物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

男女平等化のレベル

2013-11-16 12:36:59 | 社会・経済

男女平等化のレベルは政治の問題かもしれないがよくはわからないので、社会・経済に分類をした。

昨日か一昨日日本の男女平等のレベルが世界で115番か105番でとても低いということだった。この評価は健康。教育、政治、経済の4つの分野での評価を総合したものである。

日本では健康の分野での男女平等は進んでいて世界でも上位にある。また、教育分野でも先進国とまではいえなくてもそんなに悪くはないらしい。

ところが政治と経済の分野ではどうもとても悪いらしい。政治の分野では先回の衆議院選挙と参議院選挙では女性の当選者がぐっと減ったらしい。

また、会社の経営陣に加わっている女性もそのパーセントは少ないらしい。こちらの経済の方は民間のことであるので、なかなか是正が難しいかもしれないが、政治の方の是正はするつもりになれば、それほど難しくはないと思われる。

女性の候補者の割合を強制的にたとえば25%を割り当てる法律をつくればよい。もちろん最終的には50%ずつなることが望ましいが、それはすぐには実現しないだろうから、当面は25%を目指す。これぐらいができないようでは日本の政治の保守性を打破できない。

もちろん、女性だから進歩的な人だなどと私は幻想を抱いてはいないが、政治が大きく変わる機会となることは間違いがない。

少子高齢化とかを心配する人もあるが、まずは女性が子どもを育てながら安心して働くことができ、そしてそういう仕事を提供することができるような社会になれば、少子高齢化は心配することはない。ところがそういう社会をつくるとかいう気があまりない。

それどころか普通の人ですら、派遣社員として給与を安く雇い、かつ解雇を簡単にできるようにするというのではまったく企業は何をしているのだろう。

もし解雇を容易にするのであれば解雇された時の保証を厚くして、かつ、つぎの会社に勤める手助けを研修等ですべきことであろう。

少子高齢化となるにはそれなりの理由があるだろう。その原因をなくす努力とか政策を打ち出す必要があろう。


将来生き残る産業は?

2013-10-28 11:00:47 | 社会・経済

先日のドイツ語のクラスで「将来生き残る産業は何か(Was f"ur Industrien bleiben noch in der Zukunft?)  」という議論がドイツでしきりに行われているという話が出た。

その一つに運送会社(Bef"orderungsunternehmen)があるという。これはSF映画のスタートレックでは人間などもビーム転送(beamen)できるが、このようなことは現実にはいくら技術が進んでも実用化するとは思えない。

これが困難であるのは物質をエネルギーに変えて再度そのエネルギーを物質に戻すということができないからである。それは情報がすぐに電波で世界中を駆け巡ることとは全く違っている。

そうすると実際にトラック、バス、船、航空機、鉄道等でモノを運ぶ必要はなくならない。いや、モノだけではない。人をも運ぶ交通手段でもある。

妻によるとだんだん人の移動は少なくなるだろうとはいうが、それでも全くなくなることはなかろう。

自宅で勤務して働くということがもっと一般化するかと思ったが、それはそれほどは一般化していない。もちろん、補助的には自宅での勤務もできるようにはなっているとは思うが。

将来まで残る職業はやはり医療、教育、介護に加えて交通運送業であろう。教育はすでに無料のインターネットの講座がどんどん普及しているが、それでも私は人と人とのつきあいとしての学校の意義を低く見るつもりはない。

医療は人間が生きていくために必要不可欠だし、老齢になれば、必ず介護のお世話になる。

ある業種が構造不況に陥ったときにそれから抜け出す方法はなかなか難しい。愛媛県今治市では昔綿織物が盛んであったが、それは他の地方の綿織物産業に地位を奪われてしまった。

そして、今治では綿織物に近いが、それとは違う、タオルの製造に特化して、成功をしている。これは構造不況に陥った業種や分野の脱出とか展開のための一つのやり方を示している。

