勿論、文字通り、「民主党事業仕分けはパフォーマンスだった」と言い切ったわけではない。だが、言い切ったも同然の間接的な物言いとなっていた。
議論の発端はレギュラー出演者の大竹まことが、民主党の目玉政策である「子ども手当」が昨年8月の見直し合意からその名称をめぐって、自公主張の「児童手当」に対して「子どものための手当」、さらには「児童成育手当」と拘り、最終的に自公の「児童手当」と決着するまでに7か月も要したことを呆れた口調混じりで批判すると、出席者の公明党の斉藤鉄男が公明党自身も関わったもたつきでもあったことからだろう、その批判をかわすために予算の規模で擁護した。
斉藤鉄男「児童手当については3党協議で成案を得た。自公政権時代は児童手当、1兆円でした。今回は2兆円を超す。そういう意味では予算は十分増えている」
予算が増えていれば全て結構毛だらけとは限らない。ムダが生じるか、効率的に子育てに役立っていくかは今後の運営にかかっている。予算規模で政策の価値を判断するのは形式主義、拝金主義の類いに過ぎない。
経済評論家の荻原博子がここで予算の使い方を問う発言を行った。
荻原博子「予算は増えているけれども、予算が増えて充実しているという実感を実際の人たちが持っていない。なぜなら、ちゃんとしたおカネが回っていないじゃないですか。
実際に税金が出ている基金というのが5年前は838だった基金が、今は3859、7倍に増えているんですよ。
厚生省だけで言えば、131の基金が2106。こんな凄い基金が一杯出ていて、金額が1800億くらいから、2兆円超えているんですよ」
宮崎哲弥・評論家「基金て、何やってるの?」
荻原博子「基金て言うのが、色んな基金があって、中には基金をつくるけど、全然使うところがなくて・・・・」
一斉に出演者が喋り出して、声がゴチャゴチャとなり、聞き取れない。
高橋洋一・嘉悦大教授「(基金をつくって)すぐにやらないで、どこかに置いといて(予算をストックしておいて)、あとでちょっとずつ使う。そういう仕組みになっている」
山井和則民主「基金もね、いい基金だとか。保育所整備の基金もありますし、介護職員の賃金を引き上げる基金もありますので、すべての基金が別に悪いというわけではありません」
高橋洋一・嘉悦大教授「勿論、そうです」
斉藤鉄男「単年度でできないっていうことが言われていたんです。それを複数年度で使える予算にしよっていうのが議論です」
荻原博子「おカネが余って、使っていない基金のおカネって、凄くあるんですよ。それは使い切れない程あるんですよ」
宮崎哲弥・評論家「ちょっ、ちょっといいですか。疑ってしまうと、疑えばキリがないんだけど、今度のAIJ、企業年金基金にどんどん天下りが行って、社会保険庁の天下りが行っていたようにどうもこういう増え方を見ると、ムダな基金が多いんじゃないかという気がするんだけど、どうなんですか」
下地幹郎国民新党「それはね、基金というのはね、うちの国は単年度制で予算を作っているわけだから、どっかで言い訳をして基金を作って、(予算を)置いといて、次年度も使えるようにしようという。
私はね、最終的にはしっかりとした、民主党が物事を減らしながらやっていくというのを、どっか曖昧にしちゃうんだよ。(川内博史民主党を間に挟んで右隣に座っている山井和則の方を右手で示して)今言っているように、いい基金もありますって言ったら、(政権交代前の)2年前、そんなことは言っていなかった」
阿川佐和子司会者「税金を上げなくても、おカネは裏にガッポガッポありますよ。川内さんが特におっしゃってましたね」
川内博史民主党「だから、僕らはそれ(ムダの排除)をやりたいんですよ。やらなければいけないんですよ」
阿川佐和子司会者「もう遅いよ」
川内博史民主党(激しく首を振って)「まだまだ」
福祉国家スエーデンの福祉制度の問題点に移る。
この間の遣り取りを見ただけでも、民主党の事業仕分けがパフォーマンスに過ぎなかったことを示唆している。少なくとも機械的に行なっていたパフォーマンスだと言える。
先ず最初に断っておくが、山井和則が「基金もね、いい基金だとか。保育所整備の基金もありますし、介護職員の賃金を引き上げる基金もありますので、すべての基金が別に悪いというわけではありません」と言っていることは個人的感想ではないはずだ。実態に対する状況説明であろう。
高橋洋一・嘉悦大教授も、「勿論、そうです」と同意を示している。
下地幹郎が山井和則に対して「いい基金もありますって言ったら、(政権交代前の)2年前、そんなことは言っていなかった」と発言していることは、民主党が野党時代、各種基金を「ムダの温床」とか、「ムダ遣いの温床」と批判していたことを指し、そのこととの矛盾を批判した発言であろう。
要するに民主党は“基金悪者説”に立っていた。
だが、民主党が政権を担当して以来、「いい基金」を設立したということなのだろう。その結果、「すべての基金が別に悪いというわけではありません」という発言となった。
だとしても、いい基金と悪い基金の数と予算規模の比率を問題とした場合、荻原博子の口調からしたら、簡単には肯定できない、「いい基金」の存在ということになりかねない。
要するに、「すべての基金が別に悪いというわけではありません」で済ます訳にはいかないし、何よりも問題なのは、山井のこの発言を裏返すと、悪い基金を放置していることを示すことになる点である。
民主党はこれまで3回の事業仕分けをテレビカメラまで入れて大々的に行なってきた。ムダの排除に向けたエネルギーは相当なものであった。このエネルギーはムダに対する嫌悪に支えられていたはずだ。
この嫌悪は多くの国民のムダに対する憎しみと相互対応させていたはずだ
当然、民主党はムダの排除を精神としていなければならない。だが、ムダの排除を精神としていながら、ムダの象徴である悪い基金の放置は自己矛盾以外の何ものでもない。
この自己矛盾はムダの排除に向けた精神が未だ本物とはなっていないことの証明でもあろう。
本物ではないムダ排除の精神のもと、3回の事業仕分けが行われたということはそれがパフォーマンスであったことの証明ともなる。単に人気取りで、機械的に行なっていた。
パフォーマンスであったからこそ、現在に及んでも、悪い基金を存在させていることになっている。
もし確固たる真正な精神となっていたなら、悪い基金の存在と併立させるカタチでいい基金の存在を示すだけで済まさずに、「民主党は総力を上げて、悪い基金の整理を着実に進めています」と言ったはずだ。多くの人に役立つ基金が大勢を占め、悪い基金は数少なくなっていますと。
悪い基金に回していた予算の多くは国民の生活に役立つ政策に振り向けていますと。
だが、他の出演者が証言しているように、特に荻原博子が証言しているように逆の姿を取っている。事業仕分けの精神が生きていない、ムダが優勢を占めた基金の状況を提示している。
要するに山井が「すべての基金が別に悪いというわけではありません」と言って、悪い基金の存在を認めたこと自体が既にムダ排除の精神の無効宣言に当たり、「民主党事業仕分けはパフォーマンスだった」と間接的に言い切ったことになる。
だからこそ、天下りもなくならない、ムダもなくならないという状況が続いているはずだ。
3月16日(2012年)参院予算委員会。林芳正自民党議員が高校無償化について平野博文無能文科相を追及した。
平野文科大臣は2012年1月13日の野田改造内閣での任命であって、野田首相は改造後の記者会見で「最善かつ最強の布陣を作るための改造」だと宣言している。
当然、「最善かつ最強の布陣」を構成する一人ということになる。だが、林議員の追及に意味の通らない、支離滅裂、しどろもどろを演ずるばかりで、満足な答弁ができない姿は「最善かつ最強の布陣」の内閣の一人にふさわしい、みっともない無様さを曝した。
このことは野田首相の任命能力の優秀性を証明する人事でもあろう。
林議員「与野党協議で高校無償化、所得制限をかけることができないではないかという、基本的なところがなかなか折り合いがつかなかったということを聞いております。
そこで文科大臣の、今日は集中の出席ではないのですが、お煩わせして来て頂きましたが、えー、なぜ、児童手当の方にですね、きちっと所得制限がかかる。えー、これ、この中学生までなんですね。一方で高校へ行った瞬間から、無償化の方は所得制限ができない。
それ、どういう考え方なんでしょうか」
平野文科相「あのー、もう先生も、えー、ゴメイ(?「ご承知」ということか)どおりだと思っていますが、今、あのー、3党で、幹事長会議の部分を受けまして実務者協議を、えー、頻繁にやっていただきました。
えー、実務者協議が、えー、折り合ってる部分、折り合っていない部分を含めて、えー、幹事長レベルに上げると、そういう、まあ、状況のもとで、政党間協議を真摯に受け止めたいと、こういうことでございました。
えー、そういう流れの中で、えー、今、えー、私どもが、えー、基本的に考えている、えー、所得制限に関する件ですが、ポイントだけ申し上げますと、家庭の状況に関わらず、すべての意志のある高校生、等々につきましては、安心して学べると、そういうことで、その教育費については社会全体が、えー、負担をすると、こういう考え方に、実は立っていると、こういうことが、えー、第一点でございます。
で、もう一つは、えー、高校無償化との、オー、無償化に於きましては、やっぱり制度開始時より、えー、恒久的な、ま、実施措置として、をしており、それを前提に、まあ、生徒が進路選択をしていると。
こういうことで、現金支給という考え方ではなく、制度として実行していると、こういうことでございます。
で、私学の高校生についても就学支援金についても、全てその授業料に充てられることが制度的に、まあ、担保されていると。こういうことで、えー、児童手当という、先生の、所得制限扱いだと、こういうことでございますが、えー、ちょっとそこは異なるものであると。こういう認識に立ってございます。
いずれにしましても、政党間協議を、えー、どういうことになるのかということを待って、えー、誠実に対応していきたいと、こういうことでございます」
林議員は児童手当は所得制限を設けたが、高校無償化に所得制限をかけないのはなぜかと、その理由を問い質した。端的に、これこれの理由に基づいて、あるいはこれこれの理念に基づいてかけないのが理想だと答えれば済むものを、満足に答えることができなかった。
意味が通じないことを回りくどく、また答弁に関係しない政党間協議まで持ち出してくどくどと述べている。
その簡潔明瞭さに感心する。
林議員「あのー、テレビのご覧の方はあまり意味が分からなかったんではないかと思いますが、まあ、私流に解釈しますと、えー、子ども手当の最初のときも、今みたいな、あの、みんなで社会でということをおっしゃっておられましたが、えー、結局児童手当所得制限付きになったんですね。
