縄文カレンダーは小林達雄氏により提唱され、かつてはそんなものがあるのかと驚いたが、ネットで縄文カレンダーなるものを調べてみるといろいろあり感心する。これは私たち現代人が考古学などの知恵から作った縄文人のカレンダーであるが、当の縄文人はどのようなカレンダーを意識し使っていたのだろうか。
狩猟採取の縄文人は農耕ではないのでカレンダーなどなくても大丈夫かのような印象があったが、実際は畑作もあるし狩猟や漁労も季節性があるので、カレンダーの重要性は私たちと変わらなかったと思う。もちろん形態は日めくりカレンダーに置き換わるある種のモノだったかもしれないし、同時代のその道に長けた専門家からくる狼煙のような合図だったかもしれない。
縄文人の生活。今と違って、例えば何百種類の植物を食べるだけでなくいろいろ利用していたり、もちろん狩猟や漁労もあるので、動物の生態情報もある。さらに竪穴住居や木器・土器・籠。皮づくりなども季節や時期の特性を考えなければうまくつくれない。このあたりまでは簡単に想像できるが、私は旅もカレンダーと関係が深いと考えている。塩や石材の確保など遠隔地との交易は今もそうだが極めて重要、日数も労力もかかるので、いつでも良いということはない。部族のネットワークというか人的交流・配偶者のこともある。宗教行事も当然で冬至など二至二分の行事、人の誕生、成人、結婚、葬式もカレンダーのお世話になる。
法事もスケジュールというかカレンダーが基盤。かつては檀家システムがお寺で重要なものだった。魂の世界もカレンダーなしでは成り立たない。縄文時代も何らかの決まりがあったと思う。
今はカレンダーは世の中に芸術的なものも含めあふれんばかりあるが、縄文時代の縄文人が考えたカレンダーも今と概念は違うかもしれないが確実にあったと思う。井戸尻考古館発行の井戸尻に掲載されている四方眉月文深鉢をはじめカレンダーに関係すると思われるものが土器等は確実にある。それから縄文後期には口縁部に5や7つの突起の意味深な深鉢などが結構目につくが、これと陰陽五行説などとの関係はどうなのだろうか。大陸との関係も当然あるのだろう。
カレンダーの本来の姿は生命体の流れをスマートに整理したものだったかもしれない。それゆえカレンダーは心を癒す効果もあるようだ。かつて、混乱の中で日々を送っている中で、二十四節季を意識することの大切さを学んだ。自然を観察したりするとか、月や星などの天体を観察することもカレンダーをお供に意識してみると何か元気になる。
世界は自分を中心に回っているかもしれないが、自分とは別に不思議なカレンダーという中心点もあると気づくと救われるものだ。といって、普段はカレンダーを見て慌てているが。
写真は春分のころの田端環状積石遺構。
縄文世界を感じるとき 9/10
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森裕行
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