稲田朋美・菅義偉・高市早苗等の白紙領収書利用の立派な「政治とカネ」錬金術

2016-10-07 13:22:34 | Weblog

 2016年10月6日の参議院予算委員会で共産党の小池晃議員が、安倍内閣閣僚の防衛相稲田朋美、官房長官菅義偉、総務相の高市早苗等が白紙の領収を発行させ、そこに各事務所の人間が自ら日付、宛名、金額を記入していたと追及したところ、本人たちはその事実を認めた。

 白紙領収書の利用は一般的には実際に支払った金額よりも高い金額を記入して経費を水増しすることで税金を安くあげて手元資金を節約し、その分利益を増やす錬金術に用いる。

 政治家の場合にしても水増しした金額を記入することで政治資金を節約すると同時に節約した分をプールして、表に出すことのできない目的のためのカネに回したりする「政治とカネ」のための錬金術に利用する。

 稲田朋美の白紙領収書はどういった錬金術だったのか、小池晃と稲田朋美の質疑のみを見てみる。 

 小池晃は最初に参考人として出席していた総務省自治行政局選挙部長の大泉淳一に2007年12月に改正された政治資金規正法の中心点と法案の趣旨の説明を求めたのち、政治資金規正法が規定している領収書について尋ねる。

 小池晃「政治資金規正法第11条で領収書の要件はどうなっていますか」

 大泉淳一「政治資金規正法上、領収書等とは当該支出の目的、金額、年月日を記載した領収書、その他支出を証するべき書面というふうに規定されているところでございます。

 この旨は法務省の作成をしております収支報告書の手引にも書いてございますが、これは一般的な見解として示しております。特段の引用を反映していないということで説明しているところでございます」

 小池晃「領収書はね、金額が記載されていなければいけないというのは余りにも当然なことですね。だから、法律にもちゃんとそう記載されているわけでございます。しかし自民党などでは政治資金パーティーなどで金額が白紙の領収書が横行しているようであります。

 これ、稲田防衛大臣の政治資金収支報告書に添付されている領収書のうち、ここに今座っておられる閣僚の(と、大臣席に向けて伸ばした手を横に動かして全員を示す具合にして)事務所が発行した領収書だけパネルにさせて頂きました。

 ずらりと並んでいます。筆跡鑑定も行いました。新聞『赤旗』で筆跡鑑定を依頼して、金額全て筆跡が同一人物が書いたものだと分かりました。

 稲田大臣、これは各大臣から発行された白紙の領収書を受け取って、金額は稲田事務所で書き込んだ、間違いないですね」
 
 稲田朋美「今小池委員がご指摘なったように私が代表を務めております政治団体『ともみ組』が提出した政治資金収支報告に基づいて、同報告書の中で会費支出として計上している政治資金パーティー会費領収書の中に稲田側で日付・宛名及び金額を記述したものが存在しており、今ご指摘があったとおりであります

 それらは政治資金パーティーの主催者側のご都合により主催者側の権限に於いて発行された領収書に対し、主催者側の了解のもとで稲田側に於いて未記載の部分の日付・宛名・金額を正確に記載したものであります。

 国会議員はしばしば同僚の政治資金パーティーに参加を致します。その際、主催者側としては数百人規模が参加するパーティーの受付で特に政治家の先生方は会費を祝儀袋、水引のついた祝儀袋に入れて持って来られますので、参加会費の入れた封筒を開封し、金額を確認した上で宛名と共に金額を記載すると、受付に長時間を要してしまう、受付が混乱すると、パーティーの円滑な運営に大きな支障が生じてしまうことから、その都合上、金額が空欄の領収書を発行することがあります。

 そのため互いに面識がある主催者と参加者との間に於いては領収書の日付・宛先・金額について主催者側の了解のもと、いわば委託を受けて、参加者側が記載することがしばしば行われております。その際、当然のことながら、参加者側、特にその、あのー、お示し頂いている場合ですと、私の側ですけれども、実際に支払った日付・宛先・金額を領収書に記載することとしております」 

 小池晃「ふふふ(と鼻先で笑う)。架空の支払いでないことを証明するために領収書ってあるんですよ。金額を勝手に書いていたら、領収書にならないじゃないですか。みんなつかっているからいいでしょと、それは子どもの言い訳みたいなことしないでくださいよ。

 領収書の要件を満たしていないことを認めるでしょ?」

 稲田朋美「今ご説明しましたように領収書を発行した方、作成名義人がその方の権限で以って発行されておる正式な領収書でございます。そしてその了解のもと、いわば委託を受けて、こちらの側で正確に日付・金額等を書き込んでいるわけであって、何の問題もないと思います」

 小池晃「だって、今ね、稲田さん、さっき説明したときにいちいち封筒を開ける時間がないから、こうしてるんだ。じゃあ、2万円かどうか分からないじゃないですか。

 そんなの稲田さんが書いているだけということになりますよ。領収書の要件、呈していないじゃないですか」

 稲田朋美「ただいま、重複(ちょうふく)になりますけども、あー、作成名義人であるところの主催者側が正式に発行をした領収書でございます。そしてその了解のもとで、ただそこでお示し頂いているものであれば、主催者側が設定した会費と同額でございますけれども、こちらで正確に支出したものを了解のもとで委託を受けて、いわば委託を受けて、書き込んでいるものであって、私は政治――、いー、政治資金規正法のもとの領収書として問題はないと思っています」

 小池晃「だって、政治資金規正法の第11条には金額は書いてなければならないとかいてあるのだから、どう考えたって、政治資金規正法の要件を満たしていないじゃないですか?

 で、委託があったら、金額はあとで書いていいなんて言ったら、今聞いている中小企業の社長さんたち、みんなでびっくりですよ。そんな領収書通用するわけないじゃないですか。

 こんなバカな話はない。こうした領収書はね、これは(パネルを指し)一例挙げただけですが、稲田さんはね、2012年から2014年まで3年間、約260枚、520万円分あるんですよ。

 稲田大臣自身も2009年11月、衆議院の法務委員会でこう言っています。『政治家は政治資金規正法についてきちんと認識しておいて頂かないと何が民主主義ですか、何が議会制民主主義です?』

 大臣おっしゃってる。こんな領収書を出しておいて、何が民主主義です?そうでないんじゃないですか?

 これはね、全く政治資金規正法の要件を満たしていないということをお認め頂きたい」

 稲田朋美「繰返しになりますけれども、発行された主催者側が正式に発行したものであり、こちらの都合によって発行されたものでもございます。ただ、ただですね、今小池委員のご指摘、更には『赤旗』でこの点を指摘されたことを受けまして、私の事務所では一般に来て頂いている方には2万円の印字の書いてある領収書を発行しております。

 そして政治家の方については殆どお祝儀袋の水引のついたものに入れておられる関係から、こういった形で処理しているものも、これからしっかりと、どういった形ができるか、検討していきたいと思っております」

 小池晃「これからはやらないということはマズイってことを認めているじゃないですか。まあね、語るに落ちたって感じですよ。しかもね、稲田大臣だけじゃないですね――」

 菅義偉に対する追及に移る。

 稲田朋美は「領収書を発行した方、作成名義人がその方の権限で以って発行されておる正式な領収書でございます」と言い、「政治資金パーティーの主催者側のご都合により主催者側の権限に於いて発行された領収書に対し、主催者側の了解のもとで稲田側に於いて未記載の部分の日付・宛名・金額を正確に記載したものであります」と言っているが、領収書の様式自体が宛名記入欄や金額記入欄、日付記入欄、但し書記入欄、発行者氏名がそれぞれ印刷してあって、正式とすることができても、発行者名だけが正式なだけで、領収書の発行者がそれぞれの欄に受け取った金額も日付も但し書の欄に記入する用途(=使い途)も書かないままに渡した領収書は、如何なる権限を持っていようと、あるいは主催者側の了解を如何に得ようとも、正式な発行の領収書から外れることになる。

 稲田朋美は領収書の記述が正式な体裁を整えていないにも関わらず、領収書の様式が正式であることを以て「正式な領収書」と言ってゴマカシているに過ぎない。

 小池晃は稲田朋美が「正式な領収書」とした時点で、「様式は正式でも、政治資金規正法第11条が規定しているように正式な体裁を整えていないのだから、正式な領収書とは言えないではないか」と追及しなければならなかった。

 稲田朋美は白紙の領収書を受け取っていた理由として、数百人規模が参加するパーティーの受付が参加会費を入れた水引きの封筒を開封し、金額を確認した上で宛名と共に金額を記載すると時間がかかって混乱が生じ、パーティーの円滑な運営に大きな支障を来たすからだと説明している。

 但しこの理由には受付を一人と想定したゴマカシがある。秘書を何人も抱えているはずである。多人数の出席が予定される葬式でもパーティーでも、受付は二人一組で二組、三組と用意するものである。封筒を出し、領収書を受け取るのは政治家本人の場合もあるだろうが、多分政治家の秘書だろう。受付の一組二人のうちの一人が水引きであろうと何だろうと金額の入った封筒を受け取りながら事務所の名前を尋ね、その名前を横で聞いていたもう一人が領収書に書き入れて、封筒を受け取った一人がそれを開封して金額を確認して、もう一人に伝えると、その一人がその金額を聞いてチェックライターで印字する役を務め、その役割を二組、三組と同時に担えば、混乱は生じないし、パーティーの円滑な運営に大きな支障を来たすといったこともない。

 こういったことは来客に迷惑を掛けないために一般的にはどこでも行われていることである。

 数百人規模が参加することが予定されていながら、パーティーの受付を一人一組しか用意しなかったとしたら、例え政治資金パーティーの運営に過ぎなかったとしても、ガバナンス能力が疑われ、主催者は政治家としての資格を欠くことになる。 
 