大臣、今いみじくもおっしゃっていただいたように、たまたま子ども手当を放っておくと法律が切れちゃう。で、児童手当、あのー、高校無償化の方は放っておくと、ずっと続いていくんで、折り合う必要はなかったと、端的に言うとそういうことだと思うんですね。
従って、今のまま、考え方のうちですね、社会でみんなで、えー、やると。みんな心配しなくて高校へ行ける。で、えー、非常におカネ持ちのですね、方にとって、その心配なく高校へ行けるというのは、これがないと、心配が出るんでしょうか」
平野文科相「 一般的に言いまして、やはり経済的負担を、やっぱり軽減していくと。えー、特に、イー、高校生が98%も高校進学していると、いうことで、いうことについては、だから、高校、あのー、おカネ持ちの、おカネ持ちの方についてと、云々ということについてよりも、私はあくまでもこの制度の趣旨云々と言うことを、言っておりますので、その、議員指摘のそのことだけを把(とら)まえますと、そういう点はあるかもしれませんが、私は、えー、制度・理念として、私は受け止めておるところでございます」
相手の質問に応じて高校無償化の制度・理念に高額所得者の子息に対しても無償化とすること、所得制限をかけないことがどう関わっているのか、その整合性を説明すべきを制度理念と所得制限をかけないことを別々に扱っているトンチンカンを演じている。
林議員「大臣は、まあ、行政におられるんで、法律に基づいて行政を執行するという立場かもしれませんが、今、私が議論したいのは、制度を含めてですね、法律を変えようじゃないかということをやってるんです。
従って、その今の制度に、法律に書いてあることを読めば、そういうふうになるんですが、その上の地点に立ってですね、制度がなぜ必要なのかという質問してるんですね。
従って、あの、高所得者の方が、この無償化がないと、高校に通うのに不安になる、というようなことがですね、実際にあるのか、もう一度お願いします」
平野文科相「今、えー、議員の指摘については、えー、高等学校等に於いて家庭の経済状況に関わらず、すべての意志のある高校生が安心して教育が受けることができるように、イー、したと、そういうことでございます」
ヤジ、自民党議員が委員長席に集まり、ほんのいっとき中断。答弁のやり直し。
平野文科相「高所得者の人が、おカネ持ちの人が、そのことによって不安になると、オー、いうことはないと思います」
林議員「あのー、最初からそう答えていただくとよかったと思いますが、不安になることがないんであれば、なぜ無償化にする必要があるんですか」
平野文科相「そこは、あー、おカネ持ちであろうが、えー、云々であろうが、えー、私は、えー、社会全体で支えていくと、こういう理念のもとにこの制度設計をしていると。
しかし、えー、一方では政党間での協議をやられていますから、結論を、えー、真摯に受け止めたいと、こういうことを申し上げております」
理念づけの理由を問い質しているのに対して理念を誰にとっても予定調和的な既存の価値観を備えているかのように発言している。
林議員「あのー、与党協議が打ち切られたんです。真摯に受け止めるとおっしゃっても、一番の打ち切られた理由がそこなんですね。
ですから、おカネ持ちの方がどうして、その無償化が必要なのかということがあまり伝わってこないんですね。我々も所得制限をかけて、その上のところは後で返さなくてもいいようなですね、給付型の奨学金にしようじゃないかと、ここまで、提案しているんですね。
その方が、余っ程、トータルの限られた財源を使うためにはいい政策だと、いうふうに思いますが、如何ですか」
平野文科相「まあ、あのー、この制度導入したときに、イー、付則の中にも、えー、ございます。えー、見直し規定もございますが、今、現、えー、時点に於きましては、私共は、この制度で以ってやらしていただきたいと、こういうことでございます」
何と説得力希薄な答弁なのだろう。単にこの制度でいくんだと相手の納得なしに言い張っているに過ぎない。
林議員「まあ、あのー、今、閣僚としての答弁ということで、まあ、法律が変わっていないから、その通りやるんだと、いうことで、極めて政治主導でないようなご答弁だったと思います」
(「授業料無償化の問題は別途やりたいと思います」と言って、農業戸別補償制度問題に質問を変える。)
高校無償化が「社会全体で支える」理念だとして所得制限を設けないということなら、「子ども手当」にしても同じ理念のもと発案し、スタートさせたのだから、その理念を死守すべきを、自公に妥協して所得制限を設けることにした。その非整合性を演じて平然としている。
要するに「社会全体で支える」の理念が衆参ねじれの数の力に負けたに過ぎない。理念などといっても、実現するも実現しないも、いざとなれば数の力をバックにしなければならない。
このことが菅無能首相には理解できなかった。2010年参院選に敗北すると、参議院数の逆転を「熟議」の機会となる「天の配剤だ」とまで抜かした。
数が劣る場での熟議は所詮、多くは妥協か後退しか招かない。
だが、高校無償化は恒久法だから、参院に於いて数が劣勢であっても政権交代しない限り守ることができる。その一方で現行の「平成23年度における子ども手当の支給等に関する特別措置法」は平成23年10月1日から平成24年3月31日までの時限立法であるために、続けるとなったなら、自公の協力を求めざるを得ず、妥協と後退の末に「社会全体で支える」理念を捨て、所得制限を設けることとなって「社会全体」が崩れた。
わけもわからないことを言うのみで、高校無償化の意義・理念を満足に説明して切り抜ける才覚を持たない平野文科相が野田首相が言うところの、「最善かつ最強の布陣」の一角を占めているということなのだから、「最善かつ最強の布陣」が聞いて呆れる。
高校無償化に於ける「社会全体で支える」とは親の経済力は要件から外して、すべての意志のある高校生のみを対象に無償化という名の同じ位置に立たしめる平等性を保障することを理念としているはずである。
親の経済力を要件とした場合、無償化という点での平等性は崩れることになる。その結果、親の経済力をバックに授業料有償の生徒をして優越的位置に立たしめるケースも生じる。
優越感に浸って無償化を受けている生徒を侮った場合、その子の成長にとって、あるいは社会化にとってよからぬ影響を与える可能性も出てくる。
【社会化】「個人が所属する集団の成員として必要な、規範・価値意識・行動様式を身につけること。」(『大辞林』三省堂)
逆に親の経済力をバックとすることができずに無償化の恩恵に与(あずか)る生徒は心理的な引き目を負わない保証はない。
当然、そこに心理的な差別のメカニズムが生じることになる。
いわば親の経済力の有無に関係なしに授業料という点で高校生全体を、特に心理的な面で平等の条件下に置き、心理的に平等な機会に立たしめるということであろう。
こういった平等性は一見、高所得者の子息には必要ではなく見えるかもしれないが、実際には高所得層の子息が囚われかねない、俺達は違うんだといった優越性の排除と、中低所得層の子息の授業料をタダにして貰っているという負い目を感じかねないそれとない、あるいは無意識のコンプレックスを排除するという点で、両者に必要な条件であるはずである。
高校無償化の理念を満足に説明できない政治家が無償化に関わる所管大臣を務めている。このことの国家財政の無駄は決して小さくないはずだ。
温情政治家岡田副総理が2013年度国家公務員新規採用を2009年度上限(8511人)比で各府省全体で7割以上削減する指示をだしたが、それを批判する記事を3月14日当ブログ記事――《岡田の消費税増税正当化目的のなり振り構わない視野狭窄な公務員採用7割削減は他に累を及ぼす血祭り - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。
蛍光灯並みに後になって、新規採用抑制よりも国家公務員宿舎の超格安家賃値上げを優先させるべきではないかと気づいて、改めて取り上げて見ることにした。
2013年度からの抑制で1年の余裕はあるというものの、2013年度新規採用の主たる対象者である大学3年生は3年生の夏から本格的な就職活動に入るというから、就職対象としたい職種の優先順位を3年生時に決めていかなければならない関係上、1年の余裕どおりの余裕を与えてくれないことになる。
また有効求人倍率に関して言うと、昨年6月から8か月連続で上昇してはいるが、1月の有効求人倍率は前年12月比+0.02ポイントの0.73倍であって、1に遥かに届かない数値となっている。
この上昇は被災3県の復興需要とここのところのアメリカの景気回復の兆しを受けて日本の景気の先行きに明るさを取り戻しつつあることが影響しているようだが、中東情勢に影響を受ける石油価格高騰の景気に対する不安要因が2013年度の有効求人倍率を確かな足取りで1以上の保証を約束するわけではない。
アメリカの景気回復の兆しはまた円高基調を円安に振り向ける貢献を与えているが、「1ドル=84円台の水準は『超超円高』から『超円高』に戻った程度で、国内での生産を含む企業活動に好ましいレベルにはまだ至っていない」(NHK NEWS WEB)と日本自動車工業会の志賀俊之会長が発言している。
さらなる円安に向かわないと、確実な景気回復は望めないということなのだろう。
また3月15日(2012年)米韓FTA発効が、〈電機や自動車メーカーの輸出競争力に加え、エネルギー調達でも韓国が優位になり、日本がより不利になる恐れがある。〉(MSN産経)と伝えているから、復興需要があるものの景気の先行きに関しては予断を許さない。
こういった状況を勘案しなければならない国家公務員新規採用の抑制のはずだが、生まれも育ちもよい、生活に苦労したことがないボンボンの温情家政治家には他人の生活ということなのか、温情を働かす余地はないようだ。
大卒・高卒の内定率上昇も景気回復を占う好材料となるはずだが、これも厳しい水準にとどまっていると、《大学生内定率80%余 厳しい水準》(NHK NEWS WEB/2012年3月16日 10時33分)と《高校生の内定率86% 厳しさ続く》(NHK NEWS WEB/2012年3月16日 10時33分)が伝えている。
大学生の場合は2月1日(2012年)時点で80%余り、過去最低だった前年より3ポイント余り上昇してはいるが、統計を取り始めた平成11年度以降では3番目の低水準。
高校生の場合は1月(2012年)の時点で86.4%で、前年より2.9ポイント上昇したものの、リーマンショックで雇用情勢が悪化する前の水準を下回っているという。
大学生の内定率から、内定できていない学生数を割り出してみる。
2011年度の大学学部生は約2,570,000名だそうで、平均すると1学年で約64万人。大学院生は約272,000名で、修士課程2年と博士課5年があるから、平均して2.5年とすると、約10万人。合計74万人。その80%は592000人。約148000人が内定から外れていることになる。
