(おおすみのはな 愛媛県越智郡波方町水崎 1990年9月15日訪)
高縄半島の突端である大角鼻は、大宝律令後に大角(だいかく(はら):法螺貝:ほらがい)と、烽燧(とぶひ:狼煙:のろし)の場が設けられたことに始まるという。そして戦国時代になると、村上氏来島城を守るための番所が設けられた。また、隣接するところには天満鼻見張台、大角ノ砦があり、来島海峡での守りの拠点でもあった。海岸の岩礁には、柱穴の跡が残り、舟隠し場跡や丘陵上には防塁跡がある。更に付近の海岸には、縄文時代前期から晩期にかけての遺跡「水崎遺跡」が存在する。
高縄半島の突端である大角鼻は、大宝律令後に大角(だいかく(はら):法螺貝:ほらがい)と、烽燧(とぶひ:狼煙:のろし)の場が設けられたことに始まるという。そして戦国時代になると、村上氏来島城を守るための番所が設けられた。また、隣接するところには天満鼻見張台、大角ノ砦があり、来島海峡での守りの拠点でもあった。海岸の岩礁には、柱穴の跡が残り、舟隠し場跡や丘陵上には防塁跡がある。更に付近の海岸には、縄文時代前期から晩期にかけての遺跡「水崎遺跡」が存在する。