日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

発想に障害はない

2009-05-15 14:20:05 | ビジネス
昨日毎日新聞のWEBサイトに、障害者のアイデアが次々商品化されているという記事が掲載されていた。

以前、北欧のプロダクトデザイン会社の方の講演を聞いたことがある。
その会社は、リウマチなどを患った方や体に障害のある方を対象にした、デザインを手がけている会社だ。
その方のお話の中で印象的だったことがある。
それは「障害者が使いやすいデザインは、健常者にとっても使いやすいデザイン」というコトだ。
「ユニバーサルデザイン」というコトバが一般化し始めた頃で、「ユニバーサルデザイン」というのは、「障害者のためのデザイン」ではなく「誰もが使いやすいデザイン」というコトなんだ、というコトを教えてもらったのだった。

最近ではすっかり聞かれなくなった感のある「ユニバーサルデザイン」というコトバだが、それだけ「みんなが使いやすいデザイン」が当たり前になってきたのかも知れない。
しかし、それでも様々なハンディのある人たちとっては、使い勝手の悪いモノ・コトというのはまだまだ多いのではないだろうか?
例えば、ハンディのある人ではないが妊婦さんや赤ちゃん連れのお母さんなどが使いやすいモノ・コトというのはそうではない人にとっても、使いやすいだろう。
急速に進行しつつある高齢化社会というコトを考えれば、高齢者にとって使いやすいモノ・コトも同じなのではないだろうか?

どうも私たちは「自分たちが当たり前(=標準・スタンダード)で、そうではない人たちのコトになると、注意を向けない」という傾向にある。
決して「色眼鏡」で見ているわけではないのだが、どこかで「自分と違う=イレギラー」という判断をしがちだ。
そのような発想の中では、「大量製品」と呼ばれるモノを作るのには便利だったし採算という視点では考えられなかったと思う。
ただ、これから先の社会状況などを考えると、自分たちでは限界のある発想をハンディのある人たちから得るというのも、一つの方法のような気がするのだ。
というのも「当たり前」と思っているコトが、「当たり前」ではないコトも数多くあるし、「こうなれば良いのに・・・」という見落としがちな問題点を指摘してくれるからだ。
その意味で「発想には障害はない」と思うし、「障害者ならではのアイディア」というコトもないと思うのだ。

多くの人が快適になるモノ・コト作りのために、ハンディのある人たちの社会参加・雇用も大いにあるのではないだろうか?

書店にて・・・思うコト

2009-05-14 16:37:07 | アラカルト
元々読書好きということもあり、書店にはよく行く。
ほぼ毎日のように、ご近所の書店には行っているかも知れない。
ある意味「通っている」。

そんな中、気になっていることがある。
一つは、いわゆる「トヨタ(自動車)本」だ。
1年前までは、業績が絶好調!!!!だったこともアリ、書店のビジネス関連のコーナーには「トヨタに学ぶ成功の秘訣」的な内容の本が、平積みされていた。
もちろん、書籍の売上でも相当良かったはずだ。
私自身は、この手の「企業の成功例に学ぶ」本には興味がないので、読むことはほとんどない。
何故なら、ある企業の成功事例は、その企業にとっての成功例なだけで、それが他の企業に通用するはずもなく、場合によっては「ちょうちん記事」ならぬ「ちょうちん本」の場合もある。
それでも、飛ぶように売れたのはトヨタが地元企業だからだろう(と、思っている)。
もちろん、そのようなトヨタを誉める本もあれば、反トヨタ本もあったと記憶している。
それが今では「何故トヨタは大幅減益となったのか?」だとか、「自動車業界の終焉(チョッと大げさ)」的本が、書店に並んでいる。
さも「トヨタの時代は終わった」と、言わんばかりに。
1年前とは大違いなのだ(その傍らに、スズキ自動車の社長さんが書いた本が置いてあるは、ご愛嬌か?)。
所詮、その程度なのだ。
書籍といえども、時代の話題に乗っているというコトなのだ。

