物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

幕末の佐賀藩

2014-02-05 11:59:57 | テレビ番組

昨夜のNHKEテレの「知恵泉」は再放送であったが、幕末の佐賀藩のことをとりあげていた。とりわけ若くして藩の跡目を継いだ鍋島直正のやり方に焦点を当てていた。

これは幕末の佐賀藩からは有用な人材が輩出し、また日本の科学技術の先端を当時担っていたからである。

幕末に西洋式の大砲をつくろうとしたが、失敗続きで家臣の責任者が責任をとって腹を切って殿様にお詫びしようとしたら、それを止めたどころか、ほめてその大砲の製作の継続を強く要請したという。

鍋島直正は失敗した責任者がいちばんいままでの製作法の欠陥をよく知っているであろうから、もしつぎに大砲の製作を成功へと導けるとすれば、その責任者しかおるまいと考えたというからなかなか透徹した考えの持ち主である。

直正は

「失敗は何事にも替えがたい財産だと考えていた」

というから、現代の企業の経営者もその知恵を少しは学んだ方がよい。

文脈はまったく異なるが、大学院生のころ、ある先生から理論物理学の研究などはその大部分が失敗であると聞かされた。その先生は成功しない道を一つ一つつぶしていって、成功への道を探るのだと常に言っていた。

そういう文脈からいえば、確かに直正の判断と処置は正しい。横道にまたはずれた。

直正のモットーの第二は

「自ら率先して模範を示せ」

であった。オランダの軍艦がやってきたときに、その軍艦に乗り込んであれやこれやと質問をしたそうである。それも午前中に質問をして、途中に昼食のため下艦したが、また午後にやってきて、さらに質問を続けたという。

そうやってある意味では無様ともいえる、自分の様子を家臣たちに曝したという。その後、家臣が大砲の製作に成功したのだが、それが実戦に耐えるかどうかで、どれだけの火薬を使って、テストしたらいいか皆目見当がつかなかったときに、「オランダ人に聞きに行け」と言ったという。

そして長崎出島に滞在しているオランダ人から大砲のテストのための火薬の量を聞き出して大砲のテストをして、製作した大砲が実戦に耐えることを知ったという。

日本広しと言えどもその当時、大砲を独自に製作できる技術をもった藩はなかったので、幕府から50砲の大砲の注文を受けたという。そして、その大砲は今の東京のお台場に据えつけられたという。


風姿花伝

2014-01-30 15:17:07 | テレビ番組

昨夜はNHKのEテレの水曜夜11時から「100分で名著」で、世阿弥の『風姿花伝』の最終回だった。

『風姿花伝』がいかにいい演劇論であっても、そんなものに関心はないというのが私の始めの反応であった。だから、第1回の放送は見なかった。2回目から見るとはなしに見たのだが、結構興味深かった。

昨夜は「秘すれば花」ということが主だった。「常に新しい花を用意しておけ」というのが世阿弥の戦略だったという。室町時代には能もいくつかのグループがあり、それがお互いに真剣勝負のような様相を呈しており、その勝負に負けるとお引き立てを受けなくなり、自分たちの生活が立ち行かなくなるという事態だったらしい。

それで、いつも別の能のグループとの勝負にもし負ければ、生活できない事態になるから、その勝負に負けないように、自分の中にもう一つ何かをもつことが必要であった。

これは先生の解説によれば、現在のダブルメジャーの社会のようでもあるが、一つのメインの仕事があってももう一つの仕事というか使える余技をもっておけということでもある。

なかなか現代も厳しい世界である。しかし、そのような厳しさは約600年前の能の世界にもあった。

世阿弥はいう。「舞台の写実はリアリズムではない」。もし舞台が現実を実によくその通りに写しているならば、そんなものは大衆に見てもらうことができないという。

伊集院光さんが言っていたように、「リアルとリアリズムとは同じではない」のである。

最後に、人間には「男時と女時とを知る」ことが大切だという。男時とは何をしてうまく伸びて盛んになるときであり、女時とは何をしてもいかに努力してもうまくいかないときである。