すなわち、今まで持っていた、技術経験を生かしながら、それでも違った分野への進出を意味している。これは一つのヒントであろうか。


IT産業は人手不足

2013-07-18 13:00:02 | 社会・経済

2年振りに次男と会って話をしたら、彼の勤めているあるITの会社も人手不足だという。

今年も大学生を4人の人に会社の内定を出したのだが、だれも来てくれなかったと言っていた。

だが、誰でも雇うことができるわけではないという。ある程度の知識と素養が必要であるという。それがどの程度のものであるかは聞かなかったが、なかなか深刻である。

一方で、非正規社員が多くなって、働いている人が1000万人を切ったと言われている。むかしなら、標準家庭とは父母に子ども二人の4人家族であったが、いまではそういう家庭がとても少なくなった。

多い時には1500万人もいたそうだから、500万人が職がないのであろうか。もちろんまだ日本はEUのスペインとかギリシアほどの失業率ではないが、定職がない人がかなりいるのは間違いがない。

パートタイムや非正規雇用で働いている人が多いということであり、それはこれからも改善される要素は少ない。だが、政治の情勢を見るとそれらの問題点について働きかけて改善しようとするという具体的なプログラムをもった政党はない。

これはもちろんなかなか難しいことではあるだろうが、しかしどうでもいいことではないはずである。

だから、IT産業でもほしい人材の育成が大切なこととなるのだが、いまでは企業は自分の力で人材を養成するだけの経済的な余裕がない。したがって、公的な機関でそういう人材の養成をすることが求められるのだと思う。


森永ヒ素ミルク事件

2013-05-28 10:53:24 | 社会・経済

5月25日(土)に森永ヒ素ミルク事件の被害者の援護をして来られた方の話を伺った。

1955年8月に乳児に原因不明の病気が広がっていたことが明らかになった。これが森永ヒ素ミルク事件が公になる発端であった。そして翌年の1956年6月にこの病気が乳児に飲ませる粉ミルクにヒ素が混入してことが発表された。

このことは不幸な事件であり、死亡者130名、被害者12、131名ともいわれるが、潜在的な被害者も含めるともう少し多い幼児が被害を被っていると思われる。

もちろん、それに抗議する運動は直ちに起こったが、その運動のやり方が悪かったために、まもなくその運動はつぶされてしまった。

それからほぼ10年ほど経った1968年に大阪の養護教諭を中心にして保健師らが調査活動にのりだした。その結果は1969年にその調査結果が公衆衛生学会で報告された。

それから新しい守る会の運動が展開された。以前の抗議運動の反省教訓から「賠償の金はとらない。親の犠牲には目をつむる。被害者の子どもに恒久的な保障を」をモットに運動を展開した。

1973年に国、会社、被害者の子どもを守る会の三者が三者確認書を取り交わすことができた。この結果会社は被害者の子どもを守るための費用を継続的に支出することになった。

これは事件自身は不幸であったが、かなりいい解決法であり、こういう事件の解決の手本ともいえるものであった。

それで、いまでも森永のイメージはまだ十分に回復しているとは言えないまでもその事件の事後処置としてはいいものであり、他の同様な事件の解決策として見倣うところがある。

それにもかかわらず、残念ながら水俣病のようにその被災の基準を巡ってトラブルが絶えない。

なぜ人はこのようないい例を見倣えないのだろうか。もちろん、森永乳業が大きな会社であったというようなこともあるだろうが、こういう解決の知恵を学びたいと話を聞いて思った。


株高、円安、長期金利高

2013-05-15 12:46:38 | 社会・経済

日銀の金融緩和政策で円安、株高までは予想通りだったが、思わぬ長期金利高になった。

これは一時的な現象だとは思うが、国債が売られて国債の価格が安くなったことによるという。

今朝、新聞で知ったとかでそのメカニズムを妻から教えてもらったが、すぐにそのメカニズムを忘れてしまいそうである。

新聞を見ると、その詳しい説明が数字をつけて説明がされていたが、これをもっと図解するとかなんらかの方法でもっと直観的に説明はできないのだろうか。そのことは私の密かな(数学教育上の)課題となった。

その課題は解けてはいないが、長期金利高のメカニズムを言葉で説明すれば、

国債の購入価格は額面ではなく、そのときの市場での取引される量によって額面から上下しているから(実はこんなことも私は知らなかった)(注)、国債の購入によって期待される金利も増減することになる。

国債の価格が額面よりも安ければ安いほど、金利は上がってくることになる。

なぜなら、国債は国債をもっている人に10年後にあらかじめ決められた定額の利息を払うという約束なので、もしか国債の価格が額面よりも安いのならば、金利が上がったことになる。

