物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

口頭練習

2008-06-14 12:37:26 | 受験・学校

英語のNHKのテレビやラジオ放送などで口頭練習がある。これがなんの役に立つのかと思っていたが、どうも英語で言葉が出てこないのはやはり口頭練習が不足らしい。

その口頭練習がたっぷりあるのが基礎英語講座1,2,3なのだが、これを聞く気がしない。したがって、いつまでたっても英語ができるようにならない。

もっとも英語ができるというレベルも少なくとも2段階はあって、英語を聴いて簡単な反応が即座にできるという段階とそれに留まらず、もっと思想的なことまでも話しことができるという段階であろう。

この第二の段階まで進むとそれは単に英語の問題だけではなくて、その人の思想なり考えなり、人としての教養がにじみ出てくる。そこまでいかなくては本当の人と人との交流とはならないのだが、そこまでいけるということは私たちには少ない。

いやまずは第一の段階を目指すのだが、それがうまくいえない。そこが難問である。簡単なことがなかなか言えるようにならないのだ。

もちろんその段階に達した人は日本人には多いのだろうが、それから先へ進める人はもっと少なくなる。英語を話すという以上は第二段階にまで進みたいものだが、それは私にはもう夢でしかない。


和文英訳(英作文)

2008-06-12 11:40:00 | 受験・学校

昔、高校生の頃、受験勉強で大学受験ラジオ講座を聞いていた。

その中に東京外国語大学の海江田進先生の和文英訳があった。その講義を聴いてはじめて日本文を英語に訳するにはまず日本語を英語に訳しやすいようにその意味を考えるということを知った。

高校の英語のN先生は英語のよくできる人であったが、それでもその講義でそういう風にするのだということは直接は教えてもらわなかった。

これはずっと後になってだが、作家の小田実が予備校の英語の講師として和文英訳を担当していたときに、彼の講義がまず日本文をその意味をよく考えてそれを簡単な英語に訳すという風に進めていたことを小田のエッセイで知った。

小田はその日本文の意味をよく考えるということに和文英訳の時間の大部分を使ったという。

英語はあまり上手ではないが、私も論文を書くときには言いたいことをまず箇条書きに日本語でまとめておいてそれをできるだけ直接に英文で表現するのが常だった(これを梅棹忠夫は「こざね法」という。「知的生産の技術」(岩波新書)参照)。

英文を書き始めた始めのころはひょっとしたら、日本文をまずつくっておいてそれを英語に訳そうとしたかもしれないが、そんなことはうまくいかないことがすぐにわかった。というのは日本文がうまくは書けていないからである。それですぐに日本文を和文英訳することはあきらめた。

それに大学院生くらいだと指導教官がその英語を添削してくれる。いや、はじめは日本語で書いた論文も添削をしてくれた。そのころは文章を書くのにいつも苦労をした。

たくさん、長文を書くのだが、それがばっさりと削られて短い簡潔で要を得た文に変わっていく。その結果としてはじめに自分の使った単語はあちらこちらに浮かぶ小島のように残っているだけである。

そういう訓練を経て、やっと日本文が書けるようになった。もっともいまでも悪文かもしれないけれど。

いまでは他人様の日本語の文章の「てにをは」にまで手を入れるということまでする。畏れ多いことである。一般に人は話をすることはできるが、意味の通った日本文を書ける人は少ない。

文章を書くことは多分に訓練によるので、私の知人なども「はじめは文章を書くことはね」と敬遠していたが、この頃はあまり長くない文章なら、すらすら書けるようになった。

人にできることは他の誰でも訓練さえすれば、誰にでもできるものである。


野口英世

2008-06-11 12:42:21 | 受験・学校

最近アフリカ賞とかが設定されて、また野口英世の記念切手が発行された。これはアフリカの存在が世界で大きくなってきたことの反映だが、私のような者には懐かしい思い出もある。というのは私の卒業した今治市のH中学校ではその当時の校長渡辺勝が野口英世に傾倒した人でいつも校長訓話で彼の話を聞かされていたからである。