人生にはいつでも男時ではなく、如何に努力をしてみてもうまくいかない女時があるのだという。そういうときでも自分に男時になったときに成功できるように自重して努力をして準備をしておくべきだという。

世阿弥の実際の人生においては70歳を超えたときに、室町幕府の将軍から流刑の罪を受けて佐渡島に流されたという。それでも世阿弥は研鑽を積むことは怠らなかったという。そこで、世阿弥が生を終えたのかどうかは知らないけれども。

ただ、一つ注意しておきたいことはこのブログとかこのNHKの番組を見て、『風姿花伝』を読んでみようと思う人がいるかもしれないが、多分『風姿花伝』から、そのような私たちにも役立つようなことを簡単に学び取れるとは期待しない方がいい。

放送では練達の方々が案内をしてくれているので、すばらしい書であることがわかるのだが、それはだれにとってもそうであるわけではないだろう。そういう覚悟を『風姿花伝』を実際にひも解いてみようと考える方々にはして頂くのがよいと考えている。


How I hacked online dating

2014-01-21 12:33:16 | テレビ番組

昨夜のNHKのTEDの放送はAmy Webbという女性の表題の講演(どうやってonline datingに成功したか)であった。

要するに、パートナーを既成のシステムonline datingで受身的に探すことに失敗したが、その失敗を考慮して自分でonline datingの使い方を自分なりに考えてパートナー探しに成功し、ちゃんと35歳までに子どもまで授かったという、いい話である。

Amy Webbは自分がユダヤ系なので、パートナーもユダヤ系の男性がいいと考えていたが、既成のonline datingではまったく成功しなかった。

それで、どういう女性たちが自分のライバルであるのかの調査を行い、その結果として有効な対策を立てることができたという。

彼女は日本にも数年住んでいたので、日本語が話せるとかデータとかを分析する能力もあり、ひょっとすると数学もできるような才女である。

自分の家族は自分を除いてみんな結婚をしており、自分一人が30歳になるのに独身であることに気がついた。

おばあさんの忠告ではパートナーを見つけるのは幸運しかそのチャンスがないということだったが、見事online datingのシステムを「自分なりの方法で使って」パートナーを見つけたという。

Jyoi Ito(伊藤穣一)さんによれば、最近はアメリカでもこのonline datingはパートナーを見つける有効な一つの方法になっているという。


幸福学

2014-01-18 12:56:45 | テレビ番組

昨夜、NHKのEテレで、「幸福学」白熱教室を見た。

幸福学とかいうと反感を感じてしまってみる気がしなくなるのだが、見ているとけっこう役立つことを話している。

仕事にどういう期待をするかというと、経済的に期待するとか、名誉とか地位を求めるとかの人は幸せを感じなくて、仕事の意義を感じている人が幸せを感じるという。半年もしたら、再放送があるだろうから、そのときによく、見てみたい。

ジョブクラフティングということがそのときに重要であり、それを箇条書きすると

1.社会との交流の質や量を見直す

2.仕事の意義を広げる

3.仕事のやり方や範囲を見直す

である。放送では実際に実例をあげたりされているので、とてもインパクトがあった。

要するに仕事を生活のためのお金を得る手段として考えているかぎり、その仕事から幸福感は得られない。なんらかの意義を見つけることが必要であるということである。

業績、業績と追い立てられている、会社員の方々には難しいことかもしれないが、やはりなんらかの意義を自分の仕事に見出さなくてはならない。

そして、そのことはどういう仕事をあなたがしていても可能だという。そのことがひょっとしたら、あなたの、君の人生を変えるかもしれない。

そのキーワードは

人を助けよう、クリエイティブ、・・・・

の3つであった。最後の一つをメモし損ねた。


電子音楽

2014-01-18 12:00:39 | テレビ番組

NHKのEテレで、坂本龍一の音楽の学校scholaを楽しみにして見ている。

今期は電子音楽ということで作曲家がつくったのでない、音楽がとりあげられている。

こういう番組ができると楽器などまったく演奏できない私のようなものでも音楽をつくってその音楽をパソコンなどで演奏することができるのではないかなどとまったくできそうにないことを想像している。