 受付で来客に迷惑をかけない運営をも心掛けるのが主催者の務めであり、能力であろう。

 もし一人一組しか用意しなかったとしたら、白紙の領収書を発行するための仕掛けの疑いが出てくる。

 稲田朋美はそれぞれの白紙欄に「日付・宛名・金額を正確に記載した」と何もゴマカシていないことを証明しょうとしているが、政治資金パーティーの日付と但し書は既に決まっていることだから、前以てパソコンで印字しておくことができるはずなのに当日手書きで書くか、チェックライターで印字しなければならない項目に入れているのもゴマカシを隠す作為と見て取ることができる。

 現在、チェックライターは握りの部分を手に握って左右に回すことで金額の数字を合わせ、ガチャンと打つことで機械に挟んだ領収書に印字できるのと、ボタン式で数字のボタンを打って金額の数字を揃え、やはりボタン操作で印字てきるチェックライターがある。

 手書きは宛名程度だから、1枚の領収書を仕上げるのにそんなに時間はかからない。

 稲田朋美の説明は何もかもが白紙の領収書を遣り取りして錬金術に利用する目的で作り上げたシナリオに見える。

 小池晃は稲田朋美に白紙の領収書に支払った金額と同じ金額を書き入れたことを第三者に証明できる物的証拠を示すことができるか尋ねるべきだった。

 いくら本人がゴマカシていないと言い張ろうと、政治資金の支出に関して白紙の領収書を遣り取りすること自体が政治資金規正法に反する行為を前提としている以上、第三者を信用させる力はない。

 マスコミ記事によると、政治資金規正法を所管する総務相の高市早苗は「領収書作成方法は法律で規定されておらず、パーティー主催者から了解を得ていれば法律上の問題は生じない」と発言し、菅義偉は「政治資金規正法上、政治団体が徴収する領収書に際して発行者側の作成法についての規定はない」と正当化したことを伝えているが、両者共が稲田朋美と同様に領収書の様式が法律で規定されていないことを以って白紙の領収書の遣り取りをも同一線上のものとするコジツケを働かせているに過ぎない。

 小池晃はパネルで示した閣僚の事務所が発行した白紙領収書は一例に過ぎないと言っていた。他の閣僚の間でも白紙領収書を使った政治資金の錬金術が横行している。

 このゴマカシ――「政治とカネ」の問題は国民の目が届かない場所で脈々と生きづいている。稲田朋美や菅義偉、高市早苗、その他安倍内閣の閣僚が「政治とカネ」の問題に於けるそれぞれの主役を演じ、活躍している。

 安倍晋三はそれら主役中の主役として活躍していないのだろうか。

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10/3衆院予算委の民進党長妻昭のムダな時間浪費と10/5参院予算委蓮舫の何も学習しない同じ繰返し

2016-10-06 13:03:56 | 政治

 2016年10月3日の衆院予算委員会で民進党の長妻昭が安倍晋三に対して自民党憲法改正草案の基本的人権に関わる新しい規定が人権をより制約する内容になっていないか問い質したが、安倍晋三は憲法草案はまだ政府案となっていないから、行政府の長としてここに立っている自身として憲法の中身について議論する立場にはないと答弁を回避、長妻は諦めずに質問を続けたが、最後まで答弁させることができない、埒の明かない質疑となった。

 翌々日の10月5日午前の参院予算委員会でも民進党代表の蓮舫が同じ趣旨の質問を繰返したが、長妻昭と同じで、埒の明かない結末を迎えることになった。

 先ず長妻昭の自民党草案の基本的人権に関わる質問と安倍晋三の答弁を見てみる。

 長妻昭「総理はですね、金曜日、憲法97条、この最高法規、人権尊重を規定する条文を自民党憲法草案はまるごと削除していること、その理由を問われて、総理は97条の削除は条文の整理に過ぎない』というふうのお答えになった。

 飛んでもない発想だと思います。条文の整理というのは恐らく憲法11条にですね、基本的人権についての条文があるから、これとダブっているから、97条を削除しようという趣旨だと思うんですが、憲法97条はですね、これは基本的人権がやはり侵すことのできない永久の権利、その由来、これがきちっと書き込まれている大変重要な条文だと思います。

 しかも憲法11条自体が自民党の憲法草案変えておられて、本来の現行の憲法11条はですね、『基本的人権は侵すことのできない永久の権利として現在及び将来の国民に与えられる』

 『現在及び将来の国民に与えられる』という文言があるんですが、自民党の憲法草案は『現在及び将来の国民に与えられる』という文言が削除されているんですね。そして人権を制約する、その一つの要件としての(現憲法の)『公共の福祉』という言葉が(自民党憲法改正草案では)『公益及び公の秩序』という言葉に変わっている。

 ま、そういうことからするとですね、より人権が制約されるんではないかという懸念が広がるのも私は無理のないことだというふうに思うわけであります。総理、自民党の責任者として、こういう憲法改正案を(なぜ)出されたのか、基本的人権に関わる条文をこういうふうに(なぜ)変更されたのか、そのご説明をして頂きたいと思います」

 安倍晋三は長妻昭が発言した「総理、自民党の責任者として、こういう憲法改正案を(なぜ)出されたのか」という文言を捉えて、出したのは谷垣総裁であって、自分ではない、事実誤認だと、開き直りに近い逆ねじを食らわした。

 確かに谷垣総裁のときに出した憲法草案だが、一度首相を務めたことで自民党の実力者としてそれなりの発言力を有していることと、現憲法を占領軍憲法だと否定的に捉えている関係から、安倍晋三が自身の主張・意見を草案に深く関与させていないはずはないし、自身が総裁になっても自民党の憲法改正草案として掲げているのだから、誰が出した出さないかは瑣末な問題に過ぎないはずだ。

 にも関わらず、最後まで谷垣総裁が出したのだと異常とも思える執拗さで拘る。瑣末な問題に過ぎない事実に異常に拘るのはケツの穴の小さい人間か、あるいは体調が優れない状態にあって、内心イライラしていて、そのイライラがちょっとしたことで外に出てしまうことを抑えることができない人間か、いずれかであろう。

 長妻昭の質問も自民党草案が憲法97条を削除し、憲法11条の条文のうち、「基本的人権は侵すことのできない永久の権利として現在及び将来の国民に与えられる」の文言を削除していることがなぜ人権を制約する懸念に繋がるのか、各条文をボードに書き込んで提示し、その理由を具体的に説明しなければ、そのことを承知していない国民は国会中継を視聴していても理解できないことになる。

 そういった親切心はなかったようだ。

 現憲法の関係する条文を掲げてみる。

 97条〈この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。 〉

 第11条〈国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。 〉

 第12条〈この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。 〉

 第13条〈すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 〉

 自民党憲法改正草案

 97条削除。

 第11条〈 国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。〉

 第12条〈この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。〉(以上)

 長妻昭は「憲法97条はですね、これは基本的人権がやはり侵すことのできない永久の権利、その由来、これがきちっと書き込まれている大変重要な条文だと思います」と説明しているが、要するに日本国民が基本的人権の保障を国民の権利とするに至った理由を97条は「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」だとの表現で、基本的人権の保障は日本国民だけに与えられる権利ではなく、人類に普遍的な権利だと謳うことによって、保障の重要性を人類レベルで刻印させていると見なければならない。

 このことは基本的人権の保障は人類共通の原則としなければならないとの謂(いい)でもあるはずである。

 ゆえにこの文言があるかないかによって、あるいは大事にするかしないかによって基本的人権の保障をどの程度重要視しているかいないかのバロメーターとなるはずである。

 だが、自民党草案は削除している。

 この削除――基本的人権の保障に対する重要視の程度が現憲法第11条の〈国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。 〉の条文から、「現在及び将来の国民に与へられる。」の文言を削って、自民党草案第11条〈 国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。〉と簡潔化するに至ったのだろう。

 「現在及び将来の国民に与へられる。」は基本的人権の保障の永久不変性の標榜を意味する。単に「侵すことのできない永久の権利である」だけでは、永久の不変性を意味しない。

 いわば自民党草案第11条は基本的人権の保障の永久不変性に手を加えた。

 この改変、いわば基本的人権の保障に対する重要視の程度が自民党草案第12条に現れている。

 第12条〈この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。〉

 現憲法第12条に加筆された自民党草案の〈常に公益及び公の秩序に反してはならない。 〉の文言である。

 だが、「公益」にしても「公の秩序」にしても、時代によって規定する価値観は姿を変える。封建時代の美徳とされた夫婦観は「妻たるもの、三歩下がって夫の影を踏まず」とされた。

 現在、夫と妻は、だけではなく、結婚前の男女も同じだが、並んで腕を組み、あるいは手を繋いで歩く。封建時代は妻は夫の仕事への送り迎えを玄関先で三指を突いて行ったものだが、現在は玄関先でキスを交わすことが送り迎えの儀式としている夫婦が多いとされている。

 封建時代とその名残が濃かった時代は女性の方から男性を性行為に誘うことは以ての外、アバズレ女、尻軽女とされたが、現在では女性の方から積極的に誘う時代となっている。その積極性に助けられている、自分から言い出せない男性は多くいるはずだ。

 当然、政治権力者等によって時代が保守化されて、その試みが過度の様相を呈することに成功した場合、時代が逆行することになってかつての価値観や秩序を先祖返りのように蘇らせることにならない保証はどこにもない。

 いわば自民党草案第12条は現憲法第11条が規定している基本的人権の保障の永久不変性を削除することによって、国民一般の価値観ではなく、国家権力の価値観に応じた「公益」、あるいは「公の秩序」の名の縛りによって可変化させることが可能な条文となっている。

