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安倍晋三は信念を少し丸めてその場を取り繕って大きな禍根を残すことはしない誠実な政治家だと自己評価した

2014-06-10 09:50:39 | 政治



 河野洋平元衆院議長が東京都内での講演や月刊誌「世界」5月号インタビューで安倍晋三を批判、安倍晋三が6月9日午前の参院決算委員会で反論したという。

 先ず5月29日の公演での河野発言は次の記事から。《「中国を仮想敵国にしている」河野氏が安倍外交を批判 談話検証には「冷静に結論を」》MSN産経/2014.5.30 13:249)

 河野洋平「(集団的自衛権の行使容認を目指していることについて)あからさまに中国が仮想敵国になっている。『わが国の平和と安全を守る』というより、外交的に隣国と話をすることが先で、その方が効果的だ。

 (『地球儀外交』を引き合いに出して)世界中を飛んで歩いているのは尊敬するが、深刻な問題を抱える隣の国だけ行かないのは、いかがなものか。 島(尖閣諸島)の問題と歴史認識の問題をなんとかしないといけない」――

 次の記事――《日中関係を巡り河野元衆院議長が首相を批判》日テレNEWS24/2014年5月30日 1:58)からも見てみる。

 河野洋平「あれだけ地球儀を見ながら世界中を飛んで歩いている人が、隣の国だけ行かないとは一体どういうわけだと思う。しかも一番深刻な問題があり、一番求められている、問題を抱えている隣の国にだけ行かないというのは、ちょっといかがなものかと私は思わざるを得ない。

 (集団的自衛権)あからさまに中国は仮想敵国となっている」――

 月刊誌「世界」5月号インタビューでの批判は安倍晋三の国会答弁反論と次の一つ記事の中で取り扱っているが、河野インタビュー発言だけを取り上げて、安倍国会答弁は参議院インターネット審議中継から、その個所のみを文字に起こすことにする。

 《「取り繕いは大きな禍根残す」 首相、河野氏の「上から目線」批判に強く反論》MSN産経 /2014.6.9 13:03)

 河野洋平インタビュー「(首相の国会答弁について)上から目線で接していることが少なくない。とりわけ 疑問に思うのは相手の議員によって言い方や姿勢を変えているように見えることだ。議員の背後にいる国民に著しく礼を失している。行政の責任者として非常に不適切だ。

 (内閣法制局長官やNHK経営委員などの人事、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈見直しの動き、武器輸出三原則に代わる防衛装備移転三原則などの問題点を列挙。)日本がやるべき仕事は中国や韓国との関係改善だ。もっとバランスの取れた外交をすべきだ」――

 江崎孝民主議員が「世界」5月号のインタビュー発言を参院決算委員会で取り上げて、「大先輩の指摘をどう思うか」かと質した。

 安倍晋三「えー、私の不徳の致すところであります。我が党の大先輩からも厳しいご指摘を色々な場で頂いておりました。私も、えー、しっかりと受け止めていき、また、えー、拳々服膺(けんけんふくよう・人の教えや言葉などを心にしっかりと留めて決して忘れないこと)していく、必要があるだろうなぁと、このように思っております。

 えー、河野元議長を今では知らない人はいない存在などと思っています。えー、敢えて申し上げればですね、えー、自分の、それぞれ信念を持って政治家になっている、わけでありますが、様々な議論を行う際にですね、その信念を、えー、少し丸めて、その場を取り繕ったとしてもですね、後々大きな禍根を残すこともあるわけでありまして、それは私は政治家としては不誠実ではないかというのが私の考えであります。

 それはそれぞれ政治家が持っている信念でありますから、みんなが自分と同じ信念を持つという気持は私は毛頭ないわけであります。

 このようなはご批判も、時には恐れずに、私は自分の信念を述べていくつもりあります」――

 江崎議員は、最初は反省しているように見えたが、信念の件(くだり)で開き直りと受け取めて、今年1月29日の参議院代表質問で質問の最中に安倍晋三が両手を頭の後ろに当てて大きく背伸びをし、その両手をバンザイする形で上に上げた、どの新聞もその写真を撮って報道することはなかったが、その不誠実な態度と、しかも原稿通りに読まずに読み飛ばしたことを取り上げて、要するに河野洋平が「議員の背後にいる国民に著しく礼を失している」と批判したことに擬(なぞら)えてのことなのだろう、不誠実で傲慢な態度ではないかと追及。

 特に「河野元議長を今では知らない人はいない存在などと思っています」は不遜な発言であろう。

 安倍晋三の次の答弁は江崎議員の指摘通りであることを証明することになる。

 安倍晋三「今、大切な決算の時間にですね、えー、かつての遣り取り。えー、私も多少人間ですからね。疲れているときもありますよ。当時は海外出張も重なっていましたから。

 ええ、そういう声があれば、もしかしたら、申し訳ないと思いますよ。いちいち、それをここで取り上げてですね、もっと政策の議論をしましょうよ(失笑するような笑みを見せて)。それを国民が求めているんじゃないんですか。

 私は厳しい反論をする場合もありますよ。厳しく反論すれば、不愉快かもしれませんが、それがこの委員会に於ける議論なんですよ。私はこれからも私の述べる点はしっかりと述べていきたいと、このように思います」――

 確かに人間だから、疲れるときもある。だが、いくら疲れているからといって、質問者の質問の最中に両手を後頭部に当ててその頭を後ろにのけ反らせた上に、その手をバンザイの形で高々と上げるのは、質問者に対する小馬鹿にする態度であって、同じ人間であったとしても、性悪な人間としか見えないことになる。

 それを「私も多少人間ですからね。疲れているときもありますよ」と言うのは開き直り以外の何ものでもない。人間としての誠実さが分かろうというものである。

 しかも、「そういう声があれば、もしかしたら、申し訳ないと思いますよ」と、申し訳ないという気持を100%の反省とするのではなく、「もしかしたら」と、あるいはそう言うことかもしれないという推定に置き替えていることから、少なくとも言葉通りには申し訳ないと思っていないことになる。

 要するに言葉と思いに乖離がある。

 いずれにしても安倍晋三は信念を少し丸めてその場を取り繕い、後々に大きな禍根を残すといったことは一切しない誠実な政治家だと、自己評価した。

 2012年9月16日の自民党総裁選討論会。

 安倍晋三「河野洋平官房長官談話によって、強制的に軍が家に入り込み女性を人さらいのように連れていって慰安婦にしたという不名誉を日本は背負っている。安倍政権のときに強制性はなかったという閣議決定をしたが、多くの人たちは知らない。河野談話を修正したことをもう一度確定する必要がある。孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」――

 2013年4月22日、参議院予算委員会。

 安倍晋三「安倍内閣として、いわば村山談話をそのまま継承しているというわけではありません。いわば、これは50年に村山談話が出され、そして60年に小泉談話が出されたわけでありまして、これから70年をいわば迎えた段階において安倍政権としての談話をそのときに、そのときのいわば未来志向のアジアに向けた談話を出したいと今既に考えているところでございます」――
 
 2014年3月14日の参院予算委員会での河野談話を巡る遣り取り。

 安倍晋三「まず私から、安倍内閣のいわば歴史認識についての立場について述べさせていただきたいと思います。

 歴史認識につきましては、戦後50周年の機会には村山談話、60周年の機会には小泉談話が出されています。安倍内閣としては、これらの談話を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいます。

 慰安婦問題については、筆舌に尽くし難いつらい思いをされた方々のことを思い、非常に心が痛みます。この点についての思いは私も歴代総理と変わりはありません。この問題については、いわゆる河野談話があります。 この談話は官房長官の談話ではありますが、菅官房長官が記者会見で述べているとおり、安倍内閣でそれを見直すことは考えていないわけであります。

 先ほども申し上げましたように、歴史に対して我々は謙虚でなければならないと考えております。歴史問題は政治・外交問題化されるべきものではありません。歴史の研究は有識者や、そして専門家の手に委ねるべきであると、このように考えております」――

 河野談話を「孫の代までの不名誉」だと言って、見直す方針を示しながら、異なる場面では安倍内閣では見直すことは考えていないし、村山談話と同様に歴代内閣の立場を安倍内閣しても全体として引き継いでいくとの立場を示しながら、さらに異なる場面では、「村山談話をそのまま継承しているというわけではありません」と違ったことを言う。

 このことを以って、信念を少し丸めてその場、その場を取り繕っていることにならないだろうか。

 2012年9月26日投票の自民党総裁選立候補者共同記者会見。

 安倍晋三「国の指導者が参拝し、英霊に尊崇の念を表するのは当然だ。(第1次安倍内閣の)首相在任中に参拝できなかったのは痛恨の極みだ。(参拝は)今言ったことから考えてほしい」(MSN産経)――
 
 そして第2次安倍内閣1年目となる2013年12月26日、靖国参拝を果たして、「痛恨の極み」を晴らす。 

 安倍晋三「もとより韓国、中国の人々の気持ちを傷つけるつもりは毛頭ない。母を残し、愛する妻や子を残し、戦争で散った英霊のご冥福をお祈りし、リーダーとして手を合わせるのは、世界共通のリーダーの姿勢ではないか。それ以外のなにものでもないと理解していただく努力を続けていく」(NHK NEWS WEB)――

 安倍晋三は靖国神社参拝を国のリーダーの務めとすることを自らの固い信念としている。だからこそ、1年続いた安倍第1次内閣のその1年の間に靖国参拝を見送ったことを「痛恨の極み」だとした。

 だが、第2次安倍内閣発足翌年の昨年2013年、春と秋の例大祭では参拝を見送り、真榊を奉納しただけで済ませた。敗戦の日である8月15日こそ、国のリーダーの務めとして靖国参拝の信念を示すべきを、参拝せずに自民党総裁の立場で、いわば国のリーダーの立場ではなく、私費で玉串料を納めて国のリーダーの務めに替えた。

