森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「吉田拓郎ラジオでナイト」で胸がいっぱいに。

2019-03-25 01:53:54 | テレビ・ラジオ

2017年4月から始まった「吉田拓郎ラジオでナイト」、毎週欠かさずに聴いていました。

とうとう次週31日で最終回を迎えます。

「一人でしゃべってます。」と拓郎さんが言いますが、聴いている私たちは、真夜中の一人の部屋にいても一人じゃなかったです。

ツイッターの仲間と一緒に聴き続けた2年間だったと思います。

 

今日の放送(24日~25日)で、私、思わずぽろぽろ泣いてしまいました。

その内容は、驚く事に、番組が終了した途端に出ていました。(凄いね !)

ネット記事は、時々ろくでもないのもあるけれど、これは話した通りの事が書いてある良い記事だと思いました。

→声帯にがん再発…吉田拓郎が5年前の闘病を涙で告白

 

2014年、私も毎日点滴を受けに病院に通ったなとか、ふと思い出したりもしましたが、涙の訳はそれではありませんでした。

拓郎さんが涙をこらえて声を詰まらせたからでもありません。いや、それは少々あったかも。

 

だけどそれは、

自由が丘に行きました。」と言う記事の中で、彼と同じ肺がんと言う病に侵された妹に

>「吉田拓郎だって治って今じゃ、ツアーなんか出来るのよ。」などと言う私。

などと言って励ました事を思い出したからなんです。

乳癌の次に肺がんと闘わなければならない妹に、もっと彼の事を伝えてあげたい気持ちになりました。

「吉田拓郎だって、二度も癌と闘って、そして5年が経ち、ツアーなんか出来るのよ。」と。

 

本当に励まされました。

そして

>「心でずっと思っていることは、皆さんの健康とか、そういうものを心から願っています。そして、愛情があふれた日常生活を皆さんに永遠に送っていただきたい。そうふうに祈っております」

の言葉に、ますます彼が好きになりました。

今回の放送を聴き逃した方は、または聴いてみたい方はradikoのタイムフリーで聴けますよ。

 

吉田 拓郎 アゲイン


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「百鬼夜行抄27」発売中+「ポーの一族」再開は。

2019-03-24 13:33:26 | 漫画・マンガ・まんが

 

百鬼夜行抄 27 (Nemuki+コミックス)
今 市子
朝日新聞出版

毎年夏に新刊が出ていた「百鬼夜行抄」。

26巻はAmazonさんから情報が来たので、予約で買えたのですが、まったく来ていなかったのです。

昨年の夏から気になっていて、たびたびチェックを入れてましたら、なんと20日に発売したそうです。出遅れました。いや、まったく出遅れても問題は何一つないのですが、好きなものは早く読みたいじゃないですか。

早速、注文しました。

感想は後日ですね。

 

後ですね、「ポーの一族」の「ユニコーン」はいつ再開なのかと、それもチェックしていました。

こちらも今月からですよ。

3月28日発売なので、ただいま予約発売中です。

・・・・

月刊flowers(フラワーズ) 2019年 05 月号 [雑誌]
小学館
小学館

 

28日は家にずっといる予定なので、こちらもAmazonさんを利用しようかなと思っています。

とりあえず情報を入れておきました。

 


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ぶらり川越日記《駄菓子屋横丁と蔵の街》

2019-03-23 17:31:57 | お出掛け日記

・「ぶらり川越日記《喜多院の五百羅漢》

・「ぶらり川越日記《川越城本丸御殿&ランチ》」の続きです。

やっぱり「蔵の街、川越」と言ったら、その象徴的な風景は「時の鐘」のある風景だと思います。

川越に来たのは2回目で、それで前回来た時の記事をリンクしたりしているのですが、画像に関して言えば、今の方が微妙に撮り方も上手くなっているのではと自己満足しています。ただ、この「時の鐘」の画像に関しては、どうも2007年の方がアングルが良いような気がしてしまいます。

それは人が多くて立ち位置確保が難しかったからというのが、その理由だったと思います。

 

だけど明らかに画質は、今の方が綺麗で、それはカメラのお蔭。

10年の時の重みがそこにはあるのかも知れません。老いて行く肉体とは反比例して進化して行くものも多いのでしょうね。

 

(2007年の時の『時の鐘』)

 

さて、妹と私はお昼を頂いてお腹も一杯になり、次は「駄菓子屋横丁」と言う所を目指していきました。

でも私・・・・・、

何かを間違えたと思うー。

 

