■霊水湧く東舞鶴歴史情緒
舞鶴と云えば田辺城中心の西舞鶴こそが中心であった時代が長いのですが東舞鶴にも滔々と歴史が紡がれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/01/84c446b9ede51444136528e603e02dfc.jpg)
彌伽宜神社、“みかげじんじゃ”と読むこの社殿は軍港都市である舞鶴市の東舞鶴駅より徒歩十五分、舞鶴市森井根口に鎮座しています。東舞鶴駅は舞鶴基地最寄の駅でかつては更に中舞鶴へ路線が伸びていましたが廃線となり、基地まで徒歩25分の立地にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/c0/6cbe5b345b233d16d684e7d9a639f18e.jpg)
大森神社としても親しまれる彌伽宜神社は、東舞鶴駅から府道28号を基地とは逆の山手に向かった立地にありまして、列車運行間隔が微妙に長い舞鶴線や小浜線の列車を無為に改札前で待つのではなく、東舞鶴駅指呼の立地の社殿に詣でよう、と歩みを進めた次第です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/85/17409fcc96b3847379eb9eab062c6883.jpg)
夏の祭事は大名行列等、ちゃった祭りと舞鶴グリーンフェスタとともにこの東舞鶴界隈では、最近は艦隊これくしょん砲雷撃戦が加わりましたか、賑やかに執り行われますが、普通の終末の際には敢えての観光客も舞鶴基地の方へ行ってしまい、静寂が保たれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/7f/b2d0541bf1d9a1ac165594016d69fd39.jpg)
天御影大神と誉田別大神の二柱を奉じる社殿、その創建は崇神天皇御宇11年の西暦311年頃に遡るといい、崇神天皇は神話上の神武天皇以降、考古学上実在が確認されている最古の天皇となっています。市内由良川河畔の志高遺跡は縄文時代初期のものといい、納得も。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/fb/37992494d1e0adb8f8403a2533f4f0d8.jpg)
御霊水がいまもこんこんと湧き出す境内には、この御霊水こそが延齢泉として尊ばれ此処に神社が鎮座している由来という。実はこの境内とその周辺“蛇切石”という歴史遺構が伝承されていまして、海沿の内陸部には在りますが、ここは水に纏わる神社なのだな、と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/04/7f23aaf09cb204f575722919a68c5e61.jpg)
本殿の直下に井戸があるといいまして、境内にはこの水を湛えた池、そして池の中央に水神社の祠が鎮座しています。もっとも参拝したこの日には大量の藪蚊が大蛇の如く蜷局を撒き、境内ゆえに殺傷も憚られ、写真を撮影しつつ逃げまわっていたのですけれども、ね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/f6/685a813a1441b87ce3f261fae2430a77.jpg)
蛇切石の伝説とは、中世以前に美しい人間の姿を纏った蛇の姉妹と若者の交流と誤解に基づく対立を伝えるもので、最後に村の人々と対立した姉妹の片方は討伐されてしまい、祟りを恐れて切り分けて供養した、という。山麓の蛇伝説とは概ね水害を意味する事が多い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/35/139f38eb0a402693f7c1645139423434.jpg)
延齢泉という清水が湧く境内は、恐らく過去には丹波の山々から大雨の際には洪水を招き、これが伝承として残っているのでしょう。しかし清水が湧く一角は同時に農業にも不可欠な水源である事も意味し、東舞鶴周辺にかつて集住の始りを思わせるものと云えましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/dc/fffa17f6ff78fdc942b180b0d38566fc.jpg)
白鳥街道という西国巡礼街道が中世の頃から丁度舞鶴線と小浜線の位置に重なるように伸びていまして、彌伽宜神社は国宝絵画と西国札所三十三巡りで知られる舞鶴市東端の松尾寺へ至る中継地となっていました。此処の村落は宿場町であったのだと考えられましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/ad/c92d71029ace7df1a68e4c943b995248.jpg)
天御影大神と誉田別大神を奉じる社殿は、もう一つ、この神々が製鉄を司る神である事を付け加えますと、歴史を感慨深く見直す事が出来ます、日本製鉄発祥の地は出雲地方と伝わりますが、出雲地方とこの舞鶴は山陰道を経て実は通じているのですね。そしてひとつ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/29/42ea72f3a801d069095f20a03963d501.jpg)
横山別所鉱山や別所暮谷鉱山と舞鶴には中世から鉱山があり、製鉄と所縁はあったのですが日立造船舞鶴工場としまして、日本海側最大の建造ドックを有する舞鶴は造船の街でもあるのですね。現在はジャパンマリンユナイテッドですが、境内には日立造船奉納品も。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/09/b4529aedd225039633af943bea8e3cd6.jpg)
