安住財務相の再生・復興の最終責任を負う政府の一員でありながら、自覚責任ゼロの薄汚い言い逃れ答弁

2011-11-10 13:28:04 | Weblog

 菅無能前首相が「日本再生が東日本の復興を支え、一方では東日本の復興が日本の再生の先駆けとなる」と菅内閣の一つの大きな責任としたように、野田首相は「福島の再生なくして、日本の再生なし」と自らの内閣が成すべき責任の主たる一つとした。

 勿論断るまでもなく、この「福島の再生」とは東日本大震災被災地全体の再生を含めて言っているはずであるし、含めていなければならない。そして日本全体の再生は被災地全体の再生を含めているということであろう。

 すべては政府の責任と主導のもと展開される日本全体に亘る再生・復興であるということも断るまでもない。再生、あるいは復興に向けて各自治体を如何に動かすかに関しても、偏に政府の責任とリーダーシップにかかっている。

 いわば再生・復興の使命と最終責任を負うということである。

 しかしである。2011年7月31日当ブログ記事――《安住の中央集権国家であることとそれゆえの責任の大きさを忘れた口汚い被災首長批判 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いたことだが、被災地衆院宮城5区選出の当時の安住淳民主党国会対策委員長はこのことを自覚しておく責任を有していない発言を7月30日(2011年)出演のテレビ番組で行なっている。

 しかも現在財務相となった安住は昨日(2011年11月9日)の衆院予算委質疑でも再度自覚責任を欠く答弁を再度行なっている。政府の責任とリーダーシップに関わる自覚責任の変わらない欠如は体質化していることを示し、当然大臣としての資格を欠いていることの証明としかならない。 

 上記ブログに書いた7月30日(2011年)のテレビ東京の番組に出演したときの発言を再度取り上げてみる。

 安住淳民主党国会対策委員長「『知事は頑張っている』と言うが、仕組みが違う。自治体の首長は都合がいい。増税しないんですから。国からお金をもらって自分は言いたいことを言い、できなかったら国のせいにすればいい。『増税も無駄の削減も国会議員がやれ』と、立派なことは言うけど泥はかぶらないという仕組みを何とかしないといけない。

 (被災地の有権者に対して)家、財産、家族がなくなった人は不満は持っているが、だからといって『全部国会議員が悪い』というのは感情的な話だ」(asahi.com

 安住淳民主党国会対策委員長「地元では『ハエが大きくなったのもお前のせいだ』と言われることもある。被災者のストレスが私に来て、私のストレスが首相に行く。みんな首相が悪いというのは首相もかわいそうだ」(毎日jp

 例え党の一役員であっても、再生・復興のリーダーであり、最終責任者たる首相及びその内閣と協力関係にある立場にありながら、そのことの自覚責任を欠いて、国として地方を動かすことができない自らの無能を棚に上げ、被災地の知事を批判している。

 では昨日(2011年11月9日)の衆院予算委での江田憲司みんなの党幹事長の質問に対して再度自覚責任を欠いた安住財務省の発言を見てみる。

 江田憲司議員「えー、震災から7ヶ月、まあ、やっと本格的な補正予算、えー、提出をされました。本当に遅すぎると、私は思っていましたところですね、あのー、先日、うー、看過できない記事が目につきましたので、まあ、冒頭これについてお伺いしたいと思います。えー、パネルをご覧頂きたいのですけれども、これは、10月25日の朝日新聞朝刊、オピニオン欄というところにですね、まあ、前の総務大臣の片山善博さん、こういった、あのー、一面の、おー、デカデカとした記事が載っておりまして、そこにですね、あのー、驚くべきことが書かれているのですね。

 あのー、ちょっと読ませて頂きます。パネルで」――

 パネルに、「復興=増税 財務相の言いなり 片山善博前総務相 10/25 朝日新聞」の文字が最初に書いてあり、片山前総務相の発言のいくつかが書き入れてある。

 この記事の正確な題名は、「改革の一丁目一番地」はどうなった? 野田さんは「分権お休み中」で、2011年10月28日の当ブログ記事――《野田首相の“安全運転”とは官僚運転の車に乗って行先きまで任せることなのか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で既に取り上げている。

 以下の発言は文字化を横着して、江田憲司公式サイト・コラム欄《日々是好日》の記事題名――「復興を人質に増税が決まるまで補正を遅らせた・・・片山前総務相の内部告発」から採った。
 
 江田憲司議員「『私第3次補正予算をを早く決めましょうと言い続けたが、財務省が震災を機に増税をすることにこだわって進まなかった』

 『復興のためなら国民も増税に応じるはずと復興を人質にとった』

 『復興の遅れを菅さんの6月2日の辞意表明以降の政治空白のせいにする人がいるが的外れだ。真の原因は、財務省のヘンテコな論理(野田さんが代弁)を菅さんがとがめなかったところにある』

 『多くの与党議員が財務省にマインドコントロール。メディアも同じ』

 『救急病院に重篤な患者を運び込まれているのに、治療費の返済計画を家族が提出するまで待ておくよなもの。異様、世の中がこれを異様だと言わないところがまた、異様』――

 まあ、こういうことが、オー、インタビューで書かれているわけです。

 先ずですね、名指しをされた財務省、主計局長、来られていると思いますので、これに対して何か反論があれば、お願いします」

 真砂靖財務省主計局長「えー、委員の、おー、引用されました部分のご指摘は全く当たらないというふうに思います。私共、あの、3月11日の大震災以来、えー、政府の方針に添いまして、えー、予備費の積極的な活用、それから、第1次補正予選、第2次補正予算、そして今回ご審議いただいています第3次補正予算の編成に職員一団となって全力で、エ、取り組んできたつもりでございます。

 あの、今後共、所掌事務を、遂行に万全を期していきたいと、いうふうに思っております」

 江田憲司議員「まあ、当局としてはそう言わざるを得ないですよねえ。ただ私も、片山善博さんという方を、存じ上げております。けれども、まあ、改革派知事としてですね、あの、鳴らされ(ある優れた能力によって評判を取る」意味の「鳴らす」を言ったのだと思う。)、まあ、総務大臣として入閣をされた。

 まあ、私としても嘘をつくとは思えないんですね。これはもう財務省の幹部、責任問題ですよ。こんなに被災地、被災民の方を愚弄することをはありませんよね。

 要は、そのー、復興を人質に取って増税に拘り、補正予算の提出を遅らせたと、おっしゃってるわけですから、これに対して是非ですね、当事者であった野田総理にですね、お聞きしなければなりません」

 江田議員は上記公式サイト・コラム欄の《日々是好日》で、「野田首相らがそうじゃないと言うなら、片山善博さんの方が嘘をついていることになる。いずれにせよ看過できない大問題だろう」と書いていて、片山氏の発言を事実と取る立場からどちらが事実なのかを明確に求めているのだから、財務省主計局長が「ご指摘は全く当たらないというふうに思います」と答弁したことに対して、「では片山善博さんが事実でないことを喋り散らかしたということなのですか。つまりウソを並べ立てたと」といったふうになぜ問い返さなかったのだろうか。

 多分、主計局長は「どのような意図でそのような発言をされたのか、私には分かりません」と逃げるだろうが、「意図が何であれ、ウソ発言ということになる。片山氏はウソつきだということになる」と、片山氏をさも人格的欠陥者に仕立てているというふうに問題を大きくすれば、面白い展開となったのではないだろうか。

 野田首相「増税をしたくて復興を遅らせたってことなんてあり得ないことであります」

 ここでも江田議員は、「では片山善博さんがウソを言ったことになるということですか」と問い質すべきだったが、そうしなかった。

 江田憲司議員「本当は今日ですね、片山善博さんに、ご本人に参考人、お呼びしたかったんですけれども、残念ながら、民主党が反対で、実現しませんでした。(声を大きくして)是非、委員長。これはですね、重大問題です。責任問題ですよ。是非委員長、あの、参考人招致を片山善博さんにお願いいたします」

 中井洽委員長「理事会で検討を致しました」
 
 過去形を用いたのは検討し終わって、既に片付いた問題だと言ったのだろうか。

 江田議員は片山氏の参考人招致を考えていたなら、「では、どちらが事実でないことを言っているのか、片山さんをここに呼んでシロ・クロをつけてもいいんですね」と迫り、相手が承知したなら、こちらの戦いに引き込むことができるし、ガチンコ対決はなかなかの見物(みもの)となるはずである。

 例え反対されて、その反対が最終的に成功したとしても、何度もしつこく求めて相手の反対を繰返させたなら、心証として参考人招致が実現した場合の相手の都合の悪さを浮き立たせることができるはずだ。

 江田議員はそれ以上追及せずにみんなの党の「増税なき復興」の主張に入っていく。大きなパネルを用意した。

増税なき復興 みんなの党の復興財源案(10年間)
   総計80兆円+α


(1)国会議員 国家公務員の人件費カット     計10.0兆円
(2)日本郵政株式(郵貯・簡保)の売却複数年  計8.0兆円
(3)JT株の売却               計1.8兆円
(4)政投銀株式の売却             計1.3兆円
(5)公務員宿舎等国有資産の売却        計3.8兆円
(6)国債整理基金特別会計の剰余金(繰入停止) 計10.8兆円
(7)労働保険特会雇用勘定の剰余金       計5.5兆円
(8)財政投融資特別会計の剰余金        計1.0兆円
(9)原発予算・原発埋蔵金の活用        計2.0兆円
(10)民主党の4K予算の見直し         計35.0兆円
  (その他 日銀引き受け、外が準備の活用等)

 色々と説明し、最後に――

 江田憲司議員「この中の総計80兆円+αの中の10兆円でも工面できれば、現実にできればですね、今の9.2兆円増税など吹っ飛ぶわけですよ。是非ですね、この前向きな考えでですね、野田総理もですね、なるべく増税をしたくないと思います、今のところ。是非野田総理、こういったものを検討していただきませんか」

 野田首相が立たずに安住財務省が手を上げて答弁に立つ。

 安住財務相「あのー、先ず、ぞのー、片山総務大臣のところで、私はちょっと3番目のですね、一方的におっしゃってるので、これ、認識の違いがあると思うんですけどね。『重篤な患者運び込まれているのに治療、おー…費の返済計画を提出するまで待たせておけ』と。

 私は被災地の人間だから申し上げますとね、江田さんにね。それぞれの自治体の復興計画は、ようやく10月の時点でもまだ3割なんですよ。7割は全く地元を含めて、国の予算がないからという人もいます。しかし、(声を大きくして)一方で、私自身の土地もまだどうするか自分でも、なかなか、両親と話しても、生家の所どうする悩んでいる。