そういえば、中学校のころに音楽の時間に簡単な曲をつくらされるという経験をしたことがある。それを十分に楽しんだ覚えがある。教室の隣の席に野球をやっていたH君が座っていたが、彼は作曲が苦手でいつも私はつくってくれと頼んだ。

それで何が何でも本人がまったくタッチしないのは気が引けるので、なんでもいいから音符を書けといったら、目茶苦茶のものをつくったので、それを少し手を入れた。

そしたら、このH君それを先生に提出した。その曲を先生がピアノでちょっと弾いてみて、なかなかいいとほめてくれたらしい。自分の席に帰ってきて、「あの曲ほめられたよ」とちょっと誇らしげで、かつ恥ずかしげであった。

高校のときには彼は西條高校に進んだ。そして野球選手として活躍した。彼は春および夏の甲子園に数回行ったが、もっとも夏の高校野球で全国優勝したのは彼の一年下の学年であった。

このときの優勝投手のK君は私の出たH中学校の一年下の学年であるが、私は中学校のころのK君のことをあまり覚えてはいない。

話が思わぬところに行ってしまった。いつも音楽と物理とをもっと密接に感じたいと思っているが、あまり突っ込んで考えたり、調べたりしたことはまだない。


Moral behavior in animals

2014-01-14 11:30:49 | テレビ番組

昨夜のTEDのカンファランスの放送では上記の題でFrans de Waalという動物学者が講演をしていた。

彼の示したフィルムによれば、チンパンジーとか象とかの動物にもある種の道徳的な行動が観察されるということであった。

そういう動物の観察によって人間の道徳心がどういう風に起こって来るのかという考察が深められるという。

動物の協調性だとか、報恩だとかいわゆる人間に見られる道徳が動物に見られるかということが問題になっている。

あまりに擬人的なことはこれらの動物には考えてはいけないとしばらく考えられてきたそうだが、それが事実にもとづいて見直されてきたということだ。

西欧的な考えでは道徳は宗教と関係があるとのことらしいが、動物には宗教はないと思われるので人間の道徳も宗教抜きで生じてきたというようなことが推察されるらしい。

私などは宗教抜きでも道徳が存在するなどということは当然のことだと思うが、宗教が社会に当然の不可欠の要素として存在している西欧ではこれも当然ではなかったらしい。


リーダーシップ白熱教室

2013-11-19 12:02:43 | テレビ番組

NHKのETVのハーバードの「リーダーシップ白熱教室」の第三回を見たら、リーダーシップとはある種の問題解決講座だという風に感じられた。もともとリーダーシップという語にはちょっと反感を感じていたのだが。

政治の問題として、現在のシリア問題が学生から質問があったが、Heifetz先生はどいういう観点からその困難な問題を取り上げるかによって、対策もいろいろ異なるという。

政治家は国民に難問を出して国民の奮起と努力をするように要請をすると途端に不人気となるので、そういう風な呼びかけをすることを嫌う傾向があるという。

もちろん、政府の責任でないこともあれば、それは政府の責任の場合もあるだろう。実際にアメリカのホワイトハウスであった、論争をそれがなんであったかはさすがに明らかにはしなかったが、実際に例としてとりあげていた。

これはひょっとしたら、先生自身が経験したことであったろう。なかなか現状をきちんと見てその実情の原因がどこにあるのかを直視すれば、国民に単に甘いことを言うことはできないのだろうが、そういうことをいう大統領はリーダーシップがないと一般には思われる。

