■1954年完成
中日ドラゴンズが53年ぶりに全国を制覇したとのことだが、前回優勝した1954年には名古屋にテレビ塔が完成した年である。1954年といえばゴジラが誕生した年だが、ゴジラの写真が無いのとゴジラの名古屋誘致に成功したのは1964年なので今回はテレビ塔を扱う。
1954年、ようやく第二次世界大戦の空襲による戦災から復興しつつある名古屋市。京都のように空襲といえば艦載機による機銃掃射で犠牲者は二桁、原爆に狙われても投下には至らず、という古都とは違い、軍需工場が密集し、交通の要衝であった名古屋は絨毯爆撃の標的となった。そして名古屋のシンボル、名古屋城も爆撃で焼かれ、戦後を迎えた。
1954年とは、どうにか災厄を免れた愛知県庁、名古屋市役所とならび、新しい名古屋のシンボルが誕生した年でもあり、同年にご当地球団が全国制覇したことの喜びはいかほどであっただろうか。なお、名古屋市は1956年に政令指定都市へ、名古屋城も廃墟から復興に乗り出し、1959年には天守閣が再建。航空産業から自動車産業に乗り換えたことで高度経済成長とともに一気に街は発展した。
テレビ塔から望む名駅。名古屋駅周辺は現在、高層ビル建設がラッシュであり、今年三月に開業した全国五番目の高層建築物であるミッドランドスクウェア、245㍍という駅ビルとしてはギネス認定の世界最高の高層建築物であるJRセントラルタワーズが望見できる。
暫くすると日が暮れた。こうして、名古屋は夜景の時間を迎える。JRセントラルタワーズのビルをミッドランドスクウェアが隠してしまっているのが残念であるが、新宿、横浜、大阪、神戸と共に名古屋の夜景も中々である。ああ、憲法の御師匠様であるN教授が撮影した梅田スカイビルからの夜景も撮影したいなあ。
テレビ塔ならではのテレビ電波送信設備。地上デジタル放送移行後は、テレビ塔としての役割を終えるが、都市のシンボルとして維持される模様だ。ちなみに、名古屋テレビ塔は高さが180㍍、1957年完成の札幌テレビ塔が147㍍であるから、1958年に完成した333㍍の東京タワーまでは日本最高の高層建築物であった。
高さ90㍍と100㍍の地点に有料展望台があり、スカイデッキ、スカイバルコニーと呼ばれている。しかし、100㍍のスカイバルコニーは目の細かい金網で囲まれている為、一眼デジカメを用いての撮影は広角に限界がある。こんな時はレンズだけ出して撮影するコンパクトデジカメのほうに軍配があがるのだろうか。
オアシス21を展望室より望む。楕円形の形状は水を湛えており、自由に登ることができる。デジタル一眼レンズの18㍉でも水面に写ったテレビ塔を撮影することができる。しかし、こういう場合SIGMAの10~20㍉F4-5.6の超広角レンズが欲しくなってしまう。希望小売価格79500円かぁ。でも、この種の超広角は清水寺なんかの夜景撮影にも重宝するのも確かである。
久屋大通公園を望む。畳むと10㌢ほどの超小型三脚とリモートシャッターを併せてカメラポーチに収めて携行すると、気軽に長時間露光撮影で夜景を撮影できる。CANONが18~55のISレンズを出すというが、ううむ、この規模のレンズにISって必要なのかなぁと思ったり(何分、今年の春まで従来型300㍉で頑張ってたし)。話が横道にそれた。以上が、テレビ塔からの眺望である。眺望は良好、夜景も美しいものであった。
HARUNA
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