 2013年12月26日には靖国参拝の信念を果たしたものの、今年の春の例大祭には国のリーダーとしての信念を示さずに、再び真榊奉納に替えた。

 マスコミは中韓とオバマ大統領に対する配慮を理由としているが、どのような理由があれ、信念を少し丸めてその場を取り繕ったことにならないだろうか。

 もし安倍晋三が信念を押し通したなら、より大きな禍根を残すことになるから、信念を少し丸めたと自己正当化するとしたら、それは信念と言うことはできなくなる。

 信念は丸めたり曲げたりするものではないし、悪しき結果を招くと予想される場合にのみに使う表現であって、実際に丸めたり曲げたりしている人間には「信念」という言葉は使う資格はない。

 安倍晋三は時と場合に応じて都合よく信念を丸めたり、曲げたりしていながら、「信念を、えー、少し丸めて、その場を取り繕ったとしてもですね、 後々大きな禍根を残すこともあるわけでありまして、それは私は政治家としては不誠実ではないかというのが私の考えであります」と口先では立派なことを言って、実際行動とは異なる自己評価を自省心もなく提示した。

 国民の多くがこのことを気づいていないだけで、もし気づくことになったなら、裏表のあった政治家、ウソつきだったといった評価が下される禍根を残すことになるに違いない。

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安倍晋三は人気取りのためにも横田めぐみさん帰国の保証がなければ、訪朝しないだろう

2014-06-09 04:00:50 | Weblog

 

 6月8日(2014年)日曜日、NHKの日曜討論で、拉致問題について次のような遣り取りがあった。

 島田敏男アナ「今後安倍総理大臣は北朝鮮訪問ということについては、可能性如何でしょうか」

 高村正彦自民副総裁「ゼロではないと思いますね。小泉訪朝の前に可能性あるかって言われたって、誰も答えられませんですよね。そういうことですよ」

 島田敏男アナ「そして見方次第では、電撃的な訪朝ということが再び――」

 高村正彦「ゼロではないと思います」――

 安倍晋三自身は6月3日午後、ベルギー・ブリュッセルで開催の先進7カ国(G7)首脳会議出席出立前の羽田空港で訪朝の可能性について記者団に話している。

 安倍晋三「今、判断するのは早計だ。北朝鮮側が設置を約束した『特別調査委員会』の組織や構成について、しっかりと情報を把握し、結果を出すよう北朝鮮に強く促していきたい」(NHK NEWS WEB)――

 5年程前の当ブログに書いたことだが、小泉訪朝は電撃なことでも何でもない。その第1回訪朝は2002年9月17日。その約1カ月後の2002年10月12日の朝日新聞夕刊が、小泉第1回訪朝の20カ月前の2001年1月、シンガポールのホテルで中川秀直前官房長官(当時)と北朝鮮の姜錫柱・第一外務次官との「秘密接触」 が行われたことを伝えている。

 中川秀直「拉致問題は避けて通ることのできない政治問題。交渉に入る前に(一定の回答が)示されるべきだ。(被害者の)安否確認や 帰国して家族と面会することは可能か」

 姜錫柱(行方不明者という表現を当てて)「即、動きを見せることができ、人を探して帰すこともできるだろう」――

 この時点で「行方不明者」という表現で以って拉致認知と、それに続く拉致被害者の帰国のレールは敷かれていたのである。例えそれが相手側指示による一時帰国であったとしても。

 中川・姜錫柱会談以降も秘密接触やら事前交渉が重ねられて、お互いが求め、お互いが許容できる成果を煮詰めていき、お膳立てしたのが2002年9月17日の小泉・金正日第1回首脳会談と言うことなのだろう。

 舞台がどう回るか、脚本は決まっていて、主役の登場を待つばかりとなっていた。小泉純一郎は最終稿が決まった段階で、登場が待ち遠しくてワクワクしたに違いない。5人の生存を確認し、一時帰国を果たす日本の最初の首相となるのだから。

 当然、小泉訪朝は電撃的でも何でもなかった。また、高村正彦が言っている安倍訪朝の可能性「ゼロではない」は北朝鮮側の生存確認の人数と帰国の前以ての確約次第を意味していることになる。

 だから安倍晋三は、首脳会談という舞台の裏側で確約という最終稿が決定していない段階だから、訪朝は「今、判断するのは早計だ」ということになる。

 但し生存確認と帰国の確約があったとしても、その顔ぶれが問題となる。何よりも拉致被害者の象徴的人物とされてきた横田めぐみさんが帰国の列の先頭に立つべきと誰もが望んでいるはずだ。しかも北朝鮮側から死亡したとして渡された遺骨がDNA鑑定で他人のものとされた以上、多くの日本国民がその生存を確信しているはずだから、帰国の中心人物とならなければ、国民は北朝鮮の調査に疑いを差し挟み、納得しないことになるだろう。
 
 となると、安倍晋三にしても、横田めぐみさんが帰国の中心となってこそ、内閣支持率も、それこそ「電撃的」に急上昇することも期待可能となる。横田めぐみさんが生存者の中に入っていなければ、何人生存していて、その全ての帰国を確約されたとしても、訪朝の条件にならないということである。

 それとも安倍晋三は横田めぐみさんが生存者の中に入っていなくても、訪朝してニコニコして金正恩と握手し、「今後とも調査を続けて貰って、全ての拉致被害者のご家族がご自身の手でお子さんたちを抱きしめる日がやってくるまで、私たちの使命は終わらない」と、例の如くの発言をするのだろうか。

 北朝鮮側にしても、横田めぐみさん本人の遺骨ではない、他人の遺骨を引き渡した以上、生存の証明以外の何ものでもない。例えウソをついたと認めることになったとしても、生存者の第一番に加えないことには調査したということにはならないはずだ。

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櫻井よしこの憲法に民族の価値観や伝統、歴史を書き込もうと衝動している日本民族優越感からの危険な憲法観

2014-06-08 10:36:05 | 政治

 

 《(私の視点)憲法を考える 桜井氏・東氏ら5人に聞く》asahi.com/2014年5月9日 21時52分)が、桜井よしこの憲法観を伝えている。

 記事冒頭。〈今月3日に施行67年を迎えた日本国憲法のいまと未来について、ジャーナリストの桜井よしこ氏、哲学者の東浩紀氏、首相補佐官の礒崎陽輔氏、歴史学者のジョン・ダワー・マサチューセッツ工科大名誉教授、元内閣官房副長官 補の柳沢協二氏の5人に聞いた。〉――

 但し無料の記事は桜井よしこと哲学者の東浩紀氏の憲法観のみで、ここでは桜井よしこの憲法観のみを取り上げて、その危険性に触れてみる。

 桜井よしこ「伊藤博文をはじめとする明治のリーダーは、西欧列強の進出から日本国の独立を保つため、懸命に国のかたちをつくろうとした。様々な国を訪ねて憲法について学び、憲法とは他国のまねではなく、民族の価値観と歴史を反映するものだと知った。その認識を踏まえて、大日本帝国憲法がつくられた。

 ところが現行憲法は、その憲法のゆえんたる民族の価値観や伝統を全く踏まえていない。中国や韓国も憲法に自国の歴史や価値観を高々と書いているのに、日本の憲法にはそれがない。無味無臭で、いったいどこの国の憲法なのかと思うほどだ」(以下略)――。

 要するに桜井よしこは 自分が改正したいと思っている憲法は大日本帝国憲法と同じく、「民族の価値観や 伝統・歴史」を反映した内容でなければならないとしている。

 普段は中国や韓国を批判していながら、「中国や韓国も憲法に自国の歴史や価値観を高々と書いているのに、日本の憲法にはそれがない」と、憲法に関してのみ、中国と韓国のそれを評価するのはご都合主義であるばかりか、両国に対する批判は逆に「民族の価値観や伝統・歴史」を憲法に書き込んでもムダだと言っていることになることに気づいていない。

 つまり「民族の価値観や伝統・歴史」 の憲法への書き込みにも関わらず、それぞれの国家運営を有効たらしめていないと見ていることになるからだ。

 憲法とは国家権力の行動を憲法の条文に即して規制し、憲法の国民の権利に関わる基本的人権等の条文に即して国民の生存を守る、国家と国民の関係の契約書である。そしてこの契約はその国の現実世界に反映されて、初めて憲法は意味を持つ。

 いわば憲法の世界と現実世界はカガミの関係になければならない。

 だが、少なくとも中国に於いて、「民族の価値観や伝統・歴史」を書き込んだ国家と国民の関係を規定する憲法の世界は国民が生存する現実世界とカガミの関係を築いていると言えるのだろうか。

 中国の言論の自由や信条の自由を国家権力に基づいて規制し、国民を拘束する国家と国民の関係はとてもカガミの関係にあるとは思えない。

 「民族の価値観や伝統・歴史」と言うとき、その「価値観や伝統・歴史」 は“民族の血” そのものを意味する。民族の血として生きている価値観や伝統・歴史だと言うことである。

 当然、このような思想の持ち主にとって“民族の血”は自民族に特有な純粋性を備えていると見ていることになる。自分たちの価値観や伝統・歴史を自分たちに特有な純粋な民族の血としていなければ、国の憲法に反映させるべきだとか、民族の価値観や伝統を踏まえた憲法にすべきだといった言葉は出てこない。

 だが、如何なる国家に於いても、その建国以来今日まで純粋な状態で民族の血として生き続けている価値観や伝統・歴史などは存在するのだろうか。例えば対米戦争開始の決定自体は日本民族優越意識の思い上がりが発端となったことで、民族の血が深く関わっていたとしても、日米戦争という歴史自体は当時の大国同士の国際的な力学の影響を受けたものであり、敗戦という歴史にしても旧日本軍の戦略性のないことは民族性が深く関与していたとしても、アメリカが介在して決定した歴史そのもので、全て一つの民族がその民族観から発して決まっていく出来事ではない。

 そして価値観や伝統にしても、戦争とその敗戦といった歴史の大きな転換を受けて、何らかの変質を余儀なくさせられる。

 いわば民族の価値観にしても、民族の伝統にしても、民族の歴史にしても、何ら変わらないという意味での純粋性を維持したままの状態で一貫性を宿命づけられているわけではない。

