J2クラブ紹介シリーズ・その14です。いよいよこのクラブ・東京ヴェルディの登場です。こちらのクラブは、当ブログでの紹介記事も多く、余りにもいろいろと思い入れが多いので2部構成でいきたいと思います。
'93年にJリーグが華々しく開幕を迎えた訳ですが、それまでの日本サッカー界を知らなかった私にとっては、ヴェルディイコールJリーグの歴史というイメージが強かったです。Jリーグバブルから、企業から地域への移行、クラブ経営の困難さと紆余曲折を経てきた、大変存在が重いクラブであり、個人的に敬愛しております。東京ヴェルディⅠ編です。5月20日(水)の第16節アウェーの相手です。
'69年に「読売サッカークラブ」の名で、日本初のクラブチームとして設立し、東京都リーグBに加盟。'72年にJSL2部、'78年に1部に昇格。JSL5回優勝、天皇杯5回優勝、JSLカップカップ3回優勝という戦績です。
'91年にJリーグ加盟。最初の名前は今でもはっきり覚えていますが「読売ヴェルディ」でした。この名前のチームの時が一番輝いて、かつ強かったです。スター選手が数多く活躍し、煌びやかなチームでした。
東京にJリーグ規格のスタジアムがないために、川崎市の等々力競技場をホームとし、'94年から「ヴェルディ川崎」というチーム名になりました。ホームタウンが東京都に移転した時に、東京ヴェルディ1969に改称。'08年よりチーム名から「東京ヴェルディ」に戻りました。
現在のJリーグが謳う下部組織の充実と地域に根ざした活動をいち早く実践したのはヴェルディだったと言われています。
J開幕時は本当にスター選手揃いでした。ラモス、三浦カズ、北澤、武田など。Jリーグの中で一番カッコ良かったチームだったと個人的に思ってます。'93年で初代Jリーグ年間王者になってますが、私はその前年の第1回ナビスコカップをよく覚えています。J開幕直前でユニフォームもJSLとJの間の中途半端な派手さがあるデザインでした。つまり、コカコーラのあのキラキラするユニから光沢だけを取った感じだったですね。
開幕戦も覚えています。ゴールデンタイムのTV中継をみんなでワクワクしながら観ていました。マイヤーのJ初ゴールが決まり、てっきりヴェルディが勝つのかと思っていたら、マリノス勝っちゃったと。
それからはJリーグのチケットはすっかりプラチナ化してしまいました。当時は東京に住んでいましたが、バブル現象はすごかったですね。あとしばらくの間、Jリーグが普通にラジオ中継されていました。帰りの営業車の中で中継聞きながら、首都高を走っていたものでした。懐かしいなぁ。初期のヴェルディはまさにJリーグバブルとリンクしていたイメージが強いし、そういう思い出が多いです。
'98年から日テレが全額出資となり、チーム名が「FCニッポン」に変更されましたが、えっ、何かの日本代表なの?と違和感を覚えた覚えがあります。
'01年にホームタウンを川崎市から東京都に移転し、ホームタウンである稲城市の他周辺の多摩市、日野市や地元企業も出資、'08年に立川市も出資し、日テレの資本は8割以下になってます。
'04年度の天皇杯優勝で8年ぶりのタイトルを奪取するが、'05年にJ2降格決定。年間王者の降格はJリーグ史上初だそうです。'06年からは、当ブログの「カリスマの存在」シリーズの初期によく登場していたラモス氏が監督に。'07年には監督解任騒動が大きくなりましたが、何とかJ1復帰。ラモス監督は勇退。
しかし、'07年を戦って1年でJ2降格決定。その後、サポーターとも関係が冷え切る状態となり、経営的にも苦しい状況になったようです。
Jリーグバブルの頃は、ヴェルディとマリノスはプロ野球の巨人・阪神みたいな存在になって、引っ張って行くんだなと思って観ていました。しかし、バブルがはじけて横浜フリューゲルスのように消えていくクラブが出てきました。
ブームが去り、かつての北米リーグのように、リーグそのものの危機感が頭を覗けてきましたが、川渕チェアマン(当時)とナベツネ氏とのバトルに象徴されるように、最初から企業名でなく、地域名を冠したクラブ作りをし、地域密着型の欧州型クラブ経営を心がけてきたために、一時期の危機を脱する事ができました。
今思うに、もしバブルの勢いで企業クラブ型で行っていたら、リーグそのものが消えてなくなっていたかもしれませんね。そういう面では、初めからドイツのスポーツシューレを理想とするクラブ作りを一貫して推し進めて来られた川渕氏の功績は大きいと思います。
そのJリーグバブルと現在の地域密着型クラブ経営の狭間でもがき苦しまれているのではと個人的に思うのが、ヴェルディです。かつての栄光を取り戻さんがために、有名選手に手を伸ばしていったツケが、ここ数年スポーツニュースを賑わしているお家騒動を引き起こしているのではないでしょうか。
先日、桃太郎スタジアムに、三浦カズ選手が来られました。私も含めてヴェルディ時代のカズ選手を知っている人は、大勢観に行きました。これって、あの当時のヴェルディの遺産とも言うべき現象ではないでしょうか。その遺産に岡山の街も歓喜しましたが、それはそれで・・・楽しかったですね。
大事な事は、カズ選手のような「カリスマの存在」を岡山も早く生み出すべきではないかと思います。その存在はファッションであり、文化であり、集客手段です。それは決して選手とは限らないと思います。
Jリーグ元年は、物珍しさもあって集客がある程度進むと思いますが、これが今の成績で何年も経ってきたらどうなるのか。木村社長が「阪神タイガースのように、いくら負けても変わらず応援してくれるチームになりたい」と言われていましたが、阪神タイガースも存在そのものがカリスマの存在ですからね。
どうやったらカリスマ性を生み出せるのか・・・難しい話だ・・・Ⅱ編へ続く