もう一つ気になっているのは、「定期購読誌」と呼ばれる雑誌が、先月から店頭で売られるようになったことだ。
雑誌のサイトを見ると、創刊当時は「定期購読のみ」だったのが、いつのまにか店頭販売もされるような表現に変わっている。
この雑誌は、いわゆる「高級婦人家庭雑誌」と呼ばれるモノで、当然のコトながら、私のような生活者は相手にはしていない。
少なくとも、東京の高級住宅地などに家を構え、専業主婦で優雅に生活をしている人たちが対象となっている。
現実には、そのような生活に憧れを抱く女性がターゲットとなっている雑誌なのだが、長い間その雑誌は「そのような方は、相手にしません」的な感じで「読者の囲い込み」として「定期購読のみ」という扱いをしていたはずだ。
というものの、実はこの雑誌は「定期購読の読者獲得」のため、書店のレジカウンター近辺に「見本誌」を置いていた。
そのため、私なども気軽に手にとり、ほぼ毎号のように読むことができたのだ。
私のような読者ばかりが増え、一番欲しい読者層を取り込むことができなかったのかも知れない。
何よりも、昨今の社会状況がそのような「お高くとまった販売方法」に、行き詰まりを感じたのだろうか?と、思ってしまったのだ。

最近では、書店での返本率が40%くらいだという。
それだけ雑誌も本も売れなくなってきている、というコトだろう。
時代に敏感に反応し、その時々のテーマのビジネス本でなくては、なかなか買ってもらえない。
買ってもらえないどころか、手にとってももらえない。
いくら高級志向でも、ターゲット外の人にも買ってもらわなくては意味がない。
そんな「本事情」を感じる、書店ウォッチングだ。



体育協会が農園経営-様々な試みが始まる農業-

2009-05-13 19:27:45 | ライフスタイル
静岡新聞のWEBサイトを見ていたら、体協が農園 体づくり人づくり 掛川で来年度開園という記事があった。
掛川市の体育協会が、「体力作りを目的とした農園」経営をするというのだ。

今年に入ってから、「農業」にスポットライトが当たっている感がある。
背景にあるのは、「自給率40%(カロリーベース)程度」というコトや、昨今の「安心・安全」という生活者の志向などがある。
その他にも、農業とはまったく関係のない企業が農業へ参入したり、農業+α=第6次産業化という動きも活発になってきてる。
そのこと自体、これからの日本の農政に大きく影響していくコトだと思うし、産業構造が少しなりとも変わるきっかけとなるのではないか?と思っている。

ところが、そんな理由とは別に「体力作り」という視点での、「農業」というのは思いもよらないコトだった。
いくら機械化が進んでいるとはいえ、農業そのものは重労働だ。
最近機械化が進み、にんじん程度(と言っては失礼だが)機械で収穫できる野菜もあるようだが、多くは人の手によるものだろう。
それも、立ったり座ったり中腰になったりと、下手にスポーツジムで運動をするよりも、運動量は多いのかも知れない。

「体力作りを兼ねて、自分で農作業をする」というアプローチは、一石二鳥どころか一石三鳥も、四鳥もあるかも知れない。
まして、自分の作った野菜などを収穫する一運動(=一仕事)の後に食べる野菜は、きっとおいしいに違いない。
野菜嫌いな子どもたちに、野菜作りを手伝わせることで野菜嫌いがなくなったり、観察力が高まるという指摘もあるように、中年以降、お腹周りが気になり始めた運動不足の肉好きの人たちにとっては、運動を兼ねた野菜中心食へ転換できるきっかけとなるかも知れないのだ。
とすれば、体育協会がこのような試みをすることにも、意味があるだろう。
何よりも参加者にとっては「新鮮・安心・安全な野菜」と「運動+健康」が手に入るのだ。
今後このようなアプローチの「健康作り」が、注目されていくのかも知れない。

もう一つは、授産施設なども「農業」に参加し始めているというコトだ。
私の知人が、授産施設関係の仕事をしている方がいるのだが、そこではブルーベリーの栽培を手がけている。
既に、数年前から始め生のブルーベリーやブルーベリー加工食品(ジャムなど)を、道の駅などで販売をしているという。
授産施設に通う人たちは、とても熱心に取り組んでいるようだ。
本格的な農業ではないが、自立する道としてこのようなアプローチもあるのだ。