 結果として現憲法97条が保障する基本的人権が人類に普遍的な権利であることを喪失することになる。

 断るまでもなく、自民党草案は最初から基本的人権の保障が蔑ろにされる危険性を孕んでいる条文と言うことができる。

 安倍晋三は質疑の中で「基本的人権についてはこれは立場が変わらないと言うことは申し上げているとおりでございます」と言い、「基本的人権、そして平和主義、国民主権ということは変えないということは再三申し上げているわけでございます」発言している。

 当然、この発言を捉えて、これこれ基本的人権の保障を危うくする憲法草案となっているのではないかと追及するのも一つの手であるはずが、長妻昭は安倍晋三が自民党草案は政府案として国会に提出していないために行政府の長としてここに立っている自身としては憲法の中身について議論する立場にはないと説明回避を徹底させているにも関わらず、あの手この手で説明させようと勝算のない堂々巡りを演じ、憲法は国家権力を縛る役目を担っているが、自民党草案は逆に国民を縛る内容となっているとかつて国会で質問したとき、安倍晋三から「デマゴーグ」だと言われた、それを撤回しろと要求したが、自民党草案が国民を縛る内容であることを説得力ある言葉で具体的に説明して決してデマゴーグではないことの論陣も張らずに、撤回する気のない相手にデマゴーグと言われたから撤回しろは、これも埒の明かないムダな時間を費やすことになったのみである。

 この長妻昭の衆院予算委での質疑の翌々日の10月5日午前、民進党代表の蓮舫が参院予算委員会で質問に立ったが、長妻昭の何ら成果もなく終わった堂々巡りの質疑を参考にするべくテレビで見ていたはずだが、同じ堂々巡りを演じるムダを繰返したに過ぎなかった。

 この質疑を伝えている「産経ニュース」記事から引用してみる。    

 先ず蓮舫は現憲法にどこが問題があって、それを自民党憲法草案でどう解決するのかの安倍晋三の認識を質すと、安倍晋三は長妻昭に答弁したように行政府の長としてここに立っている自身として憲法の中身について議論する立場にはない、憲法審査会で議論して欲しいと同じく繰返したのに対して蓮舫は次のように質問している。

 蓮舫「因みに自民党におきましては、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、この3つの考え方、現行の憲法の持っているこの3つの考え方については変わりがないということでございます。

 両院の憲法審査会では話せるけれども、予算委員会では話せないというのは何に根拠を持っているのですか」

 安倍晋三はほぼ同じ趣旨の論理で予算委員会での自民党草案の説明、及び自身の憲法観についての説明を回避した。

 蓮舫は食い下がった。

 蓮舫「総理、ここは立法府です。立法府にはルールがあり、先人たちが積み重ねてきた先例録があります。参議院の先例録、予算委員会の総括質疑は国政全般に亘り総括的な問題について政府の統一的見解を質すものであります。先例録、委員は議題について自由に質疑し意見を述べることができる。自由に質疑ができる。何で行政府の長が、立法府のこのルールを勝手に変えて指示ができるんですか」

 安倍晋三「今、読まれたように、政府の統一的な見解を述べる場所であってですね、政府の統一的見解について、自民党の草案について述べることはできないわけであります。

 ですから今、政府の統一的な見解を問うとおっしゃりましたから、まさに政府の統一的見解として、政府案として出しているのであれば、述べることはできますが、私は行政府の長として立っている以上ですね、自民党草案についての個々具体的な、逐条的な解説をするのは、適切ではないと述べたところでございます」――

 長妻昭に対する答弁の繰返しであり、何の策もなく同じ繰返しを許した。

 そればかりか、自民党草案が「現行憲法と同様に国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、この3つの考え方は変わりはない」としていると指摘していながら、そのことに対する自分たちの認識はどうなのか触れないままに予算委員会で説明する気のない相手に長妻同様になお説明させようと躍起となって、結局長妻同様にムダな時間を費やすことになった。

 長妻と安倍晋三の質疑を見て、何も学習しなかったのだろうか。質疑を見ていませんでしたでは一党の代表として許されないし、その資格を欠くことになる。

 最後に蓮舫は頭の回転が良いことを印象付けようとしているのか、言葉遣いの歯切れの良さをウリにしようとしているのか、質問相手に言葉を向けていながら、その背後に国民が耳を澄ませていることを考えずに早口の発言に終始していて、聞き取れないことが多々ある。

 その丁寧さの無さからは国民に丁寧に説明しようと心がける姿勢は見えてこない。

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安倍晋三の京都発言、持病の潰瘍性大腸炎が良好な状態で「元気すぎてマリオに」は健康不安説払拭か否か

2016-10-04 10:59:50 | 政治

 安倍晋三が2016年10月2日、京都市内で行われた「STSフォーラム(科学技術と人類の未来に関する国際フォーラム)」第13回年次総会に出席し、スピーチしている。

 そのスピーチで第1次安倍政権時代に退陣のキッカケとなった持病の潰瘍性大腸炎に触れて、「薬のおかげで(症状は)ずっとうまくいっている。あんまりうまくいっているので『マリオ』にさせられた」と話し、会場内の笑いを誘ったことを2016年10月3日付の「日経電子版」「首相「元気すぎてマリオに」 健康不安説の払拭狙う?」と題して伝えている。 

 具体的には記事の中で、〈リオデジャネイロ五輪の閉会式で、任天堂の人気ゲーム「スーパーマリオブラザーズ」のマリオに自ら扮(ふん)したエピソードを引き合いに、最近の健康不安説を払拭したい意向とみられる。〉と書いている。

 安倍晋三の健康不安説が流れていることは知らなかったが、テレビで見ると、顔が赤みががって少々むくみ気味のところに芳しからざる体調のシグナルが出ているように思っていた。

 クエスチョンマークが付いているものの事実健康不安説払拭の意向からの発言なのかどうかを確かめるために首相官邸サイトにアクセスして、そのスピーチを採録してみた。   

 安倍晋三「わたくし、皆さまの会議に随分と参加してまいりましたせいか、ひとつ習慣が身につきました。9月になって、国連総会に出る頃合いになると、科学と技術は社会をどう変えるだろう、とりわけ日本社会をどう変えるだろうかと、いろいろ思いをめぐらせる性癖のようなものが、できたわけであります。

 というわけで、今度も日本と、米国の往復の途次、念頭に浮かんだところを以下お話しいたします。

 まずは、いましがた申し上げた点を、すぐに訂正しなくてはなりません。というのも、科学と技術が社会を『どう変えるだろうか』などと、問うている場合ではないのでありまして、科学、技術は、何としても、『世の中を変えなくてはならない』。それ以外にないわけです。

 糖尿病に例を取ってみます。手遅れにならないよう、血糖値に目を配っておかなくてはなりません。まさしくここで、技術が力を発揮します。例えばの話、皆様がはめておられる腕時計が、血糖値が一定ラインを超すたび、警戒音を出してくれたらどうでしょう。歩くか、ジョギングするか、それとも食べる量を減らすかして、元に戻すことができます。

 これが予算に与える意味合いは、もちろん良い意味合いですが、非常に大きなものになるでしょう。と言うのも、いろいろな成人病に要している医療費は10兆円という巨額で、これは教育予算より大きいからです。

 私の場合は、マイクロ・センサーのロボットがあったらいいなと思います。腸に抜かりなく目を配って、潰瘍性大腸炎が落ち着いているか見てくれるロボットです。ちなみに、飲んでいるクスリのお陰でずっとうまくいっておりまして、あんまりうまくいっているので、『マリオ』にさせられたりしました。

 無線センサー技術はほかにも、介護を受けているお年寄りの方たちに、毎日24時間、目配りをするのにも役立ちます。ロボット・スーツがあれば、お年を召した方や体力の弱まった方が、筋力を取り戻せます」――

 先ず自身がスピーチした科学と技術に関する話題は「米国の往復の途次、念頭に浮かんだ」もので、スピーチに当たって考えついたものではないとしている。

 安倍晋三は2016年9月18日にニューヨークでの国連総会出席のために政府専用機で羽田空港を出発、国連総会出席後キューバを訪問、米サンフランシスコ国際空港経由で9月24日午後9時頃羽田に戻っている。

 健康不安説がいつ頃から囁かれ始めたのか分からないが、要するに9月の「米国の往復の途次」、「科学と技術は社会をどう変えるだろう」と考える過程で思いついた話題だとしているところに、裏を返すと、自分の健康を考えて思いついた話題ではないと暗に断っているところに健康不安説払拭と取られた場合の先を見越した用心を見ることができる。

 このような用心は健康に不安を抱えていない人間がするだろうか。

 確かに「マイクロ・センサーのロボット」が存在して、そのロボットが腸の状態を常時監視し、自動収集したデータを医者に送って医者がそのデーターを解析してロボットを取り付けている患者の腸の状態を常時把握できるようになれば、定期的に医者の診察を受ける煩わしい手間を省くことができる。薬も代理の者に受け取らせることもできる。

 あるいはドローンで配達できるようになれば、代理にわざわざ薬を受け取らせに出向かせる手間も省くことができて、居ながらにして定期検査も薬の受取りも済ませることができる。

 但し、「飲んでいるクスリのお陰でずっとうまくいっている」、それも「あんまりうまくいっている」良好な症状の人間が、例え定期検診や薬の受け取りの煩わしさから解放されたいと切に願っていたとしても、「私の場合」はと自身のみを対象としてマイクロ・センサーのロボットを望むだけで終わらせることができるだろうか。

 安倍晋三がスピーチで自身の潰瘍性大腸炎に触れる前の発言は厚労省年調査による2014患者数過去最多の316万6,000人、その予備軍2012年調査約950万人の糖尿病を例に取って科学と技術の応用の話に触れていたのであり、自身の潰瘍性大腸炎に触れた後は、厚労省2015年9月調査在宅介護または介護予防サービス利用者約390万人、施設サービス利用者約91万人、実際にはそれ以上存在するはずの被介護者を例に取って科学と技術の応用の話をした。