そういうリスクを冒してまで事実を誠実に国民に告げるのはやはり政治家としては憚られるというのはある意味では仕方がないが、それが難問の課題解決の先送りになっていなければよいが。

失礼ながら、このHeifetz先生はキャリアを医者として始めたと言われていた。そして病気は2つの種類があり、1つは医学的に完全に治癒ができるものともう1つは完全には治癒をさせることができなくてその後はその患者の生活の適応が必要になるものがあるという。

その後者の種類の病気が結構多いという。そのときに医学は無力とはいえないにしても患者の生活にまで踏み込むことは容易ではない。それはその人のプライベートな問題だからである。

「医家の不養生」という言い方がある。これは医学だけでものごとが決まるわけではなくて、どういう生き方をするかは個人の問題だからであろう。


めぐりあった言葉

2013-11-12 11:00:15 | テレビ番組

昨日、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」にピエール滝さんがゲストで、鶴瓶さんと滝さんとはロケットで有名な鹿児島県肝付町内之浦を訪れた。

滝さんが小学校で出会った元気のいい小学生、宮田君のお父さんがJAXAに勤めているということで、宮田君に勧められてロケットの発射基地を訪れる。

そこでJAXAを訪ねて、宮田君のお父さんの宮田さんに会うのだが、その宮田さんの言った言葉が私が学生のころに聞いていた言葉と重なった。

宮田さんはいう。ロケットの打ち上げ準備をしていて、昨日はすべての装置が調子よくて別に問題がなかったとしても今日急にどこかが調子が悪くなることがあるという。ロケット打ち上げのような大プロジェクトならまさにそうであろう。

私が学生実験のため磁気共鳴の研究室で3か月ほど過ごしていたころ、そのときの指導教官であった、Hさんからいつも言われたことである。そのときに磁気共鳴吸収ではなくて磁場を使わない四重極共鳴吸収の学生実験をやっていた。

Hさんはそのころ新婚早々であったが、ときどきは私たちの実験につきあってくれて、実験の吸収される電磁波の周波数を変えるダイアルを根気よく調節してくれた。このとき、なにげなく「実験の装置はやさしく愛するように接しなければならない」「なでたり,擦ったりしてご機嫌をとってやらないといい実験結果はえられない」と言われた。

そのときの表現をうまくここで再現できないのだが、ともかく理屈の上ではこれでうまく四重極共鳴吸収が起こる電磁波の周波数だと思ってその辺でダイアルのつまみを回しても、その予想された必ず共鳴吸収を示す反応が出るとは限らない。

そのとき、シンクロスコープを観測して、吸収のパターンが出るかどうかを見ながら、電磁波の周波数を変えていたと思う。だが、予想した周波数の近辺でつまみを微妙に変化させて調節をするのだが、共鳴吸収のパターンが現れない。

それで何回も何回も同じようなプロセスを繰り返すのである。今日もうまく吸収のパターンが出なかったと思って帰宅することが1週間くらい続いた。それがあるとき、急に見事な吸収のパターンを観測することができた。それでシンクロの画面を写真にとってその学生実験は終了となった。

いまでもどこか机の隅かどこかにその写真が残っているのではないかと思う。そのときの実験の大部分の作業は共同実験者であった、U君の努力による。

その後、U君は今のパナソニックに勤めた。いつか同窓会で彼に会ったら、あのときの実験での経験を話し合いたいと思っている。


智恵泉(ちえいず)

2013-10-09 12:02:54 | テレビ番組

智恵泉(ちえいず)はNHKの火曜日の夜のEテレの番組である。

先週から夏目漱石を取り上げている。彼を慕って訪問する若い人が多くて、漱石がそれらの人の個性を見抜いて適切な指導を書簡等でされたことによって多くの人材育成に大きな力があったという。

夏目漱石はもちろん彼の小説で有名であり、森鴎外と並んで明治の二大文豪である。文学者の塩田良平さんが昔「森鴎外の小説は年をとってくるとますます味わい深いものになってくる。一方漱石の小説は若い時に読んでも年をとって読んでも同様におもしろい」と言われていた。