 当然、自民族に特有とすることはできない。

 にも関わらず、「民族の価値観や伝統・歴史」を純粋性を持った一貫性ある、自民族に特有なものとして価値づけている。このようなものの象徴的例として、天皇の万世一系の系統を第一番にを掲げるだろうが、万世一系であることがどれ程に日本人の価値観や伝統・歴史に歴史的に一貫した状態で影響を与えただろうか。

 明治政府は天皇の系統が万世一系であることを以て天皇を大々的に権威づけて、その権威をバックに国民統治の装置とし、そのように国民を教育してきた。その教育の過程で天皇と国家に対する忠節だ、忠孝だ、奉仕だと、さも建国以来の純粋な価値観や伝統であるが如くに国民に吹き込んだ。

 だが、敗戦によって万世一系の思想に対する思い入れは、戦後の民主主義の時代になっても固く信じて抱え続けている日本人も少なからず存在するが、大多数の国民にとって大きく変わったはずだ。

 また天皇の系統を万世一系で括り、そこに純粋性や日本民族に特有な歴史を見ることは、例え他国に例のないことであっても、民族レベルの優越性を前提としていることになる。

 このことと同じく、「民族の価値観や伝統・歴史」に、現実には次のように価値づけることは不可能であるにも関わらず、自民族に特有な一貫性ある純粋性を持たせた価値づけを行った場合、そこに優越性を埋め込んでいることになる。

 いわば日本民族に特有にして純粋な状態で一貫性を抱えているものとして「民族の価値観や伝統・歴史」を前面に押し出したとき、日本民族の優越性を全面に押し出すことと変わりはない。

 それを憲法に書き込む。他民族に優越せる日本民族であることを憲法で暗に規定するということである。非常に危険な思想と言わざるを得ない。

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安倍晋三のアベノミクス格差拡大を考慮外としたG7閉幕後のブリュッセル内外記者会見発言

2014-06-07 09:37:57 | 政治




      生活の党PR

       《6月8日(日) 村上史好国会対策委員長代理『日曜討論』(NHK)出演ご案内》
   
       番組名:NHK『日曜討論』(生放送)
       日 時:平成26年6月8日(日)9:00~10:00      

 安倍晋三がベルギー・ブリュッセルでのG7=先進7カ国の首脳会議閉幕後の6月5日午後(日本時間6月5日夜)、内外記者会見を行った。

 安倍晋三「私は、やっと日本が15年ぶりにつかんだと言ってもいいデフレ脱却のチャンスを決して逃してはならないと思っています。ですから、消費税増税以降の消費動向は、毎週チェックをしています。パソコンや自動車など、駆け込み需要の反動も見られますが、他方、スーパーでは、前年比マイナス幅が縮小してきており、百貨店でも、回復傾向にあるとの声も聞かれます。

 外食産業では、むしろ売り上げは好調で前年よりもプラスになっています。夏のバカンスについても、昨年よりも旅行予約が好調に進んでいるようでありまして、消費の落ち込みは、一時的なものとなると考えています。

 また、雇用情勢は極めて重要であります。雇用情勢に目を向けますと、有効求人倍率は17カ月連続で上昇し、1.08(4月)まで回復をしました。この 水準は、実に7年9ヶ月ぶりの水準であります。また、この春から、多くの企業が賃上げを決断しました。連合の調査で、平均して、月給が2%以上上昇。10年間で最も高い水準であります。

 夏のボーナスにつきましては、経団連の調査では、昨年より8.8%上昇しています。この数字は過去30年間で最高の伸び率となっています。雇用においても賃金においても大変よい結果ででてきています。企業収益の向上が賃金に回り、消費につながっていく『経済の好循環』に向けた動きは、 途切れていないと判断しています。

 消費増税は、国の信認を維持し、世界に冠たる社会保障制度を次の世代に引き渡していくため、17年ぶりの政治の決断でありました。

  同時に、反動減を乗り越えるため、万全の手を打ってきた訳でありまして、5.5兆円規模の経済対策を発動中であります。成長戦略もしっかりと打ち出していきます。

 IMFからも、日本経済に関し、消費税率の影響をうまく乗り越えつつある、反動減により4~6月期に経済は縮小しますが、本年の後半には、雇用増加や賃金上昇に支えられて、経済は回復する見込み、との分析がなされていることも承知しています。

 7月から年度後半にかけて、すみやかに成長軌道に戻していきたいと思います。安倍内閣は日本経済の再生を必ず成し遂げていきます」(首相官邸HP)――   

 消費税増税後に駆け込み消費の反動減に見舞われたものの、「スーパーでは、前年比マイナス幅が縮小してきており、百貨店でも、回復傾向にあるとの声も聞か」れる、「外食産業では、むしろ売り上げは好調で前年よりもプラスになってい」る、「夏のバカンスについても、昨年よりも旅行予約が好調に進んでいる」等々宣(のたまわ)っているが、それぞれの消費の役回りを演じている所得層が上・中・下、いずれの層に所属しているのか考えない、頭の悪い安倍晋三らしい単細胞な観察となっている。

 今回の春闘のお陰で低所得層までが大幅な賃金上昇の恩恵を受けて、上昇分を心置きなく消費に回すことができる安心感のもと、富裕層や中所得層に混じってスーパーや百貨店でせっせと買い物に励み、今まで抑えていた夏のバカンスを今まで抑えていた分、その欲求不満をパーッと解消したい衝動から大盤振舞いの予約に走っている等々の現象を反映した消費動向なら問題はない。

 一部所得層に偏った消費の反映としてある安倍晋三が観察した消費動向だとしたら、いわば中低所得層が置き去りにした状態の安倍晋三の景気のいい話だとしたら、そこに格差の存在を見なければならない。

 先ず安倍晋三が言っている「有効求人倍率は17カ月連続で上昇し、1.08(4月)まで回復」と言っていることを見てみよう。

 総務省統計局が発表した2014年4月分の「労働力調査(基本集計)」によると、〈正規の職員・従業員数は3288万人。前年同月に比べ40万人の減少。非正規の職員・従業員数は1909万人。前年同月に比べ57万人の増加。〉となっている。

 この2014年4月の正規と非正規を合計した人数は5197万人。5197万に対する正規の割合は63.3%。非正規の割合は約36.7%。この割合は有効求人倍率の1.08にもほぼ反映されているはずだ。1.08がすべて正規として求人されているわけではなく、正規に対する非正規の割合で1.08は構成されているということであり、非正規の数が無視できない割合であるなら、回復した求人倍率を言うだけでは済まないことになるが、安倍晋三は数字を口にするだけで済ましている。

 最近人手不足が生じていて、非正規を正規として囲い込む傾向にあるが、企業の基本的経営戦略は人件費抑制を趣旨としている以上、正規とした非正規の給与をできるかぎり抑えるか、正規の給与を抑えてバランスを取るか、いずれかになる恐れがあり、そうなった場合、総体的に消費は抑制されることも考えなければならない。

 さて、「連合の調査で、平均して、月給が2%以上上昇。10年間で最も高い水準」だと言っていることである。

 大企業ばかりではなく、従業員300人未満の中小企業でも、賃上げ額の平均が4258円、去年の同じ時期より537円、率にして14%の増加、非正規労働者は時給の平均で11.43円増加と、これは去年より1.36円増加だと、6月4日付の「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。

 但し連合は春闘で非正規労働者は「誰もが時給1000円」の要求額を出していたはずだ。11.43円増加で1000円に届いたのかどうかは上記記事は書いてなかった。「誰もが時給1000円」の要求を出すについては、正規に見込まれる賃金上昇に対してただでさえ厳然として存在する格差が現在以上に拡大しない目標金額として算出した1000円であるはずだ。

 厚労省調査の昨年、「2013年 賃金構造基本統計調査(全国)結果の概況」のうちの「雇用形態別」賃金構造を見ると、年収が〈正社員・正職員314.7千円(年齢41.4歳、勤続12.9年)、正社員・正職員以外195.3千円(年齢45.5歳、勤続7.1年)〉となっている。

 正社員・正職員以外の年収195万3千円から時給を算出してみる。

 195万3千円÷12カ月=16万2750円/1カ月÷25日労働=6510円/1日÷8時間≒時給813円

 上記「NHK NEWS WEB」記事によると、中小企業非正規労働者は時給の平均で去年より1.36円プラスの11.43円の増加となているから、813円+11.43円=824.43円。雀の涙程度の上乗せ、連合要求に対する血も涙もない企業回答でしかない。

 今春闘連合要求の「誰もが時給1000円」に175.57円も不足する。しかもこの計算の主体は「年齢45.5歳、勤続7.1年」の非正規である。年齢の若い非正規はさらに「誰もが時給1000円」に遥かに届かない場所にいるはずだ。
 
 逆に「年齢45.5歳、勤続7.1年」の非正規が今春闘で「誰もが時給1000円」を獲得したとしても、年収240万円。「年齢41.4歳、勤続12.9年」の「正社員・正職員314.7千円」の年収に、安倍晋三が言っている「連合の調査で、平均して、月給が2%以上上昇」の2%を当てて計算してみると、320万9940千円。

 320万9940千円-240万円=80万9940円。

 例え非正規が「誰もが時給1000円」を獲得したとしても、正規と月換算で7万円近くの格差が出る。それが獲得できなかった。

 アベノミクス効果の円安の恩恵と消費税増税の恩恵が相まった物価上昇が時給1000円遥か以下の非正規の給与の上昇分を遥かに上回って、消費抑制の力となって働くことは誰もが考えるはずだ。

 だが、安倍晋三は考えずに消費税増税にも関わらず消費は回復しつつある、夏のバカンスも旅行予約が順調だ、有効求人倍率は17カ月連続で上昇し、1.08まで回復した、今春闘で月給が2%以上上昇した、10年間で最も高い水準だ、「『経済の好循環』に向けた動きは、 途切れていない」と、全く以ってノープロブレムなことを言っている。

 このノープロブレムは高額収入の正規社員、あるいは円安・株高で大きな利益を得た高所得層が対象であって、非正規、もしくは中低所得層は視野に入れていないことを正体としていることは誰もが否定できない事実であるはずだ。