この全てが未就職者となるわけではないが、前年からの、あるいは前々年からの就職浪人を合わせると、彼らに与える心理的影響は無視できないはずだ。
国家公務員宿舎賃料値上げすべしとする記事を2つばかり書いたが、その1つが2012年1月7日記事――《消費税増税で国民に負担を求めるなら、国家公務員宿舎賃料を民間相場と同等に値上げすべき - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》だが、今回は「国家公務員新規採用抑制よりも国家公務員宿舎値上げを優先すべき」となる。
2010年9月1日現在の国家公務員宿舎の総戸数は約21万戸だと財務相のHPに出ている。
2011年10月5日の「MSN産経」記事――《公務員宿舎Q&A 都心一等地で家賃4万円…格差は歴然?》に次のような記述がる。
〈今回問題となった埼玉県朝霞市の宿舎であればファミリータイプの3LDKで月約4万円。東京都港区南青山にある幹部職員用官舎(94平方メートル)の場合、家賃は月6万7千円から9万2千円という。だが、民間のある不動産業者では「同様条件の一般住宅の家賃は朝霞で13万~15万円、青山では20万~30万円が相場だ」としており、格差は歴然だ。〉・・・・・
民間の低い方の相場から国家公務員宿舎の高い方の相場を差引いたとしても、朝霞の場合は9万円の格差。南青山の場合は実質的には13万超~20万超となるが、11万円近い計算となる。
ごくごく控えめに半分の月平均5万円値上げするとして、半分に見た比較から、総戸数約21万戸に当てはめてみると、月々105億の増収となる。
2010年度国家公務員Ⅰ種試験合格者(本省に採用されるとキャリアと呼ばれる)の初任給は月額約21万8000円だという記載をインターネット上に見かけた。
22万円として計算すると、国家公務員新規採用約6000人カットで月額13億円が浮く。
国家公務員新規採用約6000人カットを中止、その分の人件費が月々13億円かかったとしても、国家公務員宿舎賃料値上による増収分の月額105億が軽く相殺、92億のプラスを維持することが可能となる。
先に上げたブログに国家公務員新規採用は国家公務員を目指す大卒者だけではなく他の大卒者や高卒者にも影響すると書いたが、やはり新規採用は確実な景気回復を待ってからすべきで、公務外の私的生活の面で悠々自適の暮らしを満喫している宿舎生活の公務員の特権を少々剥奪することを優先させるべきではないだろうか。
3月13日の参議院予算委員会。木庭健太郎公明党議員の質問に対して野田首相が「社会保障・税一体改革」の一体性を確約、その見事な尤もらしい矛盾と詭弁に感心したあまり、取り上げて見ることにした。 第2章 社会保障改革の方向性 (2)最低保障機能の強化 (3)高所得者の年金給付の見直し
木庭健太郎「大綱自体が先ずどうなっているかというと、税制改革に比べて、社会保障改革は殆ど、(苦笑い混じりに)検討、検討、検討、と書いてあって、具体的内容がないんですよ。
しかも今ずうーっと、話を論じたように、その具体化する法案がいつ出るかも明確ではないわけです。
これではね、私はやっぱりね、社会保障と税の一体改革ではなくて、社会保障を置き去りにした消費税増税改革だと、こう言わざるを得ないと思いますよ。
総理ね、私が言いたいのは、先ず、社会保障について明確なビジョンを、せめて法制化のメドですよ。これをきちんと果たしてくださいよ。これが最低限不可欠です。
これがなければ、単に消費税をちょっとという、これでは国民は納得しないと思います。如何でしょうか」
野田首相「あのー、大綱の中にはですね、え、例えば第2章で子ども、子育て、年金、医療、介護等々の社会保障の全体像を明らかにしています。
で、その全体像を明らかにした上で、その上で、それぞれの改革項目を実施時期等々の工程表も併せて載せております。順次、この法律については、提案していくということで、検討と書いてあることにつていも、法案化したものは『検討』がだんだん消えていくんですよね。
と言うことで、全体像は示していますので、まさにこれは税制と併せて一体改革、でございます。
で、既に、ま、税制についても年度内に提出をする運びでありますが、先程副総理からお話がありましたとおり、既に社会保障関連で法案提出したものもありますし、税制と併せて提出するものもありますし、若干、遅れるものもありますが、そいうい形で順次提案するということが全体像の中に、あの、明記してございますので、これはまさに一体改革でございます」
木庭健太郎(首をかしげて苦笑いを見せてから立ち上がる。)「ちょっと私、無理があると思います。せめて、じゃあ、検討じゃなくて、いつにこの法案が出てくる、いつに出てくる、せめてプログラムをですね、せめてそれぐらいもない。
やっぱ、これ、私は一体改革だとは思えない。こう申し上げざるを得ないと思いますよ」
まさに野田首相が言うように「検討と書いてあることにつていも、法案化したものは『検討』がだんだん消えていくんですよね」は正論中の正論と言える。
だが、完全に「消」し去って社会保障制度自体を完成させる前に消費税増税率と増税時期を決めた非一体性が問題となっているのであって、木庭議員もその点を追及したはずである。
まさにドジョウのツラにショウベンの答弁となっている。
木庭議員は公明党提案の政治家の監督責任を強化すべきとする『政治資金規正法改正案』と民主党提案の企業・団体献金禁止の法案を併行して協議してもらいたいとする質問に移る。
野田首相が「社会保障の全体像を明らかにしています」と言っている大綱の第2章を見てみる。
この第2章は「第1部 社会保障改革」の「第1章 社会保障改革の基本的考え方」に続いて記載されている「第2章 社会保障改革の方向性」を指している。
第1章の基本的考え方に基づき、以下に示す方向性に沿って各分野の改革を進める。
1 未来への投資(子ども・子育て支援)の強化
子ども・子育て新システムを創設し、子どもを産み、育てやすい社会を目指す。
2 医療・介護サービス保障の強化、社会保険制度のセーフティネット機能の強化
高度急性期への医療資源集中投入など入院医療強化、地域包括ケアシステムの構築等を図る。どこに住んでいても、その人にとって適切な医療・介護サービスが受けられる社会を目指す。
3 貧困・格差対策の強化(重層的セーフティネットの構築)
すべての人の自立した生活の実現に向け、就労や生活の支援を行うとともに、低所得の年金受給者への加算など、低所得者へきめ細やかに配慮を行い、すべての国民が参加できる社会を目指す。
4 多様な働き方を支える社会保障制度(年金・医療へ短時間労働者への社会保険適用拡大や、被用者年金の一元化などにより、出産・子育てを含めた多様な生き方や働き方に公平な社会保障制度を構築する。
5 全員参加型社会、ディーセント・ワークの実現若者をはじめとした雇用対策の強化や、非正規労働者の雇用の安定・処遇の改善などを図る。
誰もが働き、安定した生活を営むことができる環境を整備する。
6 社会保障制度の安定財源確保
消費税の使い道を、現役世代の医療や子育てにも拡大するとともに、基礎年金国庫負担2分の1の安定財源を確保し、あらゆる世代が広く公平に社会保障の負担を分かち合う。
確かに子ども、子育て、年金、医療、介護等々の方向性を謳っている。年金に関して取り上げてみると、「三 貧困・格差対策の強化(重層的セーフティネットの構築)」として、「すべての人の自立した生活の実現に向け、就労や生活の支援を行うとともに、低所得の年金受給者への加算など、低所得者へきめ細やかに配慮を行い、すべての国民が参加できる社会を目指す」と謳っている。
そして次の第3章で「具体的改革内容(改革項目と工程)」について触れている。「子ども・子育て」に関しての一例を上げると、幼保一体化の「こども園給付(仮称)を創設する」と謳い、今通常国会に法案提出の予定へと進んでいる。
但し低所得層対象の「貧困・格差対策の強化」の具体像に関しては、「高齢者医療制度の見直し」や「最低保障年金」、あるいは「年金制度の最低保障機能の強化を図り、高齢者等の生活の安定を図るため」の「低所得者への加算」等を主たる柱としているはずである。
「最低保障年金」に関しては、その具体像は固まっていない。しかも最低保障年金制度を創設した場合、さらなる消費税増税が必要となるとする試算を行なっている。
いわば具体化前の案の段階にとどまっている。一体改革だとする一体性の範疇に入れることはできない。
最低保障機能強化については次のように記載している。(一部分抜粋)
○ 年金制度の最低保障機能の強化を図り、高齢者等の生活の安定を図るため、以下の改革を行う。
低所得者への加算
低所得者に重点を置いた、老齢基礎年金額に対する一定の加算を行う。
その際、保険料納付のインセンティブを阻害しないよう検討する。
2 障害基礎年金等への加算
老齢基礎年金の低所得者に対する加算との均衡を考慮し、障害者等の所得保障の観点から障害・遺族基礎年金についても、一定の加算を行う。
3 受給資格期間の短縮
無年金となっている者に対して、納付した保険料に応じた年金を受給できるようにし、また、将来の無年金者の発生を抑制していく観点から、受給資格期間を、現在の25年から10年に短縮する。
☆消費税引上げ年度から実施する。
☆ 具体的内容について検討する。税制抜本改革とともに、平成24年通常国会への法案提出に向けて検討する。
検討段階だとしている。
要するに検討して具体的内容を固めてのことになるから、法案提出も“検討する”と言うことになるのだろう。固まれば提出する、固まらなければ見送る。
通常国会終了までに固まる予定がついていたなら、法案提出を検討する必要は生じない。
また、「低所得者への加算」に必要とする財源を消費税の税収のみではなく、高所得者の年金給付を減額して、その浮いた財源を回す方針でいるが、その見直しについての記載を見てみる。
○ (2)の最低保障機能の強化策の検討と併せて、高所得者の老齢基礎年金について、その一部(国庫負担相当額まで)を調整する制度を創設する。
☆ 最低保障機能の強化と併せて実施する。
☆ 具体的内容について検討する。税制抜本改革とともに、平成24年通常国会への法案提出に向けて検討する。
「低所得者への加算」と同様、「高所得者の年金給付の見直し」も具体化しているわけではない、検討段階にある。
にも関わらず、一体改革だと言いながら、消費税は早々に増税率と増税時期を決定した。
この非一体性はまさに矛盾と詭弁そのものと言える。
にも関わらず、野田首相は「まさにこれは税制と併せて一体改革でございます」と抜け抜けと言っている。