それを基準にして銀行の長期金利を定めるので、長期金利が上がるというわけである。

それにしても経済はまさに生き物である。

(注) 国債の売り出しのときでも額面よりも低い価格で銀行は日銀から入札により購入しているらしい。


逆襲のシナリオ2

2013-05-14 11:00:49 | 社会・経済

日曜日の「逆襲のシナリオ2」の放送は国家の政策だったが、その技術の中心としては3dプリンターであったが、日本にはモノづくりのknow-howがあるのだから、それと3dプリンター技術の融合をせよというのが眼目だった。

そして、具体的な政策としては

1) 市場をつくれ

2) 研究成果を製品として市場に出せ

3) アジア市場の開拓せよ

の3つであったが、前日の企業の話ほどはインパクトがなかった。

少し細かく述べると1)では介護用ロボットがこれから重要になるだろうとか、制度創造という語が頭に残った。2)では研究・技術発展・製品開発・事業化の4つのプロセスの促進である。3)ではODAの利用とJICAの活用と助力である。

3dプリンター技術はアメリカが進んではいるが、材料の加工等のデータをもっている日本の強みを生かせるとのことであった。

日本だけがよくてほかの国はどうでもいい(これはある種の国粋主義であろう)とは思わないが、日本独自の特色を生かすことは賛成である。


逆襲のシナリオ1

2013-05-13 13:51:36 | 社会・経済

日本の経済が不振に陥っているというのは周知のことだが、それをカムバックさせるには?

というのが土曜と日曜のゴールデンタイムにNHKが放映した「逆襲のシナリオII」である。I の方は見ていないのだが、この2回の放送はとても興味深かった。

土曜は民間企業の取り組みを報道するものであり、マツダ、京セラ、パナソニック、京都試作という企業とか企業連合の取り組みが報道された。

大きな企業では社会または世界の人々の要求しているもの、求めているものを提供するという姿勢から離れて自分たちが提供したいものを提供しようとしていたとの反省から、機動性をもった少し小さな事業部制をパナソニックではとり、世界や社会の要求するものを製造するという姿勢に変えたという。

京セラではアメーバといわれる小さなカンパニーがすべてを企画・開発・製造するという。そういうアメーバの数が多くあるらしい。

だから、一つの企業の中でうまくいかないアメーバがあっても他のアメーバがうまくいくと企業全体では利潤を生みだすし、またうまくいかなったからといってもそこから撤退をして、別のアメーバで今度は成功するという例もあるらしい。

そういえば、巨大なソ連という国家が解体せざるを得なかったのも官僚主義とその計画経済の機動性のなさの破たんであったろう。

それは資本主義の大きな企業でも機動性に欠けると同じ運命が訪れるということであろう。

そして、日本の企業のつくる製品の高品質とその信頼性という点では他国の製品の追従を許さないので、そこがキーとなる概念ではないかという示唆がされていた。

そういえば、朝日新聞で中国に特派されている編集委員の記事に広州の日本のスーパー「イオン」から出てきた中国人の消費者に聞くと日本の食品を安全性の信頼性が中国の食品に比べて高いということだった。

そうするとこの信頼性というキーワードは大切な日本ブランドの要素になろう。中国人は自国生産の食品が安全性の観点からみて、中国人自身も危惧をしており、領土問題のことをあまり気にはしていないらしい。


トヨタ増収

2013-05-09 09:55:11 | 社会・経済

トヨタが昨年の業績がよかったという。それでNHKによれば日本経済に活気がもどることを期待されている。

これは自動車産業は裾野の広い産業だから、トヨタが増収になれば、その関連産業が潤えば、日本全体とまでは行かないが、トヨタの周りの産業については少し先行きが見えてきそうである。

先日は悲観的な見方を述べたので、今日は少し楽観的な方の見方を述べてみた。スバルという名の車で知られる富士重工業も増収で黒字だという。

先日の悲観的な見解の背景にはシャープとかその他の電器産業の下請けが韓国とかベトナムに出て行き、そこでまた韓国の下請けとか関連企業と競争になっているという話をもとにしている。