途中で

 あんずの花が満開なのを見ました。

ここまでは間違えていないのですが、「駄菓子屋横丁」に着いたら、何やらお醤油の焦げるいい匂いが。

だって駄菓子屋横丁ですものね。

楽しむためには、鰻玉丼でお腹をいっぱいになんかしちゃダメですよね。要するに歩く順番を間違えたかも。

 

あー、どうしようかな。えーと、どうしようかな。

だってここからは、どうしてこの人はodebuなのかの秘密暴露記事のようなものですから。

書くべきか迷うでしょう・・・・。

だって、私、1本50円のそのお団子を食べちゃったんです。(って、書くのかい。)

雰囲気に負けて。

だけど「あっちゃー」って思いました。

いや、「あっちゃー」って思っただけです。これ以上は何も言いませんよ。(ただ食べてしまった事にではありません。)

 

駄菓子屋横丁では、お土産をゲットしに来たのです。そして干しイモと薩摩チップをチョイスしました。レジでスィートポテトも、うっかりと明日のおやつに選んでしまいました。(私的には、これすごく美味しかったのですが、夫殿には甘すぎてなんか文句言っていましたが、「あっそう」と私が不愉快になって終わり。余計な後日談でした^^;)

賑やかで目が回りそうでした。だけど「いも恋」と言うお饅頭が気になって、またも手を出してしまいました。

 

ところがこれ、一口食べて

「・・・・・・」

二口食べて

「・・・・・・・」

私はしんみりと妹に言いました。

「このお饅頭さ、皮がお父さんが作ってくれたお饅頭と同じ味がする。」

「うん、そうそう。今、私もそう思っていた所なんだ。」

私たちは涙ぐみそうになりながら、それをしみじみとした想いで頂いたのでした。

 

まあ、ここの売り子さんたちは、お客の中で涙ぐみそうになりながら、食べている人がいるなどと思いもよらない事でしょうね。

 

駄菓子屋横丁でしみじみとした気分になった後は、「時の鐘」を見て、後は町並みを楽しむのみです。

 

いや、待って。

確か以前は、どこかの家を見学出来たじゃない?

そう思った私たちは、また余分に歩いてしまいました。

そこは結局は、「蔵造り資料館」の記憶で、そして今は耐震化事業中の為に休館中だったのです。

「『蔵造り資料館』の記憶」って、もう、本当にそんな曖昧な事を言ってないで、自分の過去のブログぐらい先に読んで行きなさいよってな所ですよね。

だけどそれを教えてくれたのが、「重要文化財大澤家住宅」の人でした。

 

もしかしたらここがそうだったかなと訪れたものの、民芸品のお土産を売る場所になっていました。

「確か二階に上がれて見学できるおうちがあったように思ったのですが・・・・。」と出てきた方に聞くと、

「うちも10年ぐらい前は、ちょっとだけやっていたのですよ。でも今はやっていないんです。後は「蔵造り資料館」も出来たけれど、今は改築中で休館していますから。」と教えてくださったと言うわけなのです。

中の写真はOKだと言うので撮らさせていただきました。

私はここでポーチの新しいものを、自分用に買いました。たぶん川越とはあまり関係のないものだったかもしれませんが、きっと良い想い出になると思います。

それを買って、やたらとってある古いポーチを捨てようと思いました。

 

そして今度は本当に街並みを楽しんでぶらぶらと歩き、そして途中からバスに乗り込み、川越駅に戻ってきました。

帰り間際に、その日一日が名残惜しくて妹とパッと解散と言うのではなく、珈琲タイムを持ってしまいました。

喉がカラカラしていましたし、何でか既にお腹が空いていたのです。(時間は結構街歩きで費やしていたので)

だけど我が町に帰って来たら日曜日は更にここは田舎度が増して、バスが何にもなかったのです。

テレテレと歩いて帰り、着いた途端に食事の支度を甲斐甲斐しくしました。(これがいまの私にはメインのお仕事かなと思っているので。)

夕食の時、自分の分の魚の切り身を「これも食べてくれないかしら。」とルート君にあげたら、

「食欲がないのか。」と言うので、

「いや、ちょっと私、いろいろとつまみ食いしてきて・・・てへへ」

 

というわけで、二度目の川越、新しいところをチャレンジしたわけでもないですし、イケメン青年に助けられたわけでもないですが(「小江戸川越散歩 その参」を参考に)、それでもとっても楽しかったです。

 

以下は町並み風景の写真日記。

川越のスタバには、少々驚きました。

 

 河津桜

 