 いわば糖尿病という病気を抱えている不特定多数の患者やその予備軍、介護という世話を受けている同じく不特定多数の多数の被介護者を頭に置いた科学と技術の応用話であった。

 安倍晋三自身の持病の潰瘍性大腸炎について調べてみたら、日本の〈潰瘍性大腸炎の患者数は16万6060人(平成25年度末の医療受給者証および登録者証交付件数の合計)、人口10万人あたり100人程度であり、米国の半分以下〉だと、「難病情報センター」のサイトが紹介している。

 このサイトは潰瘍性大腸炎を難病の部類に入れ、〈現在、潰瘍性大腸炎を完治に導く内科的治療はありませんが、腸の炎症を抑える有効な薬物治療は存在します。治療の目的は大腸粘膜の異常な炎症を抑え、症状をコントロールすることです。〉と解説し、年々患者数が増えているグラフを載せている。

 当然、安倍晋三の「医療費は10兆円という巨額」にのぼる国家予算を考えなければならない総理大臣としての立場上からも、決して自身のみを対象としてマイクロ・センサーのロボットを望むだけで終わらせることはできないはずだ。

 自身の持病を例に取ったとしても、そこには存在しない数多くの患者を頭に置き、「マイクロ・センサーのロボットをあれば、私だけではなく、多くの患者が定期的な様々な煩わしや心労から解放されると思います」と、科学と技術の応用に期待を馳せべきだった。

 だが、自身のみを対象としてロボットを望むだけで終わらせた。

 だからこそ、「飲んでいるクスリのお陰でずっとうまくいっておりまして、あんまりうまくいっているので、『マリオ』にさせられたりしました」と、自分だけの話題とすることができた。

 だが、自分だけの話題としながら、この言葉は自身の健康を強調し過ぎている。ゲーム「スーパーマリオブラザーズ」のマリオは一種のスーパーマンであるはずだ。リオオリンピック閉会式でマリオに扮したというものの、単に扮しただけのことであるのに、潰瘍性大腸炎が薬の飲用ですっかり治まっている自身の生身をマリオの生身に擬え、マリオの身体頑強さを以てある意味自身の健康に見立てた。

 瘍性大腸炎の症状が薬の飲用ですっかり治まって良好な身体状況にあることが事実なら、その事実に反してこのようにマリオの生身に擬えなければならなかった必要性と、潰瘍性大腸炎に関した科学と技術の応用を自身のみを対象としてロボットを望むだけで終わらせたこととの必要性を考えると、これらは不要な必要性としなければならない。

 このような場合に於ける不要な必要性を必要としなければならない心理は実際には健康不安を抱えていることの裏返しの心理からのこれらの発言であろう。

 日経電子版の報道はクエスチョンマークを付けているが、科学と技術の応用の話題にかこつけて流した健康不安払拭を狙った発言そのものではないだろうか。

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安倍晋三アベノミクスはトリクルダウン機能喪失の2002年1月~2007年10月戦後最長景気の二の舞い

2016-10-03 12:03:13 | Weblog
 
 このことを二つのマスコミ記事から証明する前に、2013年9月26日付の当ブログ、《安倍晋三のアベノミクスはトリクルダウン式利益配分、平等とならない「好循環」はいいこと尽くめではない - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》にトリクルダウンについて書いた。

 〈まあ、アベノミクスであろうと何であろうと、安倍晋三の経済政策がトリクルダウン式利益配分を構造としていることは既に誰かが言っているだろうし、私自身も2006年5月2日の当ブログ記事――《小泉政治に見るトリクルダウン‐『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で、安倍内閣は政治の舞台にまだ姿を表していなかったが、〈同じ穴のムジナに位置する小泉政治の後継者であったなら、格差は引き続いて拡大方向に向かうことになるだろうから〉と書いたとおりに安倍晋三はその経済政策に於いてトリクルダウン式利益配分の小泉政治の後継者でもあり、小泉純一郎の格差拡大政治を受け継いだ。    

 トリクルダウン(trickle down)とはご承知のように「(水滴が)したたる, ぽたぽた落ちる」という意味で、上を税制やその他の政策で富ませることによって、その富の恩恵が下層に向かって滴り落ちていく利益再配分の形を取るが、上が富の恩恵をすべて吐き出すわけではないし、より下の階層も同じで、受けた恩恵を自らのところに少しでも多く滞留させようとする結果、各階層毎に先細りする形で順次滴り落ちていくことになり、最下層にとっては雀の涙程の富の恩恵――利益配分ということもある。

 但し人間社会に於ける収入という利益獲得は否応もなしにトリクルダウン式利益配分の構造によって成り立っている。会社(=企業)が利益を上げ、その中から被雇用者に給与として利益配分する給与体系を基本としている以上、上がより多く手にし、下がより少なく手にするトリクルダウン式利益配分になるのは宿命と言うことができる。

 当然、そこには経済格差が生じる。経済格差によって、社会は上層・中間層・下層という階層社会を形成することになる。このような階層構造そのものがトリクルダウン式利益配分そのものを象徴している。

 経済格差は避けられない社会的構図だとしても、トリクルダウン式利益配分が偏り過ぎないように監視し、偏り過ぎた場合は是正するのが政治の役目であろう。

 2008年9月のリーマンショック以前の02年2月から07年10月まで続いた「戦後最長景気」と重なった小泉時代(2001年4月26日~2006年9月26日)と第1次安倍時代(2006年9月26日~2007年9月26日)は大手企業が軒並み戦後最高益を得たが、利益の多くを内部留保にまわして一般労働者に賃金として目に見える形で還元せず、その結果個人消費が低迷、多くの国民に実感なき景気と受け止められるに至る、滴り落ちるどころか、水源(=大企業等の社会の上層)は満々とした水を湛えていたが、断水状態の最悪のトリクルダウン式利益配分の政治を実現させた。〉――

 2002年1月から景気回復過程に入り、回復期間は2007年10月までの戦後最長の69か月、いざなぎ景気を超えた喧伝された戦後最長景気の各指標を以下に見てみる。


 戦後最長の景気拡大 いざなぎ超えを考える!日本人総投資家プロジェクト) 

○主な!景気拡大期の期間

いざなぎ景気 65年~70年
バブル景気  86年~91年
今回 2002年2月~5年近く!継続中♪

         いざなぎ景気   バブル景気    今回の景気
実質成長率  11.5%       5.4%       2.4%
(年率平均)

名目成長率  18.4%       7.3%       1.0%

給料の伸び率 114.8%      31.8%     -1.6%

消費者物価上昇率 27.4%    8.5%       0.7%
労働力人口    +351万人   +413万人   -65万人

<景気のけん引役>

個人消費     +9.6%     +4.4%     +1.7%
設備投資     +24.9%    +12.2%    +6.5%
輸出       +18.3%     +5.5%    +10.5%

・名目成長率<実質成長率 と、デフレ下の景気拡大

・給料が『-1.6%』と、伸びていない。。。

・労働人口が減っている、、

・景気のけん引役は、円安に支えられた輸出である!!

 では、アベノミクス3年半の実質賃金と個人消費の指標を見てみる。求人倍率が全国1を越えようと、あるいは雇用が如何に増えようと、実質賃金と個人消費に見るべき改善がなければ、生活の改善がないことになって、アベノミクスの成果をどう誇ろうと意味はない。

 更に言うと、実質賃金よりも個人消費の動向の方がより重要となる。賃金が増えても、それが個人消費に反映されなければ、生活に何かしらの不安を抱えているからであろう。

 ここのところ四半期別や月別で示した実質賃金と個人消費は上向いている。但し今年はうるう年で1日多いだけで、個人消費の場合は0.5ポイント前後のプラスの影響を受け、GDP全体では0.3ポイント程度の影響が出るらしい。

 いわば統計に現れた個人消費の統計から0.5%程度引いた分が個人消費の実像ということになる。

 毎月の家庭の消費支出はマイナス傾向が続いているが、うるう年の影響について2016年9月30日付の「NHK NEWS WEB」記事は次のように書いている。

 〈総務省が発表した「家計調査」によりますと、先月の家庭の消費支出は、1人暮らしを除く世帯で1世帯当たり27万6338円となり、物価の変動を除いた実質で去年の同じ月を4.6%下回り、6か月連続で減少しました。ことし2月がうるう年で1日多かった影響を考慮すると、実態として12か月連続の減少となります。これは、台風や豪雨など天候不順が続いた影響で外食や交際費が減ったことや、自動車やエアコンなどの購入も減ったことが主な要因です。〉――

 個人消費のうるう年の影響と相互反映した家庭の消費支出(各世帯の消費支出)に於けるうるう年の影響ということであろう。

 このことは個人消費が約6割を占める国内総生産(GDP)値にも反映することになる。それが0.3ポイント程度の影響ということになる。

 2016年4月~6月四半期の国内総生産(GDP)は2期連続でプラス、2016年1月~3月四半期と比較してプラス0.0%伸び、年率に換算してプラス0.2%。ここから0.3ポイント引くと、マイナスの伸びとなる。

 「個人消費」は2016年1月~3月四半期比+0.2%。

 但し2016年1月~3月は2月がうるう年で1日プラスされているから、0.2%程度からのプラスは0.5ポイント引くと、マイナスに振れることになる。

 要するに個人消費は統計上はプラスになっていても、実質的にはマイナス状態にあることから、マスコミは「個人消費は力強さを欠いたまま」と表現し、「景気は足踏み状態」と報道することになっているのだろう。

