flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

Outdoor Lunch

2005-09-22 19:48:40 | kourei-ki-日記-
 今日の昼は川辺で取ることとした。
弁当箱の中身は豚肉の塩カルビである。
と、どこか彼方からブヒッ!ブヒーッの鳴き声。
なんとハム工場からであった。
ハム工場で…?と思いながらも、終始呻声は続いた。

それからというもの、弁当の味が若干変わった気がした。
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今橋-IMAHASHI- 2005-05-11

2005-09-22 00:02:47 | ご近所漫ろ歩き
 HP 「STRUCTURE」 で紹介している Toyohashi Castle のその後を見るためにこの地を訪れることとした。
然しながら発展はおろか衰退の一途を辿っていた。
ドーナツ化の歯止めがかからないのである。
そして今の私も空洞化なのである。

お賽銭を拒否させている眠り猫の心境になりたい私である。
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掛川

2005-09-21 23:23:13 | 城郭・城下町

(静岡県掛川市 1982年6月30日の日記から)
 遠州散策踏査東進で、袋井から掛川へと向かった。双方とも駅前は整備途中といった感じで、未舗装部分も見受けられた。東海道宿場町であり城下町でもある掛川には、重要文化財の御殿、徳川家光の位牌を祀る大猷院殿霊屋、太鼓櫓等が城跡には残っているが、天守にあたる部分にはブロックで固めた天守台に青銅製の聖観音が立っている。天守復元の計画はあるのだろうか三の丸跡に建つ市役所で資料を求め、この地域の歴史を吸収した。

(関連記事:掛川城平成十七年 和田岡古墳群 小笠山

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設楽ケ原-SHITARAGAHARA- 2005/05/12

2005-09-21 00:47:20 | ご近所漫ろ歩き
 私が幼い頃から歩いている古戦場。
今日は空模様も悪く、弔い日和と言ったところか。
その真っ只中を国道が通ることとなり、丘を削る工事をしていた。
多くの武士が命を落とした原野。
史実に思いを馳ながら、未来への光景を見つめた。
土地改良により次第に形状は変わりながらも、この場所の出来事は残るのである。

散策の間、屋根の無いところでは雨が止み、見守りによる遊行ができた。
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とーとー

2005-09-20 23:18:37 | kourei-ki-日記-
 あの超不良品MTBが大破した。
なんと普通の道でいきなりの破損。
フレームが折れ曲がった。
またまた危うく…のところであった。

このところ立て続けの危険環境。
幸先悪い…。
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山田トンネル

2005-09-20 00:00:50 | STRUCTURE-構造物残影-

 東海道線岡崎南方の線路下に煉瓦造りの小さなトンネルがある。
正式名称は「山田下橋梁」
いつ造られたかは定かでないが、元々小川の上に線路が通される際、築堤の下をくぐらせる目的で築造されたとすると、開通時の1888年頃となる。
東海道線を越える道路が少ないことから、その後川に蓋をし、道路併用としたようだ。

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那加 平成十七年

2005-09-19 14:45:40 | 漂い紀行

(岐阜県各務原市 2005年5月10日)
 新緑の那加…並木道が鮮やかに見える。
大韓民国春川市と姉妹都市関係を結んでいるこの地は、韓流ブームによってイメージづくりに精を出している。そして、小さな湖のある市民の森整備中である…。
 木曽川の恩恵に栄えたこの地の風土に触れるため、十五年振りの所にも訪れてみた。時折、演習場から聞こえる轟音が過去からのtime machineのように思い出と共に響き渡った。

(関連記事:新境川百十郎桜平成十八年 二十年

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四日市

2005-09-19 14:37:39 | 街道・宿場町
(東海道四十三番 2005年5月4日)
 実質、三重県下第一の人口の四日市。
先入観として、空気の悪い工業地帯を持っていた。確かに付近で一番の工業地帯であるため否めない部分もあるが、近年の環境意識により非工業地帯と然程変わりないところまで改善されてきている。
 JRの駅を降り、広いが殺風景な駅前通りを歩く。交差点を越える度に賑わいを増し、近鉄駅に近づく頃には街らしい感じとなっていた。この地域での旧省線の弱さが如実に現れていた。
 駅西には百貨店が撤退した後に入った中京地区トップのスーパーが入っていた。この地は現在最大手のスーパーが誕生した土地柄でもあり、宛ら戦いの構図の様である。
 スーパーに隣接する所に、市博物館がある。
駅前にこの様な施設も珍しいが、さすがに来館者も多い。ここの特徴は展示物よりもサービス。入場券を求めるとポイントカードを渡される。次回以降の割引、無料といった内容なのである。また、付近の食事割引券も併せて付いていた。関西圏商法なのであろうか。
 街並みを歩き得られた感想は、近隣の津、桑名に負けじという気持ちが感じられたが、振り返るという部分での情緒はあまり感じられなかった。
 私の相性とは反比例である。


