イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

体験の解釈が世界を変える・・今も縄文時代も (2/10 年末年始に理想と現実を考える )

2021-12-27 | 第九章「愛」

若いころの事実は変えられないと思うが、その解釈は変えられる。特に私のような高齢者にとってはとても大事な領域だ。そして、ドミノ倒しではないが若いころの体験の解釈が変わると今の感情生活も好い方向に変わってくる。

ところで、私は30歳までは誰にも負けないくらい引っ越しが多かった。そのためか多くの思い出の品々は30歳ころからが圧倒的に多い。その中に毎年仕事を中心に使った手帳が何冊も残っていた。私は心理学に興味があるのでこれが貴重な生育史研究の財産となっている。

汗が染みついたような昔の手帳。汚い字の走り書きが多いが、書き込んだ当時はそれこそ日々の生活の為で、それ以上の何者でもないようだが、40年近くたってから読み返すと、今でも続いている大切な方との交流、既に亡くなられた方との交流が分かる。さらに、後日の体験で思い出の地となる場所を何気なく通りががかる自分を発見したりする(縄文関係が多いが)。あるいは、忙しすぎて体調を崩したり、生き甲斐を感じない日々が続いてこれまた体調を崩したりすることも見えてくる。昨日の話題ではないが自分の中の理想が変だったり、あるいは現実の解釈が変だったりいろいろあるが、体調を崩すまでに至る原因が結構わかる。

そして、その時々の意味を肯定的に考えると、肯定的というのが「生き甲斐の心理学」では鍵で、否定的に考えるより肯定的に考えた方がどうも得るものが大きい。脱線したが、解釈が肯定的になってくると、世界が少しづつ変わってくる。あの時、いろいろ助けてもらったことを思いだし、あの時目に入らなかった光景が見えてくる。そして、大切なものは当たり前かもしれないが生身の人間であり、リアルな場であることに気づく。

その感覚はコロナ禍の今と似ているようだ。コロナ禍も悪い事ばかりでなく良いことも少なからずある。記号に過ぎないような人間関係や軽薄な楽しみは荒波の中で消え去るが、本当に大事なことは逆に立ち上がってくるのだ。

さて、40年前の生育史の研究も大事かもしれないが、3000年、5000年、13000年前といった縄文時代も大事だ(縄文大好きで申し訳ない)。その時代は文字がなかったこともあり考古学的資料や科学的な様々な分野での知見でしか解き明かせない。日本列島は自然災害の世界的中心地であり、かつまた島国とは言えあちこちから人が集まり成立した文化圏である。そこに住んでいた縄文の祖先。信長や家康、天武天皇や聖武天皇、夏目漱石や石川啄木といった有名人のようではなく無名だが、現在の日本人のDNAの中に10%程度は入り込んでいるという最近の情報からすると、もし縄文時代の祖先が居なければ今の自分は生まれなかったともいえる。血縁関係がたどれない有名人より縄文の祖先が大事というパラドックスが成り立つかも。無名の祖先のお陰で今生きているのだろう。

2/10 年末年始に理想と現実を考える

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愛の原形を発掘する‥今も縄文時代も (5/10 明るく生きるには)

2021-12-12 | 第九章「愛」

傍から見ていると幸福なのにとても不幸だと言う人がいる。人それぞれの理想や夢と現実の把握の仕方の妙でそういった現象がおこるようだが、なんともったいないと思う時もある。

さて、U先生の生き甲斐の心理学を学び始めると「愛の原形」という言葉が出てくる。自分が大切にされたという経験が五感をともなって思い出される。原形というので幼かったり子供のころの経験が重要だったりする。こうした「愛の原形」は自分にとってはあたりまえのものだが、人それぞれであり大人になって例えば伴侶を得た時など、その原形が当然異なっているので、喧嘩のもとになったりもする。相手の「愛の原形」を知り自分の「愛の原形」を確認することはパートナーとの生活では結構重要なことなのである。

