物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

教育での定着度

2007-07-25 13:49:26 | 受験・学校

教育での定着度が低いと書いたが、これは自分自身の経験でもある。

私はもう数十年にわたって NHK のラジオのドイツ語講座をほとんど毎日聞いているが、それでもドイツ語の私の頭への定着度はとても低いのだ。

専門がドイツ語とかドイツ文学ならそうではないのだろうが、基本的にはこの20分間しかドイツ語にはかかわらない。だからそれこそ何十回となく聞いているドイツ語の文法も単語もそれほど私の頭に定着しない。

それに加えて老齢である。昔しっかりと覚えたはずのことでも忘れてしまうような歳である。藤田五郎先生が私がラジオの講座を聞き始めた頃の講師である。根気、年期、暗記の3つの「き」が大切だと教わったが、年期だけは積んだが、暗記はだめだし、根気はどうなのだろう。

45,6年前にラジオを聞いたが、途中はテレビの講座だけを見てラジオの講座は聞かなかった。これは私が朝に弱いからである。しかし、ラジオを続けて午後のひとときに聞くようになってからでも30年は経った。もっともなかなか中級コースは聞けていない。


例は説教よりも重要1

2007-07-23 17:17:09 | 受験・学校

「例は説教よりも重要である(Examples are more important than precepts.)」とは中学校のときに覚えたことわざである。

これはかの有名なニュートンが彼の書いた数学の本の中で述べた言葉だと聞いている。いま辞書を引いてみるとpreceptには説教といった訳はなく、規範、指針、格言といった訳がついている。

どうしてこんなもう50年以上も前に覚えた文が頭に浮かんだ来たのだろう。基礎物理学の試験が終わってその答案をもって電車の停留所の方へ向かっているときであった。こんな言葉が頭に浮かんだのは。

教育とは何の足しにもならないものだとつくづく思う。如何に一生懸命に教えてみても所詮その定着度はとても低い。何回も繰り返し教えたことがひとつも学生の頭には定着していない。

さすがに答案では採点者の頭に来るようなことを書く学生は誰もいないが、しかし私の授業のやり方を評価したといっている学生の答案は本当に彼らが何を理解したのだろうかと思わさせるようなことしか書かれていない。単に間に合わせの点を取るための方便としての迎合ではないかとも疑いたくなる。それくらい結果はひどい。

学生に単位を出すように試験問題で正規の設問以外に救済問題を出したのでそれをほとんどの学生が選んでいる。それでなければ合格点ぎりぎりかまたは不合格の学生が続出しただろう。


平凡なことを教えるか

2007-07-19 15:37:50 | 受験・学校

一般の人には速度は分かっても加速度は言葉としては知っていても分かってはいないとか家庭で電灯線や冷蔵庫や洗濯機で使っている電気は交流だということを知らない。

いくらなんでも中学校で理科を習えば、それくらいは知っているだろうと思っていたが、それも知っていないという現実を知ると大学の物理の先生はどうしたらいいんだろうと考え込んでしまう。

理系の学部でそうだということになれば、後は推して知るべし。理系の学部では学生はそれを知っている必要はないのだろうか。アメリカでは高校生のレベルが低いといわれるが、大学に入れば必死に勉強して大学を出るころには日本の平均の学生よりはとても実力がついているという。

演習をする時間があればいいのだが、その時間はあまりない。それに時間を取って演習をしてもそのときには真剣に考えている学生は少数である。何をすべきかも分かっていない学生が大半である。また質問をほとんど口頭では受けたことがない。

質問できることはそれだけ考えている証拠なのだ。感想を書いてもらうとわからないといろいろ不平不満が出るが、ではここがわからないといって授業中とか授業の後で質問したら良いではないかというのに質問攻めにはあったことがない。

それに何回も記号等で同じ質問がでる。1学期中に3回か4回同じ質問が出るというのはどういうことだろう。人がした質問については関心がないということなのだろうか。不可解である。

未修教育としての物理学は大学では単位としては認定されないのが本来の姿である。しかし、そうすると未修教育は学生には評判が悪くて学生はその授業をとりたがらない。それに代わるべきe-Learningのシステムがあればいいのだが、それもつくられていない。