 で、なーにもですね、何から、私、財務大臣だから言うわけじゃないですけども、すべて財務省が悪くてですね、マインドコントロールなんて言葉、あまり国会で私、お使いにならない方がいいと思いますよ。

 先生のような方が、それをご紹介するというのはちょっと私は如何なものかと思いますし・・・」

 江田憲司議員(席に座ったまま手を上げて)「委員長」

 
 安住財務相「そういう点で私はですね、様々な反省もありますけれども、決して、それが元で遅くなったということだけではないということだけは分かっていただきたいと思います」

 江田憲司議員「委員長、委員長」

 安住財務相「それからですね――」

 みんなの党が主張している「増税なき復興」案の各財源捻出項目の妥当性について答弁をしていく。その答弁が少し長く続いたためか、安住財務相の「マインドコントロールなんて言葉、あまり国会で私、お使いにならない方がいいと思いますよ」という発言に抗議するために「委員長」と手を挙げたのだろうが、抗議を忘れてしまい、自党の案を検討していただきたいで終わる。

 安住財務相は自治体の復興計画の遅れを、「国の予算がないからという人もいます」と言いながら、「ようやく10月の時点でもまだ3割なんですよ。7割は全く地元を含めて」出ていないと、自治体の責任としている。

 菅首相の諮問機関である復興構想会議は4月14日に第1回会議を開催、2ヶ月以上もかけた6月25日に提言をまとめて答申、それ以降も除染対象の放射能線量が一度に決まらず、規制緩和や税制特例を活用して復興を図る「復興推進計画」、住宅の高台移転など、土地利用の再編に関する「復興整備計画」、道路の整備や住宅の高台への集団移転事業などを対象に国が財政的な支援を行い、被災自治体が一定の範囲で自由に使える復興交付金を申請できる「復興交付金事業計画」等の「復興特別区域(特区)法案」を閣議決定したのは10月28日、復興政策の司令塔となる復興庁設置法案は11月1日の閣議決定、国会に提出して震災から1周年(来年3月11日)の設置を目指しているというスローモーションである。

 自治体は国の財政支援がなければ、身動きできない財政状況にある。また国の各方針が決まらなければ、どこまで進めていいのか決めかねることになる。当然、自治体の復興計画にしても国と自治体の財政の負担割合を決定できない状況に置かれる。いわば国の財政支援に対応した各自治体の復興計画の形を取らざるを得ない。

 当然、「復興特別区域(特区)法案」が閣議決定を受けたのは10月28日であることからして、「それぞれの自治体の復興計画は、ようやく10月の時点でもまだ3割なんですよ。7割は全く地元を含めて」復興計画を完成させることができていなくても無理ない事情と言える。

 それを自分の生家の話を持ち出して、「私自身の土地もまだどうするか自分でも、なかなか、両親と話しても、生家の所どうするか悩んでいる」と私的遅れを当然だとすることで自治体の遅れをも当然だと正当化して、国の責任ではないとする最終的な正当化を狡猾にも図っている。

 例え自治体に責任があったとしても、再生・復興の最終使命と最終責任は偏に政府の責任とリーダーシップにかかっている以上、自治体をリードして再生・復興を力強く進めていく責任と義務を負っているはずである。

 当然、自治体を批判していても始まらない責任と義務であり、その自覚責任のカケラもない政府の責任を棚に上げた、薄汚い言い逃れ答弁の自治体批判と見做さざるを得ない。

 こういった自覚責任のない政治家が財務大臣を務めている。


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改めて国家公務員給与削減と共に国家公務員宿舎の値上げを図るべき

2011-11-09 12:23:00 | Weblog

 野田政権は復興財源に充てる政策の一つとして国家公務員給与を平均7・8%削減する臨時特例法案の今国会成立を目指している。

 「臨時」というのは2年間の時限措置だからで、この平均7・8%削減、2年間で約6千億円を確保可能だと「MSN産経」記事に書いてあった。

 2011年度予算案に於ける国家公務員給与費総額は3兆7642億円で、3兆7642億円から7・8%削減すると、約3千億円が確保能となり、2年間で約6千億円となる。

 「毎日jp」記事に2011年度地方公務員人件費総額21.3兆円という数字が記載してあり、地方公務員給与が国家公務員給与に準じていることから、〈地方公務員も国並みに引き下げた場合、地方の財源不足の穴埋めである地方交付税を最大6000億円程度、国が公立小中学校教職員の人件費の3分の1を補助する「義務教育国庫負担金」も同1200億円程度削減できると、財務省は見積〉っていると書いてあるが、日教組を支持母体としている民主党実力者輿石東幹事長の反対姿勢で地方公務員給与に波及させるのはハードルが高いとしている。

 輿石東幹事長の反対姿勢は10月30日(2011年)当ブログ記事――《菅前首相の国家公務員給与削減法案に関する古賀連合会長との密約と情報隠蔽 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。

 政府はこの国家公務員人件費2年間6000億円の削減に加えて、政府保有株の売却等の税外収入と歳出削減で5兆円程度の収入を見込んでいるという。

 この5兆円と総額11.2兆円(消費税換算で4~5%程度に相当)の臨時増税からの税収を償還財源として約13兆円の復興債を発行、この償還期間に関して野田首相は10月28日(2011年)第179回国会所信表明演説で次のように発言している。

 野田首相「復興財源案では、基幹税である所得税や法人税、個人住民税の時限的な引上げなどにより、国民の皆様に一定の御負担をお願いすることとしています。
 国家財政の深刻な状況が、その重要な背景です。

 グローバル経済の市場の力によって『国家の信用』が厳しく問われる歴史的な事態が進行しています。欧州の危機は広がりを見せており、決して対岸の火事とは言い切れません。今日生まれた子ども一人の背中には、既に700万円を超える借金があります。現役世代がこのまま減り続ければ、一人当たりの負担は増えていくばかりであり、際限のない先送りを続けられる状況にはありません。

 復興財源の確保策を実現させ、未来の世代の重荷を少しでも減らし、『国家の信用』を守る大義を共に果たそうではありませんか」――

 あるいは9月30日の記者会見。

 野田首相「これらの負担を次の世代に先送りをするのではなくて、今を生きる世代全体で連帯して分かち合うことを基本とするという、この私どものまとめた考え方を、是非ともご理解をいただきますようにお願いをしたいというふうに思います」――

 「これらの負担を次の世代に先送りをするのではなくて、今を生きる世代全体で連帯して分かち合う」という言葉は美しく素晴らしい。このように美しい理念・美しい理想を野田首相は掲げた。

 だが、自公の償還期間を長くすることによって一人ひとりの負担を減らすという主張に屈して、野田首相が当初予定していた10年程度の償還期間を公明党の15年に合わせ、次に自民党の強硬に主張していた25年に屈し、「次の世代に先送りをするのではなくて、今を生きる世代全体で連帯して分かち合う」と一旦掲げた美しい理念・美しい理想に対する責任感もなく、自らの理念・理想を取り崩すこととなった。

 理念・理想は追求しなければならない。だが、先進国で最悪の財政状況と世界的な不況で増税自体に無理があるから、理念・理想を取り崩すことになるのだろう。
 
 10月4日の当ブログ記事――《朝霞公務員宿舎建設再凍結に公務員宿舎部屋代値上げに優る合理的理由は存在するのか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いたが、公務員の人件費削減も民間給与との格差を縮小させるために必要だが、格差は人件費だけではなく、住居費にも現れている。民間マンションの入居費と国家公務員宿舎の入居費の歴然たる不公平な格差である。

 都心一等地での国家公務員宿舎家賃4万円は民間マンションとの比較で15万から25万円の不公平な格差があがるという。

 何故かくまでして国家公務員は優遇されなければならないのか。財務省が宿舎の必要性を〈国家公務員宿舎法に基づいて、公務員の「職務の能率的な遂行を確保する」ため〉を根拠とし、〈「転勤が多い職場だったり、緊急時に対応が必要となる職員に提供される」〉(MSN産経)としている理由を認めるにしても、家賃優遇の正当な理由、民間賃貸住居との家賃格差の正当な理由とすることはできない。

 例え家賃を民間並みに上げたとしても、財務省が理由としている条件を何ら損なうことはない。民間の高い家賃で「職務の能率的な遂行を確保」している一般サラリーマンを見習うべきである。

 改めて国家公務員宿舎の総戸数等をインターネットで調べてみた。

 国家公務員宿舎関係資料(財務省理財局/2011年10月17日)に次のような記載がある。
  
 国家公務員宿舎の未入居率(単位:戸、平成21年9月1日時点)

       設置戸数   使用可能戸数  未入居戸数  未入居率

 全国    218,678     202,370     13,797   6.65%

 都内     30,625     28,234      777    2.75%

 3区      23,039     21,295      532    2.50%

 (注)「使用可能戸数は、宿舎の廃止・処分を促進することで宿舎戸数を削減するため、入居者を退去させ新規入居を認めないこと等により使用できない戸数を設置戸数から除いたもの」――

 (注)は宿舎削減に努力している姿勢を示しているが、家賃の格差是正に対する努力ではない。

 平均で5万円の家賃値上げを要求した場合、上記ブログでは、〈現在、公務員宿舎は全国に約21万8000戸存在するそうだが、5万円ずつ値上しても、約22万戸として、22万戸×5万円=110億/1カ月。年にして1320億円の国の歳入となる。

 民間との公平化を可能な限り図るとすると、15万~20万円は値上が必要となる。15万円と見ても、22万戸×15万円=330億円/1カ月。年にして3960億円。〉と書いたが、平成21年9月1日時点で、最低限の1ヶ月5万の値上げに限定したとしても――

 使用可能戸数202,370×平均5万円≒100億円/1ヶ月×12ヶ月=1千200億円×復興10年=1兆1200億円

 復興が20年かかるとすると、2兆2400億円の財源確保となり、さらに復興終了後も政府歳入として継続することになる。

 立地の利便性や宿舎の機能性に応じて各近隣の民間賃貸住居との格差を可能な限り縮小していったなら、税収はさらに増加する。

 2年間の時限措置でしかない国家公務員人件費平均7.8%削減とは比べものにならない財源捻出となる。

 地方公務員宿舎も国家公務員宿舎の家賃値上げに準じて値上げしたなら、地方自治体に少なからず財政に余裕を与えるはずである。

 官民格差是正は人件費のみならず、家賃格差も予定表に入れるべきである。

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評論家シーラカンス三宅久之の2006年発言女性天皇反対論の正当性