 安倍晋三は消費活動が拡大して活発化し、日本の経済が回復軌道を上昇さえしていけば、格差拡大はさして意に介していないということである。だから、景気のいい話ができる。

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安倍内閣は国家安全保障会議を設置していながら、中国の人権状況を把握していない情報収集・情報分析能力

2014-06-06 09:55:36 | Weblog

  

 6月4日は天安門事件から25年となる。1989年6月4日、北京の天安門で民主化を求める学生たちの抗議活動に対して中国当局は戦車まで出動させ、銃を用いた武力によって鎮圧、大勢の死傷者を出した。

 25年を記念して中国民衆の間に天安門の場でかつての民主化への記憶が蘇るのを恐れてなのか、天安門周辺は厳重な警戒態勢を敷くと同時に人権派弁護士らの民主化活動が中国民衆の記憶を刺激することを阻止しようとしてのことなのだろう、彼らの身柄を相次いで拘束しているという。

 こういった状況から、中国の人権環境は一向に改善に向かわないばかりか、最近では逆の悪化の方向に向かっていると受け止められている。

 どのような著名人が拘束されているか、各マスコミ報道から拾ってみる。

 国際的に著名な人権活動家でインターネット等を通じて共産党の一党支配を批判してきた北京在住の胡佳氏(40)が今年2月下旬から当局によって自宅に軟禁されたままとなっている。

 政府批判知識人等を司法手続きなしに当局の裁量で長期間拘束し、強制的に労働させる「労働教養制度」の違法性を追及し、その存在を広く知らしめた人権派弁護士の浦志強氏が、今年5月3日、改革派知識人と共に1989年の天安門事件を振り返る内輪の集会に参加した後、騒動挑発罪の容疑で当局に拘束された。

 労働教養制度は、その存在が広く知られることになったからなのか、2013年11月に開催された第18期中央委員会第3回総会で廃止が決まったが、表立った他の活動をも拘束材料としているのだろうが、政府に対しての直接的な抗議活動ではなく、内輪の集会への参加を拘束のキッカケとしていることからすると、労働教養制度廃止にも関わらず、中国政府の基本的人権に対する姿勢に変わりはないことになる。

 5月8日には中国国営・新華社が共産党政権を一貫して批判し、民主化や言論の自由を訴えていた女性ジャーナリストの高瑜(70歳)氏を拘束していることを報じている。

 氏が寄稿していたドイッチェ・ヴェレが4月末に姿を消したと報じて以来、各国のメディアが消息を追っていたという。

 国営の新華社通信は彼女が共産党の機密文書のコピーを不法入手し、海外のウェブサイトに提供した国家機密漏洩の容疑で拘束したと発表している。

 天安門事件で17歳の息子を亡くした後、 「天安門の母」という会を立ち上げ、他の遺族と共に政府に対して事件の真相究明と関係者の責任追及などを訴えてきた北京在住の元大学教師丁子霖女史(77)が中国当局により江蘇省無錫市で軟禁下に置かれ、海外メディアとの接触の制限と天安門事件25年を迎える6月4日を過ぎるまでの北京の自宅への帰宅禁止を通告したことが5月8日、明らかとなった。

 5月14日、北京にある日本経済新聞中国総局勤務の中国人女性スタッフの拘束を中国当局関係者が明らかにした。

 中国人女性スタッフは天安門事件の真相究明を求める集会に参加して拘束された人権派弁護士浦志強氏へのインタビューに同席したことがあるという。

 香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポストの元記者呉薇氏が5月9日頃から連絡が取れなくなった。

 米国を拠点とする大手中国語サイト博訊網の記者向南夫氏が5月上旬に北京市公安局に「騒ぎを煽った」容疑で拘束。

 5月上旬、学者の徐友漁氏を北京市の公安当局が拘束。

 その他、その他、この1カ月余りで少なくとも70人以上が拘束されているという。

 こう見てくると、中国当局が多くの主だった政府批判人物を特定・監視し、身柄拘束の手を広範囲に伸ばしている様子を窺うことができる。

 日経中国人女性スッタフの拘束に5月30日、アメリカは抗議の声明を発表している。

 アメリカ国務省声明「今回の拘束は、中国で続くジャーナリストらを狙った表現の自由に対する弾圧の一環だ」――

 5月上旬に拘束された学者の徐友漁は6月5日、釈放された。その理由を天安門事件25年の6月4日を過ぎたからだとしている。

 安倍政権閣僚もアメリカに負けじと中国政府の身柄拘束や自宅軟禁、帰宅禁止等を手段とした権姿勢を批判している。5月9日午前の記者会見。

 岸田文雄外相「報道の内容が事実であれば、事態を憂慮せざるを得 ない。自由や基本的人権の尊重、法の支配などは国際社会全体における普遍的な価値だ」(MSN産経)――

 「報道の内容が事実であれば」と言っていることには二つの意味がある。一つは言葉通り、事実かどうか確認していないという意味になる。事実確認している情報であるなら、「事実であれば」という言葉は使わない。

 もう一つは記者に聞かれたから、答えた発言であるということ。聞かれなければ、事実かどうか確認していないことを自分から口にすることはない。

 中国当局の民主化活動家に対する身柄拘束やその他の方法による基本的人権の制限や弾圧の情報を事実確認していないということである。

 首相官邸HPにアクセスして確認してみた。《岸田外務大臣会見記録》(2014年5月9日 (金曜日)8時25分~) 

 山崎フジテレビ記者「その中国ですけれ ども,国内的には天安門事件から間もなく25年となるのを前に、人権活動家等の身柄の拘束が今年もまた相次いでいるというような事態がありますけれども,これについての受け止めをまず伺いたい」

 岸田外相「まず、中国・6月4日天安門事件を記念する日を巡って様々な動きがあるということは報道等で承知をしております。そして自由とか基本的人権の尊重とか、それから法の支配、こうしたものは国際社会全体における普遍的な価値であると考えています。

 ですから、報道の内容が事実であるとすれば、事態を憂慮せざるを得ないこのように考えます」――

 「様々な動きがあるということは報道等で承知」しているだけだとしている。当然、事実確認していないために、「自由とか基本的人権の尊重とか、それから法の支配、こうしたものは国際社会全体における普遍的な価値であると考えています」と一般論を述べることしかできないことになる。

 アメリカは中国の人権抑圧政策が事実であることを前提としているから、次に批判を持ってくることになる。
 
 岸田外相の場合は事実であることを前提としていないから、「事実であるとすれば」と仮定の上に立って憂慮という懸念しか持ってくることができない。

 何よりも問題なのは、安倍内閣は2013年12月4日に国家安全保障会議(日本版NSC)を発足させ、その事務局の「国家安全保障局」まで設けて、外交・安全保障に関する迅速な情報収集・情報分析の盤石な体制を築いているはずだが、中国国内の人権状況、中国政府の人権姿勢の各情報を把握、分析し、どこまでが事実か、どこまでが事実でないか、中国政府の人権姿勢がどの程度か、中国政府に対する日本政府の人権問題に関わる態度はどうあるべきか、日本の安全保障にどのような影響があるのか、纏めた情報として把握していないことになることである。

 アメリカや欧州各国は中国の人権問題に関して常時声を上げている。もし中国が民主化したとき、日本が声を上げることをしなかった場合、1990年8月イラクがクウェートに侵攻した湾岸戦争時、日本政府は総計135億ドルのカネを拠出したが、カネだけ出した姿勢が影響してクウェートが戦後に出した感謝決議には日本の名前は載らなかったように信用することのできない国扱いされる懸念が生じる。

 安倍晋三の「積極的平和主義」とは人権問題には口を出さないことを基本姿勢としているのかもしれない。

 岸田外相の「事実であるとすれば」の仮定を菅官房長官も同じ姿勢としている。6月4日午前の記者会見。

 《天安門事件25年 周辺は厳戒態勢》NHK NEWS WEB/2014年6月4日 12時18分)

 菅官房長官「自由、基本的人権の尊重、法の支配は、国際社会において普遍的価値であり、中国においても保障されていくことは極めて重要なことだ。そうしたわが国の考え方は、これまでも様々な機会のなかで中国側に伝えてきており、中国の前向きな動きを期待したい。

 (中国の習近平指導部が民主化を求める人々の言論活動に対する弾圧を強めていると指摘されていることについて)事実であれば、自由や基本的人権といった、わが国が求めている、また世界の国々が認めている普遍的価値との関係で憂慮せざるをえない。政府としても引き続き状況をしっかり注視していきたい」――

 アメリカが中国の人権抑圧政策を事実であることを前提として批判している態度と違って、菅官房長官にしても岸田外相共々に事実であることを前提としていないために、同じく岸田外相共々に一般論を用いて憂慮という懸念しか示すことができない

 菅官房長官は「自由、基本的人権の尊重、法の支配」等の普遍的価値の尊重・保障を「様々な機会のなかで中国側に伝えてきて」いると言っているが、中国の権状況を事実としていない限り、できないことであるばかりか、安倍晋三や主要閣僚が中国に向かって直接批判したり、懸念を伝えたりしたことは聞いたことも見たこともない。

 例えば中国政府に対する民主化要求活動で何度も投獄され、2010年2月に「国家政権転覆扇動罪」で懲役11年及び政治的権利剥奪2年の判決が下され、2010年10月8日にノーベル平和賞受賞、現在も服役中の劉暁波氏の釈放について安倍晋三はその要求を中国に対して口にしていない。

 ノーベル平和賞を受賞したことによって劉暁波氏が中国の人権弾圧の象徴的人物となり、それゆえにその扱いが中国の人権姿勢を占う尺度となるにも関わらずである。

 2013年2月1日の参議院本会議での代表質問に対する答弁。

 安倍晋三「中国の民主化活動家を巡る人権状況や国際社会に於ける普遍的価値である人権及び基本的自由が中国に於いても保障されることが重要であります。

 劉暁波氏についても、そうした人権及び基本的自由は認められるべきであり、釈放されることは望ましいと、考えられます」(NHK NEWS WEB)――

 一般論と同時に希望を述べたに過ぎない。

 2010年11月11日、ソウル開催の20カ国・地域(G20)首脳会議(サミット)に先立ってソウルで行われた米中首脳会談でオバマ大統領は当時の胡錦涛中国国家主席に対して、「政治的な活動のために投獄された人々の釈放を望む」(時事ドットコム)と発言している。