模擬テスト

2007-07-04 17:25:15 | 受験・学校

7月23日の期末試験問題を印刷に回したが、どうも心配になって模擬テストをつくった。最終回の講義7月16日に時間をとってこの模擬テストをするつもりである。

こうやって試験に慣れてもらうしかない。そしてその模擬試験のときに教えたことなら少しは覚えてくれるだろうか。もっとも交流とか直流とかについて話をしていないのでこれについて話を次回にしておく必要がある。また熱機関についても話をしておこう。


わかることは誰のためか

2007-06-20 11:26:31 | 受験・学校

今週の学生の反応はどうだったろうか。よくわかるという学生たちと全くわからないという学生たち。わからなかったところを質問として書く学生たちとの3つにわけられる。

質問をする学生はいい。しかし、具体的な質問をしないでわからないのは先生の講義が悪いからだという学生には処方箋はない。理解するのは学生個人なので理解の行為を私が代わる訳にはいかない。どこがどのようにわからないというのならわかる。

唯一私が非難されてしかるべきなのは学生がいかに努力して理解しようとしても理解不可能な支離滅裂なことを講義したときであろう。そういうときには教師は責任を問われても仕方がない。

講義ノートは渡してあるし,質問に対する回答や必要な補足説明は各講義のはじめにしている。また講義の補足の資料もプリントして渡してある。また自分で調べようとすれば,本でもインターネットでも調べることは出来る。しかし、学生一人ひとりがわかろうとしなければ、わかろうとする意欲をもたなければ、私の努力ではどうにもならない。

大体数学とか物理の授業で先生の話を教室で聞いてそのまま理解できるなんてことはまことに疑わしい。聞いたことを自分で反復して大切なことは理解をして、さらに推論の過程を覚えておくことが必要とされる。 

もちろんすでに自分がなんらかの努力をして理解をし,覚えていることならば先生の話でも理解することができるが、そのような主体的な努力なしに数学とか物理のような学問がわかるはずがない。


今週の授業の反応は?

2007-06-14 11:57:26 | 受験・学校

今週の授業はまた一転して不評。だが、仕方がない。熱はなぜ高温の物体から低温の物体の方へ移動するのか。というある意味でprimitiveな疑問に答えようとするものだから。第一そんな意地悪な疑問をもつ人は普通の人にはいない。物理学者というのはひにくれた人種なのだろうか。

そうではないと思っている。しかし、私の講義の意図は一部の学生にしか伝わっていない。大多数の学生はなんだか面倒なことを考える先生だという印象であろう。自分たちに分かって単位をとりやすいそういう授業内容ならいいということだろうか。基礎物理学とはやさしい物理学だと思っている。そういう考え方もあるだろうが、やさしくても本質をつかないようなものは単なる知識に過ぎない。そういう考えには多くの学生が到達をしていない。

何の予備知識ももっていない学生が多いからこそこういう講義をしているのだ。もしなんらかの予備知識をもっているのなら、講義のやり方は違ってくるだろう。それに「物理学」という必修の講義もあるのだ。専門的な講義はそちらで学べばよい。それに物理学は一つのはずだから物理学の方の知識が必ず「基礎物理学」の方の理解へもいい影響を及ぼすはずだ。そうではないというのはどうしてか理解できない。

しかし、まだ熱力学はいい。電磁気学はどうしたらいいのだろう。困り果てている。


気持の変化

2007-06-08 11:02:15 | 受験・学校

講義をしての反応が悪いときにはこちらも意地悪な気持ちになってしまう。しかし、先回の授業で説明を繰り返したり、補足したりし、またテニスボールとかビールの空き缶を使って説明をしたのでわかりやすかったという感想が多かった。すっかり気分をよくしてしまった。

E大学工学部の講義ではこれがいつも悪循環であった。M大学薬学部での講義ではこちらが構えていないこともあるだろうが、これで少し好転をしたと思う。人間けなされるよりはほめられた方が誰だって気持がいい。さあまた張り切って挑戦しよう。


講義の開始

2007-04-16 14:56:59 | 受験・学校

今年の講義が始まった。先週から始まったのだが、先週はガイダンスとかでまだ本格的ではなかった。ちょっとおしまいの方で時間が足らなくなって、加速度のところが駆け足になってしまった。次回に補うことにしよう。速度は分かってきたようだが、加速度はよくわからないという学生が何人かいるようである。それと単位の換算がすっとできないようである。

単位も普通の数のように計算するということを知らないらしい。この点も補足しなくてはならない。物理をやったことのある人の常識は普通の人の常識ではないのだ。大変、大変だ。そういうことをいままで一度も学んだことがないというのはなんと嘆かわしいことなのだろう。