2011-11-08 11:29:07 | Weblog

 10月30日(2011年)放送、第399回目の放送――「たかじんのそこまで言って委員会 400回目前記念!8年間の名珍場面大放出SP」で過去放送の「歴代視聴率ランキング」トップテンから話題となったシーンを切り抜いて放送していた。

 その中の2006年9月10日放送で評論家の一旦は絶滅したと思われていたが、どっこい生きていたシーラカンスといった風情の三宅久之が女性天皇反対論をぶっていた。

 その主張の正当性を探って見る。

 皇太子妃雅子が愛子を出産したのは2001年12月1日。その後周囲が男子出産を心待ちしていたが、妊娠の兆候がない。小泉純一郎元首相が男子出産がない場合の女性天皇・女系天皇の可能性を探るべく、2004年12月27日に私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」を立ち上げ、2005年1月より会合を開催、同2005年11月24日は皇位継承について女性天皇・女系天皇の容認、長子優先を柱とした報告書を提出。

 そして皇太子妃雅子の男子出産を見ないまま、秋篠宮妃紀子が2006年9月6日に皇太子、秋篠宮に続いて皇位継承第3位となる待望の男子悠仁(ひさひと)を出産。男系に拘る保守派の天皇主義者たちを一安堵させたばかりか、女性天皇・女系天皇の容認に向けた皇室典範改正の動きも声もピタッと止んでしまった。

 このような時代背景を見せていた頃、番組が取り上げたテーマが「悠仁御誕生で皇室典範は?」であり、そのテーマに対するシーラカンス三宅久之の女系・女性天皇反対の主張である。テーマ提出者は皇室史、その他を専門としている所功京都産業大学法学部教授。

 最初の発言者はデーブ・スペクター。「改正すべき」派。「いつまでも相撲の土俵のようではダメ!」と書き入れている。

 デーブ・スペクター「だって、今はですね、当然男系の方が問題ないし、あの、伝統という意味では、無難で、あの、それは確かにいい面があると思うんですよ。可能だったらね。

 ただ、愛育病院(悠仁出産の病院。愛子出産は宮内庁病院)、見てくださいよ。もう最新の世界レベルの病院で、お子さんと一緒に抱っこしたり、同じ部屋入れたり、外国人の患者も一杯いるし、もう最先端いっているし、やろうとしていることは非常に今の時代じゃない。つまり――」

 三宅久之「(怒って)君は何を言おうとしてるんだね?」

 要するにデープ・スペクターは病院を例に取って科学技術が進歩した今の時代に男系だ、女系だと騒いでいるのは時代遅れでふさわしくないと言いたかったのだろう。 

 デープ・スペクター「欲張っていることを言っている」

 三宅久之「皇室典範を改正すべきか、すべきでないかなんかと愛育病院と関係があるんだということと――」

 デーブ・スペクター「それは僕の話が理解できないだけなんです。今言おうとしている話」

 三宅久之「バカな話、理解できない。人の話・・・・、黙ってろ」

 デーブ・スペクター「だって、あのね、女性が今40年、女の子ばっかり生まれてるんじゃないですか(男子皇族が40年誕生していないこと)。それでね、雅子さまが産めないからと責められてるんだけど、実際に男の子にするのは男の側なんですよ。つまり父親側なんですよ。なのに雅子さまはハーバード行ったせいかしらないけれども、こんなにバッシングされてるわけですよ。今は女性たち一杯来てるんだけど、恐らく非常に不愉快に思っていると思おうんですよ。つまり今の道義――」

 所々意味不明。

 三宅久之「道義じゃないです」

 デーブ・スペクター「あなたは平安時代の人だから、分かんないですよ。今は男女同権ですよ。男女同権――」

 三宅久之(前を向いたまま腕を組んで怒り声)「男女同権と天皇制と何の関係があるんだ?」

 ここで所功氏が登場

 所功「悠仁さまが生まれたことで、政治家の無定見・無責任と言いますか、一つの形として法案を出すところまでいきましたのに、(秋篠宮妃紀子の)お目出度報道以来、さっと引いたのみならず、今回非常に驚きましたのは、もうこれで40年安心だとか、万年解決したと言っている人がありました。

 ただ今から約50年前、自民党の憲法調査会的なところで作った憲法草案がありまして、それを見ますと、皇室典範を改正し、女性天皇を認めるものとするという案が既にできてるんですよ。

 そういう意味でもう50年前に真剣に議論し、解決しておくべきことを今日まで先送りしていて、更にこの先30年先送りしようというのは無責任と言うほかないと思います」

 三宅久之「視聴者の皆さん(と見学者に話しかける。)、お分かりだと思うけど、愛子さまが天皇になられるとですね、愛子さまは必ず結婚されるわけですよ。

 ね、その時、今のままいくとですね、それは今度は皇配(こうはい)陛下って言うだろうけど、皇配陛下っていうお婿さんをどこかか探してくるかして外国から輸入してくるわけにはいきません。やっぱ国産で、やっぱ賄わなければならない。

 そうなるとですね、渡辺君とか金子君とかね、何とか君となるわけですよ、ね。そうするとですね、その段階から、じゃあ、田中天皇になる。我々の受け取り方はね。

 そのお子さんは今度は渡辺君なら、渡辺天皇になっちゃう。つまり皇統譜(こうとうふ)というものがどんどん小さくなちゃって、天皇家の存在が一般庶民というかな、そうなってくるわけですよ。そういうときにね、今までと同じような感じで天皇家というものを見ていられるのか――」

 辛坊キャスター「そこで言うと、女系を容認している倉田さん(漫画家の倉田真由美)なんですけど、現実問題としてイメージしていただきたいんですが、愛子さまがデープの男の息子と結婚すると、ね、そこにさらにこどもが生まれて――」

 三宅久之「いくら何でも生まれないだろう」(笑いが起こる)

 当時の録画再生はここまでで、女性天皇問題とは無関係な、放送400回目を迎えるに当たっての三宅久之の感想が入る。

 三宅久之が言わんとしていることは、皇室典範改正によって容認された女性天皇が一般人と結婚して子どもを設けた場合、それが男子であろうと女子であろうと、さらに一般人と結婚して出産ししていく過程で、「皇統譜」という言葉を使っているが、要するに天皇家の血が薄まっていって、一般人の血に限りなく近づいていき、天皇家の存在自体が一般人の存在と変わらなくなる。

 「今までと同じような感じで天皇家というものを見ていいられるのか」と有難味が減ずることを心配している。

 しかし三宅久之のこの主張は天皇家の血を最上に置き、一般国民の血を遥か下に置いてそこに上下優劣の差をつけた権威主義からの血への信仰である。血、血統、血族を人間の優秀性を計る価値観としている。

 血を基準とした人間価値観である。

 だから、女性天皇の結婚相手として、渡辺君や金子君や田中君が許せない。デーブの息子と結婚するなどとはとても認めることはできない。たちあがれ日本の平沼赳夫が「愛子さまが天皇になることになって、海外留学して青い目の外人ボーイフレンドと結婚すれば、その子供が将来の天皇になる。そんなことは許されない」と言ったのは悠仁が生まれる約半年前のことであるが、三宅久之と同様にやはり天皇家の優秀な血が汚されることへの忌避感の表れからの発言であろう。

 だがである。人間の価値を決するのは血ではなく、信頼を得ることができるかどうかの人柄・人格を価値尺度とするはずである。日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である天皇に関しては、その象徴という意味に於いて特に信頼を超えた敬愛という価値観を以てして価値づけられるべき存在であるはずである。

 だが、多くの日本人が天皇家の血を基本として、その上に人柄・人格を対象とした敬愛を築いて、それを以て血抜きに人柄・人格を対象とした敬愛だと錯覚している。

 錯覚しているからこそ、三宅久之のように最終的には血を問題とする。

 このことが間違っていることは皇族の血は一切受け継がず、三宅久之が天皇家の血の遥か下に置いている平民の出である美智子皇后の存在が何よりも実体性を備えた証明とすることができる。

 彼女は血によって自身を表現しているわけではない。今上天皇に於いても同じであろう。

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平岡法相の村木事件「有罪判決を受けていないから冤罪に当たらない」は検察の問題を裁判の問題へのすり替え

2011-11-07 10:56:28 | Weblog

 平岡法相が11月4日(2011年)の閣議後の記者会見で村木事件は「冤罪に該当しない」と定義づけたという。 《岡法相 郵便不正事件無罪の村木さん「冤罪とはならない」》MSN産経/2011.11.4 12:48)

 平岡法相の記者会見に先立つ閣議。村木事件が冤罪かどうかを問う質問主意書に対する答弁書――

 答弁書「法令上の用語ではなく、政府として定義について特定の見解を有しておらず、特定の事件が冤罪か否かについても見解を有していない」

 この質問主意書はHP「衆議院-質問答弁」で調べたところ、提出日平成23年10月27日、提出者浅野貴博民主党・無所属クラブ議員、質問件名「いわゆる郵便不正事件に係る国家賠償等に関する質問主意書」以外に該当すると思える件名が存在しないから、このことだと思うが、答弁書が閣議決定を受けていながら、「質問情報」も「答弁情報」も記載に2週間程度だったと思うが、遅れがあってまだ記載されていないために新聞報道に頼らざるを得ない。

 この情報時代に情報の発信と同時に公表が同時進行を伴わないタイムラグが生じることによって情報への直接的な接触が不可能となる分、その解読・判断、いわば正確な評価自体を一定期間不可能、もしくはより困難な状態に置くことになって、情報自体の必要性の解読・判断・評価自体にもタイムラグを生じさせることになり、このことがときには必要とする行動を誤らせたり、遅れさせたりする。

 例えば東電福島第1原発事故で放射性物質を拡散予測する「緊急時迅速放射能影響予測システム」(SPEEDI)の予測結果が事故から約2週間に公表が遅れたために住民が必要とする避難行動を誤らせたのは一つの好例であって、「緊急時迅速放射能影響予測システム」(SPEEDI)が予測という情報を発信したと同時進行で公表が伴っていたなら、生じなかった避難行動の誤ちであったはずだ。

 政府答弁書は要するに「冤罪」に関して「特定の見解」を有していないために特定の事件に関しても冤罪かどうか見解を述べることができないと言っている。

 だとすると、菅谷利和氏が犯人として逮捕され、起訴・有罪となり、再審の末無罪を獲ち取った足利事件も、冤罪そのものでありながら、「冤罪か否かについても見解を有していない」ということになる。