 オバマ大統領が劉暁波氏の名前を出したかどうか分からないとしているが、ノルウェーのオスロ市庁舎でノーベル平和賞受賞式が行われる、ノーベルの命日の12月10日を控えての発言であり、劉暁波氏が中国の人権弾圧の象徴的人物となっていて、中国がその受賞に反対していたことから、名前を出さなくても、劉暁波氏を主として指していたことは間違いない。

 2014年3月10日から北京を訪れていたオバマ大統領のミシェル夫人は3月22日に北京大学で講演している。

 ミシェル夫人「国家は、市民が自由に声を上げ意見を述べることができるとき、より強力になり繁栄する。表現の自由と信仰の自由、そして情報への自由なアクセスは、すべての人類の権利だ」(NHK NEWS WEB)――

 米欧の中国に対する人権問題に関する態度と日本の態度を比較しなくても、中国の権状況を一般論としてしか扱うことができない態度、さらに「事実であれば」と、確認情報としていない態度から見ても、菅官房長官が言っている「様々な機会のなかで中国側に伝えてきて」いるは無関心ではないところを見せる単なる形式的態度に過ぎないだろう。

 また、「自由、基本的人権の尊重、法の支配」といった普遍的価値は「中国においても保障されていくことは極めて重要なことだ」と言っていることは、中国に於いて普遍的価値の保障が成されていないと認識していることになる。

 だが、そのような認識に反して、「事実であれば」と、具体的に事実確認していない状況に放置している。 

 外交・安全保障に関する迅速な情報収集・情報分析の目玉機関としている国家安全保障会議にしても、国家安全保障局にしても十分に機能させているのだろうか。

 もし中国の人権状況を逐一把握していながら、「事実であれば」としているとしたら、「自由、基本的人権の尊重、法の支配は、国際社会において普遍的価値であり、中国においても保障されていくことは極めて重要なことだ」と立派なことを言いながら、人権問題に対して、中国に対して強い態度を取ることができないことを示していることになる。

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プーチン側近ナルイシキンは日本は自立した政策を取るべきだと言うが、対ロ制裁に関して十分に自立している

2014-06-05 06:39:56 | Weblog




      生活の党PR

       《6月2日(月) 小沢一郎生活の党代表定例記者会見要旨》
     
      【質疑要旨】
      『野党再編、自民党に対峙する基本的な考え方でまとまるべき』
      ・日本維新の会分党について
      ・結いの党江田憲司代表の野党再編構想について     

 プーチン大統領の側近ナルイシキン下院議長が6月2日来日、都内開催の文化交流イベント「ロシア文化フェスティバル」に出席した。プーチンと共にウクライナの主権と領土の一体性侵害の国際法違反という極めて政治的な陰謀をやらかした側近が文化交流イベントに出席するというのは、これまた極めて異例且つ皮肉な組み合わせだ。政治的悪に手を染め、文化の顔を装う。

 6月3日、東京都内でNHKのインタ ビューに応じたという。《ロシア大統領側近 日本は自立した政策を》NHK NEWS WEB/2014年6月3日 20時54分)

 ナルイシキン「日ロ関係は双方の国民にとって極めて重要であり、日本は国益を尊重して、より自立した政策を取るべきだ。

 (北方領土問題について)ロシアはこの問題を協議する用意はある。穏やかな環境で協議することが必要だ。

 (ウクライナ問題)まず、東部での軍事作戦を停止しなくてはいけない。過激な民族主義グループの武装解除も必要だ」

 最後の言葉は発端が親ロ派武装組織の市庁舎占拠等の武力行使であることを無視している。

 最初の発言について記事解説は、〈制裁で足並みをそろえる欧米諸国とは一線を画して、ロシアとの関係を重視するように求め〉たものであり、〈日本を含むG7=先進7か国の首脳は、4日からウクライナ問題の対応などについて協議しますが、今回のナルイシキン氏の発言は、領土問題の解決に向けて、日本側に対して欧米諸国と距離を置き、独自の外交を進めることに強い期待を示したもの〉だとしている。

 要するに米欧に追随することなく、日本はロシアとの関係を重視して、対ロに関しては自立した独自外交を進めるべきだと進言した。

 プーチンも6月24日、主要国の通信社代表らとの会見で、「日本が制裁に加わったことに驚いた」(NHK NEWS WEB)と、逆説的な物言いで期待していた独自外交に反して欧米に追随した非独自外交であったことに驚きを見せている。

 上記「NHK NEWS WEB」記事解説は、ナルイシキンをアメリカ政府が国内への渡航禁止や資産の凍結などの制裁を科したロシア政府関係者の1人だとしている。

 犯罪映画風に言うと、「WANTED」(指名手配)と書かれたポスターに顔写真付きで載っている一人だということである。 

 但し安倍政権はナルイシキンを「WANTED」(指名手配)していない。記事は、〈G7=先進7か国での合意を受けて、日本政府も、ロシア政府関係者ら23人のビザの発給を停止するなど、ロシアへの制裁を科していますが、この中にナルイシキン議長は、含まれておらず、今回の訪日が実現したものです。〉と解説している。

 ナルイシキンはウクライナの主権と領土の一体性侵害の国際法違反に関してプーチと共犯関係にある側近であるにも関わらず、安倍内閣はビザ発給停止の制裁対象から外していた。

 23人の中に側近を入れていなければ、側近から遠い地位にある有象無象ばかりの23人が対象という疑いが出てくる。しかも安倍政権の23人のビザ発給停止は当分の間という極めて控えめなものとなっている。

 このアメリカと比較した日本の対ロ制裁の構造は決して追随といった形式を取っているものではなく、十分に自立した、それゆえに甘くもすることができる独自の制裁だと言うことができる。何しろプーチンと同罪の側近でありながら、日本には堂々と顔を出すことができるのだから。

 ナルイシキンの、外交は自立していないという日本批判は当たっていない。安倍晋三自身が掲げている「積極的平和主義」は、掲げている以上、外交・内政の全てに反映されることになる。その反映を受けたロシアの国際犯罪に対する欧米と比較した独自外交からの制裁の軽さということであるはずだ。

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民主党再生は鳩山由紀夫・菅無能・野田佳彦のそれぞれの政治に対する自己批判と後者2人の議員辞職から

2014-06-04 09:43:37 | Weblog




      生活の党PR

       《生活の党機関紙第14号(6月1日付)発行 》

   
      《5月30日(金)鈴木克昌生活の党代表代行・幹事長定例の記者会見》

      『一強多弱の状況を打破するためには、野党再編に向けて動いていかなければならない』

      【 質疑要旨 】
      ・野党再編の中での民主党の動きについて
      ・北朝鮮拉致問題について
      ・リベラル連合について
      ・民主党海江田代表について   

 海江田民主党代表が有識者や地方議員らによる「党改革創生会議」を新設して、6月4日に初会合を開くことになったという。いわば2012年12月総選挙で大惨敗したまま、党改革創生が成されていないからということになる。

 砕けた言い方をすると、党勢のジリ貧状態が続いていて、一向にジリ貧状態から抜け出ることができない。来年春には統一地方選挙を控えている。このままの状態では統一地方選も自民党一方勝ち、民主党二の舞いの大惨敗となりかねないのではないのかという懸念が党内外に広がっているということなのだろう。

 そこで政治の世界では恒例の党首降ろし――海江田降ろしの場面の出現ということになるが、まだその芽が顔を覗かせた段階で、来年9月の代表の任期満了を待たない代表戦前倒しを求める声が出始めたといったところらしい。

 人間は生活最優先の生きものである。経済が回復軌道に乗っている現在、安倍晋三の国家主義的如何わしさ隠すことに成功しているから、その人気に陰りを期待することは難しく、民主党が余程の衝撃を与える策を講じない限り、海江田代表の地味であることも手助けとなっている影の薄さは拭い去ることはできないように見える。

 ここで衝撃を与える改革とか政策とか言わずに、策と言ったが、人間が生活最優先の生きものである以上、国民が最優先に関心を持つ改革や政策は社会保障制度や景気対策といった生活関連を対象とすることになるから、国政を直接担っている現政権がそれらの改革や政策に破綻を来しさえしていなければ、国政を担っていない野党の改革や政策は、それが如何に立派な文言で提示されたとしても、試行できない制約を受けることになって、国民の手に届かない不利を強いられるため、一強多弱の真の原因はここにあるのだが、改革や政策以外の何らかの策以外に党勢回復を期待するしかないからだ。

 このことは世論調査に現れている。安倍晋三の集団的自衛権の憲法解釈変更容認反対が優勢であっても、逆に内閣支持率がポイントを増やす現象は国民が最も関心のある生活関連の政策が破綻を来していないどころか、逆の状況にあることが原因となっているはずだ。

 一強多弱を破るためには現政権の、特に生活関連の改革や政策が破綻を来たすのを待たなければならない。
 
 では、民衆党党勢回復にはどのような策があるだろうか。それも衝撃的な策でなければならない。

 国民は鳩山首相の普天間基地県外移設の迷走と、菅無能の2010年参議院議員選挙直前の十分な検討と準備を重ねたわけではない消費税増税の安易な提示及び2011年3月11日発生の東日本大震災に対する危機管理無策と、野田首相のマニフェストにはない消費税増税の国民に対する裏切りを、国民に底知れない失望と無力感を与えるキッカケとなったばかりではなく、民主党からの国民離れの象徴的政治行為として、あるいは民主党凋落の象徴的な一連の政治現象として未だ記憶しているはずだ

 この記憶が現在、安倍政治の順風満帆から受ける逆風と相まって民主党が党勢を回復できない原因ともなっていると見るべきだろう。

 だとすると、安倍政治の破綻を待つだけでは無策に過ぎるから、国民の民主党に対するこれらの記憶に手を加える何らかの策を講じて記憶を抹消することが必要となるが、安倍政治が順調にいっている関係から、一度刻み込んだ民主党に対する不甲斐なさの記憶は安倍政治と比較対照されてその抹消は難しいため、新たな記憶を加えて相対化させる手を使って、国民が最初に記憶した像から遠ざける方法が適切となる。