 


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ぶらり川越日記《川越城本丸御殿&ランチ》

2019-03-22 23:44:45 | お出掛け日記

ぶらり川越日記《喜多院の五百羅漢》の続きです。

2007年の大河は「風林火山」。そこで河越夜戦を学びました。その影響で2007年に訪れた時に、一番行きたかった場所は「川越城本丸御殿」だったのです。

お城好きですが、天守のないお城なので、私的にはそう何度も訪問する必要はない場所に感じていました。だけど妹は初めて来たのでスルーするわけにはいきませんね。

それにここに来てみたら、意外と妹は歴史の建物などが好きなのだと言う事も分かりました。

だったらすぐ近くにある市立博物館にも行くべきなのかも知れないのですが、以前その辺も丁寧に回ったら、蔵の街エリアではあっという間に暗くなってしまったと言うような記憶が残っていて、妹に言って、そちらはスルーする事にしました。まあ、以前行ったのは11月だったので、暗くなるのは早かったわけですが、たぶん「お勉強は良いや」と私の中の怠け者が言っていたのかも知れません。

2007年の記事は「小江戸川越散歩 その弐」なのですが、そこで私は下記のような事をのたまっていますね。

>『そこからほぼ一分の所に市立博物館があります。そこを訪れれば歴史好きな方にはきっと満足を得ることが出来るでしょう。量的には大したことがありませんが、川越の見事なジオラマや、歴史的展示物には、観る価値があります。博物館は良いやなどと言わずに、是非訪れることをお勧めします。

 ところで、ここの中には水琴窟があります。水を砂利の上に落とすと、それが地の中で琴のように鳴り響く仕掛けがしてあります。耳を澄まして、しばし心安らかな癒しの時間を持ちました。 

    』

まあ、上の文で行った気分になる事にします、今回は (^_^;)

このお城は撮影は可でそこは嬉しいところですね。

今思うと、なんだかボーっと歩いてきちゃったなぁ。

もっと戦国を生きた人の気分になって、あの廊下などを歩けば良かった・・・・。

なんかはしゃいでいたもので。

 

 

ここを出て、「蔵の街エリア」に向けて歩きました。

その途中にあったのは、

上の地図にもある通り、残っているのは一部で、この街のお城エリア自体がお城の跡地に出来上がった街なのですよね。

これがずっと続いていたのでしょうか。

 

そしてこの後ランチタイムを持ちました。

この時すでに午後1時過ぎ。それでもどこもかしこも混んでいると言う雰囲気が漂っていました。

私はけっこう行き当たりばったり。

何か情報を先に得ているか、きっかけでも無い限り、ここでなくちゃと言うのはない方なんです。

ごく稀にはお店を目指していく事も、もちろんありますが、たいがいは

「あっ、ここ良さそう。座れるかなあ。」が基準です。

一件目の感じ良さそうなレストランは、ちょうど私たちの前で満席になったばかりという雰囲気。誰も並んではいませんでしたが、これからお料理が提供されて・・・・・・・、ああ30分ぐらいは最低待ちそうです。というわけで二件目。

夜は居酒屋、昼間はランチと言うようなお店。穴場だったみたいでガラガラでした。「おっしゃれ~」って感じじゃないですからね。

で、

鰻玉丼。

これ、卵にうな重のたれの味(もちろん鰻入り)がちゃんとして、美味しかったです♪

これが食べたいなと思ってこれを頼んだわけですが、しみじみとメニューを見ると、うな重が2000円。

うな重として見た場合、安いかも。

あっでも柴又でも、入ったお店のうな重はやっぱり安くて、友達が「半分だな。」と言っていたのです。半分というのはウナギの量です。じゃあ、ここもそうかなと思いつつ、量的にはその方がちょうど良かったのかなと、珍しく頼んだ後で、ちょっとだけ心が揺れました。

でも美味しくて、1200円とお出掛けランチの割にはお安く澄んだのですから、まっ、良いかと言う所ですね。

(いや、安くあげといて良かったです。これはまた別のお話。)

関係のない話ですが、そのお店に有った「茜霧島」と言うお酒が気になりました。

「黒霧島」「赤霧島」・・・・・。

私は飲まないけれど、ファンの人って結構いるじゃないですか。ときどき贈り物に使ってます。

「茜」はどうなのかしら。お店の人に聞いてみたら良かったナ・・・・などとちっぽけな悔いはあったけれど、おおむね順調。

 

次は駄菓子屋横丁に向かいました。

 

 

 