これほど適切に二人の特徴を表した評を私は知らない。

しかし、湯川秀樹博士はあまり夏目漱石の小説がお好きでなかったように私には思われた。特に小説の「坊ちゃん」については「中央(東京)の地方蔑視だ」というご意見であった。

私などは松山に40年以上も住んでいるのだが、若いときに博士からそういうご意見を伺うまではそんなことを考えたこともなかった。私の感覚は鈍磨している。


美輪明宏さん

2013-08-22 12:48:04 | テレビ番組

昨夜、NHKで美輪明宏さんの出演の放送があった。

美輪さんについて偏見がなかったといえば、うそになるが、この放送を通じてまっとうな生き方の人だとわかった。

生き方として「無償の愛」だとか、「使命感」とか聞くとその生き方に感心した。昨年のNHKの紅白で、「ヨイトマケ」の歌を歌われてとてもよかったが、昨夜もそれが一番よかった。

エディト・ピアフの「愛の賛歌」を最後に歌っていたが、美輪さんは歌手なのだということを初めて知った。「愛の賛歌」はフランス語の字幕が出ていたが、わからないところがいくつかあった。

それでもエディト・ピアフは激しい気性の人であるのだろうと想像された。もちろん彼女はシャンソン歌手として大スターであった。

もっとも美輪さんは地方都市等で演劇の公演をしても、近くの名所に見学に行くわけでもなく、ほとんどホテルと公演会場を行き来するだけで後は観客のためのサービスに努めるのだという、話を聞くと私などもその手の人間かと思うので、ちょっと私としてはある種の閉塞感を感じた。

これは美輪さんを批判するというよりも、その同類であるかもしれない、自分のことを考えてそういう気がしたのである。美輪さんを批判するという気持ちなどこれっぽちもない。

美輪さんは放送で、メケメケというのはmais, qu'ce-que c'est ?(メ、ケスクセ)からきたということを言われていた。その意味はあまりよくはわからないが、「でも、それがなあに?」くらいの感じなのだろうか。

ゲストの黒柳徹子さんがかすむほどであった。


詩人となった、いじめらっれ子

2013-07-23 10:55:44 | テレビ番組

またまたTEDの話で恐縮だが、昨夜のTEDではかつていじめられっ子だった詩人がいじめられっ子を励ましためにいろいろの試みをしているという話だった。

シェ-ン・コイサン(?)は小さいときに両親が離婚して、祖母に引き取られカナダの北の方の小さな町で育った。

かれは太っていたためにいじめに会い、いじけてしまうがそれでも今では詩人となり、冬季オリンピックの開会式で自作の詩を朗読するくらいに有名になり、多くの人に知られるようになった。

今でも(up to today)いじけていないとは言えないし、心が傷ついてはいるが、それでも雄々しくいじめに立ち向かっており、いじめられている子どもたちを激励している。

そのためのサイトを開いたり、多くの人の協力を得て、漫画やアニメをつくってもらっている。そしてそれを自作の詩と共にサイトに掲載している。

もちろん、いじめは現在でもなくなってはいないし、その言葉は以前よりも激しさを増しているともいう。

それでもそれらのいじめに対して果敢に立ち向かう人々が現れたということは知っておきたい。


饗宴

2013-07-18 13:22:30 | テレビ番組

NHKの「100分de名著」でプラトンの「饗宴」をとりあげている。

ところが私にはこの「饗宴」についてのいい思い出がない。大学時代に教養部の英語で、ある英語の先生がこの饗宴の英訳をテキストに採用したが、まったく退屈でなにがなんだかわからなかった。

