(島根県大田市久手町波根西 市指定文化財)
鎌倉時代まで、波根湖という潟湖が存在した。然し、水はけが悪く大雨の度に氾濫したため、徳治元年(1306)領主有馬一政とその子宗茂が七年の歳月をかけ、湖と日本海波瀬海岸の間にある岩の丘陵を幅50m,高さ30mにわたって切り割り、排水路をつくった。そして、掘削の記念として高さ約20mの塔状に岩を残し、その岩の上に一本の青松を植えたのである。 松は昭和51年に枯死し、二代目も平成6年の台風によって倒れた。現在の松は三代目である。
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