確かに法案提出にまで進んでいる改革もあるが、未だ検討段階にとどまっている改革案や、あるいは練り上げた制度の矛盾を国会で追及されて、答弁に四苦八苦しているケースも多々生じている。
だからこそ、岡田ボンボンは国会で「詳細な制度設計はこれからでございます」(3月6日(2012年)衆議院予算委員会)とか、「自民、公明両党は今の制度を改善する路線。われわれは今の制度の延長では無理があるとして新しい制度を提案したが、欠点があることは承知している。双方をテーブルに乗せて協議してほしい」(時事ドットコム)と答弁せざるを得なかった。
要するに野田首相が言っている「まさにこれは税制と併せて一体改革でございます」は2階建ての新築に取り組んでいながら、1階部分が完成したところで、家は出来上がりましたと譬えているようなものであろう。
勿論完成した1階部分は消費税増税部分に当たる。
本来なら1階部分に社会保障制度改革を置いて、その出来上がり・完成図に従って2階部分を決めなければならないはずだが、逆を行っていること自体に矛盾を抱えている。
野田発言は野田首相自身の言葉を借りて言うと、「まさにこれは矛盾と詭弁を併せて一体性を持たせた発言です」と見做すことができる。
野田首相が3月14日(2012年)、都内で民主党の当選1回議員と会食。ドジョウ鍋を突ついたかどうかは記事には書いてないが、野党から国会で散々突つかれているから、逆に何かを突つく立場に立ちたくなって、突つく相手としたらドジョウが格好の相手とばかりに突ついたのではないかと勘繰りたいが、確かめようがない。 素案 大綱
《首相、追加増税の表現「知らなかった」》(/2012.3.15 00:26)
会食中、出席議員の一人が政府が同日(3月14日)民主党に配布した「消費税増税関連法案概要」の中に2016年度を目処に講じる追加増税措置を「さらなる税制の改革」と表現し直していることを指摘すると、首相は「知らなかった」と答えたと記事は紹介している。
元となる表現を基に記事は、〈2月17日に閣議決定された社会保障と税の一体改革大綱は「次の改革を実施することとし、今後5年を目途に所要の法制上の措置を講じる」としていたが、法案概要では「税制の改革」という表現で増税のニュアンスを強めている。〉と解説、記事を結んでいる。
政府は現行5%の消費税を2014年4月に+3%の8%、2015年10月にさらに+2%増税の10%と決めている。
10%に消費税増税した2015年の翌年早々の2016年を目処に「さらなる税制の改革」を講じると「消費税増税関連法案概要」に明記してあったということである。
「消費税増税関連法案概要」に明記してある以上、当然、「さらなる税制の改革」とは「さらなる」消費税制の改革、消費税増税を指すことになる。
2015年10月に10%に上げて、その翌年にさらに消費税増税を目指すということも問題だが、記事が事実に基づいて報道しているという前提に立って言うと、このことを野田首相が「知らなかった」と答えたことも問題となる。民主党が政府に配布した「消費税増税関連法案概要」であるなら、目を通す時間がなかったからという理由で、「知らなかった」とすることはできるが、政府が民主党に配布した「概要」である。
「概要」内容を決定するとき、野田首相は議論に加わっていなかったし、報告もなかったことになる。当然、首相を加えた政府全体の責任問題となる。何と無責任な、である。
この程度の感覚で消費税増税を考えているとしたら、社会保障制度改革をダシにして窮屈な財政を自分たちのために窮屈から解放する目的でいるとしか思えない。
1月6日(2012年)閣議決定の「社会保障・税一体改革素案」と2月17日(2012年)閣議決定の「社会保障・税一体改革大綱」の上記記事が触れている箇所を取り上げてみる。
第1章末尾
(3)今後の改革の検討
2050年以降、高齢化のピークを迎えることを考慮すれば、今後も改革を進める必要がある。今回の改革に引き続き、少子高齢化の状況、財政の状況、経済の状況などを踏まえつつ、次の改革を実施することとし、今後5年を目途に、そのための所要の法制上の措置を講じることを今回の改革法案の附則に明記する。
第1章末尾
(3)今後の改革の検討
2050年以降、高齢化のピークを迎えることを考慮すれば、今後も改革を進める必要がある。今回の改革に引き続き、少子高齢化の状況、財政の状況、経済の状況などを踏まえつつ、次の改革を実施することとし、今後5年を目途に、そのための所要の法制上の措置を講じることを今回の改革法案の附則に明記する。
素案と大綱と一字一句違わない。
上記「MSN産経」記事は素案・大綱が「今後5年を目途に、そのための所要の法制上の措置を講じる」としている「所要の法制上の措置」を追加増税措置への言及だとしているが、ではなぜ最初から、「さらなる税制の改革」を講じると正直に書かなかったのだろうか。
表現を曖昧にして切り抜けようとしたが、曖昧にしきれなくなって、ここに来て仕方なく正直にすることにしたということなのだろうか。
民主党は昨3月14日、消費税増税関連法案の3月23日閣議決定に向けた全議員対象の事前審査を開催、消費税増税反対議員との間で紛糾したということだが、《民主 消費税巡り意見対立激化 》(NHK NEWS WEB/2011年3月15日 5時13分)は、上記表現について次のように伝えている。
〈出席者からは、平成27年10月に税率を10%に引き上げたあとの税制改革の方針を巡って、法案の付則で、「平成28年度をめどに必要な法制上の措置を講じることとする」と規定していることについて、「さらなる増税を目指しているように受け取れる」などとして、削除を求める意見が出されました。〉――
消費税増税反対派議員は追加増税措置への言及と受け取られかねない不適切な表現だとしていて、表現自体は追加増税措置への言及ではないとしていることになる。
「今後5年を目途に」という表現に関して、「今後5年とはいつの時点からのことか」との野党の国会追及に安住財務相は「今後5年間のスタートを正確に何月何日とは決めていない。今後とは今後のことです」と答弁して紛糾、質疑が一時中断した。
これも無責任な話である。起点を設けずに「今後」という概念は成り立たない。
離婚した夫が元妻に慰謝料を、子どもに養育費を月々いくらと決めて支払うと約束しながら、ある時点から支払いが滞ったために元妻が元夫に支払いを要求すると、「今後支払う」と約束。だが、その約束が守られないから、再び催促すると、「今後のスタートを正確に何月何日とは決めていない。今後とは今後のことだ」と言うようなものである。
五十嵐財務副大臣が3月12日(2012年)の記者会見で次のように発言している。
五十嵐副大臣「大綱を決定した時からというのが当初の見方だったと思いますが、それをどういうふうに政府全体で改めて確認するかというのは、私の段階では、今の時点ではなかなか申し上げられません。ただ、2011年度と考えるか2012年の2月と考えるかよって、そこから5年ということで、もともと幅のある目途という言葉ですので、その辺も今のところは大ざっぱにしか、政府部内で統一されているとはまだ完全に言い切れないのではないかなと。常識的に考えれば大綱決定時から5年ではないでしょうか」
「大綱を決定した時からというのが当初の見方だった」、「常識的に考えれば大綱決定時から5年ではないでしょうか」は当然の起点であって、そう言いながら、「もともと幅のある目途という言葉ですので、その辺も今のところは大ざっぱにしか、政府部内で統一されているとはまだ完全に言い切れないのではないかなと」などと曖昧化の意思を働かせている。
何度でも書いていることだが、要するに「一体改革」だと言いながら、一方の改革である社会保障制度が具体的な改革の姿を取らないうちに現行消費税率5%を2014年4月に+3%の8%、2015年10月にさらに+2%増税の10%と、もう一方の改革である消費税増税改革を先行させる形で決めた。
その上、1月6日(2012年)閣議決定の「社会保障・税一体改革素案」で既にさらなる消費税増税意志を固めていて、「社会保障・税体改革大綱」閣議決定の2月17日(2012年)を起点に今後5年の、いわば10%に引き上げた2015年翌年の2016年度を目途にさらなる消費税増税の措置を講ずることを正式に意志していて、社会保障制度改革が追いつかないままに常に消費税増税先行の姿勢を取り続けてきたということになる。
2月29日(2012年)の党首討論で谷垣自民総裁が「税制改正ということだけが先行しているという報道がある」と追及したのに対して野田首相は「税の方が先に出ている。そういう報道があるというお話でありました。報道が間違いです」(MSN産経)ときっぱりと言い切ったにも関わらずである。
簡単に言うと、ウソをついていたのである。不退転と言いながら、無責任と誤魔化しで凌いできた消費税増税意志だったが、国会で追及されるに及んで無責任と誤魔化しを曝け出すことになり、さらに消費税増税を求める意志を露出させることになった。
決して国民に正直に説明してきた消費税増税ではなかった。
会社ぐるみという言葉があるが、内閣・党ぐるみでウソと誤魔化しを働いていた。
――国家公務員新規採用を抑制するなら、せめて経済が回復し、有効求人倍率が1を十分に超えた雇用状況になってからすべきであろう。――
温情政治家岡田副総理が2013年度国家公務員新規採用を2009年度上限(8511人)比で各府省全体で7割以上削減するよう指示を出したという。《国家公務員採用、7割以上削減を…岡田副総理》(YOMIURI ONLINE/2012年3月9日16時04分)
記事、〈実現すれば上限は2500人程度となる。〉
8511人(1-0.7)≒2533人。約6000人カットすることになる。
再び記事。〈政府は(3月)6日の行政改革実行本部(本部長・野田首相)で、09年度比で4割超、12年度比で2割超の新規採用削減を目指す方針を決めているが、消費税率引き上げを柱とする社会保障・税一体改革に国民の理解を得るため、削減率の上積みを図ることにした。〉・・・・
約6000人が仕事にあぶれる。「社会保障・税一体改革」国民理解獲得のために血祭りに上げようということなのか。
府省ごとの削減率は業務内容に応じて違いを設ける方針だそうだが、〈ただ、政府内では「業務遂行に支障が出る」との指摘も出ており、岡田氏の指示通りに削減が実現できるかどうかは見通せない状況だ。〉と早くも反対姿勢が出ていることを伝えて記事を結んでいる。
違いを言い立てて、特別扱いを求める府省も出てくるに違いない。
政府内の反対姿勢については次の記事も触れている。《副総理 採用抑制“この程度は前に”》(NHK NEWS WEB/2012年3月10日 0時9分)
3月中に抑制規模を決める方針に対して一部の省庁から「業務に支障が出かねない」などと慎重な対応を求める声が出ていると先ず伝えている。
