、2月17日になって小沢氏に近い衆議院議員16名の会派離脱、予算案否決の可能性の示唆、この事態によって衆議院に戻して3分の2で再可決する菅首相の夢を打ち砕いた途端に菅降ろしの動き、退陣論が党内から生じ、野党の解散要求の声も一層激しくなり、いよいよ進退極まることとなった。

 すべては小沢斬り・小沢排除から始まっている。小沢排除を利用して参院選で議席を失った失地回復と支持率回復を計ろうとした自らの愚かさが招いた失態であり、窮地であろう。

 このことは自身に恃む能力を持たなかった反動として示さざるを得なかった小沢斬り・小沢排除でもあったはずだ。参院選前の事前の周到な準備も計画もなしに打ち出した消費税増税が端的に象徴しているように指導力、政治的創造能力を欠いていたためにそれを埋め合わせてさもあるかのように見せかける材料が小沢氏と小沢派排除であった。

 だが、結局小沢氏排除でも小沢派排除でも指導力、政治的創造能力を発揮できなかった。元々存在しない能力を発揮できないのは当然の帰結であろう。

 ここに来て菅退陣論に対抗する菅首相自身の自己正当化の発言、党役員、閣僚の菅擁護の発言が相次いでいるが、すべて虚しく聞こえる。

  《首相“きぜんとして取り組む”》NHK/2011年2月20日 19時6分)

 記事は江田法相が昨20日午後首相公邸を訪れ、菅総理大臣と2時間近く会談したときの両者の発言を伝えている。役にも立たない会談なのは現在の無様な窮地を招いた上でのことだから容易に察することができる。

 菅首相「来年度予算をきちんと仕上げていけば、景気のほうも上向いてくる。当面、日本が直面する大問題は、社会保障と税の一体改革や『平成の開国』だ。今、日本は明治維新以来の大きな歴史の転換期に来ていて、大事業をやろうとしているときだから、足元で起きるいろいろな声に心を騒がせず、きぜんとして取り組みたい」

 菅首相は一度でも毅然として取り組んだことがあるのだろうか。毅然として取り組むには指導力を欠かすわけにはいかないし、政治的創造性を必要とする。だが、一国の指導者として何事も常に結果を出していかなければならない、少なくとも結果につなげていかなければならない厳しい立場にあるにも関わらず、そのことを自覚もせずに、「今までは仮免許だった」と内閣発足からの6ヶ月間の自身の取り組みを準備段階、あるいは試験段階だったとして6ヶ月間の取り組みを個別に扱い、その出来具合を自分から採点を甘くする責任回避意識は指導力と政治的創造性の欠如が許した結末としてあるものだろう。

 このことは常に説明責任を負わされている政治家である以上、政治家としての情報発信力は属性としていなければならないにも関わらず、「これまでは発信力が足りなかった」と低支持率の正当理由とする誤魔化しにも現れている。これはどこに問題があるのか的確に判断する合理的判断能力の欠如からきている誤魔化しでしかないが、合理的判断能力は指導力の基礎となる能力であるゆえにどちらの欠如であっても相互性としてある欠如ということになる。

 「大事業」という言葉にしても、合理的判断能力を欠いているために指導力もない、政治的創造性もない人間が言うことなのだから、何と言おうと単なる大言壮語に過ぎないことは目に見えている。いわば強がりを言ったに過ぎない。

 「日本は明治維新以来の大きな歴史の転換期」などと大層なことは言わなくてもいい。取り組むべき事柄はマニフェストに示して国民に約束し、契約とした政策を進めるという非常に単純なプロセスを踏むに過ぎない。勿論、具体化は財源の問題もあり、非常に困難を伴うだろう。だが、進めるべきスケジュール自体はあくまでも一度決定した方針に従うのみだから、単純である。登山ルートが何本もある山登りにこのルートと決め、そのルートを道の険しさや険しさに対応した体力維持といった困難があっても、その困難に耐えて決めたルートをひたすら登り切る黙々とした単純さこそが必要であって、それを決めたルートに挑まないうちから登り切るのは難しいからと別のコースに変えて、「日本は明治維新以来の大きな歴史の転換期」だとさも大層なコースに挑んでいるかのように大袈裟に言う発言からは胡散臭さしか感じない。

 江田法相「このところのいろいろな動きを受けて、私も心配して激励にきたが、菅総理大臣は、大変元気で、なんとしても予算をしっかり仕上げ、さらに予算関連法案も仕上げるため、きぜんとして頑張るという姿勢にあふれていた」