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ぶらり川越日記《喜多院の五百羅漢》

2019-03-21 23:58:28 | お出掛け日記

川越に行ったのは二回目。じゃあ、前はいつ行ったのかと言うと、2007年の11月24日。

なんとひと昔前でした。

妹が川越に行った事が無くて、誰も一緒に行く人がいなかったら一人でも行くと言いました。一人でうろうろするのは意外と結構楽しい事なのだと私は知っているのですが、川越の賑やかさを想うと、ひとりで歩くのではちょっと寂しかろと思いました。

前に私が一人で日比谷公園の「クリスマスマーケット」に行き、あまりの賑やかさの中で寂しさを感じ、翌年姉妹を誘って皆で行ったことを思い出しました。

そんな訳で、本当に久しぶりの川越に3月17日に行ってまいりました。

 

一番最初に行ったところは、やはり以前と同じ「喜多院」でした。

妹が今回の私の相棒なので、蔵の街エリアだけでも良いのかなと思ったりもしたのですが、やはり「喜多院エリア」は外せないと思いました。

因みに2007年の記事は「小江戸川越散歩 その壱」です。

この「喜多院」の説明は、その記事から持ってきてしまいましょう。

>ここには春日の局化粧の間と家光誕生の間があるのです。川越大火の折、焼失してしまった所に、天海僧正を慕っていた家光が、江戸城から移築したと言うものです。残念ながら画像はないです。撮影は禁止ですから。

まったくもって前回と同じです。

ただ私の方は変わってしまいました。体型が……じゃなくて、感覚が。

2007年の時、私は

>後ここは、有名な五百羅漢がありますが、そちらも画像はないですよ。私はちょっと、そういう写真は撮れないのですよ。実際は五百以上の羅漢像が風雪に耐え佇んでいます。その一つ一つ違う表情には、驚くものがありますが、やっぱりなんか私にはちょっと怖いのですね。

と書いていたのです。

畏怖の心があったのでしょう。

今はまったくないのでしょうか。いっぱい写真を撮りまくってきました。

 

探すと干支を抱いている羅漢を見つける事が出来ると教えてもらいました。

 

 

牛歩のように歩いて探しましたが、そのうちコツが分かりました。

お金が置いてあるところがそれです(笑)

↓ やっぱり子育て中は良い顔をしてるって事かしら。

↓ いろいろな場面で使えそうです。

 (テヘッ^^)

 

喜多院の庭園。

 

 庭園の写真二枚は、意図せず2007年の時と同じアングルで撮っているのですが、(上の方に記事をリンクしています)、やっぱり今の方が、ほんのちょっぴり上手くなっているような気がします・・・・・

あっ、単にカメラが良くなったって事なのかも^^

コメント (4)
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相棒17最終回2時間スペシャル第20話「新世界より」

2019-03-21 00:19:40 | ドラマ(相棒)

亘が言いました。

「どうしますか。こんな時は『花の里』で一杯と言う所だったじゃないですか。寂しいですね。」

「寂しいですねぇ。」と右京。

「また違う所が見つかりますよ。」

「君は、案外楽観的なんですね。」

「よくそう言われます。」と亘は言い、そして

「じゃ、行きますか。」と、右京を誘います。

「じゃ、行きますか。」と立ち去る二人。

(セリフは不正確です。)

ああ、「相棒17」も終わったなあと思いました。

「花の里」に代わる、違うどこかが次のシーズンには出てくるかもしれませんね。

 

ところで最終回のお話。

実は途中で録画して電話の為に席を立ちました。

私はもともと、テロの話とか国際間の陰謀の話とか、パンデミックの話って好きじゃないんです。いっけん派手だけれど、大味の蜜柑みたいな感じ。

殺人事件から始まったわけですが、それでも怪しげな組織や、ウィルスの話が出てきた辺りから、もともと予告編でこんな感じとは分かっていた事ですが、感情移入が全くできず、今日じゃない日にまた見なおしたら、もっと面白く感じるかもと思いました。

そして席を離れたわけですが、夫殿はそのまま見ていました。

でもドラマでやるサスペンスは、登場人物が出そろった時にだいたい犯人がおぼろげに分かるじゃないですか。この時点で思っていた犯人さんは予想通りでした。

後は、記憶喪失に二人揃ってなっていた男女は誰なのかー。

 

