◆戦車を持つ偵察中隊
前回に続きまして、陸上自衛隊草創期に師団に当たるかっくタイや混成団におかれていました偵察中隊について引き続き見てゆきましょう。写真は当時の駐屯地祭に当方は足を運べませんでしたので現用のもので代用となりますが、ね。
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中隊本部は、ジープ4両、M-3半装軌装甲車1両、中型トラック2両、2t半トラック3両、M-24軽戦車1両、81mm迫撃砲1門を運用していました。中隊本部は輸送車両を保有し、偵察小隊の支援を行うと共に小隊が損耗を受けた際に予備装備の補填、という任務に当たっていたことが分かります。
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偵察小隊は、まず編制面から見ますと、小隊本部、斥候班、小銃分隊、支援分隊、戦車班、という編制を採っており、斥候班は2個分隊を基幹として班本部を置くという編制です。小隊隷下は分隊などが幾つか分かれて保有していますが、三単位編成のようなものは無く混成編成が特色といえるでしょう。
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小隊本部はジープ一両を以て小隊長と小隊陸曹が就きます。斥候班は班本部がジープ一両と1分隊と2分隊はそれぞれジープ2両に分乗し機動し全体でジープ5両を運用しています。小銃分隊はM-3半装軌装甲車の1両に全員乗車していまして、開放戦闘室と複数の機銃を搭載していまる。
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支援分隊は迫撃砲班にあたりジープ2両と81mm迫撃砲を装備します、ジープ2両ですので前進観測と迫撃砲運用車両、として充てる事も出来ますし、弾薬輸送支援なども行えます、最も当時の迫撃砲は今のL-16迫撃砲の三分の一程度の射程となりますが。そして戦車班にはM-24軽戦車2両が置かれていました。
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三個の偵察小隊が有する能力はかなりのもので、戦車班の戦車2両を小銃分隊が装甲部隊として支援、また支援分隊は1門とはいえ81mm迫撃砲を装備していますので現在の陸上自衛隊では81mm迫撃砲は普通科中隊の迫撃砲中隊に集約されていますが、小隊毎に迫撃砲による火力支援が可能となっており、柔軟性が高い。
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混成編成を採用していますので、偵察中隊は敵前衛程度の脅威であれば威力偵察の際の火力戦闘での排除をある程度までは実施できると考えます。また敵主力と接敵し、戦闘を偵察中隊から連隊戦闘団へ移行したのちは、一旦部隊を引き下げたのちに、これだけの装備水準ならば、連隊戦闘団の戦線形成後、師団に当たる管区隊や混成団の重要な予備戦力ともなりうるでしょう。
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斥候班はジープ5両ですが、ジープには当然軽機関銃を装備し、防御力は考慮していませんが機動力と火力を一応は両立しています、斥候し目標の有無を確認し次第にM-24軽戦車が75mm砲を射撃し威力偵察を展開、迫撃砲もこれを支援しまして抵抗が小さければそのまま装甲車の小銃分隊とともに制圧、大きければ後方の主力より支援を受ける、というかたち。
北大路機関:はるな
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
前回に続きまして、陸上自衛隊草創期に師団に当たるかっくタイや混成団におかれていました偵察中隊について引き続き見てゆきましょう。写真は当時の駐屯地祭に当方は足を運べませんでしたので現用のもので代用となりますが、ね。
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中隊本部は、ジープ4両、M-3半装軌装甲車1両、中型トラック2両、2t半トラック3両、M-24軽戦車1両、81mm迫撃砲1門を運用していました。中隊本部は輸送車両を保有し、偵察小隊の支援を行うと共に小隊が損耗を受けた際に予備装備の補填、という任務に当たっていたことが分かります。
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偵察小隊は、まず編制面から見ますと、小隊本部、斥候班、小銃分隊、支援分隊、戦車班、という編制を採っており、斥候班は2個分隊を基幹として班本部を置くという編制です。小隊隷下は分隊などが幾つか分かれて保有していますが、三単位編成のようなものは無く混成編成が特色といえるでしょう。
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小隊本部はジープ一両を以て小隊長と小隊陸曹が就きます。斥候班は班本部がジープ一両と1分隊と2分隊はそれぞれジープ2両に分乗し機動し全体でジープ5両を運用しています。小銃分隊はM-3半装軌装甲車の1両に全員乗車していまして、開放戦闘室と複数の機銃を搭載していまる。
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支援分隊は迫撃砲班にあたりジープ2両と81mm迫撃砲を装備します、ジープ2両ですので前進観測と迫撃砲運用車両、として充てる事も出来ますし、弾薬輸送支援なども行えます、最も当時の迫撃砲は今のL-16迫撃砲の三分の一程度の射程となりますが。そして戦車班にはM-24軽戦車2両が置かれていました。
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三個の偵察小隊が有する能力はかなりのもので、戦車班の戦車2両を小銃分隊が装甲部隊として支援、また支援分隊は1門とはいえ81mm迫撃砲を装備していますので現在の陸上自衛隊では81mm迫撃砲は普通科中隊の迫撃砲中隊に集約されていますが、小隊毎に迫撃砲による火力支援が可能となっており、柔軟性が高い。
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混成編成を採用していますので、偵察中隊は敵前衛程度の脅威であれば威力偵察の際の火力戦闘での排除をある程度までは実施できると考えます。また敵主力と接敵し、戦闘を偵察中隊から連隊戦闘団へ移行したのちは、一旦部隊を引き下げたのちに、これだけの装備水準ならば、連隊戦闘団の戦線形成後、師団に当たる管区隊や混成団の重要な予備戦力ともなりうるでしょう。
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斥候班はジープ5両ですが、ジープには当然軽機関銃を装備し、防御力は考慮していませんが機動力と火力を一応は両立しています、斥候し目標の有無を確認し次第にM-24軽戦車が75mm砲を射撃し威力偵察を展開、迫撃砲もこれを支援しまして抵抗が小さければそのまま装甲車の小銃分隊とともに制圧、大きければ後方の主力より支援を受ける、というかたち。
北大路機関:はるな
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