■人類史上最大の津波被害
2004年に人類史上最大の津波被害が発生しました、これよりも大きな災害は1976年の中国唐山地震くらいでしょう。
スマトラ島沖地震インド洋大津波から今日で15年となりました。2004年12月26日のグリニッジ標準時間0058時、現地のインドネシア西部時間0758時にスマトラ島バンダ-アチェ南南東250kmにて発生したマグニチュード9.3の巨大地震は、広範囲に津波を引き起こし、津波警報の不備から避難が遅れ、実に22万もの人命が失われる惨事となりました。
マグニチュード9.3の巨大地震、この発生により引き起こした津波被害はインドネシアとタイ東岸を中心に大被害を引き起こしつつ、遠くインド洋沿岸全域に及びインド国内やアフリカ沿岸部でも被害を引き起こしています。被災地では本日、巨大地震での犠牲者へ慰霊祭が行われると共に地震発災後の復興と共に次の巨大地震への備えが続いているとのこと。
インド洋大津波と称されていますが、実際、この巨大地震は津波被害が人命被害を拡大しました。インドネシアに被害が集中、スマトラ島のアチェ特別州では州都バンダ-アチェが壊滅的な被害を受け、実は東ティモールに続いて模索された独立機運がこの地震被害復興目処を建てられず自由アチェ運動そのものが終焉を迎えるという程の打撃を受けています。
自衛隊派遣。インド洋大津波は、自衛隊の海外派遣という規模からみても意外なほど大規模な緊急人道支援任務が実施され、先ず初動として当時アフガニスタンで続くテロとの戦いへアラビア海海上阻止行動給油支援へ派遣中であったイージス艦きりしま、護衛艦たかなみ、がアラビア海からの横須賀への帰途の最中に津波に遭い、人道支援へ投入された。
インドネシアアチェ州へ海上自衛隊派遣は続いて翌週に当時の小泉政権が派遣を決定し、ヘリコプター搭載護衛艦くらま、輸送艦くにさき、補給艦ときわからなる緊急人道支援部隊派遣が決定、続いて航空自衛隊のC-130H輸送機2機先遣隊として、また陸上自衛隊は東千歳駐屯地の第7師団より派遣部隊を釧路港より輸送艦に乗艦させ、派遣されています。
スマトラ島沖地震は、しかし幾つかの課題を突き付ける事となりまして、巨大地震に際しての外国人保護の問題が置き去り人ると共に、情報通信の途絶下での救命救急体系の維持や航空機に関する有効活用、各国からの人道支援部隊への連携基盤の不備など、一種のダメージコントロールが不随状態となっている事が震災関連犠牲者という問題を出しました。
東日本大震災。実のところインド洋全域に被害を引き起こしましたこの巨大地震に伴う教訓は、もう少し被災地から隔てた日本でこそ学ぶ点が大きかったのかもしれません。いや、津波警報の不備や防波堤の有無という、インドネシアと日本との違いが強調されていた津波報道を思い出しますと、巨大地震と津波への一種の、慢心、が在ったのかもしれません。
南海トラフ巨大地震の脅威が現実問題として警戒される今日、思い起こせば世界最大の三陸海岸防波堤は東日本大震災巨大津波に乗り越えられると共に、しかし、津波警報の不備は我が国でも最近、1983年の日本海中部地震では津波警報の不備が指摘されているように、当時は気象庁が電報により発信の津波情報が津波到達の遥か後に公表される事例があった。
東日本大震災が発災した時点で、スマトラ沖地震インド洋大津波の経験は、迅速な避難により回避できると信じられていたものではあるのですが、結局、巨大災害は実際に襲来してみますと、当時の我が国でも政府は、想定外、こうした表現を連続して不備の責務を回避する事に終始していました。マグニチュード9の巨大地震、本当に想定外であったのか。
人類史上最大の津波被害、こう表現するインド洋大津波ですが、実のところ東日本大震災までに教訓として得るものは幾つかあったようにも思えます、そしてその教訓ですが、繰り返し津波被害に直面し高い準備を進めていました三陸地方は比較的高度な準備を以て被害を局限した、といえるのですが、次の巨大地震へ太平洋岸の地域は準備は万全なのか。
南海トラフ地震、現在政府が想定する最大規模の発生に対しては37万の死者数が想定されています。四国沿岸部と紀伊半島を中心に九州南岸から京浜地区まで津波が襲う想定であり、過去の歴史地震を俯瞰するならば、この被害は充分有り得る災害です。これこそ、人類史上最大の津波被害、というものを15年前のアジアの同胞が警鐘を鳴らせている様にも。
巨大災害には“相”というものがある様にも思う、東日本大震災とインド洋大津波の備えを基調とした防災政策を続けますと、次に来るのは来年に25年を迎える阪神大震災のような直下型地震の叩きつけるような激震が中層建築物を圧潰させる災害の再来もあり得ますし、伊勢湾台風の被害が再来する懸念もあります。数多の災害を思い返し、その個々の再来を警戒し準備する事が、鎮魂なのかもしれませんね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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2004年に人類史上最大の津波被害が発生しました、これよりも大きな災害は1976年の中国唐山地震くらいでしょう。