そしてこれらの電器産業の下請け等はもう日本には円安になっても帰って来そうにはないということであった。これも多分本当であろう。

また自動車産業もアメリカでの現地生産とかとかインドでの現地生産というか現地の企業との合弁会社ができているという話を聞く。

だから、リフレ派の経済学の予想のいくらかは違ってくるかもしれないし、またある点においては予想と一致すると思われる。それでそれの評価をどうするかということが最後には問題となるのであろう。


円安で企業は日本に帰るか

2013-05-07 12:02:16 | 社会・経済

「円安で企業は日本に帰るか」という課題は国の経済政策にかかわる。

昨日の朝日新聞を読んだら、どうもそれはあまり期待されないという結論だった。リフレ派の経済政策では「円安で企業は日本に帰る」と期待しているが、どうもそういうことは起こりそうにない。

私は根底からそういう経済政策に疑問をもっていて、そういう考えではもういけないのではないかと思っている。

だが、どうしたらいいかというのはなかなかわからない。教育を十分にして知的レベルが他のAsean諸国とか、韓国とか中国とかよりも高くならないといけないのではないかと思ったりしているが、これだって望み薄である。

韓国は受験競争が日本よりも過酷なところである。アメリカへの留学者も日本よりも韓国人の方が2倍以上多いとかいう。

中国のエリートのレベルはすごいものらしく、東大を卒業して朝日新聞の記者になった、日本での優秀な方がいつだったか書いていたが、中国のエリートの学生の能力とパワーにはアメリカの大学に留学したときに脱帽だったらしい。

そう考えてくるとなかなか日本の国の希望はあまりない。私などが数学の教育教材としていろいろなことを調べて数学エッセイとして書いていることなども実はそういうことを少しでも何とかしたいという気持ちの表れなのだが。

しかし、私の数学エッセイなどが重要なものとして受け入れられる雰囲気は国全体としてはあまりない。

むしろ、一部のエリートの人たちを除いて、日本ではあまり教育には関心がない。また、経済的に困窮した家庭などで小学校とか中学校等への両親からのクレイ―ムが強いとも小学校の先生たちから聞く。

モンスターペアレントとか言われている。ところが、これは実は社会で働くのに適当なところがなくて、収入が十分でないことの憂さ晴らしとして学校に注文をつけるようなところもあるとか。

そうなると、どこかでこういう悪い連鎖の鎖を切らなければならないのだが、なかなか難しい。

そして企業は生活のレベル差の賃金の安さに引かれて、海外に出て行ってはもう日本には帰って来ない。

中国がダメなら、ベトナムがあるさ。ベトナムがダメなら、インドがあるさ。インドがダメなら、アフリカがあるさ。・・・・。

もちろん、行けるところまで行くしかないのが、現実ではあろうが、それにしては知恵がなさすぎるのではないか。上に述べたような根本のところから考えて解決をすることがやはり望ましい。


Learning from barefoot ・・・

2013-03-26 12:01:07 | 社会・経済

TEDカンファランスの再放送でBunker Royというインドの社会活動家の話を見た。前にも感動したのだが、今回も再見してやはり考えるところがあった。

Royはインドの貧困な村人の生活を改善することを試みている。そこで基本は飲み水の確保とエネルギーの自給である。雨水を地下に多量に貯める設備をつくっており、4~5年間の渇水に耐えることができるという。

また、エネルギーは太陽光パネルを使って電気を確保しているという。その太陽光パネルを設置している技師は50歳代の女性である。男性はcertificate(証明書)をほしがるが、女性にはそういうところがないという。男性はcertificateをもって都会に出ていき、そこで働く方を選ぶ傾向にある。

村を緑化するために学者に聞いたが、この辺を緑化することは絶望的だと言われたが、その土地の長老に聞いて、その知恵にしたがったら、これこのように村を緑化できたと写真が見せられた。ともかく緑化は達成された。

これはしかし学問的な知識や技術が不要だということを示すのだろうか。私はそうではないと思う。そういう貧しい境遇とか環境で暮らしている人々の持つ生活の知恵を私たちがまだ十分に学んでいないということを示しているのであろう。

子どもたちは昼間は家畜の世話や何かで学校へ行く時間がない。しかし、夜なら学校に来て学ぶことができる。環境に反するのではなく、環境にあわせた学習の場を設けている。そこらあたりが場に、環境に適した活動を行うという、Royの面目躍如たるところである。

