■愉しむ他なかった当時
御霊信仰は殿上人には祟られる対象だったのかもしれませんが庶民はまあ私ら関係ないし、という感覚だったもよう。

紫野御霊会、船岡山に神輿二基を奉納したところから、元々平安遷都以前から在ります今宮神社は今宮社として現代にいたる歴史を歩み始めました。興味深いのはそのもととなりました祭事は正暦5年こと西暦994年に行われたのですが、創建は1001年という。

長保3年こと西暦1001年の創建、気づかれるかもしれませんが994年に奉納されました神輿に再度出番が来まして、要するに1001年に疫病大流行があった、この為に再度紫野御霊会が祭事を招集したという構図で、これをもって今宮社が常設されることになりました。

御霊信仰、祈るほかなかった、と書きますとなにかこう、暗い中世、日本史の闇、医学史の途上、非科学の蠢動、とまあ想像が膨らむのですが、ここをもう少し掘り下げてみますとそう暗くはなく日本史の、といいますか日本人の楽天さが少し垣間見えるようで面白い。

祭事、いまわたしたちは、やすらい祭や祇園祭など、もともと疾病払いの伝統行事であり本来御霊を弔う厳粛な行事であるはず物のを物見遊山感覚で楽しんでいることは紛れもない事実ではあります、実際京都の観光業もこれで潤っている、これでいいのか、となる。

年中行事絵巻、というような歴史書として機能する文化財に描かれた当時の様子を見ますと、良いんです、というのが日本史の結論でして、実は当時から疾病払いといわれても当時の町衆も貴族も、おそらく神官僧侶さえも楽しんでいた、とみえる記録が描かれている。

やすらい祭、春の師団祭旅団祭連隊祭などが全国で幅広く執り行われる四月の第二日曜日に今宮神社で行われる祭事で、やはりこの由来は疾病払いの伝統行事なのですが、これは桜の散るころに疫病が流行り始めるという千年前の認識で始まった祭事なのですけれど。

安楽祭、夜須礼祭、いろいろ書き方があるのですが、やすらい祭、今年も第12旅団祭や第33普通科連隊創設記念行事などと重なる四月の第二日曜日に行われまして、昔はチラ見していた祭事、最近は祭事よりも戦車を追っている日と重なるという神事でもあるのだ。

鞍馬の火祭、太秦の牛祭、やすらい祭、これで京都三大奇祭を構成するという、実は北区の自慢の一つであったりするのだけれども、今宮神社では今年もこうした祭事が執り行われている、そしてコロナ禍下では非公開だけれども疾病払い行事を継続はしていました。

インフルエンザやコロナウィルスなど呼吸器系感染症は冬の疾病ですので、今宮神社の祭事である、やすらい祭、これはおそらくウィルスよりは細菌による感染症、つまり腐食と不衛生が原因となる疾病払いの行事で、祭よりも煮沸のほうが大事と今は言えるのだが。

奉幣使、という朝廷からの天皇の名代が派遣されて執り行われる祭礼は、要するにテレビもラジオも、この言い方自体が昭和的か、SNSもWeblogも動画サイトも無い時代においては、祭礼一つとって庶民の娯楽であったという、奉幣使は行列を組んで巡航するゆえ。

御霊信仰は本来高位高官が謀殺など無念を残してこの世を去った場合に祟る怨霊というものですので、要するに庶民からしますと謀殺する立場にもない殿上人の世界、これが原因でこの疾病です、となりますれば要するに打つ手なしとなる、ならば愉しむほかない。

COVID-19の際にも、まあ写真を出すのは相当先になりますが北大路機関はいろいろ写真を撮影しました、誰もいないあんな場所やこんな場所、公共交通機関も徒歩も自転車もなく自動車でね、つまり、非日常を愉しむ、という行動は実は日本人的といえるものです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
御霊信仰は殿上人には祟られる対象だったのかもしれませんが庶民はまあ私ら関係ないし、という感覚だったもよう。

紫野御霊会、船岡山に神輿二基を奉納したところから、元々平安遷都以前から在ります今宮神社は今宮社として現代にいたる歴史を歩み始めました。興味深いのはそのもととなりました祭事は正暦5年こと西暦994年に行われたのですが、創建は1001年という。

長保3年こと西暦1001年の創建、気づかれるかもしれませんが994年に奉納されました神輿に再度出番が来まして、要するに1001年に疫病大流行があった、この為に再度紫野御霊会が祭事を招集したという構図で、これをもって今宮社が常設されることになりました。

御霊信仰、祈るほかなかった、と書きますとなにかこう、暗い中世、日本史の闇、医学史の途上、非科学の蠢動、とまあ想像が膨らむのですが、ここをもう少し掘り下げてみますとそう暗くはなく日本史の、といいますか日本人の楽天さが少し垣間見えるようで面白い。

祭事、いまわたしたちは、やすらい祭や祇園祭など、もともと疾病払いの伝統行事であり本来御霊を弔う厳粛な行事であるはず物のを物見遊山感覚で楽しんでいることは紛れもない事実ではあります、実際京都の観光業もこれで潤っている、これでいいのか、となる。

年中行事絵巻、というような歴史書として機能する文化財に描かれた当時の様子を見ますと、良いんです、というのが日本史の結論でして、実は当時から疾病払いといわれても当時の町衆も貴族も、おそらく神官僧侶さえも楽しんでいた、とみえる記録が描かれている。

やすらい祭、春の師団祭旅団祭連隊祭などが全国で幅広く執り行われる四月の第二日曜日に今宮神社で行われる祭事で、やはりこの由来は疾病払いの伝統行事なのですが、これは桜の散るころに疫病が流行り始めるという千年前の認識で始まった祭事なのですけれど。

安楽祭、夜須礼祭、いろいろ書き方があるのですが、やすらい祭、今年も第12旅団祭や第33普通科連隊創設記念行事などと重なる四月の第二日曜日に行われまして、昔はチラ見していた祭事、最近は祭事よりも戦車を追っている日と重なるという神事でもあるのだ。

鞍馬の火祭、太秦の牛祭、やすらい祭、これで京都三大奇祭を構成するという、実は北区の自慢の一つであったりするのだけれども、今宮神社では今年もこうした祭事が執り行われている、そしてコロナ禍下では非公開だけれども疾病払い行事を継続はしていました。

インフルエンザやコロナウィルスなど呼吸器系感染症は冬の疾病ですので、今宮神社の祭事である、やすらい祭、これはおそらくウィルスよりは細菌による感染症、つまり腐食と不衛生が原因となる疾病払いの行事で、祭よりも煮沸のほうが大事と今は言えるのだが。

奉幣使、という朝廷からの天皇の名代が派遣されて執り行われる祭礼は、要するにテレビもラジオも、この言い方自体が昭和的か、SNSもWeblogも動画サイトも無い時代においては、祭礼一つとって庶民の娯楽であったという、奉幣使は行列を組んで巡航するゆえ。

御霊信仰は本来高位高官が謀殺など無念を残してこの世を去った場合に祟る怨霊というものですので、要するに庶民からしますと謀殺する立場にもない殿上人の世界、これが原因でこの疾病です、となりますれば要するに打つ手なしとなる、ならば愉しむほかない。

COVID-19の際にも、まあ写真を出すのは相当先になりますが北大路機関はいろいろ写真を撮影しました、誰もいないあんな場所やこんな場所、公共交通機関も徒歩も自転車もなく自動車でね、つまり、非日常を愉しむ、という行動は実は日本人的といえるものです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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