 一方平岡法相の見解は次のようになっている。

 平岡法相(冤罪の解釈について)「答弁書の内容通り」
 
 平岡法相「法務省内部(の報告書)でも冤罪という言葉が使われている。そこでは無罪の者が有罪判決を受ける状況を指していると理解している。その意味では、村木さんは有罪判決を受けておらず、該当しない」

 前後の発言が矛盾している。「答弁書の内容通り」であるなら、「特定の事件が冤罪か否かについても見解を有していない」とすべきを、村木事件は冤罪ではないとする見解を堂々と述べている。

 但し平岡法相の解釈は足利事件と整合性を分かち合うことができる。

 有罪判決を受けていないから、村木事件は冤罪に当たらない。

 平岡法相が言っていることは検察・警察の取調を受け、お前は真犯人だ、有罪だと起訴されたとしても、有罪判決が降りなければ、冤罪ではないということになる。

 法解釈ではそうであっても、理不尽さが残る。浅野貴博議員の「いわゆる郵便不正事件に係る国家賠償等に関する質問主意書」という質問件名からすると、村木事件は冤罪だから、国家賠償に相当するのではないかといった内容でもあるのだろうか。

 但し村木氏が冤罪自体を対象としてではなく、不当な逮捕、起訴で精神的苦痛を受けたとして訴えた国家賠償請求訴訟に関しては、休職中の給与分など約3770万円について請求を認める「認諾」を表明している。

 村木事件が捜査側の証拠(=情報)から汲み取る解釈の思い込みや過誤による犯人特定であるならまだしも、重要証拠であるフロッピーディスクの作成日付を書き換える証拠(=情報)を改竄・捏造して自分たちに都合のいい証拠(=情報)に作り替え、「疑わしきは罰せず」の法的根拠となっている刑事訴訟法336条「被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない」の規定を検察段階で破って犯人に仕立て、罪に陥れようとし、それを上司も知っていた検察ぐるみの犯罪はその逆説性から言っても悪質な冤罪未遂事件に相当するはずである。

 いわば証拠(=情報)の改竄・捏造が露見して裁判で無罪が言い渡され、有罪とまでいかなかったゆえに未遂に終わった検察の冤罪ということであって、平岡法相が言うように有罪判決を受けていないから、冤罪には該当しないという裁判段階の問題とするのではなく、あくまでも検察段階の問題と把えるべきではないだろうか。

 法務省幹部(平岡法相の発言について)「法務省として冤罪を定義づけていない以上、村木さんが冤罪かどうかを判断したわけではない」

 政府答弁に即した判断を示していて、検察による冤罪未遂事件だとまで認識していない。

 もし浅野貴博議員の質問主意書が村木事件を国家賠償に相当する冤罪だとする内容のものであるなら、検察とて法務省所管の一機関であって、正義を正すその国家機関が裁判で有罪判決を受けなかったとしても、証拠(=情報)を改竄・捏造までして正義を曲げ、真犯人に仕立てたのであり、例え政府が冤罪の定義について特定の見解を有していなかったとしても、無実の者を罪に陥れる事実上の冤罪を仕組んだのである以上、国家賠償の責任を負う立場にあるはずである。

 村木氏が検察の不当な逮捕、起訴で精神的苦痛を受けたとして訴えた国家賠償請求訴訟請求を認める「認諾」を表明している整合性から言っても、冤罪未遂にも適用すべき国家賠償であろう。

 繰返し言うが、有罪判決を下さなかったという裁判の問題ではなく、あくまでも冤罪未遂事件を起こした検察の問題で扱うべきであろう

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財務省は消費税増税法が成立さえすれば、施行は野田内閣でなくてもいいとするシナリオで首相を動かしている

2011-11-06 08:55:39 | Weblog

昨日のブログ、《野田首相は未だ説明責任を果たしていない消費税の形・内容とその増税効果 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で書き残したこと。

 野田首相がフランス南部カンヌで開催のG20サミットの首脳会合で消費税に関して、「法案を通して、税率の引き上げの実施前に国民に信を問いたい」と発言したことに関して、〈だがである、法案を通して法律として制定し、その実施前(施行前)に国民に信を問うために衆院解散、総選挙、民主党が過半数の議席を獲得できればいいが、国民が野田政権・民主党政権にノーを突きつけ、政権交代が起こったとしても、消費税増税の法律――税率の引き上げは残る。

 法律は既に成立しているのだから。

 いわば消費税増税が選挙前に法律として国会で成立した場合、国民が選挙で問うのは直接的には消費税の増税自体に見えるが、そうではなく、実質的には野田政権・民主党政権自体の信任か否かのみとなる。〉と書いた。

 あとで気づいたことだが、もし野田首相が誰からの口出しでもなく、自らの判断・主導で財政再建には消費税増税は必要不可欠だと、消費税増税以外の方法はないと消費税増税を目指し、その必要性の説明責任とどういった内容・形式の消費税とするかの説明責任を十分に果たした上で、それでよいのかの国民の信を先ず問うというごく当たり前の順番を取って解散・総選挙に打って出た場合、もし総選挙にで勝利すればいいが、敗北した場合、消費税増税は当分遠のくことになる。

 野党自民党にしても、選挙結果に諸に影響する火中の栗を自分から拾おうとはしないだろう。

 勿論、参議院与野党逆転のねじれ状況が消費税増税法案の国会成立を必ずしも保証するわけではないが、国会成立を予定事項として順番を先に持って来て、国民の信を問う総選挙を後に持ってくれば、選挙で野田政権が信任を受けようが受けまいが、あるいは政権交代を可能とする大敗を民主党が喫しようが、消費税増税の法律が残りさえすればという可能性を前提とすることは国の予算・税制を扱う、いわば国家の財布を預っている財務省にとっては少なからざるメリットとなる。

 このメリットに対して野田首相の方はみなが嫌がる消費税増税の法律を成立させて日本の財政再建に道筋をつけたという(これもそう簡単なことではなく、当てにならないことだが)名を残すことができても、政権担当という実(じつ)を捨てる交換条件となりかねない、かなり危険性を抱えたメリット――どちらかと言うと、デメリットを前方展開しなければならないことになる。

 「民主党政策集INDEX2009」でも、「引き上げ幅や使途を明らかにして国民の審判を受け、具体化します」と謳っているごく常識的な順番を無視した、無視ゆえに実質性を損なうより危険性を抱えることになるメリットへの挑戦である。

 この両者のメリット関係を比較した場合、財務省の目的は消費税の増税そのものであって、増税さえ果たしさえすれば、法律の施行はどの内閣であっても、どこの政党の政権であってもいいということになり、このことから窺うことのできる情報は野田首相が言っている「法案を通して、税率の引き上げの実施前に国民に信を問」うという国会成立を予定事項とした順番の設定は野田首相自身のシナリオと言うよりも、財務省のシナリオと見た方がメリットの差引き勘定という点で理解可能となる。

 野田首相が例え財務省のシナリオに乗っかって消費税増税の実現に動いていたとしても、昨日のブログに書き、民主党のマニフェストに「引き上げ幅や使途を明らかにして国民の審判を受け」と謳っているように、どのような内容・形の消費税増税とするかの説明責任を果たすことを何よりも最初の順番・手続きとすべきだろう。

 このことはG20の首脳会議で、「2010年代半ばまでに段階的に消費税率を10%まで引き上げます」と国際公約する前に果たさなければならない責任説明であるはずだ。直接的には日本国および日本国民を対象とした増税措置であるからなのは断るまでもない。

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野田首相は未だ説明責任を果たしていない消費税の形・内容とその増税効果

2011-11-05 12:21:28 | Weblog

 我が日本のホープ、野田首相が日本時間11月(2011年)3日夜からフランス南部のカンヌで開催のG20サミットにアジアの偉大な指導者として大歓迎で迎えられ、出席、尤も米誌評価の「世界で最も影響力のある人物70人」中62位と人物を見る目のない不本意な誹謗、「まだ就任してから2ヶ月しか経っていないっちゅうのっ!」の見当違いなのか、先の先までの先見性を持った確信的判断なのかは分からないが、安全運転ながら世界の指導者の中で精神的にも立ち位置の点でも常に中央に位置する存在感を輝かせつつ、「2010年代半ばまでに消費税率を段階的に10%まで引き上げる」と自信たっぷりの大見得を切った。

 そして日本時間4日早朝、カンヌ市内で同行記者団と懇談。《“消費税引き上げ実施前に総選挙”》NHK NEWS WEB/2011年11月4日 8時23分)

 消費税率の引き上げを巡って、自民・公明両党が必要な法案を来年の通常国会に提出する前に衆議院の解散・総選挙を行うよう求めていることに関連して――

 野田首相「法案を通して、税率の引き上げの実施前に国民に信を問いたい」

 記事の解説によると、〈消費税率の引き上げに必要な法案を来年の通常国会で成立させたうえで、引き上げを実施する前に衆議院の解散・総選挙を行う考え〉を示した発言だという。

 先に法案を通して法律として世に出してから、これでよろしいですかと国民に問うのが正しいのか、法律として世に出す前に消費税の増税自体を国民に問うのが正しいのかの問題がここで生じることになる。

 岸田文雄自民党国対委員長(11月4日の記者会見)「順番が全く逆なのではないか。国民の声を聴くことの方が法律を成立させるより先ではないか」(MSN産経

 対して閣僚の見解。《「既定方針」「公約違反ではない」=首相の消費税発言に閣僚》時事ドットコム/2011/11/04-13:05)

 11月4日閣議後の記者会見。

 藤村修官房長官「(消費税率引き上げの)実施は先だ。実施の前に信を問うということはずっと言い続けている」

 この「実施の前に」とは、「消費税増税の法律を成立させて施行前に」という意味である。果たして「ずっと言い続けて」きた約束なのだろうか。

 細野原発事故担当相「マニフェストに違反しているとは思わない」

 一川防衛相「リーダーとして、国民にそういう姿勢で臨みたいということだろう」

 蓮舫行政刷新担当相「現時点でそういう発言をされるのはごく自然なことだ」

 「ごく自然なこと」で、何ら間違っていないと言っている。

 だがである、法案を通して法律として制定し、その実施前(施行前)に国民に信を問うために衆院解散、総選挙、民主党が過半数の議席を獲得できればいいが、国民が野田政権・民主党政権にノーを突きつけ、政権交代が起こったとしても、消費税増税の法律――税率の引き上げは残る。

 法律は既に成立しているのだから。

 いわば消費税増税が選挙前に法律として国会で成立した場合、国民が選挙で問うのは直接的には消費税の増税自体に見えるが、そうではなく、実質的には野田政権・民主党政権自体の信任か否かのみとなる。