おそらく、霞ヶ関にいらっしゃる方などは、このような変化に気づいていないのでは?
農政も、時代にあったモノへと変わっていって欲しいものである。

御手洗さんらしいな~

2009-05-12 21:37:11 | ビジネス
朝日新聞のWEBサイトに、温室ガス削減、経団連の意見に環境相「世界の笑い物」という記事が掲載されている。
この記事を読んだ率直な感想は、「御手洗さんらしいな~」というコトだった。

御手洗さんとすれば、ビジネス(というより儲け)優先で考えているのだろうし、そのビジネスモデルそのものも、旧来の発想と産業構造で考えたコトなのだと思う。
ただそれでは、オバマさんなどが打ち出している「グリーンニューディール政策」などには、対抗できないだろう。
対抗できないどころか、環境問題に積極的な欧州企業などから遅れをとってしまう可能性もある。
そこにイマイチ(と言っては失礼だが)理解されていないと感じるのが、御手洗さんなのだ。

ブッシュ・アメリカの頃は、環境問題に対して余り積極的ではなかった。
しかしサブプライムローン問題→リーマンショック以降、アメリカは半ば強制的に産業構造の再編を迫られている。
アメリカ以上に打撃を受けたはずの日本は、アメリカよりも早く「変わる」必要があるのではないだろうか?
まして、これまで「日本の好調」を支えていたのは、「合理化・効率性」を追い求め、削れるところをトコトン削った上での「企業利益」だったのだ。
結果、「大企業栄えて、中小企業と多くの生活者は貧する」状態になってしまったのだ。
そのことから目をそらしつづけているのが、御手洗さんをはじめとする経団連の偉い人たちだったのではないだろうか?
このような状態が続けば、国内経済という点で早晩疲弊し、「大企業も貧す」状態になってしまうのは目に見えているのではないだろうか?
既に、「待ったナシ!」の状態だと思うのだ。

言い換えれば、これまでの「産業構造を変えつつ、CO2削減」という、ビジネスチャンスを積極的に推し進めることが、経団連に名前を連ねている大企業に求められているのではないだろうか?
そんな意識が持てないのも、御手洗さんらしいという気がしないでもないのだが、御手洗さんの立場は「日本の産業界を代表する経済人の代表」なのだ。
そのような「未来志向・ビジョンの持てない経済人代表」で、大丈夫なのだろうか?と、思ってしまうのだ。

「美人」2題

2009-05-12 11:06:24 | アラカルト
VOGEのWEBサイトに「世界が注目する“TAO”って誰」という記事がピックアップされていた。
40年ほど前に流行した(記憶のある)ショートカットと目ヂカラが印象的な、日本人モデルさんだ。
ニュアンスはチョッと違うのだが、山口小夜子さんのような強さを感じさせる部分もある。
最近では、日本人モデルさんもパリなどのファッションショーで、堂々とランウェーを歩くことが多くなった。
体躯的に見ても、決して欧米のモデルさんに劣るようなコトはない。
むしろエキゾチックな雰囲気が、彼女たちのアピールポイントとなっているようだ。

そして、今日の毎日新聞のWEBサイトには、ミスユニバース日本代表が決まるというニュースがピックアップされていた。
いわゆる「美人コンテスト」の国際大会の日本代表ということになるのだが、「グローバル美人というのは、こういうタイプなのか?」的感が、個人的にはある。
確かに、美人だと思うのだが「日本代表美人なのか?」というコトが、「????」となってしまうのである。
ここ数年「ミスユニバース」の日本代表の女性たちは、どこかバタ臭く選考者の趣味というか、選考基準に「???」なのだ。
といっても、選考基準には語学や社会性などもあるようなので、それなりの「社会的意識の高い語学堪能な美人」というコトになるのだろう。

VOGEに紹介されているTAOさんも、今回ミスユニバース・日本代表に選ばれた宮坂さんも、世界を舞台に活躍することになるのだろう(TAOさんは、既に活躍中だが)。
「美人の基準」は、イロイロあって良いと思う。
何よりも今日本で元気なのは、各世代を見ても女性なのだ。
「○○らしく」というプロトタイプに押し込められた男性よりも、自由でのびのびと自分らしさをもって(世の中を)歩く女性たちは、みな美人だと思う。





で、自民党はどうする?