 毒に対して同じ毒を用いて、後者の毒に国民の記憶を惹きつけて、最初の毒を薄れさせる。具体的には鳩山・菅無能・野田佳彦がそれぞれの政治に見せた不甲斐なさの記憶を鳩山・菅無能・野田佳彦が自己批判して、その自己批判がホンモノであることを証明するために、2012年12月総選挙に立候補せず、既に議員を引退している鳩山を除いて菅無能・野田佳彦は議員辞職する。

 鳩山由紀夫は自己批判のみにとどめる。

 自己批判を待つまでもなく、鳩山・菅無能・野田佳彦がそれぞれに民主党の今日の凋落を招いた責任は議員辞職に相当するはずだ。だが、後者2人は議員辞職せずに議員の地位に居座っている。

 その議員辞職を自己批判後に持ってくれば、それが遅過ぎるという批判を招いたとしても、国民の議員辞職に相当するというかつての思いを一応は納得させるさせるだけではなく、腹の据えたところを見せることになって国民の記憶に、「思い切ったことをしたな」といった、それなりの衝撃を与えるはずで、そのことが最初に植えつけた歴代民主党首相の不甲斐なさの記憶を弱める働きへとつながっていくはずだ。

 とすれば、今度創設した「党改革創生会議」が最初にやるべきことは鳩山・菅無能・野田が何をどのように自己批判するか、その内容の列挙ということになる。

 鳩山由紀夫の場合は普天間移設の迷走と母親からの資金提供の問題。菅無能の場合は、最初に触れたように何の準備も党内の打ち合わせもなく消費税増税を打ち出したこと、しかも増税率10%は「消費税で自民党と一緒の主張をすれば争点から消えるから大丈夫」だと自民党が掲げていた10%を持ってきた一国の首相にあるまじき安易さ、そして東日本大震災の際の情報開示の数々の不手際、内閣運営の稚拙さ、住民避難の混乱等々を挙げなければならない。

 野田佳彦の場合は何と言っても、政権交代前は遊説で、「マニフェスト、イギリスで始まりました。ルールがあるんです。書いてあることは命懸けで実行する。書いてないことはやらないんです。それがルールです」と消費税増税に反対していながら、首相就任後消費税増税を打ち出し、マニフェスト違反ではないかと批判されると、法律は通しても、実際の増税時期は衆院任期4年後の2014年8%、2015年10%だからマニフェスト違反ではないとウソを強弁し続け、そして自らが衆院解散を宣言した後の総選挙で民主党が大敗し、今日の民主党凋落へとつなげた罪は重い。

 民主党政権衆議院議員の任期は2009年8月から2013年8月である。任期まで務めて、増税のスケジュールはたいして変えずに済んだはずで、次期総選挙の争点に消費税増税を掲げて自民党と戦ったなら、国民の多くからマニフェスト違反と叩かれることもなかったろうし、マニフェストを守るべきだとする勢力との党内抗争も起こることもなかったろうし、当然、党が分裂することもなかったろうから、かくまでも惨敗を喫することもなかったはずだ。

 ウソとゴマカシで消費税増税法を成立させ、民主党の凋落を招いた。

 鳩山由紀夫と菅無能と野田佳彦歴代民主党首相の自己批判と菅無能と野田佳彦の自主的な議員辞職以外、国民に植えつけた民主党に対する失望と不甲斐なさの記憶をそれなりの衝撃的な記憶に植え代えて腹の据えたところを見せる以外に縋る党勢回復の方法はないのではないだろうか。

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安倍晋三政治の最終目標は在日米軍基地との決別と自主防衛による日本の軍事大国化

2014-06-03 09:27:26 | 政治



 経済の回復による際立った経済大国の構築だけではなく、在日米軍基地撤去を果たして軍事大国化し、世界の大国として踊り出て、世界秩序形成にアメリカやロシア、欧州列強の列に加わることを夢としているはずだ。

 このことが安倍晋三政治の最終目標であろう。

 当然、同じ夢を抱いている中国と競い合うことを視野に入れているはずだ。このことが中国の海洋進出に対する最近の激しい批判となって現れている。

 5月31日に富山市で講演した自民党の脇雅史参院幹事長の発言が安倍政治の最終目標を教えてくれた。集団的自衛権の行使容認について話していた中での言及だそうだ。

 脇雅史「いつまで米軍基地を置いておくのか。未来永劫、米国に守ってもらうのか、日本の安全は日本で守る選択肢(もある)。30年後に基地をなくすこともあるかもしれない。

 日本国民はその答えを(戦後)70年間ほったらかしにしてきた。この安定政権の中で答えを出さなければいけない。相手のあることで難しいが、逃げることはできない」(MSN産経)――

 脇雅史は額賀派で、安倍晋三が所属する町村派ではないし、安倍晋三自身が自主防衛論を唱えているわけでもないが、脇雅史が言っていることは安倍晋三自身の将来的な構想でなければならない。

 安倍政権は2013年12月17日、「国家安全保障戦略」を閣議決定している。

 〈我が国は、これまでも、地域及び世界の平和と安定及び繁栄に貢献してきた。グローバル化が進む世界において、我が国は、国際社会における主要なプレーヤーとして、これまで以上に積極的な役割を果たしていくべきである。〉――

 「国際社会における主要なプレーヤー」とは、世界秩序形成の主要なプレーヤーであることを意味している。例え集団的自衛権行使を獲得したとしても、基本は日米同盟によって国土防衛はアメリカに依存する関係に変わりはない。自国の安全保障を他国に依存した国が世界秩序形成の主要なプレーヤーとなり得るだろうか。

 「国際社会における主要なプレーヤー」になるという目標には軍事大国化と在日米軍基地との決別を含んでいるはずだ。例えそれが「地域及び世界の平和と安定及び繁栄」に関するプレーヤであったとしても、経済力と軍事力をバックとしなければ、世界の大国がそうしてきたように発言に力を持たせることはできない。

 安倍晋三は時系列的に逆になるが、2013年2月22日、アメリカ合衆国のワシントンD.C.の戦略国際問題研究所で講演、日本を「国際社会における主要なプレーヤー」とする閣議決定と同じ趣旨の発言を行っている。

 安倍晋三「いまやアジア・太平洋地域、インド・太平洋地域は、ますますもって豊かになりつつあります。そこにおける日本とは、ルールのプロモーターとして主導的な地位にあらねばなりません。ここで言いますルールとは、貿易、投資、知的財産権、労働や環境を律するルールのことです」――

 ルールは各地域が決めるべき事柄でありながら、「アジア・太平洋地域、インド・太平洋地域」にまでのさばって、日本を「ルールのプロモーターとして主導的な地位」に就ける。

 これもグローバル時代の相互依存関係をを無視して日本を世界の中心に置こうとする思想から出た発想であろう。世界の中心に置くためにはそれなりの経済規模・軍事規模をバックとしなければならない。

 そうするためには在日米軍基地撤去→自主防衛→軍事大国化という手続きを踏む必要が生じてくるはずだ。

 いわば日本を「国際社会における主要なプレーヤー」とする望みにしても、「ルールのプロモーターとして主導的な地位」に就ける望みにしても、野望と言った方がいいが、そこに隠されている意思は日本を世界秩序形成の主要な大国の一つとするということである。

 インターネットで調べたところ、「プロモーター」には「人体に有害な化学物質のうち、傷ついたDNAの修復を妨害して発がんに導く物質」という意味もある。

 2013年1月18日、安倍晋三がジャカルタで行う予定であったが、アルジェリア邦人人質事件のため急遽帰国することになって取りやめとなった「開かれた、海の恵み ―日本外交の新たな5原則―」と題した講演の一節に次のような言葉がある。

 安倍晋三「いまや、日本とASEANは、文字通り対等なパートナーとして、手を携えあって世界へ向かい、 ともに善をなすときに至りました」――

 要するに相互依存関係を謳い上げている。

 このような思いこそ、あるいは信念こそ、グローバル世界に適った合理的で、客観的な現実的発想と言うことができる。「国際社会における主要なプレーヤー」も、「ルールのプロモーターとして主導的な地位」も、「対等なパートナー」であることを超える。

 「対等なパートナー」は必要上口にした、表向きの便宜的な発想でしかない。安倍晋三の意図は別のところにある。

 2013年10月25日のウオールストリートジャーナル紙のインタビュー。

 WSJ「日本のリーダーシップについてだが、日本がアジアの近隣国と連携してリーダー シップを発揮する、あるいは中国の脅威に対抗して日本がリーダーシップを発揮するということはあるか」

 安倍晋三「日本はまさに、世界の成長センターとして伸びていく。アジアにおいて地域の平和そして繁栄のために もっと貢献をしていきたいと思っている。ASEAN(東南アジア諸国連合)の国々ともそうだし、インドもそうだし、アジア太平洋という意味ではニュージー ランドやオーストラリアもそうだ」――

 ASEANやインド、ニュージー ランド、オーストラリアとの連携を謳いながら、「日本はまさに、世界の成長センターとして伸びていく」と、日本を世界の中心に置いて、ASEANやインド以下を日本の周辺に位置させている。

 本来、経済に於いても軍事に於いても、それぞれの国は相互依存関係にあるはずである。特に軍事に於いては、多国間で相互依存の関係を形成しながら、一部の国に対抗する形を取っているはずだ。例え経済に限ったとしても、日本を世界の中心に置くことは、相互依存関係に反することになる。

 アメリカですら、世界の中心に置くことはできない。

 大体がアメリカの株価や経済指標に日本の株価や為替相場が影響を受ける。成長センターは規模に大小の違いはあるが、世界の各地域に地域ごとのセンターとして存在して地域間で相互依存関係を成り立たせ、世界で唯一単独の成長センターなどは存在し得ない。

 だが、安倍晋三は日本を世界の中心に置く野望を抱いている。置くために軍事的にも独立を目論んでいる。在日米軍基地撤去と撤去に伴う日本の安全保障確率のための軍事大国化である。