これは別に工学部の学生でもそうだったから、薬学部の学生だけがそういう基本的知識が欠けているわけではない。しかし、それにしてもなんとか高校までにならないものか。


american essayの構成

2007-02-07 12:25:18 | 受験・学校

昨日NHKのテレビ英語会話(コロンビア大学外国人向け英語コース)を見ていたら、American Essay の書き方ということで、講師の先生が説明をしていた。それを急いでノートをしたのでここに記しておく。

こういう風な指導を受けたことが私にはない。昔、30年くらい前にフライブルクのGoethe Institutでドイツ語研修を受けたときに手紙の書き方を教わった。中学か高校の国語の時間に手紙の書き方を習ったようには思うが、それは忘れてしまっていたのでその後の私の手紙の書き方は基本的にそのときの書き方である。

ところでエッセイの構成と書き方は以下の通りである。一応訳はつけたが、誤訳があるかもしれない。

エッセイは大きく分けてつぎの3つの部分から構成される。

1.  Introduction (序論)

2.  Body      (本文)

3.  Conclusion  (結論)

さらにそれぞれの部分はつぎのような構成要素からなる。

1.  Introduction

  (1)  Hook           (導入)

  (2)  General Statements (一般的記述)

  (3)  Thesis          (主題)

2.     Body

(1)         Topic Sentence     (主題となる文)

(2)         Support          (上の主張を支持する事実)

(3)         Concluding Sentence (締めくくりの文)

3.     Conclusion

(1)         Restatements         (言い換え)

(2)         Advice / Warning      (助言/ 警告)

(3)         Summary           (要約)

(4)         Something to think about (さらに考えるべきもの)

これらのエッセイを書くときにはつぎの5つの点SAFERに注意して書くといい。

S:  Statistics  (統計)

A:  Anecdotes  (挿話)

F :  Facts     (事実)

E:  Examples  (例)

R:  Reasons   (理由)

なるほどなかなか実践的な方針である。私は文章を書くときに行き当たりばったりに書く。

もちろん、後で何回も読み返すので順序を入れ替えたりはするが、あまり考えないで一気に書く。その辺がこういう方法とは違うようである。

もっとも若いときはKJ法にならって、思いついたことやキーワードを小さな紙片に書いて並べてその順序をいろいろ考えたりはした。そのうちにそんなことをしないで文を書くようになった。進化したのかそれとも退化したのか、それはわからない。


試験と単位

2006-07-05 11:52:35 | 受験・学校

高等学校もそうかもしれないけれど、大学では単位をそろえてその数が卒業用件の数を超えれば卒業できるのが普通である。

そのせいかと思うのだが、試験にどんな問題が出るのですかという質問がとても多い。やさしい問題で説明問題を3問中2問出すとは言ってあるのだが、それくらいでは問題の傾向とか性質を知りたいとの要求がおさまらない。

基本的なことを聞く問題を出しているはずなのだが、試験範囲はどこかとか聞かれている。これは授業が分かっていないことに理由があるのだと思う。やさしく、やさしくとかゆっくりとかいわれるが、ゆっくりやってもわからない人には同じことだろう。

「物理は物理学者には難しすぎる」といったのは数学者のヒルベルトで、「数学を勉強した後に物理を勉強する方がやさしい」といった人も居るとか。物理学は数学ではないが、数学なしの物理学はお話にしか過ぎない、というのは物理の研究者の間では常識であろう。

でも数学的素養のない人にも物理を教えなくてはならない。それで数学の要点をうまく要約して教えているが、これは適当なテキストなしで教えるので、そのときは分かったつもりでも後に残らない。でも、それをプリントにして配れという要求は私には荷が重過ぎる。

その内容が用意できないということではなくて、単にプリントにするためにパソコンに入力する時間がないということである。これは本当は数学の先生の課題であろうが、数学の先生は物理に必要なことを分かりやすく教えてはくれていない。確かに数学は物理学のために存在するわけではないから。

いや分かりやすく教えているのかもしれないが、それが学生の頭に定着するようにはなっていないということであろう。

日本の心ある大学の先生はだれでも知っている。理工系の大学で先生方が一生懸命に教えた事柄が、一つも学生に定着していない、理解されてはいないということを。昔の学生なら授業でわからなかったことを自分である程度勉強したものだ。そういう人がまったくいなくなったとは思わないが、そういうことをする人は少なくなっている。

