◆掩蔽陣地を装甲車が受け継ぐ機能
前回までに陣形の歴史的変化の変遷を示しました。
即ち装甲車は、防御戦闘において防塁の発展形であり、個人用掩体は装甲車周辺や場合によっては装甲車そのものが掩体や砲兵からの掩蔽に用いられるようになります。興味深いことに建設機械の発展は、掩蔽陣地の急速建設速度を運動戦に間に合わせる速度は持ちませんでしたが、装甲車用掩体を急速構築する速度には対応しています。
併せて、掩蔽陣地が求めた地下陣地化は、皮肉なことに個人用対戦車火器等第二次世界大戦において掩蔽陣地から投射した装備品の長射程化により地形障害や陽炎の影響が無視できない水準となり、地下では地表からの影響を受けやすくなったため、地表に露出する形となったのです。
掩蔽後では砲撃などから陣地を防護するために天蓋を防御し曳火射撃に備えていましたが、そのあたりも装甲車は対応しています、むしろ装甲車が密閉戦闘室を採用する背景には、必要故の発展と言いますか、此処にあるという事も見いだせるでしょう。機動運用の際の防御力が最たる部分にあるとも言えるでしょうが。
装甲車は地表に露出して掩体へ入る状況であっても、天蓋部分は相当旧式の装甲車や空挺用と対ゲリラ戦用の特殊車両などの例外を除けば装甲化されているため、冒頭の部分に示しました装甲車の特色である”歩兵を第一線火力から防護し機動運用するため”という部分が移動可能な陣地としてもちうる、といえるでしょう。
そして興味深いのは、掩蔽陣地を迅速構築するために進んだ工兵の陣地構築技術は、応急野戦築城資材の技術革新や野戦築城用装備の技術発展という波及効果を及ぼし、装甲車が防御戦闘を展開するために必要な装甲車用掩体程度ならば、油圧ショベルやドーザーにより短時間で建設する能力を有しました。
防塁が移動可能な形となったのが装甲車、ともいえまして、特に防塁は個人用掩体の拠点として運用できるという部分、そして装甲車には機関銃や装甲戦闘車によっては機関砲と火器管制装置を有しており、装甲車により機動する歩兵分隊は対戦車火器を装備しているため、火力も持つ。
比較しますと、装甲車と同時期に誕生した戦車、第一次大戦中の戦車は移動砲台としての運用が為されていました、こうした意味では戦車こそが防塁の発展形、と考える事も不可能ではありませんが、戦車が移動砲台という印象を持つのに対し、装甲車は歩兵の拠点となり得るため、やがりこちらが移動可能な防塁といて差し支えありません。
連絡線となる塹壕も、実は装甲車はその発想そのものを受け継いでいます。塹壕は、その目的が直接照準火器や砲兵火力の脅威下において安全に移動するための陣地であるため、防塁と防塁を移動する手段として、装甲車そのものが機動することで装甲により人員を移動させる、すなわち装甲車の機動力が連絡線たる塹壕の位置にある訳です。
北大路機関:はるな
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
前回までに陣形の歴史的変化の変遷を示しました。
即ち装甲車は、防御戦闘において防塁の発展形であり、個人用掩体は装甲車周辺や場合によっては装甲車そのものが掩体や砲兵からの掩蔽に用いられるようになります。興味深いことに建設機械の発展は、掩蔽陣地の急速建設速度を運動戦に間に合わせる速度は持ちませんでしたが、装甲車用掩体を急速構築する速度には対応しています。
併せて、掩蔽陣地が求めた地下陣地化は、皮肉なことに個人用対戦車火器等第二次世界大戦において掩蔽陣地から投射した装備品の長射程化により地形障害や陽炎の影響が無視できない水準となり、地下では地表からの影響を受けやすくなったため、地表に露出する形となったのです。
掩蔽後では砲撃などから陣地を防護するために天蓋を防御し曳火射撃に備えていましたが、そのあたりも装甲車は対応しています、むしろ装甲車が密閉戦闘室を採用する背景には、必要故の発展と言いますか、此処にあるという事も見いだせるでしょう。機動運用の際の防御力が最たる部分にあるとも言えるでしょうが。
装甲車は地表に露出して掩体へ入る状況であっても、天蓋部分は相当旧式の装甲車や空挺用と対ゲリラ戦用の特殊車両などの例外を除けば装甲化されているため、冒頭の部分に示しました装甲車の特色である”歩兵を第一線火力から防護し機動運用するため”という部分が移動可能な陣地としてもちうる、といえるでしょう。
そして興味深いのは、掩蔽陣地を迅速構築するために進んだ工兵の陣地構築技術は、応急野戦築城資材の技術革新や野戦築城用装備の技術発展という波及効果を及ぼし、装甲車が防御戦闘を展開するために必要な装甲車用掩体程度ならば、油圧ショベルやドーザーにより短時間で建設する能力を有しました。
防塁が移動可能な形となったのが装甲車、ともいえまして、特に防塁は個人用掩体の拠点として運用できるという部分、そして装甲車には機関銃や装甲戦闘車によっては機関砲と火器管制装置を有しており、装甲車により機動する歩兵分隊は対戦車火器を装備しているため、火力も持つ。
比較しますと、装甲車と同時期に誕生した戦車、第一次大戦中の戦車は移動砲台としての運用が為されていました、こうした意味では戦車こそが防塁の発展形、と考える事も不可能ではありませんが、戦車が移動砲台という印象を持つのに対し、装甲車は歩兵の拠点となり得るため、やがりこちらが移動可能な防塁といて差し支えありません。
連絡線となる塹壕も、実は装甲車はその発想そのものを受け継いでいます。塹壕は、その目的が直接照準火器や砲兵火力の脅威下において安全に移動するための陣地であるため、防塁と防塁を移動する手段として、装甲車そのものが機動することで装甲により人員を移動させる、すなわち装甲車の機動力が連絡線たる塹壕の位置にある訳です。
北大路機関:はるな
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