今もあるかどうかは知らないが、正門を入って右側のところの脇に野口英世の銅像があった。もちろん、野口のいい面ばかりではなく、陰の面についても時々話があったと思うが、それでも全体的な話の調子は「彼の努力をする姿勢を見習おう」というところにあったのは確かである。

そういう話を聞いて育ったにもかかわらず、とても立派な人物にはなれなかったが、知らず知らずに大きく影響を受けているかもしれない。しかし、教育などというものはその影響を云々できるのは百年のオーダーの話であるし、個人の資質とかもあるので、どれくらい影響を受けたかの評価はとても難しい。

ところがこのごろは授業評価とかで大学でもセメスターの始めの1/3での出席率と中ごろの1/3の出席率および終わりごろの1/3の出席率を比べて、それが悪くならなければいい講義というか場合によっては給料に反映するかもしれないなどといわれると鼻白んでしまう。

もっともそういうことが本質ではないと誰でもいまの先生は思っているが、50年くらい先の大学の先生にはそれが当然のこととなっているかもしれない。世の中の趨勢は予想ができない。


ぐち

2008-05-27 11:39:55 | 受験・学校

この季節になるといつもぐちが出る。講義の内容がわからないという学生が何パーセントか出るのだ。今年はそれほどパーセントが多い訳ではないが、それでも内容がわからないというアンケートが出るのだ。具体的な質問なら説明のしようがあるが、一般的にわからないといわれても対処のしようがない。

私が学生のころに先生に言われたのは「わからないところがわからないという学生には対処のしようがない」と。

いま私の方で分からないという学生の分からないところを推測をしていろいろ説明をするのだが、一向にわかったとはいってくれない。また積極的に学生の方からそれもどこがわからないかを示すこともしない。これは一部の学生の話であってもちろん全体の話ではないが。

だから、本当にわからないことを分かろうとしているのかという疑問が出てくる。授業というのは分かろうとしない人にはわからないものだ。いつも馬を川岸に連れて行くことは出来るが,そこで馬に無理矢理に水を飲ませることは出来ないというたとえを出す。

どんな人にでも分かるところはあるはずだ。その分かる境のところをつきつめていけば、分からないところがはっきりしてくる。そういうアドバイスをしてみようか。


講義ノートの作成

2008-05-17 16:35:22 | 受験・学校

大学で教える人は講義ノートを作成しなくてはいけない。これが意外と手間がかかる。飯の種なんだからといってしまえば、それまでだが、あのファインマンだってそれで悩んだくらいである。

凡人の私たちが手間がかかるからといって悩む必要はない。確かにはじめの一年は他の仕事ができないくらい大変である。私も新しい授業に何度か取組んだが,そのときどきに講義ノートの作成に時間をひどくとられた。

同じ講義を2年,3年と繰り返しているうちにそれほど時間をとられなくなったが、それでも毎晩遅くまで次の日の講義の準備をした。

いや講義ノートは一度つくれば、それをすこしづつ改訂していき、また講義の仕方を考える。そのことはあまり講義ノートをつくらなくても変わらない。どういえば、よりよく理解してもらえるかそれでいつも悩む。

自分では快心の授業でも残念ながら、学生にとっては分かりやすい授業とはならないことが多い。

いまは先週の講義をつぎの時間でわかりやすく教えて、つぎの内容へと進む。この後半の授業内容は十分に時間がとれないから、学生からの質問がアンケートに出る。それをまた説明してという具合である。

学生からの質問に答えるという形でも講義はある意味で成功を収めている。


オフィスアワー

2008-05-16 11:37:30 | 受験・学校

オフィスアワーに木曜日には16時から1時間ほどM大学にでかける。今日は2回目だったが、誰も質問には来なかった。質問に来るためにはかなり勉強しなければ質問できないから,質問に来る人はいないだろう。