電話から戻って来てみると、青年が

「2070年の未来から来た。」と言っているところでした。

なんと、とんでもない展開になっているじゃないですか。

でも私、この時ピンときました。

「ああ、これさ、ナイト・シャマランの『ヴィレッジ』じゃん。」って。

「ヴィレッジ」は最後のどんでん返しが面白いわけで、ネットで検索しても、この青年の「未来から来た」とどうして連想するのか分からないと思います。

でももう「『ヴィレッジ』じゃん。」と言った段階で、映画のネタバレですね。映画の方は未来は関係ないですよ。でもなぜ未来少年は出来上がったのかは、容易に推理出来て、後はその答え合わせをするばかり・・・・・・。

 

最終回なのに、こんな感想ですみません。

ナイト・シャマランの映画がよく賛否に分かれるように、今回の「相棒」も好きかそうでないか、分かれるところじゃないかしらと思います。

私はどちらなのか、もう一回ちゃんと見直して考えてみますね。

夫殿はちょっとダメだったみたいです。

 

私も今回一番ぐっと来たのが冒頭に書いたラストシーンでした。

そしてその次は右京さんのお説教のシーン。

彼の「傲慢」と言う言葉に深く共鳴しました。

勝手に決めて押し付けるなよなと思いますよね。

だけどほとんどの子供は、真実を知ってもそこに留まろうとしたのです。

やはりそこはユートピアであり笑いが絶えない故郷だったから・・・・・。

だけど私の中の意地悪な人が、突き放して言います。

単に怖いだけじゃない。居心地のいい小さな池から大海に出る事がって。

 

ああ、そう言えばですね、戻って来てからPCでブログの「リアルタイムアクセス解析」を覗いたら、

レディ・イン・ザ・ウォーター」の記事がけっこう読まれていたのです。あらッ、何でと思いましたが、きっとその記事内の「ヴィレッジ」の言葉での検索で来ていただけたのかも知れませんね。

 

というわけで、シーズン17も終わってしまいました。

シーズン中、多数の皆様にご訪問頂きありがとうございました。

またシーズン18で ♪ 

 

 

 

 


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「Sky presents 藤原竜也のラジオ」9

2019-03-19 21:58:43 | テレビ・ラジオ

例年と比較して今年は2倍とか3倍とか。

あっ、これ、花粉のお話だけれど、この言葉って毎年聞いているような気がします。昔は子供には花粉症ってなかったような気がするのですが、今は子供から花粉症の症状が出ていて気の毒だったらありゃしないですね。

とりあえず竜也さんは、一発で治す先生にかかって、今はまったくないそうです。

 

さてさて今回もラジオの、いつまで続くか分からない感想を書きます。

何気ない「プラトーノフ」と「ダイナー」の番宣&情報は楽しかったですね。

 

今回はノベルティグッズが完成して、チョーテンション高めの放送でした。

どれも満足のいくものだったみたいで・・・・。

クッションの所では

「配送が大変だな。」と言い

「あなたが配送の心配をすることない。」と言われ、お布団の時には

「どこに保管するんだ、これ。」と心配し、

「然るべきところで保管する。」と言われたりするところがニヤニヤポイントでしたね。

 

INハワイの話とか、インスタの話とかも面白かったのですが、

迷える猫さんのお便りは、心に残りましたね。

この番組は、短い時間にケラケラ笑って終わりのように感じる人もいると思うのですが、意外といつも何かが残ります。

それはもしかしたら、私が竜也びいきだからに他ならないかとも思うのですが、だからこそ「好き」という感情は大事な事だなと思うのですよ。

 

私はこの迷える猫さんのお便りでは、とある青年の事を思い出しました。26歳の歳の差まではいかなかったけれど、殆ど近かったのです。

その青年の話を初めてその子のお母さんから聞いた時に、

「その年上の女性の方が賢い大人になってもらわなくちゃ!!」と思わず怒りと共に言ってしまった事があるのです。言ってしまってから

「あっ、すみません。つい、ついね、思わず言っちゃった。」と笑ってごまかしました。

私などが口を挟める立場ではなかったからなのですが、その青年は小学生から知っている子供だったのです。結局親を苦しませつつ結婚したその青年の事はこれ以上書きませんが、首を傾げたくなるようなことが一杯でした。

 

迷える猫さんは良い人だなと思いました。悩んだり心が揺れたり。

歌を聴いて自分で自分の本当の気持ちを考えると言う解決方法も、行き当たりばったり感が漂っている割には、正しい方向に向かったと思いました。

まずは自分の本当の気持ちを見つめる事が大事な事ですものね。

 

その方が私のブログなどを読む事などはないと思うので、これは聞いた私の独り言。

だけど何事にも通じるような、1歩前へ進むための方法かなと思ったりもして。

 