 中国を刺激し、「力を背景とした現状変更」という色合いで中国の軍事色を突出させて、日本の安全保障上集団的自衛権憲法解釈行使容認を必要と思わせる環境づくりをしていることも、在日米軍基地との決別と日本の軍事大国化への長い道のりの一歩と思い定めているはずだ。

 頻繁に外国訪問しては安倍晋三の顔を売っていることも、日本を世界の中心に置くことの布石であるはずだ。

 だが、安倍晋三の日本の歴史と伝統と文化を誇り、誇ることでそれらに優越的価値を持たせている思想からしたら、日本の歴史と伝統と文化をも世界の中心に置こうとする衝動に衝き動かされることになって、動かされた場合、最低限、外国の歴史・伝統・文化を下に見ることになって、非常に危険である。

 安倍晋三は戦前の日本を取り戻すだけではなく、戦前の日本が取り憑かれていた日本民族優越主義まで取り戻そうとしているようだ。継続性を持たせた盤石な経済大国の地位の構築と在日米軍基地との決別、そして日本の軍事大国化によって日本民族優越主義を回帰させることができ、日本を世界の中心に登場させることができる。

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長崎中3男子生徒自殺と大津中2男子生徒イジメ自殺事件との間にある類似性が証明する教育者としての責任感

2014-06-02 10:32:52 | 教育



 ――例の如く初めにイジメ自殺を認めまいとする意思あり。その意思を演じているのは校長・教師・教育委員会たちである――

 いじめ防止対策推進法は2013年6月28日第183回国会を似て成立し、同年9月28日に施行された。

 第1章総則 第1条目的

 〈この法律は、いじめが、いじめを受けた児童等の教育を受ける権利を著しく侵害し、その心身の健全な成長及び人格の形成に重大な影響を与えるのみならず、その生命又は身体に重大な危険を生じさせるおそれがあるものであることに鑑み、児童等の尊厳を保持するため、いじめの防止等(いじめの防止、いじめの早期発見及びいじめへの対処をいう。以下同じ。)のための対策に関し、基本理念を定め、国及び地方公共団体等の責務を明らかにし、並びにいじめの防止等のための対策に関する基本的な方針の策定について定めるとともに、いじめの防止等のための対策の基本となる事項を定めることにより、いじめの防止等のための対策を総合的かつ効果的に推進することを目的とする。〉

 要するにイジメは精神面の生命(いのち)を著しく傷つけて、日常的な喜怒哀楽の人間性を奪い、時には肉体面の生命(いのち)の損壊をも強いる。

 2014年2月17日の衆議院予算委員会での下村博文の答弁。

 下村博文「いじめ改革抜本改革案ができたからといってイジメや自殺がなくなると、ゼロになるということではありませんが、しかし制度設計として戦後の抜本改革をしていくことは必要なことだと思います」

 フッと笑いながら答弁していた。過剰なイジメをキッカケとした自殺事件が起きて、法律をつくっても何にもならないではないかと批判を受けたときに備えて、自身を安全地帯に置く前以ての緊急避難措置発言だろう。

 確かに法律が全てを解決するわけではない。だが、下村博文が児童・生徒の生命(いのち)に対する深い想いを持っていたなら、教育行政を与る文部科学大臣としてゼロを前提としない発言はできるはずはない。ただ単に自身を責任から離れた場所に置くことだけを考えたからできた発言であろう。

 2011年10月11日に滋賀県大津市立中学校2年男子生徒がイジメを苦に自宅で自殺した事件では校長も教師も教育委員会も、最初はイジメの存在自体を認めず、認めざるを得なくなったときも、イジメと自殺の因果関係を認めず、自分たちを責任から離れた場所に置くことだけを考えた。

 校長や教師たちが自殺を知って、とんでもないことが起きたと衝撃を受けたとしても、自殺以後のアンケートでイジメが公然と行われていたことを知ってからは、男子生徒の13歳の突然の死に対するとんでもないことではなく、あるいは存在し、存在し続けるはずのものがもはや存在しなくなったことに対するとんでもないことでもなく、自分たちにどういう責任が及ぶのかという、とんでもないことに変わっていったはずだ。

 でなければ、学校も教育委員会もアンケート結果の公表を回避することも、「イジメた側にも人権がある」といった口実で加害生徒への聞き取り調査を回避することもなかったろうし、非常に逆説的なことだが、これらのことが教育に携わる者による事実隠蔽を目的とした情報開示の回避と徹底した調査の回避であることも理解する力を持たず、なおかつそういった不備・不足が、例え結果論としていじめと自殺との間に因果関係が事実存在しなかったとしても、結論の組み立てとしては合理性の欠如を強いることになるにも関わらず、早々にいじめと自殺との因果関係を否定するといった、合理的に説明し得る事実提示の回避に走ることもなかったろう。

 すべては自分たちを責任から離れた場所に置くことを優先させたことからの数々の隠蔽であり、数々の回避行動であろう。

 今年(2014年)1月、長崎県新上五島町立奈良尾中3年の松竹景虎(かげとら)君(当時15歳)が自殺した。《長崎・中3自殺:同級生アンケで「悪口」 両親に説明せず》毎日jp/2014年05月28日 13時40分)と、《長崎・中3自殺:一部同級生「みんな共犯者」当日朝教室で》毎日jp/2014年05月30日 18時55分) の二つの「毎日jp」記事から見てみる。

 松竹君は同級生から日常的に「嫌い」などの悪口を言われて悩み、2学期から「LINE」(ライン)で同級生に自殺をほのめかすメッセージを送っていた。3学期の始業式があった1月8日朝、家を出たまま登校せず、近くの町営グラウンドのトイレ付近で首を吊って命を絶った。

 始業式当日に命を絶ったという事実を一つ取っても、学校を忌避していたことの証明となる。その忌避が同級生に対するものなのか、学校の勉強に対する忌避なのか、教師に対する忌避なのか学校は特定する責任を負ったことになる。

 学校側は自殺翌日の1月9日に同級生らにアンケートを実施した。複数の同級生が「松竹君に悪口を言った」、「『うざい』と言ったことがある」などと回答。 

 学校は1月下旬になって両親に「いじめは見つからなかった」と説明。

 どのような忌避なのか特定できなかったのか、特定したが、隠したのか、いずれかになるが、複数の同級生の松竹君に対する悪口をイジメと把えなかったばかりか、イジメと受け取られかねない紛らわしい言葉とも把えなかったことになる。

 これらのことは町教委が5月28日の記者会見で明らかにした事実だという。

 1月9日のアンケートから1月下旬の両親に対する報告という日数のズレは調査に必要だったと説明がつくが、5月28日の公表という日数の大きなズレは単にマスコミが知らなかったということなのだろうか。そこにマスコミに知られないようにする力が働いていたとしたら、事実隠蔽の力が存在していたことになって問題となる。

 事実隠蔽は責任回避を相互対応とする。いわば事実隠蔽だけで片付けることはできない。

 町教委は同級生が卒業後の3月下旬~4月中旬、同級生への2回目の聞き取り調査を行った。

 松竹君が通学バスに乗らず、登校してこなかったため、松竹君から無料通話アプリ「LINE」(ライン)で自殺する考えを伝えられていた同級生たちが騒ぎ始めたとの証言。

 「数人の会話で『みんな共犯者だよ』と言っている生徒がいた」

 「『やばいんじゃないか』と騒ぎになった」

 「(松竹君に)『うざい』と言っていた生徒たちが『もしかして自殺 したのでは』と言っていた」

 「『全体責任だよ』と言う生徒もいた」

 「警察に捕まらないかな」(以上聞き取り調査や同級生の証言)――

 自殺翌日の1月9日の1回目のアンケートに対する調査ではイジメは見つからなかったとしているが、2回目では証言がゾロゾロと出てきた。1回目のアンケートでは追及が不足していたことになる。

 この追及不足が自分たちを責任から離れた場所に置く責任回避に相互対応させた事実隠蔽を図る意図的な操作だとしたら、その責任回避意識は甚だしいものとなる。

 同中の3年は1クラス21人しかいないそうだが、「みんな共犯者だよ」と、「全体責任だよ」という言葉はクラスの多くの生徒からイジメられていたことを証言する言葉となるはずだ。

 「警察に捕まらないかな」はイジメが悪ふざけの域を超えて執拗な継続的域――警察に捕まっても仕方のない程度に達していたことと、そのことを生徒たちが自覚していたことを意味することになる。

 但し「LINE」で自殺を仄(ほの)めかされていた同級生たちは担任教師に誰も松竹君が自殺する恐れがあることを伝えていなかったという。自殺を仄めかしてら実際に自殺することも一つのパターンとなっている。生きて在る一個の生命(いのち)に対してタカを括っていたことになる。

 尤も生きて在る一個の生命(いのち)と認識することができていたなら、イジメも起きなかったろう。

 町教委が5月28日の記者会見。

 道津(どうつ)利明教育長「一つ一つの行為はいじめと認められるが、いろんな人間関係の中であったことなので、自殺の原因とは断定できない。

 (一部の同級生が「いじめが原因で自殺した」と証言していることについ)いじめがなかったと言う生徒もいる。いじめが原因で自殺したと断定するのは慎重にならざるを得ない。
 
 (松竹君が無料通話アプリ「LINE」(ライン)で複数の同級生に自殺意図を伝え、一部の保護者も知っていたのに両親や学校に伝えなかったことについては)非常に残念だ」――

 「一つ一つの行為はいじめと認められるが、いろんな人間関係の中であったことなので、自殺の原因とは断定できない」という言葉が理解できない。イジメは人間関係の中で起こる。外では起こり得ようがない。イジメが正常な人間関係を損なう程度にまでエスカレートしていたのか、歪んだ人間関係を強いていたのか、教育長でありながら、人間関係に於ける心理面を問題にすべきを、イジメがあったという意味でしか人間関係を把えていない。

 また、「いじめが原因で自殺した」という証言に「いじめがなかったと言う生徒」を対置させて、「いじめが原因で自殺したと断定するのは慎重にならざるを得ない」と結論づけているが、これは刑事が取調べで「お前が盗んだところを見た目撃者が3人もいるんだ」と言ったことに対して、犯人が「じゃあ、俺が盗んだところを見ていない目撃者を100人連れてくる」と言って、自分の無実を証明するのと同じで、論理的に意味を成さない証明でしかない。