そうは思っているが,いちおうオフィスアワーの制度があるということでその時間は詰めている。所在がないので仕方がなく自分の仕事をもっていってそこでしている。

わざわざ大学まで行くのが面倒だが、それも気分転換と思っている。それに教材のプリントを印刷してもらう必要もあるので、まったく無駄というわけでもない。

しかし、人間はそういう制度をつくれば、もう大丈夫とばかり安心している。それでは駄目なのではないかと思う。学校は制度をつくってそれを利用しない者が悪いといわんばかりだが、そういう消極的なことではいけないのだろう。もう一歩どのように踏み込むのか、それができて本当の教育ということなのだろう。

また、先生は薬剤師の国家試験でなんとかということについての試験が出たとかおっしゃる。しかし、それは正規の授業でカバーするテーマである。この感覚のギャップを埋めるのはかなり大変である。いや正直にいうとギャップは簡単には埋められそうにない。


明日から授業

2008-04-13 19:20:34 | 受験・学校

明日から今年度の授業が始まる。半年振りの授業なので体が重い。授業のプリントは教務係りに頼んである。多量の印刷なので事務の人に半分は持っていってもらわないといけないだろう。

薬学部の基礎物理学であるが、基礎知識の設定が難しい。いつも健全なる常識さえあればと言っているが、意外にもそれ以外のことを予想してしまっているようだ。使う数式とか記号とか用語でいつも文句が出る。質問には丁寧すぎるくらい丁寧に答えているが、それでもわからない人がいる。中学レベルの理科の知識を想定しているが、それよりも低い人もいる。

質問や感想を書いてもらうことにしているが、それにいろいろなことが書いてくる。程度が低い人もいる。いまや大学は志望者を全入させてその高校教育で不足だった教育も引き受ける覚悟があるのかどうか。それなしには成功はありえない。


野原三郎先生

2008-03-13 13:21:31 | 受験・学校

野原三郎(札幌の出身だったと思う)という名を聞いて懐かしいと思う人は相当のお年に違いない。旺文社のラジオ大学受験講座の英文法で有名な講師の先生であった。

特にその単語を口調で教えるというところがまさに独特であった。

私も一つだけまだ覚えている。businessという語だが, その意味を(商売、義務、事務、a 事件、a 店)というのである。不定冠詞aがbusinessにつくと事件とか店という意味になるという。

高校生の頃にはそういう語をかなりたくさん知っていたのだが、今ではもう覚えていない。

野原先生がデビューしたのは「考え方」で有名だった日土講習会での(英語)単語塾だったらしいがその辺はよく知らない。

中学校の頃に英語が得意だった私を友人のO君が野原先生の書いている英語の言い回しを覚えてきて、私に尋ねて「私が知らない」といって得意になっていた。そのころの旺文社発行の雑誌の野原先生の講座はまったく面白いものだった。

野原先生の口癖は「花より単語」であり、これはもちろん「花より団子」をもじったものである。

先生には「英文法の要領」という著書があり、長いこと持っていたのだが、甥に貸したら帰ってこなかった。昨日インターネットで調べたら、2300円の値段がついていた。甥がまだもっているか聞いてみようかしら。

「親ばかちゃんりん、蕎麦屋の風鈴」は英語ではIt is a wise father that knows his son(これはもちろん反語である。「自分の息子のことをよく知っている父親は賢い父親だ」とは本当は「そういう父親はほとんどいない」ということだ)にあたるという。それでこの英語のことわざを覚えた。

野原四郎という現代中国の専門家の方が居られたが、彼は三郎先生の弟さんではないかと思いながらそれを確かめたことはない。

なんでこの野原先生を思い出したかというと「私も親ばか」だからである。二男のことを自慢したいと思ったことが野原先生を思い出した理由である。


英語と辞書

2008-02-15 16:24:32 | 受験・学校

Can you read me? といわれて「お前の何を読んだらいいんだ」と思っていはいけない。これはよく映画やテレビのニュースで宇宙飛行士とヒューストンとの会話でやり取りされる言葉である。同時通訳とか字幕では「聞こえますか」と訳している。Can you hear me ? と絶対にいわないのかどうかは知らないが、普通にはCan you read me? のようだ。

