物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ブログの休み

2010-03-17 19:29:49 | 日記・エッセイ・コラム

明日から数日ブログを休みます。これは妻の高校時代の同級生が3月末に大学を退職するので、その彼の大学時代最後の展覧会を見に長崎まで行くからです。

彼は画家であって、狭い意味の洋画家ではないが、多分広い意味では洋画家に入るのであろう。フランスに長くいたので、なかなか日本では職が見つからなかったらしいが、いつの頃からか大学に職を得て、いろいろな人々と展覧会を開いてきた。

いつだったかは偶然に千葉での展覧会に私たちも上京していたので、見に行ったらとても喜んでくれた。それ以来展覧会を開くときにはきまってその案内をくれるようになった。

大抵は遠くで出かけることができないのだが、今回は退職記念の展覧会ということもあって数日の予定で出かけるのである。これは妻の父が愛媛県の美術館で個展を開いたときに遠くから初日に駆けつけてくれたことへのお返しの気持もある。

妻の父は数年前に亡くなったが、亡くなる数年前に幸運にも愛媛県の美術館から個展をしませんかとお誘いを受けたのであった。ところが、自分は十分によく描けた絵がないとか言って今にも断りそうだったのだが、妻がその絵の目録を作ったりして、なんとか個展にこぎつけた。絵を描いたのは義父本人ではあるが、娘である私の妻がいなかったら、この個展は実現していなかった。

私ども家族の見るところでは妻の努力がすごいもので、食事のときにいつもあの絵はどうしたとかいつも言っていた。それが何週間も続いた。実際に個展を開いて見ると個展に必要な点数は十分にあり、美術館に恥をかかせることもまったくなかった。

その上、個展が終わった後だったと思うが、個展に出品した絵の画集を発行した。その画集の発行のときもはじめは義父は乗り気でなかったが、松山一の印刷会社に昔から知っている人がたまたま勤めていてその印刷の色合いをいろいろ工夫してくれた。この知り合いの尽力に今でも感謝をしている。

こういうラッキーなことが重なって義父は生涯の夢だった愛媛県の美術館で個展を開くことができたばかりではなく、上に画集まで発行したのだった。もっとも画集に収録する作品についてはかなり義父の要望が強かったので、家族としてはもっと多く入れたほうがいいのにとは思ったが、点数はかなり限られてしまった。

義父の死後、かなりあった大きな絵の処分に困り、I 市のY病院に大部分の絵を寄贈すると申し出たら、その病院で買い上げてくれたので、義父の作品の大部分はY病院の廊下とか食堂等のホールに架かっている。有難いことである。この病院の院長は義父の教え子ではあるが、大いに世話になった。


ルネッサンス時代の発明

2010-03-17 18:48:12 | 日記・エッセイ・コラム

先日新聞を読んでいたら、ルネッサンス時代の三大発明として「羅針盤、火薬、印刷術」の発明があると書いてあった。羅針盤は多分大海原に船を出すという勇気を人々に与えてくれたのだから、これは大発明であろう。

火薬がどういう意味で大発明なのかは知らないが、必ずしもこれは戦争を変えたとだけ言ってはいけないのであろう。狩をするときに弓矢や槍とかで獲物を捕らえていたのを、銃で撃つことができるようになったことが大きいであろう。

また印刷術は、もちろんこれは活版印刷を意味するが、書物の普及を一般化したであろう。

私は30数年前にマインツという大学都市に住んでいたが、マインツはグーテンベルクの生まれた都市である。そして、マインツを有名にしているのはなんといっても彼の印刷術であった。

彼が始めて印刷したという聖書が町の博物館にあった。とても大きな本で色刷りだったかどうかは忘れたが(私の記憶では色刷りだったと思う)、開いた状態で畳半分くらいはあろうかと思われる、立派なものである。

その本のための一つの部屋があって、まるで金庫か何かのような金属製の丸い扉をくぐって中へ入っていき、その聖書を見たと思う。

カールスルーエで研究していたエジプト人の化学者一家がマインツに私たちを訪れたときに、一緒にその聖書を見たのである。。

数か月後に私たちの帰国の日が近づいていたと思うが、そこで彼から頬をくっつける、いわゆるビーズの挨拶をされたことをいまでも昨日のように思い出す。

やはり彼も知り合いになった私に、おそらくはもう会えないからという気持ちで、親愛の情を表したかったのであろう。それから30数年が経つが、それ以来彼には会ったことがない。

彼の小さかった子どもさんたちも、もういい大人になっていることだろう。男の子と女の子の一人づつだったと思う。私たちの子どもよりは1,2歳は小さかったように思う。