 安全運転を言いながら、なかなかの巧妙・狡猾さである。

 巧妙・狡猾さはこれだけで終わらない。藤村官房長官が11月4日の閣議後会見で2012年度予算案は将来の消費増税分を財源に織り込んだ編成になるとの見通しを示したと《消費増税分、来年度予算編成に織り込み 官房長官見通し》asahi.com/2011年11月4日12時4分)が伝えている。

 増税しないうちから、その増税分を計算に入れて、予算を組む。給料が上がらないうちに昇給分であれを買おう、これを買おうと計算するようなものである。

 何と早手回しな予定表なのだろうか。巧妙・狡猾にも裏で着々と準備を進めてきた。

 〈野党側が求める衆院解散・総選挙の時期に影響を与える可能性もある。〉と記事は解説、

 3年続けて埋蔵金を充ててきた、2009年度に3分の1から2分の1に引き上げた基礎年金の国庫負担分に充てる方針だという。

 消費税増税分は国民に還元されるという理屈は成り立つ。

 藤村官房長官て「年度内に(消費増税の)法案をきちんと出して、成立させるのに全力をあげる」

 細野氏は「マニフェストに違反しているとは思わない」と言い、一川氏は「リーダーとして、国民にそういう姿勢で臨みたいということだろう」と言い、蓮舫女史は「現時点でそういう発言をされるのはごく自然なことだ」と言って、正しいことだとしている。

 しかし2009民主党マニフェストを詳しく解説した政策集を仔細に見てみると、何度か当ブログに利用したが、些か怪しくなる。

 《民主党政策集INDEX2009》
 
消費税改革の推進

消費税に対する国民の信頼を得るために、その税収を決して財政赤字の穴埋めには使わないということを約束した上で、国民に確実に還元することになる社会保障以外に充てないことを法律上も会計上も明確にします。

具体的には、現行の税率5%を維持し、税収全額相当分を年金財源に充当します。将来的には、すべての国民に対して一定程度の年金を保障する「最低保障年金」や国民皆保険を担保する「医療費」など、最低限のセーフティネットを確実に提供するための財源とします。

税率については、社会保障目的税化やその使途である基礎的社会保障制度の抜本的な改革が検討の前提となります。その上で、引き上げ幅や使途を明らかにして国民の審判を受け、具体化します。

インボイス制度(仕入税額控除の際に税額を明示した請求書等の保存を求める制度)を早急に導入することにより、消費者の負担した消費税が適正に国庫に納税されるようにします。

逆進性対策のため、将来的には「給付付き消費税額控除」を導入します。これは、家計調査などの客観的な統計に基づき、年間の基礎的な消費支出にかかる消費税相当額を一律に税額控除し、控除しきれない部分については給付をするものです。これにより消費税の公平性を維持し、かつ税率をできるだけ低く抑えながら、最低限の生活にかかる消費税については実質的に免除することができるようになります。

 「現行の税率5%を維持」するとは、マニフェストは4年間の公約だから、4年間は「現行の税率5%を維持」するとの約束となる。

 これはきっと守るだろう。

 消費税を増税する場合の「税率については、社会保障目的税化やその使途である基礎的社会保障制度の抜本的な改革が検討の前提となります」云々は、「基礎的社会保障制度の抜本的な改革」を税率「検討の前提」とするということであり、逆説するまでもなく、「基礎的社会保障制度の抜本的な改革」なくして、消費税増税はあり得ないということでなければならない。

 だが、社会保障給付費が年々増加の一途を辿って平成19年度は94兆848億円の過去最高を更新したという状況は消費税増税で得た税収を例え「社会保障以外に充てない」と約束したことを守ったとしても、増税がいつかは追いつかなくなる一時凌ぎでしかなく、再び増税して一時凌ぎを繰返さなければならないという状況を言うはずであり、その原因は特に年金問題に現れているが、「基礎的社会保障制度の抜本的な改革」に効果ある方策を打ち出し得ず、社会保障給付費が年々増加の一途を辿る状況を放置してきたからだろう。

 「前提」「前提」とするためには、「基礎的社会保障制度の抜本的な改革」を実効性ある形で具体的に成し遂げてからの消費税増税としなければならないはずだが、この点に於いてマニフェスト違反となる消費税増税と言うことができ、細野氏やその他が言っていることは詭弁に過ぎないことになる。

 このように見てくると、もはやマニフェスト違反云々よりも、「基礎的社会保障制度の抜本的な改革」がなければ、際限もない消費税増税の泥沼に陥る危険性の方がより大きな問題となる。

 野田首相自身も自分の言葉で消費税増税に前提条件をつけている。一度ブログに書いたが、8月29日(2011年)の民主党両院議員総会で行った民主党代表選の立候補者演説のときのことである。多分、他の機会にも発言しているはずである。

 野田首相は「それでも、どうしてもおカネが足りないときには、国民にご負担をお願いすることがあるかもしれません」と消費税増税も含めてだろう、増税の前提として、「議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減」と行政改革の達成を約束した。

 向こう3年間に亘って公務員人件費を平均7.8%削減する臨時特例法案を既に国会に提出しているが、議員定数の削減と公務員定数の削減は手つかずであり、手つかずの状態のまま「法案を通して、税率の引き上げの実施前に国民に信を問いたい」と言っている。

 自分の言ったことに反する約束違反そのものであろう。

 だが、何よりも問題なのは「逆進性対策のため、将来的には『給付付き消費税額控除』を導入します」と謳っていることである。

 これこれこのような内容の消費税にしますという宣言である。

 だが、野田首相はどのような内容の消費税にするのかの説明は一切無く、G20で国際公約したように「2010年代半ばまでに段階的に消費税率を10%まで引き上げる」の一点張りである。

 菅首相は2010年7月参院選挙前に2010参院セマニフェスト発表記者会見で内容を詰めもせずに不用意に消費税増税を打ち出して支持率が急激に下がると、参院選挙遊説先でどういう内容の消費税にするか発言している。

 菅首相「年収が300万円とか350万円以下の人は、かかった消費税分は全額還付をするというやり方もある。あるいは食料品などの税率は低いままにしておくというやり方もある」――

 具体的に詰めもせずに思いつきのように提示しただけだから、支持率のなお一層の低下に役立ったのみであったが、要するに中低所得層に対して全額税還付方式、あるいは食料品などの生活必需品は税率据え置きの軽減税率方式を打ち出した。
 
 野田首相にもあって然るべき内容提示であり、説明であろう。「全額税還付方式」もない、「軽減税率方式」もない、マニフェストに謳った「年間の基礎的な消費支出にかかる消費税相当額を一律に税額控除し、控除しきれない部分については給付をする」〉「給付付き消費税額控除方式」もないということなら、無いことを説明する責任を負っているはずである。

 「従来どおり、税率を上げた分、一律に負担して貰います」と。

 いわば、「法案を通して、税率の引き上げの実施前に国民に信を問いたい」の順番よりも、先ず為すべきは新たに増税する消費税はこういう内容にします、こういう形にしますと提示し、増税によってどのくらいの税収となるか、社会保障関係の財源に回したとしても、そこで浮いた既存予算がどう使われることで、どう財政再建に役立つか、さらに日本の経済に及ぼす影響、特に中低所得層の生活にどのような影響を与えるのかの懇切丁寧な説明であろう。

 このことを要約すると、中長期的に消費税増税でどのくらい国民生活を満足させることができるのかの提示・説明ということになる。

 もしこの提示・説明ができないということなら、具体的全体像を描かずに単に税収アップのための消費税増税ありきということになる。

 野田首相は何ら説明責任を果たさないままに消費税増税の話をしている。安全運転ということは自己保身のために説明責任から逃げることを言うのだろうか。 

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NHKアナウンサー小野文惠のジャーナリストはそうであってはならない無邪気さ

2011-11-04 10:19:43 | Weblog

 NHKのアナウンサーである小野文惠をジャーナリストの範疇に入るかどうかは意見が分かれるだろうが、「Wikipedia」には「ジャーナリスト(journalist)とは、新聞、雑誌など、あらゆるメディアに記事や素材を提供する人、または職業」と書いてある。いわば取材等を通じて自身がつくり上げた情報の提供者のことを言うことになる。

 だとすると、NHK「週刊ニュース深読み」で務めている役目は司会の立場であっても、政治問題や社会問題を扱っている番組である以上、テーマとしている問題に関して前以て自分なりに学習し、解釈していた情報を他の出演者に提供する場合もあるだろうから、多少はジャーナリストの側面は有していると思う。

 少なくともジャーナリズム活動には携わっていると言えるはずだ。

 10月29日(2011年)土曜日放送のNHK「週刊ニュース深読み『どうなるの?わたしたちの“年金”』」で年金受給年齢の65歳から68歳引き上げについても議論していた。

 山田五郎(評論家)「定年から年金を貰うまでの間に空白期間が生じる。結局雇用延長ということになる。ただでさえ少ない若者の雇用が圧迫される」

 山憲之(年金シニアプラン総合研究機構研究主幹・65歳)「支給開始年齢を引き上げていっても、今68歳だって言ってるんです、68歳まで自分は年金が貰えないと言う方が、殆どの人が思っているわけですよ。

 で、実際違うんですよ、60歳から年金貰いたい人には年金差し上げますよっていう別の仕掛けが用意され――」 

 小野文惠「振り分け・・・方式?」

 山憲之「ええ。今もですね、65歳なんですけど、実際、60歳から手を上げれば、60歳からあなたに上げますよっていう制度になってるんですよ」

 竹田忠NHK解説委員「年金額は少なくなります。・・・・・(あとは声が小さくなって聞こえない)」

 早い時期からの支給を受けた場合、月々の受取り額は少なくなっても、総額は変わらないはず。このことを高山氏が解説する。

 山憲之「一生の間に貰う年金額、65歳から貰う年金額、総額を60歳から貰ったときに総額で同じにするんだったら、どのくらいがいいかって言ったら、受給期間が長くなりますから、少し我慢して減らしますよっていう発想で、何歳から貰っても、一生の間に貰う年金は同じですという発想で、60歳からの支給を認めているわけです。