授業で聞いたら、すぐに分からなくてはいけないと思っている。分かるように教えないのは教え方が下手なのだというように。結果だけを教えるということもある事柄では例外的にしたが、それを知りたがる。知りたがることはいい。しかし、結果しか教えなかったことの理由をわかっていないのではないか。簡単に教えられるものなら教えてくれたはずだから、多分難しいのだろうといった推測もできないのではないか。

またなんでも教えてもらうという姿勢である。これではどうしようもない。またたまたまテキストに比較的忠実に講義を敷衍して授業をしたら、テキストと同じことをするなら授業はいらないという学生もいる。

いつでも筋はテキストにしたがっていても、違った材料を提供しているし、自分なりの構想を立てて話をしているつもりである。そうでないと一般物理の授業はできない。そういうところが専門基礎の物理学や専門の物理の分科とは違うところだ。

書き始めたときはこんなことを書くつもりはまったくなかったが、書いているうちに毎時間とっている授業アンケートに書かれた学生からの注文に異常に反応してしまっている自分がいるということに気づかされる。わかりやすく授業をしているとの私の自負心が強すぎるのだろうか。


構想が大事だ

2006-06-01 01:57:09 | 受験・学校

いくつかの授業を非常勤講師として行っている。いままで何を話すかということについてあまり考えたことがなかった。これは工学部の量子力学の講義を30年以上やっているとそういうことはすでに出来上がってしまっていたからだ。

ところが、同じ量子力学でも理学部ではちょっとちがってくる。そうすると何を話すかという構想が重要になってくる。それが決まれば、ノートを作る事だってそんなに苦にはならない。かなり時間をとっているのはやはり構想を立てるところだ。この構想を立てる段階では居眠りしたり、ぼんやりとしていたり、音楽を聞いていたりして怠け者のようである。

基礎物理学の講義でもそうだ。何を教えるかということは何を教えないかということかもしれないが、それを選ぶのにやはり時間がかかっている。それが決まれば、後は単に労力の問題である。いやまだ少しは知的作業が残ってはいるが、それでもその段階まで行くと気はもう重くはない。ある種の晴れ晴れとした気分で準備ができる。

これは別に講義に限ったことではない。数学エッセイーを書くにしてもそのほかのジャンルのエッセイを書くにしても同じである。そのための要件は何なのだろうか。常に問題意識を持っていることだと思うがちがうだろうか。

この問題意識をもつということだが、それはどこから来るのか。人間としてまっとうに生きるということから来ているのではないだろうか。それはなんでもよい。若い人なら恋の成就のためでもよい。ただし、自分勝手な利己的な考えではいけないであろう。自己向上のために何をなすべきか。これは他人から見たときの自分の魅力を示せるかどうか。

いま私は具体的には対数と指数について考えている。そのエッセイを書き始めたところだが、まだ終わりまで見通せてはいない。さてこれについての構想はどう発展していくのだろうか。


これからしたいこと

2005-11-02 12:54:06 | 受験・学校

「何もする気がしない」ということもあるのですね。といいながら、ブログを書いていたりしていて矛盾しているかもしれませんが、昨日が締め切りの原稿があったのですが、まだ半分もできていないという状況で、する気が起こらないのは困ったことです。

11月11日と12日に熱海である集まりがあるので行かなければならないのですが、飛行機の切符も汽車の切符も手配をしていないという状況です。

「どうしようかなあ」と考えています。今回は汽車で行くつもりなのですが、時間がかかると疲れるので、大阪か名古屋まで飛行機にするかなと思いつつなんだか、切符を申し込みにいく心の余裕もない。できるだけ飛行機には乗りたくないのですが、でも体が楽だから飛行機に乗ってしまう。無事についたなら、飛行機ほど便利で快適なものはない。

話は急に変わるが、まだまだいくつかのテーマで数学や物理の分野でエッセイを書きたいのです。そのためにはまだまだ生きていたい。そんな気持ちでいつもいます。

いま考えているのは「定積分を求める方法」、「ガンマ関数」、「球の体積」、「超幾何関数」、「直交曲線座標系」、「Green関数」、「ラメの定数の導出」、「Lagrangeの恒等式とSchwarzの不等式」、「逆格子ベクトル」、「電磁気の単位の換算」等いろいろなテーマがあります。