 「解散をしようかという話は全くない。ただ、総理大臣のいちばんの武器は解散であり、『解散しない』と言って、何もみずから手を縛る必要はない」

 「総理大臣のいちばんの武器は解散であり、『解散しない』と言って、何もみずから手を縛る必要はない」は単に菅首相自身の地位上の保身――首相であり続けることだけを意図した言及に過ぎない。なぜなら一国のリーダーとして「一番の武器」としなければならないのはあくまでも強力な指導力であり、鋭い政治的創造能力であるからだ。

 この二つの能力を欠いているから、現在の進退極まった苦境を招いた。この苦境を逃れ、首相の地位を維持するために残された手段として解散の有無を「一番の武器」とせざるを得なくなった。

 要するに程度の低いところで進退を賭ける局面に陥ったというわけである。この苦境を乗り超えることができたとしても指導力と政治的創造能力の欠如はついてまわる。

 江田は耄碌したのか、自身が言っていることの意味に気づきもしない。

 《岡田幹事長 退陣や解散を否定》NHK/2011年2月20日 18時6分))

 岡田幹事長の2月20日三重県伊勢市での記者会見。反執行部の議員を中心に菅首相のクビと引き替えに予算関連法案の成立を図るべきだという意見が出ていることについて――

 岡田幹事長「全く考えていない。総理大臣がコロコロ代わって国益にプラスになるはずがなく、選んだ菅総理大臣を支え抜く姿勢を党所属の国会議員には求めたい。また、関連法案を中途半端にして衆議院を解散するなどということはありえない。そんなことをすれば経済に大きなマイナスとなるおそれがある」

 「関連法案はいろいろなことに影響するので、もてあそばない方がよく、否決した側が説明責任を求められる」

 情けない発言となっている。「総理大臣がコロコロ代わって国益にプラス」ならないという基準を菅首相の続投理由とする。尤も指導力や政治的創造性を基準として首相となったわけではなく、「首相がコロコロ代るのはよくない」を基準として選ばれた経緯を背景としているから、無理もない岡田の続投基準なのかもしれない。

 「選んだ菅総理大臣を支え抜く姿勢を党所属の国会議員には求めたい」と言っているが、「党所属の国会議員」を統率するもしないも偏に菅首相自身の指導力、政治的創造性にかかっているのである。要求対象を違えていることに岡田幹事長は気づいていない。すっかり心が離れた妻に、「妻なのだから、夫である俺を支えるのは妻の役目だ」と妻を支えてこなかったことを省みずに妻にのみ支えを要求するご都合主義と同じ虚しさしか感じない。菅首相にしてこの幹事長ありなのだろう。

 この記者会見に先立って行われた講演で政権公約=マニフェストについて次のように発言したという。

  岡田幹事長「できないことをいつまでもできると言い張るのは正直でない」

 この発言は高速道路の原則無料化や子ども手当の全額支給は見直しの対象になるという認識を示したものだと記事は書いている。

 ということは、「できない」政策をマニフェストに掲げて、自民党や公明党の政策よりも自らの政策の優位性を訴えて国民の支持を得、政権交代を果たしたことになる。このことの方が遥かに「正直でない」ことになるが、その不正直さには気づかずに実現の見込みを失った政策を実現できませんと告白することだけが正直だとするさらなるご都合主義を見せている。何とも情けない幹事長としか言いようがない。

 菅首相の軽薄この上ない賢夫人伸子女史は1月12日(2011年)日本外国特派員協会で講演している。

 伸子夫人「でき得ることをやって玉砕するのはいいが、(内閣)支持率が低いと批判されて(首相を)辞めることはあり得ない」(時事ドットコム

 玉砕とは実際に事に当たったなら、できるできないは別に一度決めたことを愚直に挑んで当たって砕けることを言う。「でき得ること」を選んで挑み、当たって砕けることを「玉砕」とは決して言わない。「でき得ること」を選んでできないと言うのは矛盾そのものであるからなのは断るまでもないが、「でき得ること」を選んで成し遂げたものの、それでも尚且つ支持率を回復できずに内閣総辞職、あるいは総選挙の果てに敗北して政権を失うということになったなら、伸子夫人はそれを「玉砕」と美化するかもしれないが、実際は玉砕どころの騒ぎではなく、単なる滑稽な結末に過ぎないことになる。

 指導力も政治的創造性もないから、できるできないは別に一度決めたことを愚直に挑んで当たって砕ける覚悟を持てなかった。だからこそ、その覚悟に替えて小沢氏排除、あるいは小沢派排除の愚挙に出ることになった。現況に於けるすべての出発点はそこにあった。


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