時代の流れの中で言葉はまだ文字として残されやすいが、歌や踊りはどうなのだろうか?この問いかけは民俗音楽の研究者から教えていただいた。もちろん、残されにくいのである。
嘗て私の幼い頃といえば、のど自慢というとだいたい、民謡がメジャーであった。当時は学校で習った音楽には馴れていたが、方言、こぶしや三味線といった何となく古くさいものは嫌だった。時は流れて、今では演歌も含めかつての民謡は影を潜めてしまっている。世界に羽ばたくミュージシャンもいるので、それで良いようにも思うが、自分の表現力の根っこをどこか失ってしまっている気もする。
私は人間なのだが、もっとぴったりした言葉として「いきもの」という言葉がある。「いきもの」は人間だけでなく動物も植物をも含んでいるように感じる。ひょっとしたら無機物まで含む感触がある。「いきもの」なので当然ながらその物理的な実態もイメージできるし、その中で息づく魂もイメージできる。そして、言葉も歌も踊りも、普通に息しながら営むものである。言葉も方言があり、昔は東京東京育ちの私は広島の祖父母の言葉を久しぶりに聴くと初めはなんだか分からないものだった。歌などの音楽は、言葉以上に微妙で祖母が三味線を弾いている光景は遠く感じられた。風土はそこに住む人に、風土の多様性を表現させようとし、包容力の無い人を吹き飛ばすようでもある。
例えばこぶしというものがあるが、これは西洋式の音符の世界では表せないものかもしれない。奄美大島出身の城南海の歌を最近よく聴くが、明らかに何か違う。それは、言葉そのものや西洋式の音符の世界をくぐり抜け、縄文の香りをもたらす(すみません勝手に妄想しているのです)。
脳科学から心の健康を考えたときに、歌と踊りは大事だと聴く。それは自分を「いきもの」として実感するなかで歌い踊ることなのだろう。
この方面の私の活動はどうだろうか。気功・太極拳を少々やっているが、歌はどうだろうか?縄文の人々はどのように歌い踊っていたのだろう?とても興味がある。
生き抜く力② 8/10
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森 裕行 | |
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