これらは学術論文にはなりませんが、教育としては役に立つものだと思います。『続・数学散歩』とでも名づけるべきものの構想の一部です。私の友人のYamaさんとかTomiさんとかに聞かれたテーマもまだきちんとした回答を出していないし、「日暮れて道遠し」といった感があります。

できたら、「電気電子工学科ミニマム」に線形代数の項を追加してその英訳を出したいとも思っています。

Goldstein『古典力学』(吉岡書店)の翻訳もあるし、それを早く済ませて上に書いたテーマのエッセイを書くこと、またe-Learningのコンテンツをつくること等、自分のやりたいことに集中したいのですが、なかなかそういう風にはなれないでいます(2017.7.8 注)。

しかし、自分のやりたいと思うことがなくなったら、お仕舞いですね。

(2017.7.8 付記)上に書いたやりたいことの中で「球の体積」、「超幾何関数」、「Green関数」は全部ではないが、その一部を数学エッセイに書いた(「数学・物理通信」参照)。ところが他のテーマはまったく手が付けられていない。私の課題はほとんど達成されていないということがわかった。「ガンマ関数」、「直交曲線座標系」はまたこのごろ気になりだしたテーマである。

(2017.7.8 注) Goldstein『古典力学』(吉岡書店)の翻訳とは、この著名な書の第3版の翻訳のことで、これはすでに2006.6と2009.3に発行されている。

(2019.10.10付記)
2005.11.2に考えていたテーマ
「定積分を求める方法」、「ガンマ関数」、「球の体積」、「超幾何関数」、「直交曲線座標系」、「Green関数」、「ラメの定数の導出」、「Lagrangeの恒等式とSchwarzの不等式」、「逆格子ベクトル」、「電磁気の単位の換算」
の中で
「定積分を求める方法」、「球の体積」、「Green関数」、「ラメの定数の導出」はすでに
タイトルは同じではないが、「数学・物理通信」に書いた。「超幾何関数」については第1報は書いたが、続編を書くことができない。

なかなか宿題ができない小学生のようである。

「ガンマ関数」、「直交曲線座標系」、「Lagrangeの恒等式とSchwarzの不等式」については私にとってどこが問題だったのかも忘れてしまった。

「逆格子ベクトル」については準備稿を書いてあるが、なかなか完成原稿にはならない。

試験の採点

2005-08-02 11:19:32 | 受験・学校
試験をする方の側になってからもう何十年だろうか。試験を受けるのも嫌だったが、試験の採点も嫌なものである。一生懸命教えたつもりがなんと暗記物みたいになって理屈はともかくも試験前に覚えていたことをようやっと書いたという感じの答案を見るのはつらい。いつものことながら、私は何をやってきたのだろうと思ってしまう。むなしい。しかし、そんな感傷にひたるまもなく試験結果を出さなくてはならない。

まあ、そうはいっても今年の3月に定年になり、今年は非常勤講師だから来年はないので、まあ仕方がないだろうと思っている。できるだけ単位を出すように努めては見よう。そう思いながら、一昨日、昨日、今日と採点をしている。


公開されたものはみんなの財産?

2005-06-13 19:33:09 | 受験・学校
ごく最近はインターネットのホームページをサーフィンして数学の話を見ている。といっても高校レベル以下が主なんですが。面白い質問がありますね。分数で割るときにその分数を割り算と考えてそのまま書いたら結果が違うのはどうしてかといいたような。今日も「0の定義」は?というのがありました。難しいですね。考えていることをそれなりに書いたのですが、納得してもらえるかどうかは分からないですね。

でも掲示板とかで公開されたことはみんなの財産ということだけはたしかなのではないかな。日本の中で政治的にいろいろな動きがあり、それは世界の体制を後ろ向きに進めるようなところがありますが、でもインターネットやマスコミやその他経済的な交流とかでもう昔みたいにどこかへ侵略して戦争をしかけることはできなくなっているというのが、私の考えですが、一方で憲法を改定して軍隊を持ちたいと考えている人は結構多い。

自衛隊は名称はともかくもちろん軍隊でしょうが、でも外国に戦争をするためにということでは少なくとも派遣はできなくなっている。だが、ともかく現に派遣はされているのですが、憲法が改定されれば、もっと歯止めがかからなくなるのではないかと危惧します。

どうもタイトルから内容がはずれてしまったですね。