スマトラ島沖地震インド洋大津波から今日で15年となりました。2004年12月26日のグリニッジ標準時間0058時、現地のインドネシア西部時間0758時にスマトラ島バンダ-アチェ南南東250kmにて発生したマグニチュード9.3の巨大地震は、広範囲に津波を引き起こし、津波警報の不備から避難が遅れ、実に22万もの人命が失われる惨事となりました。
マグニチュード9.3の巨大地震、この発生により引き起こした津波被害はインドネシアとタイ東岸を中心に大被害を引き起こしつつ、遠くインド洋沿岸全域に及びインド国内やアフリカ沿岸部でも被害を引き起こしています。被災地では本日、巨大地震での犠牲者へ慰霊祭が行われると共に地震発災後の復興と共に次の巨大地震への備えが続いているとのこと。
インド洋大津波と称されていますが、実際、この巨大地震は津波被害が人命被害を拡大しました。インドネシアに被害が集中、スマトラ島のアチェ特別州では州都バンダ-アチェが壊滅的な被害を受け、実は東ティモールに続いて模索された独立機運がこの地震被害復興目処を建てられず自由アチェ運動そのものが終焉を迎えるという程の打撃を受けています。
自衛隊派遣。インド洋大津波は、自衛隊の海外派遣という規模からみても意外なほど大規模な緊急人道支援任務が実施され、先ず初動として当時アフガニスタンで続くテロとの戦いへアラビア海海上阻止行動給油支援へ派遣中であったイージス艦きりしま、護衛艦たかなみ、がアラビア海からの横須賀への帰途の最中に津波に遭い、人道支援へ投入された。
インドネシアアチェ州へ海上自衛隊派遣は続いて翌週に当時の小泉政権が派遣を決定し、ヘリコプター搭載護衛艦くらま、輸送艦くにさき、補給艦ときわからなる緊急人道支援部隊派遣が決定、続いて航空自衛隊のC-130H輸送機2機先遣隊として、また陸上自衛隊は東千歳駐屯地の第7師団より派遣部隊を釧路港より輸送艦に乗艦させ、派遣されています。
スマトラ島沖地震は、しかし幾つかの課題を突き付ける事となりまして、巨大地震に際しての外国人保護の問題が置き去り人ると共に、情報通信の途絶下での救命救急体系の維持や航空機に関する有効活用、各国からの人道支援部隊への連携基盤の不備など、一種のダメージコントロールが不随状態となっている事が震災関連犠牲者という問題を出しました。
東日本大震災。実のところインド洋全域に被害を引き起こしましたこの巨大地震に伴う教訓は、もう少し被災地から隔てた日本でこそ学ぶ点が大きかったのかもしれません。いや、津波警報の不備や防波堤の有無という、インドネシアと日本との違いが強調されていた津波報道を思い出しますと、巨大地震と津波への一種の、慢心、が在ったのかもしれません。
南海トラフ巨大地震の脅威が現実問題として警戒される今日、思い起こせば世界最大の三陸海岸防波堤は東日本大震災巨大津波に乗り越えられると共に、しかし、津波警報の不備は我が国でも最近、1983年の日本海中部地震では津波警報の不備が指摘されているように、当時は気象庁が電報により発信の津波情報が津波到達の遥か後に公表される事例があった。
東日本大震災が発災した時点で、スマトラ沖地震インド洋大津波の経験は、迅速な避難により回避できると信じられていたものではあるのですが、結局、巨大災害は実際に襲来してみますと、当時の我が国でも政府は、想定外、こうした表現を連続して不備の責務を回避する事に終始していました。マグニチュード9の巨大地震、本当に想定外であったのか。
人類史上最大の津波被害、こう表現するインド洋大津波ですが、実のところ東日本大震災までに教訓として得るものは幾つかあったようにも思えます、そしてその教訓ですが、繰り返し津波被害に直面し高い準備を進めていました三陸地方は比較的高度な準備を以て被害を局限した、といえるのですが、次の巨大地震へ太平洋岸の地域は準備は万全なのか。
南海トラフ地震、現在政府が想定する最大規模の発生に対しては37万の死者数が想定されています。四国沿岸部と紀伊半島を中心に九州南岸から京浜地区まで津波が襲う想定であり、過去の歴史地震を俯瞰するならば、この被害は充分有り得る災害です。これこそ、人類史上最大の津波被害、というものを15年前のアジアの同胞が警鐘を鳴らせている様にも。
巨大災害には“相”というものがある様にも思う、東日本大震災とインド洋大津波の備えを基調とした防災政策を続けますと、次に来るのは来年に25年を迎える阪神大震災のような直下型地震の叩きつけるような激震が中層建築物を圧潰させる災害の再来もあり得ますし、伊勢湾台風の被害が再来する懸念もあります。数多の災害を思い返し、その個々の再来を警戒し準備する事が、鎮魂なのかもしれませんね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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