(愛媛県宇和島市藤江)
社伝によると、神功皇后摂政十八年(269)三韓征伐の帰路に住吉太神宮に祈って、当国に太神降臨し給う宮処を教え給えと、海辺に茂る藤の木を、本未打ち断ちて海中に投げ入れれば坂島(宇和島)の郷那多(市内住吉町)に着いた。よって、此処に宮居を営み、藤住吉太神宮と称したとある。安永四年(1775)粟島神社と合祀し、現在地に遷座したという。
社伝によると、神功皇后摂政十八年(269)三韓征伐の帰路に住吉太神宮に祈って、当国に太神降臨し給う宮処を教え給えと、海辺に茂る藤の木を、本未打ち断ちて海中に投げ入れれば坂島(宇和島)の郷那多(市内住吉町)に着いた。よって、此処に宮居を営み、藤住吉太神宮と称したとある。安永四年(1775)粟島神社と合祀し、現在地に遷座したという。