舞鶴海軍工廠の造船施設を継承した日立造船は、ユニバーサル造船と変わりまして現在はジャパンマリニュナイテッド、社名は変わっていますが金属加工を奉じる神社という事で近年も砕氷艦しらせ等、自衛艦を建造しています現代の舞鶴と所縁ある神社なのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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舞鶴と云えば田辺城中心の西舞鶴こそが中心であった時代が長いのですが東舞鶴にも滔々と歴史が紡がれています。
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彌伽宜神社、“みかげじんじゃ”と読むこの社殿は軍港都市である舞鶴市の東舞鶴駅より徒歩十五分、舞鶴市森井根口に鎮座しています。東舞鶴駅は舞鶴基地最寄の駅でかつては更に中舞鶴へ路線が伸びていましたが廃線となり、基地まで徒歩25分の立地にあります。
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大森神社としても親しまれる彌伽宜神社は、東舞鶴駅から府道28号を基地とは逆の山手に向かった立地にありまして、列車運行間隔が微妙に長い舞鶴線や小浜線の列車を無為に改札前で待つのではなく、東舞鶴駅指呼の立地の社殿に詣でよう、と歩みを進めた次第です。
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夏の祭事は大名行列等、ちゃった祭りと舞鶴グリーンフェスタとともにこの東舞鶴界隈では、最近は艦隊これくしょん砲雷撃戦が加わりましたか、賑やかに執り行われますが、普通の終末の際には敢えての観光客も舞鶴基地の方へ行ってしまい、静寂が保たれています。
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天御影大神と誉田別大神の二柱を奉じる社殿、その創建は崇神天皇御宇11年の西暦311年頃に遡るといい、崇神天皇は神話上の神武天皇以降、考古学上実在が確認されている最古の天皇となっています。市内由良川河畔の志高遺跡は縄文時代初期のものといい、納得も。
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御霊水がいまもこんこんと湧き出す境内には、この御霊水こそが延齢泉として尊ばれ此処に神社が鎮座している由来という。実はこの境内とその周辺“蛇切石”という歴史遺構が伝承されていまして、海沿の内陸部には在りますが、ここは水に纏わる神社なのだな、と。
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本殿の直下に井戸があるといいまして、境内にはこの水を湛えた池、そして池の中央に水神社の祠が鎮座しています。もっとも参拝したこの日には大量の藪蚊が大蛇の如く蜷局を撒き、境内ゆえに殺傷も憚られ、写真を撮影しつつ逃げまわっていたのですけれども、ね。
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蛇切石の伝説とは、中世以前に美しい人間の姿を纏った蛇の姉妹と若者の交流と誤解に基づく対立を伝えるもので、最後に村の人々と対立した姉妹の片方は討伐されてしまい、祟りを恐れて切り分けて供養した、という。山麓の蛇伝説とは概ね水害を意味する事が多い。
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延齢泉という清水が湧く境内は、恐らく過去には丹波の山々から大雨の際には洪水を招き、これが伝承として残っているのでしょう。しかし清水が湧く一角は同時に農業にも不可欠な水源である事も意味し、東舞鶴周辺にかつて集住の始りを思わせるものと云えましょう。
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白鳥街道という西国巡礼街道が中世の頃から丁度舞鶴線と小浜線の位置に重なるように伸びていまして、彌伽宜神社は国宝絵画と西国札所三十三巡りで知られる舞鶴市東端の松尾寺へ至る中継地となっていました。此処の村落は宿場町であったのだと考えられましょう。
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天御影大神と誉田別大神を奉じる社殿は、もう一つ、この神々が製鉄を司る神である事を付け加えますと、歴史を感慨深く見直す事が出来ます、日本製鉄発祥の地は出雲地方と伝わりますが、出雲地方とこの舞鶴は山陰道を経て実は通じているのですね。そしてひとつ。
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横山別所鉱山や別所暮谷鉱山と舞鶴には中世から鉱山があり、製鉄と所縁はあったのですが日立造船舞鶴工場としまして、日本海側最大の建造ドックを有する舞鶴は造船の街でもあるのですね。現在はジャパンマリンユナイテッドですが、境内には日立造船奉納品も。
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舞鶴海軍工廠の造船施設を継承した日立造船は、ユニバーサル造船と変わりまして現在はジャパンマリニュナイテッド、社名は変わっていますが金属加工を奉じる神社という事で近年も砕氷艦しらせ等、自衛艦を建造しています現代の舞鶴と所縁ある神社なのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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