ところで、今の時代。昨日の常識が今日の非常識になったりする価値観の変わる時代。こうした時に愛の意味を深く考えることは大事かもしれない。世間の常識からちょっと離れて定評ある宗教書や哲学書を読んだり、映画なども見たりする。私は最近、島尾敏夫さんの「死の棘」の映画を見たり本を読んだりしているが・・・暗い小説などは嫌う人も多いが、光と影の関係でこうした小説に明るい世界への大きなヒントが隠されていたりする。こんな風にして愛の意味を思索することで変わってくるものがある。年を重ねて見えてくるものがある。

そして、過去の自分の馴染の「愛の原形」を再考し、これはちょっと変かなと考えたり、かつては考えてもみなかった経験を見直し再評価したりする。「愛の原形」の発掘。今回の最初の文ではないが、大切な人からよかったねと言われる経験を不幸と勘違いしていたこともあった。体験の解釈が変わると世界が変わる。

縄文時代の祖先の愛はどうだったのだろうか。文字もなく考古学的資料しか残ってないので結構難しいが、想像を羽ばたかせて考えてみる価値のあることがいくつかある。一つは壊されるのが当たり前の土偶がある。古代の環太平洋では一つの神話のパターンがあり、例えば日本神話のオオゲツヒメのように死んで五穀を生むというような再生の思想がある。これと土偶の破壊の現象(殆どの土偶は壊されて出土する)と結びつける学説がある。土偶を壊すことがある意味での愛という世界が広がっていたと解釈できるかもしれない。しかし、その中でも壊されないで完形に近い形で出土した土偶がある。自然災害でパックされたような土偶もあるが、あきらかに意図されて完形で埋められた土偶もある。秋に行った中ッ原遺跡公園での仮面の土偶もその珍しい土偶だ。

当然ながら個別の事情があったのだと思うが、その背景にどのような人が、どのような愛の原形の人がいたのか、とても気になるところである。もちろんこの「愛の原形」をネガティブにも考えられるがポジティブにも考えられる。

5/10 明るく生きるには 

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縄文時代に出家はあったか・・・(2/10 明るく生きるには)

2021-12-04 | 第九章「愛」

浮世の中で理想や夢を持って生きていても何か空しい。そこで浮世を捨て出家する。これは何も仏教だけでなく多くの宗教でも普通に行われることである。出家すると、浮世での理想と夢が消えるのでストレスがなくなり本当の平安感が感じられるのだと思う。浮世の理想や夢は富や名誉を得られるかもしれないが、ストレスを生む母体なのだ。私もかつて出家ではないが、会社生活をやめて全く違う世界に飛び込んだが、その時の解放感・平安感は忘れられない。

それならば宗教が存在していたといわれる縄文時代はどうだったのだろうか。恐らく信仰深い時代なので、同じようなことがあったと思う。かつて2017年に上梓した縄文小説では、仮説的に縄文中期の関東西南部・甲信の部族を離れる主人公を描いたものだ。主人公が丸木舟で大栗川を下り海へ向かうシーンはどこかで自分の疑似出家体験につながっているかもしれない。しかし浮世を完全に捨て去ることは今の世でも厳しすぎるので、部族内における宗教家といったところがいいとこかもしれない。

さらに、宗教家ように浮世を捨てるのは難しいかもしれないが、日常の中で浮世の理想と夢を限定的に放棄することはできる。旅行に行ったり、神社・仏閣・教会に行ったり、異文化に触れたりなどはそれにあたるかもしれない。

こうしたことは縄文時代でも当然あったと思う。環状集落の中央広場や環状列石での季節の祭儀、冠婚葬祭・・・

縄文後晩期の田端遺跡

縄文前期の阿久遺跡

江戸博での縄文2021が5日で終了する。先日5回目の見学をしたが、特に田端遺跡の245遺跡関係を念入りに見学した。ヒスイの勾玉、中空土偶の頭部、舟形土器、注口土器、各種土偶。祖先が浮世を離れて観た世界の一部を、私も浮世を離れて観たようだった。

巻頭の写真は吉野。

2/10 明るく生きるには 

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孤独感を感じたとき・・今も縄文時代も(9/10 自分の道が見えてくる)

