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【日曜特集】厚木基地フレンドシップデイ米海軍航空百周年【2】列線巡行(2011-09-11)

2017-12-03 20:05:44 | 在日米軍
■第五空母航空団艦載機列線
 厚木基地フレンドシップデイ米海軍航空百周年、前回に続き列線を巡行してゆきましょう。

 アメリカ海軍航空母艦空母航空団拠点としての厚木基地は1973年の空母ミッドウェー横須賀前方展開が決定した事を受けての施策、ヴェトナム戦争での親米南ヴェトナム敗北を受け、アジア地域での共産主義勢力拡大阻止へ北東アジア地域の重要性を認識した為です。

 空母ミッドウェーは第二次世界大戦中末期に建造され、仮に太平洋戦争が長期化していたならば太平洋戦線に投入されていたであろう大型空母、当時量産されていた大型空母であるエセックス級をさらに上回る規模を有しています。これが横須賀へと前方展開しました。

 F-4N戦闘機は1973年より厚木基地へ前方展開する事となります。当時航空自衛隊にはF-4E要撃機が最新鋭戦闘機として配備開始、F-104戦闘機が数の上で主力であり、朝鮮戦争時代のF-86も支援戦闘機としてまだ維持されていた時代に、厚木へF-4Nがやってきた。

 F-4J戦闘機が1977年より第五空母航空団へ配備となり、厚木基地へと前方展開しました。1977年と云いますと航空自衛隊では国産初の超音速戦闘機である三菱F-1支援戦闘機が完成し、漸く老兵で旧式、支援戦闘機としてのF-86が置き換えられてゆく時代にあたります。

 F-4S戦闘機が第五空母航空団へ配備されたのは1981年、この年は航空自衛隊の転換期の年度でもあり、F-15J戦闘機初号機が岐阜基地へ到着した年度でもあります。F-4Sはアメリカ海軍が最後に制式化したF-4戦闘機改良型で、レーダー性能が大幅に強化されました。

 A-7攻撃機も1973年より1986年まで配備されています、コルセアⅡの愛称で知られる攻撃機は、サイドワインダー空対空ミサイルを搭載し制空戦闘も展開可能な攻撃機で爆弾搭載量は後継機のF/A-18Aホーネット戦闘攻撃機よりも大きく、議会で問題視されたほど。

 A-7E攻撃機はA-7A攻撃機の電子機器を一新した改良型としてアメリカ海軍へ配備され、1977年より交替しました、小型で小回りが利くと共に爆弾搭載量が大きく空対空戦闘が可能である、この性能はアメリカ空軍が戦術対地攻撃機として検討するなど、評価は高い。

 A-6攻撃機も1973年より第五空母航空団の一員として厚木へ前方展開しました。イントルーダーの愛称で知られるA-6攻撃機は地形追随装置や精密航法装置と精密爆撃計算機を搭載し、空中戦には対応しませんがアメリカ議会が海外供与禁止筆頭に挙げた機体のひとつ。

 A-6B攻撃機から第五空母航空団厚木前方展開に参加していまして、夜間低空攻撃能力を持つ貴重な攻撃機として位置付けられています。爆弾搭載量8t、対艦ミサイルハープーンを4発搭載し対艦攻撃も可能であり、戦術核B-61の運用も可能、航空母艦打撃力中枢を担う。

 A-6E攻撃機は1991年まで厚木基地へ前方展開しています。複合高感度光学照準装置、レーザー誘導爆弾用照射機,TRAM目標探知攻撃複合センサーを追加搭載し電子装備も一新したもので、亜音速機故に軽視されますが航続距離も5200km、今日でも通用する性能です。

 EA-6プラウラー電子攻撃機としてA-6イントルーダーの派生型はつい最近まで現役となっていました、それだけA-6攻撃機の基本設計は優れていたのですが、後述するF/A-18の基本設計が超音速時代にふさわしくEA-6EAはEA-18グロウラーにより代替され今に至る。

 F-14A戦闘機は空母ミッドウェーでは運用不能でした。ミッドウェーは第二次大戦末期の設計で、大戦中の主力大型空母エセックス級は1950年代末期の設計であるF-4戦闘機を搭載出来ず小型のF-8クルセイダー戦闘機に甘んじた、しかしミッドウェーにも限界がある。

