(愛知県愛西市)
東海道の陸の脇往還といわれた佐屋街道(下街道)は、宮宿から桑名宿に通じていた。
徳川家康が大阪夏の陣に向かうため、東海道を通り、宮からは陸路を通って、この佐屋から桑名に渡ったといわれている。このときの道が佐屋街道の前身である。
また、天候に左右される海路の迂回路として、寛永十一年(1634)に街道の整備が行われ、正式な街道となった。
海抜ゼロメートルの旧佐屋町には一昨年に一度訪れているが、駅周辺を歩いただけであった。今回は、街道付近を代官所跡、佐屋三里の渡し場跡まで向かってみた。保存を行っているわけではないので、残るものもほとんど無いが、若干の雰囲気だけは感じられた。
また、眼の守護神といわれる星大明神にお参りをし、持病の回復を願った。
東海道の陸の脇往還といわれた佐屋街道(下街道)は、宮宿から桑名宿に通じていた。
徳川家康が大阪夏の陣に向かうため、東海道を通り、宮からは陸路を通って、この佐屋から桑名に渡ったといわれている。このときの道が佐屋街道の前身である。
また、天候に左右される海路の迂回路として、寛永十一年(1634)に街道の整備が行われ、正式な街道となった。
海抜ゼロメートルの旧佐屋町には一昨年に一度訪れているが、駅周辺を歩いただけであった。今回は、街道付近を代官所跡、佐屋三里の渡し場跡まで向かってみた。保存を行っているわけではないので、残るものもほとんど無いが、若干の雰囲気だけは感じられた。
また、眼の守護神といわれる星大明神にお参りをし、持病の回復を願った。
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