中学生の昔You had better (should) book a seat. とかいった文章を読んでbookが動詞として使われることにぶったまげた。そういえば、予約するという意味にbuchenという語をドイツ語でも使うことがあるようだ。一昨日だか昨日だかテレビの英語会話でreasobnable priceを「手ごろな値段」と訳していたが、このreasonableをどう訳していいかいつも困ってしまう。合理的なというのもおかしいし、適当なとかいつも訳に困る。

昔、論文を書いてほんとに真っ赤に添削されて自分の使った元の語彙がところどころ大海に浮かぶ島のように残っているというそんな頃だが、「実際に」という語にreallyと訳をつけたら、さりげなくactuallyと添削されて、このactuallyを覚えた。「実際の場合に」というときにはin actual casesなどという。

それよりもっと後だが、8年ぐらいアメリカにいて英語の達者だった同僚のS先生と懇意だったので、論文の英語をみてもらったが、「完全に」をなんだか訳がおかしいよなあと思いながら, totallyと訳しておいたら、entirelyとさりげなく直してもらった。これなどはentirelyが英語に出てくれば、まったくとか完全にと訳せるが、日本語から英語としては私には思いもつかなかった。そうやって一つ一つの語を覚えていくのだ。まだまだ語彙は不足している。

物理の本を読むときはそれでも辞書を引く回数は多くないが、これを日本語にしようと思うとつい訳語探しに辞書を引く回数が増える。しかし、辞書にはなかなかこなれた訳が載っていない。それで訳しにくいことが多い。identityなんて語もそのうちの一つだ。identity cardといわれると身分証明書とわかるが、identifyという語の訳はぴったりするものを知らない。

そういえば、長男と品川のホテルで会って、食事にホテルの前のレストランに入ったときアメリカ人が隣の席に座った。何の用で日本に来たのかと尋ねると仕事だという。そして彼はIBMに勤めていることがわかった。それで技術者かと聞いたらそうではないという。仕事は何に関係しているかと聞いたら、logisticsだというそれで物品の調達の取引に来ていることがわかった。

彼が帰った後で長男にlogisticsをどう訳すかと聞いたら、即座に「兵站」と答えたので、お互いに笑ってしまった。これは大抵の辞書にそう出ているからである。長男しばらくあって「物流かな」とつぶやいた。物流とか物品調達などという訳は辞書にはまだ載っていないのだろう。


長所を伸ばせ

2008-02-14 13:20:27 | 受験・学校

昨日は「短所が長所に変わる」ということを述べたが、教育のもう一つのあり方はその人の「長所を伸ばして短所には目をつぶる」という方法がある。日本ではあれもできないではないか、これもできないではないかと言われるが、アメリカ等ではいいところを伸ばそうとする。そうすれば、その人が自信をもってのびのびと伸びて行ける。

ドイツ語で教育とはErzihungすなわち直訳すると「引き出すこと」であって、日本語の「教えて育てる」という語感とはかなり違っている。ヨーロッパやアメリカで音楽教育を受けて演奏家になる人はその音楽で「何を君はあなたは表現したいか」といわれるといつか聞いた。

ドイツ語のクラスでYさんが「言いたいことが十分にいえるようになりたい」というのはいわゆる発信型のコミュニケーションを目指しているのであろう。確かに発信型の人間の育成は大切なことではあるが、長い間普通の日本人をやってきたのだから、その特徴を生かした言語とか思想があるはずだ。「控えめさ」「受容力」とかの長所を生かしながら、かつ外国人とも互いに理解できるような程度に言語もレベルアップできたらと考えている。


短所は長所に変わる

2008-02-13 14:47:30 | 受験・学校

昨日NHKの「プロフェッショナルの条件」を見ていて、「短所は長所に変わる」ということを聞いた。少なくとも可能性があるということだ。

例えば、私はいまでは数学好きな人間と思われているが、決してそうではなかった。多くの人が理系志望から文系志望に変わるという現象が日本ではある。これは大抵数学ができないためである。しかし、その反対に少数だが純然たる文系人間から理系に変わる人もいる。