岡田副総理「改革を進めようとすれば抵抗する声は出てくる。しかし、今の国の財政状況や民間企業の厳しさに比べれば、この程度のことは前に進めなければならない」
記事、〈国家公務員の新規採用の大幅抑制に意欲を示しました。〉
原理主義者らしい意欲満々の姿勢だったということなのだろう。
国家公務員を志望する若者への影響について一刀両断。
岡田副総理「公務員を志望する人は、公のために働くことを目指していると思うので、今の国の状況を理解してほしい。競争は厳しくなるかもしれないが、勝ち抜いてほしい」
言っていることが自己都合に満ちている。
公務員志望者は倒産もなく、一度勤めれば先ずリストラもなく、民間より給与はいいし、うまくいけば天下りもできるといいこと尽くめを狙うケースも無視し難く存在するだろうが、「公のために働くことを目指し」たとしても、そのことだけが目的ではなく、公務を通して生計を立てることをも目的としている。
その機会を奪うのである。「競争は厳しくなるかもしれないが、勝ち抜いてほしい」と安易にエールを送っているが、確実に6000人超が負け抜くことになる。
岡田福総理は金持ちのボンボンで生活に苦労がないだろうから、試験も競争、それで篩にかけられたなら、本人の努力の結果だから、仕方がないと言うかもしれないが、篩いにかけられた6000人超の生活の問題で終わらないことが何よりの問題のはずだが、そこまで頭が回らないことがまた問題である。
いわば就職とは生活である。国のために尽くす、あるいは会社のために尽くすということは人生である。
両者は分け難く密接につながっている。
昨3月13日の参院予算院会でも取り上げられた。《首相 公務員採用抑制に理解を》(NHK NEWS WEB/2012年3月13日 20時1分)
小野次郎みんなの党参議院議員、「私たちは、公務員制度改革を訴えているが、『既得権を打破しろ』ということで、天下りや高すぎる退職金などを批判している。そういう批判を受けても、公のために働きたい若者が公務員を希望しているのに、大幅カットは天下の愚策だ。新規採用の大幅削減はしないと約束すべきだ」
野田首相「国家公務員を目指して日夜頑張っている若者に恐縮だが、厳しい国難の状況を理解してほしい。今までよりも大幅に抑制することは、行政改革実行本部で確認しているので、方針どおり進めたい」
岡田のボンボンと同じことを言っている。岡田ボンボンは採用抑制の理由を「今の国の状況を理解してほしい」と言い、野田首相は「厳しい国難の状況を理解してほしい」と言っている。
二人共、その「国の状況」、「厳しい国難の状況」の具体的な全体像と全体像を構成している各個別性を把握もせずに財政難解決策の消費税増税のみに目を奪われて抽象的に現況を形容しているに過ぎない。
だから、短絡的に新規採用抑制だと結論づけることができる。
大体が2割や3割ではなく、7割以上削減としていること自体がその短絡性を如実に証明しているばかりか、国難の全体像とその各個別性を把握していないことを証拠立てている。
尤も7割以上削減は要請を受けている各省庁でははかばかしい受け止め方はなされていないようだ。
《岡田氏“採用抑制で閣僚折衝も”》(NHK NEWS WEB/2012年3月13日 21時52分)
岡田副ボンボン「総務省と各省庁の交渉状況を見ると、踏み込みがかなり足りないので、各大臣にはリーダーシップを発揮してもらいたい。いくつかの省庁は趣旨を理解して受け入れたが、そうでない役所もかなり残っており、政務レベルでもしっかり交渉したい」
抵抗に遭っているということになる。だが、ボンボンにふさわしくなく、抵抗に一向にめげない。この点、「社会保障と税の一体改革」ではご都合主義者をなり振り構わずに演じているのに反して、原理主義者像を存分頑なに発揮している。
岡田副ボンボン「総務省が各省庁に示した規模を抑制すれば業務に支障が出るかもしれないので、仕事のやり方を変えるのは当然だ。従来と同じ仕事のやり方でかなり人が減らせるなら、人が余っていたことになる」
記事は書いている。〈採用の抑制にあたっては業務内容を見直す必要があるという考えを示し〉たと。
要するにより効率性の上がる仕事の組立てを行えば、人手を減らすことができ、新規採用削減を相殺できると言っている。
だが、このことは民間企業なら殆どが実施している、日々努力しなければならない実現項目であって、新規採用を削減しますから、仕事の効率化を図ってくださいという問題ではないはずだ。
それに何回か行なっている事業仕分けは単にムダな予算・ムダな事業を洗い出すだけではなく、業務の効率化も含まれていて、そのことを通した予算と事業のムダの部分の排除をも目的としていたはずだ。
それを今さらながらに「仕事のやり方を変えるのは当然だ」と言っている。
だが、こういったことよりも、「仕事のやり方を変え」て必要人員を削減すれば新規採用抑制はクリアできるとしていること自体が、国家公務員の新規採用抑制にしか視線が向いていないことを物語っている。
いわば抑制される側の大学生とそのことに影響を受ける他の大学生や高校生には視線を一切向けていない。「競争は厳しくなるかもしれないが、勝ち抜いてほしい」と、試験に合格する大学生にしか目を向けていない。
6000人カットされて、止むを得ず民間に向かう。ただでさえ就職難の時代に就職戦線はより厳しくなる。国家公務員だけの問題では終わらないだろう。
当然、国家公務員志望を諦めたか、試験不合格の暗記学力優秀な元公務員志望の大学生が民間試験で優位な位置を占めた場合、押し出され、落ちこぼれていく元々民間志望の大学生のうち、非正規社員を選択せざるを得ない大学生も出てくるに違いない。
このこと一つを取っても、大学生、高校生等の若者を取り巻く経済環境は厳しい。
内閣府と警察庁が3月9日(2012年)公表した2011年の自殺統計(確定値)は自殺者数3万651人は前年比マイナス1039人ではあるものの、1998年から14年連続での3万人超え。
《若者自殺、初の千人超え…学業不振・進路で悩み》(YOMIURI ONLINE
目立った特徴は、「学生・生徒」が初めての1000人超えの1029人(前年比+101人―+10.9%)。
大学生529人(前年比+16人)
高校生269人(前円比+65人)
大学生・高校生で8割弱を占めるという。
年代別
19歳以下622人(前年比+12.7%)
20歳代3304人(前年比+2%)
主たる動機は「学業不振」(140人)や「進路の悩み」(136人)。
就職難も影響している動機のはずだ。
全体としては前年比マイナス1039人の14年連続3万人超えであっても、若者の自殺者は増加傾向を辿っている。
《自殺者:14年連続3万人超 震災関連で55人》(毎日jp/2012年3月9日 11時19分)
統計を分析した内閣府は年間を通じて最も多かった5月に自殺者数が急増したことを特徴に挙げたという。
内閣府「東日本大震災を背景とする経済的なリスクの広がりが原因」
震災関連の自殺と判断されたのは55人。
「経済的なリスクの広がり」とは従来の不況に重ねた新たな不況要因による広がりを指しているはずだ。
ピークは3~4月や秋にくるのが例年の傾向だという。
大学生や高校生にとっては就職、勤労者にとってはリストラや配置転換、出向等が影響しているはずだ。
5月自殺者数3375人(4月比+24%)
年代別
30代、+44%
職業別
「被雇用者・勤め人」、40%
動機・原因別
男性「経済・生活問題」、+27%
5月最多自殺者の背景として、〈5月に倒産件数の増加を示すデータがある。〉と記事は伝えている。
大学生・高校生の就職できなかった失望も背景として挙げることができるはずだ。
記事。〈5月は20~40代の女性の自殺者が4月より45%も多く、特に5月12日から急増していた。8月まで内閣府参与として政府の自殺対策に関わった清水康之・ライフリンク代表は、24歳の女性タレントが同日に亡くなったと報じられたことに着目し、「過剰な自殺報道の影響が大きかった」と指摘している。
11年の自殺者のうち男性は2万955人、女性は9696人で女性が32%を占め、14年ぶりに女性の割合が3割を超えた。年代別では19とし以下が622人と前年を13%上回り、若年層の増加も目立った。【鮎川耕史】〉――
内実を眺めてみると、より深刻な状況に至っているように見える。
5月最多自殺者現出に24歳の女性タレントの自殺が影響していると言っているが、動機は多くが単純ではなく、複雑・複合的である。元々深刻な状況を抱えていた中で自殺決意の引き金となったということもあるはずである。
内閣府発表の2月(2012年)の消費動向調査は雇用や所得を取り巻く環境が悪化するという懸念から、消費者の購買意欲を示す指数が3か月ぶりに低下している。《購買意欲指数 3か月ぶり低下》(NHK NEWS WEB/2011年3月12日 16時35分)
「消費者態度指数」――39.5(1月比-0.5ポイント)
原因。〈国家公務員の給与が平成24年度から引き下げられることなどを背景に向こう半年間の「暮らし向き」や「収入の増え方」に対する消費者の見方が悪化したことによる。〉
内閣府「消費者の購買意欲は持ち直しの傾向が続いているとみているが、震災前の水準よりも依然、低い状況だ。今後は、世界経済の動向や原油価格の高騰などを受けた物価の動きが消費者心理にどう影響するかを注視する必要がある」
このように勤労者のみならず、これから就職を目指す大学生、高校生全体にとっても厳しい経済環境に取り囲まれた中での国家公務員新規採用7割以上カットである。「競争は厳しくなるかもしれないが、勝ち抜いてほしい」とか、「仕事のやり方を変え」れば人手は少なくても支障は起きないといった問題のみで済むわけではなく、特に大学生、高校生に他に累を及ぼす形でより厳しい就職状況に立たせることになる。
いわば消費税増税正当化のためのなり振り構わない国家公務員血祭りは民間企業に就職を目指す大学生・高校生向けの血祭りにもなるということである。
岡田副総理にしても野田首相にしても、このことに気づいていないのだから、視野狭窄としか言いようがない。
国家公務員新規採用を抑制するなら、せめて経済が回復し、有効求人倍率が1を十分に超えた雇用状況になってからにすべきであろう。
このことは消費税増税についても言える。
国家公務員試験がダメだったなら、民間に行くよと深刻な気持ちにならずに受け止めることができるような経済状況になってからということである。
NHKが3月9日から3日間行った、全国20歳以上男女対象コンピューター無作為抽出の番号に電話をかける「RDD」方式の世論調査で野田内閣支持率が前月比で微増した。《内閣支持率やや上昇 33%に》(NHK NEWS WEB/2011年3月12日 19時27分)
その内容を見ると、誰が見ても感じるに違いない奇妙な食い違いを窺うことができる。