2009-05-11 22:27:31 | 徒然
今日の夕方、突然民主党の小沢さんが代表を辞任した。
昨日の讀賣新聞の世論調査では71%が続投に納得できないと答えている。
その世論調査の結果を受けたわけではないだろうが、唐突な辞任という気がしないわけではない。

ところで、ご存知の通り世論調査ででた「納得できない71%」というのは、「西松建設違法献金による秘書逮捕」に対する説明責任と、政治家としての責任の取り方に「納得できない」というコトだろう。
ただ、この「西松建設違法献金」については、小沢さんだけの問題ではない。
確か、自民党にも「疑惑が持たれた人物」がいたはずだ。
小沢さんばかりがクローズアップされ、すっかり忘れ去れてしまった感があるのだが、国民から見れば「どっちもどっち」という気がしているのではないだろうか?

この「西松建設違法献金」が表ざたになってから、民主党内外から「小沢おろし」のようなモノが起こり、国民も「政治家ではなく、政治屋・小沢さん(というより「選挙屋」か?)」に、嫌気があったコトは確かだろう。
その結果として、麻生さんの人気が高まったように見える数字も現れていた。
むしろ今の「麻生さん支持」の数字は、小沢さんの数字が下がったために生まれた「数字のマジック」的なモノではないだろうか?

今日の小沢さんの辞任劇で、「説明責任を果たしていない」と口撃する自民党の方もいらっしゃるようだが、「同じように『西松建設違法献金』で名前の挙がった、自民党の大臣さんはどうなの?」というのが、国民が思っていることなのでは?

さてさて、自民党はどうするのだろうか?

与党・自民党云々で、経済が大きく影響されないという現実はあるのだが・・・。

トヨタから学ぶモノ

2009-05-11 11:21:18 | ビジネス
先週金曜日、日経新聞他の新聞各紙だけではなく、テレビのニュースでもトヨタ自動車の大幅赤字取り上げられていた(紹介記事は日経新聞)。
トヨタ大幅赤字の要因は、「国内外問わずの販売台数の落ち込み」と「為替の影響」だといわれている。
実際、国内の自動車販売台数は年々減りつづけていたし、それを大幅にカバーしていたのが北米市場だった。
その北米市場が、昨年起きた「リーマンショック」で急激に落ち込み、トヨタだけではなく自動車業界全体に打撃を与えた。
そんなことを、改めて説明する必要はないだろう。

「世界のエクセレントカンパニー・トヨタ」だが、毎日新聞のWEBサイトには赤字拡大の要因と今後についての記事が掲載されていた。
トヨタ、歴史的赤字決算 急拡大が裏目に 販売急落の打撃増幅という、記事だ。
私にとって、トヨタが急拡大というのは印象としてなかったのは、北米市場の状況を知らなかったからだと思う。
そして、記事を読んで興味深い点がいくつかあった。
その一つが「北米市場を意識した(大型)ピックアップトラックを作っていた」というコトだ。
市場を意識した「いかにもトヨタらしい戦略」だともいえるのだが、本当にトヨタが作る必要があった車種だろうか?と、思うのだ。
もちろん、このテキサス工場が稼動する前から、ピックアップトラックを作っていたと思う。
事実、私が20数年前アメリカ旅行した時、「TOYOTA」ネームの入ったピックアップトラックを見たような記憶がある。
しかし、このサイズのクルマは、GMなどアメリカ企業の独壇場だったと思うのだ。
その市場に進出することが、トヨタにとって「全世界売上No.1企業」となると考えたのだろうか?

