
この写真は若き日の卒業論文の発表風景である。髪がふさふさで、ふーんという感じであるが、丁度、心理学者ブルンスウィック氏のレンズモデルの研究が、いろいろ専門化しつつ分かれていくところを説明しているようだ。1975年のこと!もう、40年前のことである。ネットで調べると、運が良いのかいまだに意思決定理論の一つとしてレンズモデルは話題に上っているようで、少し誇らしい気持ちもする。
しかし、自分の人生は、ずっとレンズモデルの研究をしていたわけではなく、当時としては想像もしなかった世界に流れて行っているようだ。ただ、当時の自分の傾向や渇望は、今でも、それこそ1975年の模造紙のように脈々と形は変わっても、それほど変わってないところもあるようだ。
昨晩から、夏目漱石に関する本を読んだり、縄文小説のことを考えたりしているが、人生は普通にドラマチックなようだ。人それぞれの基本的な渇望や傾向。それは、不思議に人生に多大な影響を与えつつ、人それぞれ独特の道を歩まさせるようだ。
夏目漱石の幼年時代は三つ子の魂100までも、と考えると決して幸せだったなどとは言えないようだ。それが後を引いたのだろうか、イギリス留学で心の病気になったりする。しかし、その中にあっても、若いころは建築家、その後は学者、そして小説家の道に流れていく。明治元年に生まれた漱石なので、まさに時代の大きなうねりの中で育ち生きていくわけであり、その生きざまはとても勉強になる。
自分の中のネガティブな傾向と渇望の処理のしかた。あるいは、アイデンティティや生き甲斐といったポジティブな面の伸ばし方・・・このテーマは意外におもしろいかもしれない。
自分はどこへ流れていきたいか 1/10