前月比である関係から、《野田内閣 支持率は31%》(NHK NEWS WEB/2011年2月13日 19時8分)が伝えている2月10日から3日間行った調査と比較しながら、その食い違いを見てみる。
2月調査――1557人対象、65%に当たる1008人から回答。
3月調査――1615人対象、67%に当たる1074人から回答。
最も関心がある社会保障政策と消費税増税、そして震災・原発対応に関してのみ取り上げる。
2月支持率 3月支持率
「支持する」31%(1月比+1ポイント) ――33%(先月比+2ポイント)
「支持しない」48%(1月比+1ポイント)――48%(先月比±0)
2月支持する理由 3月支持する理由
「他の内閣より良さそうだから」45% ――43%
「人柄が信頼できるから」27% ――29%
2月支持しない理由 3月支持しない理由
「政策に期待が持てないから」39% ――43%
「実行力がないから」32% ――28%
“社会保障と税の一体改革”について
2月調査なし 3月調査
「大いに評価する」4% ――「まったく評価しない」17%
「ある程度評価する」34%――「あまり評価しない」41%、
「社会保障と税の一体改革」関連法案今国会提出・成立目標について
2月調査 3月調査
「大いに評価する」7% ――「まったく評価しない」19% 「賛成」27%――「反対」36%
「ある程度評価する」33%――「あまり評価しない」34% 「どちらともいえない」35%
月7万円以上「最低保障年金」創設財源、消費税率10%将来的+について
2月調査 3月調査なし
「賛成」14%――「反対」35%
「どちらともいえない」46%
大震災政府対応評価
2月調査なし 3月調査
「大いに評価する」5% ――「まったく評価しない」13%
「ある程度評価する」34%――「あまり評価しない」44%
福島原発事故政府対応評価
2月調査なし 3月調査
「大いに評価する」2% ――「まったく評価しない」30%
「ある程度評価する」16%――「あまり評価しない」48% (以上)
2月、3月とも、支持理由に政策や実行力の項目は入らず、見た目の印象で得点を稼いでいる、いわば政治的実力、あるいは政策的実力で支持を集めているのではなく、“印象派”に所属する首相と言える。このことが支持・不支持の逆転現象となって現れている最大の理由であろう。
また、前首相菅の不始末を引きずる不運を背負っているとは言え、首相として評価を得なければならない大震災対応や原発事故対応では不評価が評価を上回っている。特により目立った成果が求められている原発事故対応に関しては散々の結果である。
「福島の再生なくして日本の再生なし」と機会あるごとに声を高くしていながら、菅仮免は悪い意味でその姿が見えたが、よい意味でも悪い意味でも姿が見えてこないことがそのまま反映しているマイナス評価ではないだろうか。
ドジョウを任じていて、泥の中に潜る特性からすると当然と言えば当然なことかもしれないが、政治的行動性の影が薄いということである。この裏返しとしてある“印象派”と言うことでもあるに違いない。
問題は消費税増税に関しても社会保障制度に関しても、「最低保障年金」制度にしても反対が賛成を上回っていながら、2月よりも3月調査での支持率が微増している点である。
2月と比較した3月調査の支持・不支持率の違いからははっきりとは見えてこないが、各政策そのものの評価の反対が上回っていることから判断すると、やはり見た目の印象が支えとなった微増ではないだろうか。
いくら見た目の印象で支持率を僅かながら挽回したとしても、それでも不支持率が支持率を10ポイント以上も上回っていることに変わりはないし、その原因が政治的実力や政策的実力に対する不評価にあるという点についても変わりはない。
このことは国民にとって、特に被災地の住民にとって悲劇である。
昨3月12日(2012年)、我が日本の野田首相が震災から1年を迎えて午後5時から記者会見を開いた。目立った進捗を図ることができていない瓦礫処理について次のように発言している。
野田首相「がれき広域処理は、国は一歩も二歩も前に出ていかなければなりません。震災時に助け合った日本人の気高い精神を世界が称賛をいたしました。日本人の国民性が再び試されていると思います。がれき広域処理は、その象徴的な課題であります。
既に表明済みの受入れ自治体への支援策、すなわち処分場での放射能の測定、処分場の建設、拡充費用の支援に加えまして、新たに3つの取組みを進めたいと思います」
続けてその具体策として3方策を挙げている。
野田首相「まず、第1は、法律に基づき都道府県に被災地のがれき受入れを文書で正式に要請するとともに、受入れ基準や処理方法を定めることであります。
2つ目は、がれきを焼却したり、原材料として活用できる民間企業、例えばセメントや製紙などでありますが、こうした企業に対して協力拡大を要請してまいります。
第3に、今週、関係閣僚会議を設置し、政府一丸となって取り組む体制を整備したいと考えております」
この「法律に基づき」の「法律」とは「フジテレビ」の記者から、「新たな法律の整備を伴うのか、それとも従来の特措法の下でやるのか」と問われて、「昨年の8月に作られた、これは与野党で合意をしました災害廃棄物処理特別措置法。これに基づいてということでございます」と説明している。
だったら、冒頭発言で最初に言えよと言いたくなるが、「災害廃棄物処理特別措置法」の正式名は「東日本大震災により生じた災害廃棄物の処理に関する特別措置法」である。昨年の8月18日(2012年)に成立、即日公布・施行された。
野田首相は「震災時に助け合った日本人の気高い精神」、その「日本人の国民性」は世界から称賛を受けたと日本国家のリーダーとしても讃えた上で、瓦礫処理を協力して滞りなく処理できるかの点で、「日本人の国民性が再び試されている」と警告を発している。
いわば瓦礫処理が復興加速の障害となっていて、復興がその除去にかかってもいるのだから、「日本人の気高い精神」を再び遺憾なく発揮して、世界から再度の称賛を受けるような瓦礫処理の実績を見せて欲しいと要請した。
当然、「がれき広域処理」が「日本人の国民性」を試す「象徴的な課題」だと位置づけることになる。
野田首相は天秤にかけるような具合で、「日本人の国民性」持ち出したのだから、如何に瓦礫処理に重点を置いた姿勢でいるかが分かる。
だが、「がれき広域処理は、国は一歩も二歩も前に出ていかなければなりません」と言っている以上、「日本人の国民性が再び試されている」にしても、国が前に出ることにかかっていることになる。
その「一歩も二歩も前に」の一つが「法律に基づき都道府県に被災地のがれき受入れを文書で正式に要請する」ことということになる。
既に触れたように、「東日本大震災により生じた災害廃棄物の処理に関する特別措置法」が成立し、即日公布・施行されたのは昨年の8月18日。それから約7カ月も経過してから、「国は一歩も二歩も前に出ていかなければなりません」と今後の取り掛かり・着手としている。
放射能汚染に関しては除染の停滞如何が、瓦礫に関してはその処理の停滞如何が復興の障害となること、なっていることは早い段階から既に分かっていたことである。当然震災から1年も経過した現時点に於いては国は除染に関しても瓦礫処理に関しても三歩も四歩も前に出ていなければならなかったはずだ。
だが、そういった状況にはなっていない、「一歩も二歩も前に出てい」ない停滞した状況であることを野田首相は意図せずに語るに落ちる形で暴露した。
野田首相のもと、日本の政治が満足に機能していなかったことを示す。
野田首相自身は「日本人の国民性が再び試されている」と警告はしているが、実質的には日本の政治が試されていることになる。
2009年9月の政権交代以降、民主党による日本の政治は内外から試されてきた。2011年3月11日に東日本大震災が起き、東電福島第1原発が事故を起こしてからは、双方処理・収束に関しても日本の政治は内外から試されることとなった。
いわば、「日本人の国民性」が試される以上に日本の政治が試されていたのである。
被災地の住民の不屈の精神、精神の強靭さ、向上心は確かに国際的に称賛を受けた。だが、日本の政治が一度でも称賛を受けただろうか。
野田首相の記者会見冒頭発言にはその自覚も認識もない。自覚も認識もないから、復旧・復興に関して様々な停滞や不手際を演じることになり、その尾を今も引きずることになっている。
2011年11月14日当ブログ記事――《細野環境相が言う「贖罪」とはパフォーマンスでしかない除染ボランティアをすることではない - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた一文を再度掲載してみる。
細野環境相が昨年の11月13日午前(2011年)、福島県伊達市でボランティア約60人と一緒になって民家の庭先表土削除の除染ボランティアを行った。
細野環境相「地区のみなさんに迷惑、心配かけているので贖罪の意識も込めて作業した」
〈東日本大震災の復旧・復興に関わっている政府の「贖罪」は除染ボランティアすることではあるまい。
政府が復旧・復興対策に遅れを見せていた以上、政府が贖罪とすべきことは1日でも早い実効性を伴った復旧・復興の推進であり、その完了であるはずである。
環境省の関わりについて言うと、解決を必要とする懸案は先ず第一に震災によって生じた瓦礫の一刻も早いスムーズな処理であり、除染で生じる汚染土の処理であるはずである。〉
各マスコミが既に被災地以外の自治体の瓦礫処理受入れが難航していることを伝えていた。
〈細野環境相が瓦礫の広域処理受け入れ先難航の記事から読み取るべき決定事項は既に触れたようにやはり除染ボランティアなどではなく、環境省の広報任せ・通達任せにするのではなく、また自治体の住民の反発を恐れた及び腰任せにするのではなく、環境相自らが前面に立つ形で全国の自治体を回り、頭を下げて住民に前以て国の責任で放射能除染を確実に行うゆえに放射能をばらまくようなことないと説明してまわる全国行脚であろう。
今何が必要されているかの意味に於いて細野環境相の一時の除染ボランティアはパフォーマンスに過ぎない。〉
最近になって細野環境相は自治体を回って瓦礫処理受入れを要請するようになった。だが、具体的姿を満足に伴わずにいる。そこで野田首相の「がれき広域処理は、国は一歩も二歩も前に出ていかなければなりません」の発言になったのだろう。
以上の経緯にしても、日本の政治が試されていたのである。だが、十分に応えることができないままに時間だけを費やしてきた。被災地の苛立ちは尤もである。
日本の政治が常に試されていることに気づかずに「日本人の国民性が再び試されている」などと言うのは野田首相のピント外れの愚かしい妄言に過ぎないということである。