経済についても政府とか世界銀行からの財政支援を待つことはないという。金融緩和に頼らなくても生きていける。そういう方法は日本でもないのか。

食物とか医療とか介護についての話はなかったが、それらについても知りたいものだ。

だから、Royの話に感心するだけではなくて、私たちの生活にRoyの思想がどう生かすことができるのか考えるときではないか。


再生可能エネルギー

2013-03-16 12:16:15 | 社会・経済

昨日、再生可能エネルギーについてのドイツ大阪神戸総領事の講演を松山市のコムズで聞いた。ドイツでは再生可能エネルギーによる発電のうちで風力発電が30%とかなりの割合を占めていることを知った。

ドイツは日本と比べれば、高緯度に位置するので多分風が日本よりは一般的に言って強いからであろう。それに比して日本では太陽光発電の可能性がドイツよりもはるかに大きいのではないかという講演での指摘はまったく正しいと思われる。

だが、要するにこれはそういう政策を国がとるかどうかにかかわっている。そういう政策を国は取って来なかった。そして今原発が止まっているという段階で電力の価格が上がるという事態になっている。これは国の政策の悪さの表れだと思うのだが、それが政治には反映されていない。

ドイツにとってチェルノブイリ原発の事故は他国の原発といえどもその放射線被害は国境などは関係がなく、被害を受けるのだという1986年の経験はとても大きい。

チェルノブイリ原発の事故のとき、日本の電力業界で言われたことは日本の原発はまったくチェルノブイリとはまったく違ったタイプの原発であるので、日本ではこのような事故は起きないということだった。

その当時、世の心ある識者からはそんなことはないはずで、事故はどの原発にでも同様に起こるという警告が発せられていたが、そんなことはまったく顧慮されなかった。政策のミスというか過ちだが、そんなことは当時の政府も現在の政府も頬かむりしたままである。

誰も責任を取らない無責任体制である。そして、東電の副社長をしていた人の発言として、聞くに値したのは高木仁三郎氏の意見ぐらいであったという傲慢な述懐が津波で福島第一原発が事故を起こした後で新聞に出たのを覚えている。

そんなことはなかったはずだ。日本の中でも10人以上の方々が原発の危険性を大いに訴えていたはずなのに。それらの方は発言はなかったことにされている。

もちろん、かなり程度の低い発言をされた方も中にはあったかも知れいないが、それはほんの一部の人であり、数十人の識者の中の大多数はまっとうな発言をされていたと思う。

それはともかく太陽光発電は日本では地熱発電とともに大いに可能性がある分野であろう。風力発電についても洋上発電が有望視されており、ここに開発の余地があると思われる。

それと昨日の講演で聞いたところではこの再生可能エネルギー関連事業で数十万人の雇用が生まれるということである。ドイツでは確か約36万人の雇用が創生されたということであった。


中年の失業

2013-02-26 12:50:54 | 社会・経済

お隣のご子息が中年になって病気になり、勤めていた会社を辞め、その後臨時的な職には就いてきたが、その後も定職がなく、とうとう住んでいた家の家賃の払いもままならぬとかで、何十年ぶりに同居をするという話を聞いた。

これは他人事ではない。いつ私の子どもたちもそういう運命に見舞われるかもしれない。病気になり、その療養をした後で、また仕事に復帰しようとしたときに勤め先を見つけることがとても難しくなっているからである。

半導体のことを職にしていた人たちが半導体製品の売れ行きが悪くなったとかで、解雇されたり、自発退職を求められたりする。そのときに、自分は半導体の専門家だといっても、もうどこでも雇ってくれないかもしれない。

知り合いに早期退職をして一時無職だったが、そのうちに次の職を見つけてまた働いている人がいる。この人は半導体の専門家ではなかったが。

この人はテニスで知り合った知人だが、彼の子どもがまだ小さいので、定年退職のころにはまだ子どもは大学生だから、60歳を過ぎても働かなければならないと今年もそういうことを年賀状に書いていた。

妻が言うには、日本国内で仕事がなければ中国でも東南アジアでもどこにでも仕事先を見つけるたくましさが必要なのではないかという。それには外国語の中でも世界共通語である、英語が少しでもできることが必要なのではないかと。

技術関係の人は英語がはじめ、たどたどしくても実際に具体的なものがあり、場面があるので、なんとかクリアできるものだと言われている。要は飛び込む勇気があるかどうかの差かもしれない。

