・「自由が丘に行きました。」「自由が丘に行きました。その2」の記事は、お出掛け日記のように見えても、実はそうではなかったのです。でも「その3」に来て、「お出掛け日記」に近づいてきました。ちょっとだけそれが嬉しい私です。
トップの画像は、食事の後でみんなで行ったピーターラビットのカフェです。
すぐ下の妹が案内してくれました。
さすがに地元民。素敵な所を紹介してくれてありがとうという気持ちになりました。
先日肺がんの手術を無事終わらせることが出来たその地元民の妹ですが、やはりその後の抗がん剤治療は免れることは出来ないようです。
肺がんは手術で取り切ることが出来たら、その後の抗がん剤治療はしなくても良い癌なのだと、事前説明で聞きました。ところが妹は、その手術の時、同じ肺の中ではありましたが、事前の検査では分からなかった小さい癌もあって、それも綺麗にしてくださったそうです。
それを聞いて、もしかしたらその後の治療は免れないかも知れないとは思っていました。
妹の乳癌での抗がん剤治療中は、本当に大変だったのです。もちろん私はまったく大変ではありません。その苦しみも私のものではありません。我が事のように語ることは許されないと思えるほど、彼女の場合は辛そうだったのです。いいえ、「辛そう」ではありません。辛かったのです!
傍にいるだけで、心が真っ暗になるほどに。
またそれをやるのかと思うと、明るく振る舞う妹が不憫でなりません。
と言っても私はあまりそれが態度に出る人ではないのですが。
だけど
「治療が始まったら、本当に大変になってしまうから、その前にみんなで自由が丘でお食事会をしない?」と提案をしました。
そう言うわけで、3月20日にまた再び、自由が丘に行ったのでした。
本当は、母も姉も来る予定でした。母が来れば、お会計は母持ち。
「お母さんが行くと言う事はそう言う事でしょ。」と母は言ってくれたのです。
だけど急きょ、母は来られなくなりました。
それで川越の記事を書いた時に、安上がりにしといて良かったと書き込んだのでした。
この日に地元民の妹に連れて行ってもらったお店は
中華のお店で、かなりの人気店でした。
お食事。
ちょっとリッチなランチでした。
そしておしゃべりも楽しい時間でした。
「じゃあね。」と別れて、私と一番下の妹は駅の改札前で時刻表示の案内を見上げていましたら、いきなり別れたばかりの妹が「わっ!!」と抱き着いてきました。
「わーっ、吃驚した。もう行っちゃったと思ってたよ。」と言いながら、私たちはその妹に見送られながら駅の中に入って行ったのでした。
「楽しかったから、お別れが寂しかったのかしら。」と私は思いました。
いつかみんな笑い話になればいい。
笑い話になりますようにー。
待ち合わせの時間より早く着いたので、家族のお土産に「あげまんじゅう」を買いました。
気になっていた古本屋さんにも寄りました。