このピント外れの愚かしい妄言は次の冒頭発言についても言うことができる。
野田首相「日本は災害多発列島です。大震災で得た知見と教訓を踏まえ、全国的な災害対策の見直し強化を早急に進めていきたいと考えております」
各自治体の復旧・復興の経験から得た「知見と教訓」、東電の原発事故安定化の経験から得た「知見と教訓」は確かに今後の「災害対策の見直し強化」に役立つだろう。
政府にしても少しは役に立つ「知見と教訓」を得たことは否定できないかもしれない。
だが、政府の「原子力災害対策本部」議事録が未作成で、今回公表された議事概要では政府の初期対応に関わる意思決定のプロセスは正確には検証不可能で、検証不可能である以上、政府トップの関与をどのように「知見と教訓を踏まえ」ることができるというのだろうか。
民間事故調、その他の調査によって反面教師にしかならないのは分かっているものの、具体的にどの点がどのように反面教師となるのかは詳細な議事録がないために汲み取ることすらできないだろう。
「知見と教訓」とするためには詳細に議事録を作成すべきだった。
かくこのように常に日本の政治は試されていたのだが、その試練に応えることができなかった。野田首相に日本の政治こそが試されているのだという確たる自覚・認識を持ち得なかったなら、復興を日本再生の歴史的な使命だといくら位置づけようとも、今後の復旧・復興の政府に対する期待は今まで通りに大して持ちようがないのではないだろうか。
最近孤立死がマスコミによって取り上げられている。私自身は71歳の今日に至るまで生涯に亘って独身、市営アパートで単身生活を送っているから、孤立死に見舞われかねないケースのいの一番の対象ではあるが、私自身は孤立死、と言うよりも孤独死が最もふさわしい死の迎え方、人生の最終場面だと思っていて、そうあることを半ば望んでさえいる。
例え発見が遅くなっても、孤立死、もしくは孤独死という性格上、そのような性格を際立たせることになるから、却って望ましい発見の遅れだとさえ思っている。
但し関係者にとって発見が遅くなると人命に対する危機管理の点で問題が生じることになるから、私以外の孤立死防止の観点から言うと、一定の条件下にある誰もに起こり得る事態として「万が一」の場面を思い描く想像力が最も効果的な危機管理になるのではないだろうか。
災害や事故の発生に万全の態勢で備えていたとしても、その発生の瞬間を予想していた人間は殆どいないはずである。多くが思いがけない瞬間に発生する。
例えば車を運転していて、衝突事故を起こして相手の運転者や同乗者を死なせてしまう、あるいは歩行者を跳ねて死なせてしまったとき、その瞬間を予想していた人間は存在しないはずだ。
また、車を運転していて衝突事故を起こされたり、道路を歩いていると信号無視の車や暴走車に跳ねられる事故に遭遇したとき、その瞬間を予想していた人間は皆無であろう。
前以てその瞬間を予想できたなら、事故は防ぐことができる。自分の方に違反があった場合、死なずに済んだならの話だが、事故後にその違反を後悔することぐらいしかできない。どれ程悔やんでも、事故発生前に時間を戻すことはできない。
但し、多くの自動車事故が大体が決まりきったいくつかのパターンで繰返し起きて、誰にとってもそれが起こり得る事態となっている以上、実際の数ある事故のシーンのどれもに自身も遭遇しかねない起こり得る事態として横たわっていると考えなければならないはずである。
単にそのことを自覚しているか自覚していないかの違いしかないはずである。自覚していなかったとしても、事故を起こせば、いやでも起こり得る事態だったと自覚せざるを得ないはずである。
地震の発生の瞬間がいつなのかは予知が確立していない現時点に於いては誰も予想することはできないにしても、地震の発生はどこでも起こり得る事態として予想し、それ相応に備える。備えを上回る被害に遭遇したとしても、何も備えをしていないよりは全体の被害は少なくて済むはずだ。
様々な災害や事故が稀有な事例ではなく、誰もに起こり得る事態として共通化しているなら、そのことに対する備え、危機管理は起こり得る事態と把えて、万が一そうなった場合を思い描く想像力にかかっているはずである。
それも最悪場面を思い描くことによって、その備え、危機管理は強固な姿を取る。
若い母親が、あるいは若い父親共々心置きなくパチンコに打ち興じるためにパチンコ店の駐車場に停めた自家用車の中に幼い子供を何時間も残して熱中症で死なせてしまう事件が毎年のように1件か2件起きるが、車に残したなら、車中の温度が40度、50度と上昇して熱中症で死なせてしまう過去の事件を学習し、そういったことをしたなら、幼い子供の誰もに起こり得る事態となると万が一の最悪場面を思い描く想像力があったなら決して起きない事件であろう。
親が幼い子供を部屋に残して出かけた場合、その子のそばにライターやマッチの類が置いてあったなら、火遊びに興じて最悪火事を起こし、子どもが焼死する事件はそのような条件下に置かれた子供の誰もに起こり得る事態だと、万が一の最悪場面を思い描く想像力が親にあったなら、ライターやマッチの類を子供の手の届かない場所に隠しておく備えをしてから出かけるに違いない。
3月7日(2012年)、東京都立川市の都営アパートで90歳代と60歳代の女性親子が死後1カ月の、いわゆる孤立死の状態で発見された。死因は病死か衰弱死のいずれかだという。《高齢女性2遺体、死後1か月 東京・立川市》(日テレNEWS24/2012/3/9 4:56)
3月2日、地元の自治会長が郵便物がたまっているのに気付き、アパートを管理する東京都住宅供給公社を通じて立川市に連絡。
5日後の3月7日、市の担当者が部屋の確認に来訪。遺体発見。
司法解剖の結果、胃の中は空の状態。
3月8日、記者会見。
土屋英真子立川市高齢福祉課課長「住宅供給公社からの居住者の情報提供だったので、緊急性の判断を住宅供給公社がすると考えていた」
次の発言はインタビューを受けてのことか記者会見の発言かは分からない。
小室明子東京都住宅供給公社総務部長「(部屋に)入った結果、元気だったり亡くなっていなかったりするケースも現実にあります。その結果、住民の方とのトラブルもあったりするので、その選択は慎重に十分に状況を見極めながら行っているというのが実際のところです。
今回、結果として遅れてしまったことは重く受け止め、残念で反省しております」
要するに双方共に相手に責任を丸投げした。
小室明子総務部長は何事も起きていなくて住民とトラブルになるケースがあるために無断入室は慎重にならざるを得ないと言っているが、安否確認優先、その結果の住民とのトラブルなら、止むを得ずとしてそのような対応策を取っているのだと、「お怒りはご尤もですが」と詳しく説明して納得を得る安否確認優先の危機管理は採用していないかったことが分かる。
いわば安否確認よりも住民とのトラブル回避を優先させてきた。
次の記事――《認知症の母と介護する娘か 市の対応遅れも 東京・立川市の孤立死》(MSN産経/2012.3.8 12:21)は別の事実を伝えている。
先月下旬、自治会長がアパートを管理する東京都住宅供給公社(JKK)に「母娘と連絡が取れない」と通報。
住宅供給公社は2人暮らしであることなどを理由に立ち入り確認はせず、今月2日に立川市に安否確認の依頼をした。
その結果、上記「日テレNEWS24」が伝えているように立川市は「住宅供給公社からの居住者の情報提供だったので、緊急性の判断を住宅供給公社がすると考えていた」として、住宅公社に責任を丸投げしたということなのだろう。
3月7日午前、地域の民生委員が地域高齢者の相談窓口になっている市南部東はごろも地域包括支援センターを訪れ、「姿が見えない」と伝える。
同日午後、立川市職員が訪問。
記事は、市職員は宅配サービスの不在票の状況などから在宅していると判断、警察と消防に通報。2人の遺体発見。
宅配サービスの不在票が遺体発見を手助けした形だが、このような外見的な兆候がなかった場合、どうしただろうか。
孤立死は全国的に既に珍しい事件ではなくなっていて、一定の状況を抱えた誰もに起こり得る事態となっている。東日本大震災に見舞われた被災地の仮設住宅でも孤立死は起きている。
2人暮らしであっても、一人が病気で突然死し、一人が何かの理由で自分で食事を摂ることができずに衰弱死する前例、立川市でも2月に母親が突然死して、知的障害を抱えた幼い男児が自分で食事が摂れずに衰弱死し、死後1~2カ月後に発見という事件が起きている。
別の「MSN産経」記事が、〈都営住宅では誰にも看取られずに死亡していたことが判明するケースが自殺も含めて、年間約400件ある〉という事態にまで至っている。
自治会長が郵便物がたまっていると通報した時点で、そういった外見的兆候下では一定の条件下にある誰もに起こり得る事態が既に進行しているのではないかという万が一の最悪場面を思い描くことはしなかったのだろうか。
万が一の最悪場面を思い描きながら、入室まで図らなかったとしたら、最悪である。万が一の最悪場面を頭から振り払うと同時に職務上果たさなければならない面倒をも振り払ったことになる。
孤立死は一定の条件下にある誰もに起こり得る事態だと関係者だけではなく、そういった条件下にある当事者自身にしても自覚したとき、万が一の最悪場面を思い描く想像力が働いて、孤立死に備える危機管理の様々な手段を前以て講じる想像力へとつながっていくはずである。
但し私自身は第三者に対してそういった想像力を働かすことはあっても、えらく迷惑な話だとは分かっているが、自分に対する備えはしないことにしている。
1月28日(2012年)の岡田副総理津市記者会見での議事録未作成についての発言。 ○海江田万里経済産業大臣からこれまでの経過を含めて原子炉の状況について報告。 ○北澤俊美防衛大臣から米軍からの支援の申し出について報告。 ○海江田万里経済産業大臣から原子力発電所の状況について下記のとおり報告。
岡田副総理「議事録の事後の作成もありうるという法律の立て方になっているので、ただちに法律違反とは言えない。事後といってもできるだけ速やかに作るべきで、これだけ時間がたっているのはよくないから問題になっている。
なぜ作成されなかったのかという検証の問題と、今後どうするかという問題の2つがある。法律があるのに、省庁によって扱いが全然違うのはよくないので、今後は、公文書を所管する立場で、どの程度の議事録をどういう形で作るか、一定のガイドラインを作ることも考えなければならない」――
この発言を捉えて、2012年1月29日当ブログ記事――《岡田副総理、議事録作成どこが「事後の作成もありうるという法律の立て方」となっているのか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》を書き、「公文書等の管理に関する法律」のどこにも事後の作成についての記述がない、〈原理主義者なら原理主義者らしく原理・原則に則って法律の義務づけを厳格に受け止め、議事録作成の認識がなかったために作成に至らなかった責任不履行を潔く認めるべきだが、時間の経過の問題にすり替える、原理主義者からご都合主義者への変身をものの見事に演じている。〉と批判した。