もう一つ気になったことは、過剰とも思える北米工場での設備投資だ。
日本国内では、「トヨタ=合理性・効率性」の象徴だとも言えると思うのだが、北米工場では決してそのようなコトではないようだ。
その象徴的存在だったのが、テキサス工場ということになるようだが、「非熟練者がいない」という指摘にも、やや驚くのだ。
というのも、日本国内においては「熟練期間工や派遣社員」を、思いっきり切ってしまったコトは、ニュースなどでも取り上げられた。
反面「非熟練者が工場のラインに立っているテキサス工場」というのは、どこか違和感があるのだ。
もちろん、現地法人として地元の人たちの雇用というのは絶対命題だとも言えるが、では何故熟練期間工を正社員として採用し、テキサスへ派遣しなかったのだろうか?
何となく、「形ばかりが大きくなり、その実現場の空洞化が進んでいる」ように、思えてしまうのだ。
これではいくら「プリウス」などの次世代車を作り出そうとしても、作る現場が空洞化しているようであれば、投資に似合うだけの収益などは確保できない。

今回の「トヨタの大幅赤字」の陰にあるのは、「形ばかりが大きくなった、エクセレントカンパニーの実体」というコトなのではないだろうか?
そこから、学ぶべき点は幾つもあると思うのだ。


幅広い告知が必要なのでは?

2009-05-09 21:31:06 | 徒然
今朝「新型インフルエンザ」に感染した、国内患者が見つかった。
カナダへの2週間程度の語学研修(というよりも、観光を含めた交流会か?)で、感染したらしい。
その過程については、イロイロな意見があるだろう。
ただ今は、既に感染者が出てしまったという点を、最優先するべきだろう。

そのための厚生労働省の対応は、早かったように思う。
それだけ、この「新型インフルエンザ」に対する警戒感が強いのだろう。
ところで、一つ気になっていることがある。
それは、感染者同乗客向けに24時間電話窓口だ(紹介記事は日経新聞)。
この「24時間電話相談窓口」については、テレビのニュースなどでも頻繁に取り上げられ、ご存知の方も多いだろう。
私が気になっているのは、対外国人に対しての告知が徹底しているのか?という点だ。

テレビのニュースなどで頻繁に告知されるので、日本人や日本語が理解できる外国人にとってはわかるだろうが、観光などで日本を訪れる日本語の理解が不十分な外国人が、感染者が出た飛行機に搭乗していた可能性は高い。
その人たちが、この告知を知らず潜伏期間中に国内で動き回った場合、感染者は意外なトコロで発症する可能性がある。
かといって、香港のような「完全隔離」というわけには行かない。
とすれば、テレビニュースだけではなく、全国のホテルや外国人がよく利用する簡易宿泊所のようなところでの告知案内も必要となるのでは?
場合によっては、駅などのインフォメーションなどでも必要だろう。

むしろ、このようなきめ細かな対応策ができる「高質な国としてのホスピタリティー」が、日本の評価を高めることになるのではないだろうか?
もちろん、ホテルなどの宿泊所では「風邪用マスクと除菌用ウェットティシュ」を用意し、サービスを提供などが必要かも知れない。

国を挙げての「新型インフルエンザ対策」といっても、日本は日本らしい対策を考えるコトが大切なのだと思う。



創造性がないから、ハコモノ?-「国立メディア芸術総合センター」構想-

2009-05-07 22:23:05 | アラカルト
先週、チョッと話題になった「国営まんが喫茶」。
発言の主は、民主党の鳩山さんだった。
丁度GW真っ只中だったため、余り記憶にない方もいらっしゃるかも知れない。

ご存知の方もいらっしゃると思うが、この「国営まんが喫茶構想」については、一ヶ月ほど前の朝日新聞他でアニメやゲームに国の「殿堂」 東京都内に設立構想として報じられていた(紹介記事は朝日新聞)。
この記事を読んだ時、「国立」でマンガやアニメ、ゲームの施設を作ってしまったら、その創造性の質が落ちるのでは?と懸念した。
何故なら、マンガやアニメそしてゲームなどは「雑」という環境の中で、生まれてくると感じているからだ。
「雑」と言っても「ガサツ」とか「荒っぽい」という意味ではなく、「雑踏」のような人やモノ、情報が行き交う中から生まれてくると感じているというコトだ。

