■歴史としての真珠湾攻撃
師走のこの季節となりますと、数多の歴史特集が新聞テレビにて組まれ、1941年の真珠湾攻撃の日が近い事を思い出します。
本日は十二月八日、太平洋戦争真珠湾攻撃の日です。日本政府は日米政治交渉の行き詰まりを軍事力により解決する事を志向し、アメリカ海軍太平洋艦隊の拠点であるハワイ真珠湾を空母六隻を中心とした機動部隊により攻撃すると共に台湾を発進した航空部隊はアジア地域におけるアメリカ陸軍の拠点であるフィリピンを攻撃、その主力を撃破しました。
ここから巨大な戦争が始まったわけですが、今回今日この日にあえて提示したいのは、外国に攻め入ることは日本国が平和国家として避けるべき命題であるとともに、それと同じ程に外国に日本が攻め入らせる事は日本が国家として国民に責任持つ政府を維持する以上、非常に重要であるという事です。即ち、戦争に行くのは駄目だが戦争が来てもいけない。
太平洋戦争開戦と同時に日本陸軍は東アジア東南アジア地域のイギリスオランダ植民地への攻撃を開始、マレー半島に上陸した陸軍部隊は短期間でイギリスの東南アジアにおける拠点シンガポールを攻略、スマトラ島やボルネオ島のオランダ軍拠点を空挺強襲にて制圧すると共に、イギリスオランダとオーストラリア海軍を水雷戦隊と巡洋艦隊が駆逐します。
開戦記念日である十二月八日ですが、忘れてはならないのはこうした大規模の世界大戦を起こさないよう国際努力を行う中で、我が国がどのように関与するか、というものです。当然ながら、第二次世界大戦は回避しようと考えれば、ある程度可能性はありました。そして、歴史の教訓は戦争を行う二国以上の一方だけの意思では止められぬ事を示している。
祈念する平和主義と行動する平和主義、平和主義を手段として戦争を迎える覚悟と平和主義を目的として戦争を回避する覚悟、国際協調という名の集団的自衛権と一国主義という名の一国平和主義、人道危機や世界危機への不関与を平和とする定義と国際援助や人道援助を行う平和の定義、ここから判るように平和の定義は不明確であり共有されていません。
真珠湾攻撃から始まる太平洋戦争は、既に始まっている欧州での同盟国ドイツ第三帝国とソ連イギリスとの戦闘が合わさり、第二次世界大戦へと拡大、第一次世界大戦が事実上の欧州大戦であった事と対照的に、環太平洋及び環大西洋とインド洋を戦場とする文字通りの世界大戦へと発展しました。また、第二次大戦は歴史上唯一核兵器が使用されています。
核兵器についてですが、1970年に成立し事実上の国際慣習法となり強行規範としての機能を有している核不拡散条約は、1998年インドパキスタン核武装と、現在進められる北朝鮮核開発によりその均衡へ重大な影響が及びつつあります。この核兵器に関する新しい世界危機に際し、大量破壊兵器はよくないとの宣言を世界が共有する以外、袋小路にあります。
日中戦争は上海での戦闘を繰り返し、上海事変が中国の首都南京占領へ拡大した事で停戦の出口戦略が成り立たず、更に満州事変を契機に中国ソ連国境地帯での満州国建国後、その国境地域での戦闘が頻発し盧溝橋事変を経て戦線は中国全土へ拡大、これに対する対日経済制裁が、結果的に太平洋戦争への拡大以外、選択肢を日本政府自ら閉ざしたといえる。
逆に真珠湾攻撃が満州事変を契機とする経済制裁、鉄材輸出禁止や石油全面禁輸という対日経済制裁の厳しさが戦争へと発展した歴史に学ぶのであれば、経済制裁の威力を最も知っているのは日本であるともいえます。そして経済制裁として、日本は世界と共に我が国の日本海を挟んだ隣国、北朝鮮の進める核開発に対し、最大限の経済制裁を行っています。
真珠湾攻撃から平和を学ぶとするならば、経済制裁を手段として平和に至る成果を欲するならば、これを急激な変動に直結させるのではなく、制裁対象国が国際公序へ帰還できるよう出口戦略、対話を求めた際の和平策を同時に考え、展開してゆく事を示唆しているのかもしれません。これには、併せて宥和へ転換させる為の準備を周知させる努力も必要だ。