そして、〈情報公開、政治の説明責任、政治の透明性を厳格に担保するためには意志決定のプロセスを明確にする必要があり、これらの条件をクリアするためには当然リアルタイムの作成が求められているはずである。
リアルタイムであることから時間を置いた場合、情報自体が変質しない保証はなく、それが変質しなかったとしても、変質したか否かの証明が困難となる。〉と書き添えた。
この「リアルタイム」について少し説明したいと思う。「リアルタイム」とは即時、同時という意味である。だが、会議の進行と同時にその場その場で議事録としての体裁を整えた文書を作成していくことは困難であろう。
例えば会議の議論を録音しておいた場合、議事録作成は会議終了以後となる。
この点で岡田副総理の発言にあるように「事後の作成もありうる」ということになるが、法律が議事録作成を義務づけていいる以上、あくまでも議事録作成の認識を常に念頭に置いた「事後の作成」でなければならないはずだ。
政府関係の会議に於いて議事録作成の認識を念頭に置くことによって、議事録作成に添う十分な記録を残しておくことが可能となり、意志決定のプロセスが初めて明らかになって、情報公開、政治の説明責任、政治の透明性等が担保可能となる。
当然、議事録作成の認識を念頭に置かない「事後の作成」は情報公開、政治の説明責任、政治の透明性等を国民に対して厳格には約束できないことになって法律の趣旨、あるいは法律の義務づけに反することになり、厳密に言うと「法律違反」と言えるはずだ。
いわば議事録作成の認識がなかった時点で既に法律違反を犯していたことになる。
そのような場合、「事後の作成もありうるという法律の立て方になって」はいないということである。
認識の有無から法律違反かそうでないかを判断すべきだったが、そういった判断をするだけの能力はなかった。
そのような認識は明らかになかったのだから、責任回避を謀る意図的にねじ曲げたウソも同然の、自分たちに都合がいいだけの解釈に過ぎない「法律の立て方」と言うことができる。
このことは3月9日(2012年)、議事録作成事務局の原子力安全・保安院が公表した「議事概要」が証明している。
議事録作成の認識がなかったために議事録作成に十分に添うことができる満足なメモ・記録の類がなく、逆立ちしても議事録とは言えない「議事概要」となっていて、明らかに「公文書等の管理に関する法律」が求めている規定に違反している。
3月11日午後7時3分からの第1回会議。
発言者不明「バッテリーで冷却装置が動く8時間を超え、炉心の温度が上がるようなことになると、メルトダウンに至る可能性もある」(NHK NEWS WEB)
原子力発電の情報にかなり詳しい人間の発信か、詳しい人間から得た間接情報だとしても、間接情報を得るだけのつながりと間接情報を発信できる立場にある人間の発信に限られるはずだが、発言者の名前すら分からない。
それとも東電が1号機が地震発生から約5時間後に、3号機は3月13日の午前9時頃に、2号機は3月14日の午後8時頃にそれぞれメルトダウン(炉心溶融)を開始した可能性を5月14日になって後付けで公表した手前、辻褄を合わせる都合から、あるいは責任回避の都合から発言者不明としたと疑えないことはない。
3月11日午後4時過ぎからの2回目の会合で、〈海江田経済産業大臣が「原発はすべて停止した。冷却電源の供給が心配だ」と発言し、初めて原子力発電所について言及しています。〉(「NHK NEWS WEB」)という記述があり、菅以下が東電から情報が上がってこない、上がってこないと騒いでいたから、海江田発言から情報収集の障害の程度を知りたいと思って、第2回会合の「概要」にアクセスしてみた。
しかし記事の間違いなのか、この海江田発言は3月11日(金)19:03~19:22第1回「議事概要」に記されている。
・最初は非常用電源が立ち上がったが、その後停止し全電源が喪失した。
・炉は当初制御棒が挿入され停止したが、現在、冷却できなくなっている。
続いて次の記述となっている。
・ルース大使からもオファーあり。
・発電機は何機あればいいのか。
・照明も必要。
○菅直人内閣総理大臣から防衛大臣に対して原子力災害派遣を要請。
○中野寛成国家公安委員長から、東京電力福島第一原子力発電所の停止に伴い、東京電力が
東京等から派遣する電源車の関係警察のパトカーによる先導について発言。
○菅直人内閣総理大臣から、経済産業大臣の下、避難対応を進めるよう指示。
○海江田万里経済産業大臣から、道路状態が悪いとの発言。
○片山善博総務大臣から、道路状態をよく確認するようにとの発言。
○松本龍防災担当大臣から、官邸に情報が入っていないとの発言。
○枝野幸男内閣官房長官から各大臣が先頭に立って指揮するよう要請。
○枝野幸男内閣官房長官から閉会を宣言。
各人の発言を纏めてしまっているから、議論がどう推移していったのか、起承転結のプロセスを見えてこないだけではなく、
各発言を最小限に留めてしまっているから、各状況の程度について窺うこともできないし、それぞれの発言に対して誰がどう反応し、どのような決定がなされたのか、あるいはどのような指示を約束したのか、一切を窺うことができない。
当然、意思決定の過程は判断しようがないし、検証の用に堪え得るとは思えない。
「NHK NEWS WEB」記事が触れていた3月12日(土) 9:15~(9:34までには終了)第2回目「概要」の海江田発言を見てみる。
「本部長:菅直人内閣総理大臣(欠席)」となっている。
3月12日午前6時14分――菅仮免、官邸からヘリで視察に出発
3月12日午前7時11分――菅仮免、福島第一原発に到着
3月12日午前8時04分――菅仮免、福島原発視察を切り上げ、三陸機上視察に出発
3月12日午前10時47分――菅仮免、首相官邸に戻る
ヘリコプターで途中立ち寄るところはあっても空中散歩をしていた時間帯と重なったことからの欠席である。
・昨日発生した平成23年東北地方太平洋沖地震を受け、各地の原子力発電所の安全を確保
するため、電力事業者と経済産業省原子力安全・保安院をはじめとし、政府一丸となっ
て取り組んできたところ。
・これまで、東通、女川、柏崎刈羽、六カ所の各原子力施設では安全が確認されているが、
もっとも大きな被害を受けた東京電力福島第一及び第二原子力発電所では、安全確保に
向け引き続き関係者による取組が続けられており、まだ「進行中」との認識をもってや
っていきたいのでよろしく願いたい。
・福島第一原子力発電所では、原子炉格納容器の圧力が高まっているおそれがあることか
ら、本日未明、原子炉格納容器の健全性を確保するため、内部の圧力を放出する措置を
東京電力が講じる予定との報告を受けている。仮に放出が行われたとしても、現在とら
れている10km以内からの避難により、住民の安全は十分確保されている。
・圧力放出の措置としては、安全弁をあけることで蒸気が外に出る。人力でバルブを開け
る作業中である。
・福島第二原子力発電所については、原子炉の圧力を抑制する機能を喪失したことから、
原子力災害対策特別措置法第15条第1項の特定事象が発生したが、現在のところ、発
電所の排気筒モニタ及び敷地周辺のモニタリングポストの指示値に異常はなく、放射性
物質による外部への影響は確認されていない。
・したがって、緊急事態応急対策を実施すべき区域内の居住者、滞在者その他公私の団体
等は、現時点では、直ちに特別な行動を起こす必要はない状況。
・引き続き、安全確保に向け、万全を尽くして参りたいのでご協力よろしくお願いしたい
。
○枝野幸男内閣官房長官から閉会を宣言。
一つの発言に反応した発言の経緯が意思決定のプロセスを明かすことになるはずだが、やはり海江田発言に対する他の閣僚の反応、その反応に対する海江田の再反応は一切窺い知れない。
海江田発言を纏めて、あとは枝野の閉会宣言である。
また、〈したがって、緊急事態応急対策を実施すべき区域内の居住者、滞在者その他公私の団体等は、現時点では、直ちに特別な行動を起こす必要はない状況。〉という記述からは、この海江田情報がどこの誰からの発信情報に基づいているのか、情報共有という点での判断ができない。
「公文書等の管理に関する法律」は「意思決定に至る過程」と「事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証」が可能な文書作成を義務づけている。
この意思決定のプロセスと検証という要求を何ら満たしていない。
このように「議事概要」の一部を見ただけでも、岡田副総理が言っていた「議事録の事後の作成もありうるという法律の立て方になっている」は虚偽(=ウソ)そのものであって、明らかに「法律違反」に当たる。
他の数々のウソと合わせると、まさしく「ウソつきは泥棒の始まり」である。
《議事概要公表も政府対応は検証困難》(NHK NEWS WEB/2012年3月9日 18時50分)が紹介している、情報公開制度に詳しい名古屋大学大学院春名幹男特任教授の発言を、既にご存知かもしれないが、参考までに記載しておきたいと思う。
春名幹男特任教授「リアルタイムで記録されたものではなく、官僚や関係者が残したメモや記憶を基に再構成した文書だ。閣僚の発言を名前を記して記載している点は評価できるが、その後どう議論され、どうなったのか、詳しいことが記されておらず、非常に分かりにくい。
アメリカの場合(アメリカ原子力規制委員会議事録)は3000ページもあり、どう対応したかがよく分かる内容だったが、日本の場合は70数ページで、発言がどう行動に反映したかも分からない。国民の知る権利に応えるものになっていない」
政府の人間は大震災を教訓としてとか、福島原発事故を教訓としてと盛んに言うが、どのような意思決定のもと政策が決定されていったのか検証が不可能であったなら、不可能とまで行かなくても、検証困難であったなら、万が一の次のときの教訓にならないばかりか、政府、あるいは自治体の災害に備えるための危機管理対策の参考にもならないことになる。
この罪は重い。「議事録の事後の作成もありうるという法律の立て方になっている」では済ますことのできない罪の重さであろう。
特に菅仮免の危機管理は反面教師としての価値は計り知れないものがあったはずで、後世の危機管理対策のバイブルとも言える宝となったはずである。
責任を認める意識がないと、強弁を働いたり、虚偽に走ったりのウソを働くことになる。結果、「ウソつきは泥棒の始まり」となって、国民を裏切る罪の重ねへとはまり込んでいく。
参考までに。
原子力災害対策本部会議の議事概要