そんなハコモノを造るよりも、アメリカのスミソニアンメトロポリタン美術館のように、既存の美術館や博物館に積極的に収蔵し、時折海外の美術館や博物館に貸し出しをするほうが、遥かに「今の日本」を紹介することができると思うのだ。
日本の美術館などは、「権威主義」的な雰囲気があり、「芸術とは敷居が高くなくてはいけない」的なトコロがある。
でも海外の美術館や博物館などは、古いモノから今という時代を現すモノまで、幅広く収蔵し、様々なテーマで公開をしている。
日本のような「ハコモノを造って、権威を高めて(「ありがたみ度」を上げて)展示」などという方法は、とらないのが普通だ。
そんなコトをしていたら、国内の新しいアートがどんどん海外へと流れ出ていってしまうからだろう。
もちろん、パトロンとなるべき人がいたり財団があったりするコトも、大きく影響しているのかも知れない。

ただ、もし本気で麻生さんが「日本の持っている素晴らしい現代総合芸術を海外に示したい」というのであれば、ハコモノを造っているような時間はないはずだ。
まんがだけではなく、ゲームなどの世界は物凄い速度で世界に発信されているからだ。

おそらくこのような構想をたてた官僚の方は、「鉄腕アトム」も「ガンダム」や「アキラ」、「ハローキティー」を知らずに、勉強ばかりをしてきたのだと思う。
だから「とりあえず、ハコモノを造って展示」という、発想になってしまうのではないだろうか?
私などは「手塚治~宮崎駿・ジャパニメーションの軌跡」と題した、企画展をアメリカ・欧州の主な美術館で巡回したほうが、ハコモノを造るより遥かに日本の国益になると思うし、ミュージアムグッズなども飛ぶように売れると思うのだが・・・。
少なくとも建設費はかからないし・・・。


単純な疑問-「新型インフルエンザ」と日本-

2009-05-07 10:50:14 | 徒然
連日連夜、「新型インフルエンザの疑い」と言う報道がされている。
特にGW後半からは、1日に2人とか3人に「疑いがあり」と言う報道がされてきた。
おそらくこの傾向は、来週一杯続くだろう。
と言うのも、今回の「新型インフルエンザ」の潜伏期間が季節性インフルエンザよりも3、4日長いためだ。

ところで、医学のことに疎い私には疑問に感じることがある。
それは日本で見つかった「インフルエンザ患者」さんたちが、「新型インフルエンザ」ではないコトだ。
もちろん、「新型ではなかった」と言う安堵感はあるのだが、「疑いが持たれたインフルエンザ患者」さんたちは、一体何処でインフルエンザに感染したのだろうか?と言うコトだ。
その多くは、滞在先というコトなのだと思うのだが、その滞在先で「新型インフルエンザ患者」さんたちが日々増えつづけているのだ。
もしかしたら、「新型インフルエンザ」にばかりに気をとられ、季節性インフルエンザ対策がおざなりにされているのでは?と言う、疑問がわいてきているのだ。
すなわち、季節性インフルエンザそのものも流行の兆しがあるのだが、その対応が二の次三の次になっていて、後回しになっているインフルエンザに感染していたのだろうか?ということだ。

もう一つ疑問に感じることが、「アジアには『新型インフルエンザ』に対する耐性があるのか?」というコトだ。
既に韓国では感染患者さんが2人でているが、迅速な処置により拡大していない。
香港でも患者さんは見つかったのに、その方はアジア人ではなくメキシコからの旅行者だった。
東アジア全体でみると、発生源であるメキシコ、北米はともかく飛び火した欧州各国に比べると、随分と少ない気がするのだ。
東アジア諸国といっても、日本・韓国・中国・台湾というコトなのだが、医療体制という点では、欧州が劣っているとは思えないし、東アジアが特別に優れているとも思えない。
確かに、日本の検疫体制は同じ東アジアの国々と比べると、随分と慎重で厳しいように思えるのだが、それにしても、患者の発生状態が随分と少ない印象を持つのだ。

もちろん、「インフルエンザ」に対する意識の違いというコトもあるのかも知れない。
以前、欧州では「インフルエンザにかかっても、まず第一に安静」というコトで、日本のように即病院、投薬・注射というコトをしないと聞いたことがある。
その違いが、今のような状況を作り出したというのだろうか?

私にとっては、本当にわからないコトだらけの「新型インフルエンザ」だ。