 実質賃金について見てみると、2016年7月の実質賃金は前年同月比で2.0%増。この2.0%は2年3カ月ぶりのプラスだそうだ。

 このプラス傾向は2016年8月の実質賃金にも反映されているが、前年同月比+0.1%で、7月よりもプラス幅が縮小している。

 マイナスの状況が続いていた実質賃金がプラスに転じたにも関わらず、このことに反して個人消費が力強さを欠いている原因はどこにあるのだろう。

 ごく当たり前のことだが、実質賃金にしても個人消費にしても、高額所得者から中低所得者までの全体の賃金、全体の消費額から算出した統計であって、中低所得者が全体の過半を占める以上、その人数割りをした実質賃金や個人消費額から見ると、中低所得者のうちでも所得が低い生活者となるにつれ、プラスの数値程の恩恵は受けていないことになる。

 いわば統計に表れている実質賃金や個人消費額に占める金額のうち、全体の生活者のうち中低所得者が全体の過半を占めていることに反比例して高額所得者の金額の割合がより高いことになる。

 こういったことの影響を受けた個人消費の低迷であろう。

 では、トリクルダウンの機能喪失を示す記事を見てみる。2016年9月30日付「NHK NEWS WEB」記事が、2015年度の国内の法人所得が初めて総額60兆円超えた伝えている。       

 これまで最高だった平成26年(2014年)度を金額で3兆円余り、率にして5.3%上回る61兆5361億円で、国税庁が昭和42年に統計の公表を開始してから初めて60兆円を超えたとしている。

 この61兆5361億円は記事を読むと、リーマンショック後の平成21年(2009年)度に33兆円台に落ち込んでから6年連続で上昇した結果到達した60兆円台だと分かる。

 この記事には書いてないが、株高と円安による円換算の海外収益が膨らんだことが大企業等に大きな収益を与える要因となっているらしい。

 一方、昨年の民間給与も伸びていることを2016年9月28日付「時事ドットコム」記事が伝えている。    

 民間企業に勤める会社員やパート従業員らが2015年の1年間に受け取った給与の平均

 420万4000円(前年比+5万4000円)

 これは3年連続での増加だそうだ。

 男女別給与

 男性――520万5000円(前年比+6万1000円増)
 女性――276万円(前年比+3万8000円増)

 雇用形態別給与

 正規従業員――484万9000円(前年比+7万2000円)
 パート、派遣社員などの非正規――170万5000円(前年比+8000円)

 正規と非正規で給与差額が300万円以上となってばかりか、正規が前年比7万2000円のプラスであるのに対して非正規が前年比8000円のプラスでしかない。正規の9分の1の伸びに過ぎないこの格差は目に余るものがある。

 但しこの民間給与の伸びは、〈1997年のピーク時より46万9000円少なく、1990年と同水準。〉だと解説している。

 二つの記事を比べてみると、2015年の民間給与が前年比で+5万4000円の420万4000円となったものの、1997年のピーク時より46万9000円少ない下降状態の金額であるのに対して2015年度の国内の法人所得が33兆円台だった平成21年(2009年)度以来6年連続で上昇、初めて60兆円台に到達、61兆5361億円となった、この上昇傾向を見ると、所得の配分が上がより多く手に入れ、下がより少なくしか手に入れることができないトリクルダウンを宿命としていると言うものの、下降と上昇の両者の傾向のあまりの開きはトリクルダウンの機能が喪失状態にあることの証明としかならないはずだ。

 このように大企業だけが利益を独占し、一般国民がその利益の配分を十分に受け取っていない状況は安倍晋三のアベノミクスがトリクルダウンの機能を逆に殺す働きをし、戦後最長景気時代のトリクルダウンの二の舞いとなっているということであろう。

 更に言うと、安倍政治はトリクルダウン式利益配分が偏り過ぎないように監視し、偏り過ぎた場合は是正する役目を果たしていないということにもなる。

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辻元清美と稲田朋美の9月30日衆院予算委質疑:笑えない悪い漫才を見た思いがする税金のムダ遣い

2016-10-02 13:18:23 | Weblog

 2016年9月30日衆院予算委員会、民進党の辻清美が稲田朋美の過去の核保有に関する発言と稲田朋美が毎年恒例としている8月15日の靖国神社参拝を防衛相に就任した今年公務の海外訪問で中止したこと、同じく閣僚でありながら全国戦没者追悼式に出席しなかったことをを取り上げて追及したが、一度こうと決めた追及の目的を相手の答弁態度や答弁の一部を捉えて臨機応変に変えることをしないために笑えない悪い漫才のような始末に負えない遣り取りに終始した。

 但し辻元清美は稲田朋美を追及できたと思って大いに満足したはずだ。

 上記挙げた両者の遣り取りのみをブログ記事にするが、核保有の問題と靖国神社の問題を二つ分けて検討してみる。

 辻元清美「いよいよ南スーダンにPKOが行きます。稲田大臣、その前に基本姿勢を一点、二点、お聞きしたいと思います。防衛大臣にお就きになりました、一つはですね、核保有の問題です。

 これはですが、大臣就任のときも、記者会見でも、問題にされました。こういう発言を稲田大臣はされております。

 『長期的には日本独自の核保有を、単なる議論や精神論ではなく、国家戦略として検討すべきではないでしょうか』

 これを問題視され、様々なところで指摘も受けておりますが、私は大臣、この場でですね、国会の場で、この発言を撤回するとはっきりおっしゃる方がいいと思います。

 これは日本の国是と全く違うと思うし、防衛大臣をお務めになるならば、この場で(A4大の紙を示す)この発言をされている。活字になっておりますのでね、国際的にも違ったメッセージを出されても困ると思いますので、稲田大臣、この場で発言撤回すると一言いいですから、おっしゃったら次へ進みますから。どうぞ」

 稲田朋美「私がまだ大臣になる前、対談の中で、文脈の中で、憲法上必要最小限度の自衛のときは(核保有は)認められているという文脈の中で、そういった発言が雑誌の中であったことを記憶を致しております。

 しかしながら、私は(就任翌日の8月5日の)記者会見の中で申し上げましたように、私は今日本が核保有をすべきではないというふうに思っています。そして非核三原則、しっかりと守っていくべきだと思います」

 辻元清美「いつもですね、今撤回すべきではないと、おっしゃるから、(首を振って)今保有すべきではないとおっしゃるからですね、問題になるんですよ。大臣、私が申し上げているのは、その発言を記者会見のときされているのを承知しております。

 ただですね、安倍総理の先日も本会議で、『核兵器のない世界を目指し、国際社会と共に努力を積み重ねてまいります』

 今ですね、北朝鮮の核実験の問題に直面をしております。そんな中で世界中、北朝鮮に対する、しっかり批判をして、これを止めていかなきゃいけない。一方、防衛大臣が今は必要ないと思っていると、そう曖昧ではですね、国際的にも信頼をなくすだけではなく、主張できなくなる恐れも、防衛大臣ですよ。

 ですから、活字になって一人歩きしますから、この発言は撤回すると、国会の場でおっしゃった方が稲田大臣のためになるんじゃないかと思って私は質問していますよ。撤回すると一言言ってください」
 
 稲田朋美「核兵器のない世界に向けて尽力を尽くす所存でございます」

 辻元清美「いや、撤回、いや、よく私たちもね、雑誌なんかあるんですけど、発言というのは何を言っても言い訳になるんですよ(一度雑誌で発言したことは後でどう釈明しても言い訳になる)。ですからね、これは撤回しておきますとはっきりとおっしゃったらいいんですよ。

 活字だから、世界中の人に読まれるんですよ。私だって入手できるんですから。撤回しますと、防衛大臣として、日本の防衛大臣として一言おっしゃった方がいいですよ。もう一度」

 稲田朋美「非核三原則を堅持し、核のない世界に向けて全力を尽くす所存です」

 辻元清美「委員長、あのね、この態度そのものが、何で、これ撤回すると言えないんですか。その理由を教えてください。ハイ、どうぞ。撤回すると言えない理由」

 稲田朋美「私はその中で、憲法9条の中で、ええー、最小限度の自衛権を行使ができるという中に於いて、ええー、検討すらしないということ自体、憲法に違反するという文脈の中で、そういった発言があったかと思いますが、現実問題、我が国は非核三原則を堅持し、そして核のない世界を目指し、私も防衛大臣として全力を尽くす所存でございます」

 辻元清美「あのね、これね、私は大きな問題だと思います。一言、やっぱり言うべきですよ。だって、長期的に検討すると、今も検討するとおっしゃったんでしょ。その道まで閉ざさないというふうに。

 あの、委員長ね、これ理事会で協議して欲しいんです。私は文書で、この発言を撤回するということを防衛大臣として、特にこの北朝鮮の核実験に直面している我が国、非核三原則を持ってるだけではありません。CTBT(包括的核実験禁止条約)、この問題も賛成しているじゃないですか。 

 文書でですね、撤回をするということを私は出して頂きたいと稲田大臣に求めておきますので、理事会で協議してください」

 浜田靖一委員長「理事会で協議します」

 稲田朋美が2011年3月号の雑誌「正論」の元空将の佐藤守との対談で発言した「長期的には日本独自の核保有を、単なる議論や精神論ではなく、国家戦略として検討すべきではないでしょうか」とする発言が稲田が政府の一員となった現在、政府の核に関わる公式見解と異なることから、辻元清美はその発言の撤回を求めることを追及の目的としたのはいいが、撤回する積りがないのは稲田の最初の答弁で理解できたはずである。

 だが、一度決めた質問の目的に拘って、全然その気のない人間を相手に最後の最後まで撤回を求めた結果、笑うことのできない悪い漫才の遣り取りのような様相を呈することになった。

 安倍晋三と同様に稲田朋美にしても日本を世界の大国に押し上げるには経済だけではなく、軍事的にも大きな影響力を持つべきだという考えに基づいた、このような核保有論であって、このことは確固とした内心の政治信条となっているのである。

