脱原発とか反原発とかいう。一般の日本人が反原発とか脱原発の立場に立つのは当然であろう。
一番気になるのは当の電力会社がいつまでも脱原発とか反原発後の電力を供給する企業としての今後のあり方を考えていないのではないかと思えるところである。
電力会社はやはり一個の企業体であるから、原発廃棄後にどうやって電力を社会に供給をし、かつ収益をあげていくかをもう密かに模索はしているに違いない。
だが、それを表に出すと現在のおいしい収益構造を壊すことになるので、知らないフリをして現状をつづけるような風をしているのではないだろうか。
いままでの収益構造を変えることは企業としては決死の覚悟がいる。だが、現在の状況ではもう致し方がない。覚悟を決めるときであろう。これは国家の原子力政策も同様である。
一方で、一般の市民に望みたいこともある。もう原発に頼って生きてはいけないということは骨の髄まで沁みてわかった。だから即原発廃止という運動をすることはいい。だが、少しの時間の猶予を電力会社に認めないといけないということである。もっともそれを表に出して運動をせよというつもりはない。
電力企業も実はもう心の底ではこのまま原発を続けられるとは思っていないが、それでもそんな心配をしていないかのごとく振舞っている。だから、反原発とか脱原発の運動をしている方々も心の底ではすぐに原発停止にはできないだろうなと思っていても運動としては即原発停止を掲げるのだ。
これはどっちもどっちだが、それはしかたがない。一方は自分たちの生命の危険を身に感じているし、一方は企業の収益が大きく崩れてしまって、企業として成り立たないのではないかと感じている。
だが、ここは企業家が度量を見せてほしいところである。別に企業家がノブリース・オブリージュ的な概念を有すべきだと説教するつもりはないが、世間の動向や社会の大切さを知っている企業家であってほしいと考えている。
それにしても企業の幹部はやはり脱原発の覚悟をして、今後の方策を考えねばならないときだろう。後ろ向きでは企業家としても尊敬できない。