姉などは、あまり夢の話などする人ではありません。
だけど昨日、電話にて彼女が話した内容は心に残り、ささやかながら感動もしました。
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なぜか夢の中で彼女は豚さんだったらしい。
なぜに豚さんなのか?
話を聞くと、そこにはいっけんまったく意味が無いようにも感じる。
彼女は布団をかぶって寝ていた。
するとその布団の中の姉に向かって誰かが、大きなはっきりとした声で
『シアワセノタシザン』と言ったのだった。
― 幸せの足し算 ?
なんだかそれ良い言葉ね。
今度それ、やってみようかな。ー
彼女は布団の中でそう考えた。
するとまた声が聞こえてきて
『もうやってるよ。』と、その声の主は言ったのだった。
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豚殿には申し訳ないのですが、人が自分を「豚」と比喩する時は、たいがいはそこには卑下する感情が存在しているように思います。今はあまり登場してこない、「家族スナップ」での私のアイコンも、可愛いけれど、ふくよかすぎる自分への自虐に他なりません。
自分に自信がなくてちっぽけに感じる時もあるでしょう。
また布団を頭からかけて寝ているのは、現実から逃げ出したい気持ちの表れなのかとも思うのです。
もちろん、この夢のシチュエーションの解釈があたっているかは確かな事ではありません。
だけどこの背景は、この夢にとっては大事な所だなと思いました。
近頃姉には、少々の心身ともに疲れるような出来事があるからです。
きっと夢の中で、彼女は逃げ出していたのだと思うのです。
だけどそこに脳の自動計算器が、いえ、言い方が古すぎますね、じゃあ、単純に脳が脳の中の心と言う部分を駆け巡り、最適な言葉を夢の中で寝ている彼女に贈ったのだと思います。
別の言い方で言うと、これを「夢のお告げ」と言うのです。
「幸せの足し算」の言葉自体は、ネットを検索すればたくさん出てきます。だけれどそれは誰かが言ったと言う事には意味が無いと思うのです。意外と誰でも容易に思いついて、ちょっとした気のきいた文章や比喩に使い易い言葉だとも思うのです。
だけど姉が見た夢の中のその言葉は、姉自身が自分の為に生み出した彼女の世界の中のオリジナルです。もしも姉が、「ねえ、良い言葉だと思わない?」と自慢げに言ったとしたら、私は「そうかしら。そうかもね。」と気のない返事をしたかもしれません。
でも、私がささやかながらも感動のようなものを感じたのは、
そのうちなる声が、はっきりと「もうやっているよ。」と告げたからなのです。
知らないうちに、人は闇から抜け出す道、光に向かう方法を模索し選択しているのかもしれませんね。
そして一つ明確に言える事は、体でも心でも疲れた時には寝るべしって事ですね。
明日、いえ今日ですが、お気楽な日だなと思って、このような深夜まで起きて居てはいけませんね。
それでは、目が覚めたらまた楽しい一日が始まりますように。