 だから、68歳に引き上げても、60歳から実は年金を貰いたい人には差し上げますよっていう制度は残るんですよ」

 何と回りくどい言い方となっていることか。納付した年金保険料に応じて年金支給金額の総額は決まるから、早くから支給を受けると月々の支給額は減るが、総額には変わりはないために希望者には60歳から支給も認める制度となっていると言えば済むことを長々と解説している。但し長生きが前提となる。68歳まで支給を我慢して、69歳で死んでしまったなら、何にもならない。その恐れがあるから、人情として多くが早めに支給を受けようとする。健康を力強い命の保証としていても、いつ見舞うとも不確定な事故や自然災害や予想外の突発的な身体の変調が命の保証とする健康をいとも簡単に否定してしまう。

 但し何歳から支給を受けたとしても総額を保証する制度は少子高齢化の進行によって1人当たりの高齢者を支える若者の負担を逆に増やすという現象を当然とする問題が残る。しかも現役世代の受給額が将来減っていく場合、負担の格差みならず、若者と現在の受給者との間の受給金額の格差が問題として残る。

 この議論があってから、その続きとして高山氏が再度発言する。 

 山憲之「今日本はデフレで、実は賃金が下がっているんですよ。で、去年で言いますと、大体男子の賃金は手取りで言いますと2.2%下がっている。その前の年はリーマンショックで下がってる。実は3.5%下がってる。現役で、汗水垂らして頑張ってる人たちが手取りの収入を減らしてるんですよ。

 ところが年金制度は特別な措置で年金は下がらないってやってるわけですよ。で、おカネを出しているのは若い人達で、若い人たちの月給は実は減ってるんですよ。

 で、若い人達は可哀相だ、先程のインタビューの中でもおっしゃっていた人もいましたけれども、自分のことを考えるのではなく、是非自分のこと以外のことも考えて欲しいなって言うのが私のお願いです」

 小野文惠「高山さん、実は自分の年金を返納してらっしゃるんですって」

 感心した顔で他の出演者に向かって言う。

 山憲之「いや、返納ではありません。私はあの、65歳で、まあ、月給稼いでいるもんですから、年金を受給していないっていうだけであって――」

 竹田忠NHK解説委員「元から貰っていない」

 山憲之「ええ、貰っていない」

 小野文惠「受け取っていないようにしている・・・・」

 山憲之「そういうことです」

 小野文惠女史は高山氏が若者の収入が減っている、そのことに反して負担が増えていると同情した上に、「自分のことを考えるのではなく、是非自分のこと以外のことも考えて欲しいなって言うのが私のお願いです」などと利己主義とは正反対の利他主義なことを言ったものだから、単なる年金の受給の先延ばしを返納と思い込んで、欲のないことだと感心した顔になったのだろう。

 だが、高山氏から提供された情報(もし高山氏以外からだったなら、最初にその事実を高山に確かめなければならない)を返納と間違える情報解釈はジャーナリストの一員として、少なくともジャーナリズム活動に司会者として関わっている人間として許されない無邪気さと言わなければならない。

 現在のところ年金の支給の総額は早く支給を受けようと遅く受けようとも支払った年金保険料に応じて決まっている。違う点は所得税の点である。Wikipediaで経歴を調べると、東大を卒業し、財団法人年金シニアプラン総合研究機構研究主幹以外に一橋大学名誉教授兼特任教授の任に就いている。

 合わせた報酬額は相当な金額に達するに違いない。

 現職の前は大学助教授や教授を歴任している。当然、年金額も相当な金額に達するはずである。現在の相当な年収に加えて相当な金額となる年金を受給した場合の総収入に対する所得税は馬鹿にならない税金額となるだろう。

 もし年金を遅い年齢から受給したとしても総額が変わらないとしたら、年金を受給するまで所得税を減らすことができる上に月々の年金受給額を増やして受け取ることができる。

 もしすべての仕事をリタイアしてから年金を受給した場合、所得税は年金額のみの対象とすることができる。

 受給年齢の操作に応じて所得税の一定程度を浮かすことができるというわけである。

 こう疑ってかかると、「自分のことを考えるのではなく、是非自分のこと以外のことも考えて欲しいなって言うのが私のお願いです」は違った正体を現すことになって、小野文惠女史が利己主義ではなく利他主義と勘違いした姿は利他主義から利己主義へと変貌することになる。

 少なくとも高山氏は年金を受給しているよりも少ない所得税で済ませていることだけは疑いもない事実とすることができる。

 最後に政府が法律で年金受給年齢を68歳に引き上げたとしても、希望者は60歳から受給できるなら、定年を最低65歳までだときっちりと定めて企業が忠実に従わなければ、年金受給68歳は殆ど有名無実となる。

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TPP参加・不参加に関わらず、一度日本の農業を清算すべきではないのか

2011-11-03 12:08:59 | Weblog

 日本の農業従事者の平均年齢は65歳。農業従事者数は約300万人で、日本の人口の3%未満。うち米専業農家(稲作農家)は2005年に於いて全農家の69%に当たる196万戸(全農家の69%)。

 その196万戸の稲作農家のために専業農家であろうと兼業農家であろうと全農家を対象に戸別補償で保護し、1キロ当たり341円の高い関税をかけて外国の安いコメから保護し、高いコメを残る1億2000万人近い国民に買わせている。

 この341円の関税は793%に相当するとテレビで言っていた。

 793%もの高い関税をかけないと守ることができない日本のコメとは国際標準から見て高過ぎるであって、日本農業が高価格体質となっているからなのは断るまでもないはずだ。

 なぜこうも高くなったのだろう。歴代自民党が農村を選挙の票田としていたために1995年(平成7年)に廃止された食糧管理法に則って稲作農家が都市労働者と同程度の収入となるよう、政府買入価格を設定、米価を下支えしてきた伝統的政策が稲作農家の農業の集約化・大規模化を遅らせ、コストの掛かる小規模経営に甘んじさせてきた一つの要因となっていたはずだ。

 《耕作放棄地の現状と課題》(農林水産省/平成20年7月1日)の記事に次のような記述がある。 

 平成17年 耕作放棄地面積

 (総農家)    ――22.3万ヘクタール
 (土地持ち非農家)――16.3万ヘクタール

 耕作放棄の発生要因

 高齢化等により労働力が不足――地域別平均45%
 生産性が低い       ――12.8%
 農地の受け手がいない   ――11.4%
 土地条件が悪い      ――9.8%
 離農           ――6.5%
     ・・・・
 相続による農地の分散化  ――2.9%・・・・

 「地域別平均」とは都市的農業地域・平地農業地域・中間農業地域・山間農業地域、それぞれ統計を取った合計の平均値である。

 いわば高齢化等による労働力不足を主原因として耕作放棄が生じている。

 2009年の高齢農業就業者の就業形態を見てみる。《高齢農業者の活動状況》(農林水産相HP)
  
 65歳以上――6割

 「自分1人で行っている」
 65~69歳12.7%
 70~74歳10.7%
 75歳以上10.2%

 「自分が中心となって行っている」
 65~69歳61.1%
 70~74歳54.8%
 75歳以上39.8%

 「自分は補助で、息子や嫁、配偶者の補助をしている」
 65~69歳17.6%
 70~74歳25.8%
 75歳以上31.6%

 全体的には後継者不足と言うよりも、後継者不在を物語っていないだろうか。

 一方、稲作農家での稲作付面積はどのくらいなのだろうか。《稲作に対する戸別所得補償政策の課題》

 2005年に於ける稲作農家での稲作付面積

 1戸当たりの平均稲作付面積――0.87ha
 0.5ha未満――57.4%
 1.0ha未満――80.8%
 3.0ha以上――3.4%

 また、《農業の現状と課題》には次のような記述がある。  

 〈1960年から今日までGDPに占める農業の割合は9%から1%に減少した。一方、65歳以上の高齢農業者の比率は1割から6割へ上昇した。専業農家は34.3%から19.5%へ減少し,第2種兼業農家は32.1%から67.1%へと大きく増加した。53年まで国際価格より低かった米は800%の関税で保護されるなど国際競争力は著しく低下した。食料自給率も79%から40%に低下した。〉・・・・・

 テレビで言っていたことだが、「兼業農家の割合7割のうち、農業よりも収入が多い家庭は8割」だと。

 他のHPの記述だが、「数年前のデータでは稲作兼業農家年間所得は800万円」だというのがある。

 10月29日(2011年)放送のNHK「週刊ニュース深読み」で出演者が次のようなフリップを示していた。

●35歳未満の若者の雇用状況

 無職    ――約200万人
 非正規労働者――約400万人

●2003年 高齢者の貧困率――22%
     実質的な年間所得117万円未満

 《非正規雇用の拡大が意味するもの》によると、「正社員の平均年収(2005年)454万円に対してパートタイム労働者111万円、派遣社員204万円、契約社員・嘱託250万円」となっている。

 一昨日だったか、当ブログに書いたが、10月30日日曜日の朝日テレビ「報道ステーションSUNDAY」でのTPP参加派古賀茂明氏の発言。

 古賀茂明元改革派経産官僚「私は、あのー、消費者の立場に立ってみるとですね、とにかく今、何だかよく分からないんですが、例えばワーキングプアでね、一生懸命働いている、年収200万しかないなんていう人がたくさんいるんですよ。

 で、そういう人たちは可哀相だって、何か貰えるわけじゃないんです。だけど、農家は可哀相だからとゆって、関税を物凄く高くしてね、ものすごい高いコメを買わされていてですね、ものすごーく高い小麦を買わされ、ま、小麦は買わないけど、パンを買わされ牛乳も高い。

 で、もうギリギリの生活をしてるんですよ。で、えー、今度ね、交渉をするっていうと、その関税をね、下げるのは困るって言うと、我々から見れば、下げてくださいと。とにかく下げてくれないと、もう生活できませんよと。

 で、しかもそこでね、またたかーい物を買わされて、払った消費税の一部が、またね、戸別所得補償で、しかも強い農家も弱い農家もね、一緒くたになって、えー、兼業農家でね、あのー、ちょっと片手間にやってるなんていう人でも、おカネ、配っちゃうわけでしょ。

 で、それはね、もう続かんですよ。もうおカネないんですから、我々は。あのー政府は。

 で、それをね、ずうっと続けてくれって。で、もう、今始めるという段階で、始めたら、もうこれだけ、じゃあ、これだけカネを寄こせみたいな話になってるでしょ?