私が文系から理系に変わったというつもりはないが、日本でもいくつかの知られた例はある。数学者の八杉真利子さんは哲学か科学基礎論専攻から転向したのだし、もっと若い人では新井紀子という数理論理学者がいる。

彼女は法律か何かを専攻していたらしいが、いまではいくつかの啓蒙的な数学書を書いている。二人とも数理論理学とか数学基礎論を専攻しているところがちょっと似ている。また、アメリカで勉強をしたところも同じだ。新井さんの本を買って読もうかと思いながらまだ果たしていない。

また竹内薫という名で物理の啓蒙書を書いている人もはじめは東大経済学部か何かの出身である。もっとも竹内さんの場合はその後東大の物理学科に学士入学して、物理学科を卒業している。大学院はカナダのMc-Gill大学だと思う。

数学の得意な理系出身の人が数理経済をする例は多い。これは理系から文系への転進とは一概に言えないだろう。私の子どももその範疇に属している。

外国では有名なノーベル賞学者のde Broglieは30歳くらいまで西洋史の専攻だったというし、素粒子理論のスーパーストリングで有名なある学者は先年数学でフィールズ賞を受けたが、彼はやはりはじめは大学で文系の学問を修めていたとかいう(2013.12.9 付記)。

私はまだ現在のところまだ図を描くのが下手だが、そのうちにいずれかのグラフィックスを習得して弱点が克服されるかもしれない。

大学でドイツ語を習ったときにその語法がまったく理解ができず、これを克服することが困難な課題であったが、現在ではカタコトでもドイツ語を話せるようになった。もちろんその間には涙ぐましい努力があったはずだが、そういう風に自分で思ったことはない。

数学だって高校のときに因数分解ができず、また方程式と恒等式の区別を知らなくて大いに数学の学習で苦労した。そして、それを克服するのに多くの時間がかかった。だが、そういう経験が今に生きていると思う。もし私が高校のときに数学をなんなく理解して得意であったのなら、現在の私はないだろう。

(2013.12.9 付記) この学者の名前はWittenであった。どうしたものかこのブログを書いたときには度忘れをしていたが、物理学者の亡くなった木村利栄先生のこと思い出したときに、このWittenという名前も同時に思い出した。木村さんがWittenがどうとか言われていたということを。


図の入力その後

2008-02-02 11:32:15 | 受験・学校

数学エッセイ「オイラーの公式の導出いろいろ」の図を結局pticture環境で昨日入れた。円の半径が小さいが仕方がない。

一方、エッセイ「グラフの平行移動」のためのグラフをGRAPESで二つほど描いてみた。もちろんまだ出来上がっているわけではないが、マニュアルを読んでそれを少しでも使ってみたいからである。

このGRAPESでいろいろな図が描けそうだが、latexに取り込み方はわかっていない。それで印刷したものをスキャナーで読み込んで使おうと思っている。

ところが私のところにはスキャナーがないので、誰かに頼んでスキャナーで読み込んでもらってメールで送ってもらうかスキャナーを手に入れなくてはならない。いいのは自宅にあるスキャナーをもらって来ることである。


シラバスの入力

2008-01-10 11:57:29 | 受験・学校

昨日2時間ほどかけて松山大学でシラバスの入力を行った。VPNという自宅から松山大学のポータルへの接続が不安定なので結局非常勤講師室に行って、そこのパソコンから入力をした。

一昨日に大体の案を作っておいたので、それを単に入力するつもりで行ったのだが,やはり手直しをした。プリントを教務係でつくってもらってそれを配布して授業の資料とする。