 誰が何と言おうと、辻元清美がどう足掻こうと、撤回はしない。

 撤回しないことに早く気づいて、その二重性をなぜ追及しなかったのだろう。

 稲田朋美は自身の発言を認めている。そして政府の一員となっても公式見解とは異なる自らの考えを撤回しない。だが、記者会見等ではは非核三原則を言い、「現時点で核保有をすることは、あり得ないし、検討する必要もない」と発言している。

 いわば稲田朋美のホンネは核保有であって、非核三原則も現時点の核保有否定もタテマエに過ぎない二重性である。

 勿論、そのように追及しても、稲田朋美は否定するだろう。否定したとしても、「いや、あなたのホンネは核保有であって、その否定はタテマエに過ぎない」と言い続け、そのような政治家であることを浮き彫りにする努力をすることである。

 タテマエとホンネを巧みに使い分ける政治的に裏表ある二重人格性の持ち主だという烙印を押すことができれば、追及は成功する。

 稲田朋美にしても安倍晋三にしても、事実その通りではないか。

 辻元清美「もう一点ですね、お聞きしたいことがあります。稲田大臣はですね、こういうことをおっしゃっています。『自国のために命を捧げた方に感謝の心を表すことのできない国家であっては防衛は成り立ちません。これは日本という国家の存亡にまで関わる』とまでおっしゃっています。

 ところがですね、そうおっしゃっている大臣が、国防の責任者になられてですね、今年の8月15日です。これは防衛大臣になられて初めての8月15日です。全国戦没者追悼式があった。これはですね、閣議決定までして天皇・皇后、総理大臣、両院議長始めですね、政府の公式の追悼式。

 今年は5800人の遺族の方が、ご高齢の方が多いです。全国から出てこられてるんです。先程天皇陛下のご公務の話がございましたが、最重要のご公務だと言われています。

 これをね、欠席されたんですよ。あなたはいつもですね、『命を捧げた方に感謝の心を表すことのできない国家ではなりません』と言っているにも関わらず、全国戦没者追悼式、これをですね、欠席するというのは言行不一致ではないかと思いますよ。

 そう思いませんか。いつもおっしゃっていることと違いますから。政府の公式行事ですよ。そして調べました。閣議決定されてから防衛大臣で欠席されたのはあなただけなんですけど、言行不一致じゃないですか。如何ですか」

 稲田朋美「私が常々、靖国で日本の国のために命を捧げた方々に感謝と敬意を、そして追悼の思いを持つということは私は日本の国民の権利でもあり、義務でもあるということを申し上げてきました。

 そんな中で、そんな中で、義務というよりも心の問題ですね。心の問題です。そういうふうに申し上げてきました。その中で今回、イー、追悼(下に目を落として、机の上の原稿にだろう、目をやって)、国立、ウー、戦没者追悼式に出席しなかったという指摘ですけれども、それは誠にその通りでございます。

 そしてその理由については就任後、国内外の部隊について一日も早く自らの目で確認して、その実情を把握して、また激励もしたいと、そういう思いから、あー、部隊の日程調整をしてきた結果、残念ながら出席をしなかったということでございます」

 頭を丁寧に下げて引き下がろうとするが、辻元清美から着席したまま、「反省してますか」と声をかけられる。

 稲田朋美「大変残念だったと思います」

 辻元清美「これはね、急にジブチの出張が入ったと言われているんですけど、8月12日にですね、あ、8月13日に日本を出発して15日を挟んで16日に帰国されているんですね。12日の持ち回り閣議でバタバタと出発しているんです。

 確かに世界各国、日本国内の自衛隊を防衛大臣が視察されること、激励されることは大事ですよ。しかしね、あなた、日頃言っていることと違うじゃないですか。こうもおっしゃってますよ。『如何なる歴史観に立とうとも、国のために命を捧げた方に感謝と敬意を表さなければならない』

 毎年、靖国神社に行ってこられましたね。で、このジプチの、何かですね、いつもおっしゃってることと、それも(全国戦没者追悼式は)公式行事ですよ。先程の、まあ、天皇のご公務の話がありましたけども、(生前退位のお言葉は)何回もおっしゃる言葉を推敲されて、書き直されたという報道も出ておりました。

 そんな中でですね、あなたの戦争で亡くなった方々への心を捧げるというのは、その程度だったのかと思われかねないんです。ですから、そんなに緊急だったのですか。如何ですか」

 稲田朋美「今までの私の発言、読み上げられた通りです。その気持に今も変わりません。今回、本当に残念なことにできなかったということですが、ご指摘はご指摘として受け止めたいと思います」

 辻元清美「私たちはですね、国会議員は例えば地元でですね、式典があったり、集会があったりします。でも防衛大臣ですよ。ジブチに行きたくなかったんじゃないですか。

  稲田大臣がいつもですね、8月15日に靖国に行くと、防衛大臣が行くと問題になるからですね、回避をさせるためではないかと報道されているんですよ。あなたは、私は防衛大臣だったら、信念を貫かれた方がいいと思いますよ」

 南スーダンの質問に移る。

 最後の質問は矛盾している。「8月15日に靖国に行くと、防衛大臣が行くと問題になるからですね、回避をさせるためではないかと報道されているんですよ。あなたは、私は防衛大臣だったら、信念を貫かれた方がいいと思いますよ」・・・・・

 信念を貫いたなら大問題となるから、回避したと考えているなら、 「信念を貫かれた方がいいと思いますよ」と勧めるのは大問題となるとしていることと矛盾することになる。

 実際、稲田朋美が防衛大臣の身で参拝したなら、辻清美自身が大問題にしたはずだ。

 稲田朋美が「命を捧げた方に感謝の心を表すことのできない国家ではなりません」と言い、「如何なる歴史観に立とうとも、国のために命を捧げた方に感謝と敬意を表さなければならない」と言っている、感謝と敬意を表する空間は、あるいは追悼の空間は靖国神社であって、全国戦没者追悼式の場ではない。

 このことは「全国戦没者追悼式」と言う言葉がスムーズに出てこなかったことが証明している。「今回、イー、追悼(下に目を落として、机の上の原稿にだろう、目をやって)、国立、ウー、戦没者追悼式に出席しなかったという指摘ですけれども」と、原稿を見なければ、その名前を満足に口にすることができなかった。

 もし靖国神社のみならず、武道館で開催される全国戦没者追悼式での戦没者慰霊にまで、あるいは戦没者追悼にまで、毎年の8月15日に靖国神社に参拝するのと同等の思いを馳せていたなら、例え欠席した身であっても、「全国戦没者追悼式」という言葉を言い淀むことはなかったろう。

 稲田朋美にとっても、安倍晋三にとっても、戦没者慰霊・追悼の場は唯一靖国神社のみとなっている。安倍晋三が義務として全国戦没者追悼式に出席しても靖国神社に準ずる扱いしかしていないはずだ。

 彼ら国家主義者・復古主義者にとって靖国神社は戦前日本国家を映し出し、そこに繋がる通路であり、参拝はそのための儀式だからだ。

 稲田朋美が「全国戦没者追悼式」という言葉を言い淀んだとき、なぜ言い淀んだのか考えもしなかったようだ。

 例え考えなかったとしても、「私が常々、靖国で日本の国のために命を捧げた方々に感謝と敬意を、そして追悼の思いを持つということは私は日本の国民の権利でもあり、義務でもあるということを申し上げてきました」と口にした言葉をなぜ追及のカードとしなかったのだろう。
 
 稲田朋美にとって戦没者追悼に関してこの言葉こそがホンネであって、すぐ後で言い直した「義務というよりも心の問題ですね。心の問題です」はタテマエに過ぎないと見なければならない。

 この二重性をも追及しなければならなかたはずである。

 靖国参拝は戦没者を「お国のために命を捧げた」と追悼することで、その「お国」――戦前日本国家を肯定する儀式でもあるのだから、宗教的な意味で「心の問題」としているのはマヤカシに過ぎない。小泉純一郎以来、中国や韓国から日本の首相の靖国参拝を批判されるたびに参拝を正当化するために使ってきた「心の問題」という言葉でもある。

 また、「命を捧げた方に感謝の心を表すことのできない国家ではなりません」と言っている言葉も、「如何なる歴史観に立とうとも、国のために命を捧げた方に感謝と敬意を表さなければならない」と言っている言葉も「義務」づけの意味を含み、義務は当然、権利として存在する。

 参拝を国民の権利とし、義務とする考えは思想・信条の自由、あるいは信教の自由の侵害に当たる。

 少なくとも稲田朋美はこういった基本的人権の侵害を内心に巣食わせている。

 だが、辻元清美はこのような危険性に気づかず、稲田朋美の答弁から、全国戦没者追悼式での戦没者追悼と靖国神社での戦没者追悼とでは稲田朋美の価値付けの違いにも気づかないままにその式典に閣僚でありながら出席しなかったことに批判を集中させ、例年8月15日靖国神社を参拝しているにも関わらず今年は参拝しなかったことに対して「防衛大臣だったら、信念を貫かれた方がいい」と、その言葉に従ったなら落とし穴が待っているおかしな忠告を真面目な顔でして済ませている。

 全く以って笑うことのできない悪い漫才の遣り取り以外の何ものでもない。税金のムダ遣いと言われても、仕方がないはずだ。


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安倍晋三の自衛隊を主に頭に置いた「心からの敬意を表そうではありませんか」を思想・信条の強要から解く

2016-10-01 11:44:47 | 政治

 安倍晋三が2016年9月26日の臨時国会所信表明演説で日本の安全保障・日本の国家防衛の観点からの発言だから、主として自衛隊を頭に置いて、「彼らに対し、今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」と求めると、どちらが先に態度で表したのか分からないが、大方の自民党議員が起立して拍手で呼応、安倍晋三自身も拍手して応え、その任務を共に讃えたことがマスコミに疑問を投げかける形で取り上げられた。