 で、先ず、関税も下げて、安くして貰って。そうすると、今だって、あの、(米60kg当たり)1万3千円とか言ってますけど、6500円で作れる農家も一杯いるんですよ。だから、そういう農家を育ててもらって、で、どうしても守んなきゃいけないところについては税金でやってほしいんですね。税金だったら、ワーキングプアの人たち、そんなにたくさん払わなくてもいいですよ。お金持ちが払えばいいんだから。

 で、ちゃんと目に見える形で、そういうね、どうやって農業を強くするとか、ちゃんとやって欲しいんだけど、反対する人たちは、そういうことを全然言わないですよね」――

 一方で大勢のワーキングプアを抱えながら、一方で農業の再生を名目にしているが、再生は口先だけで終わっている、単に政府の過保護に対する依存体質を助長するだけの補助金を出す。

 その結果としてのいつまでも競争力をつけることができない日本の脆弱な農業ということであろう。

 確かに自民党政権の選挙利害からの農業過保護が日本の農業のコスト体質を脆弱なまま推移させることとなった面もあるだろう。前のところで、〈歴代自民党が農村を選挙の票田としていたために1995年(平成7年)に廃止された食糧管理法に則って稲作農家が都市労働者と同程度の収入となるよう、政府買入価格を設定、米価を下支えしてきたことが稲作農家の農業の集約化・大規模化を遅らせ、コストの掛かる小規模経営に甘んじさせる一つの要因となっていたはずだ。〉と書いたが、もう一つの大きな要因として、農家自体が「先祖代々受け継いできた土地」だと自身の農地を誰の侵害も許さない聖地としたことが農地の集約化・大規模化を遅らせ、前近代的な農業経営に推移させたことを挙げることができるのではないだろうか。

 自分の土地であることを証明する畦道の管理にエネルギーを費やしたことが、農業の集約化・大規模化への意識を芽生えさせる阻害要因として作用し、農業の機械化時代を迎えても、共同で大型機械を買えばコストを下げることができるのに畦道が農家ごとに機械を買わせ、却ってコストを高くする農業へと進むこととなった。

 先祖代々の農地を守ることは政府の手厚い補助を受けて自分の農業を助けたとしても、日本の農業を守ることにはならなかったことは現状が証明している。

 政府の補助金政策が日本の農業を守り、その高コスト体質を磐石のものとした。

 後継者のいない、高齢者が細々と経営する零細小規模農家、あるいは集約化・大規模化が向かない山間部等の農地、非高齢者経営の農業であっても、自立できない農家は農家自体の自給自足農業に特化させるか、転業・廃業を勧奨するかの“清算”をあ政府支援の元行わせて、政府が補助する農業の対象から外し、集約化・大規模化を認める農家のみを政府が補助する農業の対象に入れて、集約化・大規模化に向かわせ、それを果たすことができたなら、経営体質も強化できて、政府の補助も少なく持っていけるのではないだろうか。

 そのためにはコメの自給率に拘るよりも、先ずは国際競争力を確保できるコストダウンを目指すべきだと思うが。

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年金問題を含めた社会保障給付費圧縮は根本的な原因療法に目を向けるとき

2011-11-02 12:54:27 | Weblog

 2010年11月21日の当ブログ記事――《社会保障費圧縮のための全国民対象の健康履歴導入を - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》の冒頭、次のように書いた。

 〈平成20年度に年金、医療、福祉等で支払われた社会保障給付費が過去最高を更新したと11月12日(2010年)の報道が伝えていた。《社会保障給付費 過去最高を更新》NHK/2010年11月12日 16時49分)

 前年の平成19年度も過去最高で、2兆6500億円余りの増加、率にして+3%近く、94兆848億円と記録を伸ばしている。この約2兆6500億円の増加は消費税1%分の税収が約2兆円だそうだから、1%税収以上の負担となる。

 尤もこの過去最高の更新は毎年過去最高の更新を繰返していて、その流れを受け継いだ過去最高だというから、今後とも過去最高の更新が年々繰返されていく傾向を示すことになる。

 世代別では当然と言うべきか、平成20年度分94兆848億円のうち、高齢者への支払いが全体の7割近くを占める65兆3597億円と圧倒的金額となっている。

 当然このことは部門別統計を見ても、高齢者がより関与する年金、医療、介護の分野の社会保障給付費にも現れることにる。
 
▽年金――49兆5443億円(全体の半分以上)
▽医療――29兆6117億円
▽介護や失業給付などを含む「福祉その他」――14兆9289億円

 国立社会保障・人口問題研究所「今回の社会保障給付費の伸びは高齢化の進展に加え、雇用情勢の悪化によって、失業給付を受ける人が増えたことも要因だ」〉云々と。――

 2010年11月12日から約1年後の2011年10月28日の同じ「NHK」記事は平成21年度もご多分に漏れず、毎年過去最高の更新を繰返す慣例化した状況を伝えている。

 尤も不況の影響から雇用情勢が悪化、失業給付金受給者の急増も追い打ちをかけた“更新”らしい。

 《社会保障給付費 過去最高に》NHK NEWS WEB/2011年10月28日 17時5分)

平成21年度社会保障給付費

年金   ――51兆7246億円(平成20年度49兆5443億円)
医療   ――30兆8447億円(平成20年度29兆6117億円)
福祉その他――17兆2814億円(平成20年度14兆9289億円)

 合計――99兆8507億円(過去最高)(平成20年度+5兆7659億円)

 合計額は+6.1%の伸びと書いてある。

 以下――
●伸び率は平成8年度以降で最高。
●国民1人当たりの給付額――78万3100円(平成20年度+4万6300円)
●高齢者への支払い額――68兆6422億円(平成20年度65兆3597億円)

 高齢者への支払い額は(平成20年度+5%。全体の69%。)

 高齢者の独壇場となっている。

 社会保障給付費全体額99兆8507億円-高齢者支払い額68兆6422億円=高齢者以外の給付費31兆2085億円。

 社会保障給付費が毎年“過去最高”を繰返す状況とは、高齢者が増える高齢化による年金受給者の増加と身体劣化からの治療患者や介護被支援者の増加が主たる要因となっている状況であろう。

 そこで厚労省は新たな手を打とうとした。報道番組が軒並み取り上げている年金受給年齢の引き上である。現在60歳の厚生年金支給開始年齢を男性は2025年までに、女性は2030年までに60歳から65歳までに引上げる現在の予定表を前倒しして、68歳から70歳程度への引き上げを検討するということと、高額年金受給者の基礎年金の減額である。

 高額年金受給者の基礎年金の減額は全体に関係しないゆえに難しい問題とは言えないが、厚労相は来年予定していた年齢引き上げ法案の国会提出を断念した。

 小宮山厚労相「来年度は法案提出しない。中長期的にはいろいろな仮定を置いて検討しなければならない」(毎日jp

 「いろいろな仮定」とは受給年齢引き上げだけでは解決できない諸問題を仮定しなければならないことを指すのだろう。68歳~70歳までの定年延長を主たる手段とした高齢者の雇用の確保の解決との一体化と、一体化による人件費の高止まりと若者の新規雇用への圧迫等、色々と「仮定」しなければならない問題が横たわっている。

 だが、早急には解決できない難問題ということで来年予定していた法案提出を断念した。

 厚労省の調査では希望定年年齢が65歳の企業は半数にとどまっていると、2011年10月13日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。大企業に務めていて、たくさんの給与を貰い、預貯金もたっぷりという勤労者は定年60歳であっても、68歳~70歳までの8~10年程度は収入がなくても悠々自適の生活を送ることができるかもしれないが、2006年の企業の割合は大企業0.3%、中企業12.7.0%、小企業87.0%となっていて、中小企業合わせた99.7%のうちの大半の勤労者は年金受給年齢と定年を限りなく近づけて貰わなけれ、生活そのものが成り立たないケースが生じる恐れがある。

 希望者全員が例外なく65歳定年を獲得できるよう、厚労省は高年齢者雇用安定法の改正を検討しているというが、果たしてこの不景気状況下で企業側が定年延長することによる人件費の高止まりと雇用者の入れ替わりが抑制されることからの若者の新規雇用の阻害化を問題外とするだろうか。

 若者の採用は人件費の抑制という面もあるはずである。小宮山厚労相が言っていた「いろいろな仮定」は定年延長を課題とするのみでは片付かない「仮定」であるはずだ。

 以上の経緯を見ると、厚労省は社会保障給付費の年々繰返される過去最高となる更新に関して増税や支給開始年齢の変更等を手段として減額することは考えても、国民の社会保障給付に対する初期的な必要性の抑制には手をこまねいてきたことを示しているはずだ。

 いわば泥縄式の制度維持となっている。例えば病気になって病院で診療を受け、社会保障費の一部負担を受けるという、その必要性を病気にかからないように仕向けて初期的段階で抑制すべきを、そのような原因療法を機能させることができていないことからの泥縄式であるはずだ。

 もう一つ例を挙げると、現在の年金制度の揺らぎは人口の少子高齢化によって年金制度を支える現役世代の減少が主たる原因であるが、政府は少子高齢化の阻止の原因療法となる有効な解決方法を見い出すことができないできた。

 前々から根本的な解決方法として出生率の向上とは別に外国人労働者の移入の進言を日本人優越意識から無視してきた。外国人の日本国籍取得でも、一昔前は色々と手続きを面倒にして、国籍取得を諦めさせ、可能な限り日本民族の純粋性を守ろうとしてきた。

 いわば原因療法に向き合おうとせず、殆どが泥縄式の対処療法でその場凌ぎの手直しで誤魔化し誤魔化しやってきた。外国人看護師や介護士の受入れを行なっているものの、日本語の難しい試験を課すことで、合格して実際に仕事に従事する外国人は少数にとどまっている。

 看護師不足や介護士不足を理由とするだけではなく、少子高齢化を解消する原因療法を目的の一つに入れた外国人受入れでなければならないはずだ。

 2006年9月17日の当ブログ記事――《『ニッポン情報解読』:少子化で赤紙時代到来?》に少子高齢化と外国人受け入れによる労働人口不足のクリアとそのことが有効に機能しない自民族優越意識からの日本人の閉鎖性について新聞記事を頼りに書いた。

 いよいよ壁にぶち当たったということなのだろう、前原誠司民主党政調会長が10月31日夜の名古屋市内でのホテルの講演で外国人労働者の受入れ拡大を発言している。《前原氏、外国人労働者受け入れ拡大検討》 

 前原誠司(外国人労働者の受け入れについて)「将来拡大するのかどうかについても国民的な議論で考えていかないといけない。人口も減って経済活動が縮小していく中で本当に借金を返せますかということも考えなければならない」 

 このように望んだとしても、日本人が外国人に対して現在かなり薄れているとは言うものの、日本人優越意識を捨てて、対等な人間関係意識を当たり前の意識としなければ、思うようには外国人労働者受入れは進まないに違いない。

