flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

岩室観音堂

2014-09-10 00:00:00 | ほとけのいおり

(埼玉県比企郡吉見町南吉見 町指定文化財 比企三十三所観音三番札所)
 吉見百穴に向かう途中に、楼門のような建物かある。これは武蔵松山城の西側にある観音堂であり、懸造(かけづくり:崖造り:斜面に櫓を組んだ建造物)の堂宇である。伝承によると、弘法大師が岩窟を選んで高さ一尺一寸(33.3cm)の観音像を彫り、この場所にある岩窟に納め、岩室山と号したのが始まりという。また、代々の松山城主がこの観音堂を護持したが、天正十八年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐によって松山城が落城した際、この観音堂は兵火により焼失したという。現在の堂宇は寛文年間(1661-1673)近隣の龍性院住職堯音(ぎょうおん)によって再建されたものであり、現在も同院が管理を行っている。
            

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