 これに対して民進党の小川敏夫参院議員から9月29日の参院本会議での所信表明に対する代表質問で問題視され、9月30日の衆院予算委員会で同じ民進党の細野豪志からも同様に問題視された。

 勿論、安倍晋三は例の如く言葉巧みに自己正当化に走ったことは断るまでもない。

 先ず所信表明で問題視された安倍晋三の発言を「首相官邸」サイトから取り上げてみる。  

 安倍晋三「『我々は、核兵器のない世界を希求する勇気を持たなければならない』

 本年、現職の米国大統領として初めて、オバマ大統領による被爆地・広島への訪問が実現しました。唯一の戦争被爆国として、我が国は、「核兵器のない世界」を目指し、国際社会と共に、努力を積み重ねてまいります。

 北朝鮮がまたも核実験を強行したことは、国際社会への明確な挑戦であり、断じて容認できません。弾道ミサイルの発射も繰り返しており、強く非難します。このような挑発的な行動は、北朝鮮をますます孤立させ、何の利益にもならないことを理解させるべく、国際社会と緊密に連携しながら、断固として対応してまいります。核、ミサイル、そして、引き続き最重要課題である拉致問題の包括的な解決に向けて具体的な行動を取るよう強く求めます。

 東シナ海、南シナ海、世界中のどこであろうとも、一方的な現状変更の試みは認められません。いかなる問題も、力ではなく、国際法に基づいて、平和的・外交的に解決すべきであります。

 そして、我が国の領土、領海、領空は、断固として守り抜く。強い決意を持って守り抜くことを、お誓い申し上げます。

 現場では、夜を徹して、そして、今この瞬間も、海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が、任務に当たっています。極度の緊張感に耐えながら、強い責任感と誇りを持って、任務を全うする。その彼らに対し、今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」――

 日本の国防についての発言だから、自衛隊を優先させていると取られない都合上、海上保安庁と警察を並べたといったところだろう。

 YouTubに掲載の所信表明の動画を見ていると、映っているのは安倍晋三自身の姿のみだが、安倍晋三が「我が国の領土、領海、領空は、断固として守り抜く。強い決意を持って守り抜くことを、お誓い申し上げます」と発言し終えたころで、自民党席からだろう、「オーッ」といった複数の声が一つとなった音声と共にかなり多い拍手の音が聞こえ、「今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」と促したところでもやはり同じような声と拍手が起こるが、対して安倍晋三はマイクの前で自らも手に力を入れた拍手を議長が「ご着席ください、ご着席ください」と二度指示を出すまで続けた。

 自民党側はスタンディングオベーションは申し合わせて行ったことではない、自然発生的に起こったとしているが、それがウソ偽りのない言い分でり、また自民党議員のスタンディングオベーションが先で、安倍晋三の拍手が後であったとしても、「心からの敬意を表そうではありませんか」と呼びかけたのは安倍晋三であり、しかも首相であると同時に自民党総裁という上の地位にあるのだから、安倍晋三が全体を通して自民党議員に対してスタンディングオベーションとその拍手を主導していた関係にあったはずだ。

 安倍晋三の拍手自体について言うと、自民党議員の行為を了とし、それを一段と高める役目を担っていた。

 自民党議員たちが自発的に始めた行為であったとしても、彼らが全体を主導して壇上の安倍晋三が従った関係ということは決してあり得ない。

 次に9月29日の小川敏夫の質問を《民進党サイト》から取り上げてみる。  

 小川敏夫「安倍総理あなたは国境警備の海上保安官、警察官、自衛官に敬意を表そうと訴えました。私も、同じように職務に精励している自衛官らの方々に敬意を表する気持ちでおります。加えて、私は、消防官、医療、介護、バスやタクシーの運転手、勤労者、その他社会の様々な分野で働き社会に貢献している方達全員に敬意を表する気持ちであります。

 総理あなたが自衛官らだけを特別に取り上げて尊敬の対象とするのは、総理、あなたの心の中に国民よりも軍隊優先という考えが潜んでいるからでは無いでしょうか」

 要するに小川敏夫は安倍晋三の軍隊優先の思想が言わせた所信表明での発言であり、それに応えた自民党議員のスタンディングオベーションではないかと追及した。

 安倍晋三の答弁は2016年10月1日付「エコノミックニュース」から取り上げて見る。  
 
 安倍晋三「海上保安庁と警察は軍隊ではない。自衛隊は通常の観念で考えられる軍隊と異なるとの政府見解は小川議員も当然ご存知と思います。そのうえで、海上保安庁・警察・自衛隊はひたすら国民を守るため厳しい任務に就いている。所信表明演説では厳しくなる東アジア情勢のなかで、緊張感に耐えながら任務にあたっている方々に言及したものであり、厳しさを増す状況で任務にあたっていることは小川議員にも十分に共有頂けるものと思う。

 国民よりも海上保安庁、警察、自衛隊が優先するという考えは根本的に間違っているだけでなく、彼らの誇りを傷つけるもの。かつて政権を担い、閣僚(法務大臣)を務められていた方の発言だけに、大変残念だ」――

 「海上保安庁と警察は軍隊ではない」し、政府見解では「自衛隊は通常の観念で考えられる軍隊と異なる」から、これも軍隊ではないから、軍隊優先の発言とするのは「根本的に間違っている」と、軍隊優先の発言だとする指摘を否定している。

 政府見解がどうであろうと、自衛隊は軍隊そのものの組織である。新安保法制で海外派兵される自衛隊が駆けつけ警護や宿営地防衛に「通常の観念で考えられる軍隊と異なる」組織として敵部隊と対峙するのだろうか

 あるいは対峙できるとしているのだろうか。

 軍隊そのものの組織として行動し、必要が生じた場合、軍隊そのものの組織として武器を使用、敵部隊と戦うことになるはずだし、そうしなければ満足に戦うことはできないだろう。

 安倍晋三が言っていることは自身の発言を言い逃れる詭弁に過ぎない。

 小川敏夫が「総理、あなたの心の中に国民よりも軍隊優先という考えが潜んでいるからでは無いでしょうか」と追及したのに対して安倍晋三は「国民よりも海上保安庁、警察、自衛隊が優先するという考えは根本的に間違っているだけでなく、彼らの誇りを傷つけるもの」と反論している。

 いわば小川敏夫が安倍晋三の頭の中に国民よりも軍隊優先の考えが潜んでいるのではないかと指摘したのだから、安倍晋三はそのように考えている、考えていないで答えるべきを一般論としての考え方の間違いを以て小川敏夫の指摘を間違いだとしている。

 これも言い逃れの詭弁に過ぎない。

 確かに一般論として言うと、「国民よりも海上保安庁、警察、自衛隊が優先するという考えは根本的に間違っている」。だが、安倍晋三の頭の中には少なくとも軍事優先の願望――先軍政治の願望が巣食っている。

 この理由を言う前に細野豪志と安倍晋三の遣り取りを9月30日付「産経ニュース」から見てみる。  

 細野剛志「まず1問、基本的な政党の姿勢に関することでお伺いしたいことがあります。それは先日の本会議におけるスタンディングオベーションの問題ですね。
 
 首相は本会議場でこう議員に呼びかけられた。『海上保安庁、警察、自衛隊の諸君に対して、今この場所から心からの敬意を表そうではありませんか』。私も演劇であるとか、演奏会等でスタンディングオベーションしたことがあります。ただ、いずれも聴衆の中から自発的にスタンディングオベーションというものは起こるものであって、スピーチの途中でスピーチをしている方から求められているものに対しては、正直違和感を感じました。首相、いろいろ国会内でも議論が出ていますが、この問題について率直にどうお考えになっているか、そこを率直にお聞かせ願えませんか」

 安倍晋三「いま私の発言の内容を引用していただきましたが、私が『スタンディングオベーションをしてくれ』と一言も言っていないわけですから、既にご紹介したことは明確ではない、このように思います。

 先般も参院の本会議で既に答弁していること、(民進党の)小川(敏夫)議員からの質問がございましたので、既に答弁していることでもございますが、所信表明演説の中において、まさに今日本をめぐる安全保障環境が厳しさを増している中においてですね、海上保安庁、あるいは警察、そして自衛隊の方々がですね、厳しい緊張感の中で、まさに大変な思いの中においてしっかりとその職務を遂行しているということであります。

 一方その中で、力による現状変更の試みもあるわけであります。そこでやはり、そういうことに対して、我々はしっかりと対応していくという意味も含めましてですね、そういう呼びかけを行ったところであります。

 細野剛志「私が伺いたいのは、本会議の場所でスタンディングオベーションをするというのがふさわしいかどうかを伺いたいわけですね。私は本会議場におりましたが、自民党の議員の中で真っ先に立った議員もいましたが、相当躊躇(ちゅうちょ)しながら周りを見て立った議員というのはたくさんいましたね。

 またですね、大島(理森)議長はスタンディングオベーションが起こった後に、『ご着席ください』と自制を促しているわけですね。私はある種、良識だなと思ったのは、公明党が立たなかったこと。じゃあ大島議長や野党のわれわれや公明党の皆さんが、自衛官や海上保安官に対して敬意を持っていないかというと、そんなわけないですよ。

 私も自衛隊の行事が地元にありますから、それはしばしば行きますよ。PKO(国連平和維持活動)の部隊が帰ってきたときは拍手で迎えますよ。そういう思いは持っているけど、首相というのは行政府の長ではあるけども、立法府の長ではないですよね。そこについては一定の緊張感が必要で、実質的には促していないとおっしゃってるけども、『この場所から』と言われれば促していると聞こえますよ。