日中戦争、中国政府が日本からの攻勢を拒否するには軍事力と国際協調を求める以外なく、言い換えれば現在の国際情勢でも、当時とは逆に日本が戦争を拒否しようとも相手国が日本に対し攻撃や占領の意図があるならば、その戦争を回避する事が非常に難しい事を端的に示しています。無論、無抵抗であれば戦争とはなりませんが、その状況は平和ではない。
事変として当時の国際法秩序では不戦条約により既に禁止されていた戦争を、戦争ではなく事変であると言い換えていましたが、平和的生存権や人間の尊厳や生命財産への権利を棄損するという意味では言い逃れは難しく、これは現在の我が国においても無抵抗や相手が戦争と認めない侵略攻撃に対しても、国家は決断以て応じる必要性を突きつけています。
歴史と向き合う、という表現は事に我が国で過去の戦争と向き合う際に重視されるのは軍事力を徹底的な禁忌とする事で、議論を深め考える事から脱しようとしている点にあり、これは向き合っているのだろうか、と考えさせられます。太平洋戦争を日本が真珠湾を攻めなければ、アメリカの対中軍事援助が進む中でも、あのまま自然終息したのでしょうか。
不戦の誓い、という言葉も重ねて我が国では強調されるところですが、昨今、遂に京都市内でも小学校での防空演習が始まっています、北朝鮮の核開発とミサイル開発の進展により、日本本土が核攻撃される可能性がかつてなく高まっており、いよいよ義務教育へ防空演習が加わるようになっているのです。この状況は、当方の子供時代には考えられない。
国破れて山河あり、と美しい言葉がありますが、平和を目的ではなく平和を手段として、結果的に周辺国に付け入る空隙を与える事となってはいけませんし、これは日本国家だけの平和を左右するだけに留まらず、世界平和全般にも悪影響を及ぼしかねず、国土国民が灰燼に帰してもそれでよい、という政治を選んではなりません。だからこそ、国家には覚悟が要るのです。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
師走のこの季節となりますと、数多の歴史特集が新聞テレビにて組まれ、1941年の真珠湾攻撃の日が近い事を思い出します。
本日は十二月八日、太平洋戦争真珠湾攻撃の日です。日本政府は日米政治交渉の行き詰まりを軍事力により解決する事を志向し、アメリカ海軍太平洋艦隊の拠点であるハワイ真珠湾を空母六隻を中心とした機動部隊により攻撃すると共に台湾を発進した航空部隊はアジア地域におけるアメリカ陸軍の拠点であるフィリピンを攻撃、その主力を撃破しました。
ここから巨大な戦争が始まったわけですが、今回今日この日にあえて提示したいのは、外国に攻め入ることは日本国が平和国家として避けるべき命題であるとともに、それと同じ程に外国に日本が攻め入らせる事は日本が国家として国民に責任持つ政府を維持する以上、非常に重要であるという事です。即ち、戦争に行くのは駄目だが戦争が来てもいけない。
太平洋戦争開戦と同時に日本陸軍は東アジア東南アジア地域のイギリスオランダ植民地への攻撃を開始、マレー半島に上陸した陸軍部隊は短期間でイギリスの東南アジアにおける拠点シンガポールを攻略、スマトラ島やボルネオ島のオランダ軍拠点を空挺強襲にて制圧すると共に、イギリスオランダとオーストラリア海軍を水雷戦隊と巡洋艦隊が駆逐します。
開戦記念日である十二月八日ですが、忘れてはならないのはこうした大規模の世界大戦を起こさないよう国際努力を行う中で、我が国がどのように関与するか、というものです。当然ながら、第二次世界大戦は回避しようと考えれば、ある程度可能性はありました。そして、歴史の教訓は戦争を行う二国以上の一方だけの意思では止められぬ事を示している。
祈念する平和主義と行動する平和主義、平和主義を手段として戦争を迎える覚悟と平和主義を目的として戦争を回避する覚悟、国際協調という名の集団的自衛権と一国主義という名の一国平和主義、人道危機や世界危機への不関与を平和とする定義と国際援助や人道援助を行う平和の定義、ここから判るように平和の定義は不明確であり共有されていません。