あっ、私はお布団が欲しいな・…などとメールも書く気もないのに思ってみたり。

 

ところで、無料で視聴が出来るGYAO!で「ST」が3月23日の11時59分まで4話までですが見る事が出来ますよ。

今見ても、本当に面白い。

また続編とか作ってくれないかしら~。

 

 

ラブ・ストーリーは突然に - 小田和正


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いだてん第11回「百年の孤独」

2019-03-18 12:16:21 | ドラマ (大河)

※ お出掛けしていてリアルタイム(BS)には間に合わず、録画で観ました。

の、割には見直さないので、セリフはいつもどおり不正確です。

 

四三はずっと心の中の「もやもや」に苦しめられていました。弥彦がそれを

「君、それを西洋人は『プレッシャー』と呼ぶんだ。」

「『レッシャー』ですか。それは西洋人も皆持っているとかばい。」←あっ、無理。方言、私にはちゃんと書くのは無理(涙)

 

本当の敵の正体を知ると言う事が、本当に大切な事なのかと私は思いました。四三の敵は、自身の中のモヤモヤ。その敵の名前を知る。四三が一歩前に踏み出した瞬間でもありましたね。

 

四三を励ます弥彦でしたが、彼は四三の前に競技があり、やはり散々苦しんできたからこそ言える言葉だったと思います。

競技前、ガチガチになっていた(かどうかは分かりませんが)彼の前に、大森コーチが現れて

「ひとりで幾万の外国勢と戦をしに行くような顔をしている。」と言いました。

「君の本当の敵は『タイム』だ。一緒に走る外国の選手たちは、共通の敵と戦う同士だと思えないかね。」

そう言われて周りを見てみると、他の選手たちも皆弥彦と同じような緊張マックスの顔をしていました。

「楽になったかね。」と言う大森に、明るい顔で「はい」と答える弥彦。

だけど「三か月前に、その言葉を聞きたかった。」と彼は言いました。ずっとずっと苦しんできたのですよね。

やっぱりコーチ、大事ですよね!

それでも弥彦にとって良いお仕事が出来て良かったと思いました。

それから、時には「みな、同じ。」と思う事も大事な事だなと思いました。

 

ちょっとお話は飛び過ぎるほど飛びますが「ハケン占い師アタル」で、アタルのお母さんが言うじゃないですか。

「苦しんでいるのはあなただけじゃないのよ。皆同じように苦しんでいるの。だから頑張りましょう。」

これ女優さんの力もあるのだけれど、なんだか引きずり込まれるような魅力があり、私なんかは、この占い師が悪徳だったらコロリと騙されそうだなと思っていました。

(あっ、そう言えば、私も2月の終わりに、相当この言葉を使った事を思い出しました。というのは別のお話なので今はダラダラ書かないのでご安心ください。)

 

お話を元に戻して、本当の敵の正体を知った弥彦は爽快に走り、自分のタイムを大きく更新させたのは、本当に素晴らしい事でしたね。

それでも弥彦は、四三に

「日本人には短距離は無理なようだ。」と語りました。

「100年早い」とも。

「孤独」と言う言葉がたくさん出てきた先週ではなく、今回にこのタイトルが付いたのは、ここからなのかと思いました。

「短距離走の百年の歴史」ですよね。

短距離で、予選どころか世界に記録を残せるようになったのなんて、本当につい最近ですよね。

本当の三島弥彦さんがどう思っていたかは分からない事ですが、

「来ましたよ、100年後の未来に。」と彼に見せてあげたくなりました(/_;)

 

ついでにタイトルの「百年の孤独」。なんか凄く素敵なタイトルですね。

こんな小説があるのですね。リンクさせました。→「百年の孤独」

その説明の中に『要約が無意味になるほどの無数の挿話からなり』(池澤夏樹評)があるのですが、「いだてん」だって、エピの数的には、けっこうなもんだなと、あまり意味のない関連性を感じてしまったのでした。

そんな訳で毎回書ききれませんが、

・三島弥彦の手紙と母の信じる姿

・四三の押し花

・試合当日の四三と弥彦の水浴びの友情

そして朝太の初高座前の様子などなど

 

あっ、そうそう。

スルーしてはダメですよね。「NIPPON」での行進。

なんかもう、そこから感激しました!!!