その例とは言えないが、姪の夫は技術関係の職だが、会社から派遣されて中国の深圳で今働いている。

派遣は2年間という約束だが、姪の長男がお父さんに一人ついて行って、インターナショナルスクールに通っている。2年で帰って来ると高校を終了しないので、もう1期中国にいたほうがいいのではないかとは私の意見である。さてどうするだろうか。


1%と2%との違い

2013-02-14 11:00:09 | 社会・経済

「1%と2%との違い」という表題だけでこれはいわゆるアベノミックス、すなわちインフレターゲットの話だと気がつくようなら、あなたはかなりな政策通というか、経済通であろう。

子どもが久しぶりに年末から年明けに帰郷をしたときに、このインフラターゲットの経済政策について議論をした。

そのときに子どもから1%のインフレターゲットでは量的に十分でないのだと聞かされたが、その理由は十分には聞かなかった。その理由を先日の池上彰さんのニュースの解説のテレビ番組で知った。

その池上さんの説明によれば、日本銀行は確かに1%のインフレターゲット政策を何年か続けてきた。だから、私などはアベノミックスをあまり肯定的にとれなかったのだが、池上さんによれば1%だと日銀がいつ緊縮財政に戻るのかと市場は疑心暗鬼になって、投資とかが企業のローンとかが進まないのだという。

それを2%にインフレターゲットの目標をあげておくと、1%の物価高になってもまだ金融緩和はまだ続くと安心してお金を銀行から借りられるのだという。それでやっと子どもの主張に納得ができた。だが、そういう心理的な話もしてくれれば、納得ができたのにと感じている。

ただ、一つ心配は金利の安い円を借りて、財テクに走る、外国資本がでてきて悪影響を及ぼさないのかとか心配の種はないわけではない。

バブルとのころにはそういう風なことがあったとか聞いた気がする。この場合にはお金による株の売買だけで、いわゆる製品の生産とかによらない、財テクである。

実際にそういう風にしても株の売買だけで、お金が儲かるなら、現在の資本家はそういうことをする。そうなるとこれはなんのための景気回復なのかと疑問視されてもしかたがない。

日本の社会ではもちろん生産はしっかりしており、いわゆる紙幣だけの経済にはならない。これが子どもの主張である。それについてはある程度安心してうなずけるけれども、一方で上に述べた紙の上だけの経済の活況がまったくないとまでは言えない。そこをコントロールすることができるのだろうか。


puzzle of motivation

2013-02-05 10:45:41 | 社会・経済

昨夜のTEDカンファランスはダニエル・ピンクのpuzzle of motivationであった。これは本当は経営者の人に見てもらいたかった、内容である。

会社で業績を上げるのに報酬を上げることは役に立たない、むしろ害となる、ということを述べることが主眼であった。そしてピンクはこれは哲学的な思想でもなく、「科学的な事実」This is a scientific factであるという。

どうしたらより早く目的を達成できるかということは、もともとは心理学的な実験からはじまったらしいが、これを実際の会社でもそうだと言っていた。

もちろん、ある程度十分な給料を従業員に支払うことは必要なのだが、それで十分で、過分の報酬を支払う必要ないのだという。

ピンクの会社の経営方針の勧めは

Autonomy, Mastery, Purpose (自主性、熟達、目的)

を主に据えるといいという。特に自主性を発揮させることが大事だという。いくつかの会社の例でも25%を自分の好奇心とかにまかせて自由に仕事をやらせたほうが、厳格に管理した仕事をさせるよりも業績をあげているという。

または、月または週に、数日を社員の自由にさせるとかが重要で、会社の業績をあげることは必ずしも給与をあげたり、その報酬で業績を上げさせようとしたりすることではなかった。

これは経済学者の会社再生の処方とは矛盾しないのだろうか。政府が税制的な優遇措置をして、産業を振興させるというのはある意味で報酬主義ではないのか。

会社の経営にはアメとムチからは決別すべきだというのである。これはある意味で目から鱗が落ちた。こういった観点から経済学とか産業の振興を考える経済再生を考える経済学者が出て来てほしい、そう切に望んでいる。

放送の後で、Joi ItoさんがMITのメディアラボのモットーとして

uniqueness, impact, magic (独特さ、影響力、マジック)