(関連記事:四日市宿平成二十年
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ほの山ほの川

2005-09-19 00:39:28 | 水のほとり
“ほの山”とは、愛知県東部にそびえる標高789.2メートルの「本宮山」(ほんぐうさん)のこと。
“ほの川”とは、三河の由来の一つ、一級河川 豊川(とよがわ)のこと。
大昔、この地方が「ほの国」と呼ばれていた頃から、そう呼ぶようになったのでしょう。
ほ(穂の川) → ほうのかわ → 豊(ほう)川 → 豊川 へと
長い歴史のなかで、変化していったという説があります。
標高1152.3メートルの北設楽段戸山に源を発し、三河湾へと注ぐ全長77キロの川であり、言うまでもなく、流域18市町村を潤し支える母なる川でもあります。

私は、この “ほの山”と、“ほの川”に抱かれた裾野で育ちました。
(ほの山のふもと 序より)
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柑子田

2005-09-18 14:51:21 | kourei-ki-日記-
 早くも稲刈りの時期を迎えようとしている。
年を追う毎にスピードを増す時間経過。
この刈られる稲と共に、近頃のフラストレーションを払拭したい心境である。
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下郷(したごう)の地蔵さま

2005-09-18 01:02:39 | 石のまもり
 クルマのよく通る道の傍に、緑の土盛りがある。
緑の元気な時期は、草に覆われて身を隠しているが、秋になると現れる地蔵さまである。
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Tamakoshi Eight

2005-09-18 00:49:20 | STRUCTURE-構造物残影-

(タマコシエイト 岐阜県大垣市郭町)
 昭和37年(1962)11月、タマコシ大垣店として開店したローカルデパート。地上7階、地下1階、5,336m2を有するRC造の構築物である。 この地に何度も訪れている私でさえ、閉店数年前まで存在を知らなかった目立たない店。然しながらその外観はインパクトがあり、営業中から終焉テイストが漂っていた。増床計画の措置が逆に終りが予知されていたが如く、暗い哀愁を訴えかけている様であった…。 業態をディスカウントストアに変更するも、末期には次第に階上閉鎖が始まり、平成16年2月、タマコシの民事再生法申請に至りグループ3社が経営破綻したのを機に閉店。同じ流通グループであった滋賀県の中堅スーパー平和堂との基本合意締結をするも、この大垣店は老朽化を理由に譲渡されず、同年秋に解体された。
 
(関連記事:Grand Tamakoshi

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菅生川鉄橋橋脚

2005-09-18 00:45:26 | STRUCTURE-構造物残影-

(愛知県岡崎市)
 五万石の城堀代わりに使われた川。その間近に架る鉄道鉄橋の橋脚である。                    
大正12年(1923)愛知電気鉄道の橋梁として築造されたものであり、橋長は170mである。

…どれだけの鉄輪と水流を耐えてきたのであろうか。

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鬼無里 奥裾花

2005-09-17 00:58:52 | 水のほとり

(きなさ おくすそばな 長野市鬼無里 日本百景 日本の秘境100選37番 水源の森百選48番 2005年4月29日)
 先頃、長野市に編入された鬼無里・戸隠。どことなく神秘的な雰囲気漂うこの辺り。付近は多数の崖崩れが見受けられ、この地方のサバ土地質、雪深さが影響しているものと思われる。麓の朝は19℃の気温。然しながら渓谷に差し掛かるにつれ吐く息が白くなってくるのが分かった。裾花川を遡ると、秘境的要素が増し、人家も無くなる。そしてガードレールも無い崖上の道を更に上り、保護園入口に到着した。辺りは未だ積雪が残り、場所によってはメートルに達する所も存在した。標高1200m、戸隠連山に囲まれた奥裾花と呼ばれる此地は、通常の時節であると雪も大分溶け、水芭蕉が多く見受けられ最盛期には81万本咲き誇る日本一の地であるが、今年は春の訪れが遅く、ようやく所々で顔を出しているような状態であった。先日の雨の日もここでは雪が降ったそうである。危険な雪山道を歩かなければならないため、諦める者も居り、五月中葉以降が見頃かと思われた。私は雪道を歩くのが好きであり、付近を歩き回ってみたが、早春の頃へと後戻りした様な初志貫徹といった語句が脳裏に浮かんだ。麓では晴れているであろう日和も、ここでは曇り。次第に小雨がパラつき始めた。ほぼ一通り散策したため、雨凌ぎに山小屋に入ることにした。歩くと暑いと感じられた気温も、実は一桁の温度であり寒い。小屋の扉から見える白い山並みと雪解けの水量豊富な滝の音。止み間をみて山腹の茶屋まで降りた。ここは一般車両の進入上限であり、駐車場となっている。帰りのバスの時間まで二時間あったが、雨が降り続いているため、ただジッと佇むこととなった。それでも空気が清浄であり心が洗われ、無駄な空き時間とは感じなかったと思う。
            

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紀伊勝浦

2005-09-16 02:23:47 | 海道・みなと
 かつては陸の孤島といわれた紀勢東紀州。
徐々にではあるが、交通改善が進んでいる。
 紀伊勝浦は、延縄漁法によるマグロ水揚げ日本一の港であり、周辺の海岸は奇礁奇岩が点在することによって、紀の松島ともいわれている。
一時期観光客減少により閑散としたこの辺りも、古道遺産登録によって僅かながら持ち直しているようであった。
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