(愛媛県松山市花園町)
子規は慶応三年(1868)松山藩士正岡常尚の長男として生まれた。本名は常規といい、幼名処之助。幼少の頃「升」(のぼる)と改めている。子規が生まれて間もなくして、中の川(市内湊町四丁目)に転居した。誕生邸址の碑は、昭和26年に子規五十回忌の際建てられたものである。
子規は慶応三年(1868)松山藩士正岡常尚の長男として生まれた。本名は常規といい、幼名処之助。幼少の頃「升」(のぼる)と改めている。子規が生まれて間もなくして、中の川(市内湊町四丁目)に転居した。誕生邸址の碑は、昭和26年に子規五十回忌の際建てられたものである。