生き甲斐の心理学の生涯学習の一環で、現在論文を作成している。その関係もあり、自分の生育史をあれこれ理論をベースに思索しなおしている。ところが、これがなかなか楽しい作業になり、今日はロジャースの命題14で・・・とか時間をかけて妄想?すると寝るのが惜しくなるくらいだ(といって、よく寝られるのがロジャースの命題 笑)。
今の自分というものを考えると、祖先から通じる文化とか両親とか身近な人たちからの幼いころから今に至るまでの影響も浮かんでくるが、それだけでなく40億年の生命の歴史や20万年のホモサピエンスの歴史を含む身体、そして、実に神秘的な魂(宗教的な領域なのだろうが)、そして不思議な人生の出会いとか間の存在。
さて、眼を転じて縄文の世界を考えてみると。近くですぐにも行ける町田市の田端遺跡は縄文中期後半からのストーンサークルで500年間維持された。秋田の大湯遺跡などと比べるとかなり小規模であるが、冬至には西の丹沢山系の最高峰、蛭ケ岳の美しい頂上に日が落ちることが先人によって明らかにされている。
さらに、最近、古街道研究家の宮田太郎さんの資料を拝見する機会があったが、その中で蛭ケ岳冬至入日ライン上に府中の大国魂神社と八角形墳の稲荷塚古墳(多摩市)が載っていることに驚かされた。
冬至の入日を大切にした文化が、4000年前とかの縄文時代から7世紀の日本成立のころ、そして大国魂神社の前身の六所宮のころとめんめんと続いていたのだろう。日本のの縄文文化。かつては縄文は原始時代とか弥生時代以前とそれ以前は歴史的に断絶していると私も思っていたが、昨今の遺伝子研究や昨今の著しい縄文時代の遺跡の発見で、その常識は完全に覆ったようだ。縄文の祖先の血と文化は今に至るまで私たちに継承され、私たちを支えていたのだ。
日本人は、どういうわけか南向きの住宅を好む。自分でも不思議だったが、太陽や月の位置を観るには一番普遍的な方角だと思うようになった。暖かいということもあるが、季節や時間を知るためには南向きが一番便利なのだろう。写真は薬師池公園のアヤメだが、これも北向きの斜面であるが、南側に開けていて美しい花を咲かせていた。
なお、歴史でも生育史でもそうだが、それを受容するということ、それが大切だが、その方法は学校でも社会でも教えてくれることは稀有。生き甲斐の心理学は結構時間のかかる学びであるが、この学びをとおして随分違ってきたものだ。
古代人は真実を大切にした 4/10