・追加 安仁子は写真が下手

・入場行進の時の、彼女の応援ぶりはGOOD♡

 

というわけで、次回も楽しみです♪

 

 

 

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ラッキーな「矢切の渡し」

2019-03-17 00:47:55 | お出掛け日記

・「「柴又帝釈天」に行きました。その1

・「「柴又帝釈天」に行きました。その2」の続きです。

ずっと昔から、「矢切の渡し」に行ってみたいと思っていました。

もちろん理由は、あの歌の影響です。

「連れて逃げてよ~」って、あれです。

あれっ?

「連れて逃げ・・・・・・」

その先の歌詞ってなんだっけなあ。

以前は1番くらいはみんな歌えたように思えたのですが。それだけ行きたいと思ってから時間が経ってしまったのだと思います。

 

お友達に「柴又」に行こうと誘われた時に、

「じゃあ、暖かくなってからね。」と言いましたら、

「寒くたっていいじゃん。」となり、3月に行く事になったのです。

だけどその時、私が少々心の奥底でがっかりしたのは正直な気持ちです。と言うのも、「矢切の渡し」が平日も稼働するのは、3月の中旬以降だったからです。ネットで検索すると、やはり13日はお休みになっていました。

それに稼働し始めたら、またそこは乗り込むまで待ち時間とかを考えなければならなかったのです。

一番初めにも書いたことですが、滞在時間は限られていますので、ちょっと難しい所かなと思っていました。

乗れなくても、その渡し場は見ておきたいと思いました。

 

その前に、帝釈天を後にした私たちが向かったのは、山本亭です。

ここで抹茶を頂きながら日本庭園を見ると言うのが、私の計画でしたが、どうも空気を読むとですね、みなさんはそれを望んでいないみたい。

これは後付けで思った事ですが、「何かを得るには何かを捨てる。」

で、この時私が捨てたのは「『山本亭』でマッタリ時間を持つ」ことでした。

 

私的には、「柴又」は二回行かなくても良いかなと思っているのですが、何が心残りかと言うとここに入らなかったことかもしれません。

それと言うのも、外観が「百鬼夜行抄」の飯嶋家みたいじゃないのなどと言う、そんな程度の理由で(^_^;)

まあ、古い建物が好きなんです、私。

 

で、何を得たのかと言うと・・・・・。

渡し場に行ってみたら、なんと、

動いていたのですよ!!!

確かに夕方以降は急激に気温が下がりましたが、日中はかなりの暖かさだったのです。

「わーいわーい」←心の中の声。

もちろん乗り込むでしょう。

まだ平日稼働が広まっていないせいか、待たずに乗船です。

 

気持ちが良いね~♪

 

この日、お昼の情報番組の生撮りの為にテレ朝のクルーが来ていました。

その数分の生の為に、何回も往復して撮影ポイントやカット確認、時間のコマワリ等、何度も練習するのですね。

その番組を見る事は不可能な事でしたが、むしろ良いものを見せて頂いたと思いました。

 

許可を得て、撮らせていただきました。

この人たち皆感じが良い人ばかりでした。

こういう稀なる経験も出来て、幸せな時間でした。

 

渡った先の風景です。

一番美しい季節の一歩前。

もう少ししたら、あちらこちらが桜色に染まり、そして更に時を待てば、川岸の柳も緑色に揺れるでしょう。

今は枯れ木ばかり。

その代わりに人間の数も少なかったというメリット有り。

何かを得るには何かを捨てる・・・なのだったのかな。

 

この後私たちは帝釈天の参道に戻り、ランチを頂き佃煮屋さんでお土産をゲット。お友達が「矢切の渡し最中」を買うのを眺めて、帰途につきました。

 

地元に戻り30分ほどバスの時間まで時間が出来たので、お茶を飲む時間も取れました。

9時半に家を出て、3時45分には帰宅しました。

短い滞在時間ではありましたが、充実した楽しいミニ旅だったと思います。

 

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「柴又帝釈天」に行きました。その2

2019-03-16 17:02:25 | お出掛け日記

・「「柴又帝釈天」に行きました。その1」の続きです。

中に入ると、立派な大鐘楼などが左手に見えました。そして正面にはトップ画像のような立派な松の木がありました。これは「隋龍の松」と言うのだそうです。さりげなく、ここでも私登場。

 

ここで先に謝っておきますが、私、本当に「フーテンの寅さん」に思い入れが無くて、この映画のファンの皆様には申し訳なく思います。

やはりここは、寅さんの街なのですよね。それなのに、思い入れがないものだから、今頃気が付いたのですが、前の記事でお団子を買ったお店、寅さんゆかりのお店ではありませんでした。