 外国人受入と併行させて、この記事の冒頭に紹介した当ブログ記事――《社会保障費圧縮のための全国民対象の健康履歴導入を - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いてあるように生後1~3ヶ月の乳幼児健診に始まって、幼稚園での健康診断、小中高の健康診断と社会人となった場合の会社による健康診断、失業者であっても、毎年健康診断を義務付け、死亡するまでの健康診断値を「国民総背番号制」を導入して国が各個人の“健康履歴”として管理し、不摂生からの病気・ケガに対しては自己責任として診療費の自己負担を増やすことしたなら、分別がつく頃から自然と健康維持に気をつけ、親も子どもに対してばかりか自身に対しても気をつけることになり、医療費の増加の抑制に役立つばかりか、介護予備軍の抑制にもつながるはずである。

 政府は2006年(平成18年)4月改正介護保険法の一環として介護予防を市町村を実施主体として開始し、5年以上が経過するが、平成21年度(2009年度)の介護対策費は71,162億円で、対前年度伸び率は6.7%であるから、介護予防が殆ど効果を出していないことの証明にしかならないということだけではなく、役に立っていない泥縄式の対処療法にしかなっていないことの証明でもあろう。

 “健康履歴”が役に立つかどうか分からないが、少なくともそろそろ原因療法に目を向けるときがきているはずである。

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野田首相の小淵優子議員の父親の小淵元首相と比較した政治姿勢代表質問に対する面白味のない無難な答弁

2011-11-01 11:24:59 | Weblog

 昨日(2011年10月31日)の野田首相の所信表明演説に対する各党の衆院代表質問とその答弁をNHKのテレビ中継で聞きながら、集中力をなくした頭で四苦八苦しながらブログ記事を書いていたところ、小渕優子自民党議員の質問そのものは聞き漏らしてしまったが、野田首相の答弁から小渕議員が彼女の父親の小渕恵三元首相と野田首相が似ているとマスコミが報じた点を取り上げて、その政治姿勢に天地程の差があると些か挑発的な質問の矢を放ったことを知った。

 野田首相の答弁は面白味も何もない無難な答弁で、これも安全運転のうちに入る発言かもしれないが、他の答えようがあったのではないかと思って、録画から野次馬気分で取り上げてみた。

 小渕優子自民党議員「野田総理、総理が民主党の代表に就任されたとき、多くのマスメディアが私の父、小渕恵三と野田総理はよく似ていると報じました。

 確かに総理に就任した際の環境、状況はよく似ているかもしれません。国会は衆参ねじれ国会。喫緊の課題として当時は金融危機が立ちはだかっていました。

 野田総理もねじれ状態の中で就任され、東日本大震災の復旧・復興、さらに円高対策など、やるべき課題は山積しています。状況という点では極めて似ているかもしれません。また、『冷めたビザ』と言われた父と、『ドジョウ』を自認される野田総理。私は総理の人柄をよくご存知ておりませんが、もしかしたら、人柄も似ているのかもしれません。

 しかし、直面する課題に対する姿勢は全く違います。先ず、その象徴は組閣です。小渕総理は総理経験者であった宮沢喜一先生に大蔵大臣をお願いしました。それが金融危機に立ち向かうという強いメッセージを国民に向けて発信するためでした。

 残念ながら、野田内閣の顔触れからは、その決意・覚悟が見えません。

 野田内閣が発足して早くも2ヶ月が経とうとしています。この2ヶ月で何か具体的な成果を挙げたものがあるでしょうか。小渕内閣は発足して2ヶ月後には金融再生法を成立させるなど、一気呵成に最優先課題で結果を出しています。

 片や課題山積の中、不完全内閣という理由で国会を開かなかった野田内閣、スピード感という点でも格段の違いがあります。政治家にとって、とりわけリーダーにとって、何が重要かと言えば、国家・国民のためにすべてを投げ打つ熱い思いと覚悟、そして決断力ではないでしょうか。

 平成10年7月31日、内閣総理大臣就任後、最初の談話に於いて父は、『内外共に数多くの困難な課題に直面する中、我が身は明日なき立場と覚悟して、難局を切り拓いていく覚悟であります』と語りました。

 較べるまでもないことです。野田総理と小渕総理はいくつかの点を挙げただけでも似て非なるものどころか、天地の差があるということをはっきりと申し上げておきたいと思います」

 野田首相「えー、小渕優子議員にお答えしたいと思います。あのー、先ず、小渕恵三先生と私が似ているような報道が当初ありましたけども、私自身も恐縮至極でありました。ただ、天と地、という程の大きな差があるということ、ご指摘いただき、痛み入りますが、あの、自分は小渕先生が初めて国会で初当選されたときに、地元の皆さんと写真を撮った写真が、(声を強めて)とっても好きです。あの、ある雑誌でしたんですが、そういう意味で私なりにリスペクト(尊敬)の面と親近感を持っていることだけはお伝えさせていただきたいというふうに思います。

 (民主党議員席からだろう、最後の言葉に拍手が起こり、何のためか小渕優子が自席で一礼する。)

 その上で目指す国家像の質問をいただきました。私が何を目指しているかについては先の臨時国会の所信、その前後の席でもご説明をしたというふうに思います。

 この国に生まれてよかったと。そして、プライドを持っていけるような国にしたいと、こういうことを申し上げてきたつもりです。今、現実を見据えて、目の前の危機を1日一つ一つ乗り越えていくことが必要であります。すなわち、先ず成し遂げるべきは大震災からの復興と原発事故の収束とそして経済金融危機からの脱却による国民生活と日本経済の立て直しであります。

 国民のみなさまと共に、各党の皆様との共同作業によって誇りと希望の持てる再生を達成する道筋に於いて、この国に生まれてよかった、プライドを持てる国が造られていくことを確信し、総理としてのリーダーシップを発揮していきたいと決意をしている次第であります――」

 (拍手が起こる)

 「痛み入る」とは相手の親切・好意に対して恐縮することを言う。小淵議員は親切・好意で「天地の差がある」と言ったわけではあるまい。

 小渕議員は両者の「直面する課題に対する姿勢は全く違います」と肝心要の政治姿勢の違いを言い、その違いは「天地の差がある」と野田首相の政治姿勢を過小評価した。

 当然、その評価に対して名誉回復があって然るべきで、その方法は「地」とされた自身に対する過小評価の否定と「天」とした小渕恵三に対する最大評価の否定によって果たすことができるが、双方の政治姿勢に対するそれぞれの評価の否定に替えて、小渕恵三が初当選した際に地元の支持者と撮った写真が好きで、そういった意味で「私なりにリスペクト(尊敬)の面と親近感を持っている」と、人柄に関しての評価を与えている。

 まさに安全運転と言える、無難だけが浮き立つ答弁であるが、「政治は結果責任」で争う気持ちでいたから、当面の評価を無視したとも解釈できないこともない。だが、「目指す国家像」についての答弁をみると、国家像に対する政治姿勢のズレのみが目立って、到底「政治は結果責任」を期待しようがない。

 なぜなら、「大震災からの復興と原発事故の収束とそして経済金融危機からの脱却による国民生活と日本経済の立て直し」のみでは「この国に生まれてよかったと。そして、プライドを持っていけるような国」とはならないからだ。

 当然、国民から見た場合、目指すべき国家像とは言えないことになる。

 勿論、国民生活の立て直しと経済の立て直しは国家形成に必要不可欠な重大な要素だが、第一義的な基本は生活の形である。

 それがすべてに安心できる生活の形を取らなければ、経済の立て直しが国民生活の立て直しにつながったとしても、「この国に生まれてよかった」と思うところまでいかないし、「プライドを持」てるところまでいかないはずだ。

 勿論、「国民生活の立て直し」とは安心できる生活の形に持っていくことだと言うことができるが、だが、具体的な説明が一切ない。

 安心できる生活の形とは雇用の安心、収入の安心、健康の安心、老後の安心、成長の安心、地域地域の安心、教育機会獲得の安心、ライフラインとしての各種エネルギーの安心、主権と国土の安心等々の各安心が保証された形を言う。

 経済の立て直しによって雇用の安心も収入の安心も生まれるかもしれないが、年金制度や医療制度に格差や不公平や不備や破綻の危機を抱えていたなら、安心できる生活の形を取ることはできない。

 電力供給に不安を抱えていたなら、経済の阻害要因となり、安心できる生活の形を取ることはできない。

 いわば安心できる生活の形を取ることのできる国の形こそが目指すべき国家像であって、具体的にどういった諸制度で国の形を象(かだど)っていくか、あるいは国を成り立たせていくか、一つ一つの制度の具体像の説明とそれらの制度がどのように有機的に作用し合って有効性を備えた安心可能な国の形を取っていくのか、全体的な具体像を描いた上での説明こそが、どのような国家像を目指しているのかの説明責任となるはずである。

 【象る】「」抽象的な物事の内容を具体的な姿・形に表す」(『大辞林』三省堂)

 だが、小渕議員の目指す国家像の質問に対しての野田首相の答弁はそこまではいっていない。

 要するに目指すべき国家像の説明を欠いているということであって、このことは野田首相の政治姿勢に欠けているところがあることの証明以外の何ものでもないはずだ。

 目指すべき国家像の説明を欠いたまま、「国民のみなさまと共に、各党の皆様との共同作業によって誇りと希望の持てる再生を達成する道筋に於いて、この国に生まれてよかった、プライドを持てる国が造られていくことを確信し、総理としてのリーダーシップを発揮していきたいと決意をしている次第であります――」と抽象的なことを言っているに過ぎない。

 もし的確に国家像を頭に思い描いていたなら、小淵議員の過小評価に堂々と渡り合って、自らの政治姿勢を誰と比較しても遜色ないと主張できたに違いない。

 小渕議員は「小渕内閣は発足して2ヶ月後には金融再生法を成立させるなど、一気呵成に最優先課題で結果を出しています」と言っているが、参院与野党逆転現象から、自民党案を引っ込め、与党としての主体性を放棄して民主党等の野党案を丸呑みして成立させた妥協の産物としての金融再生法であった。

 決して「結果を出した」と胸を張って自慢できる成果ではないはずである。

 菅前首相は2010年参院選で民主党が大敗し、参院与野党逆転現象が生じると、攻守逆転して自分たちが与党としての主体的立場に立ったことを無視して、この野党案丸呑みの金融再生法を例に出し、参院選敗北は「天の配剤」だ、「熟議の国会」の機会となると言って、国会乗り切りの方法とした。

 だが、現実にはねじれに苦しめられて主体性を発揮できないままに1年そこそこで退陣に追い込まれた。

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