昨年つくったものを基本にしていくらか補足の資料をつくれば、今年の教材となる。昨年苦労してつくったから今年は少しだけ手が抜けると思う。


教育のマニュアル化

2007-09-04 12:12:19 | 受験・学校

以前から大学の基礎数学のe-Learningの教材をつくると言いながら、果たせてない(注)。

昨夜NHKで会社の人事も経理も総務までもアウトソウシングで中国へ出されて日本に事務の実体がなくなってきているというドキュメンタリーを見た。

この手のことで言えば、教育もそのうちにマニュアル化されて一部は教師の仕事から他のところへ移っていくということも十分考えられる。

放送では総務というのは何でも屋でマニュアル化しにくいと総務の担当者たちは思っていたのだが、意外にそうではなかったということが出ていた。

数学や物理学は理解するのに時間がかかり、マニュアル化しにくいと思われているが、本当にそうだろうか。

e-Learningなんてことを考えるのもある種のマニュアル化なのでどうも心苦しいところだが、それはある意味で必然のことでもある。

ただ、私たちの意図は必ずしも財務的な観点でやっているわけではないので、根本的なところは違うがある種のマニュアル化を促進しようとしているところは同じかもしれない。

教育のマニュアル化もすでに教育産業において模試とか添削とかいった業務で行われていると思うが、それ以上のことが進行するだろう。

最後には先生と生徒や児童とのふれあいといったところにしか教育は残れないのだろうか。

(注: 2013.11.20付記) 大学の基礎数学のe-Learningの教材についてはどこまでつくったというべきかはわからないが、ある程度はつくって愛媛大学で運用中である。

アクセスの数が多いかどうかはわからない。もっとも他のブログでも書いたかと思うが、三角関数についての箇所が欠けている。

コンテンツは自信作なのだが、教育経験のある方からもあまりほめられたことはない。例題とか演習問題に特色があるのだが、それを評価できる方が少ないのかもしれない。

もっとも、もっと改良すべきところがあるのかとも思うが、説明部分がどうも新味を出せない。というか自分でももどかしいがなんだか陳腐だと思ってしまう。

これは取り扱う内容自身がもともとそうなのかもしれないのだが。


試験の答案から

2007-07-26 11:17:18 | 受験・学校

基礎物理学の答案から知ったことは意外と私の講義のやり方が支持されていたということである。

講義の前半部で前回の質問とか感想への返事をする。これが意外に時間がかかるが、それを気にしないできちんと行い、それがすめばその時間のテーマについて講義する。最後の10分間はアンケートで質問や感想を書いてもらう。

前回の質問や感想に答えるところが長くなり、講義の本体が少し短くなるが、どうせ難しいところは聞いてもわからないからさっと済ませる。講義で十分でなかったところはアンケートでの質問が寄せられればそこで詳しく答える。復習でもあるが、できれば前の講義での論点と違った観点についても触れる。こういうやり方だ。

「講義の印象に残った点について述べよ」という救済問題(正規の問題に答えられなかった学生が1問だけ選べる問題)の答えからは採点者としての私に対する迎合もあるのだろうが、肯定的な反応がほとんどだった。あくまでも彼らの期待した講義ではなかったところが意外に好評である。これは自画自賛的だからちょっと割引が必要だが、それでも学生の本音の部分もいくらかはあるだろう。

いつかの授業前に会ったある学生からは時間の使い方がうまくて授業に集中できるという感想をもらっていた。その学生は以前は他の大学の国文科の学生であったそうで、薬学部へと方向転換したために物理は高校でも学んだことはないと言っていた。

しかし、授業の途中では内容が難しいとの反応やH先生の授業より難しいとの厳しい批判もあった。それでこの授業は未修教育ではないといったが、最後まで一部の学生の理解は得られなかったと思う。

質問に答えないという不平もあったが、それならなぜ授業中に質問をしないのかと授業で言ったのだが、そのことについての反論はその後出てこなかった。アンケートは授業のほんの一部で授業とあわせて成り立っているという考えがないらしい。

言葉がわからないという批判もあった。それに対して「日本語で話しており、また講義ノートもあるのだから、わからない言葉を書き出して一つ一つ科学事典で調べたらどうですか」 といい、「それでもわからない言葉は質問してくれてもいい」といったが、それを実行した学生はいなかった。