 「いじめが原因で自殺した」という証言と、「いじめがなかったと言う」証言のいずれが信憑性ある事実なのかを証明して初めて論理的に結論づけることができるイジメと自殺の因果関係であるはずである。

 にも関わらず、非論理的な証明方法で因果関係を否定する。一人の生徒が生命(いのち)を断った重大性の原因追及に論理的な証明を用いていない以上、これは事実隠蔽に当たる。

 同じことを言うが、事実隠蔽は責任回避を相互対応とする。

 1回目のアンケートで、少なくともイジメと思われる証言がありながら、満足な調査を怠って、結果として事実隠蔽に力を貸すことになった学校側の責任を満足に果たそうとしない姿勢と言い、もし意図的な調査回避なら、問題なく事実隠蔽と責任回避を謀ったことになるが、道津(どうつ)利明教育長の論理的な説明の体を成していない発言で事を遣り過そうとする姿勢と言い、論理的な説明が可能となる検証を待たずにイジメと自殺の因果関係を否定する姿勢と言い、2011年10月の大津中2年男子生徒イジメ自殺事件での学校・教育委員会の自分たちを責任から離れた場所に置く責任回避と事実隠蔽を相互対応させた姿勢と否応もなしに類似性を見ないわけにはいかない。

 同じことの繰返しが別の学校で行われた。

 要するに法律の問題ではない。教育者としての責任感の問題であろう。

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ドイツ首相「国のために戦ったナチス戦没兵士に手を合わせる。世界共通のリーダーの姿勢だ」とナチスを擁護

2014-06-01 08:35:27 | Weblog



 発言の日と発言を報道するマスコミ名、記事題名を書き込みたいところだが、ドイツの首相がこのようにナチスを肯定したり、擁護したりする発言をするはずはないし、ナチス戦没兵士を肯定したり、擁護したりすることを通してドイツの戦争を肯定し、擁護することもするはずはない。

 以下の記述は《諸外国の主要な戦没者追悼施設について》の中の「ドイツ連邦共和国」の件(くだり)から必要個所を参考にした。
 
 ドーリア式の柱廊玄関を有する石造建築物である(この箇所は「Wikipedia」からの引用)「ノイエ・ヴァッヘ」は東西ドイツ統合後の1993年1月に内閣の閣議決定によりドイツ連邦共和国の中央追悼施設に定められ、毎年の11月14日を「国民哀悼の日」としている。

 建物の中に入ると、「死んだ息子を抱く母親」像(拡大複製)が設置してあって、母親像の手前には、「DEN OPFERN VON KRIEG UND GEWALTHERRSCHAFT」(戦争と暴力支配の犠牲者たちに)の金色の文字がはめ込まれているという。

 要するに追悼対象者は「戦争と暴力支配の犠牲者たち」であって、犠牲者をつくり出したドイツ国家やナチス兵士等の加害者ではないということになる。

 屋外に左右の位置にプレートが設置してあって(どこの左右か分からないから、調べてみると、「入り口右側に掲げられている追悼銅板」という記述を見つけることができたから、入口の左右に銅板のプレートが嵌めこまれているのかもしれない。)、左側プレートに以下の碑文が刻まれているという。

 我々は、戦争により苦しんだ各民族に思いをいたす。

 我々は、そうした民族の一員で迫害され命を失った人々に思いをいたす。

 我々は、世界大戦での戦没者たちに思いをいたす。

 我々は、戦争と戦争がもたらした結果により、故郷で俘虜として、あるいは追放によって命を落とした無実の人々に思いをいたす。

 我々は、殺害された何百万人ものユダヤの人々に思いをいたす。

 我々は、殺害されたシンティ及びロマの人々に思いをいたす。

 我々は、その出身のゆえ、同性愛のゆえ、あるいはその病気や虚弱のゆえに殺害されたすべての人々に思いをいたす。

 我々は、生きる権利を剥奪され殺害されたすべての人々に思いをいたす。

 我々は、宗教・政治的信念ゆえに命を落とさなければならなかった人々に思いをいたす。

 我々は、暴力支配に抵抗し命を犠牲にした女性たちや男性たちに思いをいたす。

 我々は、良心を曲げるより自ら死を受け入れたすべての人の栄誉を称える。

 我々は、1945年以降の全体主義独裁に抵抗したがゆえに迫害され殺害された女性たちや男性たちに思いをいたす。

 「殺害されたシンティ及びロマの人々に思いをいたす」の「シンティ」とは、インターネットで調べると、「15世紀頃から主にドイツ語圏に定住していたロマと同根の集団。シンティ・ロマ人」と説明されていて、「シンティ・ロマ人」を調べてみると、「シンティ・ロマは15世紀頃からドイツ語圏に定住したロマと同根のロマニ系の集団であるシンティ (Sinti)と、主に東欧に移住し、後のルーマニアに当たる地域で奴隷とされた集団であるロマとを併せた呼称。中世に後のオーストリア・ドイツ・北イタリアに辿りついたと考えられ、シンティにはドイツ系住民と同化した者も多い。シンティからは多くの優れたミュージシャンが輩出されている」と説明されていた。

 いわばその民族の出自により劣る人々としての扱い――不当な差別を受けていた。ヒトラーはドイツ民族が所属するアーリア人種を世界で最も優秀な人種とし、その対極に劣る人種としてロマ族やユダヤ民族、そして同性愛者や身体障害者までも置いた。

 このような思想の構図に真っ向から反して、「シンティからは多くの優れたミュージシャンが輩出されている」というのは皮肉な現象としか言いようがない。この皮肉な現象はユダヤ民族についても当てはめることができる。優れた企業家、優れた政治家、優れた芸術家、優れた科学者等々、多くを輩出している。

 プレートの碑文はこのように追悼対象者である「戦争と暴力支配の犠牲者たち」を具体的に例示して、それぞれを追悼している。

 但し、それぞれの追悼を通して言っていることはただ一つの主張であって、「戦争と暴力支配」の否定である。ドイツはドイツが起こした戦争と暴力支配を否定している。

 第1次世界大戦であっても、特にヒトラーが起こした戦争を正しい戦争と看做していないからなのは断るまでもない。後者は世界を支配する意図のもと、暴力支配が目的となっていた。

 安倍晋三がシンガポールで開催の「アジア安全保障会議」出席のために5月30日午前9時半近くに羽田空港を出発、現地時間夜、開催式典に出席後、基調演説を行い、演説後の質疑で次のような遣り取りがあったという。

 《首相の靖国参拝発言で会場に賛同の拍手 アジア安保会議》MSN産経/2014.5.31 09:09)

 中国人男性(昨年12月の首相の靖国神社参拝に触れて)「先の大戦で日本軍に中国人は殺された。その魂にどう説明するのか」

 安倍晋三「国のために戦った方に手を合わせる、冥福を祈るのは世界共通のリーダーの姿勢だ。法を順守する日本をつくっていくことに誇りを感じている。ひたすら平和国家としての歩みを進めてきたし、これからも歩みを進めていく。これは、はっきり宣言したい」――

 〈会場が拍手に包まれる一幕があった。〉と記事は紹介している。結構毛だらけ猫灰だらけ。

 きっと安倍晋三は胸を張り、得意げな笑みを浮かべた顔を昂然と上げて、自信たっぷりに会場を見渡したことだろう。

 質問の趣旨に直接答えずにはぐらかすことが安倍晋三の常套手段である。

 「国のために戦った」いう言葉の意味は兵士の戦争行為を正義と把え、国の功労者とすることである。当然、安倍晋三は靖国の戦死者を正義を行った国の功労者とすることを通して戦前の日本国家と戦前の日本の戦争を正義と看做し、肯定していることになる。

 断るまでもなく、兵士の正義を基調とした功労は国家とその戦争の正義と響き合う関係を取らずに成り立たないからだ。

 例えば独裁国家が外国に対して侵略戦争を起こした場合、独裁国家の兵士が国が命令する侵略戦争に従って侵略を性格とする戦争を戦った場合のその行為は独裁国家に於いては正義の行為と価値づけられるように、例え世界基準に反していたとしても、一方を正義としたなら、もう一方にしても正義とする相互に響き合わせる関係を取らなければ、矛盾することになる。

 兵士の戦争行為を正義と価値づけたなら、国家とその戦争を正義と価値づける思想構造を自ず取るということである。

 安倍晋三は自身の靖国参拝が戦前の日本の戦争の美化だと批判を受けるが、この批判に対して誤解だと反論、誤解の理由に例の如くに、「国のために戦った戦死者を悼むのは国のリーダーの務めだ」と言い、戦後の日本の平和の歩みを対置させて、さも自身を平和の人と見せることを常套手段としているが、実際には参拝を通して戦前日本国家と戦前の日本の戦争を正義に彩らせて肯定する“美化”を行っている。

 いわばドイツの逆の構造を取っている。

 ドイツの追悼すべき戦死者に対して国家とその戦争を非正義の関係に位置づけているのに対して、安倍晋三の国のリーダーとして追悼すべきとしている戦死者の戦争行為を正義と位置づけて、その正義に国家とその戦争を正義とする相互対応の価値づけを行っている。

 このような関係にあるからこそ、ドイツ首相の「国のために戦ったナチス戦没兵士に手を合わせる。世界共通のリーダーの姿勢だ」とする追悼の言葉は存在し得ず、安倍晋三のみに存在する言葉ということになる。

 安倍晋三やその一派にこの手の言葉を許しているのは、日本という国家、歴史・文化に優越性を持たせ、その優越性を前提とした考えに立っているために、当然、その国家・歴史・文化を正義と価値づけることとなり、兵士の戦争行為にしても同じように正義で括ることをしなければ国家・歴史・文化の優越性に破綻が生じるからに他ならない。

 だとしても、本質的には安倍晋三が「国のために戦った方に手を合わせる、冥福を祈るのは世界共通のリーダーの姿勢だ」と言うことは、ドイツ首相が同じ言葉を言った場合と同列の関係にあることに変わりはない。

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