 首相に促されてスタンディングオベーションをするというのはどうなんだろうか。これがふさわしいかどうかについて聞いているんです。促していないということでおっしゃってるんで、そこは首相の思いとして受け止めますが、本会議でスタンディングオベーションがふさわしいかどうかという点についてはどのように思われますか」

 安倍晋三「例えば、スタンディングオベーションと拍手がどう違うのかということでありますが、スタンディングオベーションを私は促しているわけではありませんし、敬意を表そうと。敬意を表する仕方はいくらでもいろんな方法があるんだろうと思うんですけども、それとは別にああいうヤジで現す方も…(ヤジを飛ばした民進党の)初鹿(明博)さんですか、ヤジによって表す方もいますね。ヤジで議論が中断することもありますよね、今もまたヤジがありましたが、御党はヤジで意思を表すわけですね。

 それが果たして良いのかという議論もあるわけだと思いますよ。私はね。だから私が申し上げているのは、私に拍手しろと言っているわけではなくて、そういう緊張感の中でこの日本を、そして国民の命を守るために頑張っている方たちに対して敬意を表そうと言ったわけであります。そして、その敬意の表し方については、まさに議員個人個人が判断したら良いんだろうと思います。

 一方、このスタンディングオベーションというものについて、良い悪いかは、まさに議員が判断するわけでありまして、例えば米国の議会においてはスタンディングオベーションはよくあることでありますし、私も昨年米国の上下両院合同会議において(演説を行った際に)十数回、スタンディングオベーションがございました。このスタンディングオベーションが悪いと私は言うことはないわけでありまして、それはまさに、これは、その強制して全員が一斉にやることは確かにおかしいと思いますが、まさにこれは議員が自発的にどういう対応を取っていくかに尽きるわけでありまして。

 どうしてこれがことさらですね、問題になるのか私はよく理解できないわけでありますが、いずれにせよ、こういうことについては、まさに今申し上げましたように、私はスタンディングオベーションを要請をしているわけではなくて、まさに敬意を表そうと申し上げたわけでありまして、敬意の表し方については、それはそれぞれの判断であろうではないかと思うわけであります」

 細野剛志「議院運営委員会で議論したようですが、首相のところにはきちっと議運の懸念が伝わっていない印象ですね。首相を見ていて常に感じますが、立法府というのは常に行政に対して、ある種の緊張感を持っていないといけないんですね。首相は何度か、立法府の長と答弁されている。これはさすがに、私も予算委員会の理事をやっていまして、最終的には議事録の修正を認めましたよ。言い間違いだと思いますよ。しかし、意識の中のどこかに立法府で自分がトップに近い位置、トップの立場にあるという意識があるのではないか。

 私が正直に違和感を持ったのは、私も目の前に海上保安官とか自衛官を目の前にした場合は、敬意を示し、拍手をするんですよ。しかし、あの場面で拍手をする気にならなかった、もちろん立つ気にならなかったのは、自民党の皆さんを見ていると、自衛官というより安倍首相に拍手をしているように見えるわけですよ。さらに言うならば、首相ご自身も本会議の壇上で拍手をされている姿を見ると、率直に感じたのは、この国の国会ではないように錯覚すら覚えましたよ。そこも含めて私はもう一度、立法府が持つ役割と行政の緊張関係についても考えていただくほうがいいと思います。

 そしてもう一つ指摘をしたいのは、与党のおごりです。昨日、福井照議員が、この方はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)特別委員会の理事をやっている方ですね。(TPP承認案などについて)強行採決をするという断定的なお話をされた。これまで、私も結構長い間、国会にいますが、委員会の理事がそれこそ実際の議論が始まる前に強行採決すると言ったのは聞いたことがない。こんなことをやり出したら、国会で議論する意味がないじゃないですか。

 さすがにご本人は辞任をされたようですが、私どもは与党のおごりは絶対に許しません。提案はしっかりしていくし、批判だけにとどまるつもりはないですが、明確におかしいことはブレーキをかける役割をしっかりやっていくことだけは、申し上げておきたいと思います。午前中の時間が少なくなってますから、その与党のおごりについて、午前中最後に首相、どうお感じになってますか」

 安倍晋三「私に対して拍手をせよと私が思っていたというのは、これはまさに…(細野氏:思っていたとは言っていない)。いや、思っていたということをほとんどおっしゃっているじゃないですか。つまり、自民党自体が私に対する拍手をしているんだという表現はされましたよね。それはあまりに、最初に言っていた批判だけに明け暮れないという言葉とは全然違うんじゃないですか」

 自民党議員が私に対する拍手だと言っていたんだったら別ですよ。私自体がはっきり警察や海保や自衛隊の諸君に対して敬意を表そうではありませんかと明確に言っていて、その日本語を当然理解をしているわけですから、それに対して、拍手しているのを、まるで首相に対して拍手しているという言い方は、あまりにもこじつけによる批判ではないか。批判のため、うがった見方ではないかとこう思うわけでありますし、かつ、私は許せないと思うのは、そのとき、どこかの国と同じではないかと。どの国なんですか。いや、これはあまりにも侮辱ではないかと思います。それはまさに、どこかの国と同じではないかというのは、どこなんでしょうかね。

 それはね、ただ単に侮辱に明け暮れているとしか私は思えないわけではあります。そういうことははっきりと申し上げたい。建設的な例えば、補正予算案の建設的な議論するというのであれば議論をしようじゃないですか。勝手に自民党議員がそう思っていないにも関わらず、まるでそう思っているかのごとくの批判はお互いにやめようではないかということを私は申し上げたい。大切なことです。

 まさにわが党に対する侮辱を、まずわが党に対する侮辱を細野さんがされたから、私はそう申し上げているわけでありまして、これは、理事が抗議をするようなことではありませんね。むしろ当然本来であれば、こちらの理事が抗議したいと思うぐらいのことではないかと思います。いずれにせよ、われわれも謙虚にこの理事の運営については当たっていくのは当然のことと思っております」――

 細野剛志の質問は単刀直入な追及を心がけていないからだろう、回りくどいし、余分な例を付け加えているし、途中から質問の趣旨まで変えてしまっている。

 細野剛志がスタンディングオベーションは「自発的」なもので、スピーチをしている者が求めるものではないと言ったのに対して安倍晋三は「私が『スタンディングオベーションをしてくれ』と一言も言っていない」と、口に出して言う訳はないことを言って反論している。

 当然、細野剛志は口では言っていなくても、壇上から「心からの敬意を表そうではありませんか」と求めて起きたスタンディングオベーションであり、自らも拍手して応えていたのだから、スタンディングオベーションを主導していたのではないかと追及すべきを、「促していないということでおっしゃってるんで、そこは首相の思いとして受け止めますが」とあっさりと最初に意図した追及の矢を自ら折ってしまい、「本会議でスタンディングオベーションがふさわしいかどうかという点についてはどのように思われますか」と、追及の趣旨を変えてしまっている。

 本会議で相応しいかどうかは場合によるはずである。所信表明での安倍晋三の例が相応しいかどうかで絞るべき一点を反論に合うや否やその一点を拡散させしてしまった。

 一度効果を上げた反論だからか、安倍晋三はその後も「スタンディングオベーションを私は促しているわけではありません」、「私はスタンディングオベーションを要請をしているわけではなくて」と、同じ趣旨の反論を許すことになっている。

 所信表明とは「こうだと自分が信ずることを明らかにすること」を意味する。一国のリーダーの所信表明演説とは、「自分はこういう政治を行います、こういった政策で国民の暮らしの向上を図ります」等々、自らが今後行おうとしている政治の内容を政策毎に国会議員ばかりか、議会演説を通して国民に明らかに示すことを言う。

 だが、日本の安全保障・日本の国家防衛の所信を明らかにする中で、自衛隊員を主とした対象として夜を徹して任務を全うしているからと言って、「彼らに対して今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」と求めるのは所信表明ではない。

 なぜなら、自衛隊を違憲だと捉え、そのことを自らの思想・信条としている議員や国民からしたら、敬意を表すことはできないだろうし、違憲としていなくても、安倍晋三の新安保法制に反対し、そのことを自らの思想・信条としている議員も国民もいる以上、自然災害救助に敬意を表すことはできても、海外派遣や集団的自衛権行使にそう簡単には敬意を表することができないだろうし、国民に限って言うと、できない国民は数限りなく存在するはずだ。

 他の例で言うと、自身の所信は憲法9条改正に置いていたとしても、「9条改正を実現したいと思います」と自らの所信を述べることはできても、9条改正反対を思想・信条としている議員も国民も無視できない数で存在する以上、「9条を改正しようではありませんか」と促しも呼びかけも求めることもできないのと同じである。

 反対者の思想・信条を無視して促したり求めたり呼びかけたりしたら、所信表明から外れて、反対者の思想・信条に対する強要となる。

 民主主義の原則と法律に則ったそれぞれの賛成多数で決着つけるべき問題だからだ。

 だが、安倍晋三の「彼らに対し、今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」が所信表明から外れている上に日本の安全保障・国家防衛の文脈で自衛隊員の任務を主として頭に置いた、それゆえに思想・信条の強要にも関係してくる発言である以上、軍事優先の願望――先軍政治の願望が巣食っていると見做されても仕方はあるまい。

 細野豪志が「自衛官というより安倍首相に拍手をしているように見えるわけですよ」と発言したのに対して安倍晋三は「自民党議員が私に対する拍手だと言っていたんだったら別」だが、「まるで首相に対して拍手しているという言い方は、あまりにもこじつけによる批判ではないか」と反論しているが、安倍晋三の呼びかけから始まり、自らも壇上で拍手して了としていたのだから、全体を通して主導していた関係にあった。当然、安倍晋三に対して拍手していた部分が多分にあったことは否定できない。

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