を上げているという。これも上のピンクの主張と同種のアイディアであろう。

rowという語が途中で出てきたが、その意味がわからなかった。いま辞書を引いてみると、喧嘩とか叱責という意味がある。これはアメとムチのムチの方を意味していたのだろうか。

アメとムチのムチがrowならば、アメはrewardなのだろうか。ピンクの英語の講演からはこの語を聞きとることは私にはできなかった。

(2013.6.10付記) rowとcolumnというと数学の行列(マリトリックス)で行と列をそれぞれさす。この意味でなら、rowという意味を学生時代から知っていた。

columnは元々は円柱を意味する。ヨーロッパの建築などで建物の正面にある円柱などはさしずめcolumnであろう。新聞連載の特別記事をコラムという。columnistとは新聞のあるコラムの担当者だという。

ちなみマトリックスとは子宮とか字母とかいう意味が原義であるらしい。いまではマトリックスと言えば、行列という数の集まりを指す。

いま独和辞典を引いてみたら、Matrixには子宮という意味は載っていなかったが、これはラテン語らしい。

言葉にはいろいろの広がりがある。


消費税増税

2012-08-17 11:11:30 | 社会・経済

先日、国会で消費税の税率引き上げ法案が通った。一つには国の財政予算の半分くらいは国債の発行でまかなっているという現実を見れば、仕方がないのかなと思う。

しかし、現実の自分の生活をみるといまから年間約30万円の消費税を余分に納めなければならないとすれば、いまでも我が家の家計は火の車で年間50万円くらいの赤字が出るのにどうやって生活をして行くのだとは偽らざる実感である。

妻などは民主党が自民党と公明党と組んで消費税の増税したことに対して怒り心頭である。しかし、そうは言っても妻は年金の振り込まれる口座からカードで勝手に生活費を引き出しており、その残高がだんだん減っていくのを気にしている様子もない。

だが、私などは小さくなってどうやって自分のポケットマネーをひねり出すかに、苦心をしている。だから、妻が怒る割には、彼女自身は被害を受けておらず、本当のとばっちりを受けているのは私である。

いつだったか、年間70万か100万円の赤字だとこのブログで書いたところ、東京に住んでいる、子どもたちがびっくりして、大いに問題となったことがある。自分たちが赤字を補填しなくてはならないといけないのかと思ったらしい。

勤めていたときの収入が、勤めを辞めると約1/3になったのだから、定年後の数年はしかたがない。でも現在はもう定年後7年を経過している。それでしかたなく自衛のために、いくつか入っていた学会はたった一つだけを除いて全部辞めた。

購読していた、学術雑誌はだんだん廃刊されていくので、来年からは学術雑誌の購読料を払わなくてもよくなる。一つだけまだ入っている学会の会費も割引料金を何年か前に申請した。

そうやってもなかなか生活費は少なくならない。いや少なくすることには成功しているのだが、やはり病院に行ったりすることが増えてきているからだろう。それでも現在は医療費の負担は1~2割で、支払いは少ない方である。

もうこの年になると、どこかで働こうにも雇ってくれるところはなさそうである。数年前に訳した本の印税は本が売れているのかどうか、払ってもらったのは上巻分が一度だけである。額面は全体では確か40万円足らず支払いであったが、税金を支払いの際に差し引かれているから、3人で分けたら、7~8万円くらいの手取りであった。

下巻の分ももう発行されてからも5~6年になるが音沙汰がない。もっともこちらとしてもあまり印税の支払いはどうなったなどと催促したりするのは好きな方ではない。

それにしても世の中の人はどうやって生活をして行くのだろうか。これは現役で働いている人を除いての話であるが、現役の人にも苦しい人が当然いよう。

富裕税を設けたらなどともいうが、そういう話はなかなか起こらないし、第一そういう富裕な人はあまり税金を納めなくてもいいように税金の安い国に住むことができたりする。企業に高い税金をかけようにも企業は税金が高いと国外に主体を移すという。一体どうしたらいいのか。

などと書いたが、古代のエジプトで幾何学の起源は徴税のためだという内容の、数学・物理通信への投稿原稿を最近受け取ったから、昔から税金をどう徴収するかは問題であったらしい。時代が変わってもなかなか変らない世の中であることよ。