3回に1回くらいしか出席していなかったのだろうと思う。とんでもない不心得な学生であった。単位は何とかもらったが。

その証拠にという訳ではないが、担当された先生の名前(湯浅先生?)もテクストの題も全く覚えていない。

ただ、試験のために岩波文庫にあった訳の「饗宴」を買い求めたことだけは覚えているが、それを試験のときを除いて読んだことはまったくない。

ところが今回の放送では初回はまったく見なかったが、2回以降を2回昨夜までに見たが、結構見ることができた。これは多分に放送では多くの工夫がなされているからであろう。

ということでまったくわからなくて、関心も起きなった「饗宴」だが、全く忌避すべきものでもなかったのかなと思い直している。だが、岩波文庫の「饗宴」を読んで見ることなどまだ問題外である。


既得権

2013-07-17 15:30:20 | テレビ番組

昨夜、「知恵泉」というNHKの番組を見ていたら、既得権という語が英語ではチョッキを意味するvestと関係があると言われていた。

vetsted rightというのかなと思って辞書を引いてみたのだが、rightの項にはなくてそれでvestedを見たら、vested interestに既得権という訳語があった。

もともとvestedには「(権利などが)確定している」という意味が岩波の英和辞典には始めに出ている。

だが、既得権という語は英語ではどういうか知らなかった。というか考えたこともなかった。一つ偉くなった。

ちなみに著作権は英語ではcopyrightであり、優先権はpriorityである。

ドイツ語で先祖のことをVorfahrenというとは最近知ったことだが、この語には車などが優先的に走行するという意味の通行優先権を意味している。


35歳の高校生

2013-06-08 12:50:35 | テレビ番組

「35歳の高校生」は米倉涼子さん主演のドラマである。これは土曜日の放映である。

これはドラマなのだから仕方がないのだが、あまり授業の風景がでない。

数学の先生とかもいるのだが、授業風景で対数がわからないとか、三角関数が面白いとかいう話があってもいいのだが、それがほとんどない。

それと教員が全体としてなんだか大勢順応が強い。戯画的に書いているからではあろうが、どうももう少しスペクトラムがあった方がいいような気がする。

ドラマとしては米倉さんが毎回事件を解決するというような感じなので、それ以外のキャラが立っては具合いがわるいのではあろうが、それにしてもあまりに一方的にすぎるようである。

別に米倉ファンとしてはどうでもいいことではあるが、やはり気になる。

このドラマは生徒が第一級の生徒から第二級の生徒もおり、第三級に落とされたら、云々という話が基調になっている。

これは場の秩序をつくってクラスを支配をするという普通にどこでもありそうな話で身につまされるが、しかし、一般にそれから外れても全く気にかけない人が少数はいるはずだが、その描き方がたりない。

私などは高校生の時には第三級の生徒であったかもしれないが、あまりそのことを気にしたことはない。


惜櫟荘ものがたり

2013-05-27 13:41:23 | テレビ番組

昨晩、BS朝日で「惜櫟荘ものがたり」という放送があった。

これはこのブログでも取り上げた『「惜櫟荘だより」から』と関係がある。この放送ではとても魅力的なことが放送されたらしいが、私は残念なことに昼間の疲れで眠ってしまい、見たのは最初の部分と最後の部分くらいであった。

佐伯泰秀さんが自分のことを「惜櫟荘」の番人と謙遜して言われていたのが印象的であった。

そして、佐伯さんは岩波茂雄がこの別荘をつくったのは岩波文庫の収益をもとにしていたが、自分も文庫書下ろしの時代小説でこの荘を購入し、改装して番人になれたことに少なからぬ、縁を感じていると言われていたが、奇妙に納得した。

荘からは熱海の海がよく展望できるし、この放送が長年の企画の末のことであろうと思われた。

なんでも長期間の構想とか企画の末に実現するのであろう。人間の長期間の持続性をここで思わざるを得ない。

(付記) このマイナーなブログの日曜のアクセスが日曜としては結構な数にのぼった。18件ほどのアクセスがあったことが分かっている。これは新聞の佐伯さんのエッセイが単行書化されたときのアクセス数20と匹敵するものである。

マスコミの威力であろう。