真珠湾攻撃から始まる太平洋戦争は、既に始まっている欧州での同盟国ドイツ第三帝国とソ連イギリスとの戦闘が合わさり、第二次世界大戦へと拡大、第一次世界大戦が事実上の欧州大戦であった事と対照的に、環太平洋及び環大西洋とインド洋を戦場とする文字通りの世界大戦へと発展しました。また、第二次大戦は歴史上唯一核兵器が使用されています。
核兵器についてですが、1970年に成立し事実上の国際慣習法となり強行規範としての機能を有している核不拡散条約は、1998年インドパキスタン核武装と、現在進められる北朝鮮核開発によりその均衡へ重大な影響が及びつつあります。この核兵器に関する新しい世界危機に際し、大量破壊兵器はよくないとの宣言を世界が共有する以外、袋小路にあります。
日中戦争は上海での戦闘を繰り返し、上海事変が中国の首都南京占領へ拡大した事で停戦の出口戦略が成り立たず、更に満州事変を契機に中国ソ連国境地帯での満州国建国後、その国境地域での戦闘が頻発し盧溝橋事変を経て戦線は中国全土へ拡大、これに対する対日経済制裁が、結果的に太平洋戦争への拡大以外、選択肢を日本政府自ら閉ざしたといえる。
逆に真珠湾攻撃が満州事変を契機とする経済制裁、鉄材輸出禁止や石油全面禁輸という対日経済制裁の厳しさが戦争へと発展した歴史に学ぶのであれば、経済制裁の威力を最も知っているのは日本であるともいえます。そして経済制裁として、日本は世界と共に我が国の日本海を挟んだ隣国、北朝鮮の進める核開発に対し、最大限の経済制裁を行っています。
真珠湾攻撃から平和を学ぶとするならば、経済制裁を手段として平和に至る成果を欲するならば、これを急激な変動に直結させるのではなく、制裁対象国が国際公序へ帰還できるよう出口戦略、対話を求めた際の和平策を同時に考え、展開してゆく事を示唆しているのかもしれません。これには、併せて宥和へ転換させる為の準備を周知させる努力も必要だ。
日中戦争、中国政府が日本からの攻勢を拒否するには軍事力と国際協調を求める以外なく、言い換えれば現在の国際情勢でも、当時とは逆に日本が戦争を拒否しようとも相手国が日本に対し攻撃や占領の意図があるならば、その戦争を回避する事が非常に難しい事を端的に示しています。無論、無抵抗であれば戦争とはなりませんが、その状況は平和ではない。
事変として当時の国際法秩序では不戦条約により既に禁止されていた戦争を、戦争ではなく事変であると言い換えていましたが、平和的生存権や人間の尊厳や生命財産への権利を棄損するという意味では言い逃れは難しく、これは現在の我が国においても無抵抗や相手が戦争と認めない侵略攻撃に対しても、国家は決断以て応じる必要性を突きつけています。
歴史と向き合う、という表現は事に我が国で過去の戦争と向き合う際に重視されるのは軍事力を徹底的な禁忌とする事で、議論を深め考える事から脱しようとしている点にあり、これは向き合っているのだろうか、と考えさせられます。太平洋戦争を日本が真珠湾を攻めなければ、アメリカの対中軍事援助が進む中でも、あのまま自然終息したのでしょうか。
不戦の誓い、という言葉も重ねて我が国では強調されるところですが、昨今、遂に京都市内でも小学校での防空演習が始まっています、北朝鮮の核開発とミサイル開発の進展により、日本本土が核攻撃される可能性がかつてなく高まっており、いよいよ義務教育へ防空演習が加わるようになっているのです。この状況は、当方の子供時代には考えられない。
国破れて山河あり、と美しい言葉がありますが、平和を目的ではなく平和を手段として、結果的に周辺国に付け入る空隙を与える事となってはいけませんし、これは日本国家だけの平和を左右するだけに留まらず、世界平和全般にも悪影響を及ぼしかねず、国土国民が灰燼に帰してもそれでよい、という政治を選んではなりません。だからこそ、国家には覚悟が要るのです。
北大路機関:はるな くらま
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