2021-11-24 | 第九章「愛」

先日駅前で古書の露天市があり、ふと眼についた大岡信さんの詩集を衝動買いしてしまった。その中に湖水の波に関する歌があり、最後の3行を何回も読んだ。

底に透くきぬの砂には波の模様が……/それは私の中にもある/悲しみの透明なあり方として

この詩を読むことで自分の中のある感情が、どうも意識化されてきたようでだんだん整理されてきた。孤独感というのは不思議な感情である。人と言う文字が二つのパーツから成り立っているように、人は本来一人では生きられず他者を必要とする存在のようだ。そして孤独感は他者との関係に関する何らかの気づきを与える。巣立ちと言う言葉があるが、まずは幼児期から少年少女期になるときに試練がある。人間だけでなく動物も親が子に厳しく巣立ちを強要する時期があるようだ。それは、より大きい他者との交流の始まりを促す。少年少女期から青年期、青年期から成人期、成人期から老年。社会的な人間関係、配偶者等との関係、師弟の関係、年をとると共に他者との交流は大きくなってくるようだ。

孤独の感情も変換点で様相が変わってくる、疑惑感、罪悪感、劣等感・・・老年期の孤独は何だろうか。神仏との関係、世界との関係なのかな。そして、いろいろな心の原型を確認していくと、大岡信さんの詩ではないが、風->波->湖底の砂の波紋 というように不思議な因果関係というか型を見ることがある。ウツや怒りの原型を探っていくと、現在の自分の癖が見えてくる。傾向が分かれば対策が打てる。傾向と対策・・・どこかで見た言葉であるが、泥沼に陥らない方法や元気になる方法が見えてくる。

それから、美は辛い時の薬だと思う。美しい文章や詩、絵画や音楽、美味しい食事や外気浴。大岡信さんの詩もそうであった。自分にあった薬を常備しよう。

さて、縄文時代はどうだろうか。最近土鈴のことを時々考える。縄文中期の土偶には八王子の子抱土偶も有名だが、中空土偶でお腹に鳴子が入っているもの。そして明らかな土鈴があり、昨日も東京都埋蔵文化財センターの展示場で土鈴の音を聞かせてもらった。鈴は日本列島ではオリジナルは土でつくったものかもしれない。そして、それは母と子のような基本的な関係の音を意味しているのではないだろうか。孤独を越える愛の音。蛇足でした。

9/10 自分の道が見えてくる

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もう一度繋がる絆・・今も縄文時代も (9/10 愛と孤独と親密さ)

2021-10-29 | 第九章「愛」

石川啄木の名歌の中に次の歌がある。「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聞きにゆく」。この停車場は上野駅という説が主流だが、東北弁を聞きにわざわざ上野駅までというのはちょっと不思議な気がしていた。しかし、生き甲斐の心理学を学び、人とひとと(人と神仏ということもあるかもしれない)の心の繋がりという問題を考えてきたためか、なるほどと思うようになった。

仕事や家庭などで大切な人がいる。そして、お互いに親しくつきあっていたのに、あるときを境に表面的な部分では繋がっているように見えるかもしれないが、深いところで切れてしまうことがある。そして、長い年月が経ったりする。そして、ここが大切だが切れていることに孤独を感じ、繋がることができたらなと願うように。ただ、それは願いであって簡単には繋がらないものである。意識だけの問題だけでなく、人には無意識の領域もあるのだ。そんなある日、何気ない一言を呟いたことを聴いて突然繋がる。神秘的とも言えるような一言。しかし、それは決して煌びやかな言葉ではなく、懐かしい一言であったりする。啄木の場合であれば、訛り懐かしい一言。これは、私の半分妄想であるかもしれないが、ある一言でつながることができたのでは。

私も年をとってきて、より孤独を感じる年になってきたようだ。後期高齢者になったり80歳代、90歳代になれば(生きていたらの話だが)、もっと孤独を感じるだろう。そんなときに、言葉もあるが五感を通して誰かにつながり直す。これほど幸せなことはないかもしれない。

頭の写真は八幡平周辺(2015年)、次の写真は縄文時代中期のTN446遺跡の側の公園からの写真(縄文時代に信仰の山であった蛭ヶ岳と富士山が見える)

9/10 愛と孤独と親密さ

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