 F/A-18A戦闘攻撃機は1985年にF-4戦闘機の後継機として導入されました。F-14は搭載出来ないものの、いつまでもF-4運用を継続する訳にはいきません、搭載能力でA-7やA-6に一歩引く機種ながら開発後中距離空対空ミサイル運用能力付与により空戦能力を高めた。

 F/A-18A戦闘攻撃機は最盛期、空母ミッドウェー艦上に3個飛行隊が、海軍航空隊の飛行隊編成は空軍や航空自衛隊の飛行隊編成より小規模で、海上自衛隊の飛行隊に近い規模ですが並んでいた訳です。しかし、空母はミッドウェーからインディペンデンスへ替わる。

 インディペンデンス前方展開により日本周辺の海軍力は大きく転換しました。同時期にアメリカが百年以上アジアの海軍拠点としていたフィリピンのスービック海軍基地がピナトゥボ火山噴火に伴う情勢変化でフィリピンへ返還され、横須賀のポテンシャルが高まった。

 フォレスタル級航空母艦4番艦として1959年に竣工したインディペンデンスは、初代国防長官となったフォレスタル海軍長官時代の超大型航空母艦構想により端を発するもので、単なる海軍の位置戦力投射手段から核戦力拠点を含む戦略兵器へと昇華した最初の型式だ。

 F-14A戦闘機の厚木基地前方展開は、空母インディペンデンス横須賀前方展開と同時、1991年に実現します。F-14A戦闘機は長射程のAIM-54空対空ミサイルと同時複数交戦能力により極めて高度な防空能力を有し、可変翼を採用するあの優美な機体は今なお郷愁を誘う。

 F-14A戦闘機の厚木時代は、しかし短かったようで、1991年に前方展開を開始しましたが2003年にアメリカ海軍航空隊はF-14A戦闘機の主任務である艦隊防空任務がイージス艦により大半を実施でき、戦闘爆撃機であるF/A-18E戦闘機を後継機とし退役することになる。

 F-14A戦闘機が厚木基地へ、仮に冷戦時代に前方展開していましたらば、北海道への北方有事の際には同盟国アメリカ海軍航空隊の強力な抑止力が、首都東京への軍事圧力に対しての無言の鎮めとなったようにも思います、アメリカ空軍のF-15は沖縄に居ましたからね。

 F/A-18C戦闘攻撃機は1991年に前方展開となりました、F/A-18A戦闘攻撃機の改良型で海兵航空部隊へも配備されている機種です。中距離空対空ミサイル運用能力を有し、世界を見ればこのF/A-18C戦闘攻撃機を防空任務への主力とする空軍も少なくはありません。

 F/A-18C戦闘攻撃機は、スペイン空軍やオーストラリア空軍とカナダ空軍などなどアメリカの同盟国が運用していますし、中立政策で我が国でも平和第一主義を掲げるフィンランド空軍やスイス空軍が運用しています。対地攻撃能力と防空能力など、均衡が取れている。

 F/A-18E戦闘攻撃機は2004年より第5空母航空団へ配備されました。F/A-18E戦闘攻撃機の設計はF/A-18C戦闘攻撃機の機体規模を大幅に大型化し、低視認性としてステルス性を強化した新世代戦闘機です。空気取入口形状等が新旧で全く違うのが顕著な識別点です。

 F/A-18E戦闘攻撃機の設計は多用途性を重視しており、空母航空団の打撃力強化へ大きく寄与しています。一方、機体構造重量の増大に対しエンジン出力増大が追いつかず、新旧比較し、加速性能や運動性で劣っている点がある。なにやらA-7とF/A-18Aを思い出す。

 F/A-18E戦闘攻撃機は現在第五空母航空団の主力として実に四個飛行隊が配備されています。ミサイルキャリヤーとしてミサイル運用能力を重視しているとも言われますが、しかし、格闘性能も相応に高く、機体の拡張という点ではF-16CとF-2の関係に似ていますね。

北大路機関:はるな くらま
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