ゆかりのお店って「とらや」だったのですよね。(^_^;)

まっ、良いか。

買った所のお店も風情があって、美味しかったのだから。

「とらや」さんも、一応ジロジロとさりげなく見ていたので、印象に残っていますしね。

下の画像の緑の旗の所が、そこです、きっと。

 

 そして上の画像の良い感じの「大徳」と言うお店を覗いていたら、そこの御主人が

「ここは門前の店なので、試食も買い物もお参りが済んでからね。」と言いました。

なるほどなぁと思いました。

こういう1本筋を貫いてるおやじって、良いなあとか好きだなって思う人って多いと思うのですよね。

私も嫌な感じはしない方。だってそれがこのお店のルールなんですから。

 

しかしそんな時代遅れな事を言って、ある意味、客の自由を奪いまたは客を選んでも良いのかって一瞬思いましたよ。だけど佃煮の素材よっては、野菜やキノコばかりではなく多数の元生命体(小魚やしらす)であることを考えると、それを持って境内に入ることは、やはり私的にもよろしくないような気がしたのです。

コースを考えてきた時に、同じ道は通らないように考えてきました。もしも予定通りだったら、このお店では買い物が出来なかったと言う事になったと思います。

事実、「アーア」って思いましたもの。

だけど私の場合は、いつも予定は未定・…じゃないか、この場合は。予定は常に不確かな未来。

結局同じ道に戻り、同じ道から帰ることになったのです。

だから帰り道で、このお店の親切なおばちゃんの接客に気を良くして、一杯買い込んできました。

 

お話する順番が時系列ではないのですが、先にこの参道のお店の事をお話すると、いろいろと見るところを見てから最後にお食事をしました。

鰻などが有名みたいで、たくさんお店もありましたが、ご一緒したお友達が鰻が苦手だったこともあり、リーズナブルそうなお店をチョイスして入りました。

亀屋本舗と言うお店だったのですが、ここの限定ランチなどと言うものを頼みました。

色合い的に、いたって普通っぽいと思うのですが、お味が、なんて言うか、みーんな美味しかった♡

お店の中は、「ザ・食堂」と言う感じなのですが、思いがけない美味しさに「ちょっと、ここで良かったのではないかと。」と言うと、お友達からも賛同を得ました。

お土産は、既に先程言いました佃煮多数と、

 「柴又もち」なる焼き草餅とかを買ってあったのですが、最後にお友達が「矢切の渡し最中」を買いました。確かに最中は魅力的でしたが、つくだ煮を買った時点でもう買わないと決めていたのです。そして、高齢者を待たせている付き添いの人に買い物の順番を譲っているお友達の女っぷりの良いところや、お店のお兄ちゃんのイケメンぶり(注:個人的感想)など、お買い物風景を楽しんで見ていました。

 

さてさて、お話を境内に入り松を見た所まで時間を戻します。

帝釈天には奥に彫刻ギャラリーと庭園があって、そこに入るには入園料(400円)が必要です。

でも見る価値はあると思います。

(その一部を載せておきます。)

↓ これを載せること自体が手抜きって言われたら手抜きかもって思いますが。

 

そして庭園です。

 

ぐるりと回っていき、

 

なかなか良い感じに、日本庭園を堪能しました。のんびり歩く良い時間だったと思います。

 

ところで、なぜ予定していたことが、不確かな未来になってしまったのかと言うと、境内にはトイレがなかったのです!

私の予定では、この後「矢切の渡し」の渡し場を見に行く予定でした。それからぐるりと回って「山本亭」。

地図を見ると、門を出た所にある事になっていました。だけど何か道路で工事中で、その道路の向こう側が何かに覆われていて良く見えなかったのです。ぱっと見つけたトイレは、仮設トイレでした。

私もハイキングコースなどや渓谷当たりの仮設だと、仕方がなく入る時もあります。でも街中じゃないですか。

お友達の「絶対に嫌」と言う、見ただけでのお返事に、予定変更して山本亭周りで行く事にしたのです。

なんだトイレかと言う所ですが、やはり来た時に駅でトイレタイムを設けるとか、先にお食事タイムを取ってそこでトイレタイムを取るとか、ここは計画を立てるのに、大事なポイントだったのだなと、私は学んだような気がしました。

と言っても、これをこれからの生業にするわけでも無いし、いつだって私がやるわけではないのですが。星子さんとお出掛けする時は、殆ど丸投げですし^^

 

と言うわけで、次回は山